■プロフィール

桃栗

Author:桃栗
このブログでのコメントは承認制です。原則として、書き込まれた順に承認・公開していきますが、承認までお時間をいただきます。★コメントへの返事は割愛させていただく場合がありますが★、寄せられたコメントはすべて目を通しています。初めての方はカテゴリーの中の自己紹介をお読みください。記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。多忙時は一時的にコメントの書き込みを制限する旨をお知らせすることがありますのでご了承ください。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
天国はどんなところ?
キリスト教では、神とキリストを信じて罪を赦された者だけが、
死後、天国に行って神から永遠の命を与えられることになっています。
では、その天国とはどんな場所なのでしょうか?

宗教を持っていない人でも、
漠然と天国はこんなところというイメージを持った人が多いですよね。
なんとなく雲の上にあって、天使が飛び回っていて、
金銀宝石でできた豪華絢爛たる立派な神殿があり
そこに神様が住んでおられる、
と、こんなイメージを持っていませんか?

しかし、最新の新共同訳の聖書には「天国」という言葉は一つもありません。
口語訳聖書では、「天国」が出てくるのは新約聖書のマタイの福音書のみです。
新共同訳ではその箇所は「天の国」という表現になっています。
また、新共同訳、口語訳共に、「神の国」という表現がたくさん出てきます。

天国、天の国、神の国などの言葉が出てくる箇所を私は全て読んだわけではないですが、
罪を赦された者だけが行ける天国そのものに関する具体的な描写が見当たりません。
イエスも、天国の情景については何も語っていません。
それなのに、クリスチャンもそうでない人も、
天国は上に書いたような楽園的なイメージを持っていますよね。
では、それは何に由来するのでしょうか?


私が小学生の頃、教会学校で天国の風景について教わったことがあります。
もちろん、最初に書いたような、楽園のような風景だと教わりました。
その時に同時に教わったのが、聖書にその天国の風景が描かれている箇所です。
なんと、あのヨハネの黙示録です。
聖書の他の書物とあまりにもかけ離れた世界が描かれているため、
聖書の正典に含めるかどうか物議を醸したほどの問題作です。

天国が金銀宝石でできた素晴らしい場所だと描かれているのは、
ヨハネの黙示録21章だと教わりました。
その箇所を抜粋します。

わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
(ヨハネの黙示録21章15~21節)


この箇所に、はっきりと具体的な宝石の名前までが記されています。
では、その金銀宝石でできた天国(都)はどこにあるのでしょうか。
クリスチャンは、なんとなく天国が雲の上にあるイメージを持っていますよね。
しかし、黙示録には正反対のことが書かれています。
おなじく21章からの抜粋です。

更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。 (21章2節)

この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。 ( 21章10節)


どうですか、皆さん。
その金銀宝石でできた都は、地上に下って来たと書かれているのです。
そして、黙示録の21章とその前後を良くお読み下さい。
これが、死後、神によって罪が赦された人が昇って行く天国なのでしょうか。
黙示録にはずいぶんとグロテスクなことが書かれていて、
とても楽園のイメージを感じません。
クリスチャンは本当にこんなところに行きたくて信仰しているのでしょうか。

結局、今までに何度もブログで発言してきたように、
クリスチャンは聖書の中の都合の良い箇所を都合よく解釈し、
それに酔いしれているだけです。
実はちゃんと聖書なんか読んでいないのです。
天国の情景も、聖書の中の都合の良い断片を集めて、
脳内でファンタジックな世界を作り上げているだけです。

ところで、エホバの証人はキリスト教の中では異端とされていますが、
キリスト教とエホバの証人の共通点は、「(正しい神を)信じる者は救われる」です。
しかし、その救われ方の解釈が違うのです。
キリスト教では、死後、罪を赦されたものが天国に行けることになっていますが、
エホバの証人は、黙示録16章に記されているハルマゲドンが起こったのち、
この現生、つまり今私たちが住んでいる地上が楽園になり、
神を信じる者だけが生き残って永遠に暮らせるということになっています。
黙示録を読む限りでは、エホバの証人の解釈の方が合っているように思えます。
ちゃんと都が地上に下りてくると記されていますから。

さて、エホバの証人なんかとは違って自分は正統派だと主張するクリスチャンの皆さん、
自分達が信じていることの根拠が、
聖書のどこにあるかお確かめになってはいかがですか?

にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

新約聖書の疑問 | 22:30:55 | トラックバック(0) | コメント(39)
コメント
パラダイスには
パラダイスにはクリスチャンしか居ない事になります
それこそ真の地獄です
2016-12-07 水 08:19:34 | URL | 司令官 [編集]
Re: パラダイスには
> パラダイスにはクリスチャンしか居ない事になります
> それこそ真の地獄です

上から目線で物を言うクリスチャンの多いこと多いこと。
そんなクリスチャンがたくさんいる天国なんて行きたくありません。
2016-12-07 水 22:17:17 | URL | 桃栗 [編集]
「神の国は、見える形では来ない。」?
お久しぶりにコメントさせていただきます。

>天国が金銀宝石でできた素晴らしい場所だと描かれているのは、
>ヨハネの黙示録21章だと教わりました。
(中略)
>この箇所に、はっきりと具体的な宝石の名前までが記されています。

そう書かれている一方、イエス自身は「神の国」について、
このようなことを語っているんですよね。

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(ルカによる福音書/ 17章 20節~21節)


イエスは「神の国は、見える形では来ない。」と語っているのに、
黙示録で描かれている「聖なる都」の方は、材質に至るまで
バッチリ描写されているのはどういうことなのでしょう。

クリスチャンの方々は、こういう聖書の中にすらある不一致について、
疑問に思わないのでしょうかね。
2016-12-08 木 19:32:46 | URL | ササキエル。 [編集]
ここに天国に行ったクリスチャンの現実が書かれています。
あの世に行ってからキリスト教の教義の間違いに気づくようです。


http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/life-after-death-22.htm
2016-12-10 土 15:01:42 | URL | みろく [編集]
Re: 「神の国は、見える形では来ない。」?
> お久しぶりにコメントさせていただきます。
>
> >天国が金銀宝石でできた素晴らしい場所だと描かれているのは、
> >ヨハネの黙示録21章だと教わりました。
> (中略)
> >この箇所に、はっきりと具体的な宝石の名前までが記されています。
>
> そう書かれている一方、イエス自身は「神の国」について、
> このようなことを語っているんですよね。
>
> ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
> (ルカによる福音書/ 17章 20節~21節)

>
> イエスは「神の国は、見える形では来ない。」と語っているのに、
> 黙示録で描かれている「聖なる都」の方は、材質に至るまで
> バッチリ描写されているのはどういうことなのでしょう。

ササキエルさんの指摘で思い出しましたが、
確か、「天国は目に見えなくて私達の心の中にある」というような話を
教会学校で教わったことを思い出しました。
私は記事の中で、「はっきりと具体的な宝石の名前までが記されて」書きましたが、
それは、潜在意識の中に、その当時の記憶があった表れです。
今思うと、教会学校では先生によって、またその時によって言うことが違うので、
子供心にも混乱したものです。

それから、ある合同集会に参加した時に、
中高年の御婦人方が雑談しているところを見たことがありますが、
あるご婦人は「私は天国にあるのと同じ宝石を全部集めたい」
と嬉しそうに語っていました。
この人も聖書の黙示録なんてろくに読んでいないか、
バイアスがかかっていてそれが天国の描写だと信じていたのでしょう。
まったく滑稽な話です。

> クリスチャンの方々は、こういう聖書の中にすらある不一致について、
> 疑問に思わないのでしょうかね。

それを疑問に思わないほどの頭が単純な人が宗教にはまるのです。
たまたま最初に出会った宗教がキリスト教だっただけのことです。
そういう人たちがもし最初にエホバの証人に出会っていたら、
間違いなくその信者になっていたでしょうし、
それがオウム真理教だったらそれに洗脳されていたでしょう。

「キリスト教はこの世で唯一正しい」などとクリスチャンは言いますが、
一体いくつの宗教を比較したうえで言っているのでしょうか。
たまたま初めて出会った宗教がキリスト教だったくせに。
「私はいくつもの宗教を比較検討してキリスト教が正しいと判断し、
その上で入信する決意をしました」
などと言っている人を一人も見たことがありません。
2016-12-13 火 00:13:39 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> ここに天国に行ったクリスチャンの現実が書かれています。
> あの世に行ってからキリスト教の教義の間違いに気づくようです。
>
>
> http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/life-after-death-22.htm

臨死体験をしたとか死後の世界を見たとか、
そういう話には興味はありません。
2016-12-15 木 00:00:54 | URL | 桃栗 [編集]
言論の自由にもマナーはありますよ!
毎週の日曜日、教会で礼拝を守っているクリスチャンです。メサイアのハレルヤコーラスのことを調べていてこのブログにたどり着きました。

端的に申し上げまして、このブログの作成者さんは、キリスト教に関する常識的な知識を持ち合わせていないにもかかわらず、その浅薄な知識による思い込みで一方的にキリスト教批判をされておられますね。前提としている神学理解、マンガかなにかで学ばれたのでしょうか?「学ぶ」という言葉を用いることにすら抵抗を覚えるような、キリスト教神学の表面をなぞるにも満たない知識です。こういったブログを書いて何かの批判をするなら、最低限のお勉強をされてからの方が良いですね。一般社会で生きていく上で恥をかきますよ笑

少しだけ、基礎的なキリスト教の教義について教えてあげましょう。

「キリスト教では、神とキリストを信じて罪を赦された者だけが、死後、天国に行って神から永遠の命を与えられることになっています。」

当記事から冒頭を引用しました。神とキリストを信じて罪を赦された人が死後に天国へ行く。
これ、聖書のどこに根拠がありますか?そもそも神とキリスト、と仰っていますが、カルトでないキリスト教は三位一体の教義を持っています。聖霊はどこ行っちゃったんでしょうか?笑
恐らく、パウロの信仰義認を聞きかじったのかな?とも思いますが、「罪」とはなんでしょうか?「永遠の命」は?どんな状態が罪赦された、となるんですかね?
スタートから躓いている、という段階じゃないですね。徒競走で言えば、スタートの合図の前に匍匐前進でゴールと反対方向に進んでいるようなもんですよ。でたらめですね。笑

もう眠いのでもう一つだけですが、「天の国」と「神の国」の違い、わかります?これは、それぞらの福音書記者のコンテキストの違いによるものです。福音書の背景にはその福音書を作成した教会が前提とされます。どの時代、どの地域で、どんな人々を対象とした教会であったのか。その違いですよ。そういった、キリスト教に関する初歩的な知識も持っておられないようですね。そもそも、「天国、天の国、神の国などの言葉が出てくる箇所を私は全て読んだわけではないですが」って、ヤバくないですか?その事について何かしら論じよう、それも、批判的な意見を述べようとしておられるんですよね?「わたしは、TPPで何が争点となっているか、そもそも内容自体全然知らないけど反対です!」って言ってるようなもんですよ。「わたしはバカです!」って言うのと同じようなもんです。大丈夫ですか?

その他にも突っ込みどころは満載ですが、いちいち書ききれません。ですが、これだけキリスト教への批判的なイメージを持っておられるのであれば、何か理由があるのでしょう。出会った教会、牧師、信徒に嫌な人がいて、傷つけられたのかもしれません。教会にそういった方がいるのは事実です。だって人間ですから。でも、そのよううな不完全で、欠けの多い人をこそ招くために、キリストは受肉し、人々とともに歩まれ、十字架についてくださったのです。宗教を批判するということは、多くの人が信じている大事なものを批判するという事です。言論の自由はすべての人に担保されています。ただ、批判をされるのでしたら、それなりの準備をしてから、というのが社会人のマナーでしょうね。長文になりましたが、ぜひご一考ください。毎日このブログを覗くことにします。お返事、楽しみにしてますよ。

2016-12-15 木 01:13:59 | URL | 平凡なクリスチャン [編集]
そうなんですか。

私の知識では、天国というのは、そこに居る人たちの意識が反映される世界らしいです。
同じ意識レベルの人たちが集まって生活しており、意識が高いほど美しい世界になるそうです。
上の世界の人が下の世界に降りるのは簡単ですが、下の世界の人が
上に行くには修行が必要らしいです。

最上階にはキリストやブッダが住んでいるといわれています。

天国とは別に、利己的で冷酷な人間が集まった所が地獄と呼ばれる世界です。
2016-12-15 木 14:20:49 | URL | みろく [編集]
Re: タイトルなし
> そうなんですか。
>
> 私の知識では、天国というのは、そこに居る人たちの意識が反映される世界らしいです。
> 同じ意識レベルの人たちが集まって生活しており、意識が高いほど美しい世界になるそうです。
> 上の世界の人が下の世界に降りるのは簡単ですが、下の世界の人が
> 上に行くには修行が必要らしいです。
>
> 最上階にはキリストやブッダが住んでいるといわれています。
>
> 天国とは別に、利己的で冷酷な人間が集まった所が地獄と呼ばれる世界です。

私はやはりそういう話には興味はありませんね。
興味があるのはクリスチャンという生き物がどんな感覚でキリスト教を信じているかです。
2016-12-15 木 23:27:30 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 言論の自由にもマナーはありますよ!
> 毎週の日曜日、教会で礼拝を守っているクリスチャンです。メサイアのハレルヤコーラスのことを調べていてこのブログにたどり着きました。


自己紹介をおよみください。
記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。
2016-12-15 木 23:28:45 | URL | 桃栗 [編集]
天国の解釈については、桃栗さんが教会にいた頃に比べ、若干の変化が生じていると私は思います。
イエス様に「私はあなたがたを全然知らない。」と言われる対象が、
もしかしたら自分たちなのではないか?と、牧師たちに怖れが生じているんです。
聖書をよく読めば、確かにそうなんです。

そうした背景があるので、このテーマを語られることが少なくなってきたと思います。
少なくともあまり強調されなくなった、とは言えます。
2016-12-17 土 13:52:00 | URL | ペンテコスちゃん [編集]
神の国はインマヌエル
久しぶりに拝見しました。
「天国、天の国、神の国」私の理解は平凡なクリスチャンの方と同じです。
黙示録は、当時、迫害されていたため、ストレートに物事を言うことが出来なかったため、象徴的表現で書かれたと、聞いたことがあります。違ったら、ごめんなさい。
何年か前にコメントさせて頂きました。それからもずっと桃栗さんは、神様から離れられないのですね。それだけ、神様が桃栗さんのことをとらえていらっしゃるのではないでしょうか。
今は待降節の時。
(このコメント載るでしょうか?)

2016-12-18 日 21:12:14 | URL | エル [編集]
Re: タイトルなし
> 天国の解釈については、桃栗さんが教会にいた頃に比べ、若干の変化が生じていると私は思います。
> イエス様に「私はあなたがたを全然知らない。」と言われる対象が、
> もしかしたら自分たちなのではないか?と、牧師たちに怖れが生じているんです。
> 聖書をよく読めば、確かにそうなんです。
>
> そうした背景があるので、このテーマを語られることが少なくなってきたと思います。
> 少なくともあまり強調されなくなった、とは言えます。

確かに、天国の情景について教会で教わったのは、
その1回だけしか記憶がありません。
結局、牧師も含めてクリスチャンは天国の情景について、
それぞれに一定のイメージを持っているのでしょうが、
その根拠や由来については関心がないのかもしれません。
特に、牧師さんなど聖職者にとっては触れられたくない箇所かも知れません。

天国の情景だけではなく、クリスマスツリーややイースターエッグなど、
クリスチャンが当たり前だと思っていることの根拠や由来を調べると、
聖書と全然関係ないことが多い、ということに私は関心があります。
2016-12-18 日 23:41:08 | URL | 桃栗 [編集]
え!?
私、教会の神父にも神学者にも「死んだことないから天国がどんなところかわかんない」と共通の答えをもらいましたが、今のプロテスタントは違うのですか!?
それに天の国の理解は「神との完全な一致」でカトリックは共通してるはずですが。えー!?
ていうか、ヨハネの黙示録って暗号文ですよね。もう解読コードもなくなっちゃってるから、エホバとかに都合よく使われて恫喝の道具にされていますけど。
2016-12-19 月 15:59:22 | URL | ぴー [編集]
Re: 神の国はインマヌエル
> 久しぶりに拝見しました。
> 「天国、天の国、神の国」私の理解は平凡なクリスチャンの方と同じです。

平凡なクリスチャンさんの理解って、これのことですか?

>「天の国」と「神の国」の違い、わかります?これは、それぞらの福音書記者のコンテキストの違いによるものです。福音書の背景にはその福音書を作成した教会が前提とされます。どの時代、どの地域で、どんな人々を対象とした教会であったのか。その違いですよ。

これが答えですか?
抽象的な日本語を並べただけでさっぱりわかりません。
一般人には理解不能な難解で抽象的な言葉を長々と並べ立てて、
そして「私は分かってる、でもあなたにはどうせ分からない」という上から目線。
クリスチャンがよくやる相手を「煙に巻く」という手法ですね。


> 黙示録は、当時、迫害されていたため、ストレートに物事を言うことが出来なかったため、象徴的表現で書かれたと、聞いたことがあります。違ったら、ごめんなさい。

皮肉なことに、クリスチャンが書き込めば書き込むほど、
私が日ごろから言い続けていることが証明されてしまいます。
つまり、クリスチャンは聖書の中の都合の良い箇所は文字通り信じるのに、
黙示録という「都合の悪い」書物は文字通り信じないのです。

> 何年か前にコメントさせて頂きました。それからもずっと桃栗さんは、神様から離れられないのですね。それだけ、神様が桃栗さんのことをとらえていらっしゃるのではないでしょうか。

その考え方がまかり通るのなら、
原発に反対している人が多いのは、原発が人々の心を捉えているからですか?
米軍基地に反対している人が多いのは、基地が人々の心を捉えているからですか?
2016-12-19 月 22:25:30 | URL | 桃栗 [編集]
Re: え!?
また私が日ごろから言っていることを裏付けるコメントが来ました。

> 私、教会の神父にも神学者にも「死んだことないから天国がどんなところかわかんない」と共通の答えをもらいましたが、今のプロテスタントは違うのですか!?
> それに天の国の理解は「神との完全な一致」でカトリックは共通してるはずですが。えー!?

キリスト教は大小様々な宗派、教派、教団、教会に分裂し、
それぞれが聖書や教義の解釈が異なり、
さらに、それぞれが自分たちの解釈ことが正しいと信じているのが特徴です。
今までに何度もこのことはブログで取り上げてきました。
この方のコメントも私の発言を裏付けるものとなりました。

> ていうか、ヨハネの黙示録って暗号文ですよね。もう解読コードもなくなっちゃってるから、

こちらも私の日ごろからの主張を裏付けるものです。
キリスト教は、聖書の都合の良い箇所はそのまま文字通り信じるのに、
都合の悪い箇所は例えだの比喩だの言い訳をして、文字通り信じようとしません。
そもそも、黙示録は暗号文だと誰が言ったのでしょうか?
エホバの神ですか? イエスですか? 聖霊ですか? パウロですか?

> エホバとかに都合よく使われて恫喝の道具にされていますけど。

プロテスタントの方こそ、この聖句を都合よく使って恫喝の道具にしていますが。

罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
ローマの信徒への手紙/ 06章 23節

プロテスタントはこの言葉を使って信者に罪の意識を刷り込み、
ひたすら懺悔と献金をさせるように仕向けるのです。
カトリックは違うのでしょうか。
そう言えばカトリックは何を根拠にマリアを崇拝しているのでしょうね。
聖書のどこに「聖母」という言葉があるのでしょう。
カトリックの聖書には書いてあるのでしょうか。
2016-12-20 火 23:00:02 | URL | 桃栗 [編集]
天国
私は疑問を問いかけたのであって、喧嘩を求めたのではないのですがね。知ってる範囲でお答えしないとお話し相手にもしてくれないようです。いったいどんな偏屈な牧師に影響されたんでしょ。一つ宗派として心当たりがありますがそれはまあおいといて。

しかしおかしいですね。常日頃から海外サイトを回ってまで保守派に喧嘩を売ってるのに、マリア崇敬という言葉もお忘れとは。以前それはカトリック者の言い訳だなんだと仰ってましたが、祈りの文くらいご存知なのでは? あれはどこにもマリアが女神か何かのように書かれてはいないと思いますが。
まあ、桃栗さまが、わずか中学一年生で妊娠する羽目になってしかもそれを承諾すれば一族郎党社会的抹殺を意味すると理解しながら覚悟を決め、子供が生まれりゃやれ知らない爺や婆から不吉な予言という名の嫌がらせ受けて産んだその日に難民になって、成長してからは息子がキティだのゲイだのと責め立てられ、おまけに自分の息子を見棄てた男を赦し老後を任せる、なーんてことが簡単に出来るなら、確かにマリアはただのふしだらな女ですね。
苦境の中で励まして欲しいなんて甘えは見せますまい。

聖書の中身についてはよくご存知なのに、その外側はお調べにならないのですか?
聖書はまだカトリックと名前がつくまえのチビ団体が作ったアンソロ本であって、第一教皇は公会議は勿論、公の場で聖書の内容には言及されてなかったはずです。丁度研究で探してるので、あるなら教えて欲しいですね。まあ作ったカトリック(この際オーソドックスでもいいですけど)が聖書の解釈は確かに自由にやっていいとは言ってますし、宝石は女性のロマンですからねえ。うんうん、欲に忠実なのは人間として好感が持てます。

で、桃栗さまはその聖書や聖句を書いた人間や書かれた状況を考察されず、私が穏やかに話をしたいという願望も切り捨て、私の話を利用しようとなさるのですか? それって、桃栗さまがこのブログで扱き下ろしている自称クリスチャンとどう違うんですか?
私はただ、驚いただけなんですけどね。それが何故そんなに癪に障ったのですか? 帰ってきた時にちらりと申しましたように、私は年齢と信仰を理由に教会を追い出されて個人の口座にも行かせなかつたような子供です。桃栗さまは老害ではございませんでしょう。桃栗さまは一度私をクリスチャンと疑ったから、私がさもキリスト教の味方をしているかのように思われるので?
本当にキリスト教を愛しているなら、私のように聖書の登場人物で源氏物語パロディなんて書きませんし、それを理由に追い出されたりしないでしょう。
2017-01-04 水 20:55:35 | URL | 明けましておめでとうございます [編集]
Re: 天国
> 私は疑問を問いかけたのであって、喧嘩を求めたのではないのですがね。知ってる範囲でお答えしないとお話し相手にもしてくれないようです。いったいどんな偏屈な牧師に影響されたんでしょ。一つ宗派として心当たりがありますがそれはまあおいといて。

自己紹介を良くお読み下さい。
「記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。」
記事と関係のないコメントを書き込まれて話が脱線し、
収拾が付かなくなったことが過去に何度もありますので。
コメントを下さるならその記事に関係のあるコメントをお願いします。
2017-01-12 木 22:29:39 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 天国ってどんなところ
> はじめまして。失礼ながら匿名とさせていただきます。私も両親がクリスチャンでしたので、幼少の頃日曜学校に通ってました。その後社会人になり現在に至るまでキリスト教との関係はありませんでしたが、父も母も無くなった後にキリスト教とはどういうものなのか、又今回のブログのタイトルにあるように天国とはどういうところなのかと興味がわきました。そんな中自分なりに他の宗教はどのような考え方をしているのかと調べてみました。仏教は極楽、いわゆる無の境地に至り解脱するという事で、全ての苦から解放されるとのこと、しかしこれも同じく抽象的ではっきりどのようなところなのだろうかと思いました。日本神道(神社)は、他の宗教のような経典は無く、自然から学び感謝し先祖を大切にする、他の宗教のようにこうしなければならないとか、何々をどのようにすれば天国に行けるという事は一切言っていません。

私の考えに通じるものを感じます。
私は、日本人にとっての仏教や神道は、
宗教というよりもむしろ文化、習慣、風習と考えています。
宗教と文化・習慣・風習の違いを定義するのは難しいですが、
私が考えるその違いは、一つには人工的か自然発生的かということ。
他には、経典があるかないかの違いです。
「仏教にはお経があるじゃないか」という反論があるかもしれませんが、
クリスチャンが聖書を読むように、日常的にお経を読む日本人がどれほどいるでしょう。
また、宗教はああしなさいこうしなさいとうるさいですね。


> 又元有名俳優であったT,H氏によれば天国と言うところはその人その人が望むようなところ、その人にとって一番心地よいところと言っていたことを思い出します。キリスト教が言っている天国と称しているところははたして万人にとって天国なのかどうなのかは解らないと言うことだけは言えると自分は思いました。長文となってしまいましたが是非ご意見をお聞かせいただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

私の思うに、天国というのは現実逃避の場です。
人間なら誰でも永遠に生きていたいと思いますよね。
しかし、それは不可能なのが分かっているから、
「この世で死んでもあの世で生きていける」と現実逃避するのです。
また、身近な人を失うと悲しいですよね。
その悲しさを和らげるために「天国」という場を想像し、
「あの人は死んだけど、あの世で生きている」と信じて悲しみを和らげるのです。
別に、現実逃避することは悪いことではありません。
むしろ、この世の辛さ、苦しみなどを和らげるために必要な場です。
ただし、クリスチャンの場合は、
まるで自分たちが特権階級にでもなったかのように、
自分たちが天国に行けることをひけらかし、
神を信じない=天国に行けない人たちを見下すのが不愉快なのです。
そういう風に言うと、決まってクリスチャンからこういう類の反論があります。

「そういうクリスチャンは本当のクリスチャンじゃない」
「そういう信仰は正しい信仰じゃない」
「本当のクリスチャンならそんなことは言わない」

クリスチャンは、何か自分たちに都合の悪いことが言われると、
それは正しいキリスト教じゃない、それは本当のクリスチャンじゃないなど、
言い訳ばかりして自分たちの正当性を主張します。
では、正しいキリスト教って何ですか?
本当のクリスチャンってどんなクリスチャンですか?
正しい信仰ってどんな信仰ですか?
クリスチャンが言う「本当」とか「正しい」ってどういう意味なのでしょう。
結局、それぞれに自分の判断基準こそが正しいと信じて疑わないのです。
この記事に書いた通りです。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-198.html
2017-01-13 金 23:22:01 | URL | 桃栗 [編集]
返信ありがとうございます
 ご丁寧な返信ありがとうございます。
 
 キリスト教をはじめ各宗教への疑問について感じている事がとても近いと思い、他の記事を読まさせていただいておりますのでよろしくお願いいたします。
2017-01-14 土 07:48:41 | URL | しげ [編集]
あれま
話を逸らせたのはそちらの方でしょう。私はこの話について、そんな意見をカトリックで聞いたことがない、その理由として黙示録などをあげましたが、桃栗さまは「ほーら私の言った通りでしょ」と、私の疑問をスルーされたではありませんか? それに関して私が指摘すると誘導ですか? まるで私に関して特別な敵意かなにか持ってるかのような怯え方ではありませんか? いちいち確認して返信していらっしゃるのですから、他の人も自分に賛同してくれない方は総じてゲストブック行きではなく、ひとつひとつ丁寧にお相手してさしあげては?
2017-01-21 土 00:20:37 | URL | ぴー [編集]
Re: 返信ありがとうございます
>  ご丁寧な返信ありがとうございます。
>  
>  キリスト教をはじめ各宗教への疑問について感じている事がとても近いと思い、他の記事を読まさせていただいておりますのでよろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願いします
2017-01-23 月 23:20:43 | URL | 桃栗 [編集]
Re: あれま
> 話を逸らせたのはそちらの方でしょう。

私がいつ、「貴方が話を逸らせた」と批判しましたか?
勝手に話を捏造して人を批判するのはおやめください。
私がそう発言したならその箇所を一字一句変えないで引用してください。

> 私はこの話について、そんな意見をカトリックで聞いたことがない、その理由として黙示録などをあげましたが、桃栗さまは「ほーら私の言った通りでしょ」と、私の疑問をスルーされたではありませんか?

私は貴方の短いコメントの3倍もの字数を割いてレスをしたのに、
それを「スルーされた」と言われる筋合いはりません。
そう言う貴方の方こそ私の質問をスルーしないでください。

そもそも、黙示録は暗号文だと誰が言ったのでしょうか?
エホバの神ですか? イエスですか? 聖霊ですか? パウロですか?



> それに関して私が指摘すると誘導ですか?

私は「誘導」という言葉は一切発していませんが。
勝手に人の話を捏造して批判しないでください。
クリスチャンの性格は韓国人に似ていると常々思います。

> まるで私に関して特別な敵意かなにか持ってるかのような怯え方ではありませんか? いちいち確認して返信していらっしゃるのですから、他の人も自分に賛同してくれない方は総じてゲストブック行きではなく、ひとつひとつ丁寧にお相手してさしあげては?

このブログを始めた当初はコメントは承認制ではなく、
コメントにも一つ一つレスをしていました。
ところが、記事に関係のない感情的な書き込みが多く、
それにいちいちレスをしているとさらに話が脱線して収拾が付かないので、
記事に関係ないコメントはご遠慮いただくように明記しました。
記事に関係あるコメントなら反論に対してもちゃんとレスしています。
2017-01-24 火 21:59:42 | URL | 桃栗 [編集]
大分話が逸れてるので
ここは深呼吸して落ち着いてゲストブックで続きをされてはいかがですか。
2017-01-25 水 09:45:09 | URL | kusozaru [編集]
Re: 大分話が逸れてるので
> ここは深呼吸して落ち着いてゲストブックで続きをされてはいかがですか。

その前に、ぴーさんにはこの質問に答えてもらいましょう。

そもそも、黙示録は暗号文だと誰が言ったのでしょうか?
エホバの神ですか? イエスですか? 聖霊ですか? パウロですか?
2017-01-25 水 22:59:11 | URL | 桃栗 [編集]
あれま
こちらにレスがついていたのですね。気がつきませんでした。

ヨハネが歴史書である(=励ましの暗号)とする立場→文学類型説を唱える人。私の周りで一番説得力がある。
聖書を作った人→後のカトリック。
聖書が絶対でない理由→聖書はイエスが書いたものではない。聖書はイエスの存命中、或いは復活後すぐではなく、細部には問題がある(最古の福音書はAD60年頃のマルコ)。聖書は全てを書いていない(ヨハネ福音書最後より)。聖書はギリシャ・ローマの強い影響下で編纂されている。(=写本の言語の偏り)
まだまだありますが、九戸レベルならこれくらいでいいでしょう。
2017-02-05 日 07:39:49 | URL | ぴー [編集]
Re: あれま
> こちらにレスがついていたのですね。気がつきませんでした。
>
> ヨハネが歴史書である(=励ましの暗号)とする立場→文学類型説を唱える人。私の周りで一番説得力がある。
> 聖書を作った人→後のカトリック。
> 聖書が絶対でない理由→聖書はイエスが書いたものではない。聖書はイエスの存命中、或いは復活後すぐではなく、細部には問題がある(最古の福音書はAD60年頃のマルコ)。聖書は全てを書いていない(ヨハネ福音書最後より)。聖書はギリシャ・ローマの強い影響下で編纂されている。(=写本の言語の偏り)
> まだまだありますが、九戸レベルならこれくらいでいいでしょう。

結局、クリスチャンは聖書の中の都合の良い箇所は文字通り信じるのに、
都合が悪い箇所は「聖書は絶対でないから」と言って逃げるのですね。
これで私の主張がまた裏付けられました。
2017-02-10 金 22:28:23 | URL | 桃栗 [編集]
利用しないでくれます?
何度も申し上げますけど、私は神学と宗教学の立場からものを言っていません。だから出典の教派はどこか、と尋ねたのですよ。逐語霊感説にしたって、教派により違いに特徴がありますからね。
それから私をあの教会の老害どもと一緒にしないでくれます? 桃栗さまはご自分の脚でネタを仕入れるジャーナリズム精神がありましょうに、貴方は私をクリスチャンと言って決めつけ、その立場からしかものを言いませんよね。それこそ、キリスト教に関わりのある人からは自分の主張の都合がいいところしかつつかない。
やってることはあなたの嫌うクリスチャンより質が悪いですよ。( ´-ω-)y‐┛~~
2017-02-11 土 11:44:53 | URL | ぴー [編集]
Re: 利用しないでくれます?
> 何度も申し上げますけど、私は神学と宗教学の立場からものを言っていません。

いつ「私(ぴー)は神学と宗教学の立場からものを言っていない」と言いました?
自分の話まで捏造なさるのですね。
深呼吸して落ち着いてみてはいかがですか。
そして、記事に基づいた発言をお願いします。
2017-02-20 月 00:08:55 | URL | 桃栗 [編集]
はぁ(ーдー)
ご自身の返信を冷静になって見てみては如何ですか? それとも書かれた言葉だけが全てなのですか? 論証の道具も答えない割には、出典を気になさるとは可笑しなお方だ。
桃栗さまは私が色々な神学や宗教学の立場からものを言っても、「そのように聖書のどこに書いてありますか」とか「そのように解釈するように誰が言ったのですか」とか、屁理屈ばかり仰有る。それで私が、どこどこ神学の立場だ、と答えますと、「結局~」と、それ以上の議論を放置なさる。ご自身の知らない知識や観点を怖れておられるのか、それとも知的に関心がなく、ただ黙って暴言を受け止めなければならないことを良いことに、言いたい放題言うクセがついてるのか…。
うちの神学講座では度々こちらのサイトに遊びに来るものがおりますが、彼らが「その議題にはこの論が合うだろう」と色々提案しても、やはり「結局~」とか「私の主張が裏付けられました」と、やはり放棄なさる。
まさか、自覚がないほど盲目的にキリスト教と名のつくものに戦争狂になってるわけでもありますまいに、少しでも情が入り込めば「ゲストブックへ」とやはり逃避なさる。
聖書しか興味も攻撃もしないから、私が天国に関する論を持ってきても答えられないのでしょう。
2017-02-20 月 10:48:42 | URL | ぴー [編集]
はじめまして。
自分がキリスト教に知識がが無さすぎるが故に理解ができないのかと、あちこち見ているうちに桃栗さんに辿り着きました。
まだ全て目を通せていませんが、あまりに共感すべき点が多く、こういうところで初めてコメントさせていただきます。
結婚して17年。夫の実家はエホバの証人です。夫は幼少期に自らの意思で脱会?しましたので無宗教なのですが、実家の事は結婚してから知りました。内緒にされてことにまず不信感。

そしてハルマゲドン。要は信じた者だけが救われるということなのですね。
隣人愛だったり慈愛の心だったりと言いますが、信じない人は一緒には救わないということでしょうか。どんなに真っ当に、犯罪も犯さず、社会に貢献し、人に優しく自分に厳しくと生きてきても神はお許しにならないという事でしょうか。
それが神様のなさる事なのでしょうか。

そして献血。
義母は、これは医学的にも実証されてると言いますが…
自分の目の前で血をだらだらと流し、瀕死の状態の実の子どもでも、本当にあの人達は見捨てるのでしょうか?
お母さん、助けて…と訴える息子に神の与えた罰だとでも言うのでしょうか。
そのあたり、ハッキリした答えを教えてもらえないまま、モヤモヤと17年過ごしてきました。
子どもが小さい時に、勝手に集会に連れていかれ夫が激怒した事から、我が家にはあまりゴリ押しはしてきませんが…。

自分達の考えを信じるのはとても良いことだと思いますが、桃栗さんがおっしゃるように他宗教を全く受け入れない思想が本当に怖いです。
小さい頃から積極的に集会に参加させ、発言の場を与えなさいと言うのも洗脳しろと言われているようにしか思えません。
義父母は、義弟(エホバ)の子どもを、小さい時から集会に参加してるから物怖じしない子と褒めて可愛がりますが、学校の友達はあまりいないようです。

キリスト教の方々からは、聖書読んで理解してから出直せと叱られそうですが、自分達の都合の良いようにこじ付けてどんな風にでも解釈できてしまう聖書と言うものにハマってしまったらと思うと怖くて踏み込めません。
1つの読み物と割り切ってしまえば良いのでしょうが…。

最後に、桃栗さんのおっしゃるテーマとはかけ離れたコメントで申し訳ありません。
さらに文章力もなく幼稚な文章で失礼いたしました。

決してエホバの方々を否定するという訳ではありません。もうちょっとわかりやすく、理論的に説明していただければ、社会的にもっと理解が得られるのになぁ…と残念に思います。
2017-02-20 月 23:16:40 | URL | 無知ですみません [編集]
Re: はぁ(ーдー)
> ご自身の返信を冷静になって見てみては如何ですか? それとも書かれた言葉だけが全てなのですか? 論証の道具も答えない割には、出典を気になさるとは可笑しなお方だ。

ですから、くどいほど書いているように、
キリスト教は聖書が経典という建前になっているのに、
実際はそれぞれの宗派でそれぞれに都合の良い解釈をして、
その結果、様々な宗派に分裂してきたわけです。
さらに、それぞれの宗派が、自分たちの解釈こそ正当だと信じて疑わない。
そう、まさに貴方のように。
解釈の違う「正統派キリスト教」が世界に多数存在するのはそのせいです。


> 桃栗さまは私が色々な神学や宗教学の立場からものを言っても、「そのように聖書のどこに書いてありますか」とか「そのように解釈するように誰が言ったのですか」とか、屁理屈ばかり仰有る。それで私が、どこどこ神学の立場だ、と答えますと、「結局~」と、それ以上の議論を放置なさる。ご自身の知らない知識や観点を怖れておられるのか、それとも知的に関心がなく、ただ黙って暴言を受け止めなければならないことを良いことに、言いたい放題言うクセがついてるのか…。
> うちの神学講座では度々こちらのサイトに遊びに来るものがおりますが、彼らが「その議題にはこの論が合うだろう」と色々提案しても、やはり「結局~」とか「私の主張が裏付けられました」と、やはり放棄なさる。

放棄しているのはどちらでしょうか。
私が書いた記事に真っ向から向かってくる気などさらさらなく、
記事の論点からずれたコメントばかりする人のなんと多いこと。

> まさか、自覚がないほど盲目的にキリスト教と名のつくものに戦争狂になってるわけでもありますまいに、少しでも情が入り込めば「ゲストブックへ」とやはり逃避なさる。

「少しでも情が入る」とは?
「平凡なクリスチャン」のコメントをご覧ください。
情が少しどころか極端に感情が爆発した脈絡のないコメント。
「明けましておめでとうございます」のコメントも何のことやらさっぱりわかりません。
「私」って誰ですか?
ハンドルネームぐらい固定してくれないと誰のことやらさっぱりわかりません。
しかも、記事の主旨には全くないコメント。
だから「公約通り」、私はレスをしなかったのです。
それがいけませんか?


> 聖書しか興味も攻撃もしないから、私が天国に関する論を持ってきても答えられないのでしょう。

「論」とおっしゃるならその根拠を示してください。
結局、貴方の「論」によれば、聖書は完全な書物ではないから、
後世の人間が都合よく解釈したものが「正統派」ということでしょう?
そうやって個々に自分たちの解釈が正しいと信じて疑わないから、
世界中には「解釈の異なる正統派キリスト教」が無数に存在するのですよ。
はい、論破。

2017-02-28 火 23:01:25 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> はじめまして。
> 自分がキリスト教に知識がが無さすぎるが故に理解ができないのかと、あちこち見ているうちに桃栗さんに辿り着きました。
> まだ全て目を通せていませんが、あまりに共感すべき点が多く、こういうところで初めてコメントさせていただきます。
> 結婚して17年。夫の実家はエホバの証人です。夫は幼少期に自らの意思で脱会?しましたので無宗教なのですが、実家の事は結婚してから知りました。内緒にされてことにまず不信感。
>
> そしてハルマゲドン。要は信じた者だけが救われるということなのですね。

エホバの証人の特徴の一つは、ハルマゲドンを重要視していることです。
キリスト教では私の知る限りほとんど重要視されません。
意図的にその部分に触れないようにしているのではないかと思えるほどです。
キリスト教には都合の悪い教義なのでしょう。

> 隣人愛だったり慈愛の心だったりと言いますが、信じない人は一緒には救わないということでしょうか。どんなに真っ当に、犯罪も犯さず、社会に貢献し、人に優しく自分に厳しくと生きてきても神はお許しにならないという事でしょうか。
> それが神様のなさる事なのでしょうか。

キリスト教の世界ではそうなっています。
どんなに善人でも、神を信じていない人は天国に行けないことになっています。
逆に、悪人でも神を信じて懺悔すれば罪が赦されて天国へ行けることになっています。

> そして献血。
> 義母は、これは医学的にも実証されてると言いますが…
> 自分の目の前で血をだらだらと流し、瀕死の状態の実の子どもでも、本当にあの人達は見捨てるのでしょうか?

実際、それに近い新聞記事を見たことがあります。
本人ではなく、家族が輸血を拒否して本人が亡くなったという内容でした。


> お母さん、助けて…と訴える息子に神の与えた罰だとでも言うのでしょうか。
> そのあたり、ハッキリした答えを教えてもらえないまま、モヤモヤと17年過ごしてきました。
> 子どもが小さい時に、勝手に集会に連れていかれ夫が激怒した事から、我が家にはあまりゴリ押しはしてきませんが…。
>
> 自分達の考えを信じるのはとても良いことだと思いますが、桃栗さんがおっしゃるように他宗教を全く受け入れない思想が本当に怖いです。
> 小さい頃から積極的に集会に参加させ、発言の場を与えなさいと言うのも洗脳しろと言われているようにしか思えません。
> 義父母は、義弟(エホバ)の子どもを、小さい時から集会に参加してるから物怖じしない子と褒めて可愛がりますが、学校の友達はあまりいないようです。

私の幼少時に通じるものがあります。
神に対して否定的なことを言ったり考えたり、
聖書を疑ったり疑問を持ったりすることさえ罪だと信じていました。


> キリスト教の方々からは、聖書読んで理解してから出直せと叱られそうですが、自分達の都合の良いようにこじ付けてどんな風にでも解釈できてしまう聖書と言うものにハマってしまったらと思うと怖くて踏み込めません。
> 1つの読み物と割り切ってしまえば良いのでしょうが…。

まさにこれですよ。
クリスチャンはキリスト教の正統性を裏付けたいがために、
聖書は2000年以上も信じられ続けてきたと言いますが、
私に言わせれば、聖書は信じ続けられてきたのではなく、
都合よく利用され続けてきたのです。

> 最後に、桃栗さんのおっしゃるテーマとはかけ離れたコメントで申し訳ありません。
> さらに文章力もなく幼稚な文章で失礼いたしました。
>
> 決してエホバの方々を否定するという訳ではありません。もうちょっとわかりやすく、理論的に説明していただければ、社会的にもっと理解が得られるのになぁ…と残念に思います。

私も、別の意味でエホバの証人を完全否定まではしていません。
キリスト教の比較対象としては興味深いものがありますので。
2017-04-05 水 23:15:42 | URL | 桃栗 [編集]
天国も地獄も、物質的に言えばこの地の裏の世界であって、それが同時に天にも投影されているのです。
人によっては今いるこの地が天国であり、地獄であるでしょう。
つまり、天国も地獄も精神的で相対的なものです。

この世界にも、裏の世界にも、物質的存在がありますが、通常直接接触することはできません。
どちらの世界にも精神的な神と悪魔と人と獣が共存しています。それは一人の人間の中にも共存しています。
桃栗さんが今天国に否定的なイメージを持つなら、桃栗さんにとってはこちら側が天国に近い地上だということです。

天国は直接地獄に通じています。
この地を支配して楽園を実現しようとすれば、それはたちまち地獄に転じます。
私は冥界を彷徨い危うく地獄へ落ち着きかけた時、地獄で悪魔になることで、また地獄の友人に助けられて、地上へ戻ることができました。

我々の知る神々はまだ、表と裏の世界が調和して唯一絶対の楽園を実現する方法を知りません。
神は人と獣と協力し合い、時には自ら悪魔になることでそれを探しています。
今のところ全知全能の神は、ある限られた条件の下でしか存在しません。つまり、全人類、あるいはこの世界を統べる直接の神は全知全能ではありません。
2017-06-01 木 11:22:32 | URL | 名前を入れてください [編集]
6月4日は聖霊降臨日
> 久しぶりに拝見しました。
> 「天国、天の国、神の国」私の理解は平凡なクリスチャンの方と同じです。

平凡なクリスチャンさんの理解って、これのことですか?

>「天の国」と「神の国」の違い、わかります?これは、それぞらの福音書記者のコンテキストの違いによるものです。福音書の背景にはその福音書を作成した教会が前提とされます。どの時代、どの地域で、どんな人々を対象とした教会であったのか。その違いですよ。

これが答えですか?
抽象的な日本語を並べただけでさっぱりわかりません。
一般人には理解不能な難解で抽象的な言葉を長々と並べ立てて、

≫私には「抽象的な日本語を並べただけ」「一般的には理解不能な難解で抽象的な言葉を並べ立てて」とは思いませんし、聖書を理解するには、まず書かれた時代背景を理解することが大事だと思っています。

そして「私は分かってる、でもあなたにはどうせ分からない」という上から目線。
クリスチャンがよくやる相手を「煙に巻く」という手法ですね。

> 黙示録は、当時、迫害されていたため、ストレートに物事を言うことが出来なかったため、象徴的表現で書かれたと、聞いたことがあります。違ったら、ごめんなさい。

皮肉なことに、クリスチャンが書き込めば書き込むほど、
私が日ごろから言い続けていることが証明されてしまいます。
つまり、クリスチャンは聖書の中の都合の良い箇所は文字通り信じるのに、
黙示録という「都合の悪い」書物は文字通り信じないのです。

≫これも黙示録が書かれた時代背景を知ることが大事だと思います。そして書かれていることが何を指し示しているかということを理解しようとしないと解らないのだと思います。そういう私も理解しているわけではありませんが、
「見よ、わたしはすぐに来る。この預言の言葉を守る者は、幸いである。」
「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者、初めであり、終わりである。」
「然り、わたしはすぐに来る。」(黙示録22章)

これらの言葉を信じています。と言っても、黙示録が書かれてからすでに2000年近く経ってしまいましたが、46億年前に地球(宇宙なら138億年)が出来た時からいらしているイエス様なら、2000年なんてあっという間の時間だと思い、気長に待っています。「初めであり、終わりである」は地球(宇宙でも良いのですが)が出来た初めの時から、地球(宇宙)が終わるその時に来ると、私は理解しています。
また、人の一生の初めと終わりにも当てはまると、牧師は言っておりました。

「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。」 (エレミヤ1:2) にあるように、
神によって人は造られていると思っているからです。

> 何年か前にコメントさせて頂きました。それからもずっと桃栗さんは、神様から離れられないのですね。それだけ、神様が桃栗さんのことをとらえていらっしゃるのではないでしょうか。

その考え方がまかり通るのなら、
原発に反対している人が多いのは、原発が人々の心を捉えているからですか?
米軍基地に反対している人が多いのは、基地が人々の心を捉えているからですか?

≫私がここで言っているのは、神と人との関係においてです。イエスは政治的なこと、この世のことについては問題にしていません。あくまでも神と人とがどのような関係になるのが良いのかと言っています。
「わたしの国はこの世に属していない」 (ヨハネ18:36) とありますから。
聖書でいう「罪」は、神から離れている状態を罪と言っています。神から離れていた人が、神のもとに来た時に「あなたの罪は赦された」と言っています。放蕩息子が父(神)のもとに帰ってきたように。
ただ、人が神を信じるようになるには聖霊の働きが大事なのでしょう。聖霊降臨日=ペンテコステがあるように。

私の両親はクリスチャンではなく、お寺、神社にお参りに行く者です。しかし、その両親も神が造られた者と思えば、神に愛されている者と思えます。ただ、聖霊が働かず、日本古来のものの中にいるだけのことと思います。
日本にキリスト教が伝わるまでは、神道、仏教しかなかったのですから致し方ありません。

「あなたの慈しみに生きる人にあなたは慈しみを示し、
無垢な人には無垢に 清い人には清くふるまい 
心の曲がった者には背を向けられる」 (詩編18編:26)

「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。」 (ヤコブ1:19~20)

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。」 (ヨハネ14:16~17)

キリスト教のこと、クリスチャンの心持ちを知りたいのなら、カトリックの総本山、バチカンのローマ法王にお聞きになるのが良いのではないかとも思いますが、直接聞くことは難しいので、ローマ法王が出されている書物をお読みになるのが良いのではないでしょうか。また、日本でも信仰の先達がたくさんいますから、それらの方の本を読まれて、思考回路をお知りになるのが良いのではないかと思います。私らなどのペーペーの信者の心持ちなどお知りになっても納得されないでしょうから。高山右近、二十六聖人、内村鑑三、椎名麟三、植村正久、遠藤周作、三浦綾子、星野富弘、水野源三、他にもたくさんいます。

「インマヌエル=神は我々と共におられる」 (マタイ1:23) これが、天国と思います。
2017-06-05 月 00:59:45 | URL | エル [編集]
Re: 6月4日は聖霊降臨日
> 「インマヌエル=神は我々と共におられる」 (マタイ1:23) これが、天国と思います。

それで、神が我々と主におられるから、だから何なのですか?
日本に原爆が落とされたときも、津波にのみ込まれたときも、
神が我々と共にいたのなら、神は何をしていたのでしょうか?
ただそばにいて見ていただけでしょうか。
我々と共にいたのに何もしてくれないなら、それは「いない」のと全く同じです。
2017-06-16 金 00:10:54 | URL | 桃栗 [編集]
聖霊が働いてるとか働いてないとか誰がどういう根拠で決めてるんですかね。僕には自分の教義理解と違う考えを聖霊が働いてないといってるようにしか思えないですよ。そんなに簡単に聖霊を使っていいんですかね?三位一体神様の内の一つなのにね。
2017-06-16 金 09:38:24 | URL | 猫好き [編集]
Re: タイトルなし
> 聖霊が働いてるとか働いてないとか誰がどういう根拠で決めてるんですかね。

以前も記事に書きましたが、
クリスチャンは自分が神様になったつもりで発言しているのです。
やれ正統派だの伝統派だの、別に神様から認可をもらったわけでもないのに、
自分達自身が正当か異端かの判定をしているのです。

> 僕には自分の教義理解と違う考えを聖霊が働いてないといってるようにしか思えないですよ。そんなに簡単に聖霊を使っていいんですかね?三位一体神様の内の一つなのにね。

まったくその通りですよ。
神の名をみだりに唱えてはならないと十戒に書かれているのに、
三位一体の神?であるはずのイエスや聖霊の名を唱えるのは矛盾しています。
クリスチャンを観察していると矛盾点がたくさん見えて面白いですね。
2017-06-26 月 21:44:15 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 聖霊が働いてるとか働いてないとか誰がどういう根拠で決めてるんですかね。僕には自分の教義理解と違う考えを聖霊が働いてないといってるようにしか思えないですよ。そんなに簡単に聖霊を使っていいんですかね?三位一体神様の内の一つなのにね。

まったくその通りですよ。
聖霊の働きがあったとか、神の御業があったとか、イエスの助けがあったとか、
結局はクリスチャンの都合の良い時だけ「働いている」ことになっているのです。
「神の御計画」もそうです。
自分達の都合の良い時だけ「神の御計画」にしてしまうのです。
都合が悪い時には「神の御心は私たちには分からない」などと言ってごまかします。
2017-07-18 火 21:38:47 | URL | 桃栗 [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。