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桃栗

Author:桃栗
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ライオンに改宗を迫ったクリスチャンとダニエルの話
ブログの常連さんからの書き込みで知ったのですが、
何と台湾でライオンに向かって改宗を迫ったクリスチャンがいるそうです。

以下、それを紹介した記事です。

ライオン園に闖入、男性が噛まれる 2004-11-04  
台北市立動物園で3日、男性(47歳)がライオン園に進入、ライオンに向かって上着を振り、「イエスは貴方を救う」「私を噛め」などと叫んだ。怒った雄ライオンは男性に跳びかかったが、動物園の係員が放水してライオンを男性から離し、麻酔銃を撃って眠らせ、男性を救出した。ネコ科の動物は水を嫌う。男性は宗教的なことを口走っており明らかな躁病状態。男性は断酒するため2ヵ月前に教会に入った。動物園でライオン園に闖入した事件は世界で3件発生したが、何れも信仰に関係がある。旧約聖書に、潔白の人士がライオンの群れのなかでも無事だったとの故事がある。


この記事は、「な~るほど・ザ・台湾」というサイトで、
バックナンバーとして今でも読むことが出来ます。


この記事の中で私がピンと来たのは、
「潔白の人士がライオンの群れのなかでも無事だったとの故事」の部分です。
よくよく過去を思い返してみれば、
ライオンの群れの中に放り込まれた人が神の守りによって無事だったという話を
教会学校で教わった記憶があります。

それは旧約聖書の「ダニエル書6章」に記されています。
ペルシアの王ダレイオスは、3人の大臣を置くことを決定します。
その一人に、信仰心が篤く、王からの絶大な信頼を得ていたダニエルがいました。
ところが、それをねたんだ他の大臣や役人は、
なんとかダニエルを陥れようとたくらみ、
「向こう30日間、王様以外に願い事をした者はライオンの洞窟に投げ込まれる」
という法律をでっち上げ、王様をそそのかして署名させてしまいます。
ダニエルはそれを知りながらも、いつもと変わらず神に祈りを捧げます。
そこでダニエルは法を犯したとして捕らえられてしまいます。
ダレイオス王は、自分が信頼していたダニエルを罰することに心を痛めますが、
一度自分が法律に署名した手前、刑を実行せざるを得なくなり、
ダニエルをライオンの洞窟へ投げ込んでしまいます。
これにより、王は食事も喉を通らず、夜も眠れないほど思い悩みました。
そして翌朝、王が恐る恐る洞窟に行ってみると、
なんとダニエルは神に守られて無事だったのです。

さて、記事の冒頭に書いた台湾のクリスチャンが、
このダニエル書の話を真に受けたのかどうかは知りませんが、
十分有り得ることです。
ほかに、信仰心が篤い人が神に守られた話としては、
ダニエル書3章の、「かまど」に放り込まれて無事だった人の話があり、
これも教会学校で教わったことがあります。

私は、教会で、特に子供を対象にした教会学校で、
聖書に書かれていることはすべて実話だと教わりました。
教会では、こういう類の話を取り上げ、
「神を心から信仰していれば、私たちを守ってくださる」と説きます。

しかし、こんな風に教える行為は大変危険であると言えます。
もしも聖書の話を鵜呑みにしてそれを実行する人がいたら、
教会はどう責任を取ってくれるのでしょうか?
いくら教会側が「私たちはそういう風に教えたつもりはない」
と弁明しても無駄です。
キリスト教の世界では、聖書の記述がすべて実話だとされている以上、
それを真に受けて変な行動に出る人が現れるのは避けられません。

普段は、聖書を真剣に読む人を「信仰心が篤い人」と評するのに、
いざ聖書の記述を真に受けて事件を起こした人に対して
「あの人はカルトだから」と他人扱いするとしたら、
それはあまりにも都合が良すぎます。
ともかく、聖書の記述をすべて実話だと信じるとしたら、
それはあまりにも危険な書物だと言わざるを得ません。

さて、愛するダニエルをライオンの洞窟に投げ入れたがために、
食事が喉を通らず夜も眠れないほど悩んだ心の優しい(?)ダレイオス王は、
その後どうしたかというと、
自分が他の大臣や役人にそそのかされたことを知って激怒し、
その本人たちだけではなく、妻子もろともライオンの洞窟に投げ入れ、
「穴の底にも達しないうちに、獅子(ライオン)は彼らに飛びかかり、
骨までもかみ砕いた(ダニエル書3:25)」
のだそうです。

モーセの十戒には「(人を)殺してはならない(出エジプト記20:13)」とあるのに、
まったく関係ないはずの妻子まで皆殺しにするとは
なんと冷酷で恐ろしい話なのでしょう。
以前も書いたことがありますが、
聖書はまさにサスペンス、ホラー、バイオレンスの世界です。
聖書の記述がすべて間違いも欠点もない「神の言葉」だとするならば、
もしも目の前でまったく同じことが起こったら、
クリスチャンはそれを「神の御業」として賛美できるのかどうか甚だ疑問です。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

旧約聖書の疑問 | 20:38:43 | トラックバック(0) | コメント(11)
コメント
聖書無謬説
聖書が危険な書物というより、教会が「実話である」と主張し続けてきた弊害が現代になって表面化してきているように思います。
そもそも、人間が集まって相談した会議で決定された書物が「一字一句誤りがない」なんて、政治的意図が透けて見えるようです。
元々ユダヤ民族専用だった聖書の語句を、政治のため利用したパウロの罪は重いと思います。
(十戒だって「汝ユダヤ人を殺すなかれ」という意味であって、他民族は虐殺されていたし)

権威失墜を恐れて「パウロが嘘ついてました、ごめんなさい」とはならないんでしょうが、『Religulous』に登場したバチカン神父なんかは、この辺りを暗に認めていると思います。
2012-01-17 火 23:58:01 | URL | 城戸崎 [編集]
Re: 聖書無謬説
> 聖書が危険な書物というより、教会が「実話である」と主張し続けてきた弊害が現代になって表面化してきているように思います。

この現代において、聖書の記述が実話だと主張するには無理があります。
しかし、子供は素直で純真ですから、
例えばサンタクロースの存在を信じたりしますよね。
教会学校というものは、
子供が何でも素直に言うことを聞く習性を利用しているように思えてきます。


> そもそも、人間が集まって相談した会議で決定された書物が「一字一句誤りがない」なんて、政治的意図が透けて見えるようです。
> 元々ユダヤ民族専用だった聖書の語句を、政治のため利用したパウロの罪は重いと思います。
> (十戒だって「汝ユダヤ人を殺すなかれ」という意味であって、他民族は虐殺されていたし)

私も違う意味でパウロの罪は重いと思います。
結局はキリスト教の教義というものは、
イエス本人が教えたことよりも、
パウロがそれを都合よく作り変えてしまった影響の方が強いです。


> 権威失墜を恐れて「パウロが嘘ついてました、ごめんなさい」とはならないんでしょうが、『Religulous』に登場したバチカン神父なんかは、この辺りを暗に認めていると思います。

ごめんなさい。
ブログで紹介した本人が実はまだちゃんと見ていません。
日本語字幕つきで公式に公開して欲しいですね。
できれば教会で(笑)。
2012-01-22 日 18:37:34 | URL | 桃栗 [編集]
教会は倒錯したコミュニティー
まだ教会に行っていた頃、ゲストで来た牧師が「子供が学校に行くようになると、理科(特に生物や地球科学)や社会科(特に歴史)で信仰の妨げとなることを授業で教わるようになるので、就学期の子供のいる家庭は、子供が学校で教わっていることをよくモニターしなければいけない。」という趣旨のことを言っていました。私は、その「信仰の妨げとなること」に興味があったのと同時にマインドコントロールもされていたで、この牧師の言葉を聞いて動揺しました。
おとぎ話を「永遠の真理」と教え、人類の英知を「神ではなく人間の作ったもの」として軽く見るように仕向けるのがキリスト教の教会です。こんな倒錯したところで青年期まで過ごすと将来の選択を誤ってしまうことになります。
2012-01-22 日 21:41:03 | URL | 巨大虎猫 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-01-22 日 22:43:51 | | [編集]
Re: 教会は倒錯したコミュニティー
> まだ教会に行っていた頃、ゲストで来た牧師が「子供が学校に行くようになると、理科(特に生物や地球科学)や社会科(特に歴史)で信仰の妨げとなることを授業で教わるようになるので、就学期の子供のいる家庭は、子供が学校で教わっていることをよくモニターしなければいけない。」という趣旨のことを言っていました。私は、その「信仰の妨げとなること」に興味があったのと同時にマインドコントロールもされていたで、この牧師の言葉を聞いて動揺しました。

私の通っていた教会ではさすがにそこまでは言われませんでしたが、
「科学者は人間はサルから進化したと言っていますが、それはウソです。
人間は最初から神に似せて今の姿で造られたのです」と教わり、
それが永遠の真理だと信じていましたので、
中学校に上がった頃から教科書とのギャップに混乱しました。
大人になってからキリスト教に出会った人はそういう体験がないですから、
クリスチャン・ホームで育った子供が
学校生活で現実の世界に戸惑う気持ちなんて分からないかも知れません。


> おとぎ話を「永遠の真理」と教え、人類の英知を「神ではなく人間の作ったもの」として軽く見るように仕向けるのがキリスト教の教会です。こんな倒錯したところで青年期まで過ごすと将来の選択を誤ってしまうことになります。

私は神の罰を恐れてバカ正直に生きようとして
人生を無駄にしたような気がします。
2012-01-29 日 20:35:11 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 聖書無謬説
>> 権威失墜を恐れて「パウロが嘘ついてました、ごめんなさい」とは
>> ならないんでしょうが、『Religulous』に登場したバチカン神父
>> なんかは、この辺りを暗に認めていると思います。

> ごめんなさい。
> ブログで紹介した本人が実はまだちゃんと見ていません。
> 日本語字幕つきで公式に公開して欲しいですね。
> できれば教会で(笑)。

ええっ、まだちゃんと見てない???・・・ダメじゃん(^^);;

という私も、あの映画の字幕なしの英語の会話は容易に理解できません。
ただ、私がそのブログ記事へのコメントで、
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-129.html#comment1970

その映画の英語のセリフが読めるWebサイトを御紹介しました。それと
辞書の助けを借りると、私でもある程度は理解できます。
http://www.script-o-rama.com/movie_scripts/r/religulous-script-transcript-bill-maher.html

城戸崎さんのコメントを私が勝手に推測すると、バチカン観測所
(天文台)の天文学者であるGeorge Coyne神父の次の発言のあたりを
指しておられるように思います。Coyne神父はバチカン観測所の所長
であったことがあり、インテリジェントデザイン説の批判者です。

The Christian Scriptures were written between about 2,000 years
before Christ to about 200 years after Christ. That's it.
Modern science came to be with Galileo up through Newton, up
through Einstein. What we know as modern science, okay,
is in that period. How in the world could there be any science
in scripture? There cannot be. Just the two historical periods
are separated by so much. The Scriptures are not teaching science.
It's very hard for me to accept, not just a literal interpretation
of scripture, but a fundamentalist approach to religious belief.
It's kind of a plague. It presents itself as science and it's not.

(拙訳)
キリスト教の聖書は紀元前2000年ころから紀元後200年ころまでの間に
書かれました。まさにそうです。近代科学は、ガリレオからニュートン
まで、アインシュタインまでとともに生まれました。私たちが近代科学
として知っているものは、いいですね、その時代にあるのです。一体
どのように、科学が聖書の中に存在できたでしょう。存在できません。
2つの時代はそれほど遠く分かれています。聖書は科学を教えていませ
ん。私には、聖書の文字通りの解釈だけでなく、宗教的信念への原理
主義的アプローチは、非常に受け入れがたいものです。それは疫病の
一種です。それはそれ自身を科学として示していて、そうではないの
です。
2012-01-29 日 23:46:31 | URL | AC [編集]
ダニエルの話
>「神を心から信仰していれば、私たちを守ってくださる」と説きます。
>しかし、こんな風に教える行為は大変危険であると言えます。

もし「神を信仰していれば,無条件で神が危険から保護する」と断定するような
教え方をするならば,そもそも聖書と調和していないですよね。たとえば
「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。(ルカ 4:12)
(神殿の建物から飛び降りるという行為はしなかった)
たしかに,宗教に関して,教える者の責任は重いですね。

あと,ダニエルとライオンの洞窟の件ですが,ダニエルは自分の意思で洞窟に
入ったのではないですよね。

それから,ダレイオス王がなぜ大臣たちをライオンの中に投げ込んだのかについて,
必ずしも,そそのかされたことに怒ったからとは限らないですね。
やっぱり,王としては,権力を悪用して潔白な人を殺そうとした行為の非道さに
憤ったんでしょうね。王の発言を見ると「神はあなたを救ってくれたか」と言って
いるし,ダニエルの返事も「わたしに罪のないことが、神の前に認められたから」,
「王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」。といってますね。

もひとつ,妻子までライオンの中に投げ入れたことですが,それはダレイオス王が
決めたことですよね。もし妻子にダニエル殺害の陰謀の責任がないとすれば,重大な
不公正ということになりますが,当時の国の法律がどうなっていたんでしょうか。しかし,
妻子らに責任がなかったとすれば,この結果を,ダニエル自身も悲しんだんじゃないでしょうか。
2012-01-31 火 12:30:31 | URL | 読人 [編集]
Re: Re: 聖書無謬説
> > ごめんなさい。
> > ブログで紹介した本人が実はまだちゃんと見ていません。
> > 日本語字幕つきで公式に公開して欲しいですね。
> > できれば教会で(笑)。
>
> ええっ、まだちゃんと見てない???・・・ダメじゃん(^^);;

実はその後、非公開でコメントを下さった方がいて、
某動画サイトで非公式に日本語字幕付きでアップされているそうです。
ただ、観るのにはアカウントが必要らしいので、
後日アカウントを取得してからじっくり観たいと思います。
それにしても、余談ですが、ここ5,6年はまったくテレビを観ていません。
少なくとも10年以上、ビデオやDVDも借りたことがなく、
映画館にも行ったことがありません。
なんだか生活がせかせかしてしまって、
じっと座って何かを観るという習慣がなくなってしまいました。


>
> という私も、あの映画の字幕なしの英語の会話は容易に理解できません。
> ただ、私がそのブログ記事へのコメントで、
> http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-129.html#comment1970
>
> その映画の英語のセリフが読めるWebサイトを御紹介しました。それと
> 辞書の助けを借りると、私でもある程度は理解できます。
> http://www.script-o-rama.com/movie_scripts/r/religulous-script-transcript-bill-maher.html

ありがとうございます。
私がYOUTUBEの動画を見ていて分からなかった箇所が、
ああ、そういうことを言っていたんだなあと納得しました。
英語って、漠然と聞いていると何を言っているか分からなくても、
セリフをみたら案外簡単なことを言っていることが多く、
ヒアリングって難しいなあとつくづく思います。
2012-02-05 日 21:44:11 | URL | 桃栗 [編集]
Re: ダニエルの話
> もし「神を信仰していれば,無条件で神が危険から保護する」と断定するような
> 教え方をするならば,そもそも聖書と調和していないですよね。

教会では聖書の話が実話であると教えているのが現状です。
どちらかというと、子供向けの教会学校の方がその傾向が強かったと思います。
子供の気を引くために講師達もつい大げさに話したくなるのでしょう。


> たとえば
> 「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。(ルカ 4:12)
> (神殿の建物から飛び降りるという行為はしなかった)

これも何度も教わり、十分承知していました。
しかし、私は教会で教わる話をすべて真に受けていた結果、
「神は必ず私(たち)を守ってくださる」と信じる一方で、
「神を試してはならない、神の力を当てにしてはならない」
という教えの間でジレンマに陥ってしまい、
どうしていいか分からず頭の中で身動きが取れなることがたびたびありました。


> たしかに,宗教に関して,教える者の責任は重いですね。

そのとおり。
だから責任を取ってもらいたいものですね。


> 妻子らに責任がなかったとすれば,この結果を,ダニエル自身も悲しんだんじゃないでしょうか。

私も、このことを記事の中に加えるつもりでしたが、
長くなるために割愛しました。
なお、カインとアベルの話や、ノアの箱舟でも同じことを考えました。
神に冷たくあしらわれたカインを、善良な?アベルはどう思っていたのでしょう?
自分と家族以外の全人類が洪水で滅ぼされるとノアが知ったとき、
多くの純真な子供や小さな赤ん坊たちまでが滅ぼされることを、
「無垢な人(創世記6:9)」であったノアはどう思っていたのでしょうか。
2012-02-07 火 22:48:47 | URL | 桃栗 [編集]
神を試してはならない?
>>桃栗さま
横から失礼します。

>しかし、私は教会で教わる話をすべて真に受けていた結果、
>「神は必ず私(たち)を守ってくださる」と信じる一方で、
>「神を試してはならない、神の力を当てにしてはならない」
>という教えの間でジレンマに陥ってしまい、
>どうしていいか分からず頭の中で身動きが取れなることがたびたびありました。

そうやった悩んだ人が出す結論として、
「自分で出来ることは精いっぱいやろう。けれども自分が最大限努力し、それでも
 助けが必要な時ならば、きっと神様は助けてくださる」
というのがよくありますよね。

しかし、人間は遅かれ早かれ、「どんなに苦しい状況に陥っても、神様は助けてなどくれない」
という現実を思い知ることになります。
その現実に傷つき、牧師や神父、先輩クリスチャンといった指導者に
「なぜ神は助けてくれなかったのか?」という疑問をぶつけたところ、
「あなたの信仰が足りなかったから」「あなたが本気で神を求めていなかったから」
「あなたに神を試す気持ちがあったから」などと自分を否定することを言われ、
二重三重に傷つくことになってしまった…。というお話は枚挙にいとまがありませんよね。

どれほどの純真な人の心が、そうした言葉によって深く傷ついてきたことか…。と思うと、
キリスト教に対して非常に怒りがこみ上げてきます。

それと、「神の力を当てにしてはならない」は「他者を当てにする前に自分で努力しよう」
という一般的道徳として理解できますが、「神を試してはならない」というのは、
なぜそうしてはならないのか、私には理解できません。

だって、「言われていること、書いてあること」が本当か間違いか、
「神(の使い)」を自称する人が本物か、それともただ神の名を騙っているだけにすぎないのか、
「試す」以外に見分ける方法があるというのでしょうか?
そこで「神を試してはならない」などと言われたら、宗教の指導者が
どんな荒唐無稽なことを言っても、それが本当か確かめることさえできません。
それではこの世は「神の名を騙る詐欺師」の天国になってしまいますし、
実際にそうなっているとしか思えない場面が度々ありますよね?

試されようとしている者が、もし本当に「全知全能の神」だというなら、
イエスを試そうとしたファリサイ人に対してイエスが見事な答えを返して鼻を明かしたように、
何千回何万回試されようが見事に結果を出し、試そうとした者の度肝を抜いてやればいいのに。

結局、宗教者=権力者だった古代の権力者が
『王様は神(の使い)というけど、王様は不思議な力なんて全然起こせないし、
 王様の言うことも全然本当にならない。もしかして神様なんていなくて、王様だって
 我々と同じただの人間に過ぎないんじゃないか?』
という考えが広まるのを恐れて、「神を試してはならない」などという教えを作り出したのではないのか?
と私は思ってしまいます。桃栗さまはどう思われますか?
2012-10-07 日 02:56:07 | URL | ササキエル。 [編集]
Re: 神を試してはならない?
> そうやった悩んだ人が出す結論として、
> 「自分で出来ることは精いっぱいやろう。けれども自分が最大限努力し、それでも
>  助けが必要な時ならば、きっと神様は助けてくださる」
> というのがよくありますよね。

しかし、人間は遅かれ早かれ、「どんなに苦しい状況に陥っても、神様は助けてなどくれない」
> という現実を思い知ることになります。
> その現実に傷つき、牧師や神父、先輩クリスチャンといった指導者に
> 「なぜ神は助けてくれなかったのか?」という疑問をぶつけたところ、
> 「あなたの信仰が足りなかったから」「あなたが本気で神を求めていなかったから」
> 「あなたに神を試す気持ちがあったから」などと自分を否定することを言われ、
> 二重三重に傷つくことになってしまった…。というお話は枚挙にいとまがありませんよね。

以前、教会に消火器が投げ込まれる事件が多発しましたよね。
あの犯人もそのパターンだったのではないかと思います。
どうも「神に裏切られた」と思ったのがその動機のようですし。


> それと、「神の力を当てにしてはならない」は「他者を当てにする前に自分で努力しよう」
> という一般的道徳として理解できますが、「神を試してはならない」というのは、
> なぜそうしてはならないのか、私には理解できません。

その根拠はマタイ4章7節、ルカ4章12節にあります。
そこにはサタンがイエスを誘惑しようと試みる様子が描かれているのですが、
「お前が神の子なら、こういうことができるはずだ」と、けしかけるサタンに対し、
「神を試してはならない」とイエスは言い放ちます。
それがキリスト教の世界で「神を試してはならない」と言われる根拠です。


> だって、「言われていること、書いてあること」が本当か間違いか、
> 「神(の使い)」を自称する人が本物か、それともただ神の名を騙っているだけにすぎないのか、
> 「試す」以外に見分ける方法があるというのでしょうか?

まさにこれですね。
「神を試してはならない」と言われてしまっては、
本当に神がいるのかどうかを確かめるすべがありません。


> 結局、宗教者=権力者だった古代の権力者が
> 『王様は神(の使い)というけど、王様は不思議な力なんて全然起こせないし、
>  王様の言うことも全然本当にならない。もしかして神様なんていなくて、王様だって
>  我々と同じただの人間に過ぎないんじゃないか?』
> という考えが広まるのを恐れて、「神を試してはならない」などという教えを作り出したのではないのか?
> と私は思ってしまいます。桃栗さまはどう思われますか?

私がたびたびブログで発言しているように、キリスト教というものは、
聖書の中の都合のいい聖句だけを都合よく取り上げて信じています。
上に挙げたイエスがサタンに言った言葉と、
ササキエルさんのおっしゃるような考えが都合よくマッチしたんじゃないでしょうか。

なお、ネットで検索して知ったのですが、
旧約聖書のマラキ書3章10節には「わたし(神)を試してみよ」という言葉があります。
その直後に「必ず、わたし(神)はあなたたちのために~祝福~云々」と続きます。
しかし、現実にはそんなことなんて起こりっこないですよね。
だからマラキ書の言葉は都合が悪く、イエスの言葉の方が都合がいいのでしょうね。
2012-10-08 月 22:32:54 | URL | 桃栗 [編集]
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