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桃栗

Author:桃栗
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死刑制度に反対するクリスチャンに矛盾
クリスチャンには死刑制度についてどう思っていらっしゃるでしょうか。
おそらく反対だと考える方が多いのではないかと思います。
その理由として、道徳的、人道的、倫理的、感情的な問題のほかに、
「殺すなかれ」「敵を愛せよ」「兄弟を赦しなさい」
という宗教的な理由もあるのかもしれません。
しかし、クリスチャンが死刑制度に反対するということは、
キリスト教の教義を根本から揺るがすかもしれないほどの
とんでもない矛盾が生じることにお気付きでしょうか。


キリスト教の重要な教えは
「キリストによる救い」「キリストの血による罪の赦し」ですね。
創世記1~3章に記されている通り、
最初の人類であるアダムとエバが禁断の果実を食べてしまったがために、
私たち人間はすべて生まれながらに罪を背負うことになりました。
そしてイエス・キリストが救い主としてこの世に降臨、
十字架の上で処刑され、その血によって私たちの罪は清められることになります。
イエスが死亡して葬られてから3日目に蘇り、
地上で40日過ごした後に天に昇ったことになっています。

生まれながらにして罪を背負っている私たち人間は、
イエスを救い主として受け入れ、罪を懺悔することによってその罪は赦されて、
私たちが死んだ後も天国で永遠の命を与えられることになっています。
それを受け入れない者は地獄に行くとされています。

そこで、クリスチャンの皆さん、よくよく考えてください。
「イエスの血による罪の赦し」とは、
結局は「死刑制度の賜物」ではありませんか?
クリスチャンの皆さんは、
イエスが十字架にかかって死んでくださったからこそ、
自分たちの罪が救われるということに感謝して生きているのですよね?
もしも死刑制度がなかったら、
このイエス・キリストによる救いはなかったことになります。

それなのに、現代の死刑制度に反対するということは、
当時の十字架刑も否定することになってしまい、
キリスト教の教義そのものが否定されかねないという
とんでもない矛盾が生じることになります。

それとも、当時の十字架刑はOKで、
現代の死刑制度だけは反対だとおっしゃるのでしょうか?
それではあまりにも虫が良すぎるというものです。
時代背景や処刑方法が違うとはいえ、
人が人を処刑することにはなんら変わりありません。
むしろ、当時の十字架刑の方が残酷極まりない方法です。
大勢の群集の晒し者にされながらじわりじわりと殺されるのですから。

結局、クリスチャンが当時の十字架刑を残酷だと感じないのは、
それが遠い遠い昔の異国の出来事だからです。
早い話が「他人事」なのです。
そして、カトリックなどの絵画で分かるとおり、
イエスの死はきわめて「美化」されており、
これによって十字架刑の残虐性がごまかされているのです。

さて、クリスチャンの皆さん、それでも死刑制度に反対しますか?
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

キリスト教一般の疑問 | 21:28:30 | トラックバック(0) | コメント(22)
コメント
桃栗様お世話になります。

キリスト教徒が死刑制度に反対するのは、十字架にかけられて人類を救済したキリストを否定することになるという内容だと思いますが、確かにその通りだと思います。では何故キリスト教徒が死刑制度に反対するのか、私なりに考えてみました。

キリスト教の歴史を見るとヨーロッパにおいて、異端裁判、魔女裁判等、「異端の罪」によって、「罪のない」人が大量に処刑されました。また、世界を侵略、植民地にしていったときに、先住民を「異教の罪」で「罪なき人」を民族殲滅にし、きわめて大量に処刑を行いました。

たとえキリスト教の教義に反することであっても、これらの大量殺戮に対する後ろめたさから、死刑制度に反対するのではないかと思います。決して道徳的、キリスト教の戒律によるものではないと思います。

2010-06-20 日 16:08:58 | URL | shiretoko [編集]
急いで書きましたので変な文章になってしまいました。

先住民を「異教の罪」で「罪なき人」を民族殲滅にし
           ↓
先住民(罪なき人)を「異教の罪」で大量虐殺し

キリスト教の戒律によるものではないと思います。
    ↓
キリスト教の教えだけによるものではないと思います

失礼いたしました。
2010-06-20 日 16:20:09 | URL | shiretoko [編集]
クリスチャンは死刑制度に反対なんですね。

出エジプト記21章12-36節までに罪にかんする償いが書いてあります。
23節には、魂には魂とありますから…

死刑制度は良いのでは?
2010-06-24 木 21:12:05 | URL | 昨夜 [編集]
私は聖書の中身は死刑制度だらけだと思います。
旧約では神に従わない者に厳しい処罰を与え、どんどん人を処刑しています。たとえば列王第二2:23-24にはエリシャに対して「はげ頭、上っていけ!はげ頭、上っていけ!」と言い続けた子供たちが主の名によって災いを呼び求められると、なんと熊に引き裂かれてしまいます。エリシャを嘲笑したという罪で子供でも容赦なく死刑になっているわけです。新約でも主に従わない者を最終的に滅ぼすという聖句は非常にたくさんあります。
私はエホバの証人2世なので、神が自分に従わない者を処刑するというのは当然のように聖書の教えだと思っていましたが、キリスト教の方は全員天国に行けると信じているみたいで万人救済説を信じているのかもしれません。しかし、それは聖書の教えと違うのではないかと思います。聖書の教えは神に従わない者を容赦なく処刑するというものです。キリスト教の方は神の厳しい裁きについて認識が足りないのではないでしょうか。クリスチャンが死刑制度に反対するというのは私も何を考えているのかいまいちよくわからないです。
2010-06-26 土 14:41:30 | URL | XXX [編集]
Re: タイトルなし
> 桃栗様お世話になります。
> キリスト教の歴史を見るとヨーロッパにおいて、異端裁判、魔女裁判等、「異端の罪」によって、「罪のない」人が大量に処刑されました。また、世界を侵略、植民地にしていったときに、先住民を「異教の罪」で「罪なき人」を民族殲滅にし、きわめて大量に処刑を行いました。
>
> たとえキリスト教の教義に反することであっても、これらの大量殺戮に対する後ろめたさから、死刑制度に反対するのではないかと思います。決して道徳的、キリスト教の戒律によるものではないと思います。

クリスチャンが今になって後ろめたい思いをするなら、
なぜあの当時それに気付かなかったのかと本当に不思議に思いますね。
今さら罪に気付いて悔い改め、死刑制度を廃止したところで、
当時殺された人たちは二度と戻ってきません。
まあ、ともかく、クリスチャンの皆さんは、
キリストの救いが死刑制度の賜物だということをお忘れのようです。
2010-06-30 水 22:31:07 | URL | 桃栗 [編集]
送信できないのですが?
2010-07-02 金 16:35:37 | URL | 異端 [編集]
Re: タイトルなし
> クリスチャンは死刑制度に反対なんですね。
>
> 出エジプト記21章12-36節までに罪にかんする償いが書いてあります。
> 23節には、魂には魂とありますから…
>
> 死刑制度は良いのでは?

改めて該当箇所をその前後を読みましたが、
実に生々しいほどの掟が書かれていますね。
常識的に読むとぞっとするほどです。
一方、新約聖書には「汝の隣人を愛せよ」と正反対のことが書かれています。
キリスト教の過去の歴史を見てみると、
聖書に書かれていることはすべて神様のありがたい御言葉としていながらも、
その場その場で聖書の言葉の都合の良い方を選んでいるだけでしょう。

出エジプト記を支持すれば死刑が肯定されますし、
イエスの言葉を支持すれば死刑が否定されますしね。
2010-07-03 土 11:10:54 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 私は聖書の中身は死刑制度だらけだと思います。
> 旧約では神に従わない者に厳しい処罰を与え、どんどん人を処刑しています。たとえば列王第二2:23-24にはエリシャに対して「はげ頭、上っていけ!はげ頭、上っていけ!」と言い続けた子供たちが主の名によって災いを呼び求められると、なんと熊に引き裂かれてしまいます。エリシャを嘲笑したという罪で子供でも容赦なく死刑になっているわけです。

私は以前この話を取り上げたことがあります。
tp://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-62.html
熊に殺された子供を「かわいそう」と発言するクリスチャンはいませんでした。
それどころか、 maeda takashiと名乗る方が、
「殺された子供は将来的に救われる可能性がなかった」とまで発言しています。
神のこの仕打ちを肯定できるのは、
それが遠い昔の話、つまり他人事だからです。


> 私はエホバの証人2世なので、神が自分に従わない者を処刑するというのは当然のように聖書の教えだと思っていましたが、キリスト教の方は全員天国に行けると信じているみたいで万人救済説を信じているのかもしれません。しかし、それは聖書の教えと違うのではないかと思います。聖書の教えは神に従わない者を容赦なく処刑するというものです。キリスト教の方は神の厳しい裁きについて認識が足りないのではないでしょうか。クリスチャンが死刑制度に反対するというのは私も何を考えているのかいまいちよくわからないです。

キリスト教というものは、聖書の中の都合の良い部分を信じているのです。
そりゃあ、罪びとでも懺悔すれば赦されて天国に行けるとしたら、
こんな楽なことはありません。
結局、楽な方を取っているのです。
そんなクリスチャンは、黙示録のハルマゲドンなんて眼中にないでしょうね。
2010-07-03 土 11:38:52 | URL | 桃栗 [編集]
XXXさんのコメントより
>私は聖書の中身は死刑制度だらけだと思います。

桃栗さんのコメントより
>出エジプト記を支持すれば死刑が肯定されますし、

レビ記20章もそうですね。死刑にあたる罪をうんざりするほど並べ立てています。



2010-07-04 日 02:01:56 | URL | AC [編集]
>現代の死刑制度に反対するということは、当時の十字架刑も否定することになってしまい、
聖書のイエスの十字架刑のところには、刑が執行された後に「この人は本当に神の子だった」と人々がきづく場面が書かれてあります。
重大な過ちを犯した後でやっとその重大さに気付くということは我々人間にありがちなことです。

>現代の死刑制度だけは反対だとおっしゃるのでしょうか?
イイエ。

>クリスチャンが当時の十字架刑を残酷だと感じないのは
感じているからイエスの十字架上の苦しみを覚えたいとしているのです。われわれの罪ゆえに彼が苦しんだということをです。

>キリスト教の方は神の厳しい裁きについて認識が足りないのではないでしょうか
今は医学が発達して病気も治るものが増えてきましたが、ペストなどの流行病などが蔓延した時代の人たちは神の裁きだと思っていたと思います。そういう意味では、命の危険にさらされることが少なくなってきた時代・国では裁きということにたいして疎くなっている可能性はあると思います。しかし、「生まれつきの盲人をいやす ヨハネ9章」のように、体の不自由や病気は必ずしも神様の裁きではないことも確かです。
いずれにせよ命をどうするかは神様が決めることだと習っています。
2010-07-04 日 15:30:11 | URL | ぶる [編集]
Re: タイトルなし
> 送信できないのですが?

スパム防止のために、URLは書き込めない設定になっています。
もしも何かのサイトを紹介したい場合は//より前の部分を省略してください。
2010-07-06 火 00:06:30 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> XXXさんのコメントより
> >私は聖書の中身は死刑制度だらけだと思います。
>
> 桃栗さんのコメントより
> >出エジプト記を支持すれば死刑が肯定されますし、
>
> レビ記20章もそうですね。死刑にあたる罪をうんざりするほど並べ立てています。

レビ記をざっと流し読みしてみましたが、
こちらは最初から最後までくだらない掟のオンパレードですね。
こうしてはならない、こうしなさい、これを犯したらこういう罰を受けるなどなど、
27章もの長きにわたってクドクドと掟を並べ立てられると
生々しいと言うよりもはやバカバカしいです。
あれがありがたい神の言葉なのでしょうか。
2010-07-09 金 22:37:01 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> >現代の死刑制度に反対するということは、当時の十字架刑も否定することになってしまい、
> 聖書のイエスの十字架刑のところには、刑が執行された後に「この人は本当に神の子だった」と人々がきづく場面が書かれてあります。

この時、多くの死体が蘇ってお墓から出てきた話が書かれていることもお忘れなく。
(マタイ27:51-53)
まるでゾンビですよね。
「この人は本当に神の子だった」というセリフが出てくるのは、
まさにその次の節です。


> 重大な過ちを犯した後でやっとその重大さに気付くということは我々人間にありがちなことです。

それで、重大な過ちに気付いた人々は直ちに十字架刑を廃止したのでしょうか?
それに、イエスが葬られた後、
弟子達が遺体を盗みに来て「イエス様が蘇った」と言うのを恐れ、
遺体が盗まれないようにお墓を石で封印してその前に兵士を配置していましたね。
(マタイ27:62-66)
もしもイエスが神の子だと人々が気付いたなら、
番兵など置かず、素直にイエスの復活を待っていたはずです。


> >現代の死刑制度だけは反対だとおっしゃるのでしょうか?
> イイエ。

ということは、現代の死刑制度だけではなく当時の死刑制度にも反対なのですね。
では、キリストの救いはなかったことになりますがそれでもいいのでしょうか。


>
> >クリスチャンが当時の十字架刑を残酷だと感じないのは
> 感じているからイエスの十字架上の苦しみを覚えたいとしているのです。われわれの罪ゆえに彼が苦しんだということをです。

同じ苦しみを覚えたいのなら、あなたも十字架にかかってみてはいかがですか?
これが同じ苦しみを覚える一番確実な方法です。
少なくとも、手にクギの1本でも打ち込んでみてはどうでしょうか。
(その結果どうなっても私は一切責任を負いません)
実際にはそんなことは出来もしないのに、
「イエスの苦しみを覚えたい」などと軽々しく言えるのは、
やはりあなたは十字架刑の残酷さがこれっぽっちも分かっていないからです。


>われわれの罪ゆえに彼が苦しんだということをです。

いつイエスが「あなた方の罪ゆえに私は苦しんだ」と言いましたか?
それはパウロが作った教えです。
あなたはキリスト教の信者ではなく「パウロ教」の信者なのです。

>
> >キリスト教の方は神の厳しい裁きについて認識が足りないのではないでしょうか
> 今は医学が発達して病気も治るものが増えてきましたが、ペストなどの流行病などが蔓延した時代の人たちは神の裁きだと思っていたと思います。そういう意味では、命の危険にさらされることが少なくなってきた時代・国では裁きということにたいして疎くなっている可能性はあると思います。

「可能性はあると思います。」などと回りくどい言い方をせず、
はっきりと「はい、認識が足りません」と素直に言いましょうね。
2010-07-09 金 22:57:14 | URL | 桃栗 [編集]
>実際にはそんなことは出来もしないのに、
「イエスの苦しみを覚えたい」などと軽々しく言えるのは、
やはりあなたは十字架刑の残酷さがこれっぽっちも分かっていないからです。

あなたの話し方って、人がどう考えているか、所詮あなた目線なのに決めかかっていますね。

「イエスの苦しみを覚えたい」などと軽々しく言える=やはりあなたは十字架刑の残酷さがこれっぽっちも分かっていないからです。

なんでそうなるのですか(^^ゞ
できないからこそ、それがすごくひどいことなんだということを思って何か変ですか?

>「可能性はあると思います。」などと回りくどい言い方をせず、
はっきりと「はい、認識が足りません」と素直に言いましょうね。

ほらそうやって決めつけている。
十把ひとかけらで「疎い」とまとめあげているあなたの考え方は問題ありだと思いますが。
命の危険にさらされることが少なくなってきた時代・国に住んでいても神の裁きを認識している人だっているでしょう?

あなたの話し方って多くは揚げ足取りの方法をとっていますね。
このブログはあなたが疑問に思うことを解決したいという主旨は無く、単に批判して喜んでいるという主旨なのでしょうか?
わたしはあなたの趣旨を知らないものですから自分の考えを書きましたが、もしあなたがそういう感じで人を単純に決めつけているだけ、人の話をはなから聞くつもりがないということならここから去りますのでおっしゃってください。
もし単純に人を決めつけるつもり、人の話を聞くかないつもりがないのでしたら、もっと批判を受け入れているような印象を与えた方が良いと思いますが。

>同じ苦しみを覚えたいのなら、あなたも十字架にかかってみてはいかがですか?
これが同じ苦しみを覚える一番確実な方法です。
少なくとも、手にクギの1本でも打ち込んでみてはどうでしょうか。

よくみずしらずの人間にそこまで言えますね。あなたの人間性を疑ってしまいます。
2010-07-12 月 00:25:07 | URL | ぶる [編集]
>いつイエスが「あなた方の罪ゆえに私は苦しんだ」と言いましたか?
それはパウロが作った教えです。
あなたはキリスト教の信者ではなく「パウロ教」の信者なのです。

キリスト教では新旧約聖書が教典です。(カトリックでは外典も。)
新約聖書にはパウロの書簡も含まれています。
パウロ教が入っていても、それを含めてのキリスト教と思いますので、問題はないと思いますが。
2010-07-12 月 09:23:41 | URL | ぶる [編集]
Re: タイトルなし
> 「イエスの苦しみを覚えたい」などと軽々しく言える=やはりあなたは十字架刑の残酷さがこれっぽっちも分かっていないからです。
>
> なんでそうなるのですか(^^ゞ

目の前で他人が公開処刑されて死んでいくのを見て
「おお、私もあの苦しみを覚えたい」などと言えるのでしょうか?


> できないからこそ、それがすごくひどいことなんだということを思って何か変ですか?

あなたは「イエスの十字架上の苦しみを覚えたい」と言ったのですよ。
できないとは言いませんでした。

> >「可能性はあると思います。」などと回りくどい言い方をせず、
> はっきりと「はい、認識が足りません」と素直に言いましょうね。
>
> ほらそうやって決めつけている。
> 十把ひとかけらで「疎い」とまとめあげているあなたの考え方は問題ありだと思いますが。
> 命の危険にさらされることが少なくなってきた時代・国に住んでいても神の裁きを認識している人だっているでしょう?

でも、あなた自身は認識しているのかしていないのかは明言を避けましたね。

> あなたの話し方って多くは揚げ足取りの方法をとっていますね。
> このブログはあなたが疑問に思うことを解決したいという主旨は無く、単に批判して喜んでいるという主旨なのでしょうか?

今頃になってようやくお気づきですか?

> わたしはあなたの趣旨を知らないものですから自分の考えを書きましたが、もしあなたがそういう感じで人を単純に決めつけているだけ、人の話をはなから聞くつもりがないということならここから去りますのでおっしゃってください。

ではご希望通り言わせていただきます。
このブログがお気に召さないのならどうぞ去ってください。


> >同じ苦しみを覚えたいのなら、あなたも十字架にかかってみてはいかがですか?
> これが同じ苦しみを覚える一番確実な方法です。
> 少なくとも、手にクギの1本でも打ち込んでみてはどうでしょうか。
>
> よくみずしらずの人間にそこまで言えますね。あなたの人間性を疑ってしまいます。

あなたは「イエスの十字架上の苦しみを覚えたい」(原文)と発言したのですよ。
確実に同じ苦しみを覚える方法は十字架にかかる以外にありません。
そもそも、「イエスの十字架上の苦しみを覚えたい」
と軽々しく発言するあなたの思考回路を疑ってしまいます。
ともかく、揚げ足を取られるのが不愉快でしたら、
書き込んでくださらなくても結構です。
2010-07-13 火 22:02:48 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> >いつイエスが「あなた方の罪ゆえに私は苦しんだ」と言いましたか?
> それはパウロが作った教えです。
> あなたはキリスト教の信者ではなく「パウロ教」の信者なのです。
>
> キリスト教では新旧約聖書が教典です。(カトリックでは外典も。)
> 新約聖書にはパウロの書簡も含まれています。
> パウロ教が入っていても、それを含めてのキリスト教と思いますので、問題はないと思いますが。

大いに問題ありです。
そもそも、「罪の意識」を作ったのはパウロです。
これによってどれほど後世の人たちが混乱したことでしょう。
私も教会では「私たちはみな罪びとである」と教わり、
私のクリスチャン生活では常にこの「罪の意識」が付きまとっていました。
イエス自身がそんなことを教えたでしょうか?

最近、ケン・スミス著の
「誰も教えてくれない聖書の読み方」(晶文社)という本を読みました。
ここにパウロについてこう紹介されています。


使徒パウロ(タルサスのサウル、異教徒たちへの使徒、聖パウロ)
キリスト教成立に、キリスト自身よりもずっと功績のあった人。
この人がイエスの教えを骨抜きにして勝手につくりかえたおかげで、
キリスト教教会が世にはばかるようになったし、
みんながいまだに頭をこんがらがせるはめにもなってしまった。


まさにその通りです。
2010-07-19 月 14:57:25 | URL | 桃栗 [編集]
死刑制度ですが、クリスチャンだから反対するわけでは
ありません。(超異端でクリスチャンとは呼べないですけど)
アメリカがそうであるように、死刑は抑止力になってはいないように
思います。
「死」が一番の苦しみとは思えません。

「死」によって、ある意味生きるよりも楽になる場合も
あるのではないかと思います。

異端である私は、地獄も天国も信じてはいません。
「死」は、無のように思えます。

死刑制度は、被害者の思いが報われるように
思われているから、あるのでしょうか。

ヨーロッパのほとんど?の国は、死刑はありませんが、
人々の考え方にあると思います。
キリスト教の言われている、
「殺・すなかれ」「敵を愛せよ」「兄弟を赦しなさい」も
あると思います。
憎んで殺・しても、自分が救われない気がします。
死刑をすれば解決するのか?ということ。

クリスチャンは、戦争をし死刑も行ってます。
多くの残酷なことを行っています。
なぜ、今まで残酷なことをしてきたのに、
今多くのクリスチャンが、死刑を反対するのか?

歴史があるからです。
全ては歴史があり、経験があって学ぶのだと思います。
繰り返さないように。

人間はまだまだ権力・富・思想・自己防衛などから
戦争は続くと思います。

クリスチャンなら、全てを捧げて、殺さず殺されれば?
って思われるでしょうが、殺されて解決できるのか?って
こともありますし、やはり人間生きたいんです。
クリスチャンも普通の人間です。

少しでも、苦しく悲しみの中にいる人を少なくしたいと思って
いるでしょうが、それが逆効果になったこともあるでしょう。
政治的な虐殺などは、見過ごせないと思い戦争したり。

日本も戦を繰り返したように、クリスチャンも同じです。
特別なわけではないと思います。
2010-07-22 木 15:58:03 | URL | 異端 [編集]
Re: タイトルなし
> アメリカがそうであるように、死刑は抑止力になってはいないように
> 思います。

この部分は同感ですね。
犯罪の罰則を強化したところで、
その原因を解決しなければ意味がありません。
飲酒運転の罰則を強化したって、
お酒を売るのをやめない限り飲酒事故はなくなりませんからね。
でも、罰則はないよりはましです。


> 「死」が一番の苦しみとは思えません。
>
> 「死」によって、ある意味生きるよりも楽になる場合も
> あるのではないかと思います。

これも同感。
自殺を選ぶ人が多いのもそういう考えを持つ人が多いからでしょう。
だからと言って自殺を肯定するわけではありませんが。


> 異端である私は、地獄も天国も信じてはいません。
> 「死」は、無のように思えます。

聖書にそう書かれていますね。

お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。
(創世記3:19)


神は、人間が死んだら「塵に返る」と言っており、
天国があるとも地獄があるとも言ってはいません。
正統派クリスチャンはこの言葉をなぜか無視していますね。
死後、何もないということを意味する言葉には、
こういう記述もあります。


[色:FF0000]生きている者は、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。
しかし、死者はもう何ひとつ知らない。
彼らはもう報いを受けることもなく、彼らの名は忘れられる。
(コヘレトの言葉9:5)


> 日本も戦を繰り返したように、クリスチャンも同じです。
> 特別なわけではないと思います。

結局、クリスチャンも普通の人と同じなのです。
にもかかわらず、クリスチャンだけが特別であるかのように言う人が多く、
そこが私がクリスチャンが嫌いな理由の一つです。
2010-08-10 火 00:05:27 | URL | 桃栗 [編集]
冤罪が全くないならば反対しませんが、冤罪があるからこそみんな反対しつづけるのだと思います。
拷問をかけて嘘の告白をさせる…このやり方を辞めるようにした方が先決です。
私は死刑制度はそう言う意味でも反対です。
2010-11-27 土 23:48:28 | URL | ハンナ [編集]
クリスチャンの歴史観と死刑制度反対について
>> shiretokoさま

某神学校の教員を含め、私の知っている日本人クリスチャンのほとんどは、キリスト教の血塗られた歴史を直視しようとしません。無視するか過小評価しようとするのです。
ちなみに某神学校の教員は、近世ヨーロッパの「異端審問」のことや、かつてカトリックが現在のロシアやウクライナに「十字軍」を何度も派遣して正教徒の虐殺を繰り返した(たとえば、司祭や修道士を構成員とする騎士修道会のチュートン騎士団による「北方十字軍」など)、という史実を知りませんでした。もちろん、ヒトラーのバルバロッサ作戦(対ソ侵攻)を、時のローマ法皇・ピウス12世が「反共十字軍」として認可した、ということも。
そして、日本の歴史のダークな部分を強調し、「日本人は罪深い。これを贖うには、国民がみなクリスチャンになるしかない。」と言い出すのです。「キリスト教の方がもっと血なまぐさいよ。」と言ってやると、色々と訳の分からぬ答えが返ってきます。「クリスチャンは神に赦されてるから。」とか「例外だけ引き合いに出して全体を描写するのはやめろ。」といった反応をするのです。
キリスト教の血塗られた歴史に関する書籍を大量に読んでいた私は、かつて日本基督教団の教会に行っていた時、「子供に悪影響を与えるから」という理由で、伝道主事から子供と話すのを禁止されました。(「ここは歴史研究会ではない。」とも言われました。)
理由は人それぞれなのでしょうが、「過去に対する後ろめたさ」というより「エエ格好しい」で死刑に反対している人も多いのではないしょうか?
2010-11-28 日 01:52:27 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: タイトルなし
> 冤罪が全くないならば反対しませんが、冤罪があるからこそみんな反対しつづけるのだと思います。
> 拷問をかけて嘘の告白をさせる…このやり方を辞めるようにした方が先決です。
> 私は死刑制度はそう言う意味でも反対です。

その「冤罪」があったからこそキリストの救いがあることをお忘れなく。

ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。
(ルカによる福音書 23:4)

ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
(ルカによる福音書 23:15)


ルカによる福音書23章ではピラト総督はしきりにイエスを釈放しようとしているのに、
祭司長、律法学者、群集の「十字架につけろ!」の声に押され、
ピラトはイエスに死刑判決を下してしまいます。
キリストの救いは、まさに「冤罪」の賜物です。
キリストの冤罪は肯定し、それ以外の冤罪を否定するのは、
虫が良すぎます。
2011-10-27 木 23:45:04 | URL | 桃栗 [編集]
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