■プロフィール

桃栗

Author:桃栗
このブログでのコメントは承認制です。原則として、書き込まれた順に承認・公開していきますが、承認までお時間をいただきます。★コメントへの返事は割愛させていただく場合がありますが★、寄せられたコメントはすべて目を通しています。初めての方はカテゴリーの中の自己紹介をお読みください。記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。多忙時は一時的にコメントの書き込みを制限する旨をお知らせすることがありますのでご了承ください。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
もしもカトリックが少数派だったら?
現在、キリスト教と呼ばれる宗派には、
日本ではプロテスタント、カトリック、聖公会などがあり、
外国にはギリシャ正教、ロシア正教などが存在します。
そして、エホバの証人(ものみの塔)、統一教会、
モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)は、
キリスト教ではない「三大異端」だとされていますね。
しかし、何を基準に正統派・異端の分類がされるのでしょうか?


そもそも、「正しいキリスト教」って何なのでしょう?
イエス・キリスト存命当時のイスラエルのキリスト教を「オリジナル」とするなら、
現在世界に広まったキリスト教はすべて間違いになりませんか?
カトリック、プロテスタント、聖公会、
ギリシャ正教、ロシア正教など○○正教と称する宗派は、
すべてヨーロッパで作られたキリスト教でしょう?
オリジナルのキリスト教ではないですよね?
それなのにエホバ、統一、モルモンを異端呼ばわりするのは矛盾していません?

結局、宗教の世界と言うのは、
多数派=正統派、少数派=異端とするとようなところがありませんか?
エホバ、統一、モルモンが異端視されるのは、
それらが少数派というところにも理由がありそうな気がします。

そこでふと思ったのですが、もしもカトリックが少数派だったらどうなるでしょうか?
ご存知の通りカトリックでは聖母マリアを崇拝しています。
新共同訳の聖書をよくご覧下さい。
モーセの十戒には「いかなる像も造ってはならない」(出エジプト記20:4)
と書かれているではありませんか。
ところが、カトリックでは公然とマリア像を作り、
その前で十字を切って祈っているわけです。
聖書では偶像崇拝を固く禁じているはずです。
そして、カトリックの絵画は、聖母マリアを描いたものばかりで、
イエスは「幼子」の姿でマリアに抱かれているか、
あるいはマリアの傍らに座っているかのどちらかのことが多いです。
マリアと成人したイエスが同時に描かれている絵を私は知りません。
なぜかカトリックの絵ではイエスよりもマリアの方が主役なのです。
どう見たってこれはマリア教ではないですか?

そして、人間であるはずのローマ法王を「神の代理人」として
カトリック信徒の崇敬の的になっていますね。
人を崇拝するのも立派な偶像崇拝です。

少なくともプロテスタントの聖書には「聖母」という言葉はありませんし、
マリアを崇拝しなさいとも書かれていません。
ローマ法王を神の代理人にしなさいとも書かれていません。
カトリック独自の聖書には書かれているんでしょうか?

こんなにも聖書から離れているのになぜ「キリスト教」と呼べるのか不思議です。
もしもこんな宗派が少数派だったらどうなると思います?
「マリアや人間をを崇拝するのは異端だ」として激しく非難されるはずです。
それなのに非難されないのは
カトリックがキリスト教ではシェアNo.1で圧倒的多数派だからですよ。
要するに、「先にシェアを広げたもん勝ち」ってことです。
違いますか?
カトリックが少数派だったら果たして正統派キリスト教と呼ばれていたのかどうか
甚だ疑問です。

もっとも、ユダヤ教徒から見たらキリスト教自体が異端ですよね。
スポンサーサイト

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

もしものコーナー | 19:38:58 | トラックバック(0) | コメント(16)
コメント
キリスト教じゃないと言いながら、未だにクリスチャンの定義がプロテスタントの熱心な福音派に頼っていますね。
聖書を一字一句信じなきゃクリスチャンってわけでもないんですよ?
2009-01-06 火 15:54:38 | URL | 一重まぶた [編集]
Re: タイトルなし
> キリスト教じゃないと言いながら、未だにクリスチャンの定義がプロテスタントの熱心な福音派に頼っていますね。

貴方が貴方の信仰する宗派を基準に物を考えるのと同じように、
私も私が信仰した宗派を基準に考えるのは自然だと思いますが。
それよりも、せっかくいらしてくださったなら、
記事の趣旨に沿ったコメントをしていただきたいところです。
カトリック信徒がたとえ数十人しかいなかったとしても、
「正統派キリスト教」と呼ばれたでしょうか?

> 聖書を一字一句信じなきゃクリスチャンってわけでもないんですよ?

この定義に従えば、
聖書を正しく信じていないとされる
エホバ、統一、モルモンも立派なクリスチャンになってしまいますね。
2009-01-06 火 22:53:36 | URL | 桃栗 [編集]
まず、僕は自分の信仰する宗派を基準には考えておりません。
あらかじめ言っておきますが僕はリベラル派です。
かといって、聖書を一字一句信じる人たちが偽者と言うつもりもないものです。

まず、カトリックが少数派だったとしたらという問題に関しては議論を出来ないですね。
そもそも、カトリックが少数派だったとしたら何が多数派になるのでしょうか?
それにより、随分議論が変わります。
よって、議論する意味が無い前提だと思うのですよ。

また、何が本物か偽者かはそれこそ神様のみぞ知るところです。
僕はエホバ、統一、モルモンを偽者だとはすぐには断定できません。
しかし、人を欺きそこに不幸があるように見えるのであればそれは批判します。
それは、エホバ、統一、モルモンに限らず既存のプロテスタントも同様です。
2009-01-07 水 00:17:43 | URL | 一重まぶた [編集]
賛同します
先行するもの、多数派になったものが後発の、従って当初は少数派で異なったものを異端派視するのだと思います。

「もし、カトリックが少数派であったら」の内容に同感です。

 (16歳でモルモン教徒になった67歳の高齢者) See http://blog.goo.ne.jp/numano_2004
2009-01-16 金 08:34:37 | URL | NJWindow [編集]
Re: タイトルなし
> まず、僕は自分の信仰する宗派を基準には考えておりません。
> あらかじめ言っておきますが僕はリベラル派です。

つまり、「リベラル派」を基準に発言なさっているわけですね。
なお、私は自分が所属した教派がどこだとは一度も言っておりません。

> まず、カトリックが少数派だったとしたらという問題に関しては議論を出来ないですね。

いえ、できます。

> そもそも、カトリックが少数派だったとしたら何が多数派になるのでしょうか?

簡単なことです。カトリック「以外」の宗派です。

> それにより、随分議論が変わります。

いえ、変わりません。

> よって、議論する意味が無い前提だと思うのですよ。

何だか私の問いかけが体よくはぐらかされたようですね。
2009-01-20 火 21:28:01 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 賛同します
> 先行するもの、多数派になったものが後発の、従って当初は少数派で異なったものを異端派視するのだと思います。
>
> 「もし、カトリックが少数派であったら」の内容に同感です。
>
>  (16歳でモルモン教徒になった67歳の高齢者) See http://blog.goo.ne.jp/numano_2004

どこの業界でもそうだと思うのですが、
その業界でシェアNo.1を占めている企業というものは、
「先発組」が圧倒的に多いのではないでしょうか?
そして、一旦その先発組がシェアを広げてしまうと、
後発組がいくらがんばったところで先発組を超えるのは困難です。
宗教にもそれが当てはまりそうな気がします。

キリスト教よりも先にユダヤ教の方が全世界に広まっていたら、
キリスト教の方が異端視されていたかもしれません。
2009-01-20 火 21:42:51 | URL | 桃栗 [編集]
僕自身はリベラル派ですが、それ以外を「キリスト教ではない」と判断はしないということです。
桃栗さんのクリスチャンの定義だと僕はクリスチャンでないようになってしまうので、そう言いました。

あと、カトリック「以外」が多数派と仰いましたが、エホバやモルモンであったならば異端になるでしょう。
しかし、プロテスタントであった場合には今のような状況となっていたかもしれません。
つまり、多数派と似ていたら問題が無いわけで何が多数派によってこの議論は変わるのです。
つまり、論じる意味が無い。

あなたが今のカトリックやプロテスタントに疑問を抱き、多数派が普通だというのおかしいのじゃないか、という問いかけには賛成です。
しかし、もし少数派だったら?という議論の仕方は無意味だと僕は言います。
2009-01-22 木 00:00:13 | URL | 一重まぶた [編集]
Re: タイトルなし
> あと、カトリック「以外」が多数派と仰いましたが、エホバやモルモンであったならば異端になるでしょう。
> しかし、プロテスタントであった場合には今のような状況となっていたかもしれません。

すみませんが、「主語」をはっきりさせていただかないと
正しく意味が伝わりません。

> つまり、多数派と似ていたら問題が無いわけで何が多数派によってこの議論は変わるのです。
> つまり、論じる意味が無い。
>
> あなたが今のカトリックやプロテスタントに疑問を抱き、多数派が普通だというのおかしいのじゃないか、という問いかけには賛成です。
> しかし、もし少数派だったら?という議論の仕方は無意味だと僕は言います。

それほどまでに、議論することが無意味、無意味とおっしゃるなら、
議論「なさらないで」いただきたいです。
こちらもコメントを返すのが大変ですので。
私は議論したくてブログを書いているのではなく、
ただ気持ちの赴くままに書きたいことを書いているだけです。

とにかく、私の持論はこうです。
もしも、たとえば神エホバのみを崇拝する宗派が圧倒的多数で
それが「当たり前」という世の中になっていて、
神の御子イエスや聖母マリアを崇拝する宗派が少数派だったら、
「イエスやマリアを崇拝するのは異端だ」と言われていたはずです。
実際、イエスはユダヤ教から異端だと見なされて処刑されたわけですよね。
ところが、ユダヤ教よりも先にキリスト教、
それもカトリックの方が世界を席巻してしまった。
だから、「先にシェアを広げたもん勝ち」ってことです。
ユダヤ教は未だにユダヤ人のローカルな宗教に留まっているのみです。
今の日本で、「私はユダヤ教徒です」なんて言ったら
変わり者扱いされるでしょう。

あなたがこのことに関して議論する意味がないとおっしゃるなら
議論なさらなくても結構です。
2009-01-24 土 05:25:42 | URL | 桃栗 [編集]
もしカトリックが多数派ではなく少数派であった場合、その多数派がエホバやモルモンであったならばカトリックは異端視されているかもしれません。
しかし、カトリックが多数派ではなく少数派であった場合、その多数派がプロテスタントであった場合には現在のキリスト教界と同じであったかもしれませんね。
ということです。分かってもらえたでしょうか。

ですから、「先にシェアを広げたもん勝ち」故に教義においておかしいと思えるものも礼拝しているにも関わらずに、それが正等と呼ばれることに疑問を抱くのは私も同じです。
しかしながら、ユダヤ教が広まっていたらとか、○○が多数派だったらとか言うのは、意味が無いといっているんです。
議論をする気がないのではなく、議論をすることが出来ないんです。
多数派よって少数派も、その様を変えてしまうのですから。

せっかくの良い問いかけがもったいないと思うから、僕はこうしてコメントしているのですよ。
2009-01-25 日 00:24:53 | URL | 一重まぶた [編集]
Re: タイトルなし
> もしカトリックが多数派ではなく少数派であった場合、その多数派がエホバやモルモンであったならばカトリックは異端視されているかもしれません。
> しかし、カトリックが多数派ではなく少数派であった場合、その多数派がプロテスタントであった場合には現在のキリスト教界と同じであったかもしれませんね。
> ということです。分かってもらえたでしょうか。

結局、貴方がそういう結論になるのは、
現在の「プロテスタントとカトリックはキリスト教」
という状況を基準にして考えるからではないでしょうか。
主イエスを崇拝するプロテスタントが圧倒的多数派だったら、
聖母マリアを崇拝する宗派が「キリスト教」と呼ばれていたとは考えにくいです。

> ですから、「先にシェアを広げたもん勝ち」故に教義においておかしいと思えるものも礼拝しているにも関わらずに、それが正等と呼ばれることに疑問を抱くのは私も同じです。
> しかしながら、ユダヤ教が広まっていたらとか、○○が多数派だったらとか言うのは、意味が無いといっているんです。
> 議論をする気がないのではなく、議論をすることが出来ないんです。
> 多数派よって少数派も、その様を変えてしまうのですから。
>
> せっかくの良い問いかけがもったいないと思うから、僕はこうしてコメントしているのですよ。

ありがとうございます。
2009-02-01 日 22:31:44 | URL | 桃栗 [編集]
そもそも宗教というカテゴリーがいつできたのでしょうか?僕も甚だ疑問です。
僕は宗教というものはそもそも哲学的思考の一種だと思っているので、クリスチャンでも一般の宗教というカテゴリーに分類されるのは嫌いです。
宗教というものが、伝統というものに落ちるときにそれは駄目になると思っています。また、宗教というものがリベラル的になりすぎても駄目になると思っています。
また宗教というものが寛容でなくなるときにそれは駄目になると思っています。
宗教は”教え”をわかりやすくするために、教会、組織が色々工夫するわけです。
ある意味悟りというものを得た人がいくら教えても、教えられた人が本当にわかるとはいえないわけであって、それを教えられた人がわかっているようなフリをして、後の人に教えようとすると、それをわかりやすく、象徴的なものに頼ってそれがだんだんとただの伝統的なものになってしまうと思います。
またわかっていないのにそれを守ろうとして、律法的になっていくと・・・。
仏教もしかり、ブッタの教えとはかなり程遠いところにきてしまい伝統的なものになってしまいました。
ブログ主はしっているか、しらないかわかりませんが、神道というものもおもしろいですよ。旧約聖書に載っているものと似たりよったりになっています。神輿ー契約の箱をいれた箱、鳥居ー出エジプトの玄関のドアに血をぬって神の厄災から赤子を守る、狛犬ーアルファとオメガ、神棚ー神が降りてくる場所、旧約聖書で煙がボワッと、ダビデの星が刻まれている神社とかね。
ライオンという動物がいなきゃ、その地域にあるものになぞられるわけで・・・。世界の逸話とかも旧約聖書に似たり寄ったりの動物がでてくるんですが、聖書出てくる動物がその地域にいないと似たようなうなぎ、ナマズなどなど。
まぁなんというか、キリスト教といわれているものが今存在していますけど、ユダヤ教というものも旧約の時代はなかったわけで、ある意味教えというものは一致していたんじゃないかと。
あと人の起源は聖書の中ではある一定の地域から発祥していますので、そういう意味では何々教が先に広まったから・・・・というものは受け付けないのではないのでしょうか?
広まっていたものが・・・その土地土地で伝統になり、それぞれの宗教になっていった・・・。
と僕は思っていますが、が、しかし、イスラム、ユダヤ、キリスト教も旧約のある箇所は自分の教義にしていることは面白いですね。


2009-02-06 金 10:30:47 | URL | 僕はクリスチャン [編集]
>ユダヤ教徒から見たらキリスト教自体が異端ですよね。
ユダヤ教ではキリストは預言者の一人としてしか見なしていないので救い主を今でも待っている状態です。木にかけられて殺された者は呪われていると旧約聖書に書いてあるので木にかけられて殺されたイエスを救い主と認めるわけにはいかないのだと思います。
ユダヤ教は新約聖書を信じているわけではありません。異端というよりは宗教が違うのではないかと思います。
2009-10-05 月 23:24:15 | URL | ぶる [編集]
えらく、狭い考えですね。有名なピエタは、同時に描かれていますよ。もう少し、見識を広げられては?
ところで、崇拝・崇敬の違いをご存知ないようですね。批判する時には、もっと調べてから批判しないと・・・
2010-05-19 水 07:07:42 | URL | 柿八 [編集]
Re: タイトルなし
> えらく、狭い考えですね。有名なピエタは、同時に描かれていますよ。もう少し、見識を広げられては?

「有名なピエタ」って何ですか? 知りませんね。
私はプロテスタントだったので。
日本の人口の何パーセントが知っているのでしょうか?
有名だと思っているのは0.何パーセントしかいないカトリック信者だけでしょう。
成人したイエスとマリアが同時に描かれている例はそれだけですか?
私はマリアが主役の絵の例はいくらでも出ますよ。

> ところで、崇拝・崇敬の違いをご存知ないようですね。批判する時には、もっと調べてから批判しないと・・・

カトリック信者にマリア崇拝の矛盾を突きつけると、
「あれは崇拝ではなく崇敬だ」と答えるのがお約束です。
2010-05-19 水 22:31:24 | URL | 桃栗 [編集]
ご指摘の通りで、マリア崇拝を見れば分かるように、ローマカトリックこそが『ヨハネの黙示録のいう大姦婦』に当たります。

セミラミス、あるいはイシュタル神がその正体です。
幼子はタンムズ、もしくはニムロドです。

『私の民よ、彼女の罪から離れされ。彼女の罪は積もり積もって天にまで達している。』黙示録
2011-08-26 金 13:34:46 | URL | タコ [編集]
正統
>ユダヤ教よりも先にキリスト教、
それもカトリックの方が世界を席巻してしまった。
だから、「先にシェアを広げたもん勝ち」ってことです。

まったくその通りだと思いますが。
で、だから何だとおっしゃりたいのですか?

「正統」という言葉は正統自称者のためにあるものです。
「異端」を自称する人にはめったに出会えないだろうし、
いるとしたら、自嘲的に皮肉を込めているか、さもなくば
「正統」を強く意識するあまり、屈折してしまった心理を
背後に感じざるを得ませんね。

「信仰を捨てた」と自称しながら、「キリスト教」に
拘泥し続けるあなたのように。
2011-12-29 木 06:21:53 | URL | ハマルティア [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。