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桃栗

Author:桃栗
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「○○のために祈ります」は、実は自分のため
私がYahooでブログを始めたのは確か2006年秋ぐらいだったと思います。
それから6年以上の月日が流れたことになります。
これまでの間、私はキリスト教に縛られてきた苦労を語り、
キリスト教に対して数々の疑問を投げかけてきました。
そして、コメント欄には、「桃栗さんのためにお祈りしています」という、
クリスチャンからのコメントが書かれたことが何度もあります。

この、クリスチャンが言う「○○のためにお祈りしています」という言葉、
私に言わせれば、祈り手の「自分自身のための祈り」でしかないのです。


クリスチャンの皆さん、冷静に考えてみてください。
あなた方が祈ったからと言って、私の何が具体的にどう変わるのですか?
私は社会の中で、毎日人間関係や仕事のことで大きなストレスを抱えていますが、
クリスチャンが祈るとそれが改善されるのでしょうか?
ブログ開始以来、私のために祈るクリスチャンを何人も見てきましたが、
私はこの通り何も変わっていませんよ。
そもそも、祈ったぐらいで人の心が変わるぐらいなら、
犯罪や戦争も起きません。
「○○のために祈る」とは、実は「自分自身のため」の祈りなのですよ。

考えてもみてください。
私のようにキリスト教を批判する人を見ると、心穏やかではありませんね。
だから、あなたがたは自分の心を平安にするために祈っているにすぎません。
あなたはそうやって神に祈って心の平安を得られるのに、
私はこのとおり大きなストレスを抱えたまま。
こんな不公平なことってありますか。

クリスチャンの皆さん、人の不幸をネタにして自分だけ平安に浸るのはやめてください。
あなたも一緒に思い悩んで苦しんでください。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

クリスチャンの独善性 | 21:49:57 | トラックバック(1)
わずかな言葉で
ああ、だれか「ぎんぎつね」のようなノリで いまの日本のキリスト教会を描いてくれないものだろうか。。。。
2014-01-14 Tue 17:12:24 | 泣きながら、撤退同盟

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