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桃栗

Author:桃栗
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キリスト教は死刑を肯定している?
キリスト教と言えば「汝の敵を愛せよ」「汝の隣人を愛せよ」の言葉に代表されるように、
「愛の宗教」というイメージを前面に押し出して伝道していますね。
そんな宗教を信じているクリスチャンには死刑に反対する人が多いようです。
事実、死刑制度廃止国を調べてみると、
クリスチャンが多そうな国が目立ちます。
逆に、死刑存続国には、クリスチャンが少なそうな国が目立つのは気のせいでしょうか。
やはり「汝の敵を愛せよ」の教えは、政治にも影響しているのでしょうか。」

しかし、実は聖書は死刑をはっきりと肯定していることにお気づきでしょうか。


まず、レビ記24章をご覧ください。

レビ記 / 24章 16節
主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。

レビ記 / 24章 17節
人を打ち殺した者はだれであっても、必ず死刑に処せられる。

レビ記 / 24章 21節
家畜を打ち殺す者は、それを償うことができるが、人を打ち殺す者は死刑に処せられる。


「たとえ殺人犯であっても罪を悔い改めれば救われる」とクリスチャンは言いますが、
聖書では殺人犯は「死刑」とはっきりと言っているのです。

さらに、レビ記20章から死刑に関する記述を抜き出してみましょう。

自分の子をモレク神にささげる者は、必ず死刑に処せられる。国の民は彼を石で打ち殺す。
自分の父母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。父母を呪うことは死罪に当たる。
人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。
父の妻と寝る者は、父を辱める者であるから、両者共に必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。
嫁と寝る者は両者共に必ず死刑に処せられる。この秩序を乱す行為は死罪に当たる。
女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。
動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。
男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる。


どうですか、皆さん。
聖書ではこれでもかというほど死刑を肯定しています。
実際、罪を犯した本人だけではなく、
その家族もろとも処刑された場面が聖書には記されています。
ヨシュア記7章25節、ダニエル書6章25節、エゼキエル書23章47節をお読みください。
そして、イエス・キリストも、神の御名を汚したという理由で処刑されましたよね。
クリスチャンは、「イエスは私たちのために死んでくださった」と喜んでいますね。

さて、キリスト教の世界では、
聖書はすべて神の言葉であり、誤りは一つもないということになっています。
そして、クリスチャンはその聖書を教えを守ることが義務のはずですよね。
ちゃんと聖書には神の教えを守れと書かれています。

レビ記19章37節
わたしのすべての掟、すべての法を守り、それを行いなさい。わたしは主である。


それなら、聖書の規定に従って殺人犯は死刑にすることを肯定するべきなのに、
なぜクリスチャンは死刑に反対するのでしょう。
新約聖書の登場によって、旧約聖書の教えは無効になったのでしょうか?
いいえ、違います。
ちゃんと教会の礼拝では、旧約、新約に関係なく、
聖書の言葉をまんべんなく引用して神の教えを説いていますよね。
それなのに、なぜ死刑制度に反対するのでしょう。
キリストの救いは死刑制度なしにはあり得えないはずなのに。
死刑制度を否定すると、キリストの救いも否定することになります。

結局、私が何度もブログで書いているように、
キリスト教というものは、聖書の中の「都合のいい言葉」だけを抜き出し、
それを都合よく解釈して信仰しているにすぎないのです。
クリスチャンはダーウィンの進化論を否定し、
「聖書に書いてあるから」という理由で天地創造物語を信じていますが、
それなら「聖書に書いてあるから」という理由で死刑を奨励すべきなのに、
そういう話を聞かないのが不思議です。

さて、「クリスチャンでない」皆さん、
もしもあなたの知り合いのクリスチャンが死刑に反対していたなら、
この言葉を教えてあげてください。

レビ記24章17節
人を打ち殺した者はだれであっても、必ず死刑に処せられる。


そうそう、「主の御名を呪う者は死刑に処せられる」なら、
私も死刑ですよね(笑)。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

旧約聖書の疑問 | 22:36:42 | トラックバック(0) | コメント(22)
コメント
[i:63893]
新訳聖書以降、死刑が減っているのは確かです。
しかし、キリスト教には死刑囚のような思考回路の人間は手に負えません。 死を目前にして、壁に隔たれている人間だけです。
クリスチャンが信仰の有無、強弱で人を裁く事は精神的死刑です。

死刑になるなり、死んで地獄に行けばクリスチャンは居ません。 これは天国かも? いや、地獄こそクリスチャンのマンションかもしれない (笑)

死刑反対ならオウム加害者全員の死刑反対運動でもやってみろ。 批判ぐちゃぐちゃ言ってるだけだろうけど (^○^)
2012-06-28 木 09:40:53 | URL | 素早い えびせんZ [編集]
「肯定」と言えば
すみません、この記事には直結しないのですが、「愛」「肯定」、この2単語から、キリスト教はペテンである、と確信しました。

「愛」とは「存在の肯定」です。しかし、キリスト教の神は違いますよね?

神は「断罪者」です。ギロチンの紐を握る者です。

あー、やーっとスッキリしたー。

私は何でもかんでも追求する質なんで、本質を掴めないとイライラしてしょうがない。

正体見たり。

今日は良く眠れそうです。
2012-06-29 金 19:07:04 | URL | 不破慈 [編集]
厳罰の神
情け容赦ない厳罰神にビビった人達がある時期に新しい人格の神を用立てたんじゃないでしょうか。お蔭で唯一神もすっかり不均衡な姿になってしまいました。
 
私はどちらかというと信者をちやほやと甘やかす新約の神の方が嫌いですが。「恵み」「神の愛」 …アレルギー反応が出そうです。
2012-06-29 金 22:10:19 | URL | ミスラ [編集]
死刑反対を唱えているクリスチャンたちは、死刑の代替案として終身刑をと言っているのですが、これは死刑よりも残酷な刑です。当たり前のことだと思います。20歳で終身刑になったものは80まで生きるのであれば60年間を日のあたらない塀の中で過ごすことになるのですから。

死刑を廃止するということは、全ての囚人に社会復帰の機会を与えるということでなくては意味がありません。自分の子が惨殺されたクリスチャンは、その犯人が社会復帰したときにその犯人の再生のために尽力できるのでしょうか、自分が住んでいるマンションの隣の部屋に越して来ても親切に世話をしてやるというのでしょうか、偽善もいいところだと思います。

死刑を廃止できないのは社会が成熟していないからです。自分たちが幼稚で思慮無分別だから死刑囚を輩出してしまって、結局かれらを死刑にするほかに方法が無いのです。死刑は国家と国民の成熟度を証明しているわけです。
2012-06-30 土 00:43:00 | URL | クッキングホイル [編集]
聖書は身体刑も肯定している!!
>>桃栗さま

死刑と同様か、それ以上に「残虐な刑罰」として嫌悪されているのが、
四肢切断をはじめとする身体刑ですが、聖書を読むとそれら身体刑も肯定されているんですよね。

「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典の丸パクリであるレビ記24章20節は有名ですが、
新約聖書でもイエス自らが、こんなことを言っていますし。

「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。
 両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。」
「もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで
 地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。」
「もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま
 地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。
(マルコによる福音書9章43節、45節、47節新共同訳)

しかし、こんなことを言ってるイエス自身が、エルサレムの神殿に入った時には

「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、
 両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。」(マルコによる福音書11章 15節)

と暴力をふるっておきながら、その指先の一本すら自ら傷つけることすらなく、
しかもその翌日にはのうのうと

「また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
 そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」 (11章25節)

と「赦し」を説いているのは支離滅裂もいいとこですが。
だったら神殿の商人たちも「赦し」てやればいいのにと思いますよね?

「イエスその人にとってすら、言葉の重みなどその程度でしかなかった、
 ましてやキリスト教徒においてをや…。」

ということを示すお話だったとしたら、非常に納得できるのですがね(笑)
2012-07-07 土 07:17:14 | URL | ササキエル。 [編集]
多くのクリスチャンは、本当は神を信じていない
多くのクリスチャンは、本当は神を信じていません。
ですから、死刑はいけないなどと欺瞞を言えるのです。
本当は、犯罪者には、報復を必ず為さなければなりません。
犯罪者が罪なき者に行った数倍の苦しみをその犯罪者へ返さなければなりません。人を殺した者は、当然死刑です。拷問の上に死刑にならねばなりません。
多くのクリスチャンは、実は神など信じてなどいず、人間を信じているのです。つまりヒューマニストです。
神を信じていると言いながら、実は信じていない者は、
神を舐め腐っています。地獄も舐め腐っています。
ですから、神は誠実な方ですから、彼らは希望通りに真っ先に地獄へ叩き込まれるのです。
2012-07-13 金 20:28:16 | URL | 電気丸 [編集]
初めまして
とても良いブログですね。
キリスト教の矛盾をついて、ドグマ(教理・教義)の奴隷となった方々を助けてあげてください。
シルバーバーチをご存知でしょうか?
メッセージを読まれると元気付けられるかもしれません。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/index.htm
体に気をつけて、応援しております。
2012-08-01 水 20:47:39 | URL | マグナムやまと [編集]
何を引用しているかと思えば、旧約の律法ではないですか。
クリスチャンはモーセ五書の613の規定を形式的に守ったりはしません。
多くのキリスト教国では、古代オリエントと違い奴隷制もないし、今更贖罪の羊をエルサレム神殿に捧げたりしません。
イスラエルの超保守派ですらしませんよ、そんなもの。

いちゃもんレベルの主張ですが、反論しましょう。
死刑反対論は、決して「殺人犯がかわいそう」という愛の議論ではありません。
冤罪可能性がなくならない以上、そして処刑後に冤罪だと分かれば取り返しがつかないために、
国家が、冤罪の可能性を無視して死刑を執行するのは人道的な見地から見てどうか、という話であって、
EUだろうがアメリカだろうがどこだろうが、殺人の現行犯を射殺することを批判するクリスチャンはいません
(逆に、日本では現行犯を射殺した警察官を殺人として起訴した弁護士がいましたが)

とにかく、あなたの議論は無茶苦茶すぎて話になりません。
法理論に関する知識も乏しければ、キリスト教そのものに関する理解も薄い。
日本人クリスチャンは平気でイカを食べるわけだしw
2012-09-02 日 08:26:45 | URL | 名無し [編集]
Re: タイトルなし
> 死刑反対ならオウム加害者全員の死刑反対運動でもやってみろ。 批判ぐちゃぐちゃ言ってるだけだろうけど (^○^)

まさにその通り。
神とキリストの力が本当ならば、オウムの加害者を改心させ、
「ハレルヤ! 主よ、こんな私でも罪が赦されることを感謝します!」
と、被害者や遺族の前で言わせて欲しいものです。
そんな加害者の喜ぶ姿を被害者が見てどう思うでしょうか?
2012-09-16 日 22:19:46 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 「肯定」と言えば
> すみません、この記事には直結しないのですが、「愛」「肯定」、この2単語から、キリスト教はペテンである、と確信しました。
> 「愛」とは「存在の肯定」です。しかし、キリスト教の神は違いますよね?
> 神は「断罪者」です。ギロチンの紐を握る者です。

ですね。よくクリスチャンは「神の愛」という言葉を口にしますが、
旧約聖書の神は恐ろしく冷酷です。
むしろその神こそが「悪魔」ではないかと思うぐらいです。
2012-09-16 日 22:26:37 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 厳罰の神
> 情け容赦ない厳罰神にビビった人達がある時期に新しい人格の神を用立てたんじゃないでしょうか。お蔭で唯一神もすっかり不均衡な姿になってしまいました。

私は、牧師さんにこういう内容の質問をしたことがあります。
「旧約聖書には、罪を犯した仲間を石打の刑にしているのに、
新約聖書ではイエスは汝の隣人を愛せよと言っていますね。
どうして聖書には正反対のことが書かれているのでしょうか?」
これに対して牧師さんはこういう回答をしました。
「旧約時代の人々は、律法でがんじがらめにされていました。
それを変えてくれたのがイエス様の愛なのです。」

この質問をしたころは、私はほとんど信仰を捨てかけていた時期です。
牧師さんの答えを聞いて、
なんで神とイエスの性格が違うんだろう?と矛盾を感じましたね。

 
> 私はどちらかというと信者をちやほやと甘やかす新約の神の方が嫌いですが。「恵み」「神の愛」 …アレルギー反応が出そうです。

私もです。
それから、パウロの書簡も読んでいて苦笑してしまいます。
バカの一つ覚えみたいにイエスに陶酔していますから。
さらにおかしなことに、キリスト教の重要な教義の多くが、
イエス本人の発言ではなく、パウロの言葉が根拠になっていることです。
これではキリスト教ではなくパウロ教ですね。
2012-09-16 日 22:38:46 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 死刑反対を唱えているクリスチャンたちは、死刑の代替案として終身刑をと言っているのですが、これは死刑よりも残酷な刑です。当たり前のことだと思います。20歳で終身刑になったものは80まで生きるのであれば60年間を日のあたらない塀の中で過ごすことになるのですから。

「生かさず殺さず」とはまさにこのことです。
そして、その60年の生活にかかる費用は私たちの税金が使われることになります。
それとも、終身刑提唱者が費用を払ってくれるとでもいうのでしょうか。


> 死刑を廃止するということは、全ての囚人に社会復帰の機会を与えるということでなくては意味がありません。自分の子が惨殺されたクリスチャンは、その犯人が社会復帰したときにその犯人の再生のために尽力できるのでしょうか、自分が住んでいるマンションの隣の部屋に越して来ても親切に世話をしてやるというのでしょうか、偽善もいいところだと思います。

その通りですね。
そんなに死刑廃止を訴えるのなら、
死刑廃止論者が凶悪犯罪者の面倒を見てほしいものです。
誰もそんな気などないでしょう。
2012-09-16 日 22:48:10 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 聖書は身体刑も肯定している!!
> 死刑と同様か、それ以上に「残虐な刑罰」として嫌悪されているのが、
> 四肢切断をはじめとする身体刑ですが、聖書を読むとそれら身体刑も肯定されているんですよね。
>
> 「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典の丸パクリであるレビ記24章20節は有名ですが、

聖書には実に様々なことが書かれていますから、
その場その場の都合に合わせて好きな聖句を引用すれば、
何でも正当化できてしまうんですよね。
以前も発言したことがありますが、
「汝の隣人を愛せよ」の言葉を引用すればキリスト教を「愛の宗教」として宣伝できますし、
「目には目を、歯には歯を」を引用すれば、
例えば911事件の報復攻撃が正当化されてしまいます。


> 新約聖書でもイエス自らが、こんなことを言っていますし。
> ↓
> 「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。
>  両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。」
> 「もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで
>  地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。」
> 「もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま
>  地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。
> (マルコによる福音書9章43節、45節、47節新共同訳)
>
> しかし、こんなことを言ってるイエス自身が、エルサレムの神殿に入った時には
>
> 「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、
>  両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。」(マルコによる福音書11章 15節)
>
> と暴力をふるっておきながら、その指先の一本すら自ら傷つけることすらなく、
> しかもその翌日にはのうのうと
>
> 「また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
>  そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」 (11章25節)
>
> と「赦し」を説いているのは支離滅裂もいいとこですが。
> だったら神殿の商人たちも「赦し」てやればいいのにと思いますよね?
>

私もイエスのその行動には大きな矛盾を感じるので、
ブログで取り上げたことがあります。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-26.html
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-44.html
この話はご丁寧にも4つの福音書すべてに記されています。
私がこのブログでこの話を取り上げたところ、
「2」の方のコメント欄で


「原則と例外」があると考えれば、まったく矛盾していません。

という、まったく馬鹿げた反論をした人がいます。
都合の悪いことを「例外」にしてしまえば何でもまかり通ってしまいます。
2012-09-18 火 22:26:41 | URL | 桃栗 [編集]
忙しくて、久しぶりに拝見させていただいております。
桃栗さんの意見に、そのとおり!!と、うなずいています。
なんかキリスト教って、ほとんど精神異常というか病気的な宗教って気がします。
まあ~、信じている人には信じているなりの、なんらかの確信みたいなもんがあると思いますけど、現実と向き合って生きている人たちから見ると、なんとアホな宗教なんだろうと思うでしょう。

宗教自体がパウロ教もどき、イエスキリストを前面に出しては、やっていることといえばイエスとは正反対の支配に満ちた説教、マインドコントロールの呪い、自由と開放どころか、身も心も完全に支配される、そういった教えにはうんざりですね。 キリスト教は神を崇拝しているように見えるけど、実際には人間(牧師・神父)を崇拝しているに過ぎないです。
そして、私が感じた「キリスト教で大きな過ち」だと思うことは、牧師や神父が神に成りすましているところだと思います。
聖書を用いさえすれば自分の意見をいくらでも正当化できますから・・・、
賛美を歌って神を讃えるように歌いますが、実際は牧師や神父、ならびクリスチャン自身を讃えていると感じます。
2012-09-23 日 17:04:56 | URL | すすき [編集]
Re: 多くのクリスチャンは、本当は神を信じていない
> 多くのクリスチャンは、本当は神を信じていません。

> 多くのクリスチャンは、実は神など信じてなどいず、人間を信じているのです。つまりヒューマニストです。

その通りです。
口では信じているといいながら、
それはあくまでも信じたつもりになっているだけであって、
本当は信じていないのです。
もし本当に信じているなら、例えば文部科学省に抗議して、
教科書に天地創造の話を載せるように働きかけてもいいはずなのに、
そんなクリスチャンは日本では聞いたことがありません。
ということは、本当は聖書なんて信じていないのです。
2012-09-24 月 22:10:18 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 初めまして
> とても良いブログですね。
> キリスト教の矛盾をついて、ドグマ(教理・教義)の奴隷となった方々を助けてあげてください。
> シルバーバーチをご存知でしょうか?
> メッセージを読まれると元気付けられるかもしれません。
> http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/index.htm
> 体に気をつけて、応援しております。

貴方様のコメントを読み始めた時、
私のブログへの賛同者かと思ったのですが、
何かの宗教の勧誘でしょうか???
残念ながら、キリスト教も含めて「人工的な宗教」は興味がありません。
しかし、ご先祖様を敬ったり、初詣に行ったり、お祭りでお神輿を担ぐなど、
日本古来の「風習」はもっと大切にされてもいいと思います。
2012-09-25 火 22:57:16 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 何を引用しているかと思えば、旧約の律法ではないですか。
> クリスチャンはモーセ五書の613の規定を形式的に守ったりはしません。
> 多くのキリスト教国では、古代オリエントと違い奴隷制もないし、今更贖罪の羊をエルサレム神殿に捧げたりしません。
> イスラエルの超保守派ですらしませんよ、そんなもの。

あなたはこの記事の主旨をわかっていらっしゃいませんね。
「聖書に書かれていることはすべて神の言葉である」と教会では教えています。
それなら、まんべんなく聖書を引用すべきなのに、
実際には一部の都合のいい箇所しか引用されません。
もしかしてあなたは教会に行ったことがないのでしょうか。

この部分が私が言いたいことの結論です。


「結局、私が何度もブログで書いているように、
キリスト教というものは、聖書の中の「都合のいい言葉」だけを抜き出し、
それを都合よく解釈して信仰しているにすぎないのです。
クリスチャンはダーウィンの進化論を否定し、
「聖書に書いてあるから」という理由で天地創造物語を信じていますが、
それなら「聖書に書いてあるから」という理由で死刑を奨励すべきなのに、
そういう話を聞かないのが不思議です。」


創世記を引用するのが良くて、レビ記を引用してはいけない根拠は何ですか?
いつからレビ記に従わなくても良いようになったのですか?
レビ記に従う必要がないなら聖書から削除すればいいでしょう。

それから、ここは匿名掲示板ではないのですから、
今後は「名無し」という言葉は使えないように設定します。
2012-09-30 日 18:48:16 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> なんかキリスト教って、ほとんど精神異常というか病気的な宗教って気がします。
> まあ~、信じている人には信じているなりの、なんらかの確信みたいなもんがあると思いますけど、現実と向き合って生きている人たちから見ると、なんとアホな宗教なんだろうと思うでしょう。

今、過去を振り返ると、あんな宗教を真面目に信じていた自分が恥ずかしいです。

> 宗教自体がパウロ教もどき、イエスキリストを前面に出しては、やっていることといえばイエスとは正反対の支配に満ちた説教、マインドコントロールの呪い、自由と開放どころか、身も心も完全に支配される、そういった教えにはうんざりですね。 キリスト教は神を崇拝しているように見えるけど、実際には人間(牧師・神父)を崇拝しているに過ぎないです。

その通り。
クリスチャンは、聖書やキリストの教えそのものを信じているのではなく、
牧師、神父、教会の教えを信じているのです。
いわゆる正統派と称するキリスト教の世界では、
エホバの証人のことを、聖書を間違って解釈していると批判しています。
私が通っていた教会の牧師さんも、
「彼らは聖書を自分たちに都合のいいように解釈をしている」と言っていましたが、
キリスト教の方こそ、自分たちに都合のいい解釈をしているのです。
そして、都合のいい解釈をした結果、
実に様々な宗派、教派、教会に分裂することとなり、
それぞれが「我こそが正統派キリスト教会」と名乗る。
まったくバカげた話です。
今の私から見ればキリスト教もエホバの証人も同じです。


> そして、私が感じた「キリスト教で大きな過ち」だと思うことは、牧師や神父が神に成りすましているところだと思います。

そして、クリスチャンも、それがまるで神自身の言葉であるかのように聞く。
ここがキリスト教の危険なところですね。


> 聖書を用いさえすれば自分の意見をいくらでも正当化できますから・・・、
> 賛美を歌って神を讃えるように歌いますが、実際は牧師や神父、ならびクリスチャン自身を讃えていると感じます。

その通り。自己満足の世界です。
クリスチャンが「貴方のために祈ります」などと言っていても、
結局は自分自身の満足のために祈っているのです。
2012-09-30 日 19:36:55 | URL | 桃栗 [編集]
罪について
生まれたときから悪だった。と言うことはあり得ないんだ。
善悪は人間が決めている。しかし人間は足で歩いて手で持つと言う自然が決めた法則=自然法があるのも事実だ。力があるからその力(金)で手で歩いて足で持つと言うおかしなことがまかり通る今の世の中、社会が悪いのは紛れも無い事実じゃ。だから、で、弱い者は悪に走る。犯罪は社会と個人の共同作業だ。個人だけを罰して済む話ではない。社会も罪を償わなければならないんだ。
それは例えば被害にあった者に社会はそれなりの賠償金を払わないといけないんだ。2度とそんな犯罪が無いようにする義務もあるんだ」。」
2013-01-02 水 20:12:52 | URL | ウルトラマン **論研究所所長 [編集]
イエスの本来の教えの聖書を無視して現在のキリスト教だろうがエホバの証人だろうがカルト宗教的ですね
神様から政府が人の邪悪な罪を裁くことが許されたなら殺人、強姦など死刑にして裁いても良いという事。犯罪者を出したら社会や政府が責任を取って罪人を裁けと言ってることですね。
神様から与えられた政府が犯罪の被害を受けないために殺人などの罪を人が人を裁けとおっしゃってるのですね

死刑廃止にした理由が恐らく間違ったキリスト教の解釈と殺人犯にも人権があるとほざくキチガイ左翼です。この理屈は強盗、強姦などで理不尽に見ず知らずの人に奪われた被害者の命より殺人犯の人権の方が大事と言ってるようなものです。
過去に十字軍遠征、30年戦争、免罪符などカルト化した独裁、悪いローマ法王が戦争で沢山人殺させたり、金儲けさせたりと間違った方に行った時と同字だと思います

アメリカはプロテスタントですが死刑制度存続している州あります。人権団体が屁理屈こねて死刑廃止にした馬鹿な事し治安悪化し無駄に罪のない人が殺される犯罪が増えたと聞きます。

自分はクリスチャンではないですがキリスト教って死刑制度に対する考えどうなのと疑問に思って調べましたがもともと聖書で死刑肯定だったとは驚きです
2013-07-25 木 12:11:16 | URL | キリスト教って本来死刑肯定派!? [編集]
Re: タイトルなし
> イエスの本来の教えの聖書を無視して現在のキリスト教だろうがエホバの証人だろうがカルト宗教的ですね

結局、キリスト教というものは、
イエスの教えに様々な尾ひれがついて今日のようになってしまったのです。
今イエスが今のキリスト教を見たら、
自分の教えが捻じ曲げられていることに驚くでしょうね。


> 神様から政府が人の邪悪な罪を裁くことが許されたなら殺人、強姦など死刑にして裁いても良いという事。犯罪者を出したら社会や政府が責任を取って罪人を裁けと言ってることですね。
> 神様から与えられた政府が犯罪の被害を受けないために殺人などの罪を人が人を裁けとおっしゃってるのですね

↑そのように発言をすると、決まってクリスチャンからこういう反論があります。
「罪を犯したことがない者だけが人を裁きなさいとイエス様は言っている」
「人を裁けるのは神様だけ」
しかし、実際には信仰熱心なクリスチャンに限って、
キリスト教の教えを振りかざして人を裁きたがるのです。


> 死刑廃止にした理由が恐らく間違ったキリスト教の解釈と殺人犯にも人権があるとほざくキチガイ左翼です。この理屈は強盗、強姦などで理不尽に見ず知らずの人に奪われた被害者の命より殺人犯の人権の方が大事と言ってるようなものです。

私が思うに、クリスチャンが死刑廃止を唱える理由は、
ただ単に「感情の問題」でしかありません。
クリスチャンが、キリストの時代の十字架刑を誰も残酷に思わないのは、
それが遠い遠い昔の話だからです。
その一方で、現代の死刑制度を残酷だと感じるのは不思議ですよね。


> 自分はクリスチャンではないですがキリスト教って死刑制度に対する考えどうなのと疑問に思って調べましたがもともと聖書で死刑肯定だったとは驚きです

その通り。ちゃんと旧約聖書には死刑が肯定されているのです。
そして、イエスもその聖書の教えに則って、
「神を冒涜した」という理由で死刑にされているのです。
その結果、「キリストによる罪の救い」という訳のわからない教えができたのです。
2013-07-29 月 22:15:12 | URL | 桃栗 [編集]
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2017-01-17 火 02:09:40 | | [編集]
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