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桃栗

Author:桃栗
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実は日本の宗教の影響も受けているキリスト教
言うまでもなくキリスト教は一神教ですから、
他の宗教は一切認めないことになっています。
しかし、前回の記事に書いた通り、クリスマスは他宗教のお祭りに由来しています。
それが、長い月日の間に無意識のうちにキリスト教に取り入れられたのです。
そして、実は日本のキリスト教も、
無意識に日本の宗教の影響を受けていることに
クリスチャンは気付いているでしょうか?


1月1日と言えば、日本人はこぞって神社に初詣に行きますよね。
普段、宗教とは全く無縁の生活を送る日本人も、
元日だけは初詣に行くという人が非常に多いです。
そしてもちろん、キリスト教信者は基本的に初詣には行きません。
個人的に観光目的で行く人はいるでしょうが、
キリスト教では、行事として他宗教の神社にお参りする習慣はもちろん全くありません。
しかし、日本のキリスト教も、実は元日にある行事をする習慣があります。
そう、それは「元日礼拝」です。

聖書には、別に元日には神を賛美せよなどという記述はありません。
もちろんイエスもそんなことは全く言っていません。
では、なぜ日本の教会は元日礼拝を行うのでしょうか?
答えは簡単。
日本人として、元日に何もしないのは物足りないからです。
だから、元日礼拝と称して日本の初詣のまねごとをするのです。
こうして、無意識のうちに日本のキリスト教は日本の宗教の影響を受けているのです。

もう一つ、日本のキリスト教のお葬式も日本の宗教の影響を受けています。
私の知る限り、日本のキリスト教の葬儀にも通夜があります。
もちろん、聖書には葬儀の前夜に通夜をせよなどという記述はありません。
これも、無意識に日本の風習がキリスト教に取り入れられたのです。
また、私が今までに何度か立ち会ったキリスト教の葬儀では、
火葬場での「お骨拾い」がありました。
炉から出てきたお骨を菜箸のようなもので拾い上げるあの儀式です。
葬儀は教会で行われるのに、お骨拾いが日本の風習に従って行われることに、
滑稽さを感じてしまいます。
しかも、私が体験した葬儀ではお骨拾いの場で讃美歌を歌ったのですから、
私は恥ずかしくて仕方ありませんでした。

別に、他宗教の風習が取り入れられることが悪いというわけではありません。
宗教、文化、風習というものは、
長い年月の間に様々なものがお互いに影響し合って成り立っているのですよ。
やれうちは正統派キリスト教だの伝統的キリスト教だの言っても、
結局は無意識に他の宗教的習慣や儀式を取りれてるものですよ。
クリスマスにチキンを食べるのもイースターに茹で卵を食べるのも、
どこかの風習が知らず知らずのうちに取り入れられているのです。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

キリスト教一般の疑問 | 20:49:11 | トラックバック(0) | コメント(33)
コメント
明けましておめでとうございます。

それは教会経営側の視点から考えなければいけません。
元日礼拝すれば献金が入るんです。
やらない手はないですよね(笑)
2015-01-05 月 01:03:31 | URL | ペンテコスちゃん [編集]
結局あなたは何が言いたいのか何がしたいのかよく分からないのですが。宗教はいいといいながら否定したり、他の宗教の影響を受けていいといいながら否定したり。物凄い時間と労力の無駄遣いみたいな。
2015-01-10 土 22:05:35 | URL | 憎寧夢 [編集]
Re: タイトルなし
> 明けましておめでとうございます。
>
> それは教会経営側の視点から考えなければいけません。
> 元日礼拝すれば献金が入るんです。
> やらない手はないですよね(笑)

ればせながらあけましておめでとうございます。
教会側も、神社にたくさんお賽銭が集まるのがうらやましいのでしょう。
まあ、別に元日礼拝するのがいけないと言うつもりはありません。
なんだかんだ言いながら、結局はキリスト教も他の宗教の影響を受けているのですよ。
2015-01-11 日 23:19:40 | URL | 桃栗 [編集]
元旦礼拝
桃栗さん、明けましておめでとうございます。

元旦礼拝、私の行っていた教会でもやっていましたね。
今考えると、何で元旦礼拝するのかわからないですね。

「私の名によって2、3人集まるところに、私も居るのである」
だったかな、こんな箇所がありましたね。

何も教会堂や牧師のところで礼拝をしなきゃいけませんよとは書いてません。
別に各自の自宅の部屋や、台所、居間でも礼拝はできますよね。

何故教会でしなきゃならないのか。
それは教団を運営しなきゃいけないからです。牧師を食べさせなきゃいけないからですよね。

でも、パウロも自分で働いたお金で借家を借りて、伝道してましたよね。昼間は天幕作りに汗を流して、夜に伝道してましたよ。
今の教会や教団は、パウロのことは見習わないですね。同じ聖書に書かれていますけどね。
2015-01-14 水 21:37:24 | URL | 重荷を負えなかった者 [編集]
Re: タイトルなし
> 結局あなたは何が言いたいのか何がしたいのかよく分からないのですが。宗教はいいといいながら否定したり、

私がそう発言した根拠を、ブログから一字一句変えずに引用していただけますか?

> 他の宗教の影響を受けていいといいながら否定したり。

私がそう発言した根拠を、ブログから一字一句変えずに引用していただけますか?

> 物凄い時間と労力の無駄遣いみたいな。

貴方にとって無駄でも私にとっては無駄ではありません。
時間の無駄だとおっしゃるならもうここに来て下さらなくても結構です。
2015-01-18 日 21:45:26 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 元旦礼拝
> 桃栗さん、明けましておめでとうございます。
>
> 元旦礼拝、私の行っていた教会でもやっていましたね。
> 今考えると、何で元旦礼拝するのかわからないですね。

結局、日本文化を捨てて一神教であるキリスト教を信仰したって、
日本人として生まれた以上は元日=おめでたい日という感覚が抜けないのでしょう。

> 「私の名によって2、3人集まるところに、私も居るのである」
> だったかな、こんな箇所がありましたね。
>
> 何も教会堂や牧師のところで礼拝をしなきゃいけませんよとは書いてません。
> 別に各自の自宅の部屋や、台所、居間でも礼拝はできますよね。

その通り。
イエスは立派な教会を建てなさいとは言っていないはずです。

> 何故教会でしなきゃならないのか。
> それは教団を運営しなきゃいけないからです。牧師を食べさせなきゃいけないからですよね。
>
> でも、パウロも自分で働いたお金で借家を借りて、伝道してましたよね。昼間は天幕作りに汗を流して、夜に伝道してましたよ。
> 今の教会や教団は、パウロのことは見習わないですね。同じ聖書に書かれていますけどね。

それを実行しているのはエホバの証人でしょう。
夜な夜な自分たちの脚で歩き回って伝道していますから。
それなのに、正統派を自称するキリスト教側は、
そのような行為を迷惑だとして批判するのですからおかしなものです。
また、間違った宗教が世の中に広まるとも批判していますが、
それなら自分たちだって積極的に伝道すればいいのに、
どういうわけか正統派を自称するキリスト教に限ってそういうことはしません。
不思議ですね。
2015-01-18 日 21:56:53 | URL | 桃栗 [編集]
以前も書きましたが(削除してしまいましたが)
新約聖書はギリシャ神話の影響なしでは成立し得ません。旧約聖書の内容は、中東のあちこちの神話の寄せ集めです。

そしてキリスト教の前身のユダヤ教は、ゾロアスター教の影響を存分に受けています。また、ユダヤ教それ自体が、古代エジプトの『アテン教(アトン教とも)』なしでは、発生していなかったでしょう。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/08/post-ed8b.html

①から⑩まで全てオリジナルの宗教などというものは、存在しません。
2015-01-22 木 23:42:02 | URL | 長沢 [編集]
Re: 以前も書きましたが(削除してしまいましたが)
> 新約聖書はギリシャ神話の影響なしでは成立し得ません。旧約聖書の内容は、中東のあちこちの神話の寄せ集めです。
>
> そしてキリスト教の前身のユダヤ教は、ゾロアスター教の影響を存分に受けています。また、ユダヤ教それ自体が、古代エジプトの『アテン教(アトン教とも)』なしでは、発生していなかったでしょう。
> http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/08/post-ed8b.html
>
> ①から⑩まで全てオリジナルの宗教などというものは、存在しません。

全くその通りです。
中東のイスラエル発祥のキリスト教はヨーロッパへ渡り、
ミトラ教や北欧神話などを取り入れた後に世界に広まりました。
だから「12月25日にもみの木を飾るのがキリスト教の標準」と世界は思っているのです。
もしもイスラエルから日本を経て世界へ広まったならば、
お線香を焚いて元日礼拝をするのがキリスト教の標準になっていたでしょう。
2015-01-25 日 09:13:46 | URL | 桃栗 [編集]
葬儀で「私たちキリスト教は、真の神様だけを礼拝します。ですから、死んだ方を礼拝しません。死者に手を合わせないでください」とプログラムに書かれていました「お別れ会」と称する、所謂一般で言う所の「お通夜」がありました。
滑稽千番です!
キリスト教は偶像礼拝をしません。他の宗教は偶像礼拝です。日本の葬儀はすべて、偶像礼拝です・・・・。は???
キリスト教その物が、どう言う成立過程を経て今があるのか?
歴史をよく調べたら、真理などと言う、唯一絶対の真の神様だ等と、口が裂けても言えない物であるはずなのに、ぺらぺらと毎週よくも嘘八百を述べ伝えていられるものだと、感心します!!!
事情があり、いまだに教会なるものに通わざるを得ない者ですが・・・・・。
2015-01-25 日 19:08:29 | URL | マリック [編集]
これは教会への戒めです、自分をクリスチャンと思う方は一緒に反省しましょう!
桃栗さんのブログのなかでもこちらの話題は読んでいてとても楽しいです。本当に宗教団体自体が行うことにはたくさん不純なものが混ざってきますよね。人の罪は微細なところまで観察してみると、クリスチャンになればすぐに罪人でなくなり、神を喜ばせる生き方ができるという発想が明らかな誤解であることがわかりますね。クリスチャンは現状の在り方に満足せず、常に間違いを認め、よりよい礼拝の方法を吟味するべきですよ!人間の作った伝統や自分のアイディアを誇るあまり神の怒りを買っている現状を改善すべきです。宗教が形式化してしまい、聖い神を離れ、救いの唯一の望みはイエスキリストの赦しと義認であることすら、忘れてしまっています。もちろんクリスマスにチキンを食べたり新年になったから新鮮な気持ちで天地の創造やキリストの再臨に思いをはせ、礼拝することには全く問題はないと思います。でも、クリスマスにキリストへの愛も賛美もわすれチキンを食らい、意味もなく、聖餐式をし、神への畏れも愛も感謝も知らずに生半可に参加する自称クリスチャンはすぐさま悔い改め、キリストの十字架を仰ぎ、自分の愚かさを嘆きつつ、永久に有効なその贖いの効果を甘んじて信じ、肉によってではなく、霊によって生きることを学ぶ必要があります。確かにこの世に完璧なクリスチャンも教会も存在することはあり得ません。僕も同罪ですね…だから偉そうな口を叩いてる立場ではないですが、神のメッセージとしては、キリストが迎えに来られる時に白いローブをきせていただくその日まで、聖霊が少しずつ日々僕らをキリストのような者にしてくださるのに身を任せましょう。桃栗さん教会への戒めをありがとうございます。神を冒涜しない限り、このブログは素晴らしいものです。もうお気づきのことと思いますが、どうかクリスチャンの愚かさと神ご自身とを一緒に考えないで下さい。神は信じて望みを神におく者をかえりみられます。望みを他のクリスチャンにおくと失望します。神は違います。聖霊を送り信仰を守ってくださいます。
2015-01-26 月 10:44:34 | URL | 拓也 [編集]
Re: タイトルなし
> 葬儀で「私たちキリスト教は、真の神様だけを礼拝します。ですから、死んだ方を礼拝しません。死者に手を合わせないでください」とプログラムに書かれていました「お別れ会」と称する、所謂一般で言う所の「お通夜」がありました。
> 滑稽千番です!

結局、これも日本の通夜に合わせたものですね。

> キリスト教は偶像礼拝をしません。他の宗教は偶像礼拝です。日本の葬儀はすべて、偶像礼拝です・・・・。は???
> キリスト教その物が、どう言う成立過程を経て今があるのか?
> 歴史をよく調べたら、真理などと言う、唯一絶対の真の神様だ等と、口が裂けても言えない物であるはずなのに、ぺらぺらと毎週よくも嘘八百を述べ伝えていられるものだと、感心します!!!

全くその通りですよ。
冷静にクリスチャンを見てみると、
どういうわけか聖書に書かれている習慣を守らず、
書かれていない習慣ばかりを守っているのです。

> 事情があり、いまだに教会なるものに通わざるを得ない者ですが・・・・・。

ご愁傷様です。
くれぐれもそのことで心労をため込まないようお気を付け下さいませ。

2015-02-01 日 21:22:43 | URL | 桃栗 [編集]
あのですね
クリスマスもそうですが宗教がある程度、その国の事情で変化してローカライズされるのは
当たり前のことです
広まる家庭で伝道にとってより都合のよい方法をとることは当然で
広まる過程で、あるていど変形していくことはキリスト教は否定していません

もちろん異教は否定するでしょう
だが、異教の習慣まで完全に否定することはしばしばしません
キリスト教のものとして取り入れるか
世間的常識の中で来る人への配慮として行われる事は多いです

たとえば私の知っている教会では葬式などで未信者に塩をくばったりしていましたね
2015-04-26 日 10:46:43 | URL | クリスチャン [編集]
繰り返し言っておきますが
宗教が国によってローカライズされるのは当たり前で
キリスト教はそこまで否定していません

そこまで否定していたら何もできませんし
別にそれを否定する部分も聖書にはありません

あなたもクリスチャンだったらしいから知っていると思いますが
まだユダヤ教だったころ、ある国の大臣が国事で異教の神を拝まなければならない
時に、「どうすればいいでしょう」との問いに「安心していくがよい」(拝んでよい)と答えて
います

ギリギリのところでは一神教もけっこう柔軟なんですよ

つまりキリスト教はあるていどローカライズされることも否定してないし
大臣などの義務として絶対に異教の神を拝まなければならないような場合、拝む事も
否定していません
2015-04-26 日 10:52:23 | URL | クリスチャン [編集]
つまり、キリスト教は異教を否定するけれども
伝道の過程でそちらの方が広まるのなら
他の宗教の習慣をローカライズして取り込むことまでは否定していないってこと

寧ろ歴史の中ではけっこう積極的に他の宗教の習慣を習合みたいにして
取り入れているし
他の文明の良い部分も取り入れているってこと
2015-04-26 日 11:05:30 | URL | クリスチャン [編集]
Re: タイトルなし
> あのですね
> クリスマスもそうですが宗教がある程度、その国の事情で変化してローカライズされるのは
> 当たり前のことです

ということは韓国の統一教会も認められるべきですよね。
韓国の事情に合わせてローカライズされたのですから。

> 広まる家庭で伝道にとってより都合のよい方法をとることは当然で
> 広まる過程で、あるていど変形していくことはキリスト教は否定していません

では、エホバの証人やモルモン教も、
自分達の都合の良いように変形したわけで、
そういうのも否定していないのですね。

> もちろん異教は否定するでしょう
> だが、異教の習慣まで完全に否定することはしばしばしません

では、教会の礼拝でロウソクの代わりにお線香を焚いてもいいのですね。
イスラム教の一夫多妻制の習慣を取り入れてもいいのですね。

> キリスト教のものとして取り入れるか
> 世間的常識の中で来る人への配慮として行われる事は多いです

つまり、異教を否定しておきながら、
都合の良い習慣は異教から取り入れるのですね。

> たとえば私の知っている教会では葬式などで未信者に塩をくばったりしていましたね

では、お線香や数珠を配ってもいいのですね。
位牌や仏壇を置いてもいいのですね。
故人に戒名を付けてもいいのですね。
どうぞ貴方の教会に提案してみてください。
2015-05-01 金 23:07:40 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 繰り返し言っておきますが
> 宗教が国によってローカライズされるのは当たり前で
> キリスト教はそこまで否定していません

こちらも繰り返し言っておきますが、
韓国風にローカライズされた統一教会も、
アメリカ生まれのエホバの証人やモルモン教も、
否定していないのが当たり前なんですよね?

> そこまで否定していたら何もできませんし
> 別にそれを否定する部分も聖書にはありません

ちゃんと記事を読みましたか?
私は異教の習慣がキリスト教に取り入れられるのを否定していませんけど?
もう一度お読みください。
貴方の顔には目は付いていますよね?

> あなたもクリスチャンだったらしいから知っていると思いますが
> まだユダヤ教だったころ、ある国の大臣が国事で異教の神を拝まなければならない
> 時に、「どうすればいいでしょう」との問いに「安心していくがよい」(拝んでよい)と答えて
> います
>
> ギリギリのところでは一神教もけっこう柔軟なんですよ

どこが柔軟なのでしょうか?
旧約聖書の神は恐ろしく冷酷で、
自分に逆らうものは容赦なく罰を与えているではありませんか。
ノアの箱舟が最たる例です。
生まれたばかりも赤ん坊もいたでしょうに
そんな子供たちまで滅ぼしたのですよ。
これが柔軟?
笑わせないでくださいね。


> つまりキリスト教はあるていどローカライズされることも否定してないし
> 大臣などの義務として絶対に異教の神を拝まなければならないような場合、拝む事も
> 否定していません

いいえ、ちゃんと否定しています。
聖書読んでいないんですか?

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。(出エジプト記20章4-5節、申命記5章8-9節)
2015-05-01 金 23:30:02 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> つまり、キリスト教は異教を否定するけれども
> 伝道の過程でそちらの方が広まるのなら
> 他の宗教の習慣をローカライズして取り込むことまでは否定していないってこと
>
> 寧ろ歴史の中ではけっこう積極的に他の宗教の習慣を習合みたいにして
> 取り入れているし
> 他の文明の良い部分も取り入れているってこと

正しくは、他の文明の「都合の」良い部分も取り入れているってことですね。
逆に、自分の宗教の「都合の悪い部分」は取り入れないんですよね。
例えば、イエスが生まれた時に割礼を受けていますが、(ルカ/ 2章21節)
そういう都合の悪い習慣は取り入れないんですよね。
そのくせ、幼児洗礼などという、聖書に記述のない習慣は取り入れるんですよね。
あと、「過ぎ越しの祭り」もなぜか取り入れられないんですよね。
ヨセフ一家は毎年そのお祭りに参加したほど大事なお祭りなのに(ルカ 2章41節~)
なぜクリスチャンはその習慣を取り入れないのですか?
その一方、クリスマスやイースター、そして西洋ではハロウィンなどという、
聖書に記述のないお祭りは盛大に祝う。
異教の都合の良い習慣は取り入れて、自宗教の都合の悪い習慣は取り入れない。
まったく滑稽でなりませんね。
2015-05-01 金 23:49:34 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
>あなたもクリスチャンだったらしいから知っていると思いますが
>まだユダヤ教だったころ、ある国の大臣が国事で異教の神を拝まなければならない
>時に、「どうすればいいでしょう」との問いに「安心していくがよい」(拝んでよい)と答えて
>います

列王記下/ 5章 19節で、エリシャがナアマンに言った言葉ですね。
しかし聖書には、桃栗さまが以前に
「ライオンに改宗を迫ったクリスチャンとダニエルの話」 というエントリで
指摘されたように、「ダニエル書6章のライオンの話」や「ダニエル書3章の炉の話」
といった、
「異教の習慣を断固として拒否した信仰者が、神によって危険から守られる話」
も存在しています。

こういう矛盾した話が並び立っているとどうなるか。答えは明白ですよね?
宗教者が、他者に
「異教の習慣は拒絶せよ!! そのために危機に陥っても神が守ってくださる!!」
と強制する時にはダニエル書を持ちだして正当化。
同じ宗教の宗教者が「異教の習慣に従わねば命が危ない」という状況になったら、
列王記下の言葉を持ち出し、自分の(命惜しさに異教の習慣を行ったという)
行動を正当化…。
というように、その時によって持ち出す言葉を変えれば、己の矛盾した行動を
正当化できてしまうわけです。

桃栗さまも何度も書かれていますが、聖書というのは何でも書かれていて、
実に都合のいい書物ですよね。
2015-05-02 土 13:47:55 | URL | ササキエル。 [編集]
横槍
キリスト教が割礼を継承しなかったのは、中東では普通の習慣であっても(割礼はユダヤ教の専売特許ではなく、中東では昔から広く行われていたとの事です)、ヨーロッパの人々にとっては受け入れ難い…ヨーロッパでの伝道に差し障るからだそうです(その事実を知ったパウロが、“割礼やめていいんじゃね?”と判断したらしいです)。

クリスマスやイースターは、キリスト教がローマで、イラン発祥の宗教ミトラ教と習合したから、『キリスト教の行事』になりました(但しキリスト教側は、ミトラ教と習合した事は、隠しています)。
2015-05-07 木 19:40:58 | URL | 長沢 [編集]
Re: ササキエル。
> >あなたもクリスチャンだったらしいから知っていると思いますが
> >まだユダヤ教だったころ、ある国の大臣が国事で異教の神を拝まなければならない
> >時に、「どうすればいいでしょう」との問いに「安心していくがよい」(拝んでよい)と答えて
> >います
>
> 列王記下/ 5章 19節で、エリシャがナアマンに言った言葉ですね。
> しかし聖書には、桃栗さまが以前に
> 「ライオンに改宗を迫ったクリスチャンとダニエルの話」 というエントリで
> 指摘されたように、「ダニエル書6章のライオンの話」や「ダニエル書3章の炉の話」
> といった、
> 「異教の習慣を断固として拒否した信仰者が、神によって危険から守られる話」
> も存在しています。
>
> こういう矛盾した話が並び立っているとどうなるか。答えは明白ですよね?
> 宗教者が、他者に
> 「異教の習慣は拒絶せよ!! そのために危機に陥っても神が守ってくださる!!」
> と強制する時にはダニエル書を持ちだして正当化。
> 同じ宗教の宗教者が「異教の習慣に従わねば命が危ない」という状況になったら、
> 列王記下の言葉を持ち出し、自分の(命惜しさに異教の習慣を行ったという)
> 行動を正当化…。
> というように、その時によって持ち出す言葉を変えれば、己の矛盾した行動を
> 正当化できてしまうわけです。
>
> 桃栗さまも何度も書かれていますが、聖書というのは何でも書かれていて、
> 実に都合のいい書物ですよね。

まさにおっしゃる通りです。
私がクリスチャン時代だった頃、
列王記下/ 5章 19節の話を教わった記憶はありません。
ともかく、幼いころから毎週日曜日には教会学校に出席し、
モーセの十戒を毎回毎回唱えさせられました。
あの十戒の中で、偶像崇拝が固く禁じられているのはクリスチャンなら存知ですよね。
私はそんな十戒を幼いころから何度も唱えさせられたがために、
他の宗教をすべて否定的に見るようになっていました。
学校の遠足などで神社やお寺に行った時、
私は来てはいけないところに来てしまったような気分になったものです。
2015-06-04 木 22:46:12 | URL | 桃栗 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015-06-05 金 19:28:43 | | [編集]
Re: 横槍
> キリスト教が割礼を継承しなかったのは、中東では普通の習慣であっても(割礼はユダヤ教の専売特許ではなく、中東では昔から広く行われていたとの事です)、ヨーロッパの人々にとっては受け入れ難い…ヨーロッパでの伝道に差し障るからだそうです(その事実を知ったパウロが、“割礼やめていいんじゃね?”と判断したらしいです)。

そのパウロが割礼について書いていいるくだりを読んだことがあります。
結局、聖書には実に雑多なことが書かれていますから、
ある時は神の言葉、ある時はイエスの言葉、またある時はパウロの言葉と、
その場その場で都合の良い言葉を選べるのがキリスト教の良さ?です。

そう言えば、パウロが、「女性は男性のように人前に出て教えを垂れるな」
のようなことを書いていたくだりがあります。場所は失念しましたが。
これを根拠とするならば、女性牧師は存在できないはずですよね。
しかし、キリスト教にとっては都合が悪い箇所なので、
やはりあっさり無視されています。

> クリスマスやイースターは、キリスト教がローマで、イラン発祥の宗教ミトラ教と習合したから、『キリスト教の行事』になりました(但しキリスト教側は、ミトラ教と習合した事は、隠しています)。

私は、教会がそのことを隠蔽する実例を目撃し、記事に書きました。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-83.html
私は、あるプロテスタント教会の掲示板に、
イエスの誕生日が12月25日になった理由を質問したのですが、
牧師さんが丁寧なやさしい言葉で回答してくださった後、
その書き込みは削除されてしまいました。
しかも、その時の言い草がこれ。

>できれば、このような質問は、実際に教会に行かれて、牧師に聞くほうが良いですね。
>申し訳ないですが、12月9日の桃栗さんとDさんの記事と本記事は、後日削除させていただきます。
>よろしくね~。


「よろしくね~」なんてずいぶんふざけていますね。
結局、教会側は都合の悪い事実は世間に知られたくないのです。
2015-06-06 土 10:18:01 | URL | 桃栗 [編集]
結局のところ
プロテスタント(聖書原理主義)と言えども、聖書読んで説教垂れているだけでは、人が集まらない。人が集まらなければ、寄付金も集まらないから、クリスマスなどお祭りの要素も残しておかないといけないんでしょうね。他のコメントでも似たような事が書いてあったような気がしますが。
2015-06-21 日 23:37:49 | URL | 長沢 [編集]
キリスト教の福音派に所属して、現在も事情により「足を洗えない」者が、代弁して申し上げます!
全てがご都合主義です!
数ある宗教の一つとして考えてください!
2015-07-11 土 18:43:17 | URL | マリック [編集]
Re: 結局のところ
> プロテスタント(聖書原理主義)と言えども、聖書読んで説教垂れているだけでは、人が集まらない。人が集まらなければ、寄付金も集まらないから、クリスマスなどお祭りの要素も残しておかないといけないんでしょうね。他のコメントでも似たような事が書いてあったような気がしますが。

その通りです。
「キリスト教は御利益宗教ではない」と言っていては信者=献金が集まりませんから、
いかにもキリスト教を信じると良いことがあるかのように宣伝するのです。
これが現実です。
2015-07-12 日 21:38:08 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> キリスト教の福音派に所属して、現在も事情により「足を洗えない」者が、代弁して申し上げます!
> 全てがご都合主義です!
> 数ある宗教の一つとして考えてください!

そうです。
キリスト教はあくまでも「数ある宗教の一つ」に過ぎません。
自分達だけで信仰を守っているだけならいいですが、
非信者に対してまで自分たちの価値観を押し付けるのがキリスト教の嫌いなところです。
2015-07-12 日 22:16:26 | URL | 桃栗 [編集]
そもそもプロテスタントに教会って必要なんですかね?
聖書解釈の自由を徹底させるなら、信仰したい人がそれぞれ自宅で聖書を読んで、好きなように解釈していればいいと思うんですが。実際、アメリカでは一人一教派なんていう場合もあるそうですし。

現実的な事を言えば、開拓時代のアメリカでは、教会が開拓移民の地域コミュニティの場としての役割を果たしていたそうです。
2015-07-19 日 00:01:10 | URL | 長沢 [編集]
Re: そもそもプロテスタントに教会って必要なんですかね?
> 聖書解釈の自由を徹底させるなら、信仰したい人がそれぞれ自宅で聖書を読んで、好きなように解釈していればいいと思うんですが。実際、アメリカでは一人一教派なんていう場合もあるそうですし。

自由に解釈してもいいと言いながら、
エホバの証人のような聖書の解釈を間違いだと非難する人もいますからね。
結局、口先では「自由」と言っておきながら、
自分と違う解釈は受け入れられないんですよ。
それが自称正統派クリスチャンです。

>
> 現実的な事を言えば、開拓時代のアメリカでは、教会が開拓移民の地域コミュニティの場としての役割を果たしていたそうです。

確かに開拓時代を舞台にした映画でそういうシーンを見た記憶があります。
しかし、今の時代はもうそんなものは必要とされていません。
アメリカでもキリスト教離れが加速しているそうです。
2015-07-30 木 21:06:51 | URL | 桃栗 [編集]
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2016-07-02 土 08:40:40 | | [編集]
我々の側から見たエホバの証人
今の時代、日本語訳聖書が沢山あって、誰でも自分で聖書を読み、神の御心を知る事が出来る様になった事は喜ばしい限りです。
解釈もルールがあって、おみくじ式の読み方をせず、文脈を考えながら読めば極端に誤った解釈はしないはずです。また神の御子イエス様を「私の救い主」と告白する者たちの集まった所にわたしの教会を建てると語っておられる以上、枝葉の部分で食い違っていても同じクリスチャンとして認めない訳にはいきません。ただエホバの証人の方々については「神の御子」の部分から違っているんです。神の御子とは神なんですよ。我々の立場は‥‥‥。イエス時代のユダヤ人達も我々と同じ認識です。だから神への冒涜としてイエスを殺そうとしたんです。エホバの方々はイエスは神によって1番最初に造られた被造物と言う教理です。イエスを信じるだけでなくエホバの証人でなければ救われません。エホバの証人の共同体はノアの洪水の時の方舟にたとえられています。彼らのパンフレットを見るとイエス様は本当に少しのスペースしか割かれていません。主役はイエス様なのに‥‥。
異端扱いは気の毒という見方もありますが、彼らは我々を悪魔に支配された教会と呼びます。どっちの言葉が激しいですか?
仕事の時間になりました。
2016-07-02 土 12:58:48 | URL | 髙階武夫 [編集]
Re: 我々の側から見たエホバの証人
> 今の時代、日本語訳聖書が沢山あって、誰でも自分で聖書を読み、神の御心を知る事が出来る様になった事は喜ばしい限りです。

私は、インターネットが普及したおかげで、
クリスチャンの言動がいかに一般常識から外れたものであるかが広く知れ渡るようになり、
また、私と同じ考えの人が少なくないことを知って、
喜ばしい時代が来たものだと思っています。

> 解釈もルールがあって、おみくじ式の読み方をせず、文脈を考えながら読めば極端に誤った解釈はしないはずです。

そのルールは誰が決めたのですか? 神様ですか? イエス様ですか?
結局、人間が自分たちの都合の良いように解釈しているにすぎません。
今では大小さまざまな宗派、教派、教団、教会が存在し、
それぞれが自分たちの聖書の解釈こそが正統派だと言って譲りませんから、
本当に収拾が付きません。

> また神の御子イエス様を「私の救い主」と告白する者たちの集まった所にわたしの教会を建てると語っておられる以上、枝葉の部分で食い違っていても同じクリスチャンとして認めない訳にはいきません。ただエホバの証人の方々については「神の御子」の部分から違っているんです。神の御子とは神なんですよ。我々の立場は‥‥‥。

エホバの証人がイエスを神ではなく「神の子」と解釈している根拠は、
ちゃんと聖書にあります。
イエスが、神は一人しかいないという主旨の発言をしている箇所です。

互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。 ヨハネによる福音書/ 05章 44節

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 ヨハネによる福音書/ 17章 03節

イエスは、創造主の神のことを「唯一の神「唯一まことの神」と呼んでいるのです。
そう発言している本人が「神」なら、つじつまが合いません。

> イエス時代のユダヤ人達も我々と同じ認識です。だから神への冒涜としてイエスを殺そうとしたんです。エホバの方々はイエスは神によって1番最初に造られた被造物と言う教理です。イエスを信じるだけでなくエホバの証人でなければ救われません。エホバの証人の共同体はノアの洪水の時の方舟にたとえられています。彼らのパンフレットを見るとイエス様は本当に少しのスペースしか割かれていません。主役はイエス様なのに‥‥。

イエスが主役ですか? 何をおっしゃるのでしょう。
イエスはあの分厚い旧約聖書にまったく登場しません。
また、イエスの生涯を直接記録したとされるのは、
新約聖書の中のわずか4つの福音書のみです。
たったそれだけしか登場しないのに主役でしょうか。
むしろ、キリスト教はパウロが主役ではないかと思えるフシがあります。


> 異端扱いは気の毒という見方もありますが、彼らは我々を悪魔に支配された教会と呼びます。どっちの言葉が激しいですか?
> 仕事の時間になりました。

では、多くの教会のHPでエホバの証人を完全否定しているのを嫌と言うほど目にしますが、
それこそ「汝の敵を愛せよ」という教えに反していませんか?
エホバの証人がキリスト教を悪魔呼ばわりすることがそんなに激しいことですか?
正統派を名乗るキリスト教だって同じことをしているのに。
結局、それぞれの宗派がそれぞれに正統派だと言って譲らないのですから、
キリスト教は本当に収拾が付きませんね。
2016-07-09 土 22:30:16 | URL | 桃栗 [編集]
その通りです。違う所もありますが、大筋当たってると思います。
このサイトは僕などが上がって良い土俵じゃないかもしれませんね。

2016-07-11 月 22:21:18 | URL | 髙階武夫 [編集]
Re: その通りです。違う所もありますが、大筋当たってると思います。
> このサイトは僕などが上がって良い土俵じゃないかもしれませんね。

>違う所もありますが、大筋当たってると思います。

往生際が悪いですね。
素直に「全て当たっています」と言えませんか?
2016-07-18 月 22:36:32 | URL | 桃栗 [編集]
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