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Author:桃栗
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子供にキリスト教を教えないで 2
引き続き、子供にキリスト教を教えることの悪影響について書いていきます。
前回、私が知るクリスチャンの多くが、
大人になってからキリスト教に出会った人たちだと書きましたが、
その人たちには共通することがありました。
それは、それぞれに何かしら人生に挫折したり疑問を持ったりしたときに、
キリストに出会って心の重荷が下りたということです。
その「挫折」「疑問」の内容は、置かれた境遇の違いや程度の大小の差こそありますが、
ともかく、何らかの救い(一般的な意味での)を求めていた時に、
タイミングよくキリスト教に出会い、自ら洗礼を受けた、
そういうクリスチャンを直接的、間接的にたくさん見て(聞いて)きました。
極端な例では、電車に飛び込み自殺をして手足を失い、
入院中にキリスト教に出会って牧師夫人にまでなった人や、
暴力団員として悪の限りを尽くした人が牧師にまで上り詰めた例があります。


さて、キリスト教の伝道でよく引用されるこんなお決まりの聖句があります。

疲れた者、重荷を背負う者はだれでもわたし(イエス)のもとに来なさい。
休ませてあげよう。(マタイ11章28節)


この言葉が、教会の看板、伝道用の冊子などによく書かれており、
実際、近年私の自宅のポストに入っていたチラシにも、
そのお決まりの言葉が書かれていました。
教会側は、そうやって現代人の疲れた心に呼びかけるように伝道し、
実際、社会生活の中で挫折したのちにキリストに出会い、
心の重荷が下りた人が多いことは先に書いた通りです。

大人になって挫折した末にクリスチャンになった人は、
「この素晴らしい教えをぜひ子供たちにも」と言いたいところでしょうが、
まだ子供は「人生の挫折」というものを知らないのです。
それなのに、「これは重荷が下りる素晴らしい教えだから」と押し付けるのは、
子供にとってありがた迷惑以外の何物でもありません。
特に、子供に「罪の意識」を植え付けた上でキリストの救いを教えるのは、
「やめてくれ~~~!」と声を大にして言いたいです。
むしろ、子供に「罪の意識」という名の「重荷」を背負わせることになるのです。
私の信仰生活には、常にこの「罪の意識」が心にありました。

一般家庭に生まれ育ち、一般社会の中で生きてきた大人には、
「処世術」という、世の中を要領よく生きていく術(すべ)が身に付いています。
したがって、そういう大人が教会へ行ってキリスト教の話を聞いても、
自分が身に付けた常識の範囲内で情報を処理して理解できます。
しかし、子供たち、特にまだ物心も付いていないような小さな子供は、
まだそのような能力が備わっていないため、
大人がする話を文字通り信じ込んでしまいかねません。
したがって、例えば「あなたの心は黒く汚れている」などと教えると、
本当に胸の中が真っ黒に汚れているなどと受け止めかねません。
また、「罪びとは死んだ後に地獄に落ちる」と私は教わってきたので、
小学生のある時期、本当に夜も眠れないほど死後のことを心配したことがありました。

たいていの教会は、日曜学校、または教会学校などの名目で、
子供を対象にした礼拝を行っています。
つまり、子供の頭の柔らかいうちにキリスト教を教えようというわけです。
今から考えると、あれこそ大人にとっては格好の「洗脳の場」だったと思います。
子供は大人の言うことを素直に聞きますから。
しかし、その教え方に大きな問題があるように思えます。
大人たちは、子供に分かりやすく簡単な言葉で、時には大げさな表現で教えますが、
ともかく子供は「フィルターなしに」なんでも信じ込んでしまいますから、
ある意味危険だといえます。
その結果、私の場合、先にも書いた通り、ずっと罪の意識に縛られることとなったのです。

教会側にクレームをつけたところで、
「そんな風に教えたつもりはない」と否定するでしょうが、
大人と子供とでは物事のとらえ方が違うということを理解してほしいです。
子供の想像力は、大人が思う以上に良くも悪くもずっとずっと豊かなのです。
「なあに、うちの子は黙って素直に信じているから大丈夫」と思ったら大間違いです。
本人は信仰することに重荷を感じていても、
それを口に出してはいけないと思って悩んでいる可能性だってあるのです。
教会では、神について否定的なことを言ってはいけないと教わりますから。

大人になってからキリスト教に出会ってクリスチャンになった方、
お願いですから子供たちに「重荷」を背負わせるのはやめてください。
それはただの大人の「趣味の押し付け」にすぎません。

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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

キリスト教一般の疑問 | 19:47:58 | トラックバック(0) | コメント(8)
コメント
Re: 桃栗様と同じです。
>  すごく良く分かります。僕も罪という意識に随分苦しみました。綺麗な女性アイドルを綺麗だと思うことがなぜ罪なのか分かりませんでした。そう思うならそれはそれでいいではないかと思いました。

やはり、こういうことは経験した人でないとわかりませんね。
大人になってからクリスチャンになった人には到底わかりません。
私も、「世俗的な楽しみ」にどこか神に対して後ろめたさを感じていました。
教会側は「そんな風には教えていない」と言っても、
幼いころからキリスト教の「シャワー」を浴びていると自然とそうなるのです。


>  ネ申のためより、自分のために生きたいって思うのがどうしていけないのか、自問自答しました。

私は、神に対して否定的なことを言ったり考えたりするのは罪だと信じていたので、
キリスト教に疑問を感じて自問自答するなどという発想さえありませんでした。
あの当時は、思考回路がキリスト教的に染まっていたために、
自由な発想が阻害されていたように思います。
あれこそマインドコントロールですね。


>  桃栗様の教会がどうでしたか知りませんが、僕のいた教会では、普通のサラリーマンがある日突然神学校に通って牧師になるケースが多く、また夏キャンプとかで決心して牧師になった人間はもてはやされました。

私も、キリスト教関係のキャンプには何度か参加したことがありますが、
キャンプファイヤーの時などは一種独特の「高揚感」がありますね。
2年前に大阪のフランクリン・グラハム大会を見た時もそうでした。
その高揚感に乗せられて決心して(させられて)しまう人が多いのでしょうね。

私が直接見た例では、社会人から牧師を目指した人が2人います。
うち1人は本当に牧師になれたのかどうか知りませんが、
あとの1人は牧師になり、その教会のHPもあります。
その方は、社会人だったころに偶然キリスト教に出会い、
わずか数年もたたないうちに牧師になることを決意したらしいです。
詳しいことを書くと特定されそうなので割愛しますが。

 
>  桃栗様も仰っておりましたが、僕にとってはキリスト教が重荷でした。もう重荷を降ろして10年以上しますが、完全とは言い切れません。恐らく、一生この問題に取り組まなくてはならないかと思います。
>  アメリカのように、精神医学が発達していて、気軽に受診でき、宗教からの脱出みたいなことをしている機関があればいいのですが、日本ではエホバや統一教会ぐらいしかありません。

私が悔しいと思うのは、日本ではキリスト教に良いイメージを持っている人が多く、
いわゆる正統派を名乗るキリスト教の問題点が明るみになりにくいことです。
エホバの証人や統一教会の事件はマスコミでも取り上げられるのに、
普通のキリスト教のことはマスコミ的には「ネタ」になりにくいのかもしれません。
たまに何かキリスト教の事件が取り上げられたとしても、
世間の関心が低いのが悔しいですね。
2012-10-28 日 18:26:53 | URL | 桃栗 [編集]
発達段階に応じた教え方
は、考えないとダメですよね。アタシも自分が所属する教団でそれを強く感じましたが。

「無垢な子供」と「汚れた大人」に同じ言葉を向けてはいけない。

ただ、私の場合は、自分で書物を読めるようになり、「ああ、あの人の説き方は子供に対しては間違ってる」なんて補正してましたが、って未だに補正中です。

必ず「個人」のフィルターを通したものを教えられますから、混じりものは避けられません。

ただ……、桃栗様の記事を拝していて気付いたのですが、ウチの教団にもキリスト教的「罪の意識」を植え付ける説き方をする人が居ますね。成長してからどの書物を紐解いても、そんな一文は出て来ない。まあ、ウチにもキリスト教やカルト宗教から逃げて来た人は大勢居るんで。

確かに!

アタシは長じてから洗礼を受けた人としばらく接して「おかしい」と感じました。見返りを要求するんですよね。「キリスト教はペテン」と考えるに至った経緯です。

アタシは「仏教」と「神道ベースの日本文化」で育てられたと思っています。「蓮と刀」です。
2012-10-29 月 19:38:44 | URL | 不破不破 [編集]
Re: 発達段階に応じた教え方
> は、考えないとダメですよね。アタシも自分が所属する教団でそれを強く感じましたが。
>
> 「無垢な子供」と「汚れた大人」に同じ言葉を向けてはいけない。

まったく同感です。
大人と子供とでは思考回路が違うことを理解すべきです。



> 必ず「個人」のフィルターを通したものを教えられますから、混じりものは避けられません。

いくら「うちは正統派キリスト教会です」と主張したところで、
それぞれの宗派、教派、教団、教会、神父、牧師の主観が入るのは避けられませんね。
むしろ、エホバの証人の方が画一的に洗脳されていて、
誰もが同じ解釈を持っている印象を受けます。
それはそれでまたすごいですけど。


> ただ……、桃栗様の記事を拝していて気付いたのですが、ウチの教団にもキリスト教的「罪の意識」を植え付ける説き方をする人が居ますね。成長してからどの書物を紐解いても、そんな一文は出て来ない。

イエスの生涯を直接記録したとされる4つの福音書には、
イエス本人の口から「アダム」の名前が出てきた箇所が一つもありません。
しかも、福音書の中で唯一アダムの名前が出てくるのは、
イエスの家系図を紹介している「ルカによる福音書3章38節」だけです。
アダムによる原罪を説いているのはイエスに直接会っていないパウロです。
ローマ信徒への手紙5章12節以降がその一例です。
教会は、そのパウロの教えを都合よくアレンジして教えているのですから、
あれは「パウロ教」ですね。
人を洗脳して手なずけるにはよほど都合の良い教えなのでしょう。


> アタシは長じてから洗礼を受けた人としばらく接して「おかしい」と感じました。見返りを要求するんですよね。「キリスト教はペテン」と考えるに至った経緯です。

ルカによる福音書6章35節で、
イエスは「見返りを期待するな」という主旨の発言をしているのを知らないのでしょうね。
2012-10-31 水 23:47:36 | URL | 桃栗 [編集]
これは私も同感ですね。
私は宗教とは、生きる上で抱える悩みや苦しみに意味を与え、傷を和らげるための方便だと考えています。
耐えきれないほどの挫折や喪失、苦悩を抱える人間のための、いわば治療薬。それも結構な劇薬です。
でも健康な人間に薬を与える必要なんてないんですよね。場合によっては毒になりかねません。
子供に与えるのはどうなのか。
2012-11-03 土 14:00:56 | URL | 名前を入れてください [編集]
Re: タイトルなし
> これは私も同感ですね。
> 私は宗教とは、生きる上で抱える悩みや苦しみに意味を与え、傷を和らげるための方便だと考えています。
> 耐えきれないほどの挫折や喪失、苦悩を抱える人間のための、いわば治療薬。それも結構な劇薬です。
> でも健康な人間に薬を与える必要なんてないんですよね。場合によっては毒になりかねません。
> 子供に与えるのはどうなのか。

分かりやすいたとえですね。
イエスのたとえよりもずっと分かりやすいです。
健康な人に薬が必要ないのと同様に、
まだ人生の挫折の経験のない子供には宗教は必要ないのです。
2012-11-04 日 20:07:46 | URL | 桃栗 [編集]
これはまさにその通りだと思います。

私は父親がカルト信者であったため、一般家庭で育ったとは言えませんが、父親の信仰や活動に疑問を持ち、常に普通の日本人の感覚で父親の信仰について考えていたと思います。

なので、キリスト教の教えとはこういうものなんだよと友人に言われても、まさに「自分が身に付けた常識の範囲内で情報を処理して理解できる」んですよね。

クリスチャンの子供として生まれると本当に大変ですね…。私は父親の信仰するカルトに洗脳されなかったので、むしろ某カルトよりキリスト教のほうが子供への悪影響は強いのではないかと思いました。
でもキリスト教は世間では割とまともな伝統宗教だと捉えられているので当事者の方は辛いでしょうね…。
私も父親の信仰には苦労したのでなんとなく管理人さんのお気持ちが分かります。
ブログで思いや考えを吐き出すのも大変なことだと思います。
どうぞ、ご自愛下さい。
2012-11-18 日 16:45:01 | URL | あい [編集]
Re: タイトルなし
> これはまさにその通りだと思います。
>
> 私は父親がカルト信者であったため、一般家庭で育ったとは言えませんが、父親の信仰や活動に疑問を持ち、常に普通の日本人の感覚で父親の信仰について考えていたと思います。

カルト信者のお父様の元で成長されていながら、
客観的にその宗教を見る目をお持ちだったのですね。
うらやましいです。
私がそういう冷静な視点を小さい頃から持っていれば、
もっと早くキリスト教の矛盾に気付いてそこから抜け出せたのにと思います。


> なので、キリスト教の教えとはこういうものなんだよと友人に言われても、まさに「自分が身に付けた常識の範囲内で情報を処理して理解できる」んですよね。

それです。
大人になってからキリスト教を知った人は、
自分がそれまで一般社会の中で身に付けた常識の中で情報を処理するのです。
そういう能力の備わっていない子供たちに
いたずらに宗教を押し付けるべきではありません。
それなら、お墓参りも七夕も初詣もダメなのかと突っ込む人がいるかもしれませんが、
それは宗教ではなく、伝統、習慣、風習だと私は解釈しています。
そういう日本古来のものは大切にしたいものです。


> クリスチャンの子供として生まれると本当に大変ですね…。私は父親の信仰するカルトに洗脳されなかったので、むしろ某カルトよりキリスト教のほうが子供への悪影響は強いのではないかと思いました。
> でもキリスト教は世間では割とまともな伝統宗教だと捉えられているので当事者の方は辛いでしょうね…。

そうですね。
日本ではクリスチャン人口が極端に少ないとはいえ、
キリスト教は一般的に良いイメージを持たれているのが悔しいですね。


> 私も父親の信仰には苦労したのでなんとなく管理人さんのお気持ちが分かります。
> ブログで思いや考えを吐き出すのも大変なことだと思います。
> どうぞ、ご自愛下さい。

ありがとうございます。
2012-12-09 日 21:47:37 | URL | 桃栗 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017-12-14 木 22:25:13 | | [編集]
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