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桃栗

Author:桃栗
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コメント
初めまして♪
いつもブログを興味深く拝見しています。
実は私も最近までクリスチャンでした。ですが、聖書に疑問や矛盾を感じたり、自分の周りのクリスチャンの人を上から見下ろすような態度や変な選民意識、身内の集まりのような特定の人しか歓迎されない教会の礼拝等に嫌気がさしてクリスチャンをやめました。今は自由でのんびりした毎日を送っています。ぶっちゃけ、イエス・キリストだの神様という存在を信じていた頃から比べても今の方が幸せです(笑)
これからもブログ、楽しみにしてます!

2013-01-27 日 08:38:46 | URL | ノエル [編集]
Re.クリスマス
それで、「救世主」イエスが生まれてこの世の何がどう変わりました?
イスラエルとその周辺の国との民族紛争は、
旧約聖書時代から何も変わっていないようですが?



イエス・キリストが生まれて変わったことは、っていることを書けば、

①西暦が出来て、BCとADに人間の歴史が分かれるようになったこと。
西暦が無ければ日本は皇紀(神武天皇の即位日を基準にしている)を今でも使っていることでしょう。1873年(明治6年)に廃止されるまで、この皇紀が使われていたそうです。また元号も使われてますね。因みに2013年は皇紀2673年だそうです。
1940年には皇紀2600年記念行事があったそうです。戦時中でした。

②カトリック、プロテスタント、正教会、といろいろありますが、カトリックの腐敗が原因でルターの宗教改革が起こりました。私はプロテスタントの礼拝のほうが好きなので、カトリックの腐敗も有難く感じます。キリストが生まれなかれば、アウグスティヌス、ルター、カルヴァンの人生はなんだったのでしょう。

③西洋音楽の「ドレミファ・・・」が出来た。グレゴリオ聖歌が今の音楽の元になっています。
このドレミファ音階が入ってこなければ、日本はずっと雅楽、琴、三味線の世界だと思います。今歌っているポップスも出来ていないわけです。
それに、バッハもモーツァルトも日本人が好きなベートーベンの「第九」も無いわけです。

④キリスト教美術が多くできました。ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、私が好きなフラ・アンジェリコ、エル・グレコその他、これらの人達の絵画も無かったことでしょう。

⑤今のヨーロッパ世界は無く、アメリカ合衆国も出来ていなかったでしょう。
ヨーロッパの町は、まず町を作る時に、一番初めに教会を造り、教会を中心に町を作ると聞いたことがあります。
ヨーロッパのことを知るにはキリスト教が分からないと理解できない、とよく聞きます。
バチカン市国も無いですね。
また信仰の自由を求めてイギリスからピューリタンがアメリカ大陸に渡りました。

⑥フランシスコ・ザビエルは日本に来なかったでしょう。そして、茶道の濃茶の作法もできなかったでしょう。
利休はカトリックのミサをヒントに濃茶の飲み方の回し飲みを考えたと言われています。この二つの作法はよく似ています。利休の弟子にはキリシタン大名が多くいました。

⑦キリストの弟子たちの殉教、日本のキリシタン、二十六聖人を初め、多くの殉教者、内村鑑三の不敬罪など、キリストのために苦しんだ人々もでなかったでしょう。

キリストが生まれなかったら、今の世は全く違ったものになっていたと思います。
150年前までチョンマゲを結っていた日本は今でも、チョンマゲを結っているかもしれません。
あと中国の景教はできていなかったでしょう。

それから、私は戦争を絶対に悪いものであるとも考えていません。旧約の時代、モーセが神の杖を持ち、アマレクとの戦いに臨んだ時、モーセが両手を上げていると、イスラエルは優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になっていました。その時に、モーセの両側にアロンとフルが立ち、モーセの手を支えていたという話があります。(出エジプト17:8~15)

また、日本が第二次世界大戦に負けなければ、日本は未だに天皇を神としていた国でいたことでしょう。あの敗戦で、天皇は人間宣言をしたのですから。
原爆を落とされたのは、世界で唯一の被爆国として核兵器廃絶を強く訴えることが出来る国になったと思います。それでなければ、核兵器廃絶への意識を日本は今ほど持たなかったような気がします。
原爆を落としたアメリカとも仲良くなったのですから、もう核兵器を使わなければ、今はいいのではないでしょうか。
そして、戦時中は迫害されていたキリスト教が、敗戦でまたキリスト教を認めてもらえるようになりました。

このような歴史の一コマ一コマに神様のご支配があると思っています。
因みに真珠湾攻撃の日12月8日はカトリックでは、無原罪の聖マリア、終戦記念日の8月15日は聖母マリアの被昇天の日で、マリアさまに関係あるのも面白いです。
ザビエルが日本に着いた日も8月15日なんです。日本の守護聖人としてマリア様がなっていたと思います。

それから、イエス・キリストが生まれたのは、世の中(社会)を平和にするためではなく、平和でない時でも、苦しみの人生にある時でも、イエス・キリストを信じる者の心が平安であるようになるためであったと思います。罪(罪に苦しむ人)の赦しも含めて。
自殺したユダは、ローマに支配されていたユダヤをイエスが救ってくれると思っていたふしがあり、(他の民もですが)イエスがそのような行動に出なかったことに失望し、イエスを売ったのではないかということも聞きました。

あと冬至祭にクリスマスを祝うようになったのは、冬至は一番陽が短い時で、それを境に陽が伸びてきます。
イエス・キリストの誕生も暗かった時代から光が出てきたことを象徴して祝うようにしたと、今日牧師から聞きました。
その辺は、当時の人は伝道した(支配かも?)土地の祭りを上手に取り入れて、キリスト教の祭りに変えていったと思います。

イエスの誕生年はBC3~5年くらいと言われていますが、正確な生まれ年は問題ではなく、救い主として実際に生まれたことが重要だと思っています。西暦の数え方は、後に出来たものですから多少の誤差は仕方ないのではないかと思います。2000年も前の出来事です。自分に起こったことですら、数十年も前のことは、いつ起こったか定かではないことが多いです。

長々とお邪魔しました。夜遅くまで、私も暇人ですね。でも神様の話は好きです。

2013-01-28 月 01:55:11 | URL | Elle [編集]
キリスト教と仏教
桃栗さんはじめまして。
望みと申します。
私がクリスチャンかどうか、微妙な名前ですが、私はクリスチャンではなく典型的な日本人です。

私の妻はクリスチャンホーム育ちですが、あまりキリスト教のことを、知りません。よく言えば、教会に従順ということです。
仏教についても、牧師からの吹込みで、間違っている、という思想です。

私自身も仏教については勉強不足なので、キリスト教の初歩的な間違いを指摘された牧師のような、問答はできないのですが、

例えば、
仏教は○○は間違っていると指摘されたけど、キリスト教徒だって何気なく日本の慣習でやっている。
とか、
仏教は○○は間違っていると指摘されたけど、聖書でも同じことしてる。
とかいった例があれば教えていただきたいです。

仏教もキリスト教も、本質をしらず、教会のドグマに縛られている妻を論破してやりたいです。

棄協してほしい。
2013-01-29 火 23:20:25 | URL | 望み [編集]
「わたし自身」
さまざまな書き込みを読むと,いろんなことを感じます。
組織宗教の矛盾性や偽善性,聖書の矛盾や不合理性,はたまた
“神”の不公正まで,多くの人が,言いたいのだなあ,と。

けれども,「わたし」があるんだと思います。
自分の中の「わたし」と,自分が発信したメッセージの結果
作り出された「わたし」が一致していればよいと思います。

“クリスチャン”の信者,牧師,キリスト教・聖書・神の矛盾・
偽善・不公正について主張する人々,どんな“立場”でも。

例えば,「神はおかしい」という。でもやっぱり,「神」を
意識する「わたし自身」がいる。
また,「神は愛です」と教えながら同時に「震災は神の責任」
と教え,人々を矛盾した状態に置いているのに,責任を感じない
ように見える人(聖職者)もいます。

人はやっぱり,最後に残るのは,本当の自分だと思いますね。

例えば,「神」を意識する「わたし」は,「人はなんで,神を意識
するんだろう」と考えます。それが,「わたし自身」だと思います。

例えば,「聖書はおかしい」といいます。でも,そんなに「おかし
い」ものが,何千年も存在している。普通は,全く信用できない
人物とか,全く価値のない話などは,だれからも相手にされな
いから,すぐに消えてなくなる。では,それがたとえ「悪い」と感
じるものであっても,相当の期間存在しているということは,存
在するだけの「本当さ」があると思います。良い悪いの議論とは
別ですが。

じゃ,その「悪い」ことの「本当さ」とは何なのだろう。わたしはそう
思います。「わたし自身」がそう思っているんですね。

何か,理屈っぽくなりましたが,このブログに書き込んでいる方
々の意見は,考えるきっかけと言いましょうか,大変参考になって
います。
どうも,ありがとうございます。
2013-01-31 木 13:53:53 | URL | 読人 [編集]
Re: タイトルなし
> 初めまして♪

こちらこそ初めまして。

> いつもブログを興味深く拝見しています。

ありがとうございます。

> 実は私も最近までクリスチャンでした。ですが、聖書に疑問や矛盾を感じたり、自分の周りのクリスチャンの人を上から見下ろすような態度や変な選民意識、身内の集まりのような特定の人しか歓迎されない教会の礼拝等に嫌気がさしてクリスチャンをやめました。

その通りですね。
信仰の強い者が信仰の弱い、またはない者に対して「上から目線」なのは、
このブログのコメント欄を見れば一目瞭然ですね。
ああいうクリスチャンの姿を見ると、
本当にこの宗教から足を洗ってよかったと思います。


> 今は自由でのんびりした毎日を送っています。ぶっちゃけ、イエス・キリストだの神様という存在を信じていた頃から比べても今の方が幸せです(笑)

私もです。
今の方がはるかに気楽です。
原罪という名の罪の意識を植え付けられ、
神に懺悔をして罪の赦しを請うようなあの自虐的な生活には
もう二度と戻りたくありません。
2013-02-04 月 21:46:24 | URL | 桃栗 [編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013-02-05 火 16:51:09 | | [編集]
預言
以前、「預言が当たった、当たらない」ということが書かれていましたので、「預言」は当たったとか当たらないというものではないことを一言、言わせてください。
預言は広辞苑によると
『キリスト教で、神の霊感に打たれたと自覚する者が神託として述べる言説』
他の辞書では
『神や死霊の意志を媒介し、人々に伝えること。また、その言葉。とくに、超越神によって示された世界の意味・救済の意味などを人々に述べ伝えることをいう。』

旧約聖書の預言者、エリヤについて(列王記18章)ある人は以下のように言っています。
「預言者は神の言葉を預けられた者、預けられた神の言葉を人々に伝える者。それゆえに彼らには安住の地はない。神のふところのみが、彼らの安住の場である。」

「予言」は
『未来の出来事や未知の事柄をあらかじめ言うこと。また、その言葉。 』
こちらは神の意思は関係ないので、当たったとか当たらないと言うことができると思いますが、「預言」は、この言葉とは違うということを理解していただきたいと思いました。

「預言」は成就したか、しないかが問われることです。

インマヌエルの預言は成就されたと私は信じています。

聖書ではマリアがイエスのことをインマヌエルと呼ぶとは書かれていませんから、不特定多数(they)に「呼ばれるであろう」「となえられる」(口語訳)とあります。
エホバの証人は信じていないので、その聖書の言葉を信じる必要はないと思っています。

「インマヌエル=神われらと共にいます」 現在、私の身に起こっていることです。
「言(イエス・キリスト)は神であった」(ヨハネ1:1)

聖書の言葉を神の御言葉と信じている者にとって、聖書の御言葉が自分の心にある人は、神(イエス・キリスト)が共にいてくださっていると思えるのです。
「インマヌエル」はイエス・キリストの本質を言っている言葉だと思っています。
ヨセフとマリアは「イエス」と名づけなさい、と言われ、そのように名づけているのですから、それでいいのではないかと思います。

桃栗さんのお陰で、聖書の御言葉と改めて向かい合うことが出来ています。感謝です。
聖書に向かうことは神様に向かうことですから。
それから「三位一体」は
「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け・・・わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19~20)
「in the name of the Father, the Son, and the Holy Spirit」
このnameが単数形であることから、Father, Son, Holy Spirit は一つであると考えたようです。
何百年もの間、神学者が考えてきたことですから、間違いはないと私は信じています。

前にも申し上げましたが「分かったから信じるのではなく、信じたから分かることがある。」
証明することではなく、「信仰」なのですから、信じなければ分からないことがあるのではないでしょうか。

それから、祈りは神の御心に適う時に聞かれるものであること。自分中心の思いだけでは聞かれないこともあります。その祈りが、その人にとって良くないものならば、神はそれをその人に与えられません。
なぜなら、神は良いものだけを与えられます。たとえそれが、その人にとって辛い出来事であっても、後にそれを恵みに変えてくださいます。神様とはそういう方だと私は思っています。
辛い出来事を神からの試練と思えるか否かが、その人の人生の分かれ目ではないでしょうか。
7度祈ったエリヤの祈りのように、エジプトに売られたヨセフのように。
2013-02-05 火 19:31:32 | URL | Elle [編集]
預言の成就
新約聖書は旧約聖書の成就であると申し上げました。
ご存知かもしれませんが、わたくしが知っていることをお伝えしたいと思います。
興味がお有りでしたら、お手数ですがお読みください。

*イエス・キリストの誕生
  イザヤ7:14     マタイ1:23    (ご不満のようですが)
  イザヤ9:6-7    ルカ1:32-33
  詩篇2:7       使徒言行録13:15

*イエス・キリストの苦難
  イザヤ53章       使徒8:32~33

*イエス・キリストの十字架上の死
  詩編22編        マタイ27:46

*イエス・キリストの復活
  イザヤ55:3      使徒言行録13:34
               使徒言行録13:35
  イザヤ26:19     ルカ7:22

*ヨナとイエス
  ヨナが魚のお腹の中に三日間いたことは、イエスが三日目に復活することの予兆と言われています。

*十字架上の七つの言葉
  十字架上で語られた言葉が四福音書に書かれています。しかし、全ての福音書に同じことが書かれているの  ではありません。同じであるならば一つの福音書でいいわけです。
  マタイはユダヤ教からの改宗者、特にイスラエルとシリアに住む改宗者のために書かれ、マルコはマタイ、  ルカの資料となった書で、特にローマにおけるペトロの説教を反映している。
  ルカは主にギリシア・ローマの世界に生きる異邦人改宗者のため、ヨハネは最後に書かれたもので、もはや  弟子たちから福音を聞くことができなくなったキリスト者たちを対象に書かれたものと言われています。
  読まれる対象が違うので、それぞれ語る強調点が異なり、書かれることも同じではなくなってくるというこ  とになります。それら全て(四福音書)を通して、イエス・キリストのことを伝えていると思います。
  現在でも幾人かの人が同じ場面を見ても、覚えていることは異なってくるというのと同じだと思います。そ  れぞれ興味を持つところを覚えているものです。

*ユダの自殺
  申命記23:18      マタイ27:5
  ゼカリヤ11:12-13
  エレミヤ18:2、19:2、32:6-9
  詩篇41:9        使徒言行録2:16-21
  詩篇69:25
  詩篇109:8

またどなたかに自己満足と言われそうですが、「時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えましょう」(テモテⅡ4:2)という言葉がありますので。

「そこでイエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」                                       (ルカ:4:21)

因みに今日2月5日は、カトリックでは日本二十六聖人殉教者の日です。
2013-02-05 火 19:44:01 | URL | Elle [編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013-02-05 火 22:42:25 | | [編集]
あなたが 感じている 矛盾当然だと思います。なぜなら キリスト教は 人間が造った宗教だからです!
でも 本当の Adonaiの御顔が見えれば違いが分りますよ。私も そこから 脱出して本当の 主の御顔を発見しました。喜びがとび出て来ます!はっきりって プロテスタントもカトリックも エホバの証人も なにもかも みな どんぐりのせいくらべであっても おなじ 宗教 人間から 神に 到達しようとする 苦しい束縛。でも 本当の 親が与えてくれたものは
喜び 自由 解放 回復 修復 です。これを 宗教によって サタンが 全部 覆い隠しています。一番の問題は キリスト教会全体が これに気がつかないこと!  ああ 無情だと 思います
2013-02-06 水 23:36:45 | URL | 探求者 [編集]
Re: Re.クリスマス
> それで、「救世主」イエスが生まれてこの世の何がどう変わりました?
> イスラエルとその周辺の国との民族紛争は、
> 旧約聖書時代から何も変わっていないようですが?

>
>
> イエス・キリストが生まれて変わったことは、っていることを書けば、
>
> ①西暦が出来て、BCとADに人間の歴史が分かれるようになったこと。

私からの質問を今一度読み返してみてください。
私は「「救世主」イエスが生まれてこの世の何がどう変わりました?」と尋ねたのです。
そして、イエス誕生が預言されているとされるイザヤ書7章にはこう記されています。

それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで/彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。
主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ。


インマヌエルは。「災いを退ける」はずでしたよね。
西暦ができたことと救いがどう関係があるのでしょうか?
そもそも、西暦は、6世紀にもなってようやく算出されているのです。
つまり、それまでイエスの誕生年は顧みられなかったということです。
しかも、せかっく算出されたイエスの誕生年には、
数年の誤差があることはご存知ですよね。
結局、西洋人にとってのイエス誕生とは、その程度のものでしかないのです。
それで、西暦が生まれたことと「救い」がどう関係あるのですか?
それに、イエス=インマヌエル?は「アッシリアの王」だったのですか?
私は以前そう尋ねたのに、貴方は答えていませんね。
都合の悪い質問は無視ですか。


> ③西洋音楽の「ドレミファ・・・」が出来た。グレゴリオ聖歌が今の音楽の元になっています。
> このドレミファ音階が入ってこなければ、日本はずっと雅楽、琴、三味線の世界だと思います。今歌っているポップスも出来ていないわけです。
> それに、バッハもモーツァルトも日本人が好きなベートーベンの「第九」も無いわけです。

音楽と「救い」とどう関係あるのですか?
それで「災いが退けられた」のですか?


> ④キリスト教美術が多くできました。ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、私が好きなフラ・アンジェリコ、エル・グレコその他、これらの人達の絵画も無かったことでしょう。

美術と「救い」とどう関係あるのですか?
それで「災いが退けられた」のですか?


> ⑤今のヨーロッパ世界は無く、アメリカ合衆国も出来ていなかったでしょう。

アメリカ合衆国と「救い」とどう関係あるのですか?
それで「災いが退けられた」のですか?
むしろ災いばかり増えているような気がしますが。


> それから、私は戦争を絶対に悪いものであるとも考えていません。旧約の時代、モーセが神の杖を持ち、アマレクとの戦いに臨んだ時、モーセが両手を上げていると、イスラエルは優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になっていました。その時に、モーセの両側にアロンとフルが立ち、モーセの手を支えていたという話があります。(出エジプト17:8~15)

キリスト教は戦争を肯定するのですか?
では、インマヌエル預言に出てきた「災いを退ける」とは、何だったのですか?


> それから、イエス・キリストが生まれたのは、世の中(社会)を平和にするためではなく、平和でない時でも、苦しみの人生にある時でも、イエス・キリストを信じる者の心が平安であるようになるためであったと思います。罪(罪に苦しむ人)の赦しも含めて。

では、讃美歌「もろびとこぞりて」の歌詞の「平和の君」はウソだったんですね。

とにかく、キリスト教は「こじつけ宗教」だということを自覚してください。
2013-02-09 土 23:14:59 | URL | 桃栗 [編集]
アーミッシュの内ゲバ
アーミッシュの内輪もめ(内ゲバ)に関するニュース記事を見付けました。
http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1666848

この記事を見れば、アーミッシュが「平和的」だとする一般的な考えは、都市伝説に過ぎない、ということが分かります。組織にとって都合の悪い人物には、徹底的な迫害と弾圧を加えるのは、宗派や国・地域あるいは時代が違っても、キリスト教の得意技なのです。
2013-02-10 日 21:33:11 | URL | 巨大虎猫 [編集]
カインとアベル
こちらにコメントしたかったのですが禁止キーワード? にひっかかってしまったので、こちらに書かせていただきます。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-21.html

古い記事へのコメントでごめんなさい。
過去に同じことで悩んだことがあります。
一個人の意見というよりは妄言ですが、他の方とそういった話をすることがなかったのでぜひ感想を聞かせてくださるとうれしいです。

ちなみに、私はプロテスタント系の小学校に通っていました。
もともと家に宗教色はなかったので、中学からは神様と接する機会がめっきり減り、教会にすら行っていません。
以前は神社仏閣へ参拝することすら嫌がっていましたが、だんだん日本人的な神様の捉え方もできるようになりました。
仏様もイエス様も一緒に信じてしまいたいと思いつつ、なんとか両方を信仰できる都合の良い解釈はないものかと度々ない頭を搾っています。
なので少々歪んだ価値観を持っていると思います。ご容赦ください。

なぜ神様がカインの捧げものを受け取らなかったのか、その理由は聖書には明記されていないため、ただの偶然とも気まぐれとも考えられます。
(神様としては、その理由を正しく理解しているかしていないかが純粋な葡萄の血さんの仰る盲人と、そうでない天国に入れる人とを判断する基準なのかもしれません)
都合のよい解釈ではありますが、ヨブのように悪魔が神様を唆してカインの供物を受け取らなかった、というのはどうでしょうか。
悪魔の挑発に乗ってしまったカインがアベルを殺し、そのために神の怒りを買ってしまったのだと私は考えています。

ときどき神様が私たちに困難を与えるのは、私たちを試して、その試練に正しく対処できた人たちを選ぶためなのだと思います。
いくら不平等だと言っても、カインは憤ってアベルを殺してはいけないし、死ぬまで野菜を捧げ続けて、そのたび受け取られることがなくても、自分がいけないからだとしてまっすぐに神様を信じていれば神の国に入れたのだと思います。
それが出来ないからこそ人間といえるのでしょうけど。

主旨は外れてしまいますが、そもそも、旧約聖書はキリスト教というよりはユダヤ教よりだと私は感じています。
ユダヤ教はその迫害され続けた過去もあり、選民思想をより強化するために神様は野菜より羊を選んだ(民によって選ばせられた)のだと思います。
羊飼いである自分たちが迫害されている理由は、穢れていながらも救われる余地のない農耕民族である迫害者たちから憎まれているからだと。
聖典を通してユダヤの民の正当性を高めたかったからだと思われます。
これは聖書を単なる物語として捉えた記述で、まあそういう見方もあるのかなと私も思います。
それだけです。長くなってしまってごめんなさい。
2013-02-11 月 14:11:37 | URL | mika [編集]
はじめまして
ブログ拝見させていただきました。
率直に言って私は安心しました。
私は私立のプロテスタントの中高一貫校に通っていてもうすぐ晴れて卒業です。
学校では週に一回宗教の時間があって校長先生から有難い?お話しがあり、何かにつけてミサがあります。
教師は洗礼を受けている人が多く、教室には必ず十字架に磔られたイエス像が飾ってあります。
そんな環境で6年間過ごした私ですが正直キリスト教には胡散臭さしか感じてません。ニーチェの言葉を借りるならまさに「ルサンチマンに満ちた弱者の宗教」。
そうは言ってもそれは私が授業中寝てばかりでキリスト教の本質を理解していないとか斜に構えてミサなどに参加しているからキリスト教をそんな風に思ってしまっているのかもしれない。
単に私のキリスト教に対する経験不足から来る不信感なのだろうか。
そんな思いからキリスト教に首の皮一枚で繋がっているような状態でした。
だから私はあなたのような幼い頃からずっと信じて来てそれでもキリスト教はおかしいと感じる人がいることに安心と納得の気持ちを抱いたのです。
やっぱりキリスト教は矛盾点ばかりですよね…。荒唐無稽で非現実的なな聖書の内容は勿論、それが示唆する教訓も理解に苦しみます。
蓄える者は滅ぼされるでしたっけ。一銭も自身に残さず貧しい人々に分け与えなければ地獄に落ちるだなんて資本主義の全面否定じゃないですか。
ただそこに咲いてる花にも神の愛は注ぐなんて謳ってるけど、ならなぜ貧困に苦しみながらもその日を懸命に生き抜くソマリアやバングラデシュの人々が救われないのか。
などなどいろいろ言いたいことはありましたが授業では黙ってました。
成績落とされそうだったので、情けない話ですが…。

ズラズラ自分の事情とを書いてしまって失礼しました。

あっ、それと、コメントを見てると押し付けがましいキリスト教徒さんのコメントが多くて驚きました。
キリスト教が広まった所で世界は平和にならないと実証されてるのに信仰を自己完結せず他人に強要しようとする根性がキリスト教の堕落に拍車をかけているような気がしてなりません。

ええっと。とにかく私が言いたかったのはあなたの考えに共感しましたということです。
あなたのことを応援してます。
ここまでガキのコメントを読んでくださりありがとうございました。

2013-02-12 火 01:41:21 | URL | ロキ [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013-02-12 火 08:45:53 | | [編集]
ご無沙汰してます
クリスチャンって、独善的で排他的ですね
メンタル的に苦しんでいたとはいえ、私の過去の汚点です

人の質問に答えも出来ず、独善理論を長々語る傲慢さ、理解力欠如、そしてあまりにも見苦しい摩り替え話法

人間失格ですね

桃栗様、心労で倒れないで下さいね

クリスチャン キモい
2013-02-12 火 20:11:54 | URL | えびせんZ [編集]
Re: キリスト教と仏教
> 桃栗さんはじめまして。

こちらこそ初めまして。

> 私の妻はクリスチャンホーム育ちですが、あまりキリスト教のことを、知りません。よく言えば、教会に従順ということです。
> 仏教についても、牧師からの吹込みで、間違っている、という思想です。

私はこのブログで何度か発言してきましたが、
夫婦のどちらかがクリスチャンという場合、
奥様だけがクリスチャンというケースが圧倒的に多いです。
そしてクリスチャンは、実際にはキリスト教をよく理解できていないのに、
教会で牧師さんの話を聞いただけで理解できたつもりになっているのです。
私も、小さい頃から仏教や神道は間違っていると信じていました。
あれこそ貴方のおっしゃる通り「吹き込み」です。

そして、私がブログで聖書の矛盾点を取り上げると、
「それは桃栗さんの解釈がおかしい、それはこれこれこういう意味だ」
とクリスチャンから反論が返ってきます。
しかし、それは所詮は自分の目で聖書を読んで確かめた解釈ではなく、
ただ教会で吹き込まれた知識を振りかざしているだけです。


> 私自身も仏教については勉強不足なので、キリスト教の初歩的な間違いを指摘された牧師のような、問答はできないのですが、
>
> 例えば、
> 仏教は○○は間違っていると指摘されたけど、キリスト教徒だって何気なく日本の慣習でやっている。
> とか、
> 仏教は○○は間違っていると指摘されたけど、聖書でも同じことしてる。
> とかいった例があれば教えていただきたいです。
>
> 仏教もキリスト教も、本質をしらず、教会のドグマに縛られている妻を論破してやりたいです。

聖書の知識があればいくらでも矛盾点を突けると思いますが、
そうでなければ、一般的な部分で矛盾点を突いてみてはどうでしょう?
例えば、キリスト教と言えば「汝の敵を愛せよ」「汝殺すなかれ」なのに、
なぜキリスト教国のアメリカが軍隊や核兵器を持っているのかとか、
なぜ日本に原爆を2回も落としたのかとか、
そういう一般的なことで矛盾を突いてみるのはどうでしょう。
他に、なぜヨーロッパの白人たちは世界中を侵略して植民地にしたのかとか、
なぜキリスト教国の北アイルランドで紛争が絶えないのかとか、
なぜキリストの聖地イスラエルは戦争ばかりしているのかとか、
いくらでもそういう矛盾点が出てきます。


> 棄協してほしい。

お気持ちよくわかります。
2013-02-21 木 23:34:41 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 預言
> 以前、「預言が当たった、当たらない」ということが書かれていましたので、「預言」は当たったとか当たらないというものではないことを一言、言わせてください。
> 預言は広辞苑によると
> 『キリスト教で、神の霊感に打たれたと自覚する者が神託として述べる言説』
> 他の辞書では
> 『神や死霊の意志を媒介し、人々に伝えること。また、その言葉。とくに、超越神によって示された世界の意味・救済の意味などを人々に述べ伝えることをいう。』

なるほど、辞書や広辞苑からの引用ですか。

> 「預言」は成就したか、しないかが問われることです。
>
> インマヌエルの預言は成就されたと私は信じています。

では、私からも反論させていただきます。
あなたはちゃんと「成就」という言葉を辞書や広辞苑で調べましたか?
ネットの辞書で調べたらこう書いてありました。


じょう‐じゅ【成就】 [名](スル)物事を成し遂げること。また、願いなどがかなうこと。「悲願を―する」「大願―」

ほら御覧なさい。
成就=当たったではありませんか。
あなたは「預言は成就するもの」などともっともらしくのたまいますが、
ただ表現を変えているだけではありませんか。
あなたは都合の良い言葉は辞書や広辞苑で調べるのに、
都合の悪い言葉は調べようとしないのですね。


> 「言(イエス・キリスト)は神であった」(ヨハネ1:1)

どこに「言(イエス・キリスト)」と書かれているのですか?
皆さん、ご覧になったでしょう?
クリスチャンは、聖書に記述がなくても、
無理やり都合の良い言葉を付け加えてつじつまを合わせるのです。
こうやってキリスト教は今日まで生き延びてきたのです。


> 聖書の言葉を神の御言葉と信じている者にとって、聖書の御言葉が自分の心にある人は、神(イエス・キリスト)が共にいてくださっていると思えるのです。
> 「インマヌエル」はイエス・キリストの本質を言っている言葉だと思っています。
> ヨセフとマリアは「イエス」と名づけなさい、と言われ、そのように名づけているのですから、それでいいのではないかと思います。

往生際が悪いですね。
では、「(その子は)インマヌエルと名付けられる」の部分はどうなるのですか?
何のためにマタイはその言葉を引用したのでしょう。


> それから「三位一体」は
> 「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け・・・わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19~20)
> 「in the name of the Father, the Son, and the Holy Spirit」
> このnameが単数形であることから、Father, Son, Holy Spirit は一つであると考えたようです。
> 何百年もの間、神学者が考えてきたことですから、間違いはないと私は信じています。

何百年も続く=間違いはないとおっしゃるなら、
イスラム教や仏教も何世紀も続いていますが、
それも間違いないということですね。
2013-02-23 土 22:18:55 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 預言の成就
> 新約聖書は旧約聖書の成就であると申し上げました。
> ご存知かもしれませんが、わたくしが知っていることをお伝えしたいと思います。
> 興味がお有りでしたら、お手数ですがお読みください。

興味がないし、お手数なので読みません
2013-02-23 土 22:21:31 | URL | 桃栗 [編集]
Re: アーミッシュの内ゲバ
> アーミッシュの内輪もめ(内ゲバ)に関するニュース記事を見付けました。
> http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1666848
>
> この記事を見れば、アーミッシュが「平和的」だとする一般的な考えは、都市伝説に過ぎない、ということが分かります。組織にとって都合の悪い人物には、徹底的な迫害と弾圧を加えるのは、宗派や国・地域あるいは時代が違っても、キリスト教の得意技なのです。

またまたアーミッシュネタの提供どうもありがとうございます。
以前、民主党の小沢さんが「キリスト教は排他的」と発言したことがありますが、
キリスト教は他宗教に対して排他的であるだけではなく、
同宗教内でも異様に排他的なところがあります。
このアーミッシュの事件はその好例です。
特に、信仰熱心で敬虔(だと自分で思っている)クリスチャンに限って、
その熱心さが変な方向に向いてしまう傾向があります。

それにしても、アーミッシュは19世紀の生活様式を守っているそうですが、
それが聖書的にどういう意義があるのでしょうか。
せめて聖書と同じ時代の生活を守るならまだわかりますが、
19世紀というのは実に中途半端です。
しかも、ネット上の写真を見てみると、
ビニールの買い物袋を持っていたり、サングラスをかけてたり、
子供をベビーカーに乗せたり、
結局は現代の「文明の利器」に頼らざるを得ないのです。
もう、本当にやっていることが中途半端すぎて笑えます(笑)。
2013-03-10 日 21:29:20 | URL | 桃栗 [編集]
Re: カインとアベル
> 過去に同じことで悩んだことがあります。
> 一個人の意見というよりは妄言ですが、他の方とそういった話をすることがなかったのでぜひ感想を聞かせてくださるとうれしいです。
>
> ちなみに、私はプロテスタント系の小学校に通っていました。
> もともと家に宗教色はなかったので、中学からは神様と接する機会がめっきり減り、教会にすら行っていません。
> 以前は神社仏閣へ参拝することすら嫌がっていましたが、だんだん日本人的な神様の捉え方もできるようになりました。

こんにちは。あなたはプロテスタント系の学校で洗脳されたのですね。
私も、学校の遠足や修学旅行で神社仏閣に行くと、
なんだか間違った場所に来ているような感覚になりました。


> 仏様もイエス様も一緒に信じてしまいたいと思いつつ、なんとか両方を信仰できる都合の良い解釈はないものかと度々ない頭を搾っています。
> なので少々歪んだ価値観を持っていると思います。ご容赦ください。

そのようなことでお悩みでしたら、
無理してイエスを信じる必要はないのでは?
どうしてもとおっしゃるなら、
イエスは伝説上の人物だったとでも思っておけばいいのでは?


> なぜ神様がカインの捧げものを受け取らなかったのか、その理由は聖書には明記されていないため、ただの偶然とも気まぐれとも考えられます。
> (神様としては、その理由を正しく理解しているかしていないかが純粋な葡萄の血さんの仰る盲人と、そうでない天国に入れる人とを判断する基準なのかもしれません)
> 都合のよい解釈ではありますが、ヨブのように悪魔が神様を唆してカインの供物を受け取らなかった、というのはどうでしょうか。
> 悪魔の挑発に乗ってしまったカインがアベルを殺し、そのために神の怒りを買ってしまったのだと私は考えています。
>
> ときどき神様が私たちに困難を与えるのは、私たちを試して、その試練に正しく対処できた人たちを選ぶためなのだと思います。
> いくら不平等だと言っても、カインは憤ってアベルを殺してはいけないし、死ぬまで野菜を捧げ続けて、そのたび受け取られることがなくても、自分がいけないからだとしてまっすぐに神様を信じていれば神の国に入れたのだと思います。
> それが出来ないからこそ人間といえるのでしょうけど。

まだ貴方様はキリスト教的洗脳が解けていないようですね。
あくまでも聖書には矛盾はないとして、
頭の中でどうにかしてつじつまを合わせようと悩んでおられるのですね。
とにかく、聖書はおとぎ話なのです。
たかがおとぎ話しごときに何を悩んでいらっしゃるのでしょう。
日本にだってかぐや姫や桃太郎などのおとぎ話があるでしょう?
あれだって、理論的に考えたら矛盾だらけですよ。
しかし、そんなことでつじつまを合わせようと悩む日本人なんていませんよね?

あなたの洗脳が早く解けますように。
2013-03-10 日 21:41:04 | URL | 桃栗 [編集]
Re: はじめまして
> ブログ拝見させていただきました。
> 率直に言って私は安心しました。
> 私は私立のプロテスタントの中高一貫校に通っていてもうすぐ晴れて卒業です。
> 学校では週に一回宗教の時間があって校長先生から有難い?お話しがあり、何かにつけてミサがあります。 

こちらこそ初めまして。
ちょっと気になったのですが、
プロテスタント系の学校なのに「ミサ」があるのでしょうか?


> 教師は洗礼を受けている人が多く、教室には必ず十字架に磔られたイエス像が飾ってあります。

こちらもちょっと気になりました。
十字架に磔にされたイエス像を飾るのはカトリックだけだと思っていたのですが、
プロテスタントにもそういう像を飾るところがあるのは興味深いです。


> そんな環境で6年間過ごした私ですが正直キリスト教には胡散臭さしか感じてません。ニーチェの言葉を借りるならまさに「ルサンチマンに満ちた弱者の宗教」。

まったくその「胡散臭い」そのものです。
そもそも処刑された死体をシンボルにするなんて悪趣味です。
イエスの処刑は遠い遠い昔の話であり、記録が残っていないがために、
それがかえっていろいろと尾ひれがついて「美化」されているだけです。
もしもイエスの時代に高度な写真技術があって、
十字架で死刑にされた死体のカラー写真が残っていたら、
そんなものを学校の教室に飾る気になりますか?


> そうは言ってもそれは私が授業中寝てばかりでキリスト教の本質を理解していないとか斜に構えてミサなどに参加しているからキリスト教をそんな風に思ってしまっているのかもしれない。
> 単に私のキリスト教に対する経験不足から来る不信感なのだろうか。

そのお気持ち、大変良くわかります。
私も、自分がキリスト教を理解できないのは、
自分の信仰不足が原因だと思って自分を責めていました。


> そんな思いからキリスト教に首の皮一枚で繋がっているような状態でした。
> だから私はあなたのような幼い頃からずっと信じて来てそれでもキリスト教はおかしいと感じる人がいることに安心と納得の気持ちを抱いたのです。

> 蓄える者は滅ぼされるでしたっけ。一銭も自身に残さず貧しい人々に分け与えなければ地獄に落ちるだなんて資本主義の全面否定じゃないですか。

まったくもってその通り。
教会では、「金持ちは天国へ行けない」というあの有名な話をしばしな取り上げ、
ひたすら与えること、捧げることを教えようとします。
私は社会人になったころ、自分の預金通帳の残高が増えていくのを見て、
「貧しい者に与えなければ自分は地獄へ行くのだろうか」と罪悪感すら覚えました。
あれこそまさに洗脳そのものです。
そして、現実に、クリスチャンは本当に全財産を施す努力をしているかというと、
全然そんな人は見たことがありません。
結局、「貧しい者に与えなさい」とは口先だけのきれいごとなのです。
都会に出れば、大きな立派な教会を見かけることがありますね。
そんなにお金があるのなら、貧しい人に与えるべきですよね。
イエスは「大きな立派な教会を建てなさい」などと教えたでしょうか?
クリスチャンは、聖書に書いてある教えを守ろうとせず、
書いていないことばかりを守ろうとするおかしな人たちなのです。


> ただそこに咲いてる花にも神の愛は注ぐなんて謳ってるけど、ならなぜ貧困に苦しみながらもその日を懸命に生き抜くソマリアやバングラデシュの人々が救われないのか。
> などなどいろいろ言いたいことはありましたが授業では黙ってました。
> 成績落とされそうだったので、情けない話ですが…。

こういう話を聞くと、私がキリスト教系の学校に進学しなくて良かったと思います。
もしも私がそういう学校に行っていたら、
より一層、キリスト教と現実との間で葛藤に陥っていたことでしょう。


> ズラズラ自分の事情とを書いてしまって失礼しました。
>
> あっ、それと、コメントを見てると押し付けがましいキリスト教徒さんのコメントが多くて驚きました。
> キリスト教が広まった所で世界は平和にならないと実証されてるのに信仰を自己完結せず他人に強要しようとする根性がキリスト教の堕落に拍車をかけているような気がしてなりません。

やっぱり一般的な視点で見るとそう思いますよね。

> ええっと。とにかく私が言いたかったのはあなたの考えに共感しましたということです。
> あなたのことを応援してます。
> ここまでガキのコメントを読んでくださりありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。
2013-03-11 月 23:01:16 | URL | 桃栗 [編集]
Re: ご無沙汰してます
> クリスチャンって、独善的で排他的ですね
> メンタル的に苦しんでいたとはいえ、私の過去の汚点です
>
> 人の質問に答えも出来ず、独善理論を長々語る傲慢さ、理解力欠如、そしてあまりにも見苦しい摩り替え話法
>
> 人間失格ですね

ああいうクリスチャンを見ていると、
本当に私はこの宗教から足を洗って正解だったと思います。
本当に独り善がりな宗教だと思います。


> 桃栗様、心労で倒れないで下さいね

もう毎日仕事と人間関係のストレスがたまって大変です。
いつか後遺症の残らない自殺未遂でもして、
私がどれほど思いつめていたか周囲に分からせてやりたいと思うことがあります。
1年以上ブログの更新がない場合は死んだと思ってください。


> クリスチャン キモい

同感です(笑)。
2013-03-15 金 00:02:33 | URL | 桃栗 [編集]
探していました
はじめまして、桃栗さん。
私は二世として生まれ、信仰告白と受洗もしたものの、棄教を考えている者です。
両親は過干渉かつ支配的で、精神的虐待を受けて育ちました。
いつも厳格で、ふとしたことで直ぐにキレて無視する両親に気に入られたい一心で、洗礼を受けると申し出てしまった幼い日の自分が哀れでなりません。
お友達と浴衣を着て近所のお祭りに出かけたいと言った私を、公衆の面前で「お前は何教なんだ?!クリスチャンはお祭りなんて関係ないんだ!」と叱り飛ばした母を、今でも恨んでいます。
学生時代にニーチェに出会い、哲学を学びたいと言ったところ、「神から離れる」との理由で猛烈に反対され、諦めてしまった経緯もあります。
その後、社会人となり、家を出て海外生活をし他の宗教に触れてみて、素朴に疑問に思っています。
違う部族や民族としょっちゅうドンパチやっているような風土で生まれた宗教を、八百万の神様がおわす小さい島国で生まれ育った人たちは、どこまで理解できるんでしょうか?
クリスチャンホームで育ち、パイプオルガの調べに厳粛な気持ちになったりしますが、道端のお地蔵さんや除夜の鐘、雅楽、お盆の風習に心洗われ…日本人だなと実感します。
とりとめない書き込みですみません。
誰にも話せなかったので、つい嬉しくなり長々書き連ねてしまいました。
お体ご自愛のうえ、どうぞこれからもブログお続けください。応援しています。
2013-03-16 土 07:22:07 | URL | スス [編集]
管理人のみ閲覧できます
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2013-03-19 火 00:18:05 | | [編集]
>独善理論を長々語る傲慢さ、理解力欠如、そしてあまりにも見苦しい摩り替え話法
>本当に独り善がりな宗教だと思います。

 しかし、そのやり方のどこに問題があるというんですか? 彼ら(僧職者たち)が批判される謂われは何もないと
思いますよ。
 なぜなら詭弁であろうとも確かな答え(ドグマ)を望むのはいつでも子羊たちの方だからです。
 自分からは何もせず、社会や他人に文句ばかり言い、努力はせず、リア充を妬み、出る杭は打つ…それが人間の怠惰で身勝手な性(さが)というもの。
 そんな子羊たちが望む「確かな答え」を教会が提供する。
 たしかに教会はそうした彼ら凡夫たちの弱い心につけこんでいたかも知れません。
 しかし、子羊たちもまた、指導(支配)されることに満足しているんですよ。
 神や仏などは、人間の弱い心が作り出した偶像にすぎない。
 神がサディスティックなのは、人間が元々マゾヒストだから。
 本当は薄々それに気付いていながら その「牧場」に囲われていた子羊(あなた)たちの責任なんですよ。教会のせいににすべきではないです。
2013-03-20 水 04:03:36 | URL | GB [編集]
私もクリスチャンホーム出身です
はじめまして、桃栗さん。

クリスチャンホーム出身ですと、社会生活をしていくうえでいろいろと困ることがありますね。
両親は進歩的インテリ気取りでキリスト教こそ正義、理想という考えでした。さらに西洋かぶれの面もあり、日本社会の後進性を指摘したりしてました(最近は欧米の教会離れ、第三世界のキリスト教を知っていわなくなりましたが)。
問題なのは、若者文化に触れさせてもらえず、おしゃれをしたり、流行りのテレビ番組を見ることはよくないと教えられ、学生時代はつまらなかったですね。

あと、困ったことがあって相談しても、聖書を読めば悩みは消えると言われたときはいやでした。信仰で煙に巻かずに話したいことがあったのに。

おまけに親はクリスチャンですよとすぐ言うたちだったみたいで、小学校ではみんなに知られて恥ずかしかったです。ちょうどオウム真理教の事件も重なりましたし。
親は変な宗教ではないから、悪いことはしていないとのスタンスみたいですが、日本では神道と葬式や先祖供養の仏教以外は異端視され、普段の生活では宗教に触れてはいけないということがわかっていなかったみたいです。
社会とずれた感覚もクリスチャンの性質の一つなのでしょう。

親を見ていて思ったのですが、なぜ日曜の午後もずっと教会に残って教会に尽くそうというのか理解不能です。もっと他の時間の使い方もあるのに。
また、教会に献金するだけのお金があれば他に使って欲しかったです。レジャーに行ったりした記憶はあまりなかったので。

大人になってカトリック教会に通った時期もありますが、いまはどこの教会にも通っていません。
カトリック信者は冠婚葬祭だけの人も多く、プロテスタントと比べて信仰にはどこか冷めています。その一方で熱狂的な信者は少し批判的なことをいうと(素朴な疑問で教会について触れただけでも)、このブログで桃栗さんにいやがらせをしてくる人みたいに皮肉を言ってくる変な人もいました。

教会に通った日々、あのカトリック信者とのつきあいや、クリスチャンホームでの子ども時代のことを思い出すと人生をもっと有意義に過ごせばよかったと悔やまれます。




2013-03-20 水 12:25:18 | URL | まねきねこ [編集]
別な宗教にハマる者
お久しぶりです。

 キリスト教を棄教しても、また別な宗教にハマる者もいますよ。しかもクリスチャンに劣らぬほど執拗に、その宗教を勧誘する者もいる。こちらのブログにも何度か書込みしている「ミスラ」なるブロガー、ご存知ですよね?『食と世界』管理人でキリスト教非難を繰り返しつつ、方々で菜食主義を説いている。
 ただし、「菜食しろとは言わないがクジラ・馬・トリ・シカがあれば十分」「別に魚介の敬遠までは含んでいない」と言っていたので、完全な偽ベジですが。この者、拙ブログで興味深いことを書込みしていました。(※拙ブログでのHNは“秀和”)
 
人は元々が罪に対し脆弱でスクラップな造りです。だから神が哀れまれ自らを犠牲となされた。人類はその完全な捧げ物を通してのみ正しく生きられるようになったと一遍の曇りなく断言できるではありませんか? ならば信じなさい。人類の罪のために死なれ、熱湯に架かって冥府に下り、8分後に甦られた方を」(2013-02-16 03:20)
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/dd80e6b989edca869299eafe2eb28f1f#comment-list

西洋が個人の欲心と筋肉なら東洋は協同一致的で野球・サッカーで容易に日本が韓国を上回れない論理に根ざす救世主の波動で人間革命を為すべきではありませんか?」(2013-03-05 03:58)
宗教は勧めませんが、日本の男は兵役が無いのだからダンベル、野菜、素麺を買い込み宇宙神からの霊波を受け取る程度の努力はすべきだとの意識変革が使命的に提案されますか、されませんか」(同上)

 支離滅裂なミスラの意見は全く受け入れられないので、IDを書込み禁止にしたら、新たに3つのIDを取ってコメントする。そのため、2013-03-05 03:58の書込みは保存後、削除しました。エホバの証人や統一教会並のしつこさですね。彼の罵倒していたクリスチャンとは、本人自身の投影そのものでしょう。自称パスタファリアンですが、コメントから詐称の可能性も高い。

 この者は異様に中韓、殊に韓国に拘り、「糞jap」「fuckin' jap 」「糞日本人」の暴言を繰り返しているため、ほぼ在日と私は見ています。己のブログで80年代前半生まれと称していたので、事実ならばもう30歳前後となる。環境保護や平和を唱える者の正体など、この程度なのです。
2013-03-20 水 20:05:32 | URL | mugi [編集]
はじめまして。桃栗さん
ブログを読ませて頂きました。
あなたが持たれている疑問、主張はもっともだと思います。

しかし、あなたが誤解されているところも有りますので私が知る限りの知識、経験でそれを説明したいと思います。

1教会や牧師さんについて

教会に所属し数年神学校に通う事で牧師になる事は可能です。あなたも経験されたと思いますが聖書をいくら勉強しても本当に言いたい事を理解するのは無理なのです。
普通の牧師さんは学校で学んだ事、自分で調べた事をノートにまとめ説教しているだけです。
そういう教会がほとんどだと思います。失礼ですが、あなたが通った教会もそういう教会ではと思います。

2行いではない

あなたは毎日教会に通い聖書も一生懸命勉強されたけれど何も変わらなかったと言っていますね。

昔、律法学者、パリサイ人も一生懸命やっていたけれど神様からは相手にされませんでした。
人間が教祖なら彼らは一番弟子だったと思います。
人間が神様と関われるのは行いではなく選びだという事です。

3聖書はなぜ矛盾したりわかりずらいのか

人間が教祖なら私たちが簡単に気づくような誤ちはしないと思いませんか。
そしてもっとわかりやすい内容にしたはずです。

なぜ聖書は解りずらいのかというと神の子だけに内容を伝えたいからです。
人間の力では本来の意味がわからないように隠されているのです。
だから聖書は学んだ時間に比例して理解できるものではありません。

あなたは知恵の賜物というのを知っていますか。
聖霊様の力を借りることで内容が理解できるようになります。

私は聖書を15回通読しましたが結局、漠然とした内容しかつかめませんでした。
しかしある時を境にして聖書の隠された意味が少しづつわかるようになりました。

4神様との出会い

神様が人間の姿でおられた時は直接会う事ができました。
しかし今は天におられるので直接会う事はできません。
神様は霊なので霊的な体験を持ってコンタクトされます。

パウロがどのように変わっていったかは知っていますよね。
全く同じではないですが神様と関わる人は同じような経験を持っているはずです。
そうすると聖書の内容がおかしいとか矛盾するといった事は大した事ではなくなります。


長くなってしまいますのでこれでやめます。

最後に結論を言います。

桃栗さんはキリスト教という信仰を一生懸命やっていたけれど、神様とは出会っていないという事です。

ひとりひとり神様の時があるので、この先、出会える可能性はあります。
しかし出会えるかどうかは行いではなく神様の選びなので保証はできません。

桃栗さんは忙しそうですね。私の手紙をいつ読んでもらえるかわからないので私のブログをのせておきます。
calebyoshi.blog.fc2.com

カレブよし より
2013-03-22 金 14:21:04 | URL | カレブよし [編集]
教会は建物?
桃栗さん、お久しぶりです。
【重荷を負えなかった者】です。

前回私の書き込みに返答してくださり有り難うございました。

今回も気になった事があったので書き込みます。

それは新約聖書に書かれている「教会」という言葉です。
これはギリシャ語で、エクレーシアと呼ばれていますが、
建物の意味で使われたことは一度もありません。
意味は集合体という意味です。

聖書にあらゆる意味で忠実に行動しようとする牧師、教会員が、
何故聖書の言っていない、建物をわざわざ建てて礼拝するのか、
わかりません。シナゴーグ【会堂】を建てて礼拝していた律法学者や
パリサイ人と同じことをしているのに気がつかないのでしょうか?

いや、神学校に行った牧師ならそのぐらいのことは学んでいる
はずです。まぁ聖書には旧約、新約通しても、【学校】と言う言葉は一切出て来ないので神学校そのものに行っている時点で聖書には従ってないと思いますが。 この質問をクリスチャンにしますと、様々な答えが帰ってきますが、ほとんどが、キリスト教書店の本の内容で終ります。

また、牧師に聖書に関する質問をすると大変です。何故か非常に高度な?聖書解釈に発展していきます。最後は訳のわからない答えが返ってきます。
まぁそれも、ほとんどがキリスト教書店で買える、聖書事典、
注解書、コンコルダンス、聖書地図、人物辞典、植物事典、動物事典、
聖書歴史事典、聖書大百科事典、ギリシャ語辞書、ヘブル語辞書、
講解説教集、礼拝歴史事典、キリスト教音楽関係の書、聖書写真集等々からの受け売りなんですが(汗)

逆に考えると、聖書を正しく読むには、神学校に入学して 、聖書関係の高い書籍を沢山買って、勉強して、単位をとって卒業した牧師でないと聖書を教えてはいけないという風潮になっているのが、とても不思議です。

聖書にそんな事一言でも書かれていますかね?
イエスの時代では、一般市民は読み書きなど、ほとんどが
できなかったはずですが………?
2013-03-23 土 01:16:08 | URL | 重荷を負えなかった者 [編集]
桃栗さんへ
私はあなたのブログを読み、あなたの疑問、誤解を解消しようと投稿しましたが1週間経ってもチエックされた形跡がありません。
だからもうあなたのブログへの直接の投稿をする事はやめます。
しかしあなたのブログを読んであなた意外にも誤解されている方がかなりおられるのを知りました。
だからあなたの疑問、誤解の内、私が解決できるものに関して私自身のブログで解説する事にしました。
もし関心があるようでしたら見てください。
ブログはcalebyoshi.blog.fc2.comです

カレブよし
2013-03-29 金 11:45:50 | URL | カレブよし [編集]
Re: 探していました
> はじめまして、桃栗さん。
> 私は二世として生まれ、信仰告白と受洗もしたものの、棄教を考えている者です。

こちらこそ初めまして。
私はがブログを書いている目的の一つが、
キリスト教を辞めることを迷っている人の後押しをするためでもあります。


> 両親は過干渉かつ支配的で、精神的虐待を受けて育ちました。
> いつも厳格で、ふとしたことで直ぐにキレて無視する両親に気に入られたい一心で、洗礼を受けると申し出てしまった幼い日の自分が哀れでなりません。

私もそうです。
親に叱られたくないから洗礼を受ける決心をせざるを得なかったのです。


> お友達と浴衣を着て近所のお祭りに出かけたいと言った私を、公衆の面前で「お前は何教なんだ?!クリスチャンはお祭りなんて関係ないんだ!」と叱り飛ばした母を、今でも恨んでいます。

うちも、初詣、お祭り、盆踊りなどの日本の伝統行事とは無縁でした。
小学生の頃、学校で七夕祭りがあり、
私はお供え物として野菜を持って行くことになりました。
ところが、「神様じゃないものにお供え物をしちゃダメ」と母に叱られました。


> 学生時代にニーチェに出会い、哲学を学びたいと言ったところ、「神から離れる」との理由で猛烈に反対され、諦めてしまった経緯もあります。
> その後、社会人となり、家を出て海外生活をし他の宗教に触れてみて、素朴に疑問に思っています。
> 違う部族や民族としょっちゅうドンパチやっているような風土で生まれた宗教を、八百万の神様がおわす小さい島国で生まれ育った人たちは、どこまで理解できるんでしょうか?

まったくその通り。
イスラエルとその周辺の国々の民族紛争は、旧約聖書の時代から続いており、
一向に解決する気配がありません。
自国さえ平和にできない宗教が、世界を平和にできるわけがありません。
実際、キリスト教が世界中に広まっても平和になっていません。
むしろ、クリスチャン人口が極端に少ない日本の方が、
治安が良くて平和なのは皮肉ですよね。
逆に、キリスト教文化圏の西洋の方が治安が悪いような気がしてなりません。


> クリスチャンホームで育ち、パイプオルガの調べに厳粛な気持ちになったりしますが、道端のお地蔵さんや除夜の鐘、雅楽、お盆の風習に心洗われ…日本人だなと実感します。

私もまったく同感。
私は可能な限りお正月は初詣に行き、日本人で良かったことを実感しています。
神社仏閣に観光に行く時も、じっくりと日本の文化を楽しんでいます。


> とりとめない書き込みですみません。
> 誰にも話せなかったので、つい嬉しくなり長々書き連ねてしまいました。
> お体ご自愛のうえ、どうぞこれからもブログお続けください。応援しています。

こちらこそありがとうございます。
2013-04-02 火 22:38:44 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
>  神や仏などは、人間の弱い心が作り出した偶像にすぎない。
>  神がサディスティックなのは、人間が元々マゾヒストだから。

これは当たっていますね。
クリスチャンを見ていると、マゾヒストなのではないかと思えてしまいます。
自らを「罪びと」と称し、天国に行くために死ぬまで献金や懺悔を続けるのですから。
2013-04-03 水 22:03:31 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 私もクリスチャンホーム出身です
> はじめまして、桃栗さん。

こちらこそ初めまして。

> クリスチャンホーム出身ですと、社会生活をしていくうえでいろいろと困ることがありますね。

まったくその通りです。
クリスチャンホームという、世間とは違う世界で育ってきたがために、
普通の日本人的な感覚が身に付いていない気がしてなりません。
特に、集団行動が大の苦手です。


> 両親は進歩的インテリ気取りでキリスト教こそ正義、理想という考えでした。さらに西洋かぶれの面もあり、日本社会の後進性を指摘したりしてました(最近は欧米の教会離れ、第三世界のキリスト教を知っていわなくなりましたが)。
> 問題なのは、若者文化に触れさせてもらえず、おしゃれをしたり、流行りのテレビ番組を見ることはよくないと教えられ、学生時代はつまらなかったですね。

私も、遊びたい年頃に教会生活に縛られていたために、
同年代の子供と遊んだ時間が極端に少なかったと思います。
また、教会に行かなければならないがために、
観たいテレビ番組も観ることができず、ずいぶん悔しい思いをしました。


> あと、困ったことがあって相談しても、聖書を読めば悩みは消えると言われたときはいやでした。信仰で煙に巻かずに話したいことがあったのに。

私も、牧師さんに悩みを話しても、
「正しく信仰すれば道は開ける」というありきたりな答えでした。


> おまけに親はクリスチャンですよとすぐ言うたちだったみたいで、小学校ではみんなに知られて恥ずかしかったです。ちょうどオウム真理教の事件も重なりましたし。

そのお気持ち、すごく良くわかります。
私も、学校では自分がクリスチャンだと言うのが恥ずかしかったです。
例えば、学年が上がってクラスが変わりますよね。
しばらくは私がクリスチャンだということがばれないのですが、
知っている子が言いふらしたりすると、
そういう噂に限ってあっという間にクラス中に広まるんですよね。


> 親は変な宗教ではないから、悪いことはしていないとのスタンスみたいですが、日本では神道と葬式や先祖供養の仏教以外は異端視され、普段の生活では宗教に触れてはいけないということがわかっていなかったみたいです。

これも我が身のことのように良くわかります。
私も、クリスチャンであることを理由にいじめられることを親に話しても、
「正しいことをしているのだから堂々としていればいい」と言うだけ。


> 社会とずれた感覚もクリスチャンの性質の一つなのでしょう。

八百万の神がいる日本で、あえて西洋の宗教を選ぶわけですから、
クリスチャンには多かれ少なかれ世間と感覚がずれている気がします。


> 親を見ていて思ったのですが、なぜ日曜の午後もずっと教会に残って教会に尽くそうというのか理解不能です。もっと他の時間の使い方もあるのに。
> また、教会に献金するだけのお金があれば他に使って欲しかったです。レジャーに行ったりした記憶はあまりなかったので。

どうもキリスト教には清貧を重んずるところがあって、
「お金を使う=贅沢=悪いこと」という風潮がありますね。


> 大人になってカトリック教会に通った時期もありますが、いまはどこの教会にも通っていません。
> カトリック信者は冠婚葬祭だけの人も多く、プロテスタントと比べて信仰にはどこか冷めています。その一方で熱狂的な信者は少し批判的なことをいうと(素朴な疑問で教会について触れただけでも)、このブログで桃栗さんにいやがらせをしてくる人みたいに皮肉を言ってくる変な人もいました。
>
> 教会に通った日々、あのカトリック信者とのつきあいや、クリスチャンホームでの子ども時代のことを思い出すと人生をもっと有意義に過ごせばよかったと悔やまれます。

私もそう思います。
普通の家庭に生まれていたら日曜日は自由に遊べたのに、と思います。
奪われた日曜日を返してほしいです。
2013-04-03 水 22:31:47 | URL | 桃栗 [編集]
同感です。
 桃栗様、スス様、まねきねこ様、始めまして。
私も、クリスチャンホームに生を受け、超厳格な両親の元、きっちりキリスト教のマインドコントロールを受けてきました。なので、ご両人の書き込みに共鳴して、ここに書き込ませていただきます。
 ガキの頃から聖句をいくつ覚えたか、お祈りをきちんとしたかが息子として認められる尺度で、ことあるごとに祈りを強制され、きちんとしないと叱られました。

 私も世間一般の楽しみは間違っていると教えられたため、テレビはほぼNHKしか見せてもらえず、流行りの芸能人とか全く知らず、中学の頃に女子に露骨に馬鹿にされました。思春期だったので、かなり凹みました。
 都会育ちだったため、お祭りに参加するとかいうことはなかったですが、毎週日曜日はきちんと教会に行くように躾けられました。
  クリスチャン以外の女性と恋愛関係になってはいけないと教えられ、世間一般の恋愛の基準は間違っている。と教えられた上に、上述したようなこともあり、僕は異性に心を開けず、極端に避けるようになりました。

 高校時代ぐらいから、親の規制が緩んだため、当時流行りの芸能人を猛烈な勢いで覚えまくりましたし、歌番組なども自ら見るようになりました。世間知らずという自分が強烈に大嫌いだったのです。且つまたこのような世間知らず状態にしておいて、平然としているキリスト教に憤りを感じるようになりました。それにその頃から世間一般の常識と、キリスト教の常識とのすさまじい乖離に悩まされるようになりました。

 20歳の時に起きたオウム真理教事件がある意味の契機となり、その後自らの意志で信仰を棄てました。最も僕は洗礼を受けていないため、厳格に棄教したとはみなされないかもしれません。その後は猛烈な勢いで、オウムから脱会した信者の著作、北朝鮮からの脱北者の手記を読んだり、きちんとした団体のカウンセリングを受けたりしましたが、20年以上苦しめられてきたトラウマは未だに抜けていないような気がしてなりません。

 親は未だに信仰を強制し、キリスト教的な清貧、自分よりも人のため、ネ申のためという生き方を強制しますが、反吐が出ます。
 もう私は自分の人生は自分のために生きたいです。ネ申も聖書もくそ食らえです。

 私は旅行で富山県の五箇山を訪問し、そこでこきりこ節とか麦屋節を聞いた時、心を揺さぶられるような、何とも言えない感覚を感じました。その後何度か五箇山を訪問し、その都度これらの民謡を聞きますが、聞くたびに心を洗われるような感覚になります。ガキの頃から慣れ親しんだはずの聖歌、讃美歌、ゴスペルでこのような感覚に陥ったことは全くありません。
 私は保守や右翼ではありませんが、ああやはり自分はクリスチャンどうこうである以前に日本人なんだなと思えてなりません。
 
2013-04-04 木 09:16:18 | URL | 沢野忠庵 [編集]
Re: はじめまして。桃栗さん
> ブログを読ませて頂きました。

こちらこそ初めまして。
はっきり申し上げますが、貴方の書き込みにもクリスチャンの典型を見ました。
つまり、クリスチャンは一見、キリスト教の欠点を認めているようで、
結局は認めようとせず、長々と難解な解説を並べて相手を「煙に巻く」のです。


> あなたが持たれている疑問、主張はもっともだと思います。

このように、一見、私のブログに同意したかのような書き込みをしたかと思いきや、
「しかし~」と反論が始まるのがクリスチャンのお約束です。

> しかし、あなたが誤解されているところも有りますので私が知る限りの知識、経験でそれを説明したいと思います。

> 1教会や牧師さんについて
>
> 教会に所属し数年神学校に通う事で牧師になる事は可能です。あなたも経験されたと思いますが聖書をいくら勉強しても本当に言いたい事を理解するのは無理なのです。
> 普通の牧師さんは学校で学んだ事、自分で調べた事をノートにまとめ説教しているだけです。
> そういう教会がほとんどだと思います。失礼ですが、あなたが通った教会もそういう教会ではと思います。

日本のクリスチャン人口は1パーセント以下だと言われていますが、
そのほとんどの人が通う教会がそういう教会なのですね。
ということは、日本には正しい教会はほとんど存在しないことになります。


> 2行いではない
>
> あなたは毎日教会に通い聖書も一生懸命勉強されたけれど何も変わらなかったと言っていますね。
>
> 昔、律法学者、パリサイ人も一生懸命やっていたけれど神様からは相手にされませんでした。
> 人間が教祖なら彼らは一番弟子だったと思います。
> 人間が神様と関われるのは行いではなく選びだという事です。

「行いではなく選び」とはどういう意味ですか?
そんな「人を煙に巻くような説明」で世間が得できると思います?


> 3聖書はなぜ矛盾したりわかりずらいのか
>
> 人間が教祖なら私たちが簡単に気づくような誤ちはしないと思いませんか。

違います。
人間が書いたからこそ誤りだらけなのです。


> そしてもっとわかりやすい内容にしたはずです。

これも違います。
わざと難解な内容に翻訳して、
いかにも神の有り難い言葉であるかのように見せかけているのです。
仏教のお経と同じです。


> 最後に結論を言います。
>
> 桃栗さんはキリスト教という信仰を一生懸命やっていたけれど、神様とは出会っていないという事です。

当たり前です。
存在しないのですから出会えるはずがありません。


> ひとりひとり神様の時があるので、この先、出会える可能性はあります。
> しかし出会えるかどうかは行いではなく神様の選びなので保証はできません。


保証がないことを人に信じさせるのは無責任ではありませんか?
保証がないのなら、信じるだけ無駄ということになります。
以上。
2013-04-05 金 00:04:26 | URL | 桃栗 [編集]
正しい教会はほとんど存在しない
私は教会、そしてキリスト教が正しいとは言っていません。

私はほとんどの教会は他の宗教団体と変わらないと思っています。

理由は聖霊様がおられないからです。
あなたが知っている教会で聖霊様に関わる説教を聞いた事は有りますか。
なければその教会はただの宗教団体です。

理由を言います。

この聖句を知っていまか。

ヨハネによる福音書 / 14章 16節~17節 新共同訳を見る

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

ヨハネによる福音書 / 14章 26節 新共同訳を見る

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

イエス様は天に帰られた後、私たちに精霊様を送ってくれました。
私たちを正しい道に導き、そして学びをさせるためです。
だから聖霊様のいる教会が真の教会ということになります。

そして逆に聖霊様のおられない教会はただの宗教団体という事になります。
聖霊様がおられたら聖霊の賜物が教会、そして個人に与えられます。

コリント人への第一の手紙 / 12章 7節~11節 新共同訳を見る

各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、

またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、

またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。

すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。

だから正しく進む事ができるのです。そして逆であれば人間的に行わなければなりません。
だからあなたが指摘しているようにおかしな事になります。

私も預言の賜物を与えられましたが、あなたに預言を語る役目は受けていません。

あなたは見てない、聞いてないものは信じられないと言うと思います。
それならそういう教会を探してみたらどうですか。

インターネットで検索してみたら直ぐに見つかりますよ。キーワードは”預言”、”いやし”などです。
”予言”や”占い”ではないので気をつけてください。

預言は預言者から間接的に聞くことになりますが、あなたしか知りえない事など何か体験できるはずです。

2013-04-06 土 14:41:08 | URL | カレブよし [編集]
迫害・・・
私も教会にいました。
クリスチャンは叱責を受けても、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(テモテ二 3:12)
などの言葉に励まされて嫌がらせを続けてくることがありますね。「迫害を与えます」が正しい句のように思います。めげずに、頑張ってください。
2013-04-08 月 12:33:06 | URL | ウメハラ [編集]
Re: 教会は建物?
> 今回も気になった事があったので書き込みます。
>
> それは新約聖書に書かれている「教会」という言葉です。
> これはギリシャ語で、エクレーシアと呼ばれていますが、
> 建物の意味で使われたことは一度もありません。
> 意味は集合体という意味です。
>
> 聖書にあらゆる意味で忠実に行動しようとする牧師、教会員が、
> 何故聖書の言っていない、建物をわざわざ建てて礼拝するのか、
> わかりません。シナゴーグ【会堂】を建てて礼拝していた律法学者や
> パリサイ人と同じことをしているのに気がつかないのでしょうか?

私は原語のことは知らないのですが、
確かに、「大きくて立派な教会を立てなさい」とイエスは言っていないはずです。
それなのに、特に都市部の、信仰熱心な教会に限って、
大きくて立派な教会を建てるんですよね。
そんなお金があったら、イエスの教えの通りに貧しい者に施せばいいのにと思います。


> いや、神学校に行った牧師ならそのぐらいのことは学んでいる
> はずです。まぁ聖書には旧約、新約通しても、【学校】と言う言葉は一切出て来ないので神学校そのものに行っている時点で聖書には従ってないと思いますが。 この質問をクリスチャンにしますと、様々な答えが帰ってきますが、ほとんどが、キリスト教書店の本の内容で終ります。

そうですね。このブログで反論してくるクリスチャンも、
結局は「マニュアル通り」の回答なのです。


> また、牧師に聖書に関する質問をすると大変です。何故か非常に高度な?聖書解釈に発展していきます。最後は訳のわからない答えが返ってきます。

「煙に巻く」という言葉がありますが、まさにそれですね。
抽象的で難解な答えを並べて、それで答えたつもりになっているのです。


> まぁそれも、ほとんどがキリスト教書店で買える、聖書事典、
> 注解書、コンコルダンス、聖書地図、人物辞典、植物事典、動物事典、
> 聖書歴史事典、聖書大百科事典、ギリシャ語辞書、ヘブル語辞書、
> 講解説教集、礼拝歴史事典、キリスト教音楽関係の書、聖書写真集等々からの受け売りなんですが(汗)
>
> 逆に考えると、聖書を正しく読むには、神学校に入学して 、聖書関係の高い書籍を沢山買って、勉強して、単位をとって卒業した牧師でないと聖書を教えてはいけないという風潮になっているのが、とても不思議です。

まったくもってその通り。
そうなると、一般庶民には聖書は正しく理解できないことになります。
そんな難解な書物を書いた神様とは一体???


> 聖書にそんな事一言でも書かれていますかね?
> イエスの時代では、一般市民は読み書きなど、ほとんどが
> できなかったはずですが………?

その通りです。
当時は紙もペンも超貴重品でしたから、読み書きできる人はごく一部の人だけだったはぞです。
イエスだって読み書きできなかったでしょう。
職業は大工さん、つまり今で言うガテン職でしたから。
イエスが旧約聖書の言葉を引用するときに、その出典を明示していませんし、
自分自身で神の教えを文字に記して残したわけでもありませんから。
それに、もしもイエスが神なら、聖書ぐらい簡単に書けたはずです。
神は「全能」なのですから。
なのに、文字さえ書けない。
イエスはその程度の人間だったということです。
2013-04-08 月 23:14:04 | URL | 桃栗 [編集]
ここでいいのかしら?
誘導されたようなのでこちらで。

宗派・教派について
→私はカトリック神学専攻で、神道に至っては門外漢ですが、少なくとも年に一回は神学の時間に他宗教(イスラム教もやったんですがレジュメを無くしてしまったので答えられません)について学びますし、昨今はエキュメニカル運動といって、聖公会の働きによりプロテスタント諸派(主にルーテル)との合同ミサが行われます。東日本大震災の合同追悼式では、神仏基と全部が集まりました。
神学生は東洋宗教の履修が必修科目です。
全く無知の一般人が一括りにするのは問題ないでしょう。しかしいやしくもキリスト教について指摘をしている桃栗さまが、一括りにするのは雑というものです。それは、オウム事件があったから日本人はサリンを持っているとか、統一教会発祥の地だから韓国人は皆合同結婚式を挙げているとか、神学を学んでいるから皆クリスチャンだとか、そういうことです。
カトリックの汚点はカトリックが、プロテスタントの汚点は該当する教派がすすぐべきです。
だって十字軍の文句をプロテスタントに言ったって仕方がないじゃありませんか(笑)

教えの多様性について
→バプテスト派は日本に3種類あり、どれもルーツが全く異なります。連盟、同盟、連合です。何故増えたかというと、牧師が自由に解釈することを推奨しているからです。万人司祭説といって、信徒も自由に解釈することを認められている(ハズ)です。ルーテルも、現在四分しています。理由はよく分かりませんが、どうやらパンの扱いで対立しているようです。
カトリックも同様に、カルケドン公会議を始めとする沢山の公会議に反さなければ、自由な解釈を許されています。
例えば姦通の女のシーンで、イエスは地面に何かを書いていますが、これが何かは聖書に記述されていません。
これについては、「当時の裁判を真似て皮肉っている」「その場にいた人間の過去の罪を書き出している(=女に石を投げる資格がないと言いたい)」「面倒くさくて手持ち無沙汰だったから」などなど、沢山説がありますが、どれが正しくても言い訳です。勿論信徒が新しく解釈しても構いません。カトリックの破門理由は「司祭への暴力」「聖体への侮辱」であるので問題はありません。信徒になる条件も「父・子・霊の神を信じる」なので問題はありません。
2013-04-09 火 10:54:33 | URL | ピー [編集]
Re: 桃栗さんへ
> 私はあなたのブログを読み、あなたの疑問、誤解を解消しようと投稿しましたが1週間経ってもチエックされた形跡がありません。

レスに時間がかかることはあらかじめ明記しております。

> だからもうあなたのブログへの直接の投稿をする事はやめます。

皆さん、この「公約」が果たして守られるのか、数日後のお楽しみです。

> しかしあなたのブログを読んであなた意外にも誤解されている方がかなりおられるのを知りました。

聖書を誤解しているのはクリスチャンの方ですよ。
例えば、イエスの誕生という、キリスト教で最も大事な出来事が、
聖書の記述どおりに信じられていません。
イエスの誕生日は12月25日ではありませんよ。
マリアがイエスを出産したのは、ベツレヘムに到着してから何か月も経ってからですよ。
聖書のどこにも馬小屋は登場しませんよ。
東の国の博士たちがイエスを訪問したのは、イエス誕生直後ではありませんよ。
博士たちを導いた星が照らしたものは、馬小屋ではありませんよ。
どうしてクリスチャンの聖書の記述どおり信じないのか不思議です。


> だからあなたの疑問、誤解の内、私が解決できるものに関して私自身のブログで解説する事にしました。
> もし関心があるようでしたら見てください。
> ブログはcalebyoshi.blog.fc2.comです

突っ込みどころ満載ですね。
ヒマがあったら突っ込みに行くかもしれません。
2013-04-10 水 23:30:52 | URL | 桃栗 [編集]
ご無沙汰しております。
2011年度版のゲストブックに
2度ほど書き込みをさせていただいたことがあるskyeです。
今も桃栗様のブログを楽しく拝見しています。

スス様やまねきねこ様の書き込みを見ると、
2世として苦しんだ経験が自分とまったくと言っていいほど同じなので
読んでいて心の底から共感できますね。

わたしも17歳の時に洗礼を受けろと両親から言われ大反対しましたが、
「受けないのなら今後一切親として助けたりしないから
独りで生きて野垂れ死ね」
とブチ切れられ、仕方なく受けました。

本当に過干渉で支配的な親でした。
キリスト教の神ですら自由意思を人間に与えている(はず)なのに、
無償の愛を与える代わりに恐怖心を植え付けて子どもを支配するなんて、
それこそ自分か神になり変った偶像礼拝になるのではないでしょうか。
これは親子関係だけでなく、教会の人間関係でもいえる事ですね。

現在は私も30歳近くになり、両親の干渉はあまり相手にせず、
友人と飲みに行ったりなど、
キリスト教とはあまり関係ない普通の生活をしていますが、
自分自身の人間関係にはいまだに影響を及ぼしています。

こんな特殊な人生を送ってきたことを友人達に話すことはないですし、
友人達とは仲良く楽しくやっていても、
心の底にある“疑い深く、弱く傷ついた自分"を見せる
なんてことは怖くて出来ません。

そんなわたしの事情を知る由もない友人達は、
良かれと思って異性を紹介してくれたりしますが、
どうしてもキリスト教の教えやそれに縛られてきた
“疑い深く弱く傷ついた本当の自分”の状態では
恐怖や負担ばかりが先にでてしまい、
チャンスがあったとしても一歩踏み出す事が
出来ずに逃げてしまいます。

そしていざ結婚だの何だのと言う話が出てきたとしても、
クリスチャン以外と結婚は許さないなどと
また面倒くさい干渉が始まると思います。

これからも自分の過去や自分自身の姿を誰かに話す事もなく、
ずっと普通を“装って”生きて行くのかと思うと疲れます。

わたしよりももっと深く傷ついてきた2世の方々のなかには、
全ての人間関係を断って孤独の中苦しんでいる方も
たくさんいるでしょう。

こうやって神の名のもとに良かれと思って押し付ける行為が、
一人の人間の人生を大きく狂わせてしまいます。
子どもを持つクリスチャンホームの方や
キリスト教系の指導者の方々には良く考えていただきたいです。

ゲストブックのどこかで桃栗様も自分に自信が無い
というような事を言われていた気がしましたが、
わたしにとって桃栗様は(例えネット上のやりとりだけであっても)
とても大切で大きな価値のある方です。
このブログでの桃栗様の、ありのままで正直な感情の吐露に
わたしは救われました。
わたしだけでなく、キリスト教に傷つき、
このブログにたどり着いた人みんながそう思っているでしょう。

桃栗様もお仕事や人間関係のストレスが大変そうですね。
わたしたちの様にコントロールされる人生を送ってきた
人間にとっては難しいでことですが、
どうか自分の感情と体を大切にしてください。

応援しています。
2013-04-11 木 15:08:00 | URL | skye [編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2013-04-11 木 22:25:51 | | [編集]
Re: 同感です。
>  桃栗様、スス様、まねきねこ様、始めまして。

沢野さん、いつもありがとうございます。
このようなキリスト教の欠点を訴えかけたところで、
クリスチャンから返ってくる反応は
「それはあなたのご両親が間違っているから」
「あなたが通っていた教会に問題があるから」
「貴方の信仰に問題があるから」などと言い、
あくまでも「キリスト教自体」には問題がないとして、
決してキリスト教の欠点を認めたがりません。
たまに、「確かにキリスト教にはそういう部分もあります」
などと欠点を認めるかのような人がいますが、
その直後に「しかし~」と、長い言い訳が始まるのがお約束です。

キリスト教の欠点というものを、クリスチャンに直視してもらいたいものです。


>  私は保守や右翼ではありませんが、ああやはり自分はクリスチャンどうこうである以前に日本人なんだなと思えてなりません。
>  

やはりこれですよ。
私は日本人で良かったと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=srFQfGY_jNA
こういうニュースを見ると、つくづく日本人であることを誇りに思います。
震災が起こったのは日本人の不信仰のせいだと言ったクリスチャンがいますが、
(この人↓)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/hearing-by-the-god.html

信仰が篤いはずの西洋では災害時に略奪や暴動が起こるのはどうしてでしょうね。
日本のクリスチャン人口の少なさを嘆く人たちがいますが、
要するに日本にはキリスト教は必要ないのです。
先祖代々培われてきた道徳観があるのです。
それをキリスト教につぶされたくありません。
2013-04-12 金 00:07:12 | URL | 桃栗 [編集]
同感です。
桃栗さん、はじめまして。桃太郎と申します。
僕はカトリック信者ですが、桃栗さんの疑問最もだと思います。
僕も聖書にも教会にも疑問を多く感じています。
例えば女性差別や奴隷差別、離婚や避妊の禁止など納得できないことが一杯あります。
>要するに日本にはキリスト教は必要ないのです。
>先祖代々培われてきた道徳観があるのです。
>それをキリスト教につぶされたくありません
イエス様が仰っているように病人(西洋人)にこそ医者(キリスト教)が必要であって、健康な人(日本人)には医者は必要ではないのです。
2013-04-12 金 22:47:58 | URL | 桃太郎 [編集]
お久しぶりです
私も「あなたのために祈ります」って余計なお世話だと思います。そう言う人に限って苦労してない人多いんだよね

余談ですが仕事変わりました…今の仕事は自分の好きな仕事ですから頑張ってやってます…
あまり桃栗さんも無理しないでくださいね(;_;)
2013-04-15 月 10:59:09 | URL | ナンシー [編集]
神は愛なり
こんばんは。先日は同感ですとコメントしましたが、ちょっと違うと思い直しましたので、訂正します。

僕はクリスチャンホームで育った訳ではなく、普通の一般家庭で育ちましたので、やはり洗礼を受けることにすごい抵抗がありました。高校の時の先生に誘われて初めてプロテスタントのキリスト教会に行ったのは19歳の時でした。その時イエス様の愛の教えに衝撃を受け、もしかしたらイエス様のおっしゃっていることは本当かもしれないと思い、新約聖書を読み始め、イエス様の愛の教えに感動しました。

しかしどうしてもキリスト教は外国の宗教という違和感が取れず、洗礼は受けませんでした。しかし色々あって、キリスト教は西洋だけの宗教ではなくもっと普遍的な宗教だと気づき、29歳の時にカトリックの洗礼を受けました。キリスト教を受け入れるのに10年かかりました。

それから3年間は毎週のようにミサに出席していたのですが、一般女性と結婚してからはほとんど教会に行かなくなりました。しかし色々あって、最近また教会に行くようになりました。

僕も色々悩んだり考えたりしてきましたが、聖書や教会やクリスチャンの一部には矛盾や誤りがあると思いますが、神様には矛盾や誤りはないというのが僕の結論です。
2013-04-15 月 18:33:26 | URL | 桃太郎 [編集]
Re: 正しい教会はほとんど存在しない
ほんの数日前に、もうこのブログでは発言しないと宣言したはずですよね。
ご自身の信仰の強さをとうとうと語る割には案外意志が弱い方なのですね。


> 私は教会、そしてキリスト教が正しいとは言っていません。

ご自身のブログで発言しているではありませんか。
http://calebyoshi.blog.fc2.com/blog-entry-65.html
http://calebyoshi.blog.fc2.com/blog-entry-53.html

要するに、ご自分の教会が正しく、他は間違っているということですね。
私がペンテコステ派の教会に行った時もそうでした。
そのすぐ近所に他教団の教会がありましたが、
「あそこの教会はあまり信仰が強くないのよ」と言った中年女性がいました。
民主党の小沢さんが、キリスト教は排他的だと発言して物議を醸しましたが、
キリスト教は、まったくの他宗教よりも、
むしろキリスト教の他宗派、他教派に対する排他性の方が強いようです。


> 私はほとんどの教会は他の宗教団体と変わらないと思っています。
>
> 理由は聖霊様がおられないからです。
> あなたが知っている教会で聖霊様に関わる説教を聞いた事は有りますか。
> なければその教会はただの宗教団体です。

ほら、ごらんなさい。
こうしてあなたは自分の教会が正しく他は間違っていると言っているではありませんか。
皆さん、ご覧になりましたか?
クリスチャンはどうしてここまで大ウソつきなのでしょう。


> そして逆に聖霊様のおられない教会はただの宗教団体という事になります。

またまた他の教会を否定していますね。

> あなたは見てない、聞いてないものは信じられないと言うと思います。
> それならそういう教会を探してみたらどうですか。

それよりも、貴方が「正しい教会」の名前と住所と電話番号とメアドをお教えください。
ここに公開して何か都合の悪いことがあるのでしょうか?
貴方は以前、公開すると教会に迷惑がかかると言っていましたが、
貴方の教会には聖霊様がおられるのでしょう?
だったら貴方の信仰している聖霊様を信頼すればいいだけの話です。
しかし、貴方は世間の批判を恐れて名前を公開できないということは、
貴方の信仰は結局はその程度でしかないのです。

私はたびたびこのブログで発言してきましたが、
信仰が強い人に限って、上から目線で他人を見下す傾向があります。
そして、ご自身の信仰の強さをとうとうと語っていながら、
肝心なところでは「逃げる」のです。
この方もその典型でした。
しきりに正しい教会、正しい教会、と力説していながら、
その正しい教会がどこにあるのか決して言わないのですから。
2013-04-16 火 22:45:29 | URL | 桃栗 [編集]
あなたからの質問の答え
桃栗さん、こんにちわ。

あなたから私のブログ"calebyoshi.blog.fc2.com"に対して質問が有りましたのでそれに答えます。
せっかくだからあなたのブログに返答をのせてもらいたいと思います。

私のブログ記事のタイトル
"正しい教会はほとんど存在しない"

あなたからの質問内容

名前:桃栗
タイトル:正しい教会はどこに?
正しい教会はどこにあるのでしょうか? 名前は何と言いますか? 読者にネットで探させるのではなく、貴方自身が「正しい教会はここですよ」と教えて下さってもいいのではないでしょうか。

上記の質問に答える前にあなたが誤解しているだろう事から説明します。

1 本来教会は必要ない

イエス様はサマリアの女にこう言われました。

(ヨハネによる福音書 / 4章 20~21節)
わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

これは教会も必要ないという意味です。
そしてその時はもう既に来ました。

なぜそうなるかを説明します。

イエス様が天に昇られた後、精霊様が私たちに与えられました。

(ヨハネによる福音書 / 14章 26節)
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

と言っています。

精霊様が全ての事を教えてくれるので教会で説教を聞く必要はないのです。
そして預言(聖霊様を通して)により神様と、時と場所を選ばず会話ができるので教会に行く必要はないという事です。

2 なぜ教会は必要なのか

それは全ての人が預言を聞けるわけではないからです。
聞けない人は預言を聞ける人を通して学んだり示しを受ける必要があるからです。

3 どこの教会へ行ったらいいのか

教会は自分で選ぶものではなく神様が行くべき所へ導いてくれるものです。
だからあなたに私がこの教会へ行くべきですとは言えません。

4 質問の回答

そうは言ってもこれでは質問に答えた事にならないので正しい教会(主の教会)をのせておきます。

主の十字架クリスチャンセンター
ホームページ(http://antioch.jp/)
預言、いやしなど聖霊の賜物を用いて伝道している教会

もう一つは

アライズ東京キリスト教会
ホームページ(http://ciatk.exblog.jp/)
主に預言を用いて伝道している教会
平日は"預言カフェ"でクリスチャン以外の人にも預言を聞かせ伝道しています。

質問に対する答えは以上です。

最後にあなたはブログの中でこう言っていますがそれは誤解です。

”ほんの数日前に、もうこのブログでは発言しないと宣言したはずですよね。
ご自身の信仰の強さをとうとうと語る割には案外意志が弱い方なのですね。 ”

私は二つ続けて投稿したんですよ。日付をよく確認した方がいいですね。
あなたが確認するのが遅いので後から投稿したように錯覚しただけです。

私自身はあなたの相手をするつもりはありませんが神様はあなたの相手をしてくれるそうです。

だからこれに対する質問、又は他の疑問があればまたどうぞ。

以上
2013-04-17 水 18:30:12 | URL | カレブよし [編集]
Re: 迫害・・・
> 私も教会にいました。
> クリスチャンは叱責を受けても、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(テモテ二 3:12)
> などの言葉に励まされて嫌がらせを続けてくることがありますね。「迫害を与えます」が正しい句のように思います。めげずに、頑張ってください。

そう、クリスチャンがやっていることは聖書に書いてあることと反対のことばかりです。
イエスは、まさに聖書の教えを振りかざす人たちを非難したはずなのに、
信仰が強い(と自分で思っている)人に限ってそのようなことをします。
相互リンクしているブログのクッキングホイルさんは、
「クリスチャンは聖書に書いてあることを信じず、
書いていないことばかり信じるおかしな人たち」と言っていましたが、
まさにその通りです。
それに、習慣に関しても、聖書に書いてある習慣は守ろうとしないのに、
書いていない習慣ばかり守ろうとするのが不思議です。
2013-04-17 水 22:54:41 | URL | 桃栗 [編集]
Re: ここでいいのかしら?
> 誘導されたようなのでこちらで。

貴方は「あくまでも神学を学ぶ者」と名乗っていますが、
ここまで感情的に私のブログに反論してくるということは、
本当はクリスチャンなのでしょう。
自分が信じている宗教を批判されるのが我慢ならないのでしょう?
他のキリスト教批判ブログにもそういう人がいました。
本当はクリスチャンなのに、クリスチャンでないとしてコメントした人が。
しかし、隠していてもどこかでボロが出るものです。


> 宗派・教派について

> 全く無知の一般人が一括りにするのは問題ないでしょう。しかしいやしくもキリスト教について指摘をしている桃栗さまが、一括りにするのは雑というものです。それは、オウム事件があったから日本人はサリンを持っているとか、統一教会発祥の地だから韓国人は皆合同結婚式を挙げているとか、神学を学んでいるから皆クリスチャンだとか、そういうことです。

貴方は、私が書いたコメントの「都合の悪い部分」をものの見事に無視しましたね。
私は、クリスチャンの方こそ、宗派や教義の違いを考えないで
キリスト教をひとくくりにしているという主旨のことを書きました。
実際、これまでの歴史の中で、キリスト教は何度も何度も教義を変え、
その都度様々な宗派、教派、教団、教会に分裂したというのに、
「キリスト教は様々な迫害に耐え、今日まで世界中に広まった」
とひっくるめて言っているではありませんか。
そのことについて貴方は言及していません。

では、クリスチャンは、自分の宗教を名乗るときに、
わざわざ「○○派の○○教派の○○連盟の信徒です」と言うのでしょうか?
そんな人、見たことありません。
「私はクリスチャンです」と普通に言うではありませんか。


> カトリックの汚点はカトリックが、プロテスタントの汚点は該当する教派がすすぐべきです。
> だって十字軍の文句をプロテスタントに言ったって仕方がないじゃありませんか(笑)

みなさん、ご覧になりましたでしょうか。
私がこれまでに何度も書いたように、これもクリスチャンの習性の典型の一つです。
つまり、普段は「キリスト教は世界中に広まった」と誇らしげに言うのに、
何か都合の悪いことがあると「それは宗派が違うから」と言い逃れをするのです。
都合がいい時は「同じ宗教」として考えるのに、
都合が悪いことは「同じ宗教の問題」として考えようとしないのです。

プロテスタントも、普段はカトリックを否定しているのに、
なぜかマザーテレサの話だけは誇らしげに取り上げるのですから。
何せキリスト教の「広告塔」として最適ですからね。


> 教えの多様性について
> →バプテスト派は日本に3種類あり、どれもルーツが全く異なります。連盟、同盟、連合です。何故増えたかというと、牧師が自由に解釈することを推奨しているからです。万人司祭説といって、信徒も自由に解釈することを認められている(ハズ)です。ルーテルも、現在四分しています。理由はよく分かりませんが、どうやらパンの扱いで対立しているようです。

自由な解釈が奨励され、ルーツが異なることが許されるのなら、
エホバの証人、統一教会、モルモン教も許されることになりますよね。
しかし、そういう都合の悪いことに関しては
「あれはキリスト教とは関係ない異端だ」と言い逃れをするのがお約束です。
都合の良い時は「自由な解釈が奨励される」と言っておきながら、
都合が悪くなると「あの解釈は間違っている」などと批判するのですから滑稽です。
結局、「自由な解釈」とは、自分たちに「都合の良い解釈」のことです。


> カトリックも同様に、カルケドン公会議を始めとする沢山の公会議に反さなければ、自由な解釈を許されています。

神がそんなことを言いましたか?
聖書のどこに書かれていますか?
イエスがそんなことを言いましたか?
それは「人間」が決めたことでしょう?

今までに何度も書いてきたとおり、
クリスチャンはなぜか聖書に書かれていないことばかり信じるおかしな人たちです。

2013-04-19 金 00:18:50 | URL | 桃栗 [編集]
Re: ご無沙汰しております。
> 2011年度版のゲストブックに
> 2度ほど書き込みをさせていただいたことがあるskyeです。
> 今も桃栗様のブログを楽しく拝見しています。
>
> スス様やまねきねこ様の書き込みを見ると、
> 2世として苦しんだ経験が自分とまったくと言っていいほど同じなので
> 読んでいて心の底から共感できますね。

またの書き込みどうもありがとうございます。
こういう気持ちは体験した人でないと分かりませんね。
それこそ、大人になって初めてキリスト教に出会い、
頭の中がお花畑になって幸せな人には、
クリスチャン2世の苦労など知る由もないでしょう。


> 本当に過干渉で支配的な親でした。
> キリスト教の神ですら自由意思を人間に与えている(はず)なのに、
> 無償の愛を与える代わりに恐怖心を植え付けて子どもを支配するなんて、
> それこそ自分か神になり変った偶像礼拝になるのではないでしょうか。
> これは親子関係だけでなく、教会の人間関係でもいえる事ですね。

その通り。
イエスは聖書の教えを振りかざす人たちを批判したのに、
信仰熱心な人はそれを忘れています。
不思議なことにクリスチャンは聖書に反することばかりを平気でやっているのです。


> わたしよりももっと深く傷ついてきた2世の方々のなかには、
> 全ての人間関係を断って孤独の中苦しんでいる方も
> たくさんいるでしょう。

以前ブログに書いた自殺したクリスチャン2世の知人もそれだったようです。
御本人のことが本当に気の毒でなりません。
この気持ちは一生忘れないでしょう。


> こうやって神の名のもとに良かれと思って押し付ける行為が、
> 一人の人間の人生を大きく狂わせてしまいます。
> 子どもを持つクリスチャンホームの方や
> キリスト教系の指導者の方々には良く考えていただきたいです。

まったくもってその通り。
キリスト教の最大の問題点は、それが一神教であることです。
一神教であるがゆえに他の価値観を認めず、
排他性が強いところが問題なのです。


> ゲストブックのどこかで桃栗様も自分に自信が無い
> というような事を言われていた気がしましたが、
> わたしにとって桃栗様は(例えネット上のやりとりだけであっても)
> とても大切で大きな価値のある方です。
> このブログでの桃栗様の、ありのままで正直な感情の吐露に
> わたしは救われました。
> わたしだけでなく、キリスト教に傷つき、
> このブログにたどり着いた人みんながそう思っているでしょう。

ありがとうございます。
同じ境遇を経験した方が自分以外にもいらっしゃるのは心強いです。


> 桃栗様もお仕事や人間関係のストレスが大変そうですね。
> わたしたちの様にコントロールされる人生を送ってきた
> 人間にとっては難しいでことですが、
> どうか自分の感情と体を大切にしてください。
>
> 応援しています。

本当に仕事では人間関係のストレスが大きいです。
後輩にまでタメ口や命令口調で物を言われることがあり、
そんな時に何も言い返すことができず、
ただニコニコしてごまかしている自分が本当に腹立たしいです。
このブログは、そのストレスのはけ口でもあります。
普段は口下手な分、ブログでは言いたいことをこれからも書き続けたいと思います。
2013-04-21 日 23:52:33 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 日本のキリスト教徒の数は人口比0.8%強ほどで少数派としか言いようがない割合ですが、とある教団のホムペにこの現状を『努力不足』と書いてありましたが、この努力不足という言葉は多くの日本人がキリスト教の事をもっとよく知れば、もっとキリスト教が日本に広まるであろう…と解釈出来ますが、お祭りに行きたいという子を叱る親の話を読んで、日本の習俗を否定する宗教がこの先日本に広まるとはとても思えない、と感じます。

クリスチャンの排他性を如実に物語る話ですね。
キリスト教は、あくまでも数多くある宗教の一つにすぎないのです。
それなのに、全人類がこれを信じるべきだという考えこそが排他的なのです。


> 以前、『「「震災は天罰」と、のたまうクリスチャンたち その3」のその後』に戦国時代、宣教師に日本の大名が突っ込みを入れたという話を書きましたが、他にも新井白石がキリスト教を『愚者のたわごと』と切り捨てたという記録も残っているそうです。
>
> http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070633155
>
> ↑こちらのreviveapocalpseさんの回答にありますが、ここの中にある
>
> >全知全能の《神》が作った人間が、
> >《こんなにも不完全》というのは矛盾だろ。
> と
> >キリスト教では、神が宇宙を創造したというが、その神はどうやって
> >生まれたのか?もし、神が自力で生まれたとするならば、
> >宇宙が自力で生まれないという理由が見つからない。
> >非常に説得力に欠ける。
>
> は自分も是非一度突っ込みを入れてみたいと思っていた事ですが、やはり同じ疑問を持つ人はいるのだなぁ、と思った次第です。

知恵袋は時々見ていますが、
クリスチャンの習性が垣間見れて面白いですね。
それに突っ込みを入れる非信者の書き込みを読むと、
同じ考えの人がいるんだなあと私も思います。
2013-04-22 月 00:02:13 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 同感です。
> 桃栗さん、はじめまして。桃太郎と申します。
> 僕はカトリック信者ですが、桃栗さんの疑問最もだと思います。
> 僕も聖書にも教会にも疑問を多く感じています。

クリスチャンの方で私のブログに全面的に同意してくださる方は珍しいので、
もしや何か裏があるのではないかと思っていましたが、
後日、やはりクリスチャンによくある「典型」のコメントをされましたね。
数日後に承認とレスをさせていただく予定です。
2013-04-23 火 23:35:18 | URL | 桃栗 [編集]
Re: お久しぶりです
> 私も「あなたのために祈ります」って余計なお世話だと思います。そう言う人に限って苦労してない人多いんだよね

まったくその通りですよ。
クリスチャンが私のために祈ったからといって、
今の私の生活が改善するとでも思っているのでしょうか。


> 余談ですが仕事変わりました…今の仕事は自分の好きな仕事ですから頑張ってやってます…
> あまり桃栗さんも無理しないでくださいね(;_;)

現実の企業社会の中では無理しなければならないのです。
現在、仕事がきわめて忙しく、
今週は日付が変わってもなお仕事をしていた日が1日あり、
そして今日は帰宅したら日付が変わっていました。
チームでの仕事なので、自分一人だけが先に帰るわけにはいきません。
弱音を吐こうものなら「お前は甘えている」と冷たい言葉が返ってきます。
仕事のストレスだけならともかく、
私はコミュニケーション能力に欠けているために、
人間関係でもものすごくストレスを感じています。

「あなたのために祈ります」と言うクリスチャンをたくさん見てきましたが、
クリスチャンが祈るとこの生活が改善されるなら苦労しません。
祈りというものは、自分自身の自己満足のためです。
人の不幸をネタに自己満足に浸るのはやめてほしいです。
2013-04-25 木 00:49:10 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 神は愛なり
> こんばんは。先日は同感ですとコメントしましたが、ちょっと違うと思い直しましたので、訂正します。

前回のコメントで、貴方様はクリスチャンを名乗りながら、
私のブログに全面的に同意する内容のコメントをされましたね。
それを読み、私も何か違うのではないかと思っていたら、
やはり私の予想通りのコメントになりましたね。


> 僕も色々悩んだり考えたりしてきましたが、聖書や教会やクリスチャンの一部には矛盾や誤りがあると思いますが、神様には矛盾や誤りはないというのが僕の結論です。

みなさん、ご覧いただけたでしょうか。
またもやクリスチャンの典型的なコメントです。
つまり、キリスト教の矛盾や欠点を認めかけたかと思いきや、
結局は認めようとしないのです。
こういうクリスチャンの心理を不思議に思います。
2013-04-29 月 21:48:54 | URL | 桃栗 [編集]
Re: あなたからの質問の答え
いつもこのブログをご覧になっている皆様、
カレブよしさんは自ら墓穴を掘りました。


> 最後にあなたはブログの中でこう言っていますがそれは誤解です。
>
> ”ほんの数日前に、もうこのブログでは発言しないと宣言したはずですよね。
> ご自身の信仰の強さをとうとうと語る割には案外意志が弱い方なのですね。 ”
>
> 私は二つ続けて投稿したんですよ。日付をよく確認した方がいいですね。
> あなたが確認するのが遅いので後から投稿したように錯覚しただけです。

どうもこの方は頭がおかしいのではないかと思っていましたが、
その予想は見事に的中しました。
カレブよしさんが初投稿されたのは3月22日です。
その後、29日に2つの投稿をされ、そのうちの1つの中で
「もうあなたのブログへの直接の投稿をする事はやめます」と書きました。
にもかかわらず、4月6日に再び投稿しています。
そのことに対して、私は皮肉を込めて
「ご自身の信仰の強さをとうとうと語る割には案外意志が弱い方なのですね」
と書いたのですが、それに対するカレブよしさんの返答が
「 私は二つ続けて投稿したんですよ。日付をよく確認した方がいいですね。
あなたが確認するのが遅いので後から投稿したように錯覚しただけです」です。
何が「錯覚」なのでしょうか。
日付を確認するべきなのはカレブよしさんの方です。
貴方が2つ続けて投稿したのは3月22日のことです。
その日に「もう投稿しない」と書いておいて、4月6日に投稿していますよ。
貴方が信じている聖霊様は、記憶力を強化してくれなかったようですね。

そして、私は貴方のブログに質問したのに、
なぜその回答をご自分のブログに書かないのですか?
さらに、私の質問まで削除していますよね。
何か都合が悪いのでしょうか?
ともかく、信仰熱心なクリスチャンに限って頭がおかしい人が多いような気がします。
この宗教をやめて正解でした。


> 私自身はあなたの相手をするつもりはありませんが神様はあなたの相手をしてくれるそうです。

そうですか、では神が相手にしてくれるのを楽しみに待っています(笑)。
2013-05-01 水 22:05:01 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さん、こんばんは。
リコメありがとうございます。ただちょっと誤解があるようです。

僕もキリスト教の矛盾や欠点を認めています。旧約聖書や使徒の手紙の中には、ユダヤ人による大量虐殺、男女差別、奴隷差別、身分制や君主制の支持など多くの矛盾や欠点があると思いますし、福音書の内容にも疑問を感じるところはあります。聖書記者が書いたことがすべて正しいとは僕は思いません。

ですから、桃栗さんの疑問はもっともだと思うのです。それで共感した次第です。つまり、キリスト教の矛盾や欠点を僕は認めているのです。ただ神様はいると思っていますし、弱者に優しいイエス様は大好きです。
2013-05-01 水 22:05:44 | URL | 桃太郎 [編集]
あげあしとりばかりですね。
私はあなたに再度投稿したのではなく、あなたがおバカな返答をしてきたので仕方ないから付け加えで説明してあげただけです。
低レベルなあげあしとりはみっともないですよ。

そして私が投稿で書いた事をもう一度冷静に確認したらどうですか。

私が書いた事とあなたの答えはこうです。

> 私はあなたのブログを読み、あなたの疑問、誤解を解消しようと投稿しましたが1週間経ってもチエックされた形跡がありません。

レスに時間がかかることはあらかじめ明記しております。

> だからもうあなたのブログへの直接の投稿をする事はやめます。

皆さん、この「公約」が果たして守られるのか、数日後のお楽しみです。

> しかしあなたのブログを読んであなた意外にも誤解されている方がかなりおられるのを知りました。
> だからあなたの疑問、誤解の内、私が解決できるものに関して私自身のブログで解説する事にしました。
> もし関心があるようでしたら見てください。
> ブログはcalebyoshi.blog.fc2.comです

突っ込みどころ満載ですね。
ヒマがあったら突っ込みに行くかもしれません。

私はあなたに公約したわけではありません。
”あなたのブログでやり取りしていたら時間がかかるので私のブログを使って答えてあげようとしただけです。

あなたは失礼なおバカ回答しかできないのですね。もっとまともな人だと思っていました。

あなたは最初は疑問を解決したくてブログを立ち上げたけれど、いつのまにか批判する立場に変わったようですね。
だから冷静に中立な立場で判断する事ができなくなったんです。

私はあなたに正しい教会のホームページを教えてあげたのに、それは無視するんですか。
都合の悪い事には答えられないようですね。

”ごたく”や”あげあしとり”でごまかさず、わたしが教えてあげた教会を確認したらどうですか。
それとも本当の事を確認するのが怖いのですか。

冷静な読者は私の的確な答えと、あなたのあげあしとりのごまかしと、どちらが正しいかわかると思います。

それとあなたは私が私のブログに対する質問を無視したと言ったけれど無視をした訳ではありません。回答はブログの一つとして載せました。
他の人にも回答を読んでもらいたかったからです。
あなたのあげあしとりの質問に答えても、他の人に何のプラスにならないからです。

ちゃんと確認してからあげあしを取ったらどうですか。

私はあなたのブログを一通り確認し、低レベルな疑問や日本語の誤解による回答する価値の無い物を除き、答えられるものは私のブログに載せておきましたが確認しましたか。
やることをやってから人の批判をした方が良いですよ。
あなたが恥をさらすだけです。

最後になぜあなたが頑張っても理解できないかを教えてあげましょう。

あなたはイエス様の”種まきのたとえ”を知っていますか
しらないでしょうから解説してあげましょう。

そのたとえで言えばあなたは悪い地にまかれた種です。
可愛そうだけれど私がいくら説明してもあなたが花を咲かせる事はないのです。
神様から選ばれて良い地に蒔かれたのではないからです。

マタイによる福音書 / 13章 3節~8節

種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。

ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。

しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。

◆「種を蒔く人」のたとえの説明

マタイによる福音書 / 13章 19節~23節

だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。

石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、

自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。

茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。

可愛そうだけれど、このたとえの種はあなたです。

種は神様が蒔かれるんですよ。そして種は自分がどこに蒔かれるかを決められないという事です。
種はたとえ良くても腐った地に蒔かれたらダメだという事です。

もう一つ教えてあげましょう。

イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。

持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。

イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

これはあなたのための預言だと神様は私に言われました。

私が唯一聖書の中で納得出来ない所です。

弟子や私が簡単に理解できる事がここで書かれている人やあなたに理解できないという事です。
聖霊の賜物である”知恵、知識”があなたに与えられていないからです。

あなたは私が煙にまこうとしていると言ったけれど聖書が一貫して主張している事です。

選ばれた者がいて,それ以外の人たちがいる。

選ばれた者たちだけが神様の存在を知る事ができ天国へ行く事ができます。そして選ばれなかった者は死ぬまで神様の存在に気づかず、死んだ時にさばかれます。

でも残念ながらそれが事実です。
2013-05-03 金 18:58:05 | URL | カレブよし [編集]
おバカさんへもう一言
私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。

神様はあなたを救われようとしているのだとばっかり思っていましたが違ったようです。
神様が言うには”おバカなブログではあるけれど影響力が有るのであなたのブログを用いて他の人に私の存在を知らしめようとしただけみたいです。

それとあなたに罪を犯させるためです。
一番の罪をあなたに教えてあげましょう。

一番は聖霊様の批判です。
二番目は神様に仕える者の足を引っ張ることです。

私の役目は人を救うことと、おバカさんを裁く手伝いです。
もう役目は終わりました。

低レベルなおバカ議論を知恵知識の無い者同士でさぞかし頑張って続けてください。

最後に一つ質問。
あなたはどれだけ聖書を読んだ事がありますか。

まさか通読した事ありますよね。

聖書の内容を知らなすぎです。

最低でも15回は通読してから意見を言いましょう。
それでやっと人間の知識レベルで私と並びます。

それでも人間の知識は50歩100歩で大したことはないのですよ。
私には神様からプラスアルファで知恵知識が与えられています。
要するに神様が相手です。
あなたに勝ち目はないんですよ。

それを認識しましょう。

でも15回通読できたら、ごほうびとしてまた相手をしてあげますよ。

期待してます。無理だろうけど。
2013-05-03 金 22:12:06 | URL | カレブよし [編集]
説教はどんな思いで聞いていましたか?

「おわりのとき」「永遠のいのち」とか宗教用語をちりばめたわけのわからない話を聞かされ、苦痛でした。

3年間ずっと熱心に通えばわかるようになるとクリスチャンの親にいわれましたが、合わせようとしても合いませんでした。

信仰が足りないと思い、聖書を念入りに読んだりしてみましたが、それでも付いていけませんでした。

教会から離れた今となっては、所詮わけのわからない、意味のない話なので、理解できなくても無理もないです。
宗教なんて空想です。説教がわかるというのは、わかったつもりになることだと思います。

2013-05-04 土 18:50:21 | URL | まねきねこ [編集]
Re: 桃栗さん、こんばんは。
> リコメありがとうございます。ただちょっと誤解があるようです。

ですからね、このように↓キリスト教の欠点や矛盾点を認めているかのようで、

> 旧約聖書や使徒の手紙の中には、ユダヤ人による大量虐殺、男女差別、奴隷差別、身分制や君主制の支持など多くの矛盾や欠点があると思いますし、福音書の内容にも疑問を感じるところはあります。聖書記者が書いたことがすべて正しいとは僕は思いません。

結局はこういう↓結末になるわけですよ。

> ただ神様はいると思っていますし、弱者に優しいイエス様は大好きです。

神やイエスがいたとしても、
ユダヤ人による大量虐殺、男女差別、奴隷差別、身分制や君主制に対して、
ただ天国から見ているだけで何もしてくれませんから。
韓国のクリスチャン人口は25パーセントだそうですが、
竹島問題に関して神もイエスも何かしてくれたのでしょうか。
何もしてくれない神やイエスが好きというクリスチャンの心理が不思議です。
2013-05-04 土 20:46:53 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さんへの共感と素朴な質問
このプログを読んで思ったことですが、桃栗さんはキリスト教がまやかしの宗教で人々を騙している、だから騙されないように注意を促すつもりでこのプログを立てあげたのですか?ずっと読んでいくうちにふと違うような気がしてきました。というのは桃栗さんがイエスも神も実在しないと100%確信しているのなら、それを信じているクリスチャンという人たちは、あなたにとってはありもしないものに一生懸命祈りをささげている、ちょっと頭のおかしな人たちなんですよね、普通ならそんな人たちに多くの時間をさいて議論しますか?あるクリスチャンがあなたのキリストがなにかしてくれましたか?と投げかけに対して歴史的にこんなことがありましたと説明していました、桃栗さんはそれは救いとなんの関わりがありますか?と反論していましたけど、その救いは現実的救済の事?魂の救済の事?戦争、貧困、その他の事を言っているのなら現実的救済ですよね、桃栗さんは聖書に精通しています、概念的に知ったつもりの生半可なクリスチャンではイザヤ書7章17節でこの預言がイエスの事ではないと指摘出来ないと思います。そんな桃栗さんですから、聖書を見てもイエスはこの世の現実的救済に来たのではないのはよくご存じのはずです。僕が不思議に思うのは福音書に書かれているイエスの言ったことした事に対して、桃栗さん自身批判めいた事は書かれていないように感じます。見落としてたらごめんなさいね。実は僕も根っからのクリスチャンでルーツは大正時代にさかのぼり賀川豊彦、内村鑑三との関わりのある家です。只、僕は人に自分からクリスチャンとは言ったことないです。それは自分の本質がわかっているから誇ることはできません。このプログの登場するクリスチャンと言う人たちは自分の本質もわからずによくもシャーシャーと人に説教じみたことが言えるなと感心しています。僕は子供の頃から自分には罪があると自覚しています。しかし桃栗さんのように絶望はしませんでした。なぜなら僕も色んな疑問も不信も常にあります、ただ、あの場面、あの状況でザアカイに声をかけたイエスを人間とどうしても思えないんです。その2000年前にこの地上で生きたイエスと自分との関わりがないとどうしても思えないんです。桃栗さんあなたの目的がキリスト教に騙されないように注意を促そうとこのプログを立てあげたのなら、心配しなくても本当に神様を信じていない人達は子供心に罪を植え付けられても恐れはありませんから洗脳されることもありません、別にキリスト教でなくても悪いことをしたり思ったりしたら閻魔さんに舌抜かれるよと躾けていますから、それとも親にあなたは良い子、良い子と言われ過保護に育てられ、いじめをしてもそれが悪い事と気付きもしないアホな子とどっちがいいですか?貴女は信仰を捨てて社会頑張って生きられていますけど、この世の判断基準と聖書の判断基準で戸惑っていませんか?人を助けて自分が窮地に陥ったら、この世の判断基準ではお人好しのただのアホです。でもそんな映画を見たとしたら皆泣きませんか?桃栗さんの元々の判断基準ずれていないと思います、ただ少数派ですからどっぷり浸からないとしんどいと思いますけど、それをたった一人でやったら人間ではないと思います。素朴な質問ですが桃栗さん貴女は本当にもう信じていないんでしょうか?
2013-05-05 日 03:23:46 | URL | toshi [編集]
ブログを更新したら
相変わらず低レベルの戦いをしているんですね。
面白いですか。

50歩100歩の者同士が討論しても時間の無駄ですよ。
それよりも放ったらかしのブログを更新したらどうですか。

勉強不足、誤解がほとんどの疑問ばかりですが、知恵知識の無い人がどのように聖書を読み解いているのか参考にさせてもらっています。
もっと頑張って聖書を理解?し変問、珍問を投げかけてください。
期待しないで、気長に待っています。
後、私が教えてあげた教会の確認もよろしくお願いします。あなたがどう、あげ足をとるか楽しみにしています。

そして、またクリスチャン批判ですか。韓国人はクリスチャンが25パーセントと言っていますが、あなたが以前そうだったようにほとんどはクリスチャンモドキと言うか自称クリスチャンですよ。

あなたがクリスチャンモドキだった時、神様から相手にされなかったように、この人たちも同じです。

クリスチャンモドキが何かしたとか、助けてもらえなかったとか意味の無い、つまらない討論はもういい加減やめたらどうですか。


2013-05-06 月 09:07:11 | URL | カレブよし [編集]
Re: あげあしとりばかりですね。
> 私はあなたに再度投稿したのではなく、あなたがおバカな返答をしてきたので仕方ないから付け加えで説明してあげただけです。
> 低レベルなあげあしとりはみっともないですよ。

挙げ足ではなく「事実」を書いたまでです。
投稿した日付を勘違いして私をこき下ろしたのは事実ですよね。

ご自身のブログとずいぶん口調が違いますね。
自分のブログでは丁寧で優しい言葉遣いなのに、
他人のブログでは喧嘩腰な口調。
同一人物でしょうか?

それから私をバカ呼ばわりですか。
そんな貴方の姿をイエスが見たら称賛するとでも思っているのでしょうか?
イエスのこの言葉をお忘れなのですね。


しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
マタイによる福音書 / 5章 22節


私がよく読むキリスト教批判ブログの管理人さんは、
「クリスチャンは聖書に書いていることを信じず、
書いていないことばかり信じるおかしな人たち」と発言されていましたが、
まったくその通りだと思います。
イエスは、まさに教会の教えを振りかざして他人を裁きたがる
パリサイ人や律法学者たちを批判しているのに、
信仰熱心なクリスチャンに限って同じことをしているのです。
どうして聖書に書いてあるイエスの教えに従おうとしないのでしょうか。
不思議ですね。


> あなたは最初は疑問を解決したくてブログを立ち上げたけれど、いつのまにか批判する立場に変わったようですね。
> だから冷静に中立な立場で判断する事ができなくなったんです。

最初から批判するつもりでブログを立ち上げたのですが?

> 私はあなたに正しい教会のホームページを教えてあげたのに、それは無視するんですか。
> 都合の悪い事には答えられないようですね。

いいえ、その教会のことは記事として見解を述べるつもりでしたので、
あえてコメント中では触れませんでした。


> ”ごたく”や”あげあしとり”でごまかさず、わたしが教えてあげた教会を確認したらどうですか。
> それとも本当の事を確認するのが怖いのですか。

ええ、ちゃんとGoogleで「確認」し、
今日、その結果を記事にしましたのでお読みください。


> それとあなたは私が私のブログに対する質問を無視したと言ったけれど無視をした訳ではありません。回答はブログの一つとして載せました。
> 他の人にも回答を読んでもらいたかったからです。

ハイハイ、言い訳はやめてくださいね。
私は貴方のブログにコメントしたのですから、
貴方のブログでコメントを公開し、レスしてください。
できれば私のブログに書いているのと「同じ口調」で。
私のコメントを削除したのは何か都合の悪いことがあったからでしょうね。
削除しておいて何が「無視をした訳ではありません」ですか。
自分のブログでは美辞麗句を並べて良い人ぶって、
他人のブログでは喧嘩腰の口調でバカ呼ばわり。
これぞまさしくイエスが言っていた偽善者の姿そのものです。
2013-05-06 月 22:15:13 | URL | 桃栗 [編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2013-05-07 火 00:16:43 | | [編集]
カレブよしさんへの返信について
桃栗さん カリブよしさんとのやり取りと読ませてもらって、貴女が言ってる事は本当に正解だと思います。カリブよしさんは桃栗さんには聖霊がのぞんでいないと言いながら霊的な部分で桃栗さんを責めているつもりですが(それも聖書の言葉を引用して)もしカリブよしさんに聖霊が内在しているのなら桃栗さんに対する神の時を勝手に決めるような事は決して言いません。仮にもし自身で私が言っているのではなく私に内在している聖霊が言わしていると思っているのなら、あなたかは教会に行かずメンタルクリニックで受診されることをお勧めします。カリブよしさんが審判でイエス様に会って主よ主よと叫んだらきっとイエス様は、私はあなたを知らないと言うでしょう。もし桃栗さんがこのコメントを承認されたとしても、このプログが荒れますのでカリブよしさん、このコメントに対する反論は止めてくださいね、桃栗さんに迷惑ですから。暇があったらあなたのプログ見ますのでそちらにレスして下さい。
2013-05-07 火 02:13:47 | URL | toshi [編集]
初めて投稿させていただきます
初めまして。 
私はキリスト教信者ではなく『創価学会』という畑違いかもしれませんがこれまたブラックな宗教を信仰していた母に育てられたものです。
創価学会についてはここでは詳しく述べる気はありませんが、記憶もない(確か3歳くらい?)に入会させられ18歳で自分の意思で脱会したことを付け加えておきます。

小学生のころ、学芸会で私の学年で「神楽」をすることになったのですが、カトリックを信仰している同級生が「宗教に逆らう」という理由で参加できなかったことがありました。
別に神棚を置くわけでもなくただの普通学校の学芸会で・・・ 6年でもありせっかくの思い出を「宗教」に消されてしまったのを同級生は今でも悔いているようです。
また、カトリックを信仰している近所の方に、熱心に信仰を勧められています。
その方が言うには「この信仰をしないとあなたは不幸になりますよ」です。
創価学会を脱会するときにも、「脱会すると幸せになりませんよ」と言われたのでかなりの嫌悪感を感じてしまいました。

日本の神も「祟る」とは言われてますが、それは神に対して無礼な行いをしたと感じた人が、普通に生活していても起こりうるであろう災厄にあったときに「これは祟りか」と思うだけであり「自分を信じてくれないから祟る」ではありません。

自分(キリスト)を信じないと救ってくれない(または不幸にする)神とはいったいなんなのでしょうか…

このゲストブックを4時間(笑)ほどかけ読ませていただきましたが、一生懸命キリスト教の教えを説こうとしている人のコメントは意味がわからないことだらけで… 桃栗さんの言われる「煙に巻く」という表現がピッタリでした。

人の原罪とは「命ある植物・動物の命を体に入れることによって生きていること」であると思っています。
食事する前に感謝するのはイエスなどではなく、私たちのために命を落としてくれた植物・動物に対してというのが正解だと思っています。
「(あなたの命を)いただきます」という日本の言葉はとてもきれいですよね。
なぜ過去の「神に逆らったアダムとエバ」(キリスト教については全くの無知同様ですので違っていたらすみません)の罪を生まれたばかりの赤ん坊にも背負わさせるという考えが出てくる意味がわかりません。
自分を愛してくれないからその子孫までも罪人にしてしまうという神などを私は信じることは出来ません。

信仰は確かに自由です。キリスト教にはキリスト教なりの信仰している人にとって心を惹きつける何かがあるのでしょう。それを信仰している人に対して「やめろ」とは言いません。
ただそれを他の信仰していない人に押し付けるのはやめて欲しいですね。
周囲に「本の虫」とまで言われている私ですが、聖書だけは最初の数行だけで断念してしまっています。
そんな私に対してなぜあそこまで勧誘した挙句「不幸になる」とまで言われないといけないのでしょうか・・・

勧誘によるあまりのストレスのため、この場所に乱文で書き殴ってしまい申し訳ありませんでした。
このブログやゲストブックを見て、いろいろ共感したので投稿させていただきました。

桃栗さんも1人1人の方に長文で返信されていて、それだけでもかなりの労力だと思いますが、お体を大切にしてくださいね。
これからもこのブログを読ませていただこうと思います。
2013-05-07 火 04:25:18 | URL | mayu [編集]
あなたは兄弟ではありません
しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
マタイによる福音書 / 5章 22節

あなたは聖書を部分的にしか理解してないんですね。
あなたは私と兄弟だと思っているんですか。

イエス様は神の子で長子です。私もイエス様と同様、神の子なのでイエス様と兄弟というわけです。でも残念ながらあなたは神の子では無いと神様は言われます。当然私とも兄弟ではなく赤の他人です。

それを理解した上でコメントを書いてください。
お願いいたします。
2013-05-07 火 21:20:40 | URL | カレブよし [編集]
Re: おバカさんへもう一言
> 私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。
> 神様はあなたを救われようとしているのだとばっかり思っていましたが違ったようです。
> 神様が言うには”おバカなブログではあるけれど影響力が有るのであなたのブログを用いて他の人に私の存在を知らしめようとしただけみたいです。
>
> それとあなたに罪を犯させるためです。
> 一番の罪をあなたに教えてあげましょう。
>
> 一番は聖霊様の批判です。
> 二番目は神様に仕える者の足を引っ張ることです。
>
> 私の役目は人を救うことと、おバカさんを裁く手伝いです。
> もう役目は終わりました。

本当にこの方はこのブログの管理人と同一人物でしょうか。
http://calebyoshi.blog.fc2.com/
ご自分のブログでは優しく丁寧な表現なのに、
他人のブログではこれでもかというほどの喧嘩腰。
おバカさんを裁きなさいとイエスは言いましたっけ?


> 最低でも15回は通読してから意見を言いましょう。
> それでやっと人間の知識レベルで私と並びます。

そうおっしゃるからには貴方は少なくともそれ以上の回数は通読されたのですよね?
その割にはイエスの言葉をあまりにも忘れすぎではありませんか?
「汝の敵を愛せよ」という言葉ぐらいノンクリスチャンだって知っていますよ。
と書いたらまたいろいろ言い訳が返ってくるのでしょうけど。


> でも15回通読できたら、ごほうびとしてまた相手をしてあげますよ。

うまく逃げましたね。
私(桃栗)が15回も通読できない=もう私(桃栗)の相手をしなくて済む、
要するに自分から逃げたってことです。


> 期待してます。無理だろうけど。

はい、無理ですね。
だからもう相手にしないでくださいね(笑)。時間の無駄ですから。
この間も、もうここ書き込まないと言っておきながらなお執拗に書き込んでいますが、
もう「バカを裁く役目は終わった」のですよね。
私が聖書を15回通読するまで相手をしないんですよね。
だったらもう書き込まないでくださいね。
さようなら~~~~~(笑)。

もしかして貴方は預言カフェの吉田万代牧師の夫の吉田浩ですか(笑)?
2013-05-07 火 22:00:03 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さん、基地外のお相手お疲れ様です。

>私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。

きっと何かの精神病にかかっていて、幻聴でも聞いてるのでしょう。
この人は、このブログにコメントする前に、然るべき医療機関に行って治療を受けるべきだと思います。
2013-05-07 火 22:19:21 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: タイトルなし
> 説教はどんな思いで聞いていましたか?

こんにちは。私も同じ気分でした。

> 「おわりのとき」「永遠のいのち」とか宗教用語をちりばめたわけのわからない話を聞かされ、苦痛でした。

これですね。一見、美しく響きの良い言葉で語られているのに、
結局は何を言っているのかさっぱり分からないのです。
それでも、分かったように振る舞っていなければならないのが苦痛でした。
牧師やクリスチャンにはっきりした回答を求めても「はい」「いいえ」で答えず、
響きの良い、しかし質問とは関係ない話ばかりされて
結局は回答になっていないことが多いのです。


> 3年間ずっと熱心に通えばわかるようになるとクリスチャンの親にいわれましたが、合わせようとしても合いませんでした。
> 信仰が足りないと思い、聖書を念入りに読んだりしてみましたが、それでも付いていけませんでした。

私も、信じ続ければいつか道は開けると思っていましたが、
社会に出てキリスト教と現実の社会とのギャップに悩まされました。


> 教会から離れた今となっては、所詮わけのわからない、意味のない話なので、理解できなくても無理もないです。
> 宗教なんて空想です。説教がわかるというのは、わかったつもりになることだと思います。

まさに私が言いたかったのはこれです。
クリスチャンはキリスト教を「分かったつもり」になっているだけです。
だから、はっきりした回答を求められても答えられないのです。
しかも、「はい」「いいえ」を言えないだけでなく、
分からないなら「答えられない」「分からない」と素直に言えばいいものを、
美辞麗句を並べてとにかく相手を納得させようと必死なのが笑えます。
または「聖書を読めばわかる」「教会に行けばわかる」「神様ならご存知です」
という類の言葉を言う人がいますが、
それは自分が答えられないのをごまかしているだけです。
どうもクリスチャンは意地でも「(自分は)分からない」と言いたがりません。
不思議ですね。
2013-05-07 火 22:21:11 | URL | 桃栗 [編集]
お礼
桃栗さま。
私は以前こちらに投稿し、勝手ながら非公開にさせて頂いた者です。
桃栗さまには個人的な悩みの回答をお願いしました。
そして、何の得にもならない個人へのお返事を、お忙しい中、メールにてくださいました。
大変感謝しております。
クリスチャンに対しての桃栗さまは大変厳しく、言葉もやや乱暴になってしまっているかもしれませんが、根はお優しい方なのだとわかりました。
ありがとうございました。
これからもブログを拝見させていただきますね。
2013-05-08 水 14:05:00 | URL | 迷い人 [編集]
Re: 桃栗さんへの共感と素朴な質問
> このプログを読んで思ったことですが、桃栗さんはキリスト教がまやかしの宗教で人々を騙している、だから騙されないように注意を促すつもりでこのプログを立てあげたのですか?ずっと読んでいくうちにふと違うような気がしてきました。というのは桃栗さんがイエスも神も実在しないと100%確信しているのなら、それを信じているクリスチャンという人たちは、あなたにとってはありもしないものに一生懸命祈りをささげている、ちょっと頭のおかしな人たちなんですよね、普通ならそんな人たちに多くの時間をさいて議論しますか?

私はキリスト教によって人生を台無しにされたと思っています。
知人にもキリスト教によって人生を台無しにされて自殺した人がいます。
今こうしてブログを書いているのはその恨みです。
キリスト教を信じて幸せに浸っている人たちが腹立たしいのです。
キリスト教のせいでこんなにも苦しんでいる者がいるのに、
決してキリスト教の欠点や矛盾点を認めない人たちが許せないのです。
以前も発言したことがありますが、
日頃のストレスがこのブログを書く原動力にもなっています。
気が済むまで書きたいことを書き続けるつもりです。


> 僕が不思議に思うのは福音書に書かれているイエスの言ったことした事に対して、桃栗さん自身批判めいた事は書かれていないように感じます。

ええ、私はイエス自身については特に批判しているつもりはありません。
批判の対象にしているのは、そのイエスを神として崇めている人たちです。


> ただ、あの場面、あの状況でザアカイに声をかけたイエスを人間とどうしても思えないんです。

イエスは取税人ザアカイには優しく声をかけた一方で、
なぜ神殿で商売していた人には鞭を振って暴力的に追い払ったのでしょうか。
・マタイによる福音書 21:12-17
・マルコによる福音書 11:15-19
・ルカによる福音書 19:45-48
・ヨハネによる福音書 2:13-22
の4か所に事の顛末が記されているのに、なぜクリスチャンは気付きませんか?
そしてマタイ23章をお読みください。
律法学者やパリサイ人に対し、実に冷酷極まりない批判をしています。
33節では「蛇よ、蝮(まむし)の子らよ」とまで呼んでいます。
イエスは取税人ザアカイに優しく声をかけた一方で、
なぜ商売人、律法学者、パリサイ人には優しくしなかったのでしょうか。
これのどこが「汝の敵を愛せよ」なのでしょうか。
こちらでもイエスの言動の矛盾点が指摘されています。
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-204.html
こんな支離滅裂な言動をするイエスを神と崇める人の神経が理解できません。

クリスチャンのみなさん目を覚ましてください。
2013-05-08 水 23:21:59 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さんこんにちは
桃栗さん、リレスありがとうございます。実はこの箇所、僕の行っている(たまに)教会のある夫人が桃栗さんと同じ事を僕に話しました。そしてあなたはどう思う?僕はこう答えました。イエスの言動を今の時代の日本に置き換えて考えたら。そんな人見たことないでしょ、と答えました。例えばあのザアカイの個所、ザアカイって人は自分の奥の奥にしまっているもの(良心)を誰にも見せたことは無いと思います。だから友達もいないでしょうし当然ザアカイの事を理解する(表現が難しいですが)人もいなかったと思います。そんな人に声をかけたイエス様は優しい。それはみんな知っています。僕はこの箇所の見方少し違うんです、誰に聞いてもザアカイの立場と気持ちを考えるのですが、僕は逆でこの場面、この状況でイエスのとった行動は誰にも理解されないどころか完全に軽蔑される行動と思うのですね(弟子たちからも)。桃栗さんの悩みはなんでしょう?職場での人間関係、アホな後輩に合わさないとだめだから、そうなんです桃栗さんの悩みは普通の人間なら当たり前にだれでももつ悩みなんです。社会では自分が正しいと思う事でもそれを口にしたり態度に示したら孤立してしまうんです。それが恐いからみんな少数でも仲間を作ろうとするんだと思います。人間なら当たり前です、政治を見ても社会を見ても日本人もアメリカ人も中国人も欧州人も、それともう一カ所、ニコデモとのやり取りの個所、ニコデモは敵(自分を殺そうとしている)の中で唯一イエスに好意的で力のある人物ですよね、そのニコデモに対してイエスが言った事も、とても人間とは思えないんですね、普通なら自分の味方に引き込むか利用しますよね。桃栗さんの指摘された神殿の個所も同じように考えています。当時のエルサレムの神殿は巡礼者が純粋に何日もかけて礼拝のために上ってきたと思います。そこにつけ込んで商売している人の心の奥が見えたから誰に理解されなくても、あの行動に出たんでしょう。ザアカイの逆です、桃栗さんには僕の思い込みと思われるでしょう、ただ、これだけははっきり言える事ですが、イエス自身は生涯を通して自分が人からどう思われるかという事は全く考えていないと思います、何の得もないににそんな生き方しますか、桃栗さん自身そんな人間見たことありますか?僕はないです。その婦人はふーんそんな見方もあるんだって笑って帰りました。後日会った時、その人は高校の先生なんですが確かにうちの先生方見てもそんな人一人もいないねって言ってました。イエスの言動の矛盾は、イエスを僕等人間の表面でしか物事を捉えられないとした見方と、心の奥を探り極める事の出来る神とした見方で矛盾しているか矛盾していないか変わってくると思います。最後に「汝の敵を愛せよ」の矛盾について、僕はクリスチャンですから桃栗さんはにとって僕は敵ですよね、でも僕は桃栗さんの事を心から愛しています(世的な愛とかではないので気持ち悪がらないでね)、でもあのカリブよしとか言う人は愛すことは出来ません。何故かは説明できません言葉が見当たりません。ただ教理の違いとかそういうものではないことは確かです。
2013-05-09 木 02:49:35 | URL | toshi [編集]
Re: ブログを更新したら
> 相変わらず低レベルの戦いをしているんですね。
> 面白いですか。

面白いですよ。面白くなかったらこんなことはやっていません。
この方は、3月22日の初めてのコメントの時には丁寧な言葉遣いで、
ご自分のブログでも格調の高い文章で書いているのに、
私が否定的な発言ばかりをしていたら本性を現しました。
「化けの皮がはがれる」とはまさにこのことです。


> そして、またクリスチャン批判ですか。韓国人はクリスチャンが25パーセントと言っていますが、あなたが以前そうだったようにほとんどはクリスチャンモドキと言うか自称クリスチャンですよ。
>
> あなたがクリスチャンモドキだった時、神様から相手にされなかったように、この人たちも同じです。

そんなことは言われなくとも分かりきったことです。
韓国にクリスチャンモドキが多いのは、
貴方みたいな高飛車な国民性とキリスト教の性質がマッチしたからですよ。
欧米のクリスチャンの信仰もたかが知れています。
キリストの誕生日はミトラ教から、
クリスマスツリー、リース、ヤドリギは北欧伝説から、
そして、ケルト人のお祭りのハロウィンまでキリスト教に取り入れています。
一神教でありながら他宗教の都合の良い部分をキリスト教に取り入れているのです。
さらに世界中を植民地にして先住民を迫害、虐殺し、
核兵器を持っている国もあります。
要するに欧米人のクリスチャンの信仰もその程度なのです。


> クリスチャンモドキが何かしたとか、助けてもらえなかったとか意味の無い、つまらない討論はもういい加減やめたらどうですか。

やめようとしないのは貴方の方です。
3月29日にもうこのブログに書き込むのをやめると発言したではありませんか。
5月3日は、私が聖書を15回通読するまで私を相手にしないという旨を発言をしています。
にもかかわらずその3日後の5月6日ににはまた投稿。
さらに5月7日にも投稿されています。
いつになったら投稿をやめるおつもりなのでしょう。
ご自分の信仰の強さを誇らしげに語る割には意志の弱い方ですね。

やはり貴方は預言カフェの吉田万代牧師の夫の吉田浩ではないですか?
2013-05-09 木 22:08:48 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 誰の言葉か忘れましたが、『日本人でキリスト教徒の人はおかしな人が多い』。

私もそう思います。
欧米にはクリスチャンが多いとは言っても、
毎週教会に通っている人たちがどれほどいるでしょうか。
日本は仏教圏と言われながら、
ほとんどの人がお葬式、お墓詣り、大晦日ぐらいしか仏教に触れません。
それと同じように、あちらのクリスチャンも、
冠婚葬祭やクリスマスぐらいしかキリスト教に触れないのではないかと思えてきます。


> …日本人で?アメリカでもブッシュ元大統領はアフガニスタンやイラクで戦争を始める時、『神が私に命じた』と言ったそうですが、

ここ最近書き込みを続けているカレブよしと名乗る自称牧師も、
5月3日にこんなおバカな発言をしています。


> 私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。

こうやってクリスチャンは「神のお告げだから」と言って何でも正当化するのです。
ここにも同じような例が紹介されています。
http://ameblo.jp/pinappo/entry-10071870502.html

「神様」という言葉を出せば何でも正当化できますから便利な宗教ですね。



> 韓国でもキリスト教徒とそうでない人には対立があるそうです。
> http://ameblo.jp/qofuqofu/entry-11333432718.html

その記事は読んだことがあります。
子供のころからキリスト教的洗脳に苦しめられた管理人さんの気持ちがよくわかります。
韓国にも冷静な観点でキリスト教と日本を見れる人がいると知って安心しました。


> そしてこんな記事を見つけました。この記事によると、脳医学的にもキリスト教が平和的な心を妨げる事が証明されたそうです。
>
> 脳卒中で左脳の機能が一時期完全に停止して、右脳の世界を体験するとともに左脳の負の機能の存在を知った女性神経病理学者の体験記が昨年発表されたことである。「右脳の世界」は、宇宙との一体感にれる自由で平和な世界であり、感謝やいつくしみや思いやりに満ちた世界、小川のせせらぎや風の音に心を寄せる感性の世界であった。論理や計算をつかさどり、文明を形成してきた左脳であるが、「左脳の負の機能」として平和な右脳マインドを制約することがわかったのだという。キリスト教の、ああしなさい、こうしてはいけない、といった幼少から刷り込まれたものが、右脳マインドを享受するルートを妨げていることが明確に理解された。宗教の戒律などから解き放たれた「リリジョンフリー」の右脳マインドこそ世界に平和をもたらすものであることを、本人自身が得た体験から科学的な根拠の上で主張し始めたのである。
>
> http://www.elneos.co.jp/0906kennja.html

情報提供ありがとうございます。
韓国にクリスチャンが増えたのは、
あの攻撃的な国民性と、キリスト教の性質が合致していたからではないかと思っています。
2013-05-09 木 22:21:55 | URL | 桃栗 [編集]
質問
質問なんですが、カレブよしとさんの発言で

> 私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。

と、ありますが、これは彼が預言者(自称)だということなのですか?
教会は彼を預言者と認めるんですかね。ていうか、イスラムだとムハンマドが最後の預言者とされているのですが、キリスト教では現代でも彼のような預言者が現れているのですか?



2013-05-09 木 23:58:57 | URL | 異教徒 [編集]
カレブよし って(笑)
典型的な『アレ』ですね(笑)

桃栗さん、体調を崩さないようにお気をつけ下さい。
応援しています。
2013-05-10 金 10:28:41 | URL | かえる [編集]
Re: 初めて投稿させていただきます
> 初めまして。 
> 私はキリスト教信者ではなく『創価学会』という畑違いかもしれませんがこれまたブラックな宗教を信仰していた母に育てられたものです。
> 創価学会についてはここでは詳しく述べる気はありませんが、記憶もない(確か3歳くらい?)に入会させられ18歳で自分の意思で脱会したことを付け加えておきます。

こちらこそ初めまして。
私は創価学会とかかわったことはないのですが、何かとよくない話を聞きます。
そんな宗教をするお母様の元で育てられたとのことで、
私と宗教は違いますがお気持ちが分かるような気がします。


> 小学生のころ、学芸会で私の学年で「神楽」をすることになったのですが、カトリックを信仰している同級生が「宗教に逆らう」という理由で参加できなかったことがありました。
> 別に神棚を置くわけでもなくただの普通学校の学芸会で・・・ 6年でもありせっかくの思い出を「宗教」に消されてしまったのを同級生は今でも悔いているようです。

私も学校の遠足や修学旅行で、神社仏閣に入ることに抵抗がありました。
何か間違った場所に足を踏み入れている気分でした。


> また、カトリックを信仰している近所の方に、熱心に信仰を勧められています。
> その方が言うには「この信仰をしないとあなたは不幸になりますよ」です。
> 創価学会を脱会するときにも、「脱会すると幸せになりませんよ」と言われたのでかなりの嫌悪感を感じてしまいました。

そうです、そのように洗脳するところがキリスト教も同じなのです。
キリスト教がほかの宗教と違うところは、言葉遣いが優しく丁寧なところでしょう。
そこがたちの悪いところです。


> 日本の神も「祟る」とは言われてますが、それは神に対して無礼な行いをしたと感じた人が、普通に生活していても起こりうるであろう災厄にあったときに「これは祟りか」と思うだけであり「自分を信じてくれないから祟る」ではありません。

なるほど、大変分かりやすい解釈ですね。
キリスト教の場合、普通に生活していても起こりうる災害があった時に、
「日本人が神を信じていないせいだ」と言う人がいますね。


> 自分(キリスト)を信じないと救ってくれない(または不幸にする)神とはいったいなんなのでしょうか…

そんな神様を有り難がるクリスチャンの心理が分かりませんね。

> このゲストブックを4時間(笑)ほどかけ読ませていただきましたが、一生懸命キリスト教の教えを説こうとしている人のコメントは意味がわからないことだらけで… 桃栗さんの言われる「煙に巻く」という表現がピッタリでした。

とにかく、クリスチャンと言う生き物は、
「はい」「いいえ」「分からない」ではっきり答えようとせず、
響きが美しく、しかし意味の通じない日本語を並べるのがお好きなようです。


> 人の原罪とは「命ある植物・動物の命を体に入れることによって生きていること」であると思っています。
> 食事する前に感謝するのはイエスなどではなく、私たちのために命を落としてくれた植物・動物に対してというのが正解だと思っています。
> 「(あなたの命を)いただきます」という日本の言葉はとてもきれいですよね。
> なぜ過去の「神に逆らったアダムとエバ」(キリスト教については全くの無知同様ですので違っていたらすみません)の罪を生まれたばかりの赤ん坊にも背負わさせるという考えが出てくる意味がわかりません。
> 自分を愛してくれないからその子孫までも罪人にしてしまうという神などを私は信じることは出来ません。

その解釈で合っています。
生まれたばかりの赤ちゃんでさえ罪びとなら、子供を作らなければいいのです。
そうすればこの世から罪びとが減りますから(笑)。


> 信仰は確かに自由です。キリスト教にはキリスト教なりの信仰している人にとって心を惹きつける何かがあるのでしょう。それを信仰している人に対して「やめろ」とは言いません。
> ただそれを他の信仰していない人に押し付けるのはやめて欲しいですね。

この部分、私もまったく同感です。

> 周囲に「本の虫」とまで言われている私ですが、聖書だけは最初の数行だけで断念してしまっています。
> そんな私に対してなぜあそこまで勧誘した挙句「不幸になる」とまで言われないといけないのでしょうか・・・
>
> 勧誘によるあまりのストレスのため、この場所に乱文で書き殴ってしまい申し訳ありませんでした。
> このブログやゲストブックを見て、いろいろ共感したので投稿させていただきました。

宗教の勧誘は本当に厄介です。
本人たちは良かれと思ってやっているので断りにくいですよね。
下手に断るとどんな反応をされるかがまた怖いですし。
私もmayuさんのコメントに共感を覚えます。
2013-05-10 金 23:32:10 | URL | 桃栗 [編集]
Re: あなたは兄弟ではありません
> しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
> マタイによる福音書 / 5章 22節
>
> あなたは聖書を部分的にしか理解してないんですね。
> あなたは私と兄弟だと思っているんですか。
>
> イエス様は神の子で長子です。私もイエス様と同様、神の子なのでイエス様と兄弟というわけです。でも残念ながらあなたは神の子では無いと神様は言われます。当然私とも兄弟ではなく赤の他人です。

皆さん、ご覧ください。私の予感が見事なまでに的中しました。
以前も、タコという方が私をバカ呼ばわりしたので、そのイエスの言葉を引用しました。
ところがそれに対してタコさんは「あなたは兄弟ではない」と返してきました。
これです。
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/4859513.html
カレブよしさんもタコさんとまったく同じ反応をしました。

クリスチャンは、都合の良い時は「兄弟は互いに愛し合いなさい」と説き、
都合が悪い時は「あなたは兄弟ではない」と言うのですからいい加減なものです。
「汝の隣人を愛せよ」という言葉がありますよね。
あの「隣人」と言う言葉は、クリスチャン同士のことなのです。
クリスチャンでない人は「隣人でない=愛さなくても良い」なのです。
だから、異民族迫害も、戦争も何もかも正当化されてしまうのです。
まったくご都合主義な宗教です。
2013-05-10 金 23:42:24 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 桃栗さん、基地外のお相手お疲れ様です。
>
> >私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。
>
> きっと何かの精神病にかかっていて、幻聴でも聞いてるのでしょう。
> この人は、このブログにコメントする前に、然るべき医療機関に行って治療を受けるべきだと思います。

今までブログに現れた”患者さん”の中ではワースト1です(笑)。
カレブよしさんがハマったのがキリスト教だったからまだマシだったものの、
もしもオウムに入信していたら間違いなくサリン事件実行犯になっていたでしょう(笑)。
2013-05-10 金 23:45:16 | URL | 桃栗 [編集]
Re: お礼
> 桃栗さま。
> 私は以前こちらに投稿し、勝手ながら非公開にさせて頂いた者です。
> 桃栗さまには個人的な悩みの回答をお願いしました。
> そして、何の得にもならない個人へのお返事を、お忙しい中、メールにてくださいました。
> 大変感謝しております。

私も、自分のブログに共感を持つ方が多いことは励みになります。
かつてYahooでブログを始めたころはクリスチャンからの反論が多く、
半分逃げるような形でこちらに引っ越してきましたが、
現在、共感してくださる方が多いことがブログを書く原動力にもなります。
日頃のストレス発散も原動力になっていますけど(笑)。
2013-05-10 金 23:52:59 | URL | 桃栗 [編集]
自称クリスチャン
>クリスチャンは、都合の良い時は「兄弟は互いに愛し合いなさい」と説き、都合が悪い時は「あなたは兄弟ではない」と言うのですからいい加減なものです。 「汝の隣人を愛せよ」という言葉がありますよね。あの「隣人」と言う言葉は、クリスチャン同士のことなのです。クリスチャンでない人は「隣人でない=愛さなくても良い」なのです。だから、異民族迫害も、戦争も何もかも正当化されてしまうのです。

同感です。しかし、ご存知のとおりイエス様は良きサマリア人のたとえでもあるように同胞だけでなく異邦人も愛するように言われました。ですからイエス様が悪いわけではなく、自称クリスチャンが正しく理解していないのがいけないのだと思います。
2013-05-11 土 18:58:23 | URL | 桃太郎 [編集]
Re: 桃栗さんこんにちは
> 桃栗さん、リレスありがとうございます。実はこの箇所、僕の行っている(たまに)教会のある夫人が桃栗さんと同じ事を僕に話しました。そしてあなたはどう思う?僕はこう答えました。イエスの言動を今の時代の日本に置き換えて考えたら。そんな人見たことないでしょ、と答えました。例えばあのザアカイの個所、ザアカイって人は自分の奥の奥にしまっているもの(良心)を誰にも見せたことは無いと思います。だから友達もいないでしょうし当然ザアカイの事を理解する(表現が難しいですが)人もいなかったと思います。そんな人に声をかけたイエス様は優しい。それはみんな知っています。(以下略)

toshiさんは本当に人の気持ちを理解しない方なのですね。
前回のコメントに私が何を書いたか読んでいないのですか?
私はキリスト教に人生を台無しにされ、知人も人生を台無しにされて自殺して、
私はそのことを恨んでいると書きました。
しかし貴方はそのことにはまったく触れず、イエスの素晴らしさを一方的に説くだけ。
貴方がしていることがどういうこかお分かりですか?
オウム真理教やエホバの証人に人生を台無しにされて傷付いて去って行った人に、
麻原や神エホバの素晴らしさを説いて引き戻そうとしているのと同じですよ。
貴方がしていることはそういうことです。
誰が自分が傷付いた場所に戻ると思いますか?
言葉遣いは丁寧でも、人の胸の痛みが分からない人はもう来ないで下さい。
そして、私を敵に回したことを重く受け止めてください。
自分だけ神に懺悔して重荷を下ろそうなどとは考えないで下さい。
貴方も一緒に思い悩み苦しんでください。
懺悔すれば赦されるというキリスト教のシステムが大嫌いなのです。
今度書き込みをしたら削除します。
さようなら。
2013-05-14 火 22:24:26 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 質問
> 質問なんですが、カレブよしとさんの発言で
>
> > 私は神様から預言を通してあなたのブログをチェックするように言われ、関わって来ました。
>
> と、ありますが、これは彼が預言者(自称)だということなのですか?
> 教会は彼を預言者と認めるんですかね。ていうか、イスラムだとムハンマドが最後の預言者とされているのですが、キリスト教では現代でも彼のような預言者が現れているのですか?

信者が自分で勝手にそう思っているだけです。
「神がそうおっしゃったので」と言えば何でも正当化できる宗教ですから。
2013-05-14 火 22:28:38 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> カレブよし って(笑)
> 典型的な『アレ』ですね(笑)

こんなに頭が狂ったクリスチャンも本当に珍しいですね。
私が2013-05-07 火 22:00:03 のコメントで「吉田浩」という名前を出して以来、
今日(5月14日)現在、カレブよし氏はこちらにコメントを書かず、
ご自分のブログも更新されていません。
やはり吉田浩は「図星」だったのでしょうか(笑)。
ただ、あの日の時点で彼のブログに少なくとも2つのコメントが承認待ちだったのに、
数日前にそのうちの一つがさりげなく削除されています。
よほど都合の悪いことが書かれていたのでしょう(笑)。


> 桃栗さん、体調を崩さないようにお気をつけ下さい。
> 応援しています。

カレブ氏の出現でいいストレス解消ができました(笑)。
2013-05-14 火 22:39:02 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 自称クリスチャン
> >クリスチャンは、都合の良い時は「兄弟は互いに愛し合いなさい」と説き、都合が悪い時は「あなたは兄弟ではない」と言うのですからいい加減なものです。 「汝の隣人を愛せよ」という言葉がありますよね。あの「隣人」と言う言葉は、クリスチャン同士のことなのです。クリスチャンでない人は「隣人でない=愛さなくても良い」なのです。だから、異民族迫害も、戦争も何もかも正当化されてしまうのです。
>
> 同感です。しかし、ご存知のとおりイエス様は良きサマリア人のたとえでもあるように同胞だけでなく異邦人も愛するように言われました。ですからイエス様が悪いわけではなく、自称クリスチャンが正しく理解していないのがいけないのだと思います。

くどいようですが、桃太郎さんも本当に「典型的」なクリスチャンですね。
つまり、意地でもキリスト教の欠点や問題点を認めようとせず、
あくまでも悪いのは信者側にあるというそのお決まりの言い方です。
どうしてクリスチャンという生き物は、
水戸黄門の印籠のようにキリスト教を無条件に受け入れてしまうのでしょうか。
不思議でなりません。
2013-05-14 火 22:55:19 | URL | 桃栗 [編集]
Re: おバカさんへもう一言
>おバカさんを裁きなさいとイエスは言いましたっけ?

ご存じとは思いますが、逆です。イエスは明確に「人を裁いてはならない」と言っています。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」(マタイによる福音書 / 7章 1節)
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」(ルカによる福音書 / 6章 37節)

それとも「裁くのは神/聖霊であって、私はその手伝いをするだけ」とでも言うのでしょうかね?
別のコメントでの

>でも残念ながらあなたは神の子では無いと神様は言われます。当然私とも兄弟ではなく赤の他人です。

といい、カレブよしさんの言われる「神」や「聖霊」は本当に都合のよろしい代物ですね。
「『イエスの言葉に逆らうことになってしまう』という罪悪感無しに人を裁きたい/バカ呼ばわりしたい」
という欲求を見事に正当化し、カレブよしさんの代わりに責任を負ってくださるのですから。
本当に便利な、責任転嫁の道具です。

そんな態度よりは
「例えイエスの言葉に逆らうことになっても、"私は"あなたを裁かずには/怒らずにはいられない」
と、自分の責任においてものを言う方が、よほど責任ある立派な態度と思うのですが。
どうしてそうできないのでしょうかね?
2013-05-19 日 13:11:39 | URL | ササキエル。 [編集]
Re: Re: おバカさんへもう一言
> >おバカさんを裁きなさいとイエスは言いましたっけ?
>
> ご存じとは思いますが、逆です。イエスは明確に「人を裁いてはならない」と言っています。
> 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」(マタイによる福音書 / 7章 1節)
> 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」(ルカによる福音書 / 6章 37節)
>
> それとも「裁くのは神/聖霊であって、私はその手伝いをするだけ」とでも言うのでしょうかね?
> 別のコメントでの
>
> >でも残念ながらあなたは神の子では無いと神様は言われます。当然私とも兄弟ではなく赤の他人です。
>
> といい、カレブよしさんの言われる「神」や「聖霊」は本当に都合のよろしい代物ですね。

本当にまったくその通りです。
この世を創造した全知全能の神様は、
本当にカレブよしさんに都合良くできているのですね。
自分に都合の良い神様がそばにいてくれるなんて素晴らしいですね(笑)。


> 「『イエスの言葉に逆らうことになってしまう』という罪悪感無しに人を裁きたい/バカ呼ばわりしたい」
> という欲求を見事に正当化し、カレブよしさんの代わりに責任を負ってくださるのですから。
> 本当に便利な、責任転嫁の道具です。
>
> そんな態度よりは
> 「例えイエスの言葉に逆らうことになっても、"私は"あなたを裁かずには/怒らずにはいられない」
> と、自分の責任においてものを言う方が、よほど責任ある立派な態度と思うのですが。
> どうしてそうできないのでしょうかね?

自分の非を認めようとしない性格の人がクリスチャンになるのではないでしょうか。
キリスト教は自分を正当化するのに非常に便利な宗教ですから。
2013-05-19 日 13:59:03 | URL | 桃栗 [編集]
信者?
やっと書き込めた~。
え? 信者? 私が? 何でですか? 自分と違う価値観を見つけたらそれを見てみたいと思う、単なる普通の好奇心じゃないですか? それとも私、そんなに抹香ならぬ乳香くさいですかねえ…くんかくんかはすはすはす。タダで講座を開いてくれるから教会には行ってますけど、教会に行ってて信者じゃない人なんていーっぱいいますよ?
えーっと、それで公会議と聖書についてでしたっけ?
私はこの点に関しては桃栗様に謝らなければなりません。
私は、聖書は初代教会の信仰の副産物であると教わって、その前提でお話しておりました。そもそも最古のマルコ伝が書かれたのはイエスの死後30年もたってからで、聖書が今の形になったのは更に70年近く後。エピソードの「姦通の女」は、近代まで「聖書にいれるかいれないか」が議論されております。故に私は、聖書が完全な書物と考えていません。ていうかそもそも聖書自体が、コーランか何かのように神もしくはイエスによって書かれていませんしね。
公会議は、今のようにメールは勿論、電話も無い時代、教会の方向性を決めるため開かれたもの。だから私は何度も公会議の話をしてしまったのです。
異端に関してですが、「初代教会はどうしていたか」「過去の公会議で似たような案件はなかったか」が着目点になります。
例えば件の三大異端であれば、「イエスは神である」という初代教会の信仰に反しているので、異端という事になりますね。
神が言ったか?言ってないんじゃないですか?私その時代の人間じゃないんでわかりません。
聖書に書いてあるか?書いてあったら神学なんて成り立ちません。イエスの時代に日本なんて認知すらされてないんですよ?恐竜だって認知されてないんですよ?
無理に決まってます。変化する社会に適応するために神学者がいて公会議があるんです。

桃栗様の言葉を借りるならば、私も含め一般人というのは、2000年も前の外国の風習を、その歴史も経緯も知らずに無理矢理現代日本に当てはめようとするおかしな人たちなのです。
えっと、あと自死についてですが。
少なくとも私はカトリック信者で自死した方を何人か知っていますが、皆さんちゃんとお葬式を挙げて貰ってますよ。自死遺族の為の「虹の会」というのもあります。自死遺族には「○○さんの苦しみを分かち合えなくてごめんね」とか言ってました。失礼かもですが桃栗様の教会のその人は非常識です。私でも頭に来ます。
2013-05-21 火 13:43:49 | URL | ぴー [編集]
キリスト教世界蔓延のルーツ研究
またお邪魔させて頂きます。ピアニストちびねこです。

あれから、キリスト教世界蔓延の起源を探るべくローマ史を勉強していました。
ローマ建国BC753~東ローマ帝国滅亡AC1453まで。
少し長いです。すみません。

ローマは寛容をモットーとして国の統治をしていました。この寛容とは「相手に同意する事ではなく、相手の存在は認める」という事。
破った国の自治と宗教を温存する事により、征服よりも共存共栄を取る事での有効性を理解していたのです。
ただし、社会不安の原因にならない限り。
この寛容の中でキリスト教だけが迫害を受ける訳ですが、それは布教という余計なお節介の為。
他者の考えを言論や行為により変えさせる布教は、他者を認める寛容の精神からは真っ向から対立する物です。
これは国の方針を乱す社会不安の要因となります。
ローマ帝国の信教の自由容認によりキリスト教を信仰出来る訳なのに、自分達は他者の信教の自由を認めず、布教という名の元に改宗を迫る。利己主義にも程があります。

さて、キリスト教のローマ帝国国教への道第一歩はコンスタンティヌス帝による保護ですが、これは決して教理への同調からではありませんでした。
ローマ帝国は、初代アウグストゥス帝が血にこだわった為、度々、広い意味での世襲がありました。その為、時折愚帝も出ます。その上、任期は終身だったので、愚帝による悪政が甚だしい時、廃帝には暗殺しかありません。
また、暗殺廃帝が定着すると、賢帝にもかかわらず浅はかな者によっての暗殺も起こる。
帝政と言えども、民意により指名される皇帝は民意により廃されるからです。
暗殺を怖れたコンスタンティヌスは、民意ではなく、民を超える「神による指名」というカラクリの導入を思い付きます。
これに利用する神には、ローマの多神教ではなく、唯一一神教の神でなければなりません。
唯一一神教にはユダヤ教とキリスト教の神がありましたが、選民意識が強く閉鎖的なユダヤ教ではなく、他者の洗脳に燃えるキリスト教とは、この神と、この新しい方針を広く国民に浸透させるという所で利害が一致したのです。
保身にキリスト教を利用した皇帝。またキリスト教もこのチャンスを利用します。

この後、テオドシウス帝の時にアンブロシウスが、皇帝の上の「神」を「キリスト教」にすげ替えて行く訳ですが…。

以上、物凄~く簡略化しましたが、ラテンからアングロ・サクソンまで、ヨーロッパがキリスト教一色になった事の、私の原因研究報告でした。

全く下世話な原因でげろげろです(汗)

重ね重ね、長くてすみません。
2013-05-25 土 15:11:11 | URL | ちびねこ [編集]
Re: キリスト教世界蔓延のルーツ研究
> またお邪魔させて頂きます。ピアニストちびねこです。
>
> あれから、キリスト教世界蔓延の起源を探るべくローマ史を勉強していました。
> ローマ建国BC753~東ローマ帝国滅亡AC1453まで。
> 少し長いです。すみません。

ちびねこ様いらっしゃいませ。
私はこういう歴史にはまったく疎いのですが、
研究が進んでキリスト教の過去が暴かれればいいのにと思っています。


> 以上、物凄~く簡略化しましたが、ラテンからアングロ・サクソンまで、ヨーロッパがキリスト教一色になった事の、私の原因研究報告でした。

あくまでも私見ですが、キリスト教がヨーロッパに広まった原因の一つは、
キリスト教が自己を正当化するのに都合が良かったからだと思っています。
アジアが農耕文化なのに対して、
ヨーロッパは狩猟文化、つまり「採る(取る?盗る?)文化」ですから。
それから、韓国でキリスト教が広まったのは、
何でも正当化したがるあの国民性に合っていたからではないかと見ています。


> 全く下世話な原因でげろげろです(汗)
>
> 重ね重ね、長くてすみません。

いえいえ、これからもキリスト教の過去を暴く研究を続けてください。
2013-05-26 日 21:46:39 | URL | 桃栗 [編集]
はじめまして。
検索でやってきました。

大変興味深くブログを拝見しております。

私はキリスト教信者ではなく、趣味としてキリスト教をたしなんでおります。
日曜に教会へも行きますが、あくまでも趣味の範囲で席上献金をしております。

機会があれば桃栗さんと意見を交わせるのを楽しみにしております。
2013-05-29 水 12:23:07 | URL | rerolin [編集]
Re: タイトルなし
> はじめまして。
> 検索でやってきました。
>
> 大変興味深くブログを拝見しております。
>
> 私はキリスト教信者ではなく、趣味としてキリスト教をたしなんでおります。
> 日曜に教会へも行きますが、あくまでも趣味の範囲で席上献金をしております。
>
> 機会があれば桃栗さんと意見を交わせるのを楽しみにしております。

初めまして。
くれぐれも知らず知らず洗脳されることのないようお気を付け下さいませ。
また、クリスチャンウォッチングの目撃談もお待ちしております。
2013-05-31 金 22:33:17 | URL | 桃栗 [編集]
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2013-06-18 火 23:49:07 | | [編集]
お元気ですか?
お久しぶりです。
moonlightです。
といっても、覚えていてくださっているか微妙ですが。
私も、キリスト教についてのブログを始めたので、よかったらお越しください。
よろしくお願いします。
2013-06-25 火 14:47:55 | URL | moonlight [編集]
Re: お元気ですか?
> お久しぶりです。
> moonlightです。
> といっても、覚えていてくださっているか微妙ですが。
> 私も、キリスト教についてのブログを始めたので、よかったらお越しください。
> よろしくお願いします。

こんにちは。
いろんな方が書き込んでくださるので、
実は全員覚えきれていないというのが本音です。
でも、moonlightさんのことは名前だけは覚えていますよ。
後ほどブログにお邪魔させていただきますね。
2013-06-30 日 23:40:08 | URL | 桃栗 [編集]
「産めよ、増えよ」→洪水で皆殺し?
>生まれたばかりの赤ちゃんでさえ罪びとなら、子供を作らなければいいのです。
>そうすればこの世から罪びとが減りますから(笑)。

それに対するクリスチャンからのよくある反論として
「神は創世記で人間に『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』と命じている!!」
というのがありますよね。
その言葉通りに増えて地に満ちた人間が、結局大洪水でノア一家だけ残して
皆殺しにされた件についてはどう思っているのでしょうか。

「大洪水はもう過ぎ去った過去のこと」とクリスチャンは言われるかもしれませんが、
ルカによる福音書 / 17章 26節で、イエスが
「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。」
と予言しています。

クリスチャンの方々は、自分の子供や孫が、ノアの大洪水でおぼれ死んだ人々のような
目にあっても平気なのでしょうかね。
2013-07-15 月 06:09:53 | URL | ササキエル。 [編集]
Re: 「産めよ、増えよ」→洪水で皆殺し?
> >生まれたばかりの赤ちゃんでさえ罪びとなら、子供を作らなければいいのです。
> >そうすればこの世から罪びとが減りますから(笑)。
>
> それに対するクリスチャンからのよくある反論として
> 「神は創世記で人間に『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』と命じている!!」
> というのがありますよね。
> その言葉通りに増えて地に満ちた人間が、結局大洪水でノア一家だけ残して
> 皆殺しにされた件についてはどう思っているのでしょうか。

創世記1章28節の言葉のことですよね。
まったくその通りです。
何のために神は人間を繁栄させたのか理解できません。
もっとも理解できないのが、神が洪水を起こした目的です。
神はこの世に悪人が増えたことを「後悔」し(創世記6章5~6節)、
この世の悪人を一掃するために洪水を起こしましたよね。
そして、洪水が終わったときにも、神はまたノアに同じ言葉を言っています。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記9章1節)
そうして子孫が繁栄した結果、また悪人だらけになってしまいましたよね。
神は悪人を一掃するために大洪水を起こしたのに、なぜか時代は逆戻り。
これでは洪水で悪人を滅ぼした意味がありません。


> 「大洪水はもう過ぎ去った過去のこと」とクリスチャンは言われるかもしれませんが、
> ルカによる福音書 / 17章 26節で、イエスが
> 「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。」
> と予言しています。

その一方では、神は「もう二度と洪水を起こして人を滅ぼさない」と言っています。
創世記9章で、神は繰り返し繰り返しそのようなことを言っています。
それなのに、イエスはまたノアの時代と同じことが起こるとのたまう。
まったく訳が分かりません。
どうして「父」と「子」で言うことが正反対なのでしょうか。
こんな正反対なことを言う神のどこが三位「一体」ですか?
バカバカしい。


> クリスチャンの方々は、自分の子供や孫が、ノアの大洪水でおぼれ死んだ人々のような
> 目にあっても平気なのでしょうかね。

クリスチャンは、自分たちの身内、知人友人が地獄に行っても平気な人たちですから。
http://ameblo.jp/antichristian/entry-11564631333.html
2013-07-18 木 22:55:51 | URL | 桃栗 [編集]
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2013-07-22 月 02:01:23 | | [編集]
桃栗さんこんばんは。
先日書き込みをしましたが、覚えてくださっていたらうれしく思います。
あの後も悩んでいるのですが、もう読まないであろう聖書をどうしたら良いか、そして教会関係の友人との付き合いもどうすべきなのかと…。
桃栗さんはそういった人間関係をどうされましたか?
よろしければ教えていただけると幸いです。
誕生日プレゼントでもらった聖書はまだありますが、もう一冊の聖書は月曜日にゴミに出しました。
切り裂いて捨てただけに、捨てるようなものなら関わりたくなかったと思いました。

2013-08-07 水 22:40:30 | URL | ちさと [編集]
興味深く内容を読ませていただきました。
私はカトリックの学校に通っていた無宗教なのですが、読んでいると色々と心に響くことが多いです。

プロテスタントはそこまでではありませんが、カトリックは排他的なことが多いです。しかし、大人になると、宗教全般がそういうものではないのかな?と思うようになりました。

宗教は、似たような思考の人が、自分達の心が休まるために、擬似性を求めて作る集団であるという気がします。
なので、疲れたとき、不公平感や罪悪感を感じたときには、許しの概念があるキリスト教を信じやすくなり、
逆に自分が強者で勝ち気なときには、因果応報論の仏教を信じやすくなる気がします。

しかしこれはあくまでも、様々な人生経験を積んできた大人が生きやすいための手段です。仲間内で、私たちはこのように生きましょう!という約束です。

子供には選択の余地がある。ですので、私も子供に押し付けてはいけないと思います。

最後に、私は神の存在を否定はしきれません。でも、神がいるなら、各々の宗教が排他的であることは望んでなんかいないと思います。
個人が個人らしく幸せに生きて、ただ周囲の人に不快感をもたらさないこと。
この2つの利益の調和を求めてるんじゃないかな~。と非常に勝手に解釈しております。
2013-08-08 木 02:39:58 | URL | さつき [編集]
エホバの証人研究生でした
初めまして。このブログを2週間前に発見し、ついに研究生を辞める決心ができたものです。

3年ほど前から、聖書研究を自宅で行っていました。
伝道者が近所に住んでいて、子育てのヒントを聖書から引用し
幸せな家庭生活をおくるヒントまで教えてくださいました。

キリスト教には特に興味はなく、八百万の神の一つにキリスト教の神も含まれると思っていた程度でした。

子供を連れて、日曜日の集会に何度か参加していました。
伝道者に無理やりですが、地域大会に連れて行かれたことも・・・

そんな中、その伝道者が排斥されたのです。
詳しい事情は分かりませんが、ちょうど1年前に、ぱったりと伝道に来なくなりました。代わりにほかの伝道者が月に一度くらい来るようになりましたが・・・

1年間、聖書研究からそして集会から離れて、たくさん考えました。
聖書の矛盾のこと。日本人とキリスト教との関係のこと。

そしてこのブログをざっと読んで、やっとわかりました。
キリスト教と私は、心中できない!と。

昨日、伝道者(排斥中と代理の人ともに)に、聖書研究はしないので、もう来ないでくださいと、メールで伝えました。

排斥中の伝道者からは、長ったらしいメールが届き、会衆に復帰したら、私と子供たちを迎えに行く!と書かれていました。
もう、戻るつもりはないんですけどね。

私に言わせれば、キリスト教の教えはまさに「裸の王様」です。

真理と異なった言動をすれば、サタンに負けていると言い、排斥し
正しいか間違っているかも考えず受け入れている聖書の真理を従順に受け入れて生活している。つまり、「王様は裸だ!」と言えず、ただただ見えない王様の衣装を「すばらしいですね」と笑顔で言い合っているだけの集団だと思います。

エホバの証人が嫌いなのではありません。みなさん、いい人でした。

でも、聖書を100%受け入れなければならない、サタンに負けるな!、伝道こそが自分の生きる道、という教えを自分の物にすることはできません。

長々と書いてしまいましたが、これからもこのブログを興味深く読ませていただきます。
2013-08-19 月 13:22:55 | URL | yukiyuki [編集]
Re: タイトルなし
> 桃栗さんこんばんは。
> 先日書き込みをしましたが、覚えてくださっていたらうれしく思います。

こんにちは、ちさとさん、お待たせしました。
内緒でコメントをくださった方ですね。
私は、自分の身元が特定されることはなるべくブログに書かないのですが、
私の母もちさとさんのお母様に近いものがありました。
なので、ちさとさんのお気持ちが自分のことのように理解できます。
どうしてあんな人が罪が赦されて天国に行けて、
私のように傷付いてキリスト教の信仰を捨てた人が地獄行きなのでしょうか。
本当に理不尽な宗教だと思います。


> あの後も悩んでいるのですが、もう読まないであろう聖書をどうしたら良いか、そして教会関係の友人との付き合いもどうすべきなのかと…。
> 桃栗さんはそういった人間関係をどうされましたか?

私の場合、教会から離れて自分自身も遠方へ転居して、
そういうお付き合いは一切断ち切りました。
ただ、一時期エホバの証人や統一教会の方とのお付き合いがあり、
熱心に私を神の道へ戻そうと思っているのは分かるのですが、
最終的にはこちらからやんわりと断りました。
かなりガッカリされましたけどね。

あと、プロテスタントでリアルで最近までお付き合いがあった友人がいましたが、
連絡をくれるのはいつもあちらからで、
いつも一方的に話をして長電話になってウザいので、
私はさりげなく話をまとめて電話を切らせる方向へ持って行きました。
今ではさすがに電話はかかってきませんね。


> 誕生日プレゼントでもらった聖書はまだありますが、もう一冊の聖書は月曜日にゴミに出しました。
> 切り裂いて捨てただけに、捨てるようなものなら関わりたくなかったと思いました。

私も、信仰を捨てた時に聖書も一緒に捨てました。
その後、何年も経ってから気持ちが変わり、
改めて「違う意味で」聖書を読んでみたいと思い、再び入手しました。
信仰を完全に捨ててから聖書を読んでみると、
違う意味で大きな発見がいくつもありました。
とにかく聖書は矛盾だらけなのです。
どうして私はこんな矛盾に気付かなかったのかと自分自身が不思議です。
また、なぜクリスチャンはその矛盾に気付かないのか、
本当に本当に不思議です。
ちさとさんは聖書を捨てられたそうですが、
とりあえずはキリスト教のことはもう忘れて、世間並みに人生を楽しみましょう。
キリスト教は世俗的な楽しみを否定し、清貧を重んずるところがありますから、
そんな宗教に洗脳されていたら人生を損しますよ。
2013-08-20 火 23:15:02 | URL | 桃栗 [編集]
キリスト教系孤児院経営のレイプ魔たち
既にご存知かもしれませんが、韓国のクリスチャンに関してこんな報道がありました。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0821&f=national_0821_048.shtml

韓国のキリスト教関係者は何の反応も示していないのだそうです。
それと、作家の花村萬月が小3(9歳)のとき、孤児院の神父(サレジオ会のマンハルド神父)に掘られてしまったそうです。
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-520.html

「聖書には『赦せ』と書いてあるではないか。」などといってまったく取り合わないクリスチャンも多数いることでしょうね。そんなクリスチャンを見るにつけ、この宗教と完全に決別できて本当に良かった、と思います。
2013-08-24 土 22:48:22 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: タイトルなし
> 興味深く内容を読ませていただきました。
> 私はカトリックの学校に通っていた無宗教なのですが、読んでいると色々と心に響くことが多いです。
>
> プロテスタントはそこまでではありませんが、カトリックは排他的なことが多いです。しかし、大人になると、宗教全般がそういうものではないのかな?と思うようになりました。

お待たせしました。
私はカトリックとの接点はほぼ皆無ですが、
なんとなくお高く留まったイメージを持っています。
宗教を信じている人すべてがそうではないとは思いますが、
熱心に信仰している人に限って常識はずれな傾向があります。


> 宗教は、似たような思考の人が、自分達の心が休まるために、擬似性を求めて作る集団であるという気がします。

私もそう思います。
そして、その「似たような思考」を持った人が集まるところに、
宗教の危険性が潜んでいます。
一般社会の世界では、人それぞれ実に様々な考えを持った人が存在します。
そんないろいろな考え方が混ざり合った世の中だからこそ、
特定の変な思想が暴走する危険性が少ないのです。
戦後、日本の政治が二院制を採った理由の一つもそこにあります。
ところが、宗教の世界は「同じ思想」を持った集団であるがために、
誰もその思想を否定せず、時としてブレーキが利かなくなり、
変な方向に暴走することはよくあることです。
オウム真理教の事件なんかもその一例です。


> なので、疲れたとき、不公平感や罪悪感を感じたときには、許しの概念があるキリスト教を信じやすくなり、
> 逆に自分が強者で勝ち気なときには、因果応報論の仏教を信じやすくなる気がします。
>
> しかしこれはあくまでも、様々な人生経験を積んできた大人が生きやすいための手段です。仲間内で、私たちはこのように生きましょう!という約束です。

それが正しい方向へ行けばいいですけどね

> 子供には選択の余地がある。ですので、私も子供に押し付けてはいけないと思います。

ところが、宗教を信じている本人たちは、
子供のために良かれと思ってやっているわけです。
「子供に押し付けている」という自覚がないのです。
そんな親の元に生まれた子供たちは、
運が悪かったとしか言いようがありません。


> 最後に、私は神の存在を否定はしきれません。でも、神がいるなら、各々の宗教が排他的であることは望んでなんかいないと思います。
> 個人が個人らしく幸せに生きて、ただ周囲の人に不快感をもたらさないこと。
> この2つの利益の調和を求めてるんじゃないかな~。と非常に勝手に解釈しております。

私自身、キリスト教を100パーセント完全否定するつもりまではありません。
ただ、あくまでも数多くある宗教の中の「一つ」に過ぎないのです。
私が否定したいのは、キリスト教だけが唯一正しい宗教であると信じることです。
2013-08-27 火 22:13:22 | URL | 桃栗 [編集]
Re: エホバの証人研究生でした
> 初めまして。このブログを2週間前に発見し、ついに研究生を辞める決心ができたものです。

こちらこそ、初めまして。
私がブログを書いている目的の一つは、
信仰に迷っている方が辞める決心をするきっかけになってほしい、ということですが、
そのお役に立てたということでしょうかね。


> 3年ほど前から、聖書研究を自宅で行っていました。
> 伝道者が近所に住んでいて、子育てのヒントを聖書から引用し
> 幸せな家庭生活をおくるヒントまで教えてくださいました。
>
> キリスト教には特に興味はなく、八百万の神の一つにキリスト教の神も含まれると思っていた程度でした。

私は、何度もこのブログで発言していますが、
キリスト教を完全否定しようとまでは思っていません。
あくまでもキリスト教は「世界中にたくさんある宗教の中の一つ」なのです。
そういうわけで、yukiyukiさんの考え方は正しいと思います。
ただ、悩み事を宗教で解決しようするのはおやめになった方が良いでしょう。
これはキリスト教に限ったことではありません。
宗教、特に自分たちから布教したがる宗教というものは、
どうも人の弱みに付け込んでいる気がしてなりません。


> 子供を連れて、日曜日の集会に何度か参加していました。
> 伝道者に無理やりですが、地域大会に連れて行かれたことも・・・
>
> そんな中、その伝道者が排斥されたのです。
> 詳しい事情は分かりませんが、ちょうど1年前に、ぱったりと伝道に来なくなりました。代わりにほかの伝道者が月に一度くらい来るようになりましたが・・・
>
> 1年間、聖書研究からそして集会から離れて、たくさん考えました。
> 聖書の矛盾のこと。日本人とキリスト教との関係のこと。
>
> そしてこのブログをざっと読んで、やっとわかりました。
> キリスト教と私は、心中できない!と。
>
> 昨日、伝道者(排斥中と代理の人ともに)に、聖書研究はしないので、もう来ないでくださいと、メールで伝えました。
>
> 排斥中の伝道者からは、長ったらしいメールが届き、会衆に復帰したら、私と子供たちを迎えに行く!と書かれていました。
> もう、戻るつもりはないんですけどね。
>
> 私に言わせれば、キリスト教の教えはまさに「裸の王様」です。
>
> 真理と異なった言動をすれば、サタンに負けていると言い、排斥し
> 正しいか間違っているかも考えず受け入れている聖書の真理を従順に受け入れて生活している。つまり、「王様は裸だ!」と言えず、ただただ見えない王様の衣装を「すばらしいですね」と笑顔で言い合っているだけの集団だと思います。

私が思っていることとピッタリ一致しますね。
例えが具体的でわかりやすいです。


> エホバの証人が嫌いなのではありません。みなさん、いい人でした。

私もそう思いますよ。
実際、エホバの証人の信者の方と交流したことがありますが、
とにかく物腰が柔らかくて礼儀正しく、身だしなみもきちんとしています。
ネット上でエホバの証人を名乗る人の書き込みを見ても、
プロテスタントのように感情的にムキになっている人を見た記憶がありません。
でも、彼らは一般人とは何かが違うんですよね。
いわゆる正統派キリスト教とは別の意味で独善的というかなんというか・・・・。


> でも、聖書を100%受け入れなければならない、サタンに負けるな!、伝道こそが自分の生きる道、という教えを自分の物にすることはできません。

結局、正統派を名乗るキリスト教と同じなんですよね。
私も、プロテスタントのクリスチャンホームに生まれ育ち、
そのような思想を植え付けられていましたので、
生涯自分はキリスト教から離れてはいけないと信じ込んでいました。
プロテスタントは、自らを正統派の名乗り、エホバの証人を批判しますが、
今の私から言わせれば、どちらも大差ありません。


> 長々と書いてしまいましたが、これからもこのブログを興味深く読ませていただきます。

ありがとうございます。
更新が遅いブログですが、
いちおうは月1回は更新するつもりでやっております。
これからもよろしくお願いします。
2013-09-12 木 23:09:48 | URL | 桃栗 [編集]
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2013-09-17 火 14:07:47 | | [編集]
Re: キリスト教系孤児院経営のレイプ魔たち
> 既にご存知かもしれませんが、韓国のクリスチャンに関してこんな報道がありました。
> http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0821&f=national_0821_048.shtml
>
> 韓国のキリスト教関係者は何の反応も示していないのだそうです。
> それと、作家の花村萬月が小3(9歳)のとき、孤児院の神父(サレジオ会のマンハルド神父)に掘られてしまったそうです。
> http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-520.html
>
> 「聖書には『赦せ』と書いてあるではないか。」などといってまったく取り合わないクリスチャンも多数いることでしょうね。そんなクリスチャンを見るにつけ、この宗教と完全に決別できて本当に良かった、と思います。

全くその通り。
何度も言っているように、キリスト教は神の名のもとに自己を正当化する宗教です。
韓国にクリスチャンが多いのは、
何でも正当化したがる国民性とキリスト教がぴったりマッチしたからです。
あんなに反日感情むき出しでどこが「汝の敵を愛せよ」なのでしょう。
本当に私もあの宗教から足を洗えてよかったと思います。
2013-10-10 木 23:25:46 | URL | 桃栗 [編集]
ストーカー殺人事件
亡くなった人のことを批判するのは気が引けますが、最近マスコミを賑わせているストーカー殺人の被害者の前夜祭及び葬儀が「教会」で行われたようですが、クリスチャンだったのでしょうか。クリスチャンが、ネットで知り合った男と会ってすぐにハメ撮りやったり、自分のくぱぁ写真を男にあげても良いのでしょうか?(流出したハメ撮り映像から判断するに、相当経験豊富な模様・・・)
2013-10-12 土 21:22:25 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: ストーカー殺人事件
> 亡くなった人のことを批判するのは気が引けますが、最近マスコミを賑わせているストーカー殺人の被害者の前夜祭及び葬儀が「教会」で行われたようですが、クリスチャンだったのでしょうか。

ネット上の情報によれ、少なくともご両親はクリスチャンのようですね。
まあ、どうせ葬儀では「神の愛によって天国へ行きました」
ということにされたのでしょうね。
キリスト教では、「罪びとは地獄へ落ちる」と生前はさんざん強迫して
信者に懺悔や献金を強要するくせに、
なぜかどんな死に方をしても「天国へ行きました、めでたしめでたし」
と、ハッピーエンドにされることは以前の記事でも書いた通りです。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-87.html


> クリスチャンが、ネットで知り合った男と会ってすぐにハメ撮りやったり、自分のくぱぁ写真を男にあげても良いのでしょうか?(流出したハメ撮り映像から判断するに、相当経験豊富な模様・・・)


このタレントのことは全く知りませんし、ハメ撮り動画も見ていませんが、
これだけネットで騒がれるということは、
かなりやっていたのでしょうね。
まあ、キリスト教的には、
彼女は大好きなイエス様のもとに行けたのだからいいんじゃないですか(笑)。
2013-10-21 月 22:52:42 | URL | 桃栗 [編集]
はじめまして綾鷹と申します
4ヶ月前くらいから桃栗さんのブログを熱心に読ませていただきました。

(最近は読んでいません…)

読ませていただくと私もほぼ同じ様な考えを持っていたのでついつい笑いながら読ませていただきました

私は事件にあい2010年8月中旬か9月くらいから近くのキリスト教会に通っていた事があったのですが、最悪でした

あそこに行った事によりネット上でもネットストーカーに嫌がらせをされる様になったり(実はこの綾鷹という名前はストーカーサイドが私につけたあだ名でもあるので今回のニックネームとさせて頂きました)教会で意味不明な嫌がらせ的言動を言われたり嘘をつかれたりとこの世の汚いところを凝縮した様なところに出会ってしまいました

2012年10月あたりから同じ宗派の別の教会に通ったのですがやはり嫌な側面とも鉢合わせをしてしまいました

私は2012年10月下旬からネットストーカーや事件の事等を書くためにブログを書き始めましたが、丁度1年目くらいになります

教会での事も少し書きましたが、まだ本題にはたどり着いていません

機会があればブログ見てもらえませんか?

あくまで気が向いたらで結構です

キリスト教にまつわる自己中心的な人達のありようがわかりやすく書いてあるページを見たらおそらく笑ってしまうと思いますよ
http://yaplog.jp/peopses-truth/archive/39
2013-11-06 水 10:19:23 | URL | 綾鷹 [編集]
Re: はじめまして綾鷹と申します
> 4ヶ月前くらいから桃栗さんのブログを熱心に読ませていただきました。

初めまして。よろしくお願いします。

> 私は事件にあい2010年8月中旬か9月くらいから近くのキリスト教会に通っていた事があったのですが、最悪でした
>
> あそこに行った事によりネット上でもネットストーカーに嫌がらせをされる様になったり(実はこの綾鷹という名前はストーカーサイドが私につけたあだ名でもあるので今回のニックネームとさせて頂きました)教会で意味不明な嫌がらせ的言動を言われたり嘘をつかれたりとこの世の汚いところを凝縮した様なところに出会ってしまいました

貴重な体験談をどうもありがとうございます。
キリスト教の「内側」の世界が世間のイメージとは違うという好例ですね。


> 機会があればブログ見てもらえませんか?
>
> あくまで気が向いたらで結構です
>
> キリスト教にまつわる自己中心的な人達のありようがわかりやすく書いてあるページを見たらおそらく笑ってしまうと思いますよ
> http://yaplog.jp/peopses-truth/archive/39

ちらっと拝見させていただきました。
ア○テ○ケ教会とありましたが、
やはりカタカナを多用する教会は怪しいところが多いようですね。
実際に貴方が体験された出来事だけに実に生々しいですね。
エホバの証人の方がよっぽど穏やかで礼儀正しい人が多いですよ。
まあいずれにしてもキリスト教は間違いなく世界最大のカルトです。
2013-11-14 木 21:42:18 | URL | 桃栗 [編集]
桃栗さん、お久しぶりです。
お返事を書いていただいていてありがとうございました。
わかってもらえて何かホッとしました。

つい先日家族が亡くなりました。
亡くなる数日前に、以前通っていた友人のいる教会の牧師と話す機会があったのですが、驚くような事を言われました。

まず教会に通っているかを聞かれ、今は行っていない事を話し、そして母について聞かれたので、一緒には暮らしていない事などを教え、そしてかけられた言葉が…。

あなたが教会にも行っていない、聖書も読んでいない、神様に従ってもいないそんな状態なのに、神様がそんな人の祈りを聞くわけがない。そんな人の祈りが聞かれるわけがない。
何をしてほしくて電話をかけてきたの?
教会に行っていない、聖書も読んでいない、そんな人に電話をかけてこられてもやれる事がない。

家族が亡くなる寸前で、こんな言葉をかけられるとは思いもしませんでした。
とりあえずと言ったらおかしいですが、話を聞いて祈っていますと言われるくらいだと思っていたら、これらの言葉をかけられました。

これらの言葉は、どこの教会の牧師でも、私のような状態にある人に対してかける言葉なのでしょうか?

電話をした際に友人がいなかったために牧師と話したので、友人が悪いとかそういう事は一切ないのですが、もうその教会にもその教会にいる友人とも、これを機に疎遠にしたほうが良いのだろうかと思い始めています。
2013-11-17 日 13:43:11 | URL | ちさと [編集]
こんにちは。いつも丁寧にお答えくださってありがとうございます。私は今信仰の様々な矛盾にぶつかっています。派手好き、若者の熱気好きゴスペル好きクリスチャンホーム育ち好きの牧師のもと日々学びを続けてきました。静かに生きるとは死ぬとは何かを考えたい私にとってそれらの活動はとても苦です。信仰とは本当に教会に通わなければ成り立たないのでしょうか。本当に神様がいるのなら神様と自分で良いのではないでしょうか。教会と自分でなくてもよいのではないでしょうか。神様を信じればいいわけなんですよね。私は派手な欧米のマネばかりしている教会の行事にも団体にもいまひとつなじめず違和感を感じかなり無理をして礼拝に通っています。近いうちにそれが原因でひきこもるのではないのでしょうかと本末転倒な不安さえかかえています。なのに抜け出す勇気がなくこうしてブログを拝見させていただいているしだいです。しかも教会には私のことを最初からずっとほんとに大切にお世話をしてくれた恩人もいます。教会に行かなくなるって本当にさまざまな呪縛があり難しいです。
2013-11-25 月 23:28:07 | URL | 求道中 [編集]
Re: タイトルなし
> 桃栗さん、お久しぶりです。
> お返事を書いていただいていてありがとうございました。
> わかってもらえて何かホッとしました。

お待たせしました。
こちらとしても、共感してくださる方がいるのは励みになります


> つい先日家族が亡くなりました。
> 亡くなる数日前に、以前通っていた友人のいる教会の牧師と話す機会があったのですが、驚くような事を言われました。
>
> まず教会に通っているかを聞かれ、今は行っていない事を話し、そして母について聞かれたので、一緒には暮らしていない事などを教え、そしてかけられた言葉が…。
>
> あなたが教会にも行っていない、聖書も読んでいない、神様に従ってもいないそんな状態なのに、神様がそんな人の祈りを聞くわけがない。そんな人の祈りが聞かれるわけがない。
> 何をしてほしくて電話をかけてきたの?
> 教会に行っていない、聖書も読んでいない、そんな人に電話をかけてこられてもやれる事がない。
>
> 家族が亡くなる寸前で、こんな言葉をかけられるとは思いもしませんでした。
> とりあえずと言ったらおかしいですが、話を聞いて祈っていますと言われるくらいだと思っていたら、これらの言葉をかけられました。
>
> これらの言葉は、どこの教会の牧師でも、私のような状態にある人に対してかける言葉なのでしょうか?


その牧師さんがどんな感じの口調でそれを言ったのか、なんとなく想像できます。
言葉遣いだけは丁寧だったのでしょうね。
クリスチャンには、丁寧な言葉遣いで冷たいことを言う人がいるので、
本当にタチが悪いと思います。
いっそのこと、その教会と牧師さんの名前を暴露してはどうでしょうか?
でも、さすがにちさとさんの身元まで割れてしまうので無理ですね・・・。
私自身は、そこまで冷たいことをいう牧師さんに会ったことはありません。
ただ、クリスチャンの友人が自殺してその葬儀に参列した後、
その式を執り行った牧師さんにメールを出し、
私の恵まれなかった生い立ちや胸の内を打ち明けたことがありました。
また、クリスチャン2世の友人がなぜ自殺に追い込まれなければならなかったのか、
キリストを信じていながらなぜこんなつらい思いをしなければならなかったのか、
とも書きました。
が、牧師さんからの返事は、
「つらい思いをされたのですね」と私の気持ちに理解を示してくれたかと思いきや、
「でも、イエス様はいつもあなたを愛しておられます」と、
お決まりのセリフで無難な回答で済まされました。
牧師さんの慰めなんて「上っ面」にしか見えません。


> 電話をした際に友人がいなかったために牧師と話したので、友人が悪いとかそういう事は一切ないのですが、もうその教会にもその教会にいる友人とも、これを機に疎遠にしたほうが良いのだろうかと思い始めています。

もう、貴方の方からは友人や教会に連絡を取るのはおやめになった方が良いでしょう。
2013-12-09 月 22:30:44 | URL | 桃栗 [編集]
はじめまして
信仰心など鼻くそほども持ち合わせていませんが、一緒にバンドをやっている友人夫婦がクリスチャンで、その縁で教会でライブを開催していました。ライブハウスだろうと教会だろうとやることは同じだ、と思っていたのですが、最近は違和感と抵抗感を感じています。数ヶ月前に諸事情で職を失い、求職活動をしていたのですが、運悪く面接日と教会でのライブが重なってしまったことがありました。仕事もないのにバンドどころじゃない、と欠場を申し入れた私に対して「教会でやれば神様から褒美がもらえる。こういう状態だからこそバンドを最優先するべきだ。神様のメッセージを届けるのは俺たちの使命だ」と押しきられました。確かに曲に「神様」という歌詞が必ず出てくるし、いかにもクリスチャンだなと思わせる言葉で歌詞が構成されています。桃栗さんのブログを読んで、キリスト教は矛盾とご都合主義で出来ている宗教だということがよくわかったので、聖書の矛盾点を質問すると返ってきた答えが「俺はクリスチャンの劣等生だから答えられない。ただ神様はいる。目に見えるものが全てじゃない」というものでした。まあ桃栗さんのブログによく登場するクリスチャンのように難解かつ響きの美しい言葉で煙に巻こうとするようなことはありませんでしたが…。釈然としないのは同じですね。私にキリスト教を信仰するように迫ったりすることはないし、いい奴だと思っているからバンドも続いているのですが、キリスト教というものが噛んでくると「つき合い切れん」と思うと同時に「目を覚ませ」と思います。ちなみにライブ本番前の円陣の様子はこんな感じです。
「神様、今日もこのメンバーで演奏できることを感謝します。我らのメッセージがお客さんに伝わって、一人でも多くの人が楽しんでくれるようにお守りください。この祈りを愛するイエス=キリストの御名によって捧げます。アーメン」
どうです?気持ち悪いでしょ?私は一応その場にはいますが、全く別なことを考えています。「冷静に、丁寧に、正確に……」
何が言いたいのか自分でもわからない冗長な書き込み失礼しました。
2013-12-19 木 02:04:11 | URL | 疾風迅雷 [編集]
Re: タイトルなし
> こんにちは。いつも丁寧にお答えくださってありがとうございます。私は今信仰の様々な矛盾にぶつかっています。派手好き、若者の熱気好きゴスペル好きクリスチャンホーム育ち好きの牧師のもと日々学びを続けてきました。静かに生きるとは死ぬとは何かを考えたい私にとってそれらの活動はとても苦です。

貴方様のご苦労が我が身のことのようにも思えます。
私も、神が本当にいるなら、何もわざわざ教会に行かなくても、
個人で神に向き合っていればいいじゃないかと思います。
聖書には「毎週日曜に教会に行きなさい」とか、
「立派な教会を建てなさい」という教えはありません。
クリスチャンたちは、聖書の教えそのものではなく、
「教会が作った教え」に縛られているのです。

もうすぐ年末年始ですよね。
多くの日本人が初詣に行きます。
日本人は、別に定期的に神社にお参りに行くわけでもなく、
それぞれ個人が神様に向き合うわけですよね。
キリスト教だってそれと同じでいいじゃないかと思いませんか?
お賽銭だって、硬貨1枚の人もいればお札の人もいます。
別に少額だからといって、後ろめたさはありませんよね。
人それぞれの気持ちに応じた金額でいいのです。
しかし、キリスト教の献金は、
なぜか金額が大きくなければいけないような雰囲気があります。
一体、誰がこんなシステムを作ったのだろうと思います。
ユダヤ教時代と同じではないですか。
イエスはまさにそういうシステムを批判したはずなのに。

さて、求道者様、元日は大きな神社に初詣に行き、
多くの人とお正月のおめでたい気分を共有してみてはいかがでしょうか。
2013-12-22 日 22:29:23 | URL | 桃栗 [編集]
Re: はじめまして
> 信仰心など鼻くそほども持ち合わせていませんが、一緒にバンドをやっている友人夫婦がクリスチャンで、その縁で教会でライブを開催していました。ライブハウスだろうと教会だろうとやることは同じだ、と思っていたのですが、最近は違和感と抵抗感を感じています。

こちらこそ初めまして。
貴方様のその困惑した気持ちがまるで手に取るように分かります。


> 仕事もないのにバンドどころじゃない、と欠場を申し入れた私に対して「教会でやれば神様から褒美がもらえる。こういう状態だからこそバンドを最優先するべきだ。神様のメッセージを届けるのは俺たちの使命だ」と押しきられました。

それで何か神様からご褒美はもらえましたか?
求職活動は上手く行きましたか?
仮に上手く行かなかったとして、それを貴方が教会で話したとしましょう。
「キリスト教はご利益を期待する宗教ではない」
「それは貴方の信仰が足りないから」「貴方の祈りが足りないから」
そういった類の言葉で言い負かされるのが目に見えています。
そしたら、こんな風に言い返してみてください。
「世の中の、求職活動が上手く行った人たちはみんな信仰があるのですか?」
「信仰がなくても成功している人がいるのはなぜですか?」
どんな答えが返ってくるか興味深いです。


> 桃栗さんのブログを読んで、キリスト教は矛盾とご都合主義で出来ている宗教だということがよくわかったので、聖書の矛盾点を質問すると返ってきた答えが「俺はクリスチャンの劣等生だから答えられない。ただ神様はいる。目に見えるものが全てじゃない」というものでした。

あらら、劣等生が「神様のメッセージを届けるのは俺たちの使命だ」と言ったんですか?
それなら、「優等生がメッセージを届けるべきでは?」とでも言ってみては?
一般社会では教職に就けるのは成績優秀な優等生ですから、
劣等生がキリスト教を教えるなんておかしいことになります


> 私にキリスト教を信仰するように迫ったりすることはないし、いい奴だと思っているからバンドも続いているのですが、キリスト教というものが噛んでくると「つき合い切れん」と思うと同時に「目を覚ませ」と思います。ちなみにライブ本番前の円陣の様子はこんな感じです。

今のところ適度に距離を保ってお付き合いを続けているようですね。
まあ、いざとなったら縁を切る覚悟も必要かもしれません。


> 「神様、今日もこのメンバーで演奏できることを感謝します。我らのメッセージがお客さんに伝わって、一人でも多くの人が楽しんでくれるようにお守りください。この祈りを愛するイエス=キリストの御名によって捧げます。アーメン」
> どうです?気持ち悪いでしょ?私は一応その場にはいますが、全く別なことを考えています。「冷静に、丁寧に、正確に……」

そのお気持ち、本当に良くわかります。
私は信仰を完全に捨てて年数が経ってから教会に行く機会がありましたが、
改めて「非信者」の目から見たキリスト教に異質なものを感じました。
私はこんなくだらない宗教を信じていたのか?と思いました。


> 何が言いたいのか自分でもわからない冗長な書き込み失礼しました。

大変貴重な体験談、どうもありがとうございます。
2013-12-22 日 23:03:44 | URL | 桃栗 [編集]
後日談
レスありがとうございます。

とりあえず、2~3ヶ月日雇いのバイトで食いつないでいましたが、どうにか再就職が決まり、先月中旬から新しい職場で働いています。
仕事が見つからない時期には、「もっと適した職場があるという御心だ」と言われました。純粋に私を励まそうとしていたのだと思いますが、どこか気持ち悪いものを感じました。そして仕事が決まったら「俺たちの祈りが届いた!」とドヤ顔で喜んでいました。いい奴なんですけどね……アホです。

私は無宗教の家庭に生まれ育ち、亡き祖母がとある新興宗教の信者であったこと、大学時代の友人から学会員の母親に強制的に行きたくもない創○高校に行かされたあげく信仰上の理由で両親の間に喧嘩が絶えず離婚した話を聞かされたこと、大学時代の先輩が教員採用試験直前にオ○ムに入信して突然姿を消したこと、それらのことがあって宗教にはかなり懐疑的です。信仰によって心の平安を得ている人がいる以上100%否定はできませんが。
例の友人夫婦はクリスチャンホームの生まれですが、桃栗さんのように目を覚ます日がいつか来ることを祈って……いや、願っています。ブルーハーツやX-JAPANのように宗教観の違いで解散という事態は避けたいです。
2013-12-22 日 23:59:29 | URL | 疾風迅雷 [編集]
Das Hakenkreuzlied
神の名の下に歌を歌うのが「神への奉仕」であるならば、”Das Hakenkreuzlied”を歌うのも「神への奉仕」ですね。ちなみにこの歌の作詞者はカトリックの神父です。ここにある録音をお聞き下さい。
http://mk.christogenea.org/content/das-hakencreuz-gerhard-husch-baritone-chorus-members-bpo-1934
http://gunka.sakura.ne.jp/mil/hakenkreuz.htm
バリトンのソリストは世界的に有名なゲルハルト・ヒュッシュ、演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で1934年の録音です。この曲にキリスト教的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?
2013-12-28 土 22:44:19 | URL | 巨大虎猫 [編集]
はじめまして
はじめまして。
とても興味深いブログでした。今、即席で考えたハンネは現在の自分の信仰の状態を正確に現しているものと思っています(笑)

教会生活はかなり長くて、熱心になったりそれで疲れたりということを繰り返し、結果的には「ほどほど」ということを学んでしまいました。
良いのか悪いのか?(笑)
現在は礼拝に出席してはいませんが、色んなところからメッセージを入手して聞いています。
聖書の勉強そのものはかなり好きな方だと思います。

このブログ、まだ一部しか読んでいませんが、かなり共感できるところがありました。
また寄らせていただきます。
よろしくお願いします。

2014-01-04 土 00:42:07 | URL | ほどほどクリスチャン [編集]
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2014-01-05 日 01:41:03 | | [編集]
1月4日のコメントについて
色々考えましたが、すみませんがあまり適切な発言ではないため削除をお願い致します。
2014-01-05 日 22:10:06 | URL | Lukygirl [編集]
Re: 後日談
> レスありがとうございます。
>
> とりあえず、2~3ヶ月日雇いのバイトで食いつないでいましたが、どうにか再就職が決まり、先月中旬から新しい職場で働いています。

ご就職おめでとうございます。
今の時代、一旦離職すると再就職するのが難しいですから、
今度こそは何が何でもお仕事にしがみついて下さいね。
私は職場で何かとストレスが多い状態で、
つい先日、職場の人間関係のトラブルで大声を出してブチ切れてしまいました。
なぜ自分はこんな人間になったのかと思うと、自己嫌悪に陥ってしまいます。
クリスチャンの家庭に生まれ育ったのが恨めしいです。


> 仕事が見つからない時期には、「もっと適した職場があるという御心だ」と言われました。純粋に私を励まそうとしていたのだと思いますが、どこか気持ち悪いものを感じました。そして仕事が決まったら「俺たちの祈りが届いた!」とドヤ顔で喜んでいました。いい奴なんですけどね……アホです。

その通り。
仕事がすぐ見つかる→神の祝福
仕事が見つからない→神の御心
このように、どっちに転んでも美化されてしまうのです。
キリスト教では「神」という言葉を出せば何でも正当化されてしまいますから。


> 私は無宗教の家庭に生まれ育ち、亡き祖母がとある新興宗教の信者であったこと、大学時代の友人から学会員の母親に強制的に行きたくもない創○高校に行かされたあげく信仰上の理由で両親の間に喧嘩が絶えず離婚した話を聞かされたこと、大学時代の先輩が教員採用試験直前にオ○ムに入信して突然姿を消したこと、それらのことがあって宗教にはかなり懐疑的です。信仰によって心の平安を得ている人がいる以上100%否定はできませんが。

宗教を「心の支え」として生きている人がいる以上、
私も宗教を100パーセントまでは否定しません。
が、同じ思想を持った人間が集まる場というのは、
いろんな意味で危険をはらんでいると思います。
普通の日本人が、個々に神社にお参りに行くのと同じように、
宗教だって個々に神と向き合えばいいのに、
「集団」になってしまうと何か恐ろしいものを感じます。


> 例の友人夫婦はクリスチャンホームの生まれですが、桃栗さんのように目を覚ます日がいつか来ることを祈って……いや、願っています。ブルーハーツやX-JAPANのように宗教観の違いで解散という事態は避けたいです。

私もそういう人達の目を覚まさせてやりたいものです。
私が目が覚めた時に味わった幻滅を、
クリスチャンたちにも味わわせてやりたいものです。
2014-01-05 日 22:53:35 | URL | 桃栗 [編集]
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2014-01-06 月 12:14:03 | | [編集]
Re: Das Hakenkreuzlied
> 神の名の下に歌を歌うのが「神への奉仕」であるならば、”Das Hakenkreuzlied”を歌うのも「神への奉仕」ですね。ちなみにこの歌の作詞者はカトリックの神父です。ここにある録音をお聞き下さい。
> http://mk.christogenea.org/content/das-hakencreuz-gerhard-husch-baritone-chorus-members-bpo-1934
> http://gunka.sakura.ne.jp/mil/hakenkreuz.htm
> バリトンのソリストは世界的に有名なゲルハルト・ヒュッシュ、演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で1934年の録音です。この曲にキリスト教的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?

なるほど、これが「鉤十字の歌」ですか。
歌詞の意味を知らない人が聞いたら讃美歌に聞こえるかもしれませんね。
この曲にキリスト教的な雰囲気を感じる理由は、
簡単に言うと「刷り込み」です。
「キリスト教の音楽というものはこういうもの」と現代人は刷り込まれているのです。

例えば、バッハを聞くと、キリスト教的なものを連想する方が多いでしょう。
しかし、キリスト存命時のイスラエル人がそういう音楽を聞いて、
キリスト教的な雰囲気を連想するでしょうか。
いえ、絶対にしないでしょう。
なぜならその時代には存在しなかったからです。

後世のヨーロッパの作曲家が、
ヨーロッパ音楽の法則に則ってキリスト教音楽を作るようになったら、
だからそういうものが現代人の頭に刷り込まれているのです。
2014-01-20 月 22:16:12 | URL | 桃栗 [編集]
Re: はじめまして
> はじめまして。
> とても興味深いブログでした。今、即席で考えたハンネは現在の自分の信仰の状態を正確に現しているものと思っています(笑)
>
> 教会生活はかなり長くて、熱心になったりそれで疲れたりということを繰り返し、結果的には「ほどほど」ということを学んでしまいました。
> 良いのか悪いのか?(笑)
> 現在は礼拝に出席してはいませんが、色んなところからメッセージを入手して聞いています。

ほどほどに自分のペースで信仰できるなんて良いですよね。
私はクリスチャンの両親のもとに生まれ育ちましたから、
そんな信仰は許されませんでした。
毎日きっちりお祈りの時間があり、
日曜日は絶対に絶対に教会を休むことは許されませんでいたから。
2014-01-21 火 23:50:22 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 他人事とは思えない。
> http://p.tl/LYl9 桃栗様へ。こんなことが掲載されていました。東スポなので、信ぴょう性には疑問符が付きますが、僕もガキの頃から、世間一般の恋愛は間違っていて、クリスチャンの恋愛だけが正しい。だからクリスチャンとしか恋愛関係を持ってはならないと洗脳されたために、中学・高校と女子と話すのさえ厚い壁を作って鎧で武装したような感じで対応していました。
>  壁を作らず、鎧を付けずに話せるようになったのは二十歳過ぎてからでした。それ以来、なるべく女性と話す恐怖感をなくそうといろんなことをしてきました。

>  統一協会だけでなく、キリスト教を強制されて困っている子供、あるいはそのマインドコントロールから完全に抜けきれていない僕らみたいな人間がいることをもっと社会は知るべきだと思ってなりません。


私もそう思います。
しかし、世間ではキリスト教はいいイメージを持たれているのが厄介なところです。
統一教会やエホバの証人には、元信者のための自助団体があるようですが、
プロテスタントにはなぜないのでしょうね。

とにかくクリスチャンたちに知ってもらいたいのは、
大人と子供ではキリスト教のとらえ方が違うということです。
社会経験のない子供は「フィルターなしに」教会の話を信じてしまうのです。
簡単に洗脳されてしまうのです。
大人になってからクリスチャンになった人は、
そういう子供の心理がまったくわかっていません。
本当に腹立たしいです。
2014-01-30 木 23:43:08 | URL | 桃栗 [編集]
Re: Re:はじめまして
レスありがとうございます。
先日はお忙しいという事情も知らず、非公開コメントを含めあちこちに書いてしまいまして、申し訳ありませんでした。

>私はクリスチャンの両親のもとに生まれ育ちましたから、
>そんな信仰は許されませんでした。
>毎日きっちりお祈りの時間があり

これを読んだ時、「食前の祈り」のことが脳裏に浮かびました。
(もちろんそれだけじゃないでしょうけど)
おそらく桃栗さんのご家庭では食事の前にみんなでお祈りし(代表は交代制?)、お祈りが終わるまでは食事に手をつけることが許されなかったんだろうなあ…と推測します。

うちはクリスチャンホームではありませんが、教会でメシ食う機会もあったし、食いしん坊の私は目の前にメシがあるのに速くて45秒、遅ければカップメン並みに3分も「待った!」をかけられるのは苦痛でした。
祈りの当番が指定されると、名前を聞いただけで「あと何秒で食えるか」だいたいわかるようになるんですね(笑)

そんなことしないで、とりあえずメシ食ってから今の朝ドラみたく、
「神様、ごちそうさん!」でいいと思うんですがね(笑)
「食前の祈り」についてはまだまだ言いたいことがありますが、長くなるのでまたの機会にします。

>日曜日は絶対に絶対に教会を休むことは許されませんでいたから。

これは辛いですよね…友達とも遊べないし、ずいぶん寂しい思いをされたんじゃないかと思います。
子供が(一般の)友達と遊ぶ時間は貴重だと思います。
教会の子供と遊んでもあんまり楽しくないし(笑)
あ…でもファミコン(ゲーム)大会やりました!(歳がばれるかな?)
2014-01-31 金 00:01:08 | URL | ほどほどクリスチャン [編集]
Re: Re: Re:はじめまして
> レスありがとうございます。

> >私はクリスチャンの両親のもとに生まれ育ちましたから、
> >そんな信仰は許されませんでした。
> >毎日きっちりお祈りの時間があり
>
> これを読んだ時、「食前の祈り」のことが脳裏に浮かびました。
> (もちろんそれだけじゃないでしょうけど)
> おそらく桃栗さんのご家庭では食事の前にみんなでお祈りし(代表は交代制?)、お祈りが終わるまでは食事に手をつけることが許されなかったんだろうなあ…と推測します。

まったくその通りです。
うちはお祈りが終わるまで食事に手を付けられなかったので、
いつもご飯やみそ汁が冷めていました。
最近、叔父・叔母宅へ遊びに行ったのですが、
そのことで叔父からからかわれました。
「お前の家に遊びに行ったらお前の母ちゃんのお祈りが長い長い。
ああ、神様~を感謝します、ああ、神様~してください、
一体いつになったら終わるんだよ」と本当に言われました。
叔母にも「あんた本当に神様信じてんの?」と言われました。
親戚はそういう風に我が家を見ていたのです。


> >日曜日は絶対に絶対に教会を休むことは許されませんでいたから。
>
> これは辛いですよね…友達とも遊べないし、ずいぶん寂しい思いをされたんじゃないかと思います。

その通りです。
それでも、当時は友達と遊ぶよりも神を賛美することが何よりも大切だと信じていました。
私の青春を返してほしいです。
クリスチャン・ホームに生まれたのが人生最大の不幸だと思っています。
2014-02-09 日 22:57:38 | URL | 桃栗 [編集]
昨日はすみませんでした・・・他に気になる記事があって、思わずそちらに先にコメント書いてしまいました。

「食前の祈り」の続きです。

>うちはお祈りが終わるまで食事に手を付けられなかったので、
>いつもご飯やみそ汁が冷めていました。

それはもったいない!
ご飯やみそ汁はあたたかいうちに食べた方がおいしいに決まってます。
それをお祈りごときで(?)冷ましてしまうなんて(笑)
しかし長い長いお祈りですね・・・

>「お前の家に遊びに行ったらお前の母ちゃんのお祈りが長い長い。
>ああ、神様~を感謝します、ああ、神様~してください、
>一体いつになったら終わるんだよ」と本当に言われました。

あ~これこれ!こないだ言いたかった追加事項その1(笑)
食前の祈りだから感謝がメインであるべきなのに、いつの間にかお願いに変わっていくんです・・・それも食事と関係ないことまで(たとえば「午後のプログラムの上にも祝福を」など)。
1度「神様~してください」を言うと人間って麻痺してくるんですよね。
何度も連発してるのに平気なんですよ!
私もお祈りが終わるのを一日千秋の思いで待ちながらも(笑)
「この人、本当にメシの感謝してるんだろうか?」と思ったことがあります。
いくらなんでも神様に対して失礼というものです(まあ私も食前にはやらないものの普段は気をつけないといけませんが)。

礼拝の説教で、いいこと1つ勉強しました。それは・・・
「神様~してください」の連発は、どんなに言葉づかいが丁寧だろうと、ひざまずいて祈ろうと、
頭から灰をかぶろうと(これはないか?)笑
神様に命令してることになるんですよ!という内容です。

>私の青春を返してほしいです。
>クリスチャン・ホームに生まれたのが人生最大の不幸だと思っています。

それがどんなに辛いことなのか、おぼろげながら理解できるようになったのはだいぶ後のことです。
私は高校生の頃、親からキリスト教について反対された体験があるので、当時は全くわかりませんでした。

あまり無責任なことは言えませんが、桃栗さんが現在は教会を離れ、キリスト教についてブログで語ったり、賛同者や反対者と語り合ったり討論したりする時間も「心のリハビリ」と言いますか、とても貴重なものだと思います。
いつか吹っ切れる時が来ますよ!ある程度は過去とお別れすることになりますが・・・

その後、桃栗さんがまた元の世界に帰るのか(おそらくこれはないと思いますが)
私のように「ほどほどに」クリスチャンするのか(笑)
あるいは別の宗教を信じるのか、
はたまた無宗教になるのか・・・
それは桃栗さん自身の選択ですが、いずれの道を選んでもこれまでの体験を生かして穏やかな生活ができると思います。

あ・・・桃栗さんの許可なく勝手に祈りませんので(笑)ご安心下さい。
長文になってしまい申し訳ありません。
2014-02-11 火 01:12:28 | URL | ほどほどクリスチャン [編集]
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2014-02-12 水 20:24:04 | | [編集]
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2014-02-19 水 04:15:09 | | [編集]
Re: タイトルなし
> 「食前の祈り」の続きです。
>
> >うちはお祈りが終わるまで食事に手を付けられなかったので、
> >いつもご飯やみそ汁が冷めていました。
>
> それはもったいない!
> ご飯やみそ汁はあたたかいうちに食べた方がおいしいに決まってます。
> それをお祈りごときで(?)冷ましてしまうなんて(笑)
> しかし長い長いお祈りですね・・・
>
> >「お前の家に遊びに行ったらお前の母ちゃんのお祈りが長い長い。
> >ああ、神様~を感謝します、ああ、神様~してください、
> >一体いつになったら終わるんだよ」と本当に言われました。
>
> あ~これこれ!こないだ言いたかった追加事項その1(笑)
> 食前の祈りだから感謝がメインであるべきなのに、いつの間にかお願いに変わっていくんです・・・それも食事と関係ないことまで(たとえば「午後のプログラムの上にも祝福を」など)。
> 1度「神様~してください」を言うと人間って麻痺してくるんですよね。
> 何度も連発してるのに平気なんですよ!

今日の記事に書きましたが、要するにキリスト教もご利益宗教なんですよ。
日本人が神社にお参りしてお願い事をするのと何ら変わらないのです。
崇拝対象が違うだけなのです。


> >私の青春を返してほしいです。
> >クリスチャン・ホームに生まれたのが人生最大の不幸だと思っています。
>
> それがどんなに辛いことなのか、おぼろげながら理解できるようになったのはだいぶ後のことです。
> 私は高校生の頃、親からキリスト教について反対された体験があるので、当時は全くわかりませんでした。
>
> あまり無責任なことは言えませんが、桃栗さんが現在は教会を離れ、キリスト教についてブログで語ったり、賛同者や反対者と語り合ったり討論したりする時間も「心のリハビリ」と言いますか、とても貴重なものだと思います。
> いつか吹っ切れる時が来ますよ!ある程度は過去とお別れすることになりますが・・・

ええ、吹っ切れるまでこのブログを書き続けます。
過去を封印してしまいたいです。
本当に、実生活では自分の人間性に本当に自信がなく、
劣等感を持ちながら生きています。


> その後、桃栗さんがまた元の世界に帰るのか(おそらくこれはないと思いますが)
> 私のように「ほどほどに」クリスチャンするのか(笑)
> あるいは別の宗教を信じるのか、
> はたまた無宗教になるのか・・・
> それは桃栗さん自身の選択ですが、いずれの道を選んでもこれまでの体験を生かして穏やかな生活ができると思います。
>
> あ・・・桃栗さんの許可なく勝手に祈りませんので(笑)ご安心下さい。
> 長文になってしまい申し訳ありません。

長文が申し訳ないとお思いでしたら、短文でお願いします。
レスをするのも大変なので。
2014-03-09 日 22:54:50 | URL | 桃栗 [編集]
Re:生きにくい
偽善に満ちたキリスト教の世界には二度と戻りたくありません。
もう、毎日ため息ばかりついて息苦しいです。
先日は後輩に対してブチ切れてしまいました。
今日は、ため息が多すぎると上司から叱られてしまいました。
可能ならば一度死んで生まれ変わりたいです。
こんな悩みをクリスチャンに打ち明けたところで、
せいぜい「あなたのためにお祈りしています」と決まり文句を言うだけ。
そもそも祈りで解決するぐらいなら戦争なんて起こりません。
クリスチャンはそんなこともわからないの?
バカじゃない?


背教者たちよ、勘違いしてもらっては困る。
教会は汝らを利用したのではない。むしろ導いてやったのだ。

 汝ら子羊たちの様な弱い人間は、いつでも何かに頼りたがっている。
 自分が無力なので、少し転んだだけで自力で歩く事さえ出来なくなる。

 「真理と信仰」という名目のもと神に依存し、他人に責任を押し付け、神(独裁者)の導きがなければ、何も出来ない。そういう子羊たちがいるからこそ、
教会がその上に立ち、導いてやったのではないか? 独裁者を支持し、
力を与えてきたのはいつの時代も民衆(子羊たち)ではないか?

教会は恨まれる覚えなど無い。信仰におぼれ、
周囲が見えていなかった自分自身の不見識を恥じるが良い。
2014-03-13 木 18:03:06 | URL | GB [編集]
Re: Re:生きにくい
> 背教者たちよ、勘違いしてもらっては困る。
> 教会は汝らを利用したのではない。むしろ導いてやったのだ。

こういうのを「恩着せがましい」と言います。


> 教会は恨まれる覚えなど無い。信仰におぼれ、
> 周囲が見えていなかった自分自身の不見識を恥じるが良い。

まるで自分が神になったかのような物の言い方ですね。
2014-03-13 木 22:11:33 | URL | 桃栗 [編集]
ゲストブック2014年版を作りましたので、
今後のコメントはそちらへお願いします。
2014-03-13 木 22:12:58 | URL | 桃栗 [編集]
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