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桃栗

Author:桃栗
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ブログ再開に当たって
皆様、ご無沙汰しております。
今年の2月10日からブログをお休みしていました。
じつはブログにアクセスそのものもしていませんでした。
理由、というか言い訳ですが、まず仕事が忙しいこと、
一旦間が開いてしまったらズルズルと今日まで来てしまったこと、
といったところです。

また、コメントに返事をするのが大変だったというのが本音です。
クリスチャンの方のコメントは、
一見、長くて詳しくて丁寧なコメントに見えるのに、
聖書の言葉を並べたりご自分の意見を主張したりするだけで
結局私の疑問の答えになっていないことが多く、
それに返事をしていると話がどんどん脱線してしまって
収拾が付かなくなることがたびたびありました。

たとえば、私が「・・・・・・は矛盾していませんか?」と書けば、
その答えは「矛盾する」「矛盾しない」の二つに一つのはずなのに、
クリスチャンの方々はどちらともはっきりおっしゃらず、
回答を曖昧にぼやかされることが多かったです。
せっかく書いて下さったからにはこちらも返事を書いていましたが、
理論的な話し合いというものができず、
話はどんどん脱線するばかりで疲れてしまいました。

そういうわけでしばらくブログを見ないことにしていました。
今後は、私が関心を持てないコメントには
返事を書かない方向にしたいと思います。
「コメントしたのに返事を書かないなんて失礼だ」とお思いの方は、
最初からコメントをご遠慮願います。

なお、私のメールはヤフーメールを使っていますが、
長期間アクセスしないとメールが消えるみたいです。
私は半年以上アクセスしていなかったら、
届いたメールがすべて消えていました。
そういうわけで、この間に届いたメールには返事ができないことをお断りしておきます。
今までの間にたまったコメントは少しずつ読ませていただきます。
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自己紹介 | 18:08:05 | トラックバック(0) | コメント(7)
コメント
聖書は、矛盾の固まり
聖書は、「差異」「重複」「転倒」「矛盾」の固まりです。
ちょっと真剣に読めば、すぐに気が付きます。
読み手が、文盲でない限りは・・・
多くのクリスチャンが、お考えのような単純なものではないでしょう。
イスラエルという民族が、その一切をかけて書き上げたものですから、そう簡単にはいかないでしょうね。
2008-11-01 土 18:40:30 | URL | 道川 勇雄 [編集]
再開ごくろうさまです
久々に来てみたら再開してましたね。再開(再会)を祝して乾杯。
ここは桃栗さんのブログですから、変なコメントはスルーして、どんどんやったらいいですよ。
個人的には、コメントに対する桃栗さんの応答が楽しみです。
2008-11-09 日 03:49:55 | URL | diabolos [編集]
再開おめでとうございます。
応援しています!
2008-11-30 日 00:13:08 | URL | acuo [編集]
ありがとうございます
だからと言って更新のペースが早くなるわけでもないですが。
のんびりとマイペースでやっていますので
気長にお待ちください。
今後、予告なしに半年以上ブログを休むことはないでしょうが、
1年以上更新がない場合は死んだとでも思ってくださいな。
2008-12-01 月 21:37:49 | URL | 桃栗 [編集]
初めまして。
このサイトに来たのは初めてです。

僕はカトリックの幼児洗礼を受けさせられました。
でも祝福とは正反対の、悪と恥の人生でした。

それでこの宗教を憎み、批判したり矛盾だと思うことで「神はいない」とかだってたくさん言ってました。


でも間違えです。矛盾なんてありません。(現在の自分にはわからないことも、まだいっぱいあるけど。)
それから人の考えで何でも答えを出せると思ったら間違えです。
神様はすべて見てますが、人はちょっと目の前のことしか見えません。
考えで出せると思い(この時点で神様の全能性を忘れちゃうのですが。無意識に思い上がりもしています。) ずっと考えると泥沼にはまります。
これは信じることから始まります。
そうやってたら、わからなかったことがわかったりもしたり。

神様はオールマイティです。悪の存在を許していてなお全てを益に出来るし、人に自由意思を与えてますが、人が神様との関係を修復するのを望んでいます。



歯ぎしりして歯茎をむき出しにしながらずっと寝てる僕に声をかけてくれました。
それが三年前で、今も学び途中で、「おかしいよ!」って何度も叫びました(ついこの間も)、加護と愛の鞭があるのは日々の生活で確信してます。
(現在はプロテスタントです。マリアさんを崇敬するのは変と感じてるからのもあるし、信じずに受けさせられた洗礼に意味はありませんから。また、恐怖と強制という気持ちも、信じた後にもずっと残っていたこともあったから 洗礼を受け直すのかもしれませんが)


理論的でもなんでもなく 体験談ですから、疲れさせたらごめんあそあせ~
でも僕は同じようにたくさん批判していた身だから、やっぱりそうやってやるせない気持ちとかやり場のない怒りを感じてる人には、戻ってほしいな。
2009-01-14 水 12:14:16 | URL | 塵虫 [編集]
コメントの書き方について
普通クリスチャンなら聖書の答えは聖書からと考えるでしょう。
実際矛盾していませんよと答えを出すためには、聖書から引用すると思います。
その1語だけを取って、その1巻だけを取って言うのであれば、聖書を知らない人(聖書に関する書籍を読んだ人等)でも十分な文章が書けます。

「矛盾していませんか」という内容であれば、「矛盾していますね」とか「矛盾していませんね」と書くしか方法は無いのでしょうか?

では、クリスチャンの方がコメントする時は、アンケート集計の答えみたいですね^^

クリスチャンの定義についても疑問があるのですで、聖書への疑問や思いの方向性はなんか納得ができます。私にとっては典型的に思えます。

聖書は歴史書では無く、予言書では無く、哲学書でもありません。しかし、クリスチャンでは無い人にとっては、考古学の資料を含む歴史書に類する物であったり、予言の一旦であったり哲学書だったりします。預言では無く予言と思っている段階でお話になりませんが。

信仰は、聖書を実際の出来事として信じるという事では無く、自分自身が信じていると思う事でも無いと思います。

主である神と造られた人との信頼関係です。

聖書を聖書物語として信じるかどうかではありません。聖書を聖書物語として信じられるのは子供がサンタクロースを信じるような物です。大人にいきなりサンタクロースの話を聞かせて信じますか?と言っても無理でしょう。子供にサンタクロースの話をして、信じますか?と聞いたら信じる子がいるでしょう。そのサンタクロースを信じた子供が大人になった時、まだサンタクロースを信じていますか?と聞いた時なんと答えるでしょうね?

主と自分自身との関係ができていない状態がまさにそれだと思います。

主と関係性を持たない、自分の意思、自分の気持ちで信じている信じていないを信仰としている人は多く存在します。ですが、聖書は真理に属さない者には真理が覆い隠されるようにできている物であると断言できます。

私のようなタイプは「長いだけで・・・」の部類に入るのでしょうからコメントはスルーして結構ですよ^^
せっかく続けているブログですし、苦痛になってもいけないので。

「ここが変だよキリスト教」のブログタイトルでは最初に書いたようなクリスチャンの方が顔を出してしまうと思いますけどね。
2010-08-14 土 04:45:05 | URL | MAKO [編集]
Re: コメントの書き方について
> 普通クリスチャンなら聖書の答えは聖書からと考えるでしょう。
> 実際矛盾していませんよと答えを出すためには、聖書から引用すると思います。
> その1語だけを取って、その1巻だけを取って言うのであれば、聖書を知らない人(聖書に関する書籍を読んだ人等)でも十分な文章が書けます。
>
> 「矛盾していませんか」という内容であれば、「矛盾していますね」とか「矛盾していませんね」と書くしか方法は無いのでしょうか?

キリスト教では、聖書にはいかなる間違いも矛盾もないということになっており、
クリスチャンはそれを信じていることになっているのではないですか?
それなら、堂々と「矛盾はありません」と言えるはずです。
それとも、あなたの教会ではなんと教えているのでしょうか?
矛盾しているかどうかも分からない中途半端なことを教えているのでしょうか?
そしてあなたはそんな中途半端なことを「真理」だと信じているのでしょうか?


> 聖書は歴史書では無く、予言書では無く、哲学書でもありません。しかし、クリスチャンでは無い人にとっては、考古学の資料を含む歴史書に類する物であったり、予言の一旦であったり哲学書だったりします。預言では無く予言と思っている段階でお話になりませんが。

???何がおっしゃりたいのでしょうか。
聖書は歴史書でもなく予言書でもなく、哲学書でもなく、
非クリスチャンにとっては歴史書であり予言書であり哲学書とは一体?
結局聖書は何の書物なのですか?


> 信仰は、聖書を実際の出来事として信じるという事では無く、自分自身が信じていると思う事でも無いと思います。
>
> 主である神と造られた人との信頼関係です。
>
> 聖書を聖書物語として信じるかどうかではありません。

では、あなたは聖書を何だと信じているのでしょうか?
事実としてでしょうか? それとも伝説や御伽噺としてでしょうか?
それについては明言を避けましたね。


>聖書を聖書物語として信じられるのは子供がサンタクロースを信じるような物です。大人にいきなりサンタクロースの話を聞かせて信じますか?と言っても無理でしょう。子供にサンタクロースの話をして、信じますか?と聞いたら信じる子がいるでしょう。そのサンタクロースを信じた子供が大人になった時、まだサンタクロースを信じていますか?と聞いた時なんと答えるでしょうね?
>
> 主と自分自身との関係ができていない状態がまさにそれだと思います。

今ひとつ意味が分からないのですが。
「主と自分自身との関係ができていない状態」とは、
「大人になってもサンタを信じるタイプ」のことでしょうか?
それとも「大人になるとサンタを信じなくなるタイプ」でしょうか?
あなたのたとえ話はイエスに負けず劣らず抽象的です。


> 主と関係性を持たない、自分の意思、自分の気持ちで信じている信じていないを信仰としている人は多く存在します。ですが、聖書は真理に属さない者には真理が覆い隠されるようにできている物であると断言できます。

では、あなたが「主と自分自身との関係」ができているのかどうか、
断言していただけますか?


> 私のようなタイプは「長いだけで・・・」の部類に入るのでしょうからコメントはスルーして結構ですよ^^

結局、あなたも私から見れば典型的なクリスチャンでした。
長々と文章を書いていても、
結局のところ肝心な部分については明言を避け、
何をおっしゃりたいのか分かりません。
そういうクリスチャンの習性を世間に知らしめるためにあえてレスをしました。
2010-08-31 火 23:21:29 | URL | 桃栗 [編集]
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