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桃栗

Author:桃栗
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

ゲストブック | 21:14:14 | トラックバック(0) | コメント(64)
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2010-03-15 月 21:26:15 | | [編集]
お返事有り難う御座います
お世話になります。桃栗様、お返事有り難う御座いました。桃栗様が作られたゲストブックにて、書き込み致します。

私は中学、高校がカトリック系、大学がプロテスタント系の学校に通っていました。また、就職して最初に配属された支店の支店長はキリスト教徒でした。キリスト信者ではありませんので、詳しい内情は分かりませんが、カトリック、プロテスタント双方の胡散臭さは知っています。これからは、機会を見ながら、私が見聞きしてきたことを述べさせて頂きます。また、貴ブログの全体的な感想も述べさせて頂きます。勿論、記事の内容次第で、私の能力で発言できる場合、参加させて頂きます。

さて、桃栗様が、小沢幹事長の発言についておっしゃったこと、私も同感です。確かに政治家としてはかなり不適切な発言ではあり、また。小沢氏の政治家としての評価は差し控えますが、内容自体は間違ってはいません。

それよりも、失礼ながら可笑しかったのは、キリスト教諸宗派、キリスト教徒個々人の反応でした。私には、図星を突かれて逆上しているようにしか、思えませんでした。小沢氏の発言では、キリスト教だけではなく、イスラム教も批判の対象になっていましたが、私の知る限り、イスラム教からキリスト教のような過剰な反応はありませんでした。

問題の発言のインタビュー映像を見ましたが、確かに、初めは仏教界に対するリップサービスでした。しかし、話が進むにつれ、キリスト教批判が強くなり、表情と声の強さから、本音が出ているなと感じました。

小沢氏ほどの政治家になると、我々国民と比べようもないほど、様々な人々と対応していかなければなりません。日本人だけではなく、各国の様々な人々とも付き合わなければなりません。その経験から、このような発言が出たのです。キリスト教徒は謙虚に受け止めるべきです。

キリスト教徒に謙虚さと自省を求めるのは無理な話ではありますが。

これからも機会を見て書き込みをさせて頂きます。宜しくお願い致します。
2010-03-16 火 20:46:11 | URL | shiretoko [編集]
はじめまして
はじめまして、プロテスタントと申します。
いつも興味深く読ませていただいております。

自分はプロテスタントの小さな教会に行き始めてから3年目になる者ですが、キリスト教に対する桃栗さんのご指摘はもっともであると考えております。
たとえば先日の「永遠の愛を誓ってはならない?」の記事内容におきましても、確かにイエスは誓っちゃいけないよと言われておりますし、結婚式での愛の誓いという慣習の根拠は薄弱のように思われます。

(素人考えですけれども、イエスの「誓ってはならない」の教えよりも「愛」の教えのほうが聖書では強調されておりますから、あえて「誓ってはならない」の教えをやぶって、夫婦に「愛」を実践してもらうために誓わせているのではないか、と個人的には思います。
本当は「祈らせる」ほうがいいのでしょうが、結婚の儀式はもはや秘蹟として定着してしまっているので、牧師の一存ではなかなか変更がきかないのでしょう)

そういった聖書のなかの矛盾を、キリスト教界の解釈と自分なりの解釈をもちいながら解決していくことが(優先するのは、聖霊によって導かれてきた教会教理ですが)、クリスチャンには大切な作業であると考える次第です。

これからも貴重なご指摘のほど、よろしくお願いいたします。
2010-03-16 火 21:36:03 | URL | プロテスタント [編集]
Re: お返事有り難う御座います
> お世話になります。桃栗様、お返事有り難う御座いました。桃栗様が作られたゲストブックにて、書き込み致します。

さっそく書き込んでくださってありがとうございます。

> さて、桃栗様が、小沢幹事長の発言についておっしゃったこと、私も同感です。確かに政治家としてはかなり不適切な発言ではあり、また。小沢氏の政治家としての評価は差し控えますが、内容自体は間違ってはいません。
>
> それよりも、失礼ながら可笑しかったのは、キリスト教諸宗派、キリスト教徒個々人の反応でした。私には、図星を突かれて逆上しているようにしか、思えませんでした。

私もそれを大いに感じましたね。
私はYahoo知恵袋という質問サイトに時々書き込んでいますが、
その小沢さんの発言があった頃、知恵袋でこんな質問がありました。
tp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432828034
質問者はキリスト教に批判的な方です。
この質問ににchirichiriwatchさんというクリスチャンが反論しています。
最終的にベストアンサーに選ばれたのは私の回答です。

が、私の回答がベストアンサーになったのが不服だったようで、
chirichiriwatchさんは私への当てつけにこんな質問をしています。
tp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233135127
一見、chirichiriwatchさんは「質問」という形式を装っていますが、
結局は私への批判でしょうね。
そして、クリスチャンはキリスト教の非を一見認めているようですが、
よく読んでみると認めていないのです。

>小沢氏の発言では、キリスト教だけではなく、イスラム教も批判の対象になっていましたが、私の知る限り、イスラム教からキリスト教のような過剰な反応はありませんでした。

以前、国内のどこかの町でコーランが破り捨てられていて、
それに激怒した大勢のイスラム教徒が警察に押しかけた事件がありました。
が、確かに今回はイスラム教徒が過剰に反応した例を私も知りません。
これは、日本でのイスラム教徒の人口が少ないことにもよるのでしょうね。
もしも小沢さんがイスラム圏であんな発言をしたら、
生きて帰れなかったかもしれません。

> 問題の発言のインタビュー映像を見ましたが、確かに、初めは仏教界に対するリップサービスでした。しかし、話が進むにつれ、キリスト教批判が強くなり、表情と声の強さから、本音が出ているなと感じました。

私は新聞の記事でしか見ていませんが、その映像を見てみたかったものです。

> 小沢氏ほどの政治家になると、我々国民と比べようもないほど、様々な人々と対応していかなければなりません。日本人だけではなく、各国の様々な人々とも付き合わなければなりません。その経験から、このような発言が出たのです。キリスト教徒は謙虚に受け止めるべきです。
>
> キリスト教徒に謙虚さと自省を求めるのは無理な話ではありますが。

無理でしょうね。
キリスト教が2000年も続き、世界中に広まっていますから、
自分たちの宗教は正しいと信じて疑わないのでしょう。
しかし、世界中に広まるときにどれほど多くの人が迫害を受けたか、
そういう現実を直視してもらいたいものです。
2010-03-20 土 20:48:08 | URL | 桃栗 [編集]
Re: はじめまして
> はじめまして、プロテスタントと申します。
> いつも興味深く読ませていただいております。

> そういった聖書のなかの矛盾を、キリスト教界の解釈と自分なりの解釈をもちいながら解決していくことが(優先するのは、聖霊によって導かれてきた教会教理ですが)、クリスチャンには大切な作業であると考える次第です。

残念ながら、聖書の解釈というものは聖霊によって導かれたものではなく、
人間の都合で導かれたものです。
それを正当化するために神や聖霊に導かれたことにしているのです。
もしも神や聖霊によって導かれたものなら、
聖書の解釈はいつの時代もひとつであったはずです。
ところが、現実には長い歴史の中で聖書の解釈は様々に変えられ、
その結果、多くの宗派や教派や教会に分裂し、
それぞれに自分たちの解釈が正統派であると信じているのです。
2010-03-20 土 20:59:05 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗様、お返事有り難う御座います。
>その小沢さんの発言があった頃、知恵袋でこんな質問がありました。
tp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432828034
質問者はキリスト教に批判的な方です。
この質問ににchirichiriwatchさんというクリスチャンが反論しています。
最終的にベストアンサーに選ばれたのは私の回答です。

が、私の回答がベストアンサーになったのが不服だったようで、
chirichiriwatchさんは私への当てつけにこんな質問をしています。
tp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233135127
一見、chirichiriwatchさんは「質問」という形式を装っていますが、
結局は私への批判でしょうね。
そして、クリスチャンはキリスト教の非を一見認めているようですが、
よく読んでみると認めていないのです。

拝見しました。彼らのいっていることは屁理屈の一言に尽きます。
このようなことを言って恥ずかしくないのでしょうか。また、自分が書いた文章を他人(非キリスト教徒)はどう思うのか考えないものでしょうか。

クリスチャンは日本を否定することしか存在意義がないように思います。
2010-03-20 土 22:20:02 | URL | shiretoko [編集]
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2010-03-21 日 11:49:33 | | [編集]
桃栗さん、私から聖書に関する意見がありますので、投稿させていただきます。聖書の創世記にはアダムとエバが完全な人間であり、その状態で神の命令に逆らって禁断の木の実を食べたとあります。私は聖書は人間の言葉であると考えていますが、完全な人間であるアダムとエバの自由意志について推論してみたので聞いて下さい。

まず人間の自由意志は他者を愛する超自我と自分を守ろうとする自我で成り立っていると思います。超自我=良心、自我=本能と捉えると分かりやすいと思います。良心と本能の働きですが、本来良心のほうが様々な欲求を持つ本能を抑えていると思います。人間はある問題に直面したとき、そのことで心が痛むかどうかで判断し、行動しています。良心がよく働いていると、心が痛むため自然と他の人を思いやれるようになります。良心が働かないと、自分の欲求を持つ本能が自由に働き過ぎてしまい、結果他の人のことを考えない行動になります。創造者である神がいたとしたら、神は人間に自由意志を与える際、自分の欲求を持つ本能だけでは他者と衝突しトラブルになるので、他者を愛する良心を造ったと思います。良心が完全に機能しているなら、何か問題が起きたときは自動的に心が痛むように設定されているので、自然と罪を犯すことはなくなるのではないかと思います。

しかし、実際の現在の人間は不完全であるため、良心も完全には機能せず、他者と衝突し罪を犯します。そのため人間は法律を作り、それぞれの人間が互いに衝突することのないように整備しようとしました。法律の目的はそれぞれの人間が互いの権利を侵害することのないように、というものだと思います。もしすべての人間の良心が完全に機能しているなら、法律は必要なくなるのではないかと思います。

次に、一人一人の良心の感じ方はしばしば生来のものであるように思えます。親切な人だと周りから言われる人は何事に対しても親切であり、冷淡な人だと言われる人は何事にも不親切であるように思います。ここで個人の良心の働きを数値化して、平均を50として0から100までで表してみたいと思います。ある人は38の良心を持っていて、ある人は63の良心を持っているとします。また、人間の間で起こる問題も数値化して、平均を50として0から100までで表してみます。38の良心だと、13とか27の問題は良心の歯止めが掛かりますが、48の問題になると38の良心は限界を超えて麻痺し、機能しなくなります。48の問題は63の良心だと歯止めが掛かりますが、70の問題になると63の良心は機能しなくなります。つまり、人間はそれぞれ自分の持っている良心の範囲内で自由に行動しているわけです。一見冷淡に見える人でも良心が全くないわけではなく、13の良心を持っているとすれば13の良心に従って日々行動しているわけです。

それぞれの人間の良心の値は生まれ持ったものですが、今度はこの値が変動し下がってしまう場合について考えてみます。人間の良心は切迫した極限状態に置かれると麻痺してしまい、70ある良心も70→30にまで下がったりするようになります。たとえば食べ物がなく飢餓の状態になると、人間は窃盗などを簡単にするようになります。強いストレスがかかり自分の生命が脅かされるようになると、人間は冷静な判断ができなくなるように思えます。極限状態に置かれると、人間は一見自己中心的な態度をとるようになるわけですが、これは法律でもある意味認められていて正当防衛として罪に問われないことがあります。

さて、ここでアダムとエバの話をしたいと思いますが、アダムとエバは禁断の木の実に手を出す際、自分の生命が危うくなるような切迫した極限状態に追い込まれていて、そのために冷静に考えることができず血迷った判断をしたわけではありませんでした。アダムとエバは全くストレスのかかっていない状況でじっくり冷静に考え判断することができました。また、完全な人間だったので数値で表すと100の良心を持っていました。100の良心は完全であり、完璧に機能していました。そうなるとアダムとエバは100の良心に従って考えることができ、なおかつ冷静に考えられなくなるような強いストレスは全くかかっていなかったわけです。私は完全な人間であるアダムとエバの場合、禁断の木の実を食べるという選択はあり得なかったと思います。聖書にはアダムとエバは禁断の木の実を食べ、そこから完全な状態に罪が入り人類は不完全な状態になったと書かれていますが、初めから完全な人間であれば罪を犯すことはあり得ないのではないかと思います。罪を犯すのは不完全であり、良心も不完全な機能をしているからだと思います。

不完全な人間の場合、数学が苦手とか要領が悪い、話をするのが苦手、というのはすべてその人の脳のその分野がよく機能していないからだそうです。なので脳の機能を活性化させるような物を摂ると頭の回転が良くなったりします。子供が魚の目玉に含まれるある物質を毎日摂ると、学力が上がり勉強がよくできるようになることがあるそうです。このように勉強ができるできないはその人の脳の勉強をする箇所がどのくらい機能しているかで決まります。勉強の苦手な子供でも魚の目玉を毎日食べれば、脳が活性化されて勉強ができるようになるわけです。また、たとえばうつ病の人は元々そういう性格だったとかそういう問題ではなくて、これもやはり脳の機能の問題で薬を飲むとうつ病は治ります。うつ病は脳の機能の問題で気持ちを安定させる物質が足りないために起こり、薬で治すことができます。私は人間の良心についても同じことが言えるのではないかと思います。脳の中で良心の働きをしている分野があると思いますが、その部分がよく機能しているほど善人になり、機能しなくなるほど悪人になると思います。悪人の人は元々そういう性格だったという問題ではなく、単に脳の中の良心を司る箇所がよく機能していないからだと思います。抗うつ剤のように、良心の部分に当たる脳の箇所を活性化させる薬があれば、悪人の人も良心がよく機能するようになり善人になると思います。

キリスト教では人間は自由意志により善か悪かを判断して、どちらかを選択するという教えですが、人間の自由意志というのは本来条件が付けられていて、その条件が各人の良心に反しない範囲で自由意志を持つというものだと思います。良心が完全に機能していれば、人間は他者の意志を尊重しながら自分も自由に生きられると思います。しかし実際には良心は不完全にしか機能しないので、人間は自由に生きようとしたとき他者のことを無視した言動をしてしまうのだと思います。良心がよく機能し、他者に愛を示せている状態を善とし、良心が機能せず他者を思いやれない状態を悪と呼んでいるのだと思います。良心が完全である状態を愛があると言い、神は愛であるという聖句と神は完全であるという聖句は調和しているように思います。また、その逆で良心が不完全である状態を愛がないと言い、愛がないことを悪としている聖句があります。神が完全さを表しているとすれば、悪魔サタンは不完全さを表してると思います。言ってみれば、サタンとは他者に危害を加えることを目的として存在するのでなく、良心が不完全にしか機能せず、その結果愛のない状態になっていることを表しているものだと思います。突き詰めると、悪魔サタンの実物は存在せず、悪魔サタンとはただ欠陥の象徴であるように思います。聖書の中の疑問の一つに、なぜ神は悪魔サタンを造ったか、さらになぜサタンを滅ぼさずその存在を放置していたか、というものがあります。神は完全であったので、完全の中に欠陥を作り、不完全な状態を作ったのだと思います。神は欠陥を生じさせただけで、悪魔サタンそのものを造ったわけではなく、過去にも現在にも悪魔サタン自体は存在していないと思います。聖書の筆者達は良心が不完全にしか機能せず、他者を傷付けても良心の呵責を感じない人を見て、その状態を悪とし、さらにサタン的であると言ってそこから悪魔サタンの概念ができたのだと思います。また、神はなぜ不完全な状態を放置して完全な状態にしないかですが、これは私も謎で疑問に思っています。

さて人間の良心についてですが、また別の角度で考えてみたいと思います。先程、人間の良心を0から100までで表して数値化してみましたが、良心というのは人それぞれ生まれ持ったもので、良心の機能が良いか悪いかはその人の素質のようなものです。良心は強いストレスがかかると、機能が麻痺する傾向にあります。ですが、実際にはストレスなどの要因がなくても、良心の値は下がることもあります。また、良心の値は上がることもあります。どういうことなのかこれから説明してみたいと思いますが、かつて犯罪者だった人がキリスト教を学び、道徳的に善いことを実践するようになった場合を考えてみて下さい。この過去に犯罪者だった人はキリスト教を学び、良心の値は40→60に上がりました。また
その逆の例として、周囲の人から善い人だと評判の良かった人がオウム真理教に入信し、その教理のために殺人を犯すようになった場合を考えてみます。オウムになった人の良心は60→30にまで下がったと言えます。何が言いたいかというと、人の良心というのはその人の学んだことにより善悪の基準が変わるということです。神がいたとして神の目から見て、前者のキリスト教を学んだ人は良心が40→60になり、後者のオウムの人は良心が60→30になってますが、当人にとっては善悪の基準が変わっただけなわけです。過去に自分の基準で善悪を判断していたのが、新しい価値観を身に付け、その基準で善悪を判断しているので、特に後者のオウムの人にとって自分の良心が60→30に下がったなどという自覚は全くないと思います。人間は死ぬまで生きている間ずっと周りのことに影響を受け、何かしら学んでいきますが、その過程で善悪の基準が常に更新され、その人の良心の値は変動し続けると思います。宗教に入信しなくても、心優しい友人と仲良くなり自分の考え方が変化したり、逆に不良の先輩と付き合うようになり、その先輩の価値基準を自分の中に取り入れることで考え方が変化することもあります。また、苦しいことや辛いことをたくさん経験して、人のことを考えずもっと自分のことを優先して考えなければ生きていけないというように考え方が変化したりもします。様々なことにより人の価値基準は変化し続けるわけですが、当人の中では自分の良心の値が上がったとか下がったとかいう自覚はあまりなく、あるとすれば以前よりもっと良い価値基準を身に付けたと
いう意識があるだけです。神の目から見た善悪の基準というのは絶対的なものですが、不完全な人間の持つ善悪の基準というのは相対的なもので変化し続けるものです。

人の価値基準が変化し続けることの一つに、不完全であるため何が正しく何が悪いのか正確に見分けられないというのがあると思います。カルト宗教に入信した人が良い例ですが、本当の真理を得たいと願って入信したのに、結果としてカルトにだまされてしまうことがあります。もし、完全な人間であるなら何が真理であるか正確に見極めることができ、カルトにだまされることなどあり得ないと思います。完全であれば、何が正しく何が悪いのか、神のように絶対的な善悪の基準を持つことができると思います。不完全な人間の場合、生まれ持った良心の値はそれぞれバラバラで、さらにその人の価値基準が変化し続けることで良心の値も変動し続けるので、それぞれの人の良心は一見して複雑で分かりにくいもののように見えます。完全な人間であれば、絶対的な善悪の基準を持つこ
とができるので、初めから100の良心を持ち、さらに100の良心は100未満に値が下がることはないと思います。不完全な人間の良心は相対的なもので変化するものですが、完全な人間の良心は絶対的なもので不変であると思います。以上のことから、アダムとエバは完全な良心を持っていたので、蛇に誘惑されても禁断の木の実を食べることはなかったと結論できると思います。

キリスト教では創世記のアダムとエバの話から、人間は善悪を判断し自由意志によりどちらかを選択するという考え方ができたように思います。しかし、実際の人間を見ると、特に悪を選択したように見える場合、ほとんどの人に悪を選択したという意識がないと思います。たとえば麻薬に手を出した人の場合、法律で禁止されているにも関わらず、「自分は誰も傷付けていないし、悪いことはしていない」というように考えています。ファッション感覚で麻薬に手を出す若者もいるらしいですが、この場合も悪いことをしているという感覚はほとんどないと思います。麻薬に手を出すのは法律違反ですが、彼らは自分を正当化する言い訳を自分の中で持っていて、「自分は悪いことをしているわけではない」と本気で思っています。他のどんな犯罪でも、ほとんどの犯罪者は逮捕された後に反省することはあっても、罪を犯す際は何かしら理由を付けて自分は悪くないと思っていると思います。自分の良心をごまかしているわけです。このような人間の心理状態を考えると、人間は元々良心に反しないように生きるよう造られているのではないかと思います。人間は自由意志により善か悪かのどちらかを選択するのではなくて、元々は常に善のほうを選択するように造られており、そのために不完全になっても何かにつけて自分は悪くないと、必死になって自分を正当化したがるのだと思います。自分は悪くないという主張はつまり自分は正しいということです。自分は正しく、悪ではなく善だと思いたがっているのです。このことから人間というのは本来、悪を選択するのではなく良心に反しないように生きようとするものであると言えると思います。人間は不完全になってしまったため良心も不完全にしか機能せず、そのために本来の人間の自由意志というのがどういうものなのか分かりにくくなっていると思います。それでも人間の心理状態を見ると、自由意志により悪を選択するという概念がどこかおかしいような気がしてきます。もし悪魔サタンというのが存在するとすれば、サタンは「自分は悪くない、自分は正しいのだ」と主張している気がします。

やけに長文となってしまい、すみません。あれこれと書きましたが、自分の考えを裏付ける証拠となるものがないので、他の人の意見を聞いてみたいと思っています。皆さんは人間の自由意志についてどのように考えていらっしゃるでしょうか?創世記にあるように完全な人間は自由意志により罪を犯すことはあり得ると思いますか?それとも完全な人間は神に反逆することはなく(良心に反することなく)、罪を犯さないと思いますか?もしよければ、他の方の意見を聞かせて下さい。
2010-04-21 水 10:43:22 | URL | XXX [編集]
はじめまして
私は20年クリスチャンでしたが、信仰をやめたいと思っています。
いろいろあって細かくは書けませんが、とりあえず「ヨブ記」に出ている不条理な試練に関して納得できる答えが見つからない限り、信仰を取り戻すことはできなさそうです。
今まで聖書の御言葉など「理解できなくても信仰が大事」と信じ、自分に言い聞かせてきました。
でも信仰だけじゃ解決しないことってあるんですよね。
身近にはバリバリクリスチャンか、まったくのノンクリスチャンしかいません。
以前クリスチャンだったけど今はやめている、または葛藤中という人がいないので、なかなかこういう話をできる機会がありません。
2010-06-06 日 10:16:33 | URL | ゆま [編集]
Re: はじめまして
> 私は20年クリスチャンでしたが、信仰をやめたいと思っています。
> いろいろあって細かくは書けませんが、とりあえず「ヨブ記」に出ている不条理な試練に関して納得できる答えが見つからない限り、信仰を取り戻すことはできなさそうです。
> 今まで聖書の御言葉など「理解できなくても信仰が大事」と信じ、自分に言い聞かせてきました。

お気持ちは良く分かります。
聖書は本当に素晴らしい書物なのでしょうか?
私は聖書を読めば読むほど矛盾が見つかってしまい、
自分がこんなものを信じていたのかと幻滅を感じました。
それでも当時は、やはりあなたと同じように、
「疑いを持たずに信じ続けることが大切」だと思っていましたが、
あまりにもなぜ?なぜ?が多く、ついに信仰を捨ててしまいました。

> でも信仰だけじゃ解決しないことってあるんですよね。
> 身近にはバリバリクリスチャンか、まったくのノンクリスチャンしかいません。
> 以前クリスチャンだったけど今はやめている、または葛藤中という人がいないので、なかなかこういう話をできる機会がありません。

私も、同じ境遇を味わった方が他にいるのではないかと思い、
このブログを始めました。
アメリカには元クリスチャンが集うサイトがありますが、
英語が出来ないので読むことが出来ません。
日本にもこういうサイトがあればいいのにと思います。
2010-06-11 金 21:53:11 | URL | 桃栗 [編集]
Re:はじめまして
>以前クリスチャンだったけど今はやめている、または葛藤中という人がいないので、なかなかこういう話をできる機会がありません。

私も周りにこういった話ができる人がいません。
なので、このサイトのおかげでとても助かっています。

>私は聖書を読めば読むほど矛盾が見つかってしまい、
自分がこんなものを信じていたのかと幻滅を感じました。

私は二世だったためか、信仰しているときは聖書を読んでも全く矛盾を感じませんでした。
聖書は神のみ言葉であると固く信じていました。
ですが、組織から離れて数年が経ってから改めて聖書を読むと、聖霊は出てくるし、神の声は聞こえるし、奇跡は起こるし、でこんな本が神の言葉なのだろうかと思えるようになりました。
常識があれば、聖書を読んですぐに神話に過ぎないということが分かると思います。
洗脳とはすごいもので、私は二世なのですがどうして信仰中に聖書の矛盾に気づくことができなかったのだろうと思いました。
また、一世の親に対しては大人でありながらなぜ信じてしまったのだろうと非常に残念に思います。

私は信仰とは一種の自己主張ではないかと思います。
ある人は子供から思春期に入ると、髪を染めたり奇抜な格好をしたりして自己主張を始めますが、そういうのが性に合わない人もいます。
反抗期に見られる非行というのは人より違ったことをして自分を高めたいという行為だと思いますが、宗教に走る人というのも人よりもっと真面目ぶったことをして自分を高めたいという行為だと思います。
宗教とはルサンチマンだという意見がありますが、一般の人よりもっと高い道徳基準を持って自分を優位に置くのが宗教であると思います。
さらに奇怪な教えを守り、一般の人とはっきりと違うと分かる場合はその宗教はカルトと呼ばれるのだと思います。
聖書に書かれてある道徳にはマタイ18:3,4にあるように、「身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません。それゆえ、だれでも幼子のように謙遜になる者が、天の王国において最も偉大な者なのです」と真の謙遜さを強調しています。
ですが、実際の宗教というのは見せかけの謙遜さと自分を高める行為で成り立っているように思います。
そのため他の宗教の自由を認めない、もっと言えば無神論の自由を認めない排他的なものになっていると思います。
2010-06-18 金 10:30:56 | URL | XXX [編集]
レスありがとうございます
こんにちは。ゆまです。
ご返信をどうもありがとうございました。
ところで「管理人様の承認待ち」となっていますが
また投稿してもかまわないでしょうか?
長い信仰生活の中で、いろいろ思うところがありましたので
また折りを見て投稿させていただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。


2010-06-18 金 14:40:19 | URL | ゆま [編集]
日本人に合わないキリスト教的価値観
先進国のほとんどが、キリスト教信仰が大半を占めているのに対し、日本国だけがならなかったのは明治以降、欧米文化は取り入れても、思想と一体化され、契約を伴う宗教は日本人には合わなかったでしょう。
特にプロテスタント教会では、神の愛や許しを唱えながらも、他宗教との関わりの拒絶が入信の条件とされています。神は唯一であり、他の信仰することはもちろん、理解や共存する考えも悪であり、神の子イエスを信じた者だけが救われる。
寛容さを唱える一方で、異なる信仰に対しては排他的で絶対悪を唱える姿勢は、ある意味共産主義思想と共通しています。
キリスト教の影響によって争いが平和的に解決したという事例は皆無で、逆に布教と共に遂行された欧米人による優越的価値観による植民地支配の他、現在世界中で発生している地域紛争の大半は欧米を中心とした先進国の思想や価値観の押しつけ、領土的野心、資源の権益が原因で、アフリカ、中東、南米、アジアのいくつかの国の現状を判るように、当事国には荒廃した国土と貧富の格差が広がり、新たな争いの火種にとなっているのは言うまでもありません。

日本人は古来から多神教の環境であり、複数の信仰を持つことに違和感を覚えない他、キリスト教のように信仰と思想を絡めた主義主張がないため、、日本古来の神道と大陸から持ち込まれた仏教とは良好な関係を築いています、あるいは山河や樹木に神が宿る故に自然を尊ぶという信仰の他、神社で神が宿るというご神体に手を合わす姿など、日本古来の文化や風習とも調和を保ち共存しています。
しかし、海外から来たキリスト教宣教師はこれら日本人の持つ宗教観を理解しようとせず、逆に仏像に手を合わす姿を偶像礼拝あるいはサタン崇拝と決めつけ、山河や樹木、先祖が敬う信仰対象になっている姿を原始的で劣った信仰であり、根絶やしにするべきだと主張していたことを覚えています。

異なる価値観を認める寛容さは他の信仰や文化に対する敬意であり、自身の信仰心を貫く決意とは別であると見ています。自身の持っている思想、宗教、価値観を他の人や国家に押しつけず、互いに認め合い、共存していくのが愛であり、平和に至る道ではないかと考えています。
この考えが日本人の美徳であり、また識字率を見ても判るように、開国以前から勤勉さと高い教育水準を保っており、幕末から欧米文化が流入し、わずか100年で欧米先進国と肩を並べる様になったのはそれ故です。

欧米の価値観を含め、天地万物をすべて創造した、ただ一つの神が存在するキリスト教が唯一正しいと主張し、他の信仰対象は邪教と唱え、力を用いてでもキリスト教の正当性を主張するクリスチャン像が、融和や協調性を重んじる日本人には受け入れられなかったのです。

元プロテスタントより
2010-06-18 金 18:26:15 | URL | くっしー [編集]
Re: Re:はじめまして
> >以前クリスチャンだったけど今はやめている、または葛藤中という人がいないので、なかなかこういう話をできる機会がありません。
>
> 私も周りにこういった話ができる人がいません。
> なので、このサイトのおかげでとても助かっています。

アメリカにはEx christian net(元クリスチャンネット)というサイトがありますが、
日本にもそういうサイトがあればいいのにと思います。

>
> 私は二世だったためか、信仰しているときは聖書を読んでも全く矛盾を感じませんでした。
> 聖書は神のみ言葉であると固く信じていました。
> ですが、組織から離れて数年が経ってから改めて聖書を読むと、聖霊は出てくるし、神の声は聞こえるし、奇跡は起こるし、でこんな本が神の言葉なのだろうかと思えるようになりました。

まったく同感です。
クリスチャンホームに生まれ育った私には、
生まれたときからキリスト教が「生活の一部」でした。
だから、それが当たり前だと思っていましたし、
聖書が理解できないのは自分の信仰が足りないせいだと思っていました。

> 常識があれば、聖書を読んですぐに神話に過ぎないということが分かると思います。
> 洗脳とはすごいもので、私は二世なのですがどうして信仰中に聖書の矛盾に気づくことができなかったのだろうと思いました。

本当ですね。
私も「聖書に間違いはない」「神を疑ってはならない」と教わりましたから、
聖書の間違いに気付くすべがありませんでした。
改めて洗脳の怖さを思い知らされます。


> 私は信仰とは一種の自己主張ではないかと思います。
> ある人は子供から思春期に入ると、髪を染めたり奇抜な格好をしたりして自己主張を始めますが、そういうのが性に合わない人もいます。
> 反抗期に見られる非行というのは人より違ったことをして自分を高めたいという行為だと思いますが、宗教に走る人というのも人よりもっと真面目ぶったことをして自分を高めたいという行為だと思います。

私個人としては、信仰とはずばり現実逃避だと思っています。
が、このブログにコメントを書くクリスチャンの中には、
自分が神を信仰していることに優越意識を感じ、
信仰していない人を見下すかのような発言をされる方を見受けますので、
確かに「自己主張」という見方もできますね。

> 宗教とはルサンチマンだという意見がありますが、一般の人よりもっと高い道徳基準を持って自分を優位に置くのが宗教であると思います。
> さらに奇怪な教えを守り、一般の人とはっきりと違うと分かる場合はその宗教はカルトと呼ばれるのだと思います。
> 聖書に書かれてある道徳にはマタイ18:3,4にあるように、「身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません。それゆえ、だれでも幼子のように謙遜になる者が、天の王国において最も偉大な者なのです」と真の謙遜さを強調しています。
> ですが、実際の宗教というのは見せかけの謙遜さと自分を高める行為で成り立っているように思います。
> そのため他の宗教の自由を認めない、もっと言えば無神論の自由を認めない排他的なものになっていると思います。

ですね。どの宗教でもそうでしょうが、
特にキリスト教は口先だけの宗教にしか見えなくなってしまいました。
民主党の小沢さんが「キリスト教は排他的」と言っていましたが、
その通りだと思います。
2010-06-21 月 00:12:34 | URL | 桃栗 [編集]
Re: レスありがとうございます
> こんにちは。ゆまです。
> ご返信をどうもありがとうございました。
> ところで「管理人様の承認待ち」となっていますが
> また投稿してもかまわないでしょうか?
> 長い信仰生活の中で、いろいろ思うところがありましたので
> また折りを見て投稿させていただけたらと思います。
> よろしくお願いいたします。

こんにちは。
現役クリスチャン、元クリスチャン、クリスチャンを辞めたい人、他の宗派の人など、
それぞれの立場での意見に興味があり、
特に迷いに迷った末に信仰を捨てた方の意見を聞いてみたいです。
ただ、仕事が忙しくてなかなかレスが付けられないので、
なるべくなら1つのコメントにレスが付いてから、
次のコメントを書いてくださると助かります。

実は私も最近まで知らなかったのですが、
FC2では1ヶ月以上ブログの更新がないと、
コメントを書いても「承認待ち」となり、
管理人が承認するまで表示されない仕組みになっているとのことです。

一応、原則としてコメントが古い順からレスをする予定です。
2010-06-23 水 22:51:06 | URL | 桃栗 [編集]
最近はアフリカの女性が
人類のルーツとして、アフリカの女性に行き当たる、というのが
最近の定説になりつつありますね。
これについてキリスト教信者、教会側はどうとらえているのでしょう。
気になるところです。
2010-06-24 木 21:41:48 | URL | ゆま [編集]
Re: 日本人に合わないキリスト教的価値観
> 先進国のほとんどが、キリスト教信仰が大半を占めているのに対し、日本国だけがならなかったのは明治以降、欧米文化は取り入れても、思想と一体化され、契約を伴う宗教は日本人には合わなかったでしょう。

昔から、日本人は外国の良い部分を取り入れるのが得意な民族だったと思います。
例えば、「日本文化」と一言に言っても、
ルーツを辿れば中国や朝鮮というものがほとんどです。
神社、仏閣、着物、邦楽、文字、言葉などなど、
古代から大陸の様々なものを取り入れて自分達の文化にしています。
「やまとことば」以外で純日本の文化なんてないかもしれません。
近代以降でも、外国の工業技術をマスターし、
自動車など機械工業の技術では世界の最高水準を維持しています。
そして生活のありとあらゆる面で西洋の影響を受けているのは
みなさんよくご存知の通りです。
しかし、キリスト教に限っては、クリスマスや結婚式など、
あくまでも外面上のものを取り入れただけであって、
その信仰を取り入れるまでには至っていません。
やはり日本人にはキリスト教的思想が本能的に合わないのでしょう。
そんな日本には合わない宗教を押し付けられることは
私にとって苦痛でした。


> 特にプロテスタント教会では、神の愛や許しを唱えながらも、他宗教との関わりの拒絶が入信の条件とされています。神は唯一であり、他の信仰することはもちろん、理解や共存する考えも悪であり、神の子イエスを信じた者だけが救われる。
> 寛容さを唱える一方で、異なる信仰に対しては排他的で絶対悪を唱える姿勢は、ある意味共産主義思想と共通しています。

民主党の小沢さんが「キリスト教は排他的」と発言していましたが、
まさにその通りですね。


> キリスト教の影響によって争いが平和的に解決したという事例は皆無で、逆に布教と共に遂行された欧米人による優越的価値観による植民地支配の他、現在世界中で発生している地域紛争の大半は欧米を中心とした先進国の思想や価値観の押しつけ、領土的野心、資源の権益が原因で、アフリカ、中東、南米、アジアのいくつかの国の現状を判るように、当事国には荒廃した国土と貧富の格差が広がり、新たな争いの火種にとなっているのは言うまでもありません。

まったくその通り。私もいつかブログで書きたかったことです。
クリスチャンに「なぜキリスト教は戦争するのか」と言うと、
「キリスト教だってこんな良いことをしている」と反論しますが、
それならキリスト教のおかげで戦争が解決できた例を挙げてもらいたいものです。


> 日本人は古来から多神教の環境であり、複数の信仰を持つことに違和感を覚えない他、キリスト教のように信仰と思想を絡めた主義主張がないため、、日本古来の神道と大陸から持ち込まれた仏教とは良好な関係を築いています、あるいは山河や樹木に神が宿る故に自然を尊ぶという信仰の他、神社で神が宿るというご神体に手を合わす姿など、日本古来の文化や風習とも調和を保ち共存しています。
> しかし、海外から来たキリスト教宣教師はこれら日本人の持つ宗教観を理解しようとせず、逆に仏像に手を合わす姿を偶像礼拝あるいはサタン崇拝と決めつけ、山河や樹木、先祖が敬う信仰対象になっている姿を原始的で劣った信仰であり、根絶やしにするべきだと主張していたことを覚えています。

自然を崇拝することを「偶像崇拝」だと教えるキリスト教は、
地球に優しい宗教ではありません。
そもそもキリスト教は砂漠の国イスラエルの宗教であり、
緑を大切にしなさいという教えは聖書にありませんから。


> 元プロテスタントより

さすが元プロテスタントの方だけに、
まるで私が書いた意見であるかのように考え方が一致しますね。
2010-06-25 金 21:27:00 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 最近はアフリカの女性が
> 人類のルーツとして、アフリカの女性に行き当たる、というのが
> 最近の定説になりつつありますね。
> これについてキリスト教信者、教会側はどうとらえているのでしょう。
> 気になるところです。

おそらく都合の悪いことは耳に入らないでしょう。
人類の祖先が何だったのかは、「神のみぞ知る」です。
神が本当にいればの話ですが。
2010-07-03 土 11:23:41 | URL | 桃栗 [編集]
こんにちは。
以前の自分のコメントが見つからず、同じハンドルネームか
わからないのですが、異なってたらすみません。

クリスチャン家庭に育ち、4代目の異端です。
以前も書きましたが、今のクリスチャンと言われている
若い世代には、私のような考えの人もいます。

科学・考古学・歴史で色々なことがわかる現代になっても、
まだキリスト教の信者が多いのには、私のような信者が
いるんだと思います。

聖書は、人が書いたその当時の出来事・考え方・伝説・
妄想だと思っています。
神ではなく人が書いて、編集して伝えたもの。
矛盾もあるでしょう。
キリスト教も、他の宗教の中の一つであって、
神を感じた人々の教え・行い・考えが伝わったものだと
思っています。
キリスト教だけが救われるとは思っていませんし、
他の宗教は地獄に行くとも全く思っていません。

「ニューエイジ」と呼ばれている人たちに
近いと思います。


その中でも、なぜキリスト教かといわれると、
教えが自分の「心」に合っていたからです。
小さいときから疑問を多く持ち、考えてきて、
今までの色々な苦しい出来事の中、経験で
私には納得できたからです。
※神(愛)を感じたからです。

イエスが言った行いを実行して過ごしていると、
多くの愛を感じられますし、
苦しいときも前向きに生きていけるんです。
2010-07-05 月 14:01:59 | URL | 異端 [編集]
平たく言えばやっぱりカルトだと思う
クリスチャンちの子です。名前を改めましてvictimにしました。
「キリスト教の被害者」という事で。

せっかくの久しぶりの午前休みなのに、家族が「ライフライン」(キリスト教テレビ番組)を大音量で見てどうしても音が聞こえ、しかも今週は趣味の悪い「キリスト教落語」というもので、

関西弁で「あんたは知らんやろうけど実はあんたには借金があったんや。(罪)それをイエスさんが帳消しにしてくれたんやで。(十字架)」www

もうイライラする。詐欺師!暴力団!洗脳集団!カルト!脳みそ綿!
結局この教えはどう転んでも「脅し」になってると思う。人を脅すって最低の事だと思う。

毒には毒消しをと思ってニーチェの超訳「キリスト教は邪教です。」でも
買ってこようかなあ。それとも原書(難解)を読むか(無理)
2010-07-25 日 08:41:11 | URL | victim [編集]
罪の肩代わり
私は長らく教会を離れている者です。お祈りも今はやめちゃいました。

>あんたは知らんやろうけど実はあんたには借金があったんや。(罪)それをイエスさんが帳消しにしてくれたんやで。

クリスチャンはよくこう言って未信者に伝道しますよね。
日ごろから罪悪感に苦しんでいた人には大変救いになる言葉だと思います。
ですが、なんとも押しつけがましい感じがするんですよね。
もちろん私もいろいろと悪いことしてきましたけど……。
教会学校では、神から離れることが罪だと教えられた。
ずっと信じてたんですけど、今はピンと来ませんし、実は子どもの頃は信じてた気になっていただけで、
本当に心から信じていなかったのかも……。
兎に角いまこう言われたら、押しつけられているとしか感じられないかな。
2010-07-25 日 23:41:22 | URL | ゆま [編集]
Re: 平たく言えばやっぱりカルトだと思う
> クリスチャンちの子です。名前を改めましてvictimにしました。
> 「キリスト教の被害者」という事で。

私も「キリスト教の奴隷」という意味で
slaveという名にしようかと思うことがあります。


> せっかくの久しぶりの午前休みなのに、家族が「ライフライン」(キリスト教テレビ番組)を大音量で見てどうしても音が聞こえ、しかも今週は趣味の悪い「キリスト教落語」というもので、
>
> 関西弁で「あんたは知らんやろうけど実はあんたには借金があったんや。(罪)それをイエスさんが帳消しにしてくれたんやで。(十字架)」www
>
> もうイライラする。詐欺師!暴力団!洗脳集団!カルト!脳みそ綿!
> 結局この教えはどう転んでも「脅し」になってると思う。人を脅すって最低の事だと思う。

キリスト教というものは、表面上はイエス・キリストの愛を説く宗教ですが、
実際には「あなた方は皆、罪びとである」という思想を植え付け、
「でも、キリストを信じれば罪から救われます」と説くという、
実に恩着せがましい宗教なのです。
つまり、わざわざ人に罪の意識を植え付けてから救いを説くわけです。
それを関西弁の落語で言われたらたまったものではありませんね。
そのイライラする気持ち、本当に良く分かります。


> 毒には毒消しをと思ってニーチェの超訳「キリスト教は邪教です。」でも
> 買ってこようかなあ。それとも原書(難解)を読むか(無理)

私もいつか読んでみたい本の一つです。
2010-08-17 火 22:17:27 | URL | 桃栗 [編集]
もっと詳しく言えばねずみ講ビジネス宗教
僕もキリスト教に振り回された一人です。

僕も初めてキリスト教会に入ったときには
すばらしい宗教だ!! こんなにもいい宗教なら
自然と魅力に惹かれて人々がキリスト教を信じると思っていました。

しかし、自分の心が教会の律法に縛られ、牧師たちにも振り回され
なれない奉仕を押し付けられ、次第に自分の心は追い詰められていった
そして、よく考えた結果、教会には自分の居場所なんてないと、
確信したときから、教会に対して疑問を持つようになりました。

それで考えたんですけど、キリスト教の教会ってやっていることが
何もかもがビジネスで、信者が人々を集めるというノルマを課せられているように思えて、それが俗に言う「ねずみ講」のように僕は思えてしょうがないんですよ。
信者をねずみ算しきに増やして膨大な収入を得ている教会っていくらでもありますし、僕が最初に行った教会なんて伝道所をいくつももっていました。それを見るとどうしても行く気にはなれない。

上にも書かれてありますけど「キリスト教は邪教です」ってありますけど、心を振り回されて精神的に衰弱して教会を辞めた者にとっては、
キリスト教は邪教そのものだ、と感じるはずです。

日本の聖職者のあり方に問題視しますね僕は、、

不正に不正を重ねた献金、ありえない献金を求める、
宗教どころか、儲からないとわかって不正を繰り返す業者と同じになったらキリスト教も廃れますよ。
2010-08-18 水 14:21:03 | URL | 宗教脱会者 [編集]
Re: 罪の肩代わり
> 私は長らく教会を離れている者です。お祈りも今はやめちゃいました。
>
> >あんたは知らんやろうけど実はあんたには借金があったんや。(罪)それをイエスさんが帳消しにしてくれたんやで。
>
> クリスチャンはよくこう言って未信者に伝道しますよね。
> 日ごろから罪悪感に苦しんでいた人には大変救いになる言葉だと思います。

私にとっては逆でした。
小さい頃から「私たちは罪を背負っている」と教えられ、
ずっと罪の意識を持ちながらの信仰生活でした。
救いの喜びはありませんでした。


> ですが、なんとも押しつけがましい感じがするんですよね。

その通りです。
押し付けがましく恩着せがましいです。
今日、そのことに関して記事を書きました。


> もちろん私もいろいろと悪いことしてきましたけど……。
> 教会学校では、神から離れることが罪だと教えられた。

私も、小さい頃から同じように教わっていたので、
キリスト教の呪縛から逃れることが出来ませんでした。


> ずっと信じてたんですけど、今はピンと来ませんし、実は子どもの頃は信じてた気になっていただけで、
> 本当に心から信じていなかったのかも……。
> 兎に角いまこう言われたら、押しつけられているとしか感じられないかな。

あなたも教会から離れ、客観的にキリスト教を見ることにより、
ようやくキリスト教の現実が見えてきたようですね。
2010-08-20 金 23:31:24 | URL | 桃栗 [編集]
教会に疑問 牧師に疑問
精神的苦痛を強いられて教会を去る人たちは
多いと思います。僕も心に深い傷を負い
今でも胸がつかえているような、息苦しいような感覚が未だに取れない
ひとりです。

人は大きなストレスを抱えると、どんな人でも胃が痛んだり、胸が苦しくなったりするもの、その苦しみを教会を営んでいる聖職者たち、牧師たちにはわかるんでしょうか?

利益だけを追求するあまり、行き過ぎた布教活動、教会運営活動を繰り返し、信者たちの気持ちは向こう見ず、
いつも牧師たちは上から目線で信者たちや人々を見ていたり、
自分だけが一番偉いというか、ここまできたら天狗そのもので
信者たちをゆさぶったり、

もう~、欲望と野望のためなら犠牲もいとわない、そんな心を持ってしまう聖職者が信じられないです。

人の人生を、人の人権を、人の心を踏みにじるような宗教は
最初っから間違っています。
本当の宗教のあり方ではないです。

僕は宗教といったら、宗教イコール道徳だと思っていました。
宗教で人々の心に生きる力を与え、潤いと安らぎを与え、
生活に必要な知恵を授かるものだとも思っていました。
しかし、キリスト教は本当にビジネス根性のありすぎた宗教であるゆえ
がっかりさせられました。
人々の益にならない宗教、それが日本のキリスト教なのかなとおもってしまいます。

何もかも儲け事、第一といった気がして、キリスト教の教会に失望してしまっています。

心無い牧師たちによって信者たちの人権が踏みにじられている現状を
どうか全国の人々に知ってほしいです。
2010-08-26 木 12:59:37 | URL | 宗教脱会者 [編集]
Re: もっと詳しく言えばねずみ講ビジネス宗教
> 僕もキリスト教に振り回された一人です。
>
> 僕も初めてキリスト教会に入ったときには
> すばらしい宗教だ!! こんなにもいい宗教なら
> 自然と魅力に惹かれて人々がキリスト教を信じると思っていました。

お待たせしました。
やはり、キリスト教に「振り回された」人は少なからずいるようですね。


> しかし、自分の心が教会の律法に縛られ、牧師たちにも振り回され
> なれない奉仕を押し付けられ、次第に自分の心は追い詰められていった
> そして、よく考えた結果、教会には自分の居場所なんてないと、
> 確信したときから、教会に対して疑問を持つようになりました。

私の場合、神を疑うこと自体が「罪」だと信じていたために、
疑問を持つことを拒否する思考回路に出来上がっていました。
あれこそマインドコントロールですね。
そういうわけで、私は教会を離れてから完全に信仰が消えるまで
かなりの時間がかかりました。
神を疑うことを恐れていましたから。


> それで考えたんですけど、キリスト教の教会ってやっていることが
> 何もかもがビジネスで、信者が人々を集めるというノルマを課せられているように思えて、それが俗に言う「ねずみ講」のように僕は思えてしょうがないんですよ。
> 信者をねずみ算しきに増やして膨大な収入を得ている教会っていくらでもありますし、僕が最初に行った教会なんて伝道所をいくつももっていました。それを見るとどうしても行く気にはなれない。

私が通っていた教会は弱小教団の弱小教会で、
信徒数が少なく、献金が集まらないことをいつも牧師さんは口にしていました。
結局、キリスト教もカネ集めが出来ないとやって行けないのですね。

教会が「ビジネス」でやっているとのご意見ですが、
私の思うに、規模が大きな新興プロテスタント教会に
特にその傾向が強いのではないかと思います。
教会名にやたらにカタカナや複雑な言葉を入れた規模の大きな派手な教会には、
何か異質なものを感じます。
プロテスタントは世間一般には悪いイメージがないだけに、
ある意味、この手の新興プロテスタント教会は、
エホバの証人や統一教会なんかよりも始末が悪そうですね。


> 上にも書かれてありますけど「キリスト教は邪教です」ってありますけど、心を振り回されて精神的に衰弱して教会を辞めた者にとっては、
> キリスト教は邪教そのものだ、と感じるはずです。
>
> 日本の聖職者のあり方に問題視しますね僕は、、
>
> 不正に不正を重ねた献金、ありえない献金を求める、
> 宗教どころか、儲からないとわかって不正を繰り返す業者と同じになったらキリスト教も廃れますよ。

廃れてほしいですね
2010-09-05 日 20:43:28 | URL | 桃栗 [編集]
私は、神様を信じようとしましたが、たった今、目が覚めました。
無理がありすぎ、キリスト教。
自分が悪くなくても、起きる災難。
その事に関して、神様は、全く助けてくれない。
ひどい事に、加害者を許せとまで言う。
どんなに祈っても、何にも変わらないじゃないか!
祈りに答えてもらうために、どれだけ自分を変えようと苦しんだか!!

現実を見て、現実をそのまま受け止める。
これが普通の社会です。
見えない力とか期待して待つ長さに比例して心がどんどん病む。

私は、見える現実を信じて生きます。
2010-09-10 金 01:30:42 | URL | 猫 [編集]
Re: 教会に疑問 牧師に疑問
> 精神的苦痛を強いられて教会を去る人たちは
> 多いと思います。僕も心に深い傷を負い
> 今でも胸がつかえているような、息苦しいような感覚が未だに取れない
> ひとりです。
> 人は大きなストレスを抱えると、どんな人でも胃が痛んだり、胸が苦しくなったりするもの、その苦しみを教会を営んでいる聖職者たち、牧師たちにはわかるんでしょうか?

私がキリスト教の大嫌いなところは、
こういう苦痛をやストレスを訴えかけたところで、
「それはあなたの信仰が足りないから」
「あなたの信仰が間違っているから」などと、
本人のせいにされるところです。
実際、牧師さんに「聖書を読んでも感動がない」と言ったところ、
「それはあなたの理解が正しくないから」という主旨のことを
遠まわしに言われました。


> 利益だけを追求するあまり、行き過ぎた布教活動、教会運営活動を繰り返し、信者たちの気持ちは向こう見ず、
> いつも牧師たちは上から目線で信者たちや人々を見ていたり、
> 自分だけが一番偉いというか、ここまできたら天狗そのもので
> 信者たちをゆさぶったり、
>
> もう~、欲望と野望のためなら犠牲もいとわない、そんな心を持ってしまう聖職者が信じられないです。

もう一つ、キリスト教の大嫌いなところは、
そういうクリスチャンの罪を批判したところで、
「人間はみな罪を背負っているから、罪を犯すのは仕方がない。
でも、神に懺悔すれば罪は赦されるのです」と、
自分達の罪を正当化してしまうところです。


> 心無い牧師たちによって信者たちの人権が踏みにじられている現状を
> どうか全国の人々に知ってほしいです。

キリスト教、特にプロテスタントの「たち」の悪いところは、
エホバの証人や統一教会などとは違い、
世間一般には悪いイメージがないところです。
それと、プロテスタントには他の宗派とは違って統一された組織がなく、
大小様々な教派、教団、教会が存在し、ばらばらに活動しているため、
1つの教会で問題が生じても、
その問題が表面化しにくいところがあります。

例えば、1人のエホバの証人の信者が輸血拒否したことがマスコミで報道されると、
世間には「エホバの証人(全体)は危険な団体だ」というイメージが持たれますね。
ところが、1つのプロテスタント教会で不祥事があった場合、
「それはその教会(だけ)に問題があったから」
「その教会の牧師(だけ)に問題があったから」
「その教派(だけ)がカルト化しているから」などと解釈され、
それが「キリスト教全体の問題」として認識されにくいところがあります。

また、ほかの教会も、
「あれはうちとは違う教団の教会だから」
「あれはうちとは別の教派だから」などと言い逃れをし、
事件を起こした教会との関係を否定したがります。
決して「キリスト教全体の問題」として考えようとしません。

そこがプロテスタントの厄介な部分だと思います。
2010-09-19 日 22:46:39 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 私は、神様を信じようとしましたが、たった今、目が覚めました。
> 無理がありすぎ、キリスト教。
> 自分が悪くなくても、起きる災難。
> その事に関して、神様は、全く助けてくれない。
> ひどい事に、加害者を許せとまで言う。
> どんなに祈っても、何にも変わらないじゃないか!
> 祈りに答えてもらうために、どれだけ自分を変えようと苦しんだか!!

私が書いたコメントかと思うほど同感ですね。

> 現実を見て、現実をそのまま受け止める。
> これが普通の社会です。
> 見えない力とか期待して待つ長さに比例して心がどんどん病む。

私も、神様は絶対に助けてくださると信じていたのに、
信じ続けることに疲れてしまいました。
それに、私は世の中の出来事を
何でもかんでもキリスト教に当てはめて解釈していました。
例えば、良いことがあった場合は、それは神の祝福だとか、
悪いことがあった場合は自分の罪のせいだとか、
いつも「キリスト教という名のフィルター」を通して世の中を見ていました。
しかし、そんな生き方は疲れるものです。
私も現実を現実のものとして受け入れる人生を選びました。
2010-09-22 水 22:19:33 | URL | 桃栗 [編集]
そもそも救済など必要無い
キリスト教漬けの母ですが、伝道なんかしていないんです。
(まあ、教会活動はお年寄りのお友達の仲良しクラブとして楽しんでいますがね。)
万人救済説を信奉しているのです。彼女も「♪そうさ信じる者しか救わないせこい神様拝むより♪(ビーズ)」
的な不条理が嫌になったんでしょう。異端ですけどね。

キリストが十字架に架かって全ての人が天国に行く事になったと信じております。
この説を信じる両親(父存命の頃)の幸せそうなこと、
可愛かったですよ。ディズニーランドのミッキーミニーみたいな両親でした。

でも救済ってなんなんでしょうね? もちろん青汁ではありませんよ。
天国?よっぱらいなら追い出されますよ。姉ちゃんは綺麗でしょうけどね。

貧しく寂しく病気で年老いて、それでいいんじゃないですか?
生物ってそういう物でしょう。だから生物なんだから。
むしろ生物として自然淘汰のなかで存在することが本当の天国なんじゃないのかなと思いますけどね。
いや天国ではなく現実の世界ですね。人間は脳が病気なんでしょうね。
2010-10-08 金 12:33:37 | URL | victim [編集]
Re: そもそも救済など必要無い
> キリスト教漬けの母ですが、伝道なんかしていないんです。
> (まあ、教会活動はお年寄りのお友達の仲良しクラブとして楽しんでいますがね。)
> 万人救済説を信奉しているのです。彼女も「♪そうさ信じる者しか救わないせこい神様拝むより♪(ビーズ)」
> 的な不条理が嫌になったんでしょう。異端ですけどね。
>
> キリストが十字架に架かって全ての人が天国に行く事になったと信じております。
> この説を信じる両親(父存命の頃)の幸せそうなこと、
> 可愛かったですよ。ディズニーランドのミッキーミニーみたいな両親でした。
>
> でも救済ってなんなんでしょうね? もちろん青汁ではありませんよ。
> 天国?よっぱらいなら追い出されますよ。姉ちゃんは綺麗でしょうけどね。

私もキリストによる救済の意味が分かりません。
誰かが死んだ後に、
「あの人は救われて天国に行った」とどうやって確認するのでしょう。
死後の世界というものは所詮は生きている人間が想像したものに過ぎません。
そもそも、わざわざ罪の意識を植え付けてから説く救済など必要ありません。
まあ、あくまでも内輪だけで救われる喜びに浸るのは結構ですが、
私はもうあの世界に戻りたくないですね。
2010-10-19 火 22:47:01 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 桃栗様に賛成です。
>  僕も桃栗様の意見に賛成です。
>  キリスト教の救済など、もう必要ありません。死んで天国に行きたくもないし、地獄に行きたくも無いです。天国地獄って所詮ただの虚構の産物です。人生は今一回きりしかなくて、輪廻転生も死後の裁きも永遠の命も要りません。天国でネ申の隣に座るぐらいなら、山谷やあいりん地区でホームレスする方がいいです。
>  僕ももうあの世界に立ち返りたくないです。

結局、教会という組織は、私たちが皆罪びとだという思想を植え付け、
罪を悔い改めないと地獄に落ちると洗脳し、
信徒を教会につなぎ止めておこうとするのでしょうね。
私がクリスチャン時代は、自分の死後のことがすごく心配でしたね。
神に裁かれて地獄へ行くのではないかと恐れていました。
その洗脳が解けるまでずいぶんと月日を無駄にしました。
2010-10-21 木 22:19:41 | URL | 桃栗 [編集]
信仰は心にゆとりがないと続かない
どんな宗教であれ、心にゆとりがないと、信仰なんて言うものは続かないと思います。

心に余裕がないからこそ、キリスト教を信じたとしても
やがて、何もかも信じられなくなるんですよ。
僕もそうでした、心を追い詰められて、もう~、こんな環境では
やってられない。。。牧師にいいように利用され、こき使われて
結局は教会の牧師たちって利益を優先させるための経営に血走りになっているだけにしかすぎないんじゃないか。。。?

私利私欲だけを追い求めて人々の心は顧みようとはしないのかと思うくらいです。

僕にとってキリスト教とか日本に点在する教会(新興宗教とか)
ビジネスでしかないんじゃないかと思いました。
ビジネスとしてとらえるにしてもあまりにも人々の心を踏みにじっている
僕は教会の存在価値というものが薄く感じられました。

重いプレッシャーとか強い圧力をかけてくる環境でいったいどう~やって
信仰を維持すればいいのでしょうか、
純粋にキリスト教を信じようとしてきた者にとってあまりにもむちゃくちゃすぎます。

また、什一献金とか、一ヶ月で収入の10分の一ですか~
20まんあったら月2万捧げるということは、僕は詐欺みたいなもんだと思いますよ、他の人が見たら考えられないですよね~
毎月に万札を抜かれるような宗教自体、金目当てとしか思えない。
お金を巻き上げてもなお、人々の心を追い詰め苦しめているなら
僕は、仏教よりもタチの悪い宗教と思いざるを得なくなりますよ~。
お金と引き換えにゆとりある安心な環境を提供しないような教会は
教会ではありませんし、そもそも宗教が人々の心を追い詰めるようなものではないはずだと思います。


桃栗様ごめんね つい、、、溜まったうっぷんを晴らしたくて
怒り爆発って感じで書き込みしました。
2010-10-22 金 14:38:22 | URL | しろくま [編集]
桃栗さんの思いを察すると胸が痛くなります
>私も、神様は絶対に助けてくださると信じていたのに、
信じ続けることに疲れてしまいました。
それに、私は世の中の出来事を
何でもかんでもキリスト教に当てはめて解釈していました。
例えば、良いことがあった場合は、それは神の祝福だとか、
悪いことがあった場合は自分の罪のせいだとか、
いつも「キリスト教という名のフィルター」を通して世の中を見ていました。
しかし、そんな生き方は疲れるものです。
私も現実を現実のものとして受け入れる人生を選びました。


>> 上の桃栗さんの意見をみると
胸が痛くなりますね、もう~ね~、、、やるせない思いでいっぱいになります。

 >「それに、私は世の中の出来事を
何でもかんでもキリスト教に当てはめて解釈していました。
例えば、良いことがあった場合は、それは神の祝福だとか、
悪いことがあった場合は自分の罪のせいだとか、
いつも「キリスト教という名のフィルター」を通して世の中を見ていました」

>>これは教会を離れた人は、どんな人でも、桃栗さんが感じたことが自分自身に当てはまるんじゃないかな~と思うくらい共感するとおもいますよ。
僕も、そのように思っていました。良いことが起こったら神の祝福で、悪いことがあれば自分の罪のせい、信仰が足りないとも言われていたくらいです。

今考えると飴とムチを使い分けて人々の心を教会に縛りつけようとしたんだろうなと、思いますもん。


心に深い傷を負っても前向きでいる桃栗さんに心打たれました。
僕には、そんな余裕すら無くて、いつも過去嫌なことがフラッシュバックして、思い出したくないことでもおもいだしてしまうんですよ。
完全に忘れることは無理かもしれないけど、、、

2010-10-22 金 15:10:31 | URL | しろくま [編集]
あのさぁ~、人間ってどんな人でも耐えられないっ時って
ありますよね~

スーパーマンみたいに鋼鉄みたいな心と身体を持ち合わせていないん

ですよ、生身な心ですから、
ですから、教会で ある時は飴、また、ある時は鞭で
人の精神を揺さぶり続けていったら
どんな人でも、やがて心が折れるときが来ますよ~

疲れ果てますよね~、あんなに信じているのに~、、、
どうして私だけがこんな目にあうの~、みたいな感じで
自暴自棄になってしまうし~

こんなにも尽くしてきたのに、いっこうに心が満たされない
この虚しさは苦しさ、どうして神様は分かってくれないの
どうして、教会の牧師やリーダーは私のことを理解してくれないの?

「骨折り損のくたびれ儲け」という言葉がありますけど
キリスト教を信じてトラウマとか精神的に疲れ果てるくらいなら
自分の信じた道を信じて生きていたほうが、僕はいいと思います。
自分の人生は自分自身で切り開くものですから
キリスト教などは一つの人生の通過点にしか過ぎませんから
自分の道を信じて前に進もう~、
心を奪うものから自分の人生を奪われてはいけません。
彼ら聖職者は「人々の心にあるイエスキリストの住まい」を壊す、土砂にしかすぎません。土砂崩れのような心の隙間さえも埋めてしまうくらいの圧力と掛けてくるんですから、精神の弱い人はすぐに心が折れてしまうよ。

2010-10-24 日 11:23:17 | URL | しろくま [編集]
このサイトに来れて良かったです
はじめまして、でかまるこです。

文章を書くのがあまり上手ではないのですが、書き込みさせていただきます。

私は約一ヶ月後にプロテスタントの教会での洗礼を控えています。
洗礼の前に聖書勉強をしなければなりませんので、牧師さんから頂いた資料と、宣教師の指導の元勉強をしている途中です。

しかし勉強をすればするほど、洗礼を受けていいのか分からなくなりました。なぜなら、牧師さんや宣教師は都合のよいことしか教えてくれないような気がするからです。

私は今年に入ってから教会に通い始めたので、聖書についての知識がほとんどありません。疑問に思ったことは、何も考えずに質問します。宣教師は、なんでも質問をしろとか無理にでも疑問を作らせるのに、その質問に対してまともに答えてくれた事がないように思います。

yes, no, 分からない という回答ではなく、聖書の違う箇所を読ませ、それで納得させようとしたり、意味の分からない事をいってはぐらかされます。

例えば、創世記2章23節の部分で、
「なぜ、男の身体から女が生まれたのですか」(本当に知識もなくて、馬鹿げた質問で恥かしいですが^^;)と宣教師に質問すると、
「女は男の後をついていけばいい、男に逆らってはいけないってなってるでしょ、今も。あなたも男の言う事をきいていればいいの」という返答でした。全く意味が分かりませんでした。
「じゃあ、キリスト教は男尊女卑を認めてるのですか?!(びっくりして)」というと、「そんな詰らない事言ってないで、次の部分にいくわよ」と言われました。
この後、質問しても「つまらない質問」で終わってしまうんだろうな~と思って、適当に宣教師が答えやすそうな質問をするようにしています。

今までの聖書勉強には、桃栗さんが矛盾を指摘されている箇所は一切読みませんでした。青年会での聖書勉強でも、イエス・キリストがどれだけ愛に満ちた方なのかということしか触れません。

そんな聖書勉強意味がないと思っていました。桃栗さんの記事に書かれている聖書の箇所を確認しながら、今までの聖書勉強がしょうもなくな思えてきました。そして、キリスト教ってなんなんだ?これこそサタンじゃないんか?と思います。隣人を愛せよというわりに、簡単に身近な人の悪口をいうクリスチャンも何人か見ました。

洗礼を受けると言った時から、私より周りが異常なほど盛り上がっていて、「洗礼やめます!」と言えずにずるずる来てしまいました。
これからどうするべきなのか・・・。

桃栗さんのサイトに来ることができて良かったです。これからも、記事を拝見させていただきます。

長々と失礼したしました。

2010-11-29 月 22:59:57 | URL | でかまるこちゃん [編集]
Re: このサイトに来れて良かったです
> はじめまして、でかまるこです。
>
> 私は約一ヶ月後にプロテスタントの教会での洗礼を控えています。
> 洗礼の前に聖書勉強をしなければなりませんので、牧師さんから頂いた資料と、宣教師の指導の元勉強をしている途中です。
>
> しかし勉強をすればするほど、洗礼を受けていいのか分からなくなりました。なぜなら、牧師さんや宣教師は都合のよいことしか教えてくれないような気がするからです。

ご訪問ありがとうございます。
もしかしてクリスマスの時期に合わせて洗礼を受けられるのでしょうか?
それはちょっとまずいかもしれませんね。
クリスマスの雰囲気に便乗してあなたの洗礼も盛り上げられるでしょうから。

私は、信仰を捨てた時に聖書も捨ててしまいましたが、
2年前に新共同訳の聖書、そして最近になって新改訳と口語訳を買いましたが、
聖書を読めば読むほど理解が深まるどころか、
ますます矛盾が目に付くばかりです。
いかに教会が都合の良いことしか教えていないかが良く分かりました。


> 私は今年に入ってから教会に通い始めたので、聖書についての知識がほとんどありません。疑問に思ったことは、何も考えずに質問します。宣教師は、なんでも質問をしろとか無理にでも疑問を作らせるのに、その質問に対してまともに答えてくれた事がないように思います。
>
> yes, no, 分からない という回答ではなく、聖書の違う箇所を読ませ、それで納得させようとしたり、意味の分からない事をいってはぐらかされます。

その通りですね。
私のブログにコメントを下さるクリスチャンもそうです。
たとえば、インマヌエルの預言のことについて書いた時がそうでした。
ht tp://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-38.html
「はい」「いいえ」「分からない」で答えようとせず、
聖書の違う場所を引用したり、
または聖書の言葉を都合よく改変して引用する有様です。
分からないなら分からないと素直に言えば良いのに、
「神の御心は人間には分からない」などとごまかしてしまうのです。

試しにあなたの教会の牧師や宣教師に、
イエスがインマヌエルと一度も呼ばれていないことを指摘してみてください。
あれこれ言い訳して正当化するはずです。


> 今までの聖書勉強には、桃栗さんが矛盾を指摘されている箇所は一切読みませんでした。青年会での聖書勉強でも、イエス・キリストがどれだけ愛に満ちた方なのかということしか触れません。

以前、記事に書きましたが、
イエスが暴力的行為を行ったことが4つの福音書すべてに書かれています。
・マタイによる福音書 21:12-17
・マルコによる福音書 11:15-19
・ルカによる福音書 19:45-48
・ヨハネによる福音書 2:13-22
中でも、ヨハネの福音書では、イエスが鞭を振るったと記されています。


また、イエスはパリサイ人、祭司、律法学者に対しては常に冷たい態度を取っています。
これが「汝の敵を愛せよ」でしょうか。


> そんな聖書勉強意味がないと思っていました。桃栗さんの記事に書かれている聖書の箇所を確認しながら、今までの聖書勉強がしょうもなくな思えてきました。そして、キリスト教ってなんなんだ?これこそサタンじゃないんか?と思います。隣人を愛せよというわりに、簡単に身近な人の悪口をいうクリスチャンも何人か見ました。

「汝の隣人」の「隣人」とは、実は「クリスチャンのこと」という皮肉った見解があります。
イエスをご覧ください。
イエスが愛したのは「自分の話を聞いてくれる人」、つまり「自分の信者」だけです。
律法学者、パリサイ人、祭司などに対しては冷酷な態度を取っています。
例えば、マタイ23章、特に13節以降をお読みください。
そこには恐ろしいほど冷たいイエスの言葉が並んでいます。

クリスチャンならご存知の通り、ヨハネ13:34にこの言葉があります。
「”わたしがあなた方を愛したように”、あなたがたも互いに愛し合いなさい」
つまり、イエスの「愛し方の手本」に従うならば、
「自分の味方だけ互いに愛し合いなさい」ということになります。
イエスは味方だけを愛し、敵を愛していませんからね。
ですから、「汝の隣人を愛せよ」と言われても説得力がありません。

それから、イエスは十字架に付けられ、三日目に蘇ったことになっていますが、
不思議なことにポンテオ・ピラトをはじめ、自分を裁いた人々の前には現れていません。
イエスが現れたのは弟子と信者だけです。
復活してから昇天するまでの40日もの間、地上で何をしていたんでしょうね。


> 洗礼を受けると言った時から、私より周りが異常なほど盛り上がっていて、「洗礼やめます!」と言えずにずるずる来てしまいました。
> これからどうするべきなのか・・・。

クリスマスが近いこともあって、その盛り上がりは大きいのでしょうね。
私なら断ることをお勧めしたいところですが、
今さら断ってしまうと、ますます周囲はあなたに洗礼を受けさせようとするでしょう。
あなたが悩みを話したところで、
「私たちが祈っているから大丈夫」「神様が解決してくださるから」
などと、余計なお世話を焼いてくるでしょう。
クリスチャンたちはあなたのためを思ってやっていると思い込んでいますから。
そこが難しいところです。
とりあえず、受けるだけ受けておいて、
徐々に、さりげなく教会から遠ざかって行くしかないかも知れません。

おたよりありがとうございました。
2010-12-06 月 23:17:04 | URL | 桃栗 [編集]
馬鹿は神にも相手にされないだろうw。
「あるクリスチャンの自殺死」にコメントです。

コメント投稿出来ないので、こちらに書かせていただきます。

私何(十年?w)年か前大変な事故に会いました。
ま、ある意味障害者になりましたw。

しかし母の教会はその話、喜んだの喜ばないのってw。

「ぜひいいお話ですし、証しを。」(お話をするということです。)
そういう苦しみを得ても自殺もせず生きている私をキリスト教の
いいお話として信者に話してもらいたいとわくわくしながら
言い寄る彼らはもうどうしようもないなと感じました。

まあ、馬鹿なんだなあと。信者は大抵馬鹿なんだと。

馬鹿は相手にしませんw。
もしも神がいるのなら、彼らを相手にはしないでしょうね。
2011-01-10 月 20:20:07 | URL | victem [編集]
間違えました。神は狂っている。
すみません。ちょっと穏便に書きすぎました。神に対する概念が間違っていました。
元々ここで言う神ってキリスト教の神ですよね。だったら神はやはり狂った人の味方ですねw。馬鹿の味方ですね。

要は、人の痛みが解らない。自分の主義主張の為なら何でもあり。
そういう狂った心の人がキリスト教徒になり大手を振ってきたおぞましい歴史があるということです。

歴史は事実なのです。
歴史から学ぶべきですよ。
2011-01-10 月 21:19:58 | URL | victem [編集]
人の弱さを知らないで、人の心を責める、心を追い詰める
「ある自殺者のクリスチャン」のコメント

とても胸が痛みます。
なんで、このようなことになるんでしょうか
キリスト教って今まで思い描いていたイメージとは
180度くつがえすような、そんな宗教だとは。。。
人の死を、まるで美化するようなやり方に怒りがこみ上げてきます。
ほ~~~んとに考えられないし、信じられない。
こんな卑劣な宗教が世の中にはびこって良いんでしょうか。
見せかけだけの愛と甘い言葉で人の心を惑わして洗脳し、
いらなくなったら精神的に痛めつけられる、人の心を自殺するくらいに追い詰める

追い詰められたら、どんな人でも死にたくなりますよ、
僕だって、教会の説教者させられそうになったときに死のうと思ったくらいですから、、、(僕は脳に生まれつき障害を持っていて、会話にハンディを背負っています)

人の弱さを知らないで、、、キリストの愛が語れるか(怒)!!!
私利私欲に溺れてる聖職者に、僕の人生の全てを治めさせるなんて考えるだけでも背筋が凍りつきそうです。
2011-01-13 木 13:40:44 | URL | しろくま [編集]
キリスト教は複雑な宗教
キリスト教って、思ったよりも複雑すぎて
心が疲れる宗教だと感じた。

僕の中でキリスト教は、ただ信じるだけで、ただ祈るだけで
ただそれだけで十分だと思っていました。
信じてさえいれば、キリストを思う心、求める心があるだけで
それだけで十分な信仰だと思っていました。
つまり単純な宗教と思っていたんです。
(あの~、神社とかお寺とかいった参拝程度だとおもっていたんです。)
礼拝が終わったら教会を去るなり残るなりの自由行動だと思っていたんです。

だけど、ほ~んとに複雑すぎます。教会員になったら奉仕を徹底的にやらされて、説教者や聖歌隊とか、本当に心落ち着くまもないくらい
ピリピリした感じで、これが教会の姿なのかと思うと、疑問だらけで、、、
なんでキリスト教を信じるだけで複雑な奉仕をこなさなければならないか?
とか、なんで会社みたいなノルマが生じるのか、僕には理解できないです。

なぜ、キリスト教はそうまでするのか?
祈って帰る程度の信仰を許そうとしないのか?
なぜ、教会員はそんな聖職者に完全服従なのか?
キリスト教が自由な宗教とは到底かけ離れているように思えてしょうがない。
2011-01-13 木 14:00:44 | URL | しろくま [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-02-02 水 15:04:28 | | [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-02-02 水 15:31:46 | | [編集]
はじめまして
桃栗さんはじめまして!

聖書へのするどいツッコミ、
笑いながら読ませていただきました。

どれも聖書をちゃんと読んでないと
気付かないものばかりですよね。

私も似たような趣旨のブログを最近つくりました。googleで検索すると出てきます。

honkiri.blogspot.com

お時間のある時にでもぜひ読んでいただけたらと思います。
2011-02-07 月 12:51:55 | URL | コヘレト [編集]
コヘレト様
コメントどうもありがとうございます。
ブログを拝見しましたが、非常に興味深い内容です。
ただ、現在は私のブログが始まって以来一番忙しい時期を迎えているので、
落ち着いたら何かコメント差し上げたいと思います。
すみませんがご理解くださいませ。
2011-02-26 土 01:12:13 | URL | 桃栗 [編集]
こんにちは。
桃栗さんの記事がずっと更新されていなかったので、心配していました。
仕事が忙しいと書いてはありましたが、
この震災の範囲の広さを考えると、もしかして、
地震、津波に巻き込まれてないかなと思っていました。
一安心しました。
2011-03-22 火 18:29:49 | URL | 猫 [編集]
Re: タイトルなし
> こんにちは。
> 桃栗さんの記事がずっと更新されていなかったので、心配していました。
> 仕事が忙しいと書いてはありましたが、
> この震災の範囲の広さを考えると、もしかして、
> 地震、津波に巻き込まれてないかなと思っていました。
> 一安心しました。

猫さんこんにちは。
この1ヶ月あまり、本当に仕事が忙しく、
月間残業時間の記録を大幅に更新してしまいました。
仕事と人間関係のストレスで追い詰められそうなこともありますが、
私は自分では死にませんよ。
死んだらそれまでですから。
命ある限りしぶとく生きてやろうと思います。
2011-03-22 火 22:12:55 | URL | 桃栗 [編集]
教会で本当に癒されるのか?
私の知人で自殺した人は累計で10人を超えます。この話をすると、「その人たち、教会に通っていたら、自殺しなかたのにね。」と真顔で私をなじったクリスチャンが何人かいました。(要するに、私が教会に連れて行かなかったのが悪い、ということ。)
私は教会で癒されるとは感じませんでした。無理やり「癒されるものだ」と思い込もうともしましたが、だめでした。前にも書きましたが、牧師のパワハラや女性伝道主事の同棲の件などの矛盾ばかりが目に付きました。キリスト教の血生臭い歴史を棚に上げて、日本人の「罪深い」歴史を強調したがる教会の風潮に異議を唱えたところ(事の起こりは、日共系の署名に名前を書くのを拒んだこと)、危険人物呼ばわりされ、教会に来ている子供と話をするのを禁止されました。何でもかんでも教会の都合の良いように捻じ曲げて考えるのを強要されるところに「癒し」などあるはずがありません。長居をすれば、精神が破綻します。社会不適応者になってしまいます。
なお、キリスト教の信仰を持っていない今の方がはるかに気分が楽です。
2011-03-24 木 20:17:12 | URL | 巨大虎猫 [編集]
信者一人ひとりの心のケアは難しいし、ケアどころか私が経験した様に無神経な信者によって余計に傷つけられる事もある。

教義では全人的に救済するという理想的な事を言っても、現実に出来る訳では無いが、(出来ないというより教会では信者のカウンセラー的なフォローなどしないという雰囲気?になっている。)が、建前に固執して、結果的に臭いものには蓋という組織になっていく。

教会生活を続けるには、教義に凝り固まった人(洗脳済み)か、余り物を考えない人(バカ)か、考えはあっても清濁併せ呑む度量が広い人(人格者)でなければ無理なのでは。
私はどれでも無いので無理でした。
2011-03-24 木 22:47:11 | URL | victim [編集]
せっかくだから、どうして教会では悩みを相談できる雰囲気で無いのか、もう少し考えてみる。

キリスト教は贖罪を信じた時点で完全に救われる。信者はその深い信心により常に幸福である。という考え。
だから信者なのに悩みがあるということは、信心が足りないという事になり他の信者に責められる引け目になる。

信者は悩み苦しんでいたら信心が足りないと見なされるので、教会で打ち明けることが出来ず、周りの信者も薄々様子がおかしいと感じていても話題に出来ない。

カトリックには懺悔があるからまだしも、プロテスタントには対策が無いのではと思う。
後、とにかく信者は冷たい人が多い。表層的に優しくふるまう癖がついている。
プラスチックにクリームだけ塗ったケーキみたいだね。
2011-03-24 木 23:13:05 | URL | victim [編集]
しつこいですが、なんで信者には冷たい人が多いのか考えてみた。

要は、贖罪という教えのせいではないかと思う。
贖罪を信じた信者は蜜月期の乙女みたいなもの。
蜜月期は二人だけの世界であり、他人は関係ない。

前に殺人で服役している囚人の女性がキリスト教に改心して、
輝くような喜びにあふれた表情でインタビューされているのを見た事がある。
彼女にとって自分が殺した人間の事などもうどうでもいいのだろう。
神と自分だけの蜜月に酔い続けるのだから。

贖罪による救いを信じた他人は同士。
同じファンクラブの会員の様なもの。
ファンクラブではいかに対象のスターが素敵か盛り上がるのが全てで、
ノリの悪い会員なんかはしらけるから相手にしたくない。
2011-03-24 木 23:58:33 | URL | victim [編集]
人間性の疑われるクリスチャンたち
クリスチャンには、冷たい人や他人の苦しみに鈍感な人が多いだけでなく、人間性が疑われる人も多いです。他人が苦しんでいたり、困っていたりする姿を見て、「いつも主にあって喜びなさい。」(ピリピ人への手紙4章4節)を引用して大騒ぎで喜んでいたクリスチャンを今までに何人も見ました。(彼らはあからさまに他人の不幸を面白がっていた。それを聖書の言葉を引用して正当化しようとしていたので、始末が悪い。)家族に難病の人がいて経済的に困窮している人を前にして、「自分にあなたのような災難が降りかからないのは、自分が正しい信仰を持っているからだ。」と言い放ったクリスチャンもいました。今回の震災の件も、「神の怒り」と教えているキリスト教聖職者も少なくないそうですね。こんな人たちに感化されたら、社会の爪はじき者になってしまいます。クリスチャンは自分たちが日本で嫌われる原因について良く考える必要があると思います。
2011-03-27 日 20:25:44 | URL | 巨大虎猫 [編集]
巨大虎猫さん

あなたのまわりのクリスチャンを見て、全体を判断するのは正しい理解だとは思いません。
それよりもクリスチャンは聖書を規範としていますので、その点で批判すれば彼らは自分の間違いを思い知らされるでしょう。

あなたのコメントを鵜呑みにすれば、わたしも怒りを覚えます。
そして聖書的ではありません。

それから「神の怒り」と教えている具体的な聖職者を教えて頂けますか?個人的に関わらないようにしたいと思います。

それからあなたが通っておられるというのか、コメントにあげられている教会が属す教団だけでも教えて頂けないでしょうか?
2011-03-28 月 14:55:58 | URL | トチ [編集]
沢野忠庵さんへ
その牧師の著作を教えて頂けますか?実際に調べてみましょう。

それからあなたのお母様についてネガティブな意見は差し控えさせていただきますが、祈れば願いがかなう・・・という御利益信仰は聖書的ではありません。
神は人間の欲望や欲求を叶える為のものではありません。

韓国では極度の学歴社会の為、受験の前の日から親達が徹夜断食祈祷会なるものを教会で執り行いますが、学歴が人を救うでしょうか?いや、地位やお金が人の喜びとなるでしょうか?

聖書を間違えて捉えているクリスチャンが多すぎます。
2011-03-29 火 15:29:02 | URL | トチ [編集]
トチさんへ
「震災や津波は神の怒り」と教えているのは、主としてファンダメンタリストたちです。ファンダメンタリストと対話などしようと思わない方が良いでしょう。それは、タリバンの構成員と対話を試みるようなもの。彼らは自分たちの聖書解釈にそぐわない人物を見ると、徹底的な攻撃を加えることが多々あります。(アメリカでは中絶医の暗殺や、中禅クリニックの爆破などの凶行を行っています。)別のところで書きましたが、私は過去に彼らからの陰湿な嫌がらせをされたことがあります。彼らにとっての「救い」とは現実からの逃避に他なりません。
2011-03-29 火 21:12:06 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 教会で本当に癒されるのか?
> 私の知人で自殺した人は累計で10人を超えます。この話をすると、「その人たち、教会に通っていたら、自殺しなかたのにね。」と真顔で私をなじったクリスチャンが何人かいました。(要するに、私が教会に連れて行かなかったのが悪い、ということ。)

その方たちに、私の知人のクリスチャン2世の方が自殺した話をしたら
「それはその人の信仰が足りなかったからだ」とでも言うのでしょうね。


> 私は教会で癒されるとは感じませんでした。無理やり「癒されるものだ」と思い込もうともしましたが、だめでした。

私も同じです。
キリスト教は素晴らしいものだ、と信じ込もうとしてきました。
教会生活に縛られて嫌だと思いそうになったときも、
それは自分の信仰が足りないせいだと思っていました。


> なお、キリスト教の信仰を持っていない今の方がはるかに気分が楽です。

私もですね。
「神の視線」や「罪(原罪)の意識」を感じずに生活できますから。
2011-03-29 火 21:13:08 | URL | 桃栗 [編集]
Re: victim様
>キリスト教は贖罪を信じた時点で完全に救われる。信者はその深い信心により常に幸福である。という考え。
だから信者なのに悩みがあるということは、信心が足りないという事になり他の信者に責められる引け目になる。

>信者は悩み苦しんでいたら信心が足りないと見なされるので、教会で打ち明けることが出来ず、周りの信者も薄々様子がおかしいと感じていても話題に出来ない。

まったくその通りですね。
どういうわけか、教会という社会の中では、
あたかもちゃんと信仰しているかのように振舞わなければならないようなところがあります。
本当は聖書のことをよく分かっていないのに、
分かったかのようにしていなければならないし、
実際、分かったつもりになっているクリスチャンの何と多いこと。
したがって、クリスチャンに悩みがあっても、
「私はちゃんと神に祈っています」とアピールしなければならない雰囲気があります。


> 前に殺人で服役している囚人の女性がキリスト教に改心して、
> 輝くような喜びにあふれた表情でインタビューされているのを見た事がある。
> 彼女にとって自分が殺した人間の事などもうどうでもいいのだろう。
> 神と自分だけの蜜月に酔い続けるのだから。

元暴力団員が牧師になった話を聞いたときも同じことを考えました。
自分がヤクザ時代に被害を与えた人のことはどうでもよく、
神に懺悔すれば罪が赦されて天国に行けるのですから、
便利な宗教ですね。


> 贖罪による救いを信じた他人は同士。
> 同じファンクラブの会員の様なもの。
> ファンクラブではいかに対象のスターが素敵か盛り上がるのが全てで、
> ノリの悪い会員なんかはしらけるから相手にしたくない。

まったく同感。
教会とは、聖書やイエス・キリストのファンクラブみたいなものです。
2011-03-29 火 21:27:02 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 人間性の疑われるクリスチャンたち
> 家族に難病の人がいて経済的に困窮している人を前にして、「自分にあなたのような災難が降りかからないのは、自分が正しい信仰を持っているからだ。」と言い放ったクリスチャンもいました。

私が実際に見た事例ではこのような話があります。
あるクリスチャンが不治の病で若くして亡くなりました。
それをあるオバサンクリスチャンがこういう風に言いました。
「○○さんが早く亡くなったのは、信仰が弱かったからだ。
だから、神はもうこの人はこの世に必要ないと判断して命を取ってしまわれたんだ」
しかも、それを故人の子供の前で発言したのです。
信じられますか?
おかしなことにそのオバサンクリスチャンはその後離婚したそうです。
他人の信仰を非難しておいてご自分は離婚ですから滑稽なものです。
私が見た実話です。


>今回の震災の件も、「神の怒り」と教えているキリスト教聖職者も少なくないそうですね。

さっそくこういう人を見つけました。
ht tp://okachapmessage.blog82.fc2.com/blog-entry-53.html
北海道旭川市の「丘の上チャペル」のブログです。

「ノアの洪水の時のように,神さまは人間の罪に対する審判と滅びがあることを警告しているのである。」

だそうです。
表社会に向かって堂々と言ってもらいたいものです。


>こんな人たちに感化されたら、社会の爪はじき者になってしまいます。クリスチャンは自分たちが日本で嫌われる原因について良く考える必要があると思います。

クリスチャンは自分たちが信じているものは素晴らしいと洗脳されていますから、
いくら言っても気付かないでしょう。
私はよくあの世界から抜けられたものだと胸を撫で下ろしています。
2011-03-29 火 21:34:42 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 沢野忠庵様へ
>  家の母親は大学受験に失敗した僕に向かって「知り合いの娘の○○ちゃんは受験中にいつも不安で、母親とお祈りをしていたのに、そういうことを全くしないで、ネ申を求めず、自分で何とかなると思ってやったから、あなたは失敗したのだ。」という発言にムカッと来ました。

>  これがクリスチャンを自称する人間の言動でしょうか??

私もあるクリスチャンの母親が子供に向かって、
「教会学校に来るほかの子達はみんな頭が良いのに、
なんであなたは勉強できないの?」と言ったのを見たことがあります。
とにかく、クリスチャンは自分を正当化する人が多すぎます。
2011-03-29 火 22:01:18 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さんはじめまして
キリスト教の事で悩んでいて、色々なブログを拝見させて頂いていたところ、桃栗さんのブログに辿り着きました。

私も洗礼を受けていますが、ここのところ色んなブログで読む今の教会の実態に驚いています。
鼻もちならない選民意識、信じることへの強要、地獄へ落ちるぞという脅し・・などあってはならないことが起こり続けているのですね。
いちばん可哀相なのは親に反抗できずそれを信じ込まされている無力な幼い子供達だと思います。
私は実際このような子供達を良く知っていますが、本当に哀れです。
子供の社会にちゃんと適応出来なかったり、色々と想像以上に苦しんでいます。
幼い子供をこんな風にしてしまっている大人に怒りを覚えます。

桃栗さんのそんな団体から抜けられた勇気に拍手です。
お辛かった事と思います。

私の行っている教会は、そういった教会と全く色が違うのでブログを読ませて頂き少し戸惑っている状態です。
けれど桃栗さんが今まで苦しんでこられた歴史を読み、今の現実を知ることが出来たことに感謝しています。
又、書き込みをさせて頂きます。

お忙しい毎日でいらっしゃる様ですのでどうぞ無理をなさらず、お身体に気を付けてお過ごし下さい。
2011-09-04 日 10:48:04 | URL | ワイン [編集]
初めまして。
初めまして。エホバの証人と切っても切れない縁になってしまい悩んでいます。 そこで、エホバについて検索していたら辿り着き2007年?あたりだったか読み始め現在は2009年までの記事を読ませていただきました!まさに求めていた内容でした!聖書の話をされると どんどん洗脳されていきますがふと我に返り危険ではないか?など自分をセーブしたり…子育てをしていても「それは違う」などとチョコチョコ聖書的な教えを言ってきます。ただ、怪しいと思うので嫌なのであって怪しいと思わず一度、勉強をしてから嫌だと意見した方がいいでしょうか?
2012-01-22 日 07:53:30 | URL | 悩む者 [編集]
Re: 初めまして。
> 初めまして。エホバの証人と切っても切れない縁になってしまい悩んでいます。 そこで、エホバについて検索していたら辿り着き2007年?あたりだったか読み始め現在は2009年までの記事を読ませていただきました!まさに求めていた内容でした!聖書の話をされると どんどん洗脳されていきますがふと我に返り危険ではないか?など自分をセーブしたり…子育てをしていても「それは違う」などとチョコチョコ聖書的な教えを言ってきます。

こんにちは。
エホバの証人の訪問のことでお悩みのようですね。
私もエホバの証人の訪問を受けた時期がありました。
私は元プロテスタントのクリスチャンだったので聖書の知識はあり、
それだけにエホバの証人の言うことが大変真実味を帯びていて、
非常に混乱したものです。
私がプロテスタントの教会で教わったことよりも、
ずっとずっと具体的で説得力がある話だったので、
本当にどちらを信じて良いのか混乱しました。

質問者様は冷静な視点をお持ちのようで、その点は救いだと思います。
聖書の世界と縁を切ってもまったく大丈夫ですよ。
日本人は太古の昔から聖書などなくてもちゃんと生きてこれたのですから。
ハルマゲドンなんて御伽噺の世界です。
そんなものを信じていたら人生を棒に振ってしまいます。
ハルマゲドンの到来は、
いちおうキリスト教の世界でも信じていることになっていますが、
エホバの証人のほうがずっとずっと強く信じています。
まあ、そんな世界もあるんだなあという知識程度で終えてください。
それよりも日本人はもっとご先祖様を敬う習慣を守った方がいいでしょう。


>ただ、怪しいと思うので嫌なのであって怪しいと思わず一度、勉強をしてから嫌だと意見した方がいいでしょうか?

もし訪問をやめてもらいたいのでしたら、
はっきりとその意思表示をしなければなりません。
エホバの証人の方々は一見礼儀正しくて優しい方ばかりですが、
相手の都合を考えずに話を続けます。
貴方が黙っているとあちらはいつまでも話を続けます。
かと言って、あんなに礼儀正しい人たちには面と向かって断りにくいですね。
私も断るまでずいぶん迷いました。
最終的には電話で断りました。
それでも、はっきり言いにくくて言葉を選びながら断りましたが、
電話の向こうで相手はえらくがっかりしていました。
それ以来、訪問はピタリと収まりました。
そういうわけで、直接断りにくいのでしたら電話、手紙などで、
訪問して欲しくない旨を伝えてください。
貴方様が黙っていると、
あちらは貴方が静かに話を聴いてくれていると思い込むので、
とにかく意思表示はしてください。

なお、その後転居した時もまた別のエホバの証人のグループが来ましたが、
私がプロテスタントの家庭で生まれ育ったことをお話した上で、
今は聖書には興味がないということをお伝えしたら、
冊子だけを手渡されて去って行かれました。
2012-01-26 木 22:15:28 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さんへ
ご多忙な中ありがとうございました。
まさに私の心内まで除かれたかの様にお気持ちを察して下さりお答えも求めていたものでした!
本当にありがとうございます。

気持ちははっきりと伝えてあります。実は義両親がエホバの証人でした。なので私の気持ちはわかっていますがたまに話をされます。
でも桃栗さんがお答えいただいたおかげで万が一話をされても聞き流してもいいのだとわかっただけで気が楽になりました(>_<)

知り合いにプロテスタントの方がいますが聖書でも同じ内容ではないんですね?!複雑です。

また引き続き読ませていただきます。

よろしくお願いします。
2012-01-28 土 16:05:24 | URL | 悩む者 [編集]
Re: 桃栗さんへ
> 気持ちははっきりと伝えてあります。実は義両親がエホバの証人でした。なので私の気持ちはわかっていますがたまに話をされます。
> でも桃栗さんがお答えいただいたおかげで万が一話をされても聞き流してもいいのだとわかっただけで気が楽になりました(>_<)

身内の方にエホバの証人がいらっしゃるのですね。
それはちょっと難しいですね。
完全無視するわけにもいきませんしね。
失礼ですが、義両親の方々がお亡くなりになるまで
上手くやり過ごすしかなさそうですね。
ともかく、エホバの証人がまことしやかに聖書の教えを説いても、
あくまでもおとぎ話の世界でしかないので、
気になさらないでください。
もっとも、正統派を名乗るキリスト教も同様ですが。


> 知り合いにプロテスタントの方がいますが聖書でも同じ内容ではないんですね?!複雑です。

キリスト教側は、エホバの証人の新世界訳聖書のことを、
「自分たちに都合よく翻訳した改ざん聖書」として非難しますが、
そういうキリスト教のほうこそ、
少なくとも文語訳、口語訳、新改訳、新共同訳の4つもの訳があり、
それぞれに訳が異なります。
「正しい聖書」が少なくとも4種類もあるなんておかしいですよね。
プロテスタントだってたかだか500年の歴史しかない新しい宗派です。


> また引き続き読ませていただきます。
>
> よろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。
2012-02-01 水 23:16:58 | URL | 桃栗 [編集]
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