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桃栗

Author:桃栗
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自信過剰なクリスチャン
私がクリスチャンだったころ、
私の身近なところでとあるクリスチャンが不治の病で亡くなったことがあります。
そのことを、あるクリスチャン女性がこんな風に言っていました。

「○○さんが亡くなったのは、あまり信仰が強くなかったからだ。
だから、神様はもうこの人はこの世に必要ないと判断して
命を取ってしまわれたんだ。」

要するに、その人が不治の病になったのは信仰が足りなかったからだと言うわけです。
当時私は神の存在を信じていましたから、
「ああ、信仰が弱いとこうやって神に罰を与えられるんだなあ」と、
ささやかながらも恐怖心すら覚えました。


以前、私の知人のクリスチャン2世が自殺した話を書きましたが、
何のことはない、その自殺した人の「母親」がそのクリスチャン女性なのです。
自分は、他人が亡くなったことを信仰の弱さのせいにしたくせに、
そう言った張本人が子供を自殺で失っているのです。
まったく大バカとしか言いようがありません。
結局、その女性の信仰はその程度のものでしかなかったのです。

さて、私のブログに訪れるクリスチャンに全般に言えることですが、
どうも自分の信仰に自信があるクリスチャンに限って、
やれ「あなたは本気で神を求めていない」だの「聖書を正しく読めていない」だの、
非信者に対して「上から目線」の人が多いと思いませんか?
イエス・キリストが非難したのは、
パリサイ人や律法学者のように、
まさに聖書の教えを振りかざす人々ではありませんか。
ところが、信仰に自信がある人に限ってパリサイ人になってしまっています。
違いますか?
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

クリスチャンの独善性 | 22:25:08 | トラックバック(0) | コメント(27)
コメント
確かに
パウロは誇るなら自分の弱さを誇る、そこに神様が働いてくれるからだ、と言いました。
だから自分の信仰は素晴らしいとか自画自賛するのは聖書的ではないでしょう。

キリストもゲッセマネで「杯を退けて下さい(神様に従えない)」と祈ったのは、信仰的に弱さを覚えたからでしょう。

自分の信仰を賞賛する人、いったいどの部分の信仰が称賛に値するのか聞いてみたいです。謙虚に聖書に向き合うならば、信仰の葛藤を常に覚えるはずです。だから励まし慰め合うために教会が存在する。

でも桃栗さんも、子供を失った母親をバカよばわりするのは、良いとは思えません。一番苦しんでいるのは彼女ではないでしょうか?

彼女に優しい慰めの言葉をかければ、きっとあなた自身のためにもなると思います。
2011-11-23 水 21:49:09 | URL | トチ [編集]
大笑いしました♪
>「聖書を正しく読めていない」だの、
>非信者に対して「上から目線」の人が多いと思いませんか?

大笑いですわ(大笑)
ご都合主義の固まりの「教会の勝手な解釈の教義」に、
振り回されてるだけの連中が(笑)
2011-11-24 木 19:31:07 | URL | カエル [編集]
Re: ガキながら疑っていました。
>  僕がガキの頃通っていたペンテコステ派の教会で子供の礼拝を仕切っていた人が、NHKだかどこかのテレビ局の女性アナウンサーがキリスト教を冒とくしていて、突然死したのは神様からの罰だと言っていました。
>  ガキながらに、そんなことで簡単に人が死ぬのかが疑問でした。

私はペンテコステ派の教会の礼拝に何度か参加したことがあるのですが、
いやにハイテンションな雰囲気とその異様なお祈りのスタイルに戸惑いました。
最初は、なんて信仰熱心な人たちなのだろうと思っていましたが、
全員が起立してうめき声や悲鳴など大声で奇声を発しながら祈るのを見たとき、
「信仰熱心」とはこういうことを言うものなのか、
また私の通っていた静かな教会の信仰が弱いのか、と戸惑いを感じました。
さらに、ある中年女性のクリスチャンは
「すぐ近所に別の教会があるけど、あそこは信仰が強くないのよ」と言っていました。
どうも信仰熱心(だと本人が思っている)な人に限って、
他人や他の教会を見下す傾向がありますね。


>  それから、何かのはずみで、「僕がおじいさんになった時にも」とある女性の教師に話したら、「沢野君がおじいさんになるころまで、この世はないから」(つまりネ申が再臨することだそうです)。
>  ガキだったから、ドラえもんをよく見ていたためか、
> 「お前、絶対にそこの頃まで世の中続いていないのだな?ドラえもんのタイムマシーンに乗ってみた来たのだな??」
> と心の中で思いました。もし僕が日野原医師ぐらいの年まで生きたら、こいつは「天国」でどう思うのでしょうか??(嗤)

そんなことを言うなんて、
「世の終わりは近い 聖書」という看板を貼っているあのカルト団体と同じですよね。
確かに、遠い将来、例えば何千年後かに、
本当に人間の生命が脅かされる危機に遭遇するかもしれません。
するとクリスチャンは「ほら、聖書の預言が当たったじゃないか」と必ず言うでしょう。
それに対し、「”近い”と書いてあるのに何千年も経っているのだから預言とは関係ない」
と非クリスチャンが反論したとしたら、
クリスチャンはきっとこのように言い訳するはずです。


「”近い”というのは神から見た時間である。
全知全能の神は時間を超越したお方だから、神には時間がない。」


こうやって、その場その場で聖書の言葉を「都合よく」解釈して
今日までキリスト教は生き延びてきたのです。
2011-11-25 金 20:48:23 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 確かに
> でも桃栗さんも、子供を失った母親をバカよばわりするのは、良いとは思えません。一番苦しんでいるのは彼女ではないでしょうか?
>
> 彼女に優しい慰めの言葉をかければ、きっとあなた自身のためにもなると思います。

私は、個人を特定されるようなことはなるべく書きたくないため、
ここに紹介した話はほんの一部分です。
その真相を知ったらあなたもそんなきれい事を言っていられないと思います。
その方は私と同じ教会に通っていた方でしたが、
何かと性格に問題のある方でした。
例えば、事故で重い障害を負った人に対して
「事故に遭ったのは自業自得だ」とはっきり言ったそうです。
言われた本人が、大変不愉快な気分だったと私に話してくれました。
このように、クリスチャンでありながら障害者に平気でそんなことを言う人です。
なぜ神様もイエス様もそんな性格のゆがんだ女を生かしているのでしょうね。
それこそ、子供を自殺に追いやった本人こそ自業自得です。
母親の偏ったキリスト教教育が子供を自殺に追い込んだとしか思えません。

また、子供にキリスト教を強要した母親自身が自殺したケースもあります。
http://sokudokuhikky.blog103.fc2.com/blog-entry-1701.html
そして、そのクリスチャン・ホームに育ったブログ管理人は
ゲイで引きこもりになったというこの現実。
神様もイエス様も何をしているのでしょうね。
2011-11-25 金 21:00:57 | URL | 桃栗 [編集]
久しぶりにコメントいたします。


私は未信者の身分で日本キリスト教団と福音派の教会に最近よく行ってますが、日キの教会で福音派の雰囲気とかを話すと熱心な教会員に嫌な顔をされ、福音派の方でも同じように日キのことは引かれます。


また未信者の私の意見は、聖書の学びの会では劣ったものとされて、牧師から求められて答えても、お前は信仰がないからという感じで私が悪いように「裁かれ」ます。

また聖書の学びの会では、教会員のクリスチャンも意見を言いますが、日常の信仰の話題になると、未信者の私の立場は無視で、牧師と分からない話を進めます。
当然その話についていけない私は、時々どういうことか聞いても「お前は未信者だから」という感じでそっけなくあしらわれます。


この雰囲気は福音派の聖書の学びの会でも同じです。


教会は完全に教会員で村社会化してると思います。

それも、自分たちは神から選ばれた「信仰の悩みを共有できる?」人間という意味が分からない選民意識で固まってます。
2011-11-26 土 13:16:32 | URL | 未信者 [編集]
ヨブ記
>>桃栗さま
聖書には「信仰薄い人間が罰として不幸に遭う」という話が多数ある一方で、
ヨブ記のように「信仰篤い人間が、試練として不幸に遭う」という話もありますから。
この女性も自分が不幸に遭ったら、今まで自分が何言ってたかも忘れて
「これは神が信仰篤い私に与えた試練なのだ!!」
などと言いだすのしょうかね。

蛇足ですが、ヨブ記に出てくるヨブという人物が、私には
「人間性を喪失した、薄気味悪い人間」としか思えないんですよね。
財産はともかく、子供を全て失ってさえ、
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。(01:20新共同訳)」
で済ませているのですから。
しかも、24時間人間を監視している神がその後、
「彼はどこまでも無垢だ。(02:03)」と言ったからには、ヨブは一瞬の隙もなく
その態度を貫き通したことになります。

もしあの世でヨブの子供たちが、こんな父の態度を見ていたら、
「父さんは私たちを愛していなかったのか!?」と憤慨しなかったのでしょうか。

私にはむしろ、その後皮膚病に罹ったヨブが神を呪った場面の方が、
「ああ、彼は完全に人間性を失ってはいなかったのだ」
と、ほっとした気持ちになりました。

「子供を全て失った親が、悲しんで理不尽な運命を与えた神を呪う気持ち」という
当然の人間性ですら「罪」とみなす神と、そのような人間性を圧殺してしまえるヨブ。
天国とはそのような神が支配し、 そのような人間がひしめいている場所なのでしょうか。
私は天国行きなどとうに諦めていますが、もし天国がそんな場所なら、
私はそんな場所に行きたくなどありません。
2011-11-27 日 12:40:21 | URL | ササキエル。 [編集]
信仰が確かなものであれば、必ず神が導いてくれますj。

ルカ5章5~7節をお読みください。

主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる
(詩篇145 8節)
2011-11-29 火 21:15:59 | URL | ヨシュア [編集]
Re: 大笑いしました♪
> >「聖書を正しく読めていない」だの、
> >非信者に対して「上から目線」の人が多いと思いませんか?
>
> 大笑いですわ(大笑)
> ご都合主義の固まりの「教会の勝手な解釈の教義」に、
> 振り回されてるだけの連中が(笑)

そして、その教義を振りかざして他人を振り回そうとするクリスチャンの何と多いこと。
このブログにも、私が聖書を正しく読めていないと指摘するクリスチャンが多いですが、
そういうクリスチャンのほうこそ聖書をちゃんと読んでいません。
去年の暮れに書きましたが、
クリスチャンが信じているキリスト誕生物語が正しいのかどうか、
ちゃんと聖書を読んで確かめてほしいものですね。
2011-11-29 火 23:42:08 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 私は未信者の身分で日本キリスト教団と福音派の教会に最近よく行ってますが、日キの教会で福音派の雰囲気とかを話すと熱心な教会員に嫌な顔をされ、福音派の方でも同じように日キのことは引かれます。

私もクリスチャン時代からまったく同じことを感じていました。
穏やかな雰囲気の教会は派手な雰囲気の教会を嫌い、
派手な教会は穏やかな教会を「信仰が弱い」と見るのです。
そして、他教派の教会とは積極的に交流しようとしません。
それどころか自分たちの教会の至近距離にあってもまったく噂にすらなりません。
どうも教会内では他教派の教会の話題がタブーであるかのような雰囲気があります。
民主党の小沢さんが「キリスト教は排他的」と言っていましたが、
不思議なことに、まったくの他宗教に対してよりも、
むしろキリスト教の他宗派に対する排他性の方が強いように思えます。


> また未信者の私の意見は、聖書の学びの会では劣ったものとされて、牧師から求められて答えても、お前は信仰がないからという感じで私が悪いように「裁かれ」ます。
>
> また聖書の学びの会では、教会員のクリスチャンも意見を言いますが、日常の信仰の話題になると、未信者の私の立場は無視で、牧師と分からない話を進めます。
> 当然その話についていけない私は、時々どういうことか聞いても「お前は未信者だから」という感じでそっけなくあしらわれます。
>
> この雰囲気は福音派の聖書の学びの会でも同じです。

まるでその光景が目に浮かぶようです。
皆さん、口調は優しく、言葉遣いも丁寧で、教会の雰囲気も平穏なのでしょうね。
しかし、結局は信仰のない者を無意識のうちに見下すのです。
クリスチャンにとって、キリスト教を信じる方が「正常」なのであって、
信じないのは愚かなことに見えるのでしょう。


> 教会は完全に教会員で村社会化してると思います。
>
> それも、自分たちは神から選ばれた「信仰の悩みを共有できる?」人間という意味が分からない選民意識で固まってます。

そもそも、キリスト教の前身であるユダヤ教が
イスラエル人の「選民思想」から来ていますから、
やはり日本のクリスチャンもそれを受け継いでいるのでしょうね。
2011-12-01 木 23:09:22 | URL | 桃栗 [編集]
教会でいうキリスト教の極意とは
結局キリスト教の極意は、
キリスト教信者以外、地獄に堕ちて死ね。
ってことなのだろうと思う。

キリスト教信者になっても、献金や奉仕の差で優劣を付けて、
「信仰が弱い」だのと・・・
そんなに神を喜ばしたいのだろうか?
教会が喜ぶだけにしか見えないけど・・・

教会での「差」を、未信者にぶつけているのかも?

バカバカしい。

目の前の人を笑顔にする方が、
自分は嬉しいですけど(笑)
2011-12-08 木 12:44:18 | URL | カエル [編集]
Re: ヨブ記
> >>桃栗さま
> 聖書には「信仰薄い人間が罰として不幸に遭う」という話が多数ある一方で、
> ヨブ記のように「信仰篤い人間が、試練として不幸に遭う」という話もありますから。
> この女性も自分が不幸に遭ったら、今まで自分が何言ってたかも忘れて
> 「これは神が信仰篤い私に与えた試練なのだ!!」
> などと言いだすのしょうかね。

まったくもってその通りです。
キリスト教はその場その場の都合で
災難を不信仰のせいにして非難したり、「神が与えた試練」だとして美化するのです。
例の震災にしても、「被災者でないクリスチャン」は「神からの警告」として非難し、
むしろ被災者のクリスチャンの方が神の愛を強く信じていたりして、
同じ宗教なのにその立場によって解釈がてんでんばらばらなのです。

「神」の名を出すとなんでもかんでも正当化できますから便利な宗教です。
キリスト教が世界中に広まったのは、
その「都合良さ」があったからなのではないかと思えます。


> 蛇足ですが、ヨブ記に出てくるヨブという人物が、私には
> 「人間性を喪失した、薄気味悪い人間」としか思えないんですよね。
> 財産はともかく、子供を全て失ってさえ、
> 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
> 主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。(01:20新共同訳)」
> で済ませているのですから。
> しかも、24時間人間を監視している神がその後、
> 「彼はどこまでも無垢だ。(02:03)」と言ったからには、ヨブは一瞬の隙もなく
> その態度を貫き通したことになります。

私はヨブの話はすっかり忘れていました。
改めてヨブ記を読んでみましたが、
そういえば教会でそういう話を教わったなあという記憶がかすかにあります。
クリスチャンがどんなに苦境にあっても、
決して神を呪わないで信仰を守れるのは、
ヨブの話を潜在意識の中に刷り込まれているからなのでしょうね。

それにしても、信仰を完全に捨てた現在、ヨブ記を読んでみると、
神とサタンが対話していたりして、
なんだかおとぎ話か絵本の世界にしか見えませんね。
2011-12-11 日 21:12:06 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 信仰が確かなものであれば、必ず神が導いてくれますj。
>
> ルカ5章5~7節をお読みください。

その前にページ左上のプロフィールをお読みください。

「記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。」

貴方の信じている神は、プロフィールを読むように導いて下さらなかったのしょうか?
2011-12-14 水 22:54:50 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 教会でいうキリスト教の極意とは
> 結局キリスト教の極意は、
> キリスト教信者以外、地獄に堕ちて死ね。
> ってことなのだろうと思う。

「キリスト以外に救いはない」というのが教義ですからね。
裏を返せば非クリスチャンはすべて地獄行きということになります。

しかし、日本のクリスチャンで、身内、知人、友人、隣近所、同僚、など、
日常的に接する人がすべてクリスチャンという人はほとんどいないでしょう。
とうことは、そういう身近にいる非クリスチャンたちは地獄へ落ちる運命にあるはずですが、
信仰熱心なクリスチャンはそういう天国に行けない人たちが心配にならないのでしょうか?
クリスチャン同士の世界では、信仰に優劣を付けたがるのに、
まったく信仰していない人に対しては無関心なのも不思議ですね。
2011-12-18 日 15:04:17 | URL | 桃栗 [編集]
吟味
>「神」の名を出すとなんでもかんでも正当化できますから便利な宗教です。
キリスト教が世界中に広まったのは、
その「都合良さ」があったからなのではないかと思えます。

『「神」の名を出すとなんでもかんでも正当化』できるのは、
キリスト教に限った事ではありません。概ねどの宗教も同じです。
それどころか、政治の世界でも、科学の世界ですら「権威」を笠に着て
「都合良く」事を運ぶのが人間です。
政治には「大義名分」があり、科学にさえ「神話」がある。
だから、この分析は今一つですね。

『キリスト教が世界中に広まったのは、
その「都合良さ」が(最初から)あったから』ではなく、
各時代の権力者が「都合良く」「キリスト教」を作り上げていった
からです。
こちらも、今一つ。

論理的に「キリスト教」を批判したいのなら、
ご自身が論理的かどうか、まず吟味なさっては?
2011-12-29 木 07:01:50 | URL | ハマルティア [編集]
キリスト教を知れば知るほど残念な気持ちになってきた私ですが、

つい先日、アーミッシュ・グレース(アーミッシュ学校銃乱射事件についての本をアメリカでTV映画化したやつ)を観たんです。私はアーミッシュの存在も事件があったことも知っていましたが、事件後の彼らの行動については知りませんでした。

なぜ、この映画のことをここで語っているのかと言うと、信仰深い人ほど自信過剰(傲慢)になりがちだという桃栗さんの主張に賛同もしているからです。中絶や安楽死反対運動、捕鯨反対論者に強固なキリスト教徒を沢山見てきたからです。彼らの共通点は常に自分が正しいと信じ、神と共に生きていると信じている人達です。そして桃栗さんやここの人達が指摘するように、聖書を好き勝手に利用し、理解したつもりでいる人達です。私も桃栗さんと同様に考えてきました。その一方で、アーミッシュだけはちょっと違うんじゃないかと考えていました。そしてこの映画を見て確信に変わったんです。

銃乱射事件後の彼らの行動を知ると、元クリスチャンの桃栗さんにも、桃栗さんを批判するクリスチャンにもこの事件の結末を知ってほしいと考えたからです。

現在でも19世紀の生活スタイルを守っているアーミッシュの学校で、神を恨んでいる男(普通の白人クリスチャン)がアーミッシュの子供に向けて銃を乱射。そして自殺。ここまでは日本のニュースでも報道されたので、知っている人もいると思います。

私が知ってほしいのは、被害者であるアーミッシュの人達が加害者家族にしたことです。事件直後、娘を失った父親は犯人家族の家に行き犯人を赦すと家族に伝えます。そして、残された犯人の家族を助けたいと。子供を殺された母親の一人は犯人を赦せずに家族との亀裂が入り・・・・話を全て語ると長すぎるので、最終的に赦せなかった母親も犯人を赦します。犯人の葬儀にアーミッシュの人達も参列し、事件から半年後に完成した新しい校舎の開校式に加害者家族も参加します。

この事件の被害者であるアーミッシュの人達は本当に信仰深い人達です。ですが、そこに傲慢さや、選民意識は感じられません。アーミッシュはキリスト教徒ですが、キリスト教徒全体からみれば0.01%以下?の数だと思います。だから彼らの存在を無視して、キリスト教を語ってもいいと思います。しかし、彼らの行動、考え方は、私にとって本当にショックでした。なぜなら、私はキリスト教を嫌っていますが、彼らの行動を称賛する自分を見つけたからです。憎しみの連鎖を信仰(キリスト教の)が阻止した事例を初めて見たからです。そして聖書の教えを忠実に守る人を初めて見たからです。

前置きがかなり長くなってすいません。ここから桃栗さんの主張に対しての意見を述べます。桃栗さんが指摘するように、このブログには自殺者の母親のような信仰に自信のある方がよく来られ、信仰心が足りないなどと上から目線で選民オーラを発しています。

ですが、彼らは本当に信仰に自信があるのでしょうか?子供を自殺で亡くした母親は本当は自信がないから死者の信仰心を批判して、自分の信仰は本物だと言葉にする必要があったのではないのか、と思えるんです。仮に桃栗さんが指摘する人達に本当に自信があったとしても、アーミッシュと比べると、とてもとても次元の低い信仰心と自信に思えるんです。

私はここにくる全てのクリスチャンが自信過剰だとは思いません。中には普通な感じの人もいますし、信仰心に自信があるように思えるけど、傲慢にならない人もいたと思います。この人達のレベルまで達していない信仰心に自信がある人が、聖書を振りかざしているんだと思うんです。
2012-01-05 木 19:21:31 | URL | 異教徒 [編集]
Re: タイトルなし
> つい先日、アーミッシュ・グレース(アーミッシュ学校銃乱射事件についての本をアメリカでTV映画化したやつ)を観たんです。私はアーミッシュの存在も事件があったことも知っていましたが、事件後の彼らの行動については知りませんでした。

(中略)

> 私はここにくる全てのクリスチャンが自信過剰だとは思いません。中には普通な感じの人もいますし、信仰心に自信があるように思えるけど、傲慢にならない人もいたと思います。この人達のレベルまで達していない信仰心に自信がある人が、聖書を振りかざしているんだと思うんです。

残念ですが、「クリスチャンにもこんな良い人たちがいる」という話を聞いても、
私にとってはこのような話は「焼け石に水」です。
また、加害者を赦すこと=良いことでしょうか?
それは犯罪をのさばらせることになりかねません。

私の体験ですが、私がクリスチャンだった頃、
私の家族の誰かが他人から暴力を振るわれ、
警察が出動する騒ぎになったことがあります。
ところが、家族はこれを刑事事件として告訴しませんでした。
理由は、「相手がどんなに悪い人でも赦すことが大切だから」。
このとき、私は、家族の考えをその通りだと思う一方、
「クリスチャンは暴力を振るわれても赦さなければならないのか」と、
何かすっきりしないものを感じていました。
信仰を完全に捨てた現在、今同じ目に遭ったら間違いなく告訴します。
2012-01-10 火 21:56:59 | URL | 桃栗 [編集]
「良い」か「悪い」か
> 私の体験ですが、私がクリスチャンだった頃、
> 私の家族の誰かが他人から暴力を振るわれ、
> 警察が出動する騒ぎになったことがあります。
> ところが、家族はこれを刑事事件として告訴しませんでした。
> 理由は、「相手がどんなに悪い人でも赦すことが大切だから」。
> このとき、私は、家族の考えをその通りだと思う一方、
> 「クリスチャンは暴力を振るわれても赦さなければならないのか」と、
> 何かすっきりしないものを感じていました。
> 信仰を完全に捨てた現在、今同じ目に遭ったら間違いなく告訴しま
> す。

桃栗さんのご両親は、加害者に社会的に「償わせる」ことと、
個人的に「赦す」ことを混同しておられた。
それは、もちろんカルトの影響下にあったからです。
桃栗さんがすっきりしないものを感じた理由は、
そのあたりではないですか。

被害者は加害者を訴えて、償わせなければいけません。
しかし、訴訟を通じて償わせることができたとして、
受けた被害の傷が癒され、加害者を赦すに至るかは、
別な課題として残されます。
宗教上の命題は、(日本社会では)多くの場合
後者にかかわることです。
論旨の整理をしないと、議論になりません。

> また、加害者を赦すこと=良いことでしょうか?
> それは犯罪をのさばらせることになりかねません。

社会的命題と精神的命題を最初からごっちゃに論ずるのは
乱暴過ぎはしませんか?
「良い」「悪い」で短絡的にものごとを峻別しようとする傾向は、
原理主義者やカルトの論理を思い起こさせます。
カルト被害者である桃栗さんの心が、ご自身でも持て余すほど複雑に
屈折しておられるのと同様に、世界も人間も、善悪で色分けできるような
単純なものではありません。

「また、加害者を赦すこと=良いことでしょうか?
それは犯罪をのさばらせることになりかねません。」
ご自分の文章、もう一度よく読み返してみて下さい。
反テロリズムを掲げて戦争を正当化した某大国の「大義」と
よく似ていませんか?
慎重で緻密な議論と対話は、何においても必要不可欠です。

> 残念ですが、「クリスチャンにもこんな良い人たちがいる」という話を聞> いても、私にとってはこのような話は「焼け石に水」です。

「焼け石に水」とはよく言ったものですね。
桃栗さんは怨恨と復讐心で「焼け石」のように燃えているのでしょうが、
被害者だからといって、復讐に手段を選ばず、
というわけにはいきません。
もちろん、桃栗さんに被害を加えた特定の加害者を訴えて、
償わせることはできます。

しかし、桃栗さんが受けた被害に直接かかわりのない人々の名誉を
傷つける権利はありません。桃栗さんの受けた心の傷については
お気の毒としか言いようがありませんが、いかに傷が深いからといって、
「宗教」や「人種」や「性別」といった共通項で無分別に怨恨感情を抱く
のは、不健康であり、場合によっては反社会的です。
2012-01-12 木 05:33:30 | URL | ハマルティア [編集]
補足
アーミッシュに、もしも加害者が自殺せずに生きていたら、
それでもあなた方は赦すのか?と質問したらしいのですが、

その答えは

「赦す。しかし、犯人は司法の手で裁かれるべき」だ、そうです。

ですので、アーミッシュの赦し=犯罪野放しではないようです。
2012-01-13 金 23:52:42 | URL | 異教徒 [編集]
Re: 「良い」か「悪い」か
> 桃栗さんのご両親は、

誰も「両親」とは書いていません。
勝手に書き換えないでいただけますか?


> 加害者に社会的に「償わせる」ことと、
> 個人的に「赦す」ことを混同しておられた。

教会では、キリスト教的な「罪」と法的な「罪」を
はっきり区別して教えてくれません。
ここに私が混乱した原因があります。
2012-01-15 日 21:48:55 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 「良い」か「悪い」か
>> 桃栗さんのご両親は、

> 誰も「両親」とは書いていません。
> 勝手に書き換えないでいただけますか?

>> 加害者に社会的に「償わせる」ことと、
>> 個人的に「赦す」ことを混同しておられた。

> 教会では、キリスト教的な「罪」と法的な「罪」を
> はっきり区別して教えてくれません。
> ここに私が混乱した原因があります。

おお、おお、これは失礼しました。
「ご両親」ではなく「ご家族」でしたね。
お詫びして、訂正します。

さて、桃栗さん、
私は下のようにコメントしたはずです。
「桃栗さんのご両親ご家族は、
加害者に社会的に『償わせる』ことと、
個人的に『赦す』ことを混同しておられた。
それは、もちろんカルトの影響下にあったからです。」

桃栗さんが、私の最後の一文「それは、もちろんカルトの影響下にあったからです」をわざわざ引用から外された意図は何ですか。
「カルトの影響下」という言葉に敏感に反応されたからですか。

桃栗さんが言いたいのは、つまり、こういうことですね。
桃栗さんとご家族は「カルトの影響下」にあったからではなく、
キリスト教会が「教えてくれなかった」ことが原因で
「キリスト教的な『罪』と法的な『罪』」を区別できなかった。

まずね、桃栗さん、
私は「キリスト教的な『罪』と法的な『罪』」の話なんか全くしていません。
私は「加害者に社会的に『償わせる』ことと、個人的に『赦す』こと」
について言及したのです。
全然違うでしょ。わかります?
「加害者に社会的に『償わせる』ことと、個人的に『赦す』こと」の区別は、
社会通念上誰にでも理解できる範囲のことです。
社会的に「償わせた」からといって、必ずしも「赦せる」わけではない。
「赦せる」からといって、「償わせる」必要がないわけではない。
そういうことです。
わざわざ「キリスト教」に教えてもらう必要なんて全くありませんよ。

私が知る限り、多くのキリスト教信者の方は、宗教上の自己理解とは別に、社会的な自己理解を自然に受け入れています。他の宗教の方々も同様です。健全な宗教は、社会生活の自然な営みを極端に奪うことはありません。個人の社会的判断を許容せず、社会との自由なつながりを阻むなら、それは健全な宗教ではない、「カルト」であると考えられます。
だから、あなたのご家族が「カルトの影響下」にあったことが想像されるのです。

ところで、桃栗さん、
別なコメントにも書きましたが、
少なくとも、承認前のコメントを桃栗さんが読んで、その内容に基づいて発言する場合には、コメント本文の承認を先に行うべきです。今回のようにコメント本文を引用するなら、なおさらのことです。桃栗さんが引用した本文が、未承認で公開されていない、そういった状態なわけですよ。
「ご都合主義」を憎んでやまない桃栗さんなのですから、しっかりお願いします。
2012-01-16 月 18:30:01 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 補足
> アーミッシュに、もしも加害者が自殺せずに生きていたら、
> それでもあなた方は赦すのか?と質問したらしいのですが、
>
> その答えは
>
> 「赦す。しかし、犯人は司法の手で裁かれるべき」だ、そうです。
>
> ですので、アーミッシュの赦し=犯罪野放しではないようです。

犯人の罪を赦すが、法的制裁は受けるべきだというわけですね。
善良なはずのアーミッシュの方たちも、
結局は普通のクリスチャンと変わらないことになります。

では、「法に引っかからない罪」の場合はどうすればいいのでしょうか?
例えば、学校でクリスチャンであることを理由にいじめられたとします。
どんなに嘲笑されてもニコニコして赦さなければならないのでしょうか?
たとえそれがさらにいじめを助長したとしても。

イエスは、頬を打たれても、上着を剥ぎ取られても赦しなさい
という内容のことを言っていますが、
実社会においては、どこまで人の罪を赦せばいいのか、
その線引きが大変あいまいであるように思えます。
2012-01-17 火 18:00:28 | URL | 桃栗 [編集]
横レス、スミマセンm(__)m
>イエスは、頬を打たれても、上着を剥ぎ取られても赦しなさい・・・

『骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。(レビ記 24:20) 』

こんなことを書いてきてくれたら、面白いですね(笑)

聖書は二枚舌(笑)
聖書の都合のいいところを引用して、つなぎ合わせて、
勝手な解釈を加えた聖句を、神の言葉として礼拝で叫んで、
「アーメン」ってことでしょう(笑)
2012-01-18 水 20:06:16 | URL | カエル [編集]
Re: Re: 「良い」か「悪い」か
> >> 桃栗さんのご両親は、
>
> > 誰も「両親」とは書いていません。
> > 勝手に書き換えないでいただけますか?

> おお、おお、これは失礼しました。
> 「ご両親」ではなく「ご家族」でしたね。
> お詫びして、訂正します。
>
> さて、桃栗さん、
> 私は下のようにコメントしたはずです。
> 「桃栗さんのご両親ご家族は、
> 加害者に社会的に『償わせる』ことと、
> 個人的に『赦す』ことを混同しておられた。
> それは、もちろんカルトの影響下にあったからです。」

ハイ、またお詫びの言葉ですか?
上っ面だけの謝罪ならしないほうがマシです。


> 桃栗さんが、私の最後の一文「それは、もちろんカルトの影響下にあったからです」をわざわざ引用から外された意図は何ですか。

粘着質なコメントに付き合っていられないからです。
バッサリと割愛させていただきました。


> 「カルトの影響下」という言葉に敏感に反応されたからですか。
>
> 桃栗さんが言いたいのは、つまり、こういうことですね。
> 桃栗さんとご家族は「カルトの影響下」にあったからではなく、
> キリスト教会が「教えてくれなかった」ことが原因で
> 「キリスト教的な『罪』と法的な『罪』」を区別できなかった。
>
> まずね、桃栗さん、
> 私は「キリスト教的な『罪』と法的な『罪』」の話なんか全くしていません。
> 私は「加害者に社会的に『償わせる』ことと、個人的に『赦す』こと」
> について言及したのです。
> 全然違うでしょ。わかります?

貴方はキリスト教のことなんか全然分かっていないのに
知ったかぶりな発言はおやめください。


> 私が知る限り、多くのキリスト教信者の方は、宗教上の自己理解とは別に、社会的な自己理解を自然に受け入れています。他の宗教の方々も同様です。健全な宗教は、社会生活の自然な営みを極端に奪うことはありません。個人の社会的判断を許容せず、社会との自由なつながりを阻むなら、それは健全な宗教ではない、「カルト」であると考えられます。
> だから、あなたのご家族が「カルトの影響下」にあったことが想像されるのです。

本当に貴方はクリスチャンホームというものを分かっていませんね。
ごく平穏なクリスチャンホームだからこそ十分起こりうることなのです。


> ところで、桃栗さん、
> 別なコメントにも書きましたが、
> 少なくとも、承認前のコメントを桃栗さんが読んで、その内容に基づいて発言する場合には、コメント本文の承認を先に行うべきです。今回のようにコメント本文を引用するなら、なおさらのことです。

また「べき口調」で指図ですか。何様ですか?
私には私の考えがあってそうしているのです。
以前、承認制でなかった頃は、コメントが書かれても、
私がレスをする前に他の方がレスをされることがよくありました。
別にそれが必ずしも悪いと言うわけではありません。
むしろ、私の気持ちをありがたくも代弁してくださる方もいました。
ただ、話の流れが記事の主旨から外れて収拾が付かなくなることがあり、
それを防ぐために一つずつ承認しながらレスをする方式に変えたのです。
ある程度は意見のコントロールが必要なので
す。

一つ誤解のないように書いておきますが、
通常はコメントの承認とレスを同時にしています。
ところが、貴方の場合はあまりにも連続してコメントを書き込まれたため、
どこまで承認したかが分からなくなり、
承認しないままにレスを書いたことがありました。
が、翌日には気付いてすぐ承認しています。
貴方は本当にちょっとしたことで妄想を膨らます方ですね。
こんなに短期間に連続してコメントがあったのは
5年間のブログ史上初めてです。

今後の書き込みを一切禁止します。
どうしても意見が言いたいならご自分のブログでどうぞ。
他人にこうすべき、ああすべきと指図なさるのなら、
ご自分のブログでお手本を見せてください。

今まで、一時的に一部ユーザーのアクセス禁止の措置を取ったことが何度かありましたが、
公開の場で名指しで書込み禁止宣言をしたのは初めてです。

以上。
2012-01-18 水 20:48:10 | URL | 桃栗 [編集]
このブログの趣向を理解していないのでは?
ハマルディアさん、

桃栗さんのブログは、どんな人も書き込みや議論ができる
オープンフリーな魅力的なブログですけど

短期間で連続的に
一方的な押し付けな書き込みは、
どう考えても マナー違反だと思います。

ハマルディアさん、このブログの趣向を理解していないのでは?
桃栗さんのブログは、キリスト教の矛盾や疑問を議論する場ですし、
キリスト教で心傷ついた人々の憩いの場、ストレス発散の場です。

それを短期間に嫌がらせとも感じられるような、書き込みがあることは
どう考えてもまともじゃないです。

もしかしてあなたは聖職者ではありませんか?
それともアンチクリスト系のブログ荒らしのために、出てきた教会関係者では?



2012-01-21 土 13:32:33 | URL | すすき [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-01-21 土 13:57:58 | | [編集]
Re: 横レス、スミマセンm(__)m
> >イエスは、頬を打たれても、上着を剥ぎ取られても赦しなさい・・・
>
> 『骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。(レビ記 24:20) 』
>
> こんなことを書いてきてくれたら、面白いですね(笑)
>
> 聖書は二枚舌(笑)
> 聖書の都合のいいところを引用して、つなぎ合わせて、
> 勝手な解釈を加えた聖句を、神の言葉として礼拝で叫んで、
> 「アーメン」ってことでしょう(笑)

まったくその通りですね。
聖書に書かれていることはすべて神の言葉であるから、
その教えを守らなければならないと教会では教わりましたが、
まったく反対のことが書かれている場合はどちらを取ればいいのでしょうね。
結局、その場その場で都合のいい聖句の方を取っているに過ぎません。
イエスの教えを取れば、キリスト教が愛に溢れた宗教として宣伝できますが、
レビ記を取れば、報復が正当化されてしまうことになります。
聖書にはなんでも書かれていますから
自分を正当化するには本当に便利な書物です。
2012-01-22 日 18:46:08 | URL | 桃栗 [編集]
Re: このブログの趣向を理解していないのでは?
> ハマルディアさん、
> 短期間で連続的に
> 一方的な押し付けな書き込みは、
> どう考えても マナー違反だと思います。

短期間に連続して投稿することが必ずしもダメとは言いませんが、
記事の主旨から外れたことを怒涛のごとく書き連ねるのはどうかと思います。
また、レスするこちらの手間も考えていただきたかったですね。
私は、ハマルティアさんが初めて書き込みをしたとき、
短期間に連続して投稿することは普通でないかのように指摘しました。
これに対し、ご本人は、


> 連続してコメントするのがそれほど非常識だったのなら、謝ります。

と一旦は謝罪したものの、
その直後からまったくその言葉を忘れて罵声、罵倒の連続です。
本当に空気が読めない方ですね。


> それを短期間に嫌がらせとも感じられるような、書き込みがあることは
> どう考えてもまともじゃないです。
>
> もしかしてあなたは聖職者ではありませんか?
> それともアンチクリスト系のブログ荒らしのために、出てきた教会関係者では?

それも、カルト系キリスト教かもしれませんね(笑)。
2012-01-23 月 22:56:20 | URL | 桃栗 [編集]
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