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桃栗

Author:桃栗
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Yahoo知恵袋でアメイジング・グレイスに突っ込み
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1098447070
Yahoo知恵袋で讃美歌「アメイジング・グレイス」の質問が出ていたので
突っ込みを入れてみました。
それに反応したクリスチャンがいますが、
やはり黒人奴隷の死後については明言を避けているんですよね。

黒人奴隷は天国に行けたのでしょうか?行けなかったのでしょうか?
答えは二つに一つでしょう?
キリスト教の教義によれば、神を信じない者は救われない=地獄行きですよね。
普段は教会ではそう教わっているくせに、
いざはっきりとした回答を求められたらクリスチャンは答えたがりません。

しかも「神は公正なお方ですから、すべては神にお委ねすればいいのです。」
と、クリスチャンのお決まりの逃げ方。
はっきりと「答えが分からない」と言えないものだから、
そうやって神の名を使って答えたつもりになっているのです。

おまけに信仰を捨てた私を小ばかにした発言。
そうやって不信仰なものを小ばかにするのがするのがキリストの教えでしょうか?
run_2_oxさんの発言にクリスチャンの典型を見た気がしました。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

クリスチャンの独善性 | 22:58:49 | トラックバック(0) | コメント(23)
コメント
脱力感満載のキリスト教徒
「神は公正なお方ですから、すべては神にお委ねすればいいのです。」
それならキリスト教徒になる必要はゼロでしょう(笑。
2012-12-11 火 23:06:42 | URL | クッキングホイル [編集]
おはようございます
はじめましてかな?
元クリスチャンである私も「信じるものは天国…信じないのは地獄」って嫌いでした。
なぜなら生まれ変わりを強く信じてます…
前世とかいうとたいがいのクリスチャンは怒ります…

あっ体大丈夫ですか?仕事とか無理しないでくたさいね。
2012-12-12 水 08:04:42 | URL | ナンシー [編集]
Re: 脱力感満載のキリスト教徒
> 「神は公正なお方ですから、すべては神にお委ねすればいいのです。」
> それならキリスト教徒になる必要はゼロでしょう(笑。

その通りです。
この世の出来事をすべて神の御計画に委ねるなら、
私やクッキングホイルさんが信仰を捨ててキリスト教を批判するのも
すべて「公正なる神の御計画」なのですから(笑)。
それにしても、カインとアベルをあんな風に扱った神のどこが公正なのでしょう。
2012-12-12 水 22:19:37 | URL | 桃栗 [編集]
Re: おはようございます
> はじめましてかな?
> 元クリスチャンである私も「信じるものは天国…信じないのは地獄」って嫌いでした。

こちらこそ初めまして。
キリスト教の天国と地獄の教えは本当に私にとって「重荷」でした。
もう二度とあの世界に戻りたくはないです。
そして、クリスチャンはキリストを信じない者は地獄へ行くと信じているはずなのに、
どういうわけか表社会では、非信者の死後の行方については明言を避けたがります。
結局、キリスト教の教えとは、「教会の中だけ」でしか通用しないのです。
教会の外の世界ではキリスト教の常識は通用しません。


> なぜなら生まれ変わりを強く信じてます…
> 前世とかいうとたいがいのクリスチャンは怒ります…

「前世」や「輪廻転生」という考え方は私は信じませんが、
かと言って否定もしていません。
それも一つの思想、文化だと思っています。


> あっ体大丈夫ですか?仕事とか無理しないでくたさいね。

残念ながら、一般社会では無理をしないとやっていけないのが現実です。
不景気=ヒマというわけでは決してなく、
不景気であるがゆえに人員が減らされ、
少ない人数で大きな仕事を限られた期日でこなさなければなりません。
残業時間にも制限があり、制限を超えた部分はサービス残業になります。
そこまでしないと会社の利益が上がらないのです。
「コスト削減」と言えば聞こえはいいですが、
おそらく多くの企業が、表面上は経営が順調に見えて、
内側では多かれ少なかれ無理をしている部分があるのではないかと思います。
「自殺や過労死をなくそう」と世間では言われていますが、
現実の企業社会では、精神的にゆとりのある職場を作る「ゆとり」がないのです。

でも、私はこの世に生まれた限りは図太く生きますよ(笑)。
クリスチャン時代は自分が死んだら地獄に行くのではないかと不安な生活でした。
まるで自分が神の監視下に置かれているような気持でした。
しかし、信仰を捨てて神も天国も地獄も信じなくなったら気が楽になりました。
もう神の視線など気にしません。
2012-12-12 水 22:42:18 | URL | 桃栗 [編集]
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2012-12-13 木 23:24:55 | | [編集]
キリスト教の教義によれば、神を信じない者は救われない=地獄行き
あまりに単純すぎる。
変なこと言わないで終末論もっと学んで下さい。
2012-12-22 土 09:25:36 | URL | 聖霊体験 [編集]
Re: タイトルなし
> キリスト教の教義によれば、神を信じない者は救われない=地獄行き
> あまりに単純すぎる。
> 変なこと言わないで終末論もっと学んで下さい。

地獄よりも終末論信じているんですか?
あなたエホバの証人ですか?
2012-12-23 日 22:28:36 | URL | 桃栗 [編集]
公会議では
こんにちは。私は神学を学んでいるものです。

「良心に従った生き方をした人は、宗教・時代を問わず天国に行く」とあります。
「行いをするものが私の家族である」と聖書は述べています。また黒人奴隷達の苦しみはイエスの十字架に通じるものがあります。

ですので、答えは「イエス。黒人達は天国に行っている」です。

しかし頂けないクリスチャンですね。天狗になってはいけないと教会も聖書も言っているのですが…。代わりましてお詫び申し上げます。
2012-12-28 金 14:35:44 | URL | ぴー [編集]
予定説では?
キリスト教は、予定説だから、死後に、
天国に行くのか、地獄に行くのか決まっていると思いますよ。
神が既に決定しているのであって、
現世で、善行悪行なにをしても、決まっているのです。
これとどう折り合いをつけるのかっていうのが、
神学だったと思いますよ。
2012-12-30 日 10:01:53 | URL | 聞きかじり [編集]
Re: 公会議では
> こんにちは。私は神学を学んでいるものです。
>
> 「良心に従った生き方をした人は、宗教・時代を問わず天国に行く」とあります。

「どこに」そう書いてあるんですか?
聖書から根拠をお示しください。


> 「行いをするものが私の家族である」と聖書は述べています。また黒人奴隷達の苦しみはイエスの十字架に通じるものがあります。
>
> ですので、答えは「イエス。黒人達は天国に行っている」です。

しかし、キリスト以外に救いはないと聖書に書かれているのはどうなるのでしょうか?

(キリスト以外の)ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
使徒言行録 / 4章 12節


> しかし頂けないクリスチャンですね。天狗になってはいけないと教会も聖書も言っているのですが…。代わりましてお詫び申し上げます。

私はこのブログで何度も発言していますが、
クリスチャンはその場その場で聖書の中の「都合の良い言葉」を抜き出し、
自分の考えを正当化する習性があります。

私は、どんなに良い行いをする人でも、人間は生まれながらにして罪びとなのだから、
キリストを信じないものは地獄へ行くと教わりました。
上の方では「聖霊体験さん」が(おそらく)黙示録を根拠にして
「キリスト教の教義によれば、神を信じない者は救われない=地獄行きあまりに単純すぎる。
変なこと言わないで終末論もっと学んで下さい。」と書いています。
そしてぴーさんは、キリストを信じなかった黒人奴隷も救われて天国に行けるとのたまう。

では、いったい何を信じればいいのですか???
黒人奴隷は天国に行けたのですか?行けなかったのですか?
終末論と何の関係があるのですか?
人によって言うことがまちまちで訳がわかりません。

もしもぴーさんが、黒人奴隷が天国に行けたと信じているなら、
あなたも奴隷になって殺されてみればいいのです。
だって、あなたが望んでいる天国に行けるのでしょう?
2013-01-13 日 21:38:09 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 予定説では?
> キリスト教は、予定説だから、死後に、
> 天国に行くのか、地獄に行くのか決まっていると思いますよ。
> 神が既に決定しているのであって、
> 現世で、善行悪行なにをしても、決まっているのです。


では、最初から運命が決まっているなら、
努力して信仰しても無駄ってことですよね。
2013-01-13 日 21:42:41 | URL | 桃栗 [編集]
根拠は…
わかりにくくて申し訳ありません
黒人たちについては、第2コリント5:21
天国については、ルカ17:20から21
が 根拠の一つです。
2013-01-24 木 17:41:17 | URL | ぴー [編集]
Re: 根拠は…
> わかりにくくて申し訳ありません
> 黒人たちについては、第2コリント5:21
> 天国については、ルカ17:20から21
> が 根拠の一つです。

貴方様は前回のコメントでどう発言されたか覚えていらっしゃいますか?

「良心に従った生き方をした人は、宗教・時代を問わず天国に行く」とあります。
(中略)
ですので、答えは「イエス。黒人達は天国に行っている」です。


そして、それに対して私は聖書から根拠を引用するようにお願いしました。
それに対する回答が、第2コリント5:21とルカ17:20から21ということですね。
実際にその箇所を丸ごと引用します。


罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。 (コリントの信徒への手紙二 / 5章 21節)

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 (ルカによる福音書 / 17章 20-21節)


これらの言葉のどこをどう解釈すれば
「良心に従った生き方をした人は、宗教・時代を問わず天国に行く」
「(キリストを信じなかった)黒人達は天国に行っている」

になるのでしょうか???
普段、教会では、次の言葉を根拠にして「キリスト以外に救いはない」
と説いているはずではありませんか?


(キリスト以外の)ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
使徒言行録 / 4章 12節


キリスト教の世界では、人間は生まれながらにしてすべて「罪びと」だから、
どんなに善良な人でもキリストを信じなければ罪は赦されないので
天国に行けないことになっているはずではありませんか?
2年前のフランクリン・グラハム国際大会でも、
「日本の宗教は罪を救えない、罪を救うのはキリストだけだ」と力説していました。
それなのに、「宗教・時代を問わず天国に行く」とは矛盾していませんか?
今まで私が何度も言ってきたことですが、
クリスチャンはそれぞれに聖書の中の都合のいい言葉を都合よく解釈し、
それが真理だと思っているおかしな人たちなのです。
2013-01-26 土 19:22:07 | URL | 桃栗 [編集]
あくまで神学を学んでいる身ですので、なるべく中立に…
黒人について。

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

これをさらに書き下しますとこのようになります。

イエスを、父は人間の為に十字架に張り付けた。人間は父によって、神の義を得ることができた。

つまり、初めから神の義は与えられているのです。「イニシアチブは神にあり」という神学の言葉があります。
これはイエスも、「まず神の義を求めなさい」(マタイ6:33)と述べています。
この時代、律法を完遂することに重きを置く「神の義」と、人を憐れみ謙虚に生きる「神の義」があったのは桃栗さまもご存知かと思われますが、黒人たちはただ「キリストという名前」を信じなかったか知らなかったというだけで、「キリストの行い」は実行しているはずです。桃栗さまの周りにも、無宗教者や無神論者でも謙遜で立派な方はいらっしゃいますでしょう?
では、極悪人が善良なクリスチャンと呼ばれる人々を殺したとして、極悪人が死刑に処されたとします。
しかしこれについては1万タラントンの例えや労働者のたとえがあるように、神の前には人間の正義など役に立ちません。人を百人殺した人と一人を殴った人の末路は同じなのです。人間から見れば理不尽極まりありませんが、これは不自然なことではないのです。なぜなら、神の前に、人間はみな同じ罪を犯している存在だからです。

天国について。
どうも天国は死後に「行く」というイメージが強いようですが、「神の国は近づいた」「神の国はどこにあるというものではない」とイエスが言っているように、神の国はやってくるものです。
わかりやすいたとえだと妊婦ですね。妊婦は母です。しかし赤ん坊を抱っこしたりすることはできません。同じように、今人々は天国という赤ん坊を孕んだ妊婦なのです。
では天国とはいかなる場所でしょうか。それはヨハネが申し上げております。「目に見えない神を愛するには、目に見える隣人を愛せばよい」のです(ヨハネの手紙4:16より要約)
またパウロも、アテネで宣教しているとき、彼らギリシャ人の信仰深さを見て批判はしていません。むしろ、「あなた方の言う「名前の知らない神」について教える」と言っています。

ただ、桃栗さまのおっしゃるように、キリスト以外に救いなしという個所も確かに存在します。しかし、実際キリストの名を使わずとも救われている人々もいるのです。また、福音書が書かれたのは起源60年(マルコ)の中東ですから、現代日本に合わせるには相当の無理があります。例えばあの辺りは地震が少ないですから、地面がちょっと揺れたら世界の終わりだと思います。しかし私たちは震度3,4くらい屁でもありません。これらを合理的に解釈しようとするのが神学です。しかし一般信者はもちろん、神父・牧師でさえ神学の深く広いところを知る義務も知る必要もないので、必要最低限の事しか知らない事が多いのです。こういうことを知っていて答えられるのは、余暇を楽しむ老信者や、修道者を目指して神学を学んでいる人間などです。(私はどちらかというと前者です)
具体例をあげましょう。黙示録が書かれたのは、丁度ローマからのキリスト教徒への迫害が激しかったころのことです。ですのでこれは、預言書というよりも、ローマ人にはわからない比喩を用いて仲間を励ました書です。さらに言うなら、筆者は本当にヨハネかどうかわかっていません。このように時代背景を考えながら解釈することをコンテクストといい、大抵の疑問でしたらコンテクストで解決します。もちろん、それはカトリックの解釈でも、プロテスタントの解釈でも構いません。
そもそもなぜ福音書が書かれたのかを考えれば、キリストのみに救いがあると書いてしまった理由もわかります。
イエスが死んだのが起源30年前後、その後最初の福音書が完成するまで30年の間があります。これはおかしなことだとは思いませんか?
実は、この間に、所謂異端と呼ばれる人たちがたくさん出てきて、イエスの復活、教え、人となりまで、ありとあらゆる縷言が流れたのです。そこで、イエスを実際に見たことのある人々が、イエスの生活を思い出しながら書きました。これがマルコ福音書をはじめとするあまたの福音書です。マルコがイエスの処刑のときに、イエスの弟子だったことは、「全裸で逃げ出した若者(=マルコ?)がいた」ということから推察されています。
あらゆる伝聞や記憶を掘り起し、現在のように記録媒体もろくにない時代ですから、多少の誤差があります。これは公式に認められています。
例えばイエスの復活のシーンでは、「一人の青年がいた」「二人の青年がいた」と書かれていますが、どちらの福音書でも、「青年がいたけど何人だったっけ?」ということであって、「青年なんていなかった」とは言っていませんから矛盾ではありません。
ユダの死に方にしても、当時自殺は木や崖っぷちに釣り下がるのが一般的でした。これは当時の常識ですから聖書には書かれていません。で、死体に触るのは穢れですから(レビ)紐を切るわけです。すると死体は地面にたたきつけられて内臓が飛び出してしまいます。これも、事実の前編と後編をバラバラに思い出して書いただけで、一連の出来事として考えれば何の矛盾もありません。ユダは、「首を吊り」「はらわたが飛び出るほど地面にたたきつけられた」のであって、毒を飲んだり、ナイフで首をついたわけではありませんからね。

おっと、ノートをまるまる写していたら書きすぎてしまいました。申し訳ありません。
ところで、桃栗さまはフランクリン・グラハム以外の方がなんと言っているかは調べないのですか? 彼と正反対の事を言っている方がいますよ。
前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は「カトリックは創設から今に至るまで、あまたの殺戮や侵略を黙認したことを認め、謝罪する」「他の宗教を迫害し、侮辱したことを認める」「われわれカトリックはこれから、他の宗教と積極的に交わり、尊敬し、取り入れるべき習慣を見習い、各国の文化を尊重する」と述べています。
その証拠に、カトリック教会ではミサは日本語です。この間も教会の敷地内になまはげが来ていましたね。獅子舞もきていましたよ。どちらも民間信仰であり日本伝統ですから司祭は即許可したそうです。七五三でも、カトリックでは赤いストラは殉教の色ですが、日本では紅白というくらいでおめでたい色ですから、白いアルバに赤いストラで、子供たちを祝福します。七五三は神道行事ですが、日本文化です。司祭は仏教を学ぶことが義務付けられ、数か月に一度プロテスタントや仏教、天理教などと交流を持つ義務があります。神父も禅を組む時代です。
フランクリン・グラハムのほうが特殊だと、私は思いますが、どうでしょう?
2013-01-29 火 18:07:05 | URL | ぴー [編集]
Re: あくまで神学を学んでいる身ですので、なるべく中立に…
> ところで、桃栗さまはフランクリン・グラハム以外の方がなんと言っているかは調べないのですか? 彼と正反対の事を言っている方がいますよ。

クリスチャンによって、まるっきり正反対のことを言っているのは、
すでにここで取り上げています。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-161.html

あなたも含め、クリスチャンはそれぞれに自分の解釈が正しいと思っているのです。
2013-02-11 月 21:44:52 | URL | 桃栗 [編集]
Re: あくまで神学を学んでいる身ですので
「福音書にキリストのみに救いがあると書いてしまった」
という人間都合の書き物だと認めるのなら、以下のみ言葉も「パウロが思いつきで書いてしまった」と認められますよね?

「そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです」(ローマ5:12)

"宗教・時代を問わず天国に行く" と主張なさるならなおの事です。


「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」(マルコ16:16)

このような独善的な聖句の数々が、「キリスト以外に救いはない」「異教徒は神の敵なり」の認識のもと西洋人キリスト教徒に世界中を侵略・奴隷化させる根拠を与え続けたのです。オーストラリア先住民もカンガルーを狩るごとく英国人キリスト教徒に遊び半分で銃殺されていきました(約9割が死亡)。


福音書はイエスの生活の記録としては弱いです。
"ゲラサの人をイエスが癒し、男に入った悪霊どもが豚に入り、豚の群れはいきなりがけを駆け下ってガリラヤ湖に入り、おぼれ死んだ。"(マルコ5:1-)

ゲラサの地はガリラヤ湖の南東50kmにあり、この話は非現実的。
マタイは「マズイ」と思ったのか「ガダラの地」と書き直したものの、それでもまだ10kmは離れています。(地図)
http://rabbitah.jugem.jp/?eid=16

「聖書は正しくない」から
「聖書自体に問題がある」(危険教理)
そこまでを認め、カトリックのみならずプロテスタントまで広く周知する事で、被害を受けた人々に真の謝罪をする事になるのではありませんか?
2013-02-12 火 01:13:52 | URL | ミスラ [編集]
神学者
>>>あなたも含め、クリスチャンはそれぞれに自分の解釈が正しいと思っているのです。

数学のように2+2=4とか、単純には行きませんから、まるで国語の読解問題のようですよね。ひとつの文章をとっても何通りにも解釈できることはよくよく考えられる。ですので、まあ、どんなに自分勝手な解釈をするかどうかは個人によると思いますが、本当の意味は神しか確かにはわからないと考えています。

カトリックは神学者がいますので、解釈についてはそのかたがたにお任せするのが本当でしょうが、迫害、侮辱などの事実もあることを見れば、何が歯止めになるか、という疑問はわいてきますね。

ただ、カトリック信徒である身からしていえば、わたしが思う正しい生き方(神が私に選んで欲しいだろうと考えられる、よい社会人、市民、人間としての生きかた、わたしなりの解釈で)から考えて教会や法王がおかしな教えに対しては賛成はできないのではないかと思うけれど、神への信仰心は変わることはないでしょう。

なぜなら、神への信仰心が第一で、人間を崇拝しているわけではないのですから。

わたしは自分が大変心の弱いものだと思っています。
神という振り返るもの無しで
よい人間でいられる自信がありません。
これが自虐心だと思われるのかな、と思いましたが、
わたしにしてみれば自虐心というよりは、
”何か大いなるもの”にともに歩いてもらう、
そしてよりよい自分となるための
メンターのような存在です。

それが宗教というものなのでしょうけれど。





2013-02-12 火 16:21:34 | URL | はるみ [編集]
おお、これは失礼
既に取り上げておられたのですね。大変失礼いたしました。
確かに私は列記とした神学者(つまり大学教授ですね)について学んでおります故に、それほどどちらかに傾倒はしていないと思っておりますし、どちらかに傾倒しないようにも気を付けているつもりです。
しかし幼いころにそれほどまでに恐ろしい体験をなされた桃栗様ともあろうお方が、なぜ、キリスト者をひとくくりにし、カトリックとプロテスタントの違いはもちろんのこと、カルヴァン派とルーテル派の違いさえも無視して「クリスチャン」と総称するのでしょう? 私にはそれが不思議でなりません。
もっと言うならば、キリスト教はカトリック、東方正教会、聖公会、カルヴァン、ルーテル、メソジスト、バプテスト、日本基督教団所属か非所属か、異端に大別されるはずです。エホバの証人の事をよくご存じのようですから、これくらいは知っていらっしゃいますよね?
東方正教会は、ロシア、ギリシア、マロン、ブルガリア、さらに日本と、すべて微妙に違いがあります。
バプテストは一牧師一教派、つまり個人個人が全く異なる解釈を持っていても、カルケドン公会議に違反しない限りは破門されません。
同じメソジストでも、日基に所属しているかしていないかで全く教え方が異なります。
カルケドン公会議に反するものが一般的に異端と言われておりますが、非カルケドン派という伝統を持っている東方と、全く新しく表れた非カルケドン的教えの異端は別物です。
桃栗様は、アメリカ人に主に聞いたようですが、その人の宗派は確かめましたか? もしバプテストなら、同じ教会(=同じ牧師)のところの信者かどうか確かめましたか? もし確かめていないなら、違っていて当たり前です。だって宗派が違うんですから。

あ、もしかして桃栗様はずっとプロテスタントだったから「公会議」「神学」の意味が分からなかったのでしょうか? それなら補足説明いたしますが…。

それから、クリスチャンじゃなくても神学を学んでいる者は多くおります故に、私の信仰についてはお気になさらず。私はずっと前から神学を学んでおりますし、自分の信仰を持った理由も神学は関係ありません。
ついでに言うと、このブログも、神学者の先生から「とても参考になるから読みなさい」と言われて読ませていただいております。
2013-02-12 火 19:59:23 | URL | ぴー [編集]
キリスト教は 人間がつくってしまった宗教
混ぜものがしてあるから 別のものになっている 添加物沢山の
毒がある。
それが 理解できないので 何がなんだか 分らないんだと思います
でも ほんものを 発見したら 本当の父の顔をみたら 分ります!
2013-02-12 火 22:28:23 | URL | 探求者 [編集]
Re: Re: あくまで神学を学んでいる身ですので
> 「福音書にキリストのみに救いがあると書いてしまった」
> という人間都合の書き物だと認めるのなら、以下のみ言葉も「パウロが思いつきで書いてしまった」と認められますよね?
>
> 「そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです」(ローマ5:12)
>
> "宗教・時代を問わず天国に行く" と主張なさるならなおの事です。
>
>
> 「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」(マルコ16:16)
>
> このような独善的な聖句の数々が、「キリスト以外に救いはない」「異教徒は神の敵なり」の認識のもと西洋人キリスト教徒に世界中を侵略・奴隷化させる根拠を与え続けたのです。オーストラリア先住民もカンガルーを狩るごとく英国人キリスト教徒に遊び半分で銃殺されていきました(約9割が死亡)。

よくぞ言ってくれました。
日本もザビエルらによって危うくポルトガルの植民地になっていたかもしれないのです。


> 福音書はイエスの生活の記録としては弱いです。
> "ゲラサの人をイエスが癒し、男に入った悪霊どもが豚に入り、豚の群れはいきなりがけを駆け下ってガリラヤ湖に入り、おぼれ死んだ。"(マルコ5:1-)
>
> ゲラサの地はガリラヤ湖の南東50kmにあり、この話は非現実的。
> マタイは「マズイ」と思ったのか「ガダラの地」と書き直したものの、それでもまだ10kmは離れています。(地図)
> http://rabbitah.jugem.jp/?eid=16
>
> 「聖書は正しくない」から
> 「聖書自体に問題がある」(危険教理)
> そこまでを認め、カトリックのみならずプロテスタントまで広く周知する事で、被害を受けた人々に真の謝罪をする事になるのではありませんか?

私も同感。
神に謝罪(懺悔)する前に、まず人間に謝罪してほしいものです。
人に謝らなくても神に懺悔すれば罪が赦されるというキリスト教独特の考え方、
私は絶対認めません。
2013-03-10 日 21:53:26 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 神学者
> >>>あなたも含め、クリスチャンはそれぞれに自分の解釈が正しいと思っているのです。
>
> 数学のように2+2=4とか、単純には行きませんから、まるで国語の読解問題のようですよね。ひとつの文章をとっても何通りにも解釈できることはよくよく考えられる。ですので、まあ、どんなに自分勝手な解釈をするかどうかは個人によると思いますが、

ということは、聖書に何通りの解釈があっても良いということでしょうか?

>本当の意味は神しか確かにはわからないと考えています。

ほら、来ましたよ(笑)、皆さん。
クリスチャンのお決まりの逃げぜりふ。

「神にしかわからない」

結局、自分が答えられなくなると「神ならご存じ」「神にしかわからない」
などのお決まりの逃げゼリフを振りかざして
それで人の質問に答えたつもりになっているのです。
「神にしかわからない」のではなく、「あなたがわからない」のでしょう?
どうしてクリスチャンは「私にはわかりません」
と素直に言えないのか本当に本当に不思議でなりません。
だから、それをごまかすために「神」という言葉を持ち出して正当化するのです。
何度も私が発言してきたことですが、
キリスト教では「神」という言葉を出すとなんでも正当化できるので便利な宗教です。
だから、その「都合の良さ」があるからキリスト教が世界中に広まったのではないですか?


> カトリックは神学者がいますので、解釈についてはそのかたがたにお任せするのが本当でしょうが、迫害、侮辱などの事実もあることを見れば、何が歯止めになるか、という疑問はわいてきますね。

答えは簡単。
キリスト教は「歯止めにならない」です。
むしろ、世界を植民地にするのに都合の良い宗教だったのです。


> ただ、カトリック信徒である身からしていえば、わたしが思う正しい生き方(神が私に選んで欲しいだろうと考えられる、よい社会人、市民、人間としての生きかた、わたしなりの解釈で)から考えて教会や法王がおかしな教えに対しては賛成はできないのではないかと思うけれど、神への信仰心は変わることはないでしょう。

だったら、わざわざ教会や法王や「聖母マリア」を通さず、
直接神を信仰すればいいのです。


> なぜなら、神への信仰心が第一で、人間を崇拝しているわけではないのですから。


神への信仰心が第一なら、マリア像も法王もいらないはずですよね。
しかし、よくカトリック信徒は「マリア様のご加護」と言っているではありませんか。
どこのカトリック教会にも白いマリア像が飾られているのはなんでしょうね。
モーセの十戒ではいかなる偶像を作ってはならないと戒められているはずですが。


> わたしは自分が大変心の弱いものだと思っています。
> 神という振り返るもの無しで
> よい人間でいられる自信がありません。
> これが自虐心だと思われるのかな、と思いましたが、
> わたしにしてみれば自虐心というよりは、
> ”何か大いなるもの”にともに歩いてもらう、
> そしてよりよい自分となるための
> メンターのような存在です。
>
> それが宗教というものなのでしょうけれど。

そうです。宗教は現実逃避なのです。

それから、これ以上記事の主旨から外れるコメントはお控えください。
2013-03-13 水 23:27:17 | URL | 桃栗 [編集]
Re: おお、これは失礼
> 既に取り上げておられたのですね。大変失礼いたしました。
> 確かに私は列記とした神学者(つまり大学教授ですね)について学んでおります故に、それほどどちらかに傾倒はしていないと思っておりますし、どちらかに傾倒しないようにも気を付けているつもりです。
> しかし幼いころにそれほどまでに恐ろしい体験をなされた桃栗様ともあろうお方が、なぜ、キリスト者をひとくくりにし、カトリックとプロテスタントの違いはもちろんのこと、カルヴァン派とルーテル派の違いさえも無視して「クリスチャン」と総称するのでしょう? 私にはそれが不思議でなりません。

仏教も、様々な宗派があるのに「仏教」「仏教徒」と総称するではないですか。
なぜキリスト教は総称してはならないのでしょうか。
それが不思議でなりません。

また、クリスチャン自身、宗派や教派の違いを無視し、
キリスト教は世界中に広まったとか、
長い歴史の間に様々な迫害に耐えて今日まで信仰されてきたとか、
そういう風に言っているではありませんか。
世界中にどれほどの宗派教派があるか、
長い歴史の中でどれほど教義が変わって(変えられて)きたか、
そういうことを無視しているのはクリスチャンの方です。

それに、「記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。」
とプロフィールに書いてあるのですから、無視しないでくださいね。
2013-03-14 木 23:48:09 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> キリスト教は 人間がつくってしまった宗教
> 混ぜものがしてあるから 別のものになっている 添加物沢山の
> 毒がある。
> それが 理解できないので 何がなんだか 分らないんだと思います
> でも ほんものを 発見したら 本当の父の顔をみたら 分ります!

父の顔とは、「父なる神の顔」ということでしょうか?
あなたは神を見たのでしょうか?
神には姿形がなく、人間には見えないはずですが。
そして、「人が神を見たら死ぬ」というのがキリスト教の教義のはずです。
実際に聖書にそう記されています。


また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」 出エジプト記 / 33章 20節

探究者さんはどうやって神の顔を見たのですか?
寝ぼけたこと言ってないで目を覚ましてください。
2013-03-19 火 23:57:19 | URL | 桃栗 [編集]
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