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桃栗

Author:桃栗
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父と母を敬わなかったイエス様
前回、新約聖書にイエスの成長記録が記されていない話を取り上げました。
キリスト教の世界では、「イエスは神だから罪を犯していない」と信じられていますが、
私はそれを甚だ疑問に思います。
モーセの十戒にこのような教えがあります。

あなたの父と母を敬え。(出エジプト記20:12)

後に30過ぎで伝道を始めたイエス自身も同じ発言をしています。

父母を敬え(マタイ19:19、マルコ10:19、ルカ18:20)

イエスはこの教えを守ったのでしょうか?
答えはイエス(Yes)ではなくノーと考えざるを得ません。


新約聖書には、イエスが生まれてから30歳になるまでの成長記録がありません。
その唯一の例外がルカ2章41~52節にある12歳の少年イエスの話です。
要約するとこのような内容になります。

12歳のイエスは、父(養父)ヨセフと母マリアと共に、
ナザレから少なくとも1日以上の道のりを経て、
エルサレムの「過ぎ越しの祭り」に行くことになります。
その祭りの期間が終わって帰途に着き、1日分の道のりを進んだところで、
ヨセフとマリアはイエスがいないことに気付きます。
そして2人は、親戚や知人を当たりながら3日もかけて、
祭りのあったエルサレムへ引き返します。
そして、2人はようやく神殿の中で学者達と話すイエスを発見します。
もちろん、親はカンカンです。
マリアは言います。
「イエス、なんということをしてくれたのですか?
お父さんもお母さんも心配して探していたのですよ」
これに対してイエスが冷たく言い放った言葉。
「わたしが自分の父の家にいることを知らなかったのですか?」

3日もかけて探しに来た親に対してずいぶんと失礼ではないでしょうか。
これこそ「父と母を敬え」という教えに反していませんか?
ヨセフもマリアも超能力者ではないのですから、
我が子がどこで何をしているか分かるわけがないでしょう?
そもそも、イエスのほうこそ、本当に「神様」なら、
親が心配して3日も探し回っていることになぜ気付かなかったのでしょうか?

私はクリスチャン時代、この少年イエスの話を何度か聞きましたが、
素晴らしい出来事であるかのように教わった記憶があります。
が、常識的に考えればはやり変です。
クリスチャンの皆さん、イエスの行動を御自分のお子様に当てはめて考えてください。

家族で遠い場所へ旅行に行き、帰りに子供とはぐれてしまいます。
そして3日もかけて知人友人親戚を探し回ります。
やがて、あなたは自分の子供が教会の中で学者達と話しているところを発見します。
もちろん、そばに駆け寄り、「一体今まで何をしていたんだ」と叱るのが普通ですね。
そこで子供は開口一番、
「わたしが自分の父の家にいることを知らなかったのですか?」

親を散々心配させた挙句にこんなことを言われて良い気分がするでしょうか?
それとも、クリスチャンならこれを褒め称えますか?
「おお、この子の信仰は何と素晴らしい」とでも言いますか?
イエスは罪を犯していないとキリスト教では信じられていますが、
この少年時代の行動を自分の子供に当てはめれば、
イエスのこの行動がどんなに親を侮辱したものであるかが分かるはずです。

また、我が子とはぐれたことに丸一日気付かなかったヨセフとマリアも、
ずいぶんとそそっかしいものですね。
普通、旅行先で自分の小さな子供とはぐれたりしたら、
早くて数分、遅くても30分もすれば心配するのが普通でしょう。
いくら国や時代が違うとはいえ、
子供とはぐれたことに丸一日気付かないとは考えにくいです。
そういう意味でも、この12歳のイエスの話は不自然だと思います。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

新約聖書の疑問 | 22:20:52 | トラックバック(0) | コメント(5)
コメント
なるほど!
仰るとおりです。

こんな話をありがたがっているキリスト教信者は
ちょっとどうかしていますね。
2010-07-12 月 22:44:48 | URL | プリンちゃん [編集]
こんばんは。

>そこで子供は開口一番、
>「わたしが自分の父の家にいることを知らなかったのですか?」
>親を散々心配させた挙句にこんなことを言われて良い気分がするでしょうか?
>それとも、クリスチャンならこれを褒め称えますか?

私も不審なのはここです。
このあと、親や周囲の大人たちはイエスに何と答えたんでしょう。
この一件はここで幕引きでしたっけ。
大人たちは意味がわからず、ただ互いの顔を見合わせただけかもしれませんね。
これではせっかく神様が人間のレベル?にまで降りてきて、
神の言葉を人間にわかるよう説いてくださる、という目的が達成されない気がします。
せっかく人間の姿をとってくださったのなら、もっと人間(凡人?)にわかるように説明してもらわないと……。

いずれにしても、“人の子“はこの件で親を心配させたのですから、親に「ごめんなさい」と言わなくてはならないでしょう。

ちなみに私も教会学校では、この少年イエスの言動を
「素晴らしいもの」「模範としましょう」と教わりました。
過ぎ越しの祭りには大勢の大人も子どもも詰めかけてきた。
子ども達は子ども同士でわいわいがやがややっていたそうです。
そうしたやんちゃ悪ガキ仲間に加わらず、父なる神の宮で熱心に教えを聞いたり、質問したりしていたイエス。
私たちもそうでありましょうね。
って教わりました。
今考えるとつまりは、日曜日は(ノンクリスチャンの)友達と遊ぶより、教会学校に来ましょう。
という意味だったのかもしれませんが(笑)
2010-07-17 土 20:59:40 | URL | ゆま [編集]
Re: なるほど!
> 仰るとおりです。
>
> こんな話をありがたがっているキリスト教信者は
> ちょっとどうかしていますね。

クリスチャンは教会で「イエス様は素晴らしい」と頭に刷り込まれているから
どんな行いでも素晴らしく見えるのでしょう。
ナントカ真理教の教祖様みたいに。
2010-07-31 土 00:42:07 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> こんばんは。
>
> >そこで子供は開口一番、
> >「わたしが自分の父の家にいることを知らなかったのですか?」
> >親を散々心配させた挙句にこんなことを言われて良い気分がするでしょうか?
> >それとも、クリスチャンならこれを褒め称えますか?
>
> 私も不審なのはここです。
> このあと、親や周囲の大人たちはイエスに何と答えたんでしょう。
> この一件はここで幕引きでしたっけ。
> 大人たちは意味がわからず、ただ互いの顔を見合わせただけかもしれませんね。
> これではせっかく神様が人間のレベル?にまで降りてきて、
> 神の言葉を人間にわかるよう説いてくださる、という目的が達成されない気がします。
> せっかく人間の姿をとってくださったのなら、もっと人間(凡人?)にわかるように説明してもらわないと……。

その通りですね。
イエス少年の行動だけではなく、
聖書に書かれている様々な出来事が目の前で起こったら、
神を褒め称えられるかどうか大いに疑問です。
イエスの言動の多くが非常に抽象的で分かりにくく、
これで「イエスを有難がたいと思いなさい」と言われても無理です。


> いずれにしても、“人の子“はこの件で親を心配させたのですから、親に「ごめんなさい」と言わなくてはならないでしょう。

そういう言えば、聖書の中でイエスが自分の非を詫びた場面はあったでしょうか?
どこかにあるのかもしれませんが、
教会で教わった記憶はないですね。
やはり神様は一番偉いお方だから謝らないのかもしれません。
v-8

> ちなみに私も教会学校では、この少年イエスの言動を
> 「素晴らしいもの」「模範としましょう」と教わりました。
> 過ぎ越しの祭りには大勢の大人も子どもも詰めかけてきた。
> 子ども達は子ども同士でわいわいがやがややっていたそうです。
> そうしたやんちゃ悪ガキ仲間に加わらず、父なる神の宮で熱心に教えを聞いたり、質問したりしていたイエス。
> 私たちもそうでありましょうね。
> って教わりました。
> 今考えるとつまりは、日曜日は(ノンクリスチャンの)友達と遊ぶより、教会学校に来ましょう。
> という意味だったのかもしれませんが(笑)

今から考えると、大人の礼拝よりも教会学校の教え方の方がひどかったですね。
無邪気な子供たちが何も知らないのを良いことに、
大人の先生達はいろんな話を子供の頭に「吹き込んだ」ものです。
2010-08-04 水 22:54:19 | URL | 桃栗 [編集]
聖書は難しいですね
イエスは処女であったマリアから生まれました。マタイ2:18
(単為生殖・単為発生と私は考えています)

ヨセフはそれを知りましたがマリアの話を信じず、姦淫をしたと思っていた。だから石打の刑になる前にマリアを逃がそうと考えた。19節参照。

20-25節から、ヨセフも特別啓示を受け、神の力によってマリアが身ごもったと信じた。

以上のポイントから、ヨセフもマリアもイエスが神の子であり、預言者によって啓示された救世主であると信じていたと推測される。

いなくなったそのイエスを心配し、やっと見つけた時に「わたしが自分の父の家にいることを知らなかったのですか?」と冷たく聞こえる言い方で諭されています。

閑話休題
もし自分の父親と、自分の祭司が溺れていればどちらを助けますか?もちろん自分の父親だと思います。しかしユダヤ社会では祭司をまず助ける事が一般常識でした。父親は物質的精神的なケアを施してくれます。しかし祭司は霊のケアを施します。ユダヤ人にとっては、この霊の方を大切にしていました。レビ記、申命記をご覧下さい。罪の為の捧げ物や律法を怠れば、死罪にあたります。

イエスの発言は私達からすれば、両親を軽視した宗教に狂った愚息にように感じます。

しかしヨセフとマリアからすれば、大切な神の使命を思い出させた答えだったと考えた方が、宗教民族であるユダヤ人として正しいエピソードのようにもとられられます。

実はギリシャ語やへブル語で聖書を読めば、イエスの発言や預言者の発言は、とても柔和で温かなものであった事がわかります。現代の日本語の聖書の翻訳にどうぞとらわれず、当時のユダヤの文化や背景や価値観を知って下さい。聖書がもっと深くわかる事と思います。

事実、その先の52節では、「イエスはますます・・・神と人とに愛された。」とあります。この評価が以上のエピソードを物語っていると思います。
2010-11-23 火 15:10:55 | URL | トチ [編集]
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