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桃栗

Author:桃栗
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信教の自由がなかった
日本国憲法第20条では、
「信教の自由」が保障されていることは皆さんご存知ですよね。
この「信教の自由」とは、あくまでも「国家が国民に対して保障するもの」であって、
「家庭内レベル」ではそれが当てはまらない場合があります。
特に、熱心に宗教を信仰する家庭に生まれた子供の場合です。


私は、自己紹介に書いたとおり、クリスチャンの家庭に生まれました。
そして、当然の成り行きとして幼いころから信仰生活の中にいました。
平日の朝は、学校に行く前は家族で集まってお祈りをして、
夕食時にも感謝の祈りを捧げてから食事を食べていました。
もちろん、毎週日曜日には欠かさず教会に通っていました。
体育祭など学校の行事以外で礼拝を休んだことがないと言い切れるほど
ほとんど皆勤賞ものでした。
両親に関しては、子供の体育祭の日にも礼拝を休んだことは
ただの一度もありませんでした。

私にとって、キリスト教というものは、学校と同じように「義務」でした。
とても信じる喜びなど感じることはできませんでした。

「すべての人間は生まれながらにして罪人(つみびと)である。
だから、神に懺悔をして罪を赦してもらって心を綺麗にしてもらわなければ、
死後、天国に行けない。罪を赦されない人は地獄に行く。」

そんな教えを子供心にも素直に信じ込み、
死ぬまで一生懺悔し続けなければならないことに葛藤を感じていました。
いつも聖書の教えを守れないことに罪悪感を持っていました。
「私はなんてダメな人間なんだろう、なんて悪い人間なんだろう、
なんて信仰が弱いんだろう」
そういう風に神様に対していつも後ろめたさを感じていました。

以前、ヤフーでブログをやってたころに、
私が過去に信仰生活に縛られていたことを書いたところ、
こんな趣旨の発言をしたクリスチャンがいました。

「神は私たちに自由を与えてくださったのだから、
信仰のスタイルにこだわる必要はない」

しかし、いくら神が自由を与えてくださったところで、
家庭内では子供は神よりも「親」に従わざるを得ないのです。
いくら日本国憲法で信教の自由が保障されていても、
家庭内では親に従わざるを得ないのです。
たから、熱心に宗教を信仰する家庭に生まれた子供には、
信教の自由が奪われるケースがあり得るのです。
これはキリスト教だけではなくすべての宗教に当てはまります。

クリスチャンの皆さん、無意識に子供に信仰を押し付けていませんか?
もしかして、子供は苦痛を感じているかもしれませんよ。
「なあに、うちの子は何も言わないで素直に信仰しているから大丈夫」
と思ったら大間違いですよ。
何も言わない子=何も考えない子とは限りません。

私は、普通の子供は日曜日は自由に過ごせるのに、
(同級生の中では)自分だけが教会に行かなければならならないのが重荷でした。
学校では、自分がクリスチャンであることをバカにされるので、
クリスチャンであることにコンプレックスを感じていました。
それでも、天国に入るために信仰し続けなければならないと信じ、
信仰生活を守っていました。
最後にはそういう信仰生活に疲れて信仰を捨てたわけです。
残ったのは虚脱感のみ。

そうして長い間信仰を守ってきた結果が「今のこんな私」です。
せっかく、青春の大事な時間を信仰生活に捧げてきたのに、
何も人生の役に立っていないのです。
強いて言うなら、「宗教への免疫ができたこと」ぐらいでしょうか。
今後、私は怪しい宗教やカルトに洗脳されることはないでしょう。
しかし、そのわずかなメリット?に比べて、
信仰生活に捧げてきた時間と労力はあまりにも大きいです。
毎週欠かさず教会に通ったあの信仰生活は何だったのでしょう。
私の青春を返せと言いたいです。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

私のクリスチャン時代 | 09:18:25 | トラックバック(0) | コメント(14)
コメント
まともな教え方をしていないところは、カトリックだろーがプロテスタントだろーが苦痛ですよね。
この法律をもう少し詳しく国民が認知していれば、宗教による家庭崩壊や裁判もだいぶ変わってくるでしょうけど…。
2009-02-23 月 12:03:55 | URL | るーく [編集]
そもそも、キリスト教の教義に問題があると思います。
人間はすべて生まれながらにして罪びとだとか、
信じない者は救われないから地獄に行くとか、
キリスト教は表向きには良いイメージなのに、
言っていることを文字通り解釈するとカルトだと思います。
こんなことを何も知らない子供に吹き込むのはやめてもらいたいです。
大人は経験上善悪の判断ができますが、
人生経験もない純真な子供たちは
「フィルターなしに」何でもかんでも素直に聞き入れるのですから。
2009-02-28 土 00:57:42 | URL | 桃栗 [編集]
地獄や天国といった考え方は、確かスコラ哲学の影響ですよね。聖書そのものには地獄の描写はあっても、地獄という言葉は確か出てきていません。
プロテスタントの特徴は地獄の強調にあるように思えます。怖いです。はい。
また当時の歴史的背景を考えれば、あのような本が出てくるのはさして難しいことではなかったでしょう。
それを異文化圏へ持って行ってしまったことがキリスト教の最大の過ちでしょうね。
2009-02-28 土 09:13:54 | URL | るーく [編集]
Re: タイトルなし
> 地獄や天国といった考え方は、確かスコラ哲学の影響ですよね。聖書そのものには地獄の描写はあっても、地獄という言葉は確か出てきていません。
> プロテスタントの特徴は地獄の強調にあるように思えます。怖いです。はい。

確かに、聖書配布協力会など一部の団体は地獄を強調しますね。
誤解を避けるために書いておきますが、
私が通っていた教会を含め、一般的なプロテスタント教会では、
教える側としては別に地獄を強調しているつもりはないと思います。
が、幼いころから「悪い人は地獄に行くのです」と何度も教わると、
純真な子供はそれを真に受けてしまうことだって在り得るのです。
大人になってからクリスチャンになった人は、
そういう子供の心理が分からないのではないかと思います。

> また当時の歴史的背景を考えれば、あのような本が出てくるのはさして難しいことではなかったでしょう。

本来、イスラエルは古代から民族紛争が絶えず、
情勢が不安定だったわけですよね。
そんな中から、選民思想や、救世主を期待する思想が生まれたわけですよね。
ですから、本来の聖書の成立背景と現代社会はかみ合わないのです。
平和な日本では、選民思想も救世主も必要ないのです。

聖書によれば、当時のユダヤ人たちは、戦争から自分たちを守ってくれる救世主、
つまり、ヒーローのようなものを求めていたはずです。
(イザヤ書第7章14-17)
それなのに、イエスはインマヌエルとは呼ばれていないし、
災いを退けたわけでもありません。
今でもイスラエルでは紛争が続いています。

キリスト教の世界では、いつの間にか、
「アダムとエバのせいで人間は罪人になった、
しかし、イエス・キリストが救世主となりその罪を救った」
という話にすり変わっているのです。
キリストによって罪が救われたから
この世の何がどう変わったというのでしょうか。

> それを異文化圏へ持って行ってしまったことがキリスト教の最大の過ちでしょうね。

ユダヤ人の選民思想が、
ヨーロッパに渡って白人至上主義にすり変わったのは最大の過ちだと思います。
2009-03-01 日 10:54:49 | URL | 桃栗 [編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009-04-10 金 17:01:00 | | [編集]
内緒でコメントくださった方へ
コメントくださってどうもありがとうございます。
今度の週末あたりにでも改めてお返事いたします。
すみませんがもうしばらくお待ちください。
2009-04-27 月 23:36:15 | URL | 桃栗 [編集]
>「アダムとエバのせいで人間は罪人になった、 しかし、イエス・キリストが救世主となりその罪を救った」

創世記でアダムとエバは失楽園を経験しました。しかし一緒に十字架につけられた犯罪人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った時イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。
失楽園にいた人間を明日と言わず今日楽園に戻してくださいました。

>この世の何がどう変わったというのでしょうか。
世界は変わっていないかもしれませんが、個人個人に平安が取り戻せます。そういう個人が増えて世界の平和につながっていくとよいと思います。
2009-10-05 月 10:44:21 | URL | ぶる [編集]
>今後、私は怪しい宗教やカルトに洗脳されることはないでしょう。
良かったじゃないですか!何がカルトかもわからず洗脳される人が多いことに比べたら、カルトに洗脳されないという自信の持てたことは大きな益です。
2009-10-05 月 10:45:54 | URL | ぶる [編集]
Re: タイトルなし
> >「アダムとエバのせいで人間は罪人になった、 しかし、イエス・キリストが救世主となりその罪を救った」
>
> 創世記でアダムとエバは失楽園を経験しました。しかし一緒に十字架につけられた犯罪人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った時イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。
> 失楽園にいた人間を明日と言わず今日楽園に戻してくださいました。

で、それがどうかしたんですか?
その犯罪人が楽園に戻されたとなぜ分かるのですか?
あなたはそれを見たのですか?

> >この世の何がどう変わったというのでしょうか。
> 世界は変わっていないかもしれませんが、

「かもしれない」ではなく、なぜ「変わっていない」と素直に言えないのでしょうか。

>個人個人に平安が取り戻せます。そういう個人が増えて世界の平和につながっていくとよいと思います。

キリスト教は2000年も続いたことになりますが、
それで個人個人に平安が取り戻せましたか?
そういう個人が増えて世界の平和につながってきましたか?
イスラエルでは今もなお民族紛争が終わっていませんが。
キリスト教文化圏の欧米だって治安が悪いですし、
核兵器や軍隊を持っている国だってありますよね。
結局、この世は何も変わっていないと思いますが。
2009-10-23 金 23:05:28 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> >今後、私は怪しい宗教やカルトに洗脳されることはないでしょう。
> 良かったじゃないですか!何がカルトかもわからず洗脳される人が多いことに比べたら、カルトに洗脳されないという自信の持てたことは大きな益です。

何が「良かったじゃないですか!」ですか。
そのためにどれほどの青春を無駄にしてきたか分かりますか?
キリスト教の家庭に生まれたことが人生最大の不幸だと思っています。
2009-10-23 金 23:09:04 | URL | 桃栗 [編集]
失礼ながら。。
私もクリスチャンホームで育ちました。クリスチャンです。
偶然このブログを拝見しました。議論するつもりはありませんが、
私自身は、幼い頃から神様のことを知ることができたことは、
本当に感謝なことだと思っています。
ちなみに「インマヌエル」とは「神は我らと共にいる」という意味です。
「その名(イエス)はインマヌエルと呼ばれる」という聖書の記述は、
けっして間違ってないと思います。
おじゃましました。
2009-10-26 月 12:21:04 | URL | いちクリスチャン [編集]
Re: 失礼ながら。。
> ちなみに「インマヌエル」とは「神は我らと共にいる」という意味です。
> 「その名(イエス)はインマヌエルと呼ばれる」という聖書の記述は、
> けっして間違ってないと思います。

ですが、実際、イエスがインマヌエルと呼ばれたという記述は新約聖書にありましたっけ?
インマヌエルの預言がされているイザヤ書7章をすべてお読みください。
どう読んでもイエスの人生と一致しません。
2009-11-02 月 20:51:35 | URL | 桃栗 [編集]
共感します!!
桃栗さんの投稿に共感することだらけです。

私もクリスチャンホームで育ち、日曜日は家族で毎週教会へ通っていました。授業参観日が日曜日にある日は学校を欠席していた覚えがあります。
私も罪というものを子供時代から意識させられ、両親は私を教会に連れて行っていればよい人間に育つとでも思っていたようで、両親からはしつけられたとかいう覚えは全くありません。すべて教会に任せていたような感じです。
もっと自由な子供時代、思春期、青春時代を過ごしたかったと本当に思います。

聖書中心の考えを植え付けられたので、やはり私も一般社会で生きていくのに困難を感じました。人付き合いが苦手でした。異性と付き合うことも難しかったです。クリスチャン以外とは付き合えない、結婚できないと思っていましたから。

30代前半まで教会に行っていましたが、ノンクリスチャン(元クリスチャンで今は無宗教)の人と結婚しました。子供はもちろん教会へは連れて行きません。私の両親への親孝行と思って、クリスマスだけ一緒に教会へ行くことはあります。今でも時々、「教会へ行ったほうがいいよ」と母から言われることが本当にストレスです。信仰熱心な姉からは、「神にゆだねないで子供の人生に責任を持てるの?」と訳わからない脅迫めいた言い方までされたことがあります。
家族に相談したいことがあっても、何でも教会に行けば解決すると思っているようなので、何も話したくなくなってしまいます。

最近ふと気が付きました。クリスチャンがよく使う「祈りが聞かれる」は、神が叶えてくれたのではなく、ただの引き寄せの法則だったのではないかと。

2017-06-05 月 12:32:09 | URL | どろみ [編集]
Re: 共感します!!
> 桃栗さんの投稿に共感することだらけです。
>
> 私もクリスチャンホームで育ち、日曜日は家族で毎週教会へ通っていました。授業参観日が日曜日にある日は学校を欠席していた覚えがあります。
> 私も罪というものを子供時代から意識させられ、両親は私を教会に連れて行っていればよい人間に育つとでも思っていたようで、両親からはしつけられたとかいう覚えは全くありません。すべて教会に任せていたような感じです。
> もっと自由な子供時代、思春期、青春時代を過ごしたかったと本当に思います。

このお話、まるで自分の体験であるかのようによく理解できます。
キリスト教生活を守っていると本当に自由を奪われてしまいます。
私の知るクリスチャンのほとんどは大人になってから入信した人ばかりです。
自分たちはその年齢になるまで自由に生きてきたのに、
子供の自由を奪って信仰生活に縛り付けるのは不公平です。
私だって普通の子供のように自由に生きたかったです。

>
> 聖書中心の考えを植え付けられたので、やはり私も一般社会で生きていくのに困難を感じました。人付き合いが苦手でした。異性と付き合うことも難しかったです。クリスチャン以外とは付き合えない、結婚できないと思っていましたから。

これも、まるで自分が書いた文章であるかのように本当によく理解できます。

> 30代前半まで教会に行っていましたが、ノンクリスチャン(元クリスチャンで今は無宗教)の人と結婚しました。子供はもちろん教会へは連れて行きません。私の両親への親孝行と思って、クリスマスだけ一緒に教会へ行くことはあります。今でも時々、「教会へ行ったほうがいいよ」と母から言われることが本当にストレスです。信仰熱心な姉からは、「神にゆだねないで子供の人生に責任を持てるの?」と訳わからない脅迫めいた言い方までされたことがあります。

本当に、大きなお世話とはまったくこのことですね。
むしろ、子供の人生を神に委ねる方が無責任です。
本当にクリスチャンは頭が悪い人達ばかりです。
神に委ねて人生が上手く行った人がどれほどいるのでしょうか。
そんなデータがあったら見てみたいものです。

> 家族に相談したいことがあっても、何でも教会に行けば解決すると思っているようなので、何も話したくなくなってしまいます。

クリスチャンは信仰で何でも解決できると思っているので始末が悪いです。
では、貴方のご両親やお姉様が何か困ったことがあって助けを求めてきたら、
こう言ってあげればいいのです。
「私みたいな罪びとに相談するよりも、教会に行けば解決するよ。
だって、お父さん(お母さん、お姉さん)、私にそう教えたでしょ?」

> 最近ふと気が付きました。クリスチャンがよく使う「祈りが聞かれる」は、神が叶えてくれたのではなく、ただの引き寄せの法則だったのではないかと。

まったくその通り。
クリスチャンのこういう類の言葉は本当に大嫌いです。
神はあなたを愛しておられる、いつも見ておられる、そばにおられる、
どんな時でも祈りを聞いておられる等等、
本当にぶん殴りたいほど腹が立つ言葉です。
クリスチャンはこういう響きの良い優しい言葉で伝道するのです。
神が愛しておられるから、そばにおられるから、だから何なのでしょう。
愛していても、そばにいても、何もしてくれないのでは、
それはそばにいないのと全く同じです。
神が祈りを聞いておられるから、だから何なのでしょう。
祈りを聞いていても何もしてくれないのなら、
それは祈りを聞いていないのと全く同じです。
クリスチャンはそんな単純なことも分からない頭の悪い人たちです。

貴方がキリスト教から目覚めて棄教したのは正解です。
2017-06-21 水 22:22:16 | URL | 桃栗 [編集]
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