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桃栗

Author:桃栗
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賛美歌「アメイジング・グレイス」と、闇に葬られた黒人奴隷たち
クリスチャンの方もそうでない方も、
賛美歌「アメイジング・グレイス」をご存知の方は多いかと思います。
古今東西の多くのアーティストによっても歌われ、
例えば国内では近年、故・本田美奈子さんの歌唱でさらに有名になったようです。
日本のキリスト教会においても
「われをもすくいし」「おどろくばかりの」 の日本語訳の賛美歌があり、
実際に私も礼拝で何度か歌ったことがあります。
しかし、私はこの曲が大嫌いなのです。
その成立背景を知るまでは、なんと美しいメロディなのだろうと思っていましたが、
その歌の背後にあるドロドロとしたものを知ってからは大嫌いになったのです。


この歌の成立背景については、
ウィキペディアからそのまま引用させていただきます。

ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。母親は幼いジョンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ジョンが7歳の時に亡くなった。成長したジョンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に手を染め巨万の富を得るようになった。

当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。

ジョンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機はやってきた。船長として任された船が嵐に遭い、非常に危険な状態に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると船は奇跡的に嵐を脱し、難を逃れたのである。彼はこの日をみずからの第二の誕生日と決めた。その後の6年間も、ジョンは奴隷を運び続けた。しかし彼の船に乗った奴隷への待遇は、動物以下の扱いではあったものの、当時の奴隷商としては飛躍的に改善されたという。

1755年、ジョンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の寄付を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が生まれたのである。この曲には、黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められているといわれている。


要約すれば、作詞者のジョン・ニュートンは、
クリスチャン・ホームに生まれながらも、
聖書の教えに反した黒人奴隷の人身売買で大儲け。
その後、大嵐にあったことをきっかけに改心、
そして罪を悔い改めて牧師になったというわけです。

キリスト教的には、彼は若い頃には聖書に反することばかりしていたのに、
心から神に悔い改めて牧師にまでなったのですから、
神によってその罪が赦されて、死後、天国に迎え入れられ、
めでたしめでたしということになるでしょう。
しかし、ここで一つの大きな疑問がわきます。

神を信じることなく死んでしまった黒人奴隷たちはどうなったのか?

キリスト教では、すべての人間は生まれた時から罪を背負っていることになります。
そして、神とキリストを信じ、その罪を心から悔い改めた者だけが、
罪が赦され、その死後、天国に行けて永遠の命を与えられることになります。
しかし、未開のアフリカから連れてこられた大量の黒人奴隷たちは、
白人が信じるキリスト教の神など信じることなく死んでしまったのです。
ということは、キリスト教的には彼らはみな地獄へ行ったことになるはずです。

その一方、ジョン・ニュートンは黒人奴隷の人身売買という、
ほとんど殺人行為に近いことをして巨額の富を築き、
その後、心から罪を悔い改めて天国に行けたのだとしたら、
あまりにも不公平ではありませんか?
黒人達は、神もキリストも知る機会がなく、
したがって罪を悔い改める機会もないままに地獄行きというのは、
あまりにも彼らが気の毒です。
この歌の成立背景について紹介しているキリスト教のサイトには、
黒人奴隷たちの死後の行方について触れているものが見当たりません。

さあ、敬虔なるクリスチャンの皆さん、
黒人奴隷たちは死後どこに行ったか考えたことがありますか?
人によっては、「彼らにも神の憐れみがあった」と言うかも知れません。
しかし、それは所詮、「クリスチャン目線」の考えに過ぎません。
あくまでもそれはクリスチャン側から見た「都合の良い考え」でしかないのです。
黒人側にとっては、キリスト教の神の憐れみなど知る由もありません。

この、ジョン・ニュートンの書いた歌詞を見ると大変不愉快です。
神を信じる機会もなく死んでしまった黒人奴隷のことはそっちのけで、
自分が神に救われて恵みを与えられた喜びを歌っているのです。
これこそキリスト教の「白人至上主義」の表れです。

そういうわけで、私はこの歌が大嫌いです。
みなさん、美しいメロディーに惑わされないでください。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

クリスチャンの独善性 | 21:35:36 | トラックバック(0) | コメント(102)
コメント
桃栗さん、ホント矛盾を的確に突きますね。
さすが。


2011-08-24 水 22:59:49 | URL | ねこ [編集]
「黒人貿易はクリスチャンに課せられた崇高な使命」
当時の多くの神学者たちは、奴隷貿易や奴隷制度を非難するどころか、旧約聖書の記述等を引き合いに出して、「当然のこと」であると主張していたそうです。否、それどころか、未信者の黒人たちを拉致し、キリスト教世界に連れ出すことは、「クリスチャンに課せられた崇高な使命である」と言っていたのです。そして、拉致された黒人たちは、「神の教え」に触れることができた、という訳です。
いつだか、NHKの「心の時間」に出演していた牧師が、「キリスト教は西洋社会のあらゆる社会正義を実現してきた。」というようなことを番組中で発言していましたが、この人はそういった史実を知った上で言っていたのでしょうか?
2011-08-24 水 23:18:30 | URL | 巨大虎猫 [編集]
良心によって裁かれる?
私は教会に行っていた時代、
「幼くして神様を知らずに亡くなった子ども、病気で聖書を読めなくて亡くなった人、福音が届かず生涯神様を知らなかった世界の人達は、死後どうなるんですか?」
と牧師夫人に質問しました。すると
「そういう人たちはそれぞれの良心によって裁かれると聖書に書いてある」
との答え。
そのときは納得しましたが、聖書にそんな箇所あったかなあ?
2011-08-25 木 00:40:24 | URL | ゆま [編集]
良心によって裁かれる? その2
どうやらアモス書に
「モーセの律法を持たないものは良心によって裁かれる」
という言葉があるようです。
また、ローマ人への手紙2・14
「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです」
2・15
「 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし」

などがあります。律法を持たない異邦人に関して書かれたところです。
この原理でいくと、律法を知らない黒人が己の良心に従って
自然に律法を満たしていたなら天国に入れる、ということになるのでしょうかね。

でも良心=律法というのがなんだかおかしな気がしますが。
どんなに正しい行いをした人でも、キリストの十字架を通してでなかれば天国に行かれない、と矛盾しませんか?
2011-08-25 木 00:56:16 | URL | ゆま [編集]
豊臣秀吉が鎖国、禁教を行った理由の一つに、ポルトガル商人が日本の貧民を奴隷として連れ出したことに対する反感があるのだそうですよ。
2011-08-25 木 08:48:39 | URL | クッキングホイル [編集]
分からないことは分からない
>白人が信じるキリスト教の神など信じることなく死んでしまったのです。
>ということは、キリスト教的には彼らはみな地獄へ行ったことになるはずです。

>「幼くして神様を知らずに亡くなった子ども、病気で聖書を読めなくて亡くなった人、福音が届かず生涯神様を知らなかった世界の人達は、死後どうなるんですか?」
>と牧師夫人に質問しました。すると
>「そういう人たちはそれぞれの良心によって裁かれると聖書に書いてある」
>との答え。
結局のところ、聖書に書いていないことは「分からない」というのが答えだと思います。
おそらく、この死の作者も、自分の黒人奴隷たちに対する罪を見つめた時、彼らの死に対しても考えたでしょう。
しかし、考えたところで分からない。
彼自身がいくら悔い改めたとしても、死んでいった奴隷たちの命をどうすることもできない。
そのことは、桃栗さんもおわかりだと思います。

クリスチャンは、全てが分かっていて、全てを自分の頭で理解しているわけではありません。
この世の全ての理が、分かって納得して、信じているわけではありません。
ただ、自分に対する神の愛に感動し、生き方が変わった、そういう人たちなのです。
自分と神との関係こそが、彼らの証しの全てなんです。

それは、だからといって、周りの人たちのことを考えないというわけではありません。
考えたとしても、分からないことは分からない。
自分は神ではないし、自分には周りの人の状況をどうこうすることもできないからです。
でもだからといって、神から自分が受けた赦しや愛を、語らずにはいられない。
それくらいに、感動している人たちなのです。
ここにいる、元クリスチャンの方たちが、本当にクリスチャンであったなら、その抑えきれない感動をも分かるはずだと思うのですが。


>人によっては、「彼らにも神の憐れみがあった」と言うかも知れません。
>しかし、それは所詮、「クリスチャン目線」の考えに過ぎません。
>あくまでもそれはクリスチャン側から見た「都合の良い考え」でしかないのです。
確かに、「彼らにも神の憐れみがあった」、という言葉は軽率かもしれません。
なぜなら、本当のところは分からないからです。
ただ、私たちは知っています。
神は憐れみ深い方だということです。
ただだからといって、そこに「憐れみがあった」かどうかは、私たちには分かりません。
それは、確かに都合の良い考えかもしれません。
むしろ、そうあって欲しいという願いのようなものかもしれません。
ご指摘の通りです。
2011-08-25 木 13:07:49 | URL | まこと [編集]
人身売買
キリスト教ってこういう悪事を歴史上何度も繰り返してますよね
神様のご指導の賜物?
2011-08-25 木 19:38:23 | URL | 言霊 [編集]
うーん
う~ん。キリスト教というか、人間ですよね?
キリスト教のせいでしょうか?
クリスチャンでなくても、同じような間違いをおかした歴史はあるでしょう?

なぜキリスト教だけを否定しようとするのでしょうか。
感情的になっていませんか?
感情的になって、盲目になって、排他的になってしまったら、ここで皆さんが否定しているキリスト教と同じではないでしょうか?
皮肉ですが。
2011-08-25 木 21:21:37 | URL | まこと [編集]
Re: うーん
>まこと様

はじめまして。私は歴史家の端くれですが、ここまで組織的な破壊と虐殺、殺戮と略奪を延々と続けてきた宗教をキリスト教以外に知りません。しかも、謝罪らしい謝罪もせず、それどころか聖典の文言を引用して自分たちの血塗られた過去を正当化までする宗教を。
今でもキリスト教は数多くの民族紛争の発端となっていますし、「宣教団」という名目で世界各地にスパイを送り込んでいます。何も知らない善良な信者たちの献金がテロ組織の武器の購入にあてがわれていたりもします。残念ながら、キリスト教は「福音伝道」という名の下に憎しみの種を撒いているのです。
2011-08-25 木 21:52:20 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re:分からないことは分からない
横から失礼します。

>彼自身がいくら悔い改めたとしても、死んでいった奴隷たちの命をどうすることもできない。

>それは、だからといって、周りの人たちのことを考えないというわけではありません。
>考えたとしても、分からないことは分からない。
>自分は神ではないし、自分には周りの人の状況をどうこうすることもできないからです。
>でもだからといって、神から自分が受けた赦しや愛を、語らずにはいられない。
>それくらいに、感動している人たちなのです。

つまり、詩の作者にとっては、自分がその「どうすることもできない」死という結果に
大勢の黒人奴隷たちを追いやっておきながら、
それに対する悔恨や贖罪、黒人奴隷たちへの鎮魂の言葉を語るよりも、
「神から自分が受けた赦しや愛を」語ることの方が、よほど重要だったと。
そういうことでしょうか?

私には全然、己の罪を悔い改めた人のすることには見えませんが。
例えばこれが
「神よ、私は地獄に落ちてもかまわないから、私が死なせてしまった者たちの魂は天国に引き上げてほしい」
という内容の歌を作った…。という話だったら、私にも
「ああ、彼は本当に悔い改めたのだな」と思えるのですが。
2011-08-25 木 22:36:05 | URL | ササキエル。 [編集]
奴隷と植民地の歴史がまとめてあります。なにか教義に穴があるのは明白でしょう
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%BE%92%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E8%BF%AB%E5%AE%B3
>>古代ギリシャ信仰への迫害 先住民の諸宗教に対する迫害 アフリカ黒人の諸宗教に対する迫害 ヒンドゥー教に対する迫害 ユダヤ教に対する迫害 日本における神道、仏教に対する迫害

日本人奴隷売買も本当にあったんですね。恐ろしい.....
http://ameblo.jp/campanera/entry-10130396102.html
2011-08-25 木 22:54:07 | URL | 言霊 [編集]
問題の根本は人間の罪
私は、宗教は道具に過ぎないと思っています。
要は、それを用いる人間の都合の良いようにいくらでも意味合いを変えてしまうものだと。
それが後の時代に間違っていたということが分かるような、危険な思想であっても、人間は自分たちの利益のためにそれを利用しようとするものです。
ですから、何が問題か。それは結局、自己中心に陥る、人間の性質だと思うのです。
そういう性質は誰の内にもある。

聖書の中には、確かに、聖絶という言葉で他の民族を殺し、その土地を占領していくような記述や、奴隷についても書かれています。
しかし、聖書全体を眺めるときに、そこから見えてくるのはイエス・キリストです。
イエス・キリストに表されているのは、神様の計り知れない愛と、神様のご計画です。

自分のエゴに生きるならば、それはキリスト者の生き方ではありません。
結局は、神でなく、神を信じる自分を信じているに過ぎません。
それは「クリスチャン」ではなく、「キリスト教信者」です。
聖書の教えを自分勝手に解釈して、利用して、間違いを犯してしまうのです。
そしてそれは、自分の考えや信念を持って、同じように間違いを犯した無宗教の人と何も変わりません。
キリスト教だから、と言うよりも、人間だから、間違いを犯したというのが適切だと思います。
その間違い、というのも、人間が自分の都合の良いように生み出した基準ですが。

その自己中心性を、聖書では罪と言っている。
創世記の物語で出てきますが、神のようになりたいと思い上がり、その自分の思いのためなら約束を無視し、自分の失敗を覆い隠そうとし、指摘されれば他に転嫁し、兄弟でさえ殺した。
あげたらきりがありませんが、これらは神の願いに沿って人間が行動したわけではありません。
人間がその自己中心性、罪によってとった行動です。
そして長い歴史を見ても、そういう人間の罪の性質が、様々な悲劇を生み出したものだと思います。

>つまり、詩の作者にとっては、自分がその「どうすることもできない」死という結果に
>大勢の黒人奴隷たちを追いやっておきながら、
>それに対する悔恨や贖罪、黒人奴隷たちへの鎮魂の言葉を語るよりも、
>「神から自分が受けた赦しや愛を」語ることの方が、よほど重要だったと。
>そういうことでしょうか?
何が重要だったか。
彼は、歌の歌詞でなく人々の前で語るメッセージの中で、自分の犯してきた罪について語ったことでしょう。
そんな中から、キリストが私を救い出してくれたと、それを覆い尽くすキリストの愛があったこと、それこそを、彼は伝えたかったのだと思います。

>私には全然、己の罪を悔い改めた人のすることには見えませんが。
>例えばこれが
>「神よ、私は地獄に落ちてもかまわないから、私が死なせてしまった者たちの魂は天国に引き上げてほしい」
>という内容の歌を作った…。という話だったら、私にも
>「ああ、彼は本当に悔い改めたのだな」と思えるのですが。
あなたや他人の評価が重要なのではありません。
彼も、別に彼自身が立派に悔い改めたことを見て欲しい、認めて欲しいと思ったりはしなかったでしょう。
しかも、「神よ、私は地獄に落ちてもかまわないから、私が死なせてしまった者たちの魂は天国に引き上げてほしい」 と言うのは、そう自分が願えばそうなるとか、そういうエゴに過ぎないと思います。
あなたや他者がそう思えるか、納得できるかが重要なのではなく、彼にとってはそんな罪深い自分を赦したもうキリストの愛のみが重要だったのです。

繰り返しになりますが、結局のところ、彼自身も自分が殺した者たちの死後については分からなかった。
それでもなお自分を救われるキリストの愛に、一番納得できなかったのは彼でしょう。頭では。
しかし、自分には何の価値もない、何もできない、死んでしまっても良かったのに助けられたと思ったとき、全ての思いを越えて、彼は心で、キリストの愛に触れたのだと思います。
2011-08-26 金 07:52:25 | URL | まこと [編集]
Re:
>その自己中心性を、聖書では罪と言っている。
>創世記の物語で出てきますが、神のようになりたいと思い上がり、その自分の思いのためなら約束を無視し、
>自分の失敗を覆い隠そうとし、指摘されれば他に転嫁し、兄弟でさえ殺した。
>あげたらきりがありませんが、これらは神の願いに沿って人間が行動したわけではありません。
>人間がその自己中心性、罪によってとった行動です。
>そして長い歴史を見ても、そういう人間の罪の性質が、様々な悲劇を生み出したものだと思います。

で、そういう「自己中心性、罪」を持った存在として人間を作った、
もしくは人間に、そうなる可能性を与えたのはどこの誰なのでしょうか。
聖書を読む限り、それは神以外ありえないのでは?
結局、人間の罪深さというのは神自身の責任でしかないのでは?

>彼は、歌の歌詞でなく人々の前で語るメッセージの中で、自分の犯してきた罪について語ったことでしょう。

私は無学なもので存じませんが、実際に彼はそうしたのでしょうか?

>あなたや他者がそう思えるか、納得できるかが重要なのではなく、彼にとってはそんな罪深い自分を赦したもう
>キリストの愛のみが重要だったのです。

まあ、このあたりは「だから私は、彼が悔い改めたとは感じられない」という主観を述べたにすぎませんから、
いくら議論しても「私は感じられる」「私は感じられない」と平行線をたどるだけと思います。
2011-08-26 金 12:30:16 | URL | ササキエル。 [編集]
Re:
>「黒人貿易はクリスチャンに課せられた崇高な使命」

本当に当時のアフリカ人は災難でしたね…
黒人を惨たらしく扱って殺したクリスチャンについて神の愛がどうので擁護できてしまう神経もよく分からない… キリスト教には染まりたくないです。
2011-08-26 金 18:38:50 | URL | 白 [編集]
う~ん。
ササキエルさん

>で、そういう「自己中心性、罪」を持った存在として人間を作った、
>もしくは人間に、そうなる可能性を与えたのはどこの誰なのでしょうか。
>聖書を読む限り、それは神以外ありえないのでは?
>結局、人間の罪深さというのは神自身の責任でしかないのでは?
「神が悪や罪を作ったのか」という質問は、よく出る質問ですね。
以下のサイトに答えられていますので見て下さい。
ttp://www.gotquestions.org/japanese/Japanese-God-create-evil.html

>私は無学なもので存じませんが、実際に彼はそうしたのでしょうか?
実際のところは分かりません。
ですが、むしろ1曲の歌詞だけを取り上げて、彼の信仰のすべてを否定する、彼に悔い改めが無かったと指摘するのもどうかと思うのですが。


白さん

>本当に当時のアフリカ人は災難でしたね…
>黒人を惨たらしく扱って殺したクリスチャンについて神の愛がどうので擁護できてしまう神経もよく分からない… キリスト教には染まりたくないです。
私は、クリスチャンを擁護するつもりは全くありません。
クリスチャンも人間ですから、間違いは犯しますし、間違ったからには悔い改める必要があると思っています。
御心の故にと行われる様々な悲劇、それらは当然のことながら、批判され、反省をしなければならない歴史でしょう。
だからといって、それが聖書の言う神の本質ではない。
そう言いたいのです。
2011-08-26 金 19:26:35 | URL | まこと [編集]
歴史を勉強されることをお勧めします。
巨大虎猫さまも言われるように教会は歴史上最大の組織的殺戮や奴隷の歴史を上塗りしてきました。非道の行為が神の名やキリスト教教義によって正当化されることもしばしばでした。その犠牲は鎮魂してもし切れないほどです。
2011-08-26 金 20:45:28 | URL | 言霊 [編集]
奴隷禁止?
映画メンフィス・ベルを見てこの歌が好きだったのに・・・・

>聖書の教えに反した黒人奴隷の人身売買で大儲け。

聖書に奴隷売買禁止ってありました? 私の記憶では、奴隷の扱い方や解放の仕方が旧約聖書に書かれていたと思うんですけど。

新約で奴隷禁止なんてありました?

新約で奴隷に関する記述がないのを逆手にとって、キリスト教徒は奴隷解放に関する旧約の法を無視したと、私は理解したつもりなんですが。

賢い人、教えてください。
2011-08-27 土 00:29:46 | URL | 異教徒 [編集]
奴隷制度肯定論者たちの主張
奴隷制度肯定論者のクリスチャンたちは、旧約聖書の記述のみならず、パウロ書簡中の奴隷に関する記述や新約聖書の随所にある「主人と奉公人の関係」に関する教えを引き合いに出して、「クリスチャンたちがノンクリスチャンである奴隷に『聖書に則った生活』をさせて、『正しい道』を歩ませなければならない。」と主張していました。そして、奴隷たちには「聖書は、あなたたちは主人に熱心に仕えるべきであると教えている。」と説いたのです。
2011-08-27 土 09:53:56 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re:う~ん。
>「神が悪や罪を作ったのか」という質問は、よく出る質問ですね。
そうですね。管理人さんの桃栗さんも、↓で疑問を呈されています。

神は悪魔を創造したのも「良しとされた」?
ttp://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-50.html

>以下のサイトに答えられていますので見て下さい

拝見しましたが、やはり納得できませんでした。
たとえば、文中に

>神は、私達が自由意志で神に仕えるか否かを決めることができるようにと、
>悪の可能性を許されたのです。

とありますが、悪の可能性を許したら、実際に悪に染まる人間が現れることぐらい
予想できそうなものです。
で、実際に悪に染まった人間が現れたら怒り狂い、アダムとイブの楽園追放に始まり、
ノアの家族とひと番いの動物だけ残して大洪水で生きとし生けるもの全て殺戮。
ノアの子孫たちも悪に染まり、イエスの十字架の贖いの後も、悪に染まる人間は無くなりはしない。
そして悪に染まって死んだ人間の魂は、地獄の火で永遠に焼かれ続け、
その後の救いなど全く存在しない…。

神が「悪の可能性を許」しさえしなければ、こんな悲惨な状況になりはしなかったのに。
「悪の可能性を許」したら、無数の人間が地獄の火で永遠に焼かれ続ける結果になることぐらい、
全知全能の神に予測できなかったのでしょうか? そんなことはないでしょう?
これが、マタイによる福音書18章14節にあるような、
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」
というお方のすることでしょうか。
私には、とんでもないサディストのすることとしか思えません。

>ですが、むしろ1曲の歌詞だけを取り上げて、彼の信仰のすべてを否定する、
>彼に悔い改めが無かったと指摘するのもどうかと思うのですが。

確かに、このプログに書かれている以上の判断材料が無い時点で決めつけるのは、時期尚早だったかと思います。
おそらく、彼の主観や、それを受け入れた当時のキリスト教社会では、それは「心からの悔い改め」
であったのだろうと思います。
ただそれが、現代に生きる私の現時点での主観から見れば、悔い改めと感じられなかったということです。

まあ、「黒人奴隷=家畜以下」という価値観が当たり前で、ずっとその中で生きていた彼個人の論理感を、
現代の価値で云々するのも酷かとは思いますが、それならば、その価値観がどうして生まれたのか、
キリスト教はその価値観の構築・維持に、大きく関わってきたのではないのか?
ということをクリスチャンの方にも考察してほしいと思います。
2011-08-27 土 13:52:24 | URL | ササキエル。 [編集]
ササキエル。さん
>神が「悪の可能性を許」しさえしなければ、こんな悲惨な状況になりはしなかったのに。
>「悪の可能性を許」したら、無数の人間が地獄の火で永遠に焼かれ続ける結果になることぐらい、
>全知全能の神に予測できなかったのでしょうか? そんなことはないでしょう?
>これが、マタイによる福音書18章14節にあるような、
>「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」
>というお方のすることでしょうか。
>私には、とんでもないサディストのすることとしか思えません。

う~ん。であれば、人間は機械のように、決められたことをする生き物であれば良かったのでしょうか。
そのサイトにも書いてありますが、自分の意思で良いことを選ぶことが重要だと。
想像してみて下さい。自分の子どもを育てるとき、すべて自分のいうことを分かってくれ、悪いことは何もしない、完璧な子を求めますか。
そうなるように育てますか。
神は人間を愛して造られました。
ご自身と交わりを持てるように造られました。
失敗をしても、不完全でも、それでもそのことに気づける心を与えられました。
私は教師をしていますが、なんでも言うことを聞き、間違いを犯さない良い子よりも、失敗をしたり間違いを犯すけれど素直な子どもに心を惹かれます。(もちろんどんな子どもも大切です)
なぜなら、後者の子どものほうが、自分の心で良いことを見つけていくし、何より私との交わりがそこにあるからです。
完璧であれば、何も関わる必要が無い。
人と人が関わり合うのも、お互いが不完全だからだと思います。
神の本質は交わり。
人間はその交わりの素晴らしさために、不完全に造られているのではないかと思います。これは私の考え。
それは、決して悲劇では無くて、本当は恵みで、そのように神に愛を持って造られたお互いだと知るときに、人は本当にその不完全さを認め合うことができるのではないかと思います。
そしてそれは、お互いを創造された神という絶対的な存在を、間に置いたときにのみ可能な、受容し合える関係だと思うのです。

>まあ、「黒人奴隷=家畜以下」という価値観が当たり前で、ずっとその中で生きていた彼個人の論理感を、
>現代の価値で云々するのも酷かとは思いますが、それならば、その価値観がどうして生まれたのか、
>キリスト教はその価値観の構築・維持に、大きく関わってきたのではないのか?
>ということをクリスチャンの方にも考察してほしいと思います。

おっしゃる通りだと思います。
クリスチャンの犯してきた間違いの歴史、罪、信仰という名の下で行われてきた虐待、犯罪、排他的行為、そのすべては、正しく考察しなければならないことだと思います。
多くのクリスチャンが、私も含め、その現実に目をつぶり、御言葉を表面的に解釈することで、それを覆い隠してきた事実は、否定できないと思います。
それに気づかせて下さった、ここや他のキリスト教批判サイトに、私は感謝しています。
私はこれからもっと聖書について、キリスト教の歴史について学んでいきたいと思っている者ですが、このクリスチャンとしての責任を忘れないでいたいと思っています。
2011-08-28 日 00:51:28 | URL | まこと [編集]
ジョンニュートンを救った神の愛が
同時に黒人奴隷たちをも救ってくださればよかったのにね
黒人奴隷たちが酷い目にあっているときに
愛の神様はどこにいてなにをしてらしたのかな?

黒人奴隷の扱いが動物以下だっていうけれど
そもそも「神の姿に似せてつくられた」人間は特別の存在で
「私の目にあなたは高価で尊い」
はず。高価で尊い宝物の人間たちをほったらかし、なんてね。
嵐を鎮めることができる神の力で、どうして虐げられた者たちを
もっと速く救ってあげなかったのか。

「人間が自ら神を選ぶ自由意思」「自ら神を選ぶ喜び」とか
そういう次元のことじゃないよ。
選択の自由云々はある程度余裕がある人が言えること。
世の中には選択の自由すら与えられていない境遇の人もいるという現実を忘れてはいけないと思う。
これは「人間」の責任でなく「神」の側の責任です。
怠惰や自己管理などは自分の責任だけど、人間の力ではどうにでも
できない問題は神の領域で、
それを祈っても答えない神はおかしい、と言っているのです。

あと、「本当のクリスチャン」「本当の神の愛を知ってるor知っていない」
などということは、それこそその人と神との関係であって
まわりが
「あなたは本当のクリスチャンでないのでは」
とか
「本当のイエス様の愛を知らないのでは」
など言えることではないと思う。
それはあくまで本人と神様が判断することではないでしょうか。
2011-08-28 日 09:46:31 | URL | ゆま [編集]
ゆまさん
>ジョンニュートンを救った神の愛が
>同時に黒人奴隷たちをも救ってくださればよかったのにね
>黒人奴隷たちが酷い目にあっているときに
>愛の神様はどこにいてなにをしてらしたのかな?
神様はどこにでもいらっしゃる。
どのような状況の中にでもいて下さる。
旧約聖書にも出てきますが、エジプトの奴隷として苦しんでいたイスラエルの民を見ながら、神はどこにいたのか?
神は見ておられ、叫びを聞いておられ、叫びを聞いて助けられました。

神の愛がなんなのか、それは究極的には人間には分からないと思います。
それは、何が最善なのか、一番良いのか、という問いと同義です。
人間にはそれぞれの価値観があり、視点があるので、それを通しては神の愛、神の御心は何なのかというのは完全には分かりません。
「全員救えばいいじゃないか。無理やりにでも」
でもそうしないのが神の愛なんですね。
私たちクリスチャンには、「神は恵み深い方である。神は愛なる方である」ということは分かっても「今のこの現実は神の愛の故だ」とか「あの時のあの場所には神の愛があった」とは判断できないのです。
それはあくまでも人間の視点ですから。
神が、人間が作り出した存在で無く、人間を超越している存在である以上、そういうことです。
私もすべて分かるわけではないですし、すべて納得できるわけではないですが、でも自分自身が受けた愛を前に、何も言えないくらい感謝でいっぱいになるんです。

そんな、神の愛でそれ以外何も考えられなくなってしまうとき、それは盲目かもしれませんね。
でも、そんな盲目になるくらい、自分自身が愛されているという喜びを感じることが、そこから新たに周りに目を向けていくスタートになるのだとも思います。
そのままでいるならば、人間はどこまでも自己中心的ですから。どんな善人でも。


>黒人奴隷の扱いが動物以下だっていうけれど
>そもそも「神の姿に似せてつくられた」人間は特別の存在で
>「私の目にあなたは高価で尊い」
>はず。高価で尊い宝物の人間たちをほったらかし、なんてね。
>嵐を鎮めることができる神の力で、どうして虐げられた者たちを
>もっと速く救ってあげなかったのか。
救いの定義も色々で、クリスチャンの中でもひどい扱いを受け、虐げられて殉教していった人たちが沢山います。
が、彼らは自分が不幸だと思って死んではいきませんでした。
心は救われていたんですね。
こんなことを書くと、「そんなことは、そういう極限的な苦しみにあったことが無いから言えるのだ」と言われそうですが、
でも、どのような苦しみの中にあっても、そういう表面的な、目に見える苦しみや不幸、どうしようもならない現実の中にあっても、神様のもとには救いがあるということです。
そこには身分も立場も、国も年齢も、時代も性別も何も関係なく、救いがある。
状況が変わらなくても、現実が変わらなくても、神と出会い自分が変わることで、すべてが変わってしまう。
そんな本質的な救いこそが、時代や場所や人に限定されない、聖書のいう神の救いではないでしょうか。
それが、殉教者たちの死が私たちに示している真実だと思います。


>「人間が自ら神を選ぶ自由意思」「自ら神を選ぶ喜び」とか
>そういう次元のことじゃないよ。
>選択の自由云々はある程度余裕がある人が言えること。
>世の中には選択の自由すら与えられていない境遇の人もいるという現実を忘れてはいけないと思う。
>これは「人間」の責任でなく「神」の側の責任です。
>怠惰や自己管理などは自分の責任だけど、人間の力ではどうにでも
>できない問題は神の領域で、
>それを祈っても答えない神はおかしい、と言っているのです。
祈りに対して「答え」と思っている時点で、人間中心、自己中心な考え方かなと思います。
祈りに対しては神は「応え」られる、と言うのが正しいのではないでしょうか。
それは、YesでもありNoでもある。
神様は生きておられるから、すべてにYesとは言われない。
いつでも人間が納得するような「応え」方はされない。
「答え」ないという「応え」もある。
それでも、それはすべて愛の故に。
なぜそれが愛か、その時は分からなくても、それでも神は愛をもって祈りに「応え」られる。
私はそれを体験し、そうだと信じられるようになってきました。


>あと、「本当のクリスチャン」「本当の神の愛を知ってるor知っていない」
>などということは、それこそその人と神との関係であって
>まわりが
>「あなたは本当のクリスチャンでないのでは」
>とか
>「本当のイエス様の愛を知らないのでは」
>など言えることではないと思う。
>それはあくまで本人と神様が判断することではないでしょうか。
もちろんそう思います。
ですから、「『本当の』クリスチャンではないのでは?」とか「知らないのでは?」という発言は避けました。
ただ「クリスチャンではなかったのでは?」と言った意図は、
クリスチャンというのは神様と交わりながら生きる人を言う言葉だし、宗教として「やる」ものではないと私は考えるから、「クリスチャンをやめた」という表現がおかしいと思い、そう言ったのです。
そして、「知らないのでは?」とは誰にも言えないのは本当にその通りで、その表現は避けましたが、
このサイトにおられる、キリスト教を批判される方々は、クリスチャンは洗脳されているとか、ちゃんと分かっていないとか、そういう知識や理解にばかり焦点を当ててクリスチャンを考察されているのですが、(管理人桃栗さんも同じく、頭で理解しようとばかりしておられるし、すべてのクリスチャンがそうやって、洗脳されたり頭で間違って理解してとらわれてるように思われているよう)
クリスチャンにとって一番大事なのは、キリストの愛を知ること、体験することだと思っているので、それを強調して話させていただいているまでです。
注意して読んでいただければ、ゆまさんの指摘されたようには書いていないと思いますが。
本人と神の問題ということについては、その通りだと思っています。
それをとやかく言うつもりは全くありません。
ただ、クリスチャンの信仰の本質は、そこではないですよ、と言いたいのです。
2011-08-28 日 15:54:09 | URL | まこと [編集]
Re:ゆまさん
>ここにいる、元クリスチャンの方たちが、本当にクリスチャンであったなら、
>その抑えきれない感動をも分かるはずだと思うのですが。

まことさん、あなたははっきりこう書いています。
これはつまり、ここの元クリスチャンたちに向けて
「結局あなたたちは本当にはクリスチャンでなかったのではないですか。
だから神の愛も感動もわからなかったのではないですか」
と言っているのと同義語に聞こえます。
またゲストブックには数回にわたり同じ意味合いと受け取れることをおっしゃっていますよ。
違う言葉を遠まわしに使っても、意味合いとして、そう受け取れました。少なくとも私には。

>なぜそれが愛か、その時は分からなくても、
>それでも神は愛をもって祈りに「応え」られる。
>私はそれを体験し、そうだと信じられるようになってきました。

あなたにはあなたの体験がおありなのですね。
しかし、私にも私の体験があります。
本当のクリスチャンかと聞かれれば、はい、私はかつて
間違えなく本当のクリスチャンでした。
自分と神との交わりの中でそう確信し、体験もしました。
しかしいろいろとまた別の体験もし、教会を離れ、聖書を読むのをやめ、今日に至っています。
祈りについてもしかりです。20年間朝晩欠かしたことはありませんでした。(当時は)
頭の中の信仰ではなかったですよ、決して。
それを事情も知らない周囲から
「本物でなかった」「本物ならなにがあっても離れないはず」
などと言って欲しくないのです。
あなたにはあなたの体験があるように、私には私の体験があるのです。
2011-08-28 日 17:36:24 | URL | ゆま [編集]
それと
私の2011-08-28 日 09:46:31 の書き込みは
特別誰かに宛てて(相手を特定して)書いたものではありません。
タイトルもつけていませんし。
それなのに思い当たった人がいたようで。。。
あわてて反応するなんて、やはり本音でそう思っていた証拠ですかね。
2011-08-28 日 18:19:14 | URL | ゆま [編集]
現実との差
「愛の神」にそぐわないこの世の厳しく残酷な現実を知った時、誰でも(それがキリスト教ではなくても)信仰を続行することを諦めたくなる瞬間があるのは無理もないこと、と思います。
それくらい世界は無慈悲に溢れているのに、無責任に慈愛の神を確信的にアピールされる、のは私も御免です。
2011-08-28 日 20:54:51 | URL | 言霊 [編集]
>違う言葉を遠まわしに使っても、意味合いとして、そう受け取れました。少なくとも私には。

そうですね。。
おっしゃる通りかもしれません。
私としては、ここに来ておられる方々が、教会が○○だったから~とか、クリスチャンが○○だったから~という理由でクリスチャンをやめた、という風に言っているのを見て、
信仰というのは、そういうことではないのではないか、
他に責任を問うことはできない、自分自身の問題ではないか、ということを言いたかったのです。
不快な思いをさせてしまったのであれば、本当に申し訳なく思います。


>あなたにはあなたの体験がおありなのですね。
>しかし、私にも私の体験があります。
>本当のクリスチャンかと聞かれれば、はい、私はかつて
>間違えなく本当のクリスチャンでした。
>自分と神との交わりの中でそう確信し、体験もしました。
>しかしいろいろとまた別の体験もし、教会を離れ、聖書を読むのをやめ、今日に至っています。
>祈りについてもしかりです。20年間朝晩欠かしたことはありません。
>頭の中の信仰ではありませんよ、決して。
>それを事情も知らない周囲から
>「本物でなかった」「本物ならなにがあっても離れないはず」
>などと言って欲しくないのです。
>あなたにはあなたの体験があるように、私には私の体験があるのです。

お話を聞いて、ゆまさんはクリスチャンなのだなと感じました。
教会から離れているということでしょうか。
そして、今はクリスチャンではないと、ご自身はお思いなのですか?
もしそうだとしたら、それまで体験されたことについては、どうお考えなのでしょう。


それと について
>それなのに思い当たった人がいたようで。。。
>あわてて反応するなんて、やはり本音でそう思っていた証拠ですかね。

明らかに私の投稿を読んでの投稿(自由意志のこととか)であるにもかかわらず、その言い方は・・・ちょっと嫌味ですね^^;
気分を害された中で書かれたのでしょうね。。
私の責任ですね。本当に申し訳ない。


無慈悲な現実→無慈悲な人間ですね。。
私自身も自分は慈悲が無いなと思うことが多々あります。。
神が無慈悲なのでは決してないと思います。
ただ、人間は、どうにもならないことの責任を、都合良く神に負わせようとする。
普段は信じもしない神に、つらい現実に直面する時だけ、その責任を負わせる。
それも一つの神頼みでしょうか。
責任転嫁をする中に、本質は見えてこないと思います。
創世記の初めに、人間の神への責任転嫁が出てくるのも、象徴的ですね。
2011-08-28 日 22:21:53 | URL | まこと [編集]
一言だけ
「黒人奴隷」の主題からそれてきているので短く一言だけ。

>お話を聞いて、ゆまさんはクリスチャンなのだなと感じました。

かつてはそうでしたが、現在は違います。
誤解されたままではイヤですので、それだけははっきりさせておきます。
私個人のプロフを書くことが目的ではないですし、主題からそれてきてますので、これ以上のことは書きません。
私個人の状況についての質問はご遠慮下さいね。
2011-08-28 日 23:19:16 | URL | ゆま [編集]
殺すのが愛? 地獄に落とすのが愛!?
>完璧であれば、何も関わる必要が無い。
>人と人が関わり合うのも、お互いが不完全だからだと思います。
>神の本質は交わり。
>人間はその交わりの素晴らしさために、不完全に造られているのではないかと思います。これは私の考え。

素晴らしいお考えですね。
ですが、実際には聖書の神は、人間の不完全さに対してどんな仕打ちをしてきたのでしょうか。

>想像してみて下さい。自分の子どもを育てるとき、すべて自分のいうことを分かってくれ、悪いことは何もしない、完璧な子を求めますか。
>そうなるように育てますか。

聖書の神様は、そういう「完璧な人間」でないところを見せた人間は、
虫けらのようにブチ殺しているようにしか見えませんが。
創世記の大洪水をはじめ、火つけ法を間違えただけでナダブとアビブを焼き殺し、
食事のことで文句を言っただけで人々を疫病で殺戮、等々切りがありません。
新約でも、地獄に落ちた人々は、永遠に続く火と硫黄に苦しめられ続けます。

>失敗をしても、不完全でも、それでもそのことに気づける心を与えられました。

>私は教師をしていますが、なんでも言うことを聞き、間違いを犯さない良い子よりも、失敗をしたり間違いを犯すけれど素直な子どもに心を惹かれます。(もちろんどんな子どもも大切です)
>なぜなら、後者の子どものほうが、自分の心で良いことを見つけていくし、何より私との交わりがそこにあるからです

過ちに気づいたり、自分の心で良いことを見つけるためには、何より「その後も人生が続く」ことが大切ですが。
殺されたり、永遠に続く地獄に叩き落とされたりしたらもうお終いなんですが。
「人間はその交わりの素晴らしさために、不完全に造られている」のなら、どうしてその不完全さを見せた人間は、
神に殺されるのですか? 神によって、永遠に続く地獄に叩き落とされるのですか?


>う~ん。であれば、人間は機械のように、決められたことをする生き物であれば良かったのでしょうか。

上記のように、不完全さを見せた人間は殺され、祝福されるのは
「息子のイサクを生贄に捧げよ」と言われればその通り捧げたアブラハムや、
「しかし、あなたの神、主が相続地として与えようとしておられる次の国々の民の町では、
 息のある者をひとりも生かしておいてはならない。」という命令通り虐殺した人々ではないのですか?
これが、「機械のように」神の命令を聞くだけの存在を求めているのでなければ、何なのでしょうか?

>それは、決して悲劇では無くて、本当は恵みで、そのように神に愛を持って造られたお互いだと知るときに、人は本当にその不完全さを認め合うことができるのではないかと思います。
>そしてそれは、お互いを創造された神という絶対的な存在を、間に置いたときにのみ可能な、受容し合える関係だと思うのです。

「不完全な人間同士、助け合って仲良くしよう」というのは、キリスト教に限らずとも普遍的な道徳ではないでしょうか。
どうしてキリスト教の神を間に置いたときにのみ可能になるのですか?

以下は横レスになりますが、

>旧約聖書にも出てきますが、エジプトの奴隷として苦しんでいたイスラエルの民を見ながら、神はどこにいたのか?
>神は見ておられ、叫びを聞いておられ、叫びを聞いて助けられました。

>救いの定義も色々で、クリスチャンの中でもひどい扱いを受け、虐げられて殉教していった人たちが沢山います。
>が、彼らは自分が不幸だと思って死んではいきませんでした。
>心は救われていたんですね。

だったらなぜ神は、イスラエルの民を助けたように黒人奴隷を助けなかったのですか?
しかも彼らはキリスト教徒でもなんでもありませんでしたから、あなたの言う「心は救われていたんですね。 」
ということもなかったはずです。
なぜ神は、イスラエルの民は直接介入して助けておいて、黒人奴隷たちは「心の救い」さえなく苦しんで死ぬままにしたのですか?

あと、出エジプト記に書かれている、神がファラオの心をかたくなにし、そのたびにモーセが災いを
エスカレートさせていく描写についてどう思われますか?
私には「神によるマッチポンプ」「やりすぎ」としか思えないのですが。
2011-08-29 月 20:02:04 | URL | ササキエル。 [編集]
キリスト教徒の思考回路は理解不能
旧約の奴隷制度は戦争後の捕虜を虐殺せずに奴隷にして、いつの日かに開放しなければならないってことだと思うんです。昔、ユダヤ人がエジプトの奴隷だったことも関係してるだろうし、ギリシャ文明、メソポタミアなんかも奴隷制度があったことも関係しているのでしょう。ですから、私は肯定的な立場で旧約の奴隷制度を見ています。

しかし、キリスト教徒の奴隷制度は戦争後の捕虜の扱いというよりは、奴隷貿易をする為に戦争を仕掛ける非道で野蛮な行為です。戦争というよりは一方的な虐殺と捕縛です。土地を巡って争うわけでもなく、信念や宗教の争いでもない。ですので、キリスト教の奴隷制度には吐き気がします。

>この曲には、黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められているといわれている

桃栗さんが指摘するように死んだり売られた黒人奴隷のことなんか綺麗さっぱり忘れて、神に許されたことを感謝する。そして牧師になり神に仕える身となった。普通だったら自分が売り払った黒人奴隷を買い戻して自由の身にするとか、奴隷解放運動に参加するとか、死んでいった黒人奴隷の為に墓をたてるとか・・・・神に感謝するって神経は私には信じられません。私がキリスト教徒でないからこの神経回路が理解できないのか、本当に分かりません。

① 罪を悔い改める 理解出来ます。
② 苦悩する 理解出来ます。
③ 許しが与えられる ← ここから理解不能です。
④ 神の愛に対する感謝 ← もう完全にぶっ飛んでます。加害者意識ゼロどころか、脳内幸せ回路作動中。

罪を犯さずに普通に生きて神の愛に対する感謝なら私にも理解出来ます。しかし、罪人が許されて神に感謝するって思考は本当に分かりません。新約の中にもこんな思考回路は書かれていませんよね? 誰か解説を願いします。 
2011-08-29 月 23:56:47 | URL | 異教徒 [編集]
まことさんに質問
まことさん

私はキリスト教徒の思考回路を理解できませんが、あなたは理解を示してます。そして、そんなあなたを私は理解できません。ですので、あなたに質問したいことがある。

>そんな、神の愛でそれ以外何も考えられなくなってしまうとき、それは盲目かもしれませんね。 でも、そんな盲目になるくらい、自分自身が愛されているという喜びを感じることが、そこから新たに周りに目を向けていくスタートになるのだとも思います。そのままでいるならば、人間はどこまでも自己中心的ですから。どんな善人でも。

ジョン・ニュートンこそ自己中心的だと思うんです。神の愛に触れようが、神に許されようが、それは全て個人の心の中の出来事です。しかし、あなたは神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的だと言う。

質問

①罪を背負って苦しみながら生きている人と、神の愛に触れ許されたと目覚めた(心の中で一方的に許されて被害者の恨みすら忘れた)人と、どっちが自己中心的?

②神の愛を知らない善人の日本人と、非道の限りを尽くして改心してキリストの愛を語る西欧人と、どっちが自己中心的?

③キリストの愛に目覚めた人数が限りなくゼロに近い日本社会と、キリストの愛に目覚めた人が多い西欧社会、どっちが自己中心的社会?

④800万もの神がいてブッタもイエスのその内の一人だとする新道と、他の民族にもたった一つの神しか認めないキリスト教と、どっちが自己中心的?

⑤自然と共存する社会を目指した過去の日本と、自然と敵対して森林伐採しまくった西欧と、どっちが自己中心的?

⑥古来から信仰してきた新道と仏教を信仰する日本人と、周りと違ってもキリスト教が正しいと言い張る日本人と、どっちが自己中心的?

私の答えは全て後者のほうが自己中心的だと考えています。しかし、あなたの言い分では前者が自己中心的になる。ですので、その理由を私にもわかるように説明してください。私が説明を納得できれば、ジョンの思考回路を理解出来るはずなんです。

2011-08-30 火 00:00:15 | URL | 異教徒 [編集]
巨大虎猫さま
奴隷制度肯定論者たちの主張を教えてくださってありがとうございます。

ふと、疑問に思ったのですが、大航海時代に奴隷反対論者のキリスト教司教はどれくらい存在したのか知ってます? 反対運動みたいなものがあったのでしょうか?

2011-08-30 火 00:05:52 | URL | 異教徒 [編集]
奴隷制
大航海時代のひとつ前の14世紀からキリスト教トップのローマ法王が奴隷制を奨励、追認していたと思います。
それは新大陸で大虐殺と奴隷化を容易に行わせる素地になったでしょう。12~14世紀の法王は特に人間性がはっちゃけぶち壊れていた点も見逃せません。
2011-08-30 火 10:59:04 | URL | ピンフ [編集]
誰かを苦しめ悲しませ傷つけた時許される道はただひとつです。相手に「私はあなたを許す」という言葉をもらうことだけです。本当に相手に許してもらいたければ神に許されたと感謝する前にその相手に「許す」と言ってもらえるまで土下座するなり相手の心に添えるまで何らかの努力をしたらどうですか?
2011-08-30 火 20:19:22 | URL | オレンジ [編集]
この記事について
後の黒人奴隷に対する作詞者の反省、気持ちや行動、
それら一切が記されていないのであれば、
我々があれこれ詮索して言い合うことでは無いのでは?

「キリスト教」が聖書には記されていない教えを、
聖書の一句を示して自己解釈で正統化することと、
ある作詞家が神への賛美について記した詩を持ちだして、
不幸に会われた人々の死をやり玉にあげること、
どちらも自己中心的です。

ちなみにキリストを知らずに無くなった人々が地獄へ堕ちるなどと言う記述は、
聖書には一言もありません。
2011-09-01 木 16:24:00 | URL | 上紀元 [編集]
私はここのブログで前に議論のコメントをしてから数ヶ月遠慮してROM
してきましたが、この記事のコメントで皆さんが盛んに議論しているので、
私も言わせていただきます。

直前の上紀元さんの"この記事について"と題するコメントは、元記事を捻じ
曲げて引用して批判しています。

> 「キリスト教」が聖書には記されていない教えを、
> 聖書の一句を示して自己解釈で正統化することと、
> ある作詞家が神への賛美について記した詩を持ちだして、
> 不幸に会われた人々の死をやり玉にあげること、
> どちらも自己中心的です。

元記事は、「ある作詞家」ではなく、クリスチャン・ホームに生まれながら
黒人奴隷の人身売買で大儲けし、その後、大嵐から助かったことをきっかけ
に罪を悔い改めて牧師になり、「アメイジング・グレイス」を作詞した、
ジョン・ニュートンを取り上げています。

元記事は、「不幸に会われた人々の死をやり玉にあげる」のではなく、
ジョン・ニュートンの書いた歌詞が、神を信じる機会もなく死んでしまった
黒人奴隷のことはそっちのけで、自分が神に救われて恵みを与えられた喜びを
歌っていること、そして、現代のクリスチャンはどう思うのかと突いて
いるのであって、元記事にはっきり書いてあります。

上紀元さんは、そういう元記事の批判から逃げているだけです。
2011-09-02 金 08:32:56 | URL | AC [編集]
ACさんへ
この記事を読んでいる方々に「ある作詞家」と記せば、
ACさんが説明して頂いた生い立ちのジョン・ニュートンの事である、と
気付いてもらえるのは明白です。
この様な場では無駄に長い文面を避けるものでしょう。
(以前、桃栗さんにも御指摘頂きました)

>神を信じる機会もなく死んでしまった 黒人奴隷のことはそっちのけで、

これはそもそも詩を作らなかったのか、作ったが世に出回らなかったのか、
はたまた歌詞とは別の形で謝罪の意を表したのか、今の我々やこの記事からは認められない事から、

「神の事は詩にして賛美したが、被害者たちはそっちのけ」

と言う結果に至るには早計ではないか、との思いから前回の文を記しました。
2011-09-02 金 11:38:24 | URL | 上紀元 [編集]
ジョン・ニュートンのことは以前日本キリスト教団の教会でその生涯の評価を牧師から聞いたことがあります。

――アメイジング・グレイスは美しいメロディーで世界的に知られる讃美歌だが、そこにはジョン・ニュートンという人物の奴隷貿易商だった過去があり……結局、彼は神の道具として用いられて、悔い改めてこの讃美歌を作った。――

という話だったのが印象的だったのを思い出します。

ここで「神の道具」というのはキリスト教でよく使う用語ですね。

私は牧師のこの話が、未信者として違和感ありまくりだったんですが、アメリカの黒人教会のクリスチャンもアメイジング・グレイスを賛美することを思うと、キリスト教ってまあこんなもんかなあと妙に納得します。
2011-09-03 土 06:22:44 | URL | 未信者 [編集]
ササキエル。さん
お返事が遅くなりました。申し訳ありません。
新学期が始まったもので、一気に忙しくなってしまいました。

>聖書の神様は、そういう「完璧な人間」でないところを見せた人間は、 虫けらのようにブチ殺しているようにしか見えませんが。
>創世記の大洪水をはじめ、火つけ法を間違えただけでナダブとアビブを焼き殺し、
>食事のことで文句を言っただけで人々を疫病で殺戮、等々切りがありません。
>新約でも、地獄に落ちた人々は、永遠に続く火と硫黄に苦しめられ続けます。

神が怒られたり、裁きを下されたりした理由は、本当にササキエル。さんがおっしゃるように「不完全だったから」でしょうか?
そうではなく、神に対して不従順だったから、ではないでしょうか。
はっきりと「不従順の罪」と書かれているところもありますが、結局は造り主である神を、無視し、軽んじ、背を向けて、

都合の良いときだけ自分勝手な頼みをし、

都合の悪いときはその神に責任転嫁をし、

そういう、神を神と思わない思いを見て、神は裁かれているのではないでしょうか?
何が神の怒りの対象なのかは、聖書をよく読めば明らかに、不完全さではなく、神に対する不従順です。
火付けを間違えたから殺されたのでも、文句を言ったから殺されたのでもなく、軽んじていたからではないでしょうか。

こう言うと、「やはり命令を聞くだけの存在ではないか」と言われそうですが、ソドムとゴモラの箇所はご存知でしょうか。
ソドムとゴモラに対しての神の裁きに、アブラハムが意見する箇所です。
そこからは、神を信頼するアブラハムの、神に対する祈りがあります。
神という存在を正しく認識し、正しく向かい合うならば、意見することは罪ではない。
神はアブラハムを「おまえの判断は間違っている」と言って殺しはしませんでした。

神が人を殺される理由は、私にも分かりません。
人間の考えでは、人は死んだら終わり。
そして死んでしまっては救いも何もない。
しかし、神様にとっては生も死もその手中にある。
しようと思えば、誰だってよみがえらせることがおできになる。
とすれば、神様が支配しておられる命に対して、とやかく言うことはできないと思います。
ただ、神様が憐れみ深いかたであることを信じる他ない。
神様が憐れみ深い方であることを示す聖書箇所も沢山あります。

私も何人も、神を信じずに天に召された親族をもっていますが、そのたびに憐れみを請い祈る他何もできませんでした。
どうなるのか?
どうなったのか?
どういうことなのか?
分かりません。
それでも神ご自身は信じるに値すると思うから、信じる。ただそれだけです。

>「不完全な人間同士、助け合って仲良くしよう」というのは、キリスト教に限らずとも普遍的な道徳ではないでしょうか。
>どうしてキリスト教の神を間に置いたときにのみ可能になるのですか?

私たちをつくられた神を中心にする以外に、私たちが自己中心から解放される手段がないからです。
人は皆、多かれ少なかれ、突き詰めれば結局は自分の価値観で目に映るものを判断し、見切りをつけ、自分のために生きるものからです。
自分以外のために生きること、それは神から離れている人間にはできないと思います。
結局は、自分がよく思われたいため、自分の満足のため、自分の納得のため、自分の安心のためにしているに過ぎない。
神につながれていたって、それは自分の力ではできません。
神から離れた時点で、神から無条件に受け入れられているところから離れてしまった時点で、人は自分で自分を守るしかなくなったからです。
無尽蔵に愛と満足を求められるのは、神以外にありません。
人にもものにも自分にも限界がある。
そこに満足を求めるならば、必ず自己中心になると、私は思います。
その中で、本当に真心から相手に献身して生きることは、私にはできません。
したいと願うのですが、私の力ではできると思えません。
何をしても、どんなに心をこめてしているつもりでも、結局自分のためなんです。
そして人を傷つけるんです。
ササキエル。さんは、こんな風に考えたこと、感じたことはありませんか。
私には愛が必要です。安心が必要です。
それが無ければ、自己中心から抜け出して他者を愛することができないんです。

>だったらなぜ神は、イスラエルの民を助けたように黒人奴隷を助けなかったのですか?
>しかも彼らはキリスト教徒でもなんでもありませんでしたから、あなたの言う「心は救われていたんですね。 」
>ということもなかったはずです。
>なぜ神は、イスラエルの民は直接介入して助けておいて、黒人奴隷たちは「心の救い」さえなく苦しんで死ぬままにしたのですか?

それこそ分からないのではないですか。
そのような苦しみの中で、神に出会った人もいたでしょう。
苦しみの中でこそ、神に助けを求める人が多いようにも思います。
そして神に出会い、信じた人もいれば、逆に拒んだ人もいたでしょう。
それに関しては、黒人奴隷であっても、ふつうの生活をおくって死んだ人であっても同じだと思います。
話がそれるのでまたの機会に話しましょう。

>あと、出エジプト記に書かれている、神がファラオの心をかたくなにし、そのたびにモーセが災いを
>エスカレートさせていく描写についてどう思われますか?
>私には「神によるマッチポンプ」「やりすぎ」としか思えないのですが。

いくつかの可能性があると思われますが、私は、新約聖書で盲人の目を開けたイエスが
「これはこの人の罪のためでも、この人の両親の罪のためでもなく、神の栄光が表されるため」
と言われたことと同じに思います。
それを見たイスラエルの民、またエジプトの民が、本当の神の存在を知るために、ファラオの心が頑なにされる必要があったのだと思います。
災いに関しては、ユダヤ教徒が話を盛った可能性もなきにしもあらずだと思いますが。
そういう表面的なことは別にして、神が栄光を表すため、そしてそれによって神を知る人が起こされるため、そして究極的には、イスラエル民族も悔い改めたエジプト人も救いに導くため、でしょう。
裏返せば神の憐れみ、神の救いのチャンスなのだと思います。
2011-09-03 土 08:33:09 | URL | まこと [編集]
異教徒さん
こちらもお返事が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

>まことさん
>私はキリスト教徒の思考回路を理解できませんが、あなたは理解を示してます。そして、そんなあなたを私は理解できません。ですので、あなたに質問したいことがある。

>ジョン・ニュートンこそ自己中心的だと思うんです。神の愛に触れようが、神に許されようが、それは全て個人の心の中の出来事です。しかし、あなたは神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的だと言う。

>質問

>①罪を背負って苦しみながら生きている人と、神の愛に触れ許されたと目覚めた(心の中で一方的に許されて被害者の恨みすら忘れた)人と、どっちが自己中心的?

罪を背負うというのは、聞こえはいいですが、厳しく言えば、
自分がどうにかしなければ、自分にどうにかできる、という自己中心の現れではないでしょうか。
罪は取り返しがつかない。謝っても、何かを返しても消えない。命を捧げたって取り返せない。そういうものだと思います。
なのに何とかしよう、自分で何とかできるというのは、高慢ではないでしょうか。自己中心です。
そして後者の、恨みすら忘れた人ですが、私はそういうクリスチャンを肯定した覚えはありません。
ジョン・ニュートンについても、私は「彼だって悔い改め、自分のしてきた過ちについて悔いて語っていただろう」と書きました。
聖書も、救われて罪赦されても、自分が危害を加えた相手に対して誠実に努めることを言っていると思います。
例えば、イエス様は、「自分を捨て、自分の十字架を負い、それからわたしに着いてきなさい」と言われましたし、イエス様によって救われた取税人ザアカイは、それまでにだまし取ったものを返すと言っています。
そして、「多く赦されたものは、多く愛すようになる」とも言っています。
本当に赦されたものは、本当に人を愛そうと、自発的に思うようになるということだと思います。
それが無く、赦されただけで自己完結しているならば、本当にたちが悪い自己中心です。
よく読んでいただければ分かると思いますが、私はそういう人をクリスチャンとして述べていませんし、わたし自身もそういうクリスチャンにはなりたくはありません。
ということで、あなたの書いた①は、どちらも自己中心的。


>②神の愛を知らない善人の日本人と、非道の限りを尽くして改心してキリストの愛を語る西欧人と、どっちが自己中心的?

善人とは何をもって善人ですか。本人の善悪の判断で言う善人であれば紛れもなく自己中心的。自分の価値観ですから。
時代の価値観であっても、それを自分で評価して選び取っているなら自己中心的。
他者の評価であれば、それは不安定で、ある人から見たら善人であっても別の人から見れば偽善者かもしれません。
故に善人という評価そのものが、突き詰めれば誰かしらの自己中心からの評価でしょう。
後者は、本当の意味で改心し、それに悔いた行いが伴うならば良いのではないでしょうか。
本当の意味での改心をし、悔い改め、そして自分の無力さを認め、
自力で解決できるという高慢を捨てることができるなら、それは誰かの自己中心による「義人という評価」よりも、よっぽど自己中心から解放されていると言えないでしょうか。
そしてその本当の意味での改心は、全知全能の神に信頼すること以外にありません。
改心しても、自分でその後を何とかできると思っているならば、それは自己中心だと考えます。


>③キリストの愛に目覚めた人数が限りなくゼロに近い日本社会と、キリストの愛に目覚めた人が多い西欧社会、どっちが自己中心的社会?

社会について自己中心的か否かという判断は非常に難しい、というかできないと思います。
自己というのは個々人の問題ですから。


>④800万もの神がいてブッタもイエスのその内の一人だとする新道と、他の民族にもたった一つの神しか認めないキリスト教と、どっちが自己中心的?

800万もの神を作り上げ、自分の納得できるように、自分の都合の良いように解釈して、それらを時に応じて自分のために都合よく用いることは、紛れもなく自己中心的でしょう。
一方で、唯一の神を、自分たちだけの神だとして、排他主義に走るとき、それもまた自己中心的。
でも、本当に唯一の神に出会い、自分はその神を自分の道具として扱ってはいけないことを理解し、自分の判断や価値観、能力や限界よりも、神に信頼をおくならば、それは自己中心から自由になることです。
神中心ですね。

>⑤自然と共存する社会を目指した過去の日本と、自然と敵対して森林伐採しまくった西欧と、どっちが自己中心的?

これはもはや質問がよく分かりません(^^;)
私は西欧を取り上げて指示などしていませんし。
とりあえず、過去の日本についてですが、確かに過去の日本は自分よりも、自然とも人とも和を保つことを尊ぶ心をもっていたように思います。
しかしそれも突き詰めれば、自分たちの安全や、世の安泰、美的観念からきている自己中心ではないでしょうか。
これについては、日本の歴史文化についてもう少し勉強してみますね。


>⑥古来から信仰してきた新道と仏教を信仰する日本人と、周りと違ってもキリスト教が正しいと言い張る日本人と、どっちが自己中心的?

古来からのものとか、伝統を守ろうとするのは、和を好み、争いを避けようという、突き詰めれば自己防衛の気持ち、自己中心だと思います。
結局人は、自分で自分を守るしかないので、自己中心に走る。
自分が安心できるように、自分の価値観を確立し、自分の信念を握りしめ、ある時には争いが起こらないように黙っていてみたり、ある時には自分にとって邪魔だから排除してみたり。
神が守ってくれるなら、自分で自分を守る必要がないので、自分を捨てて他者に尽くすことができる。
それが、自己中心、罪からの解放です。
周りと違ってもいいのは、周りと同じという安心感を求めて自分を守る必要がないから。
そして、自分の判断に自信があって握りしめているわけではなく、本当に正しいものを知ったから、自分の信念ではなくて神を信頼してそれだけを信じている、ということです。
ですから、もし自分の価値観や考え、信念で神を理解し信じているなら(これが少し前に書いた「キリスト教信者」)、やはり自分に頼っているわけで、自分で自分を守る必要があり、自己中心からは解放されていないわけです。

聖書の教えの魅力はここにあると思います。
自由と解放。
自分のブログで今度記事を書こうと思いますが、あらゆるものからの自由が、神様のもとにはあるということです。
2011-09-03 土 08:59:35 | URL | まこと [編集]
「教会批判は神への反逆」
>異教徒さま

当時は奴隷制反対運動なんてありませんでした。カトリックもプロテスタントも、教会権力を批判することは、「神への反逆」とみなされ、破門、そしてそれに続く処刑を意味したからです。少し前の時代に、「神の福音を述べ伝える」という名目で中南米に渡ったキリスト教徒たちの蛮行を告発した、ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫に邦訳あり)というのがありますが、これとて長らく禁書となっていたそうです。(今でもこの本を面白く思っていないクリスチャンも多いようです。大学生のとき、この本を読んでいたら、多数のクリスチャンから「そのような俗悪本を読むのをやめて、魂の救いにつながる本を読みなさい」というようなことを言われました。その中には、大学のキャンパスの中で宣教活動をしていた、そのエリアでは有力な福音派の牧師もいました。彼らは「結果として中南米がキリスト教化されたのだから、何が悪い。」というようなことまで言っていました。)

クリスチャンの蛮行は決して「過去の出来事」ではありません。某国の福音派右派の多くは、自国の軍隊が中近東を侵略し、占領をすることが「主の御心」である、と本気で信じているようです。また、第2次世界大戦中では、クロアチアのカトリック系ファシスト団体ウスタシャは、従軍司祭立会の下、セルビア人の正教徒たちを集めてカトリックの聖水をかけて(要するに、一方的にカトリックの洗礼をした)から皆殺しにしたりしました。そして、「正教徒であった彼らは死の直前にカトリックになり、天国に召された。」(「ポアされてよかったね。」とほとんど同次元)と言い放ったのです。
2011-09-03 土 13:11:19 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 「教会批判は神への反逆」
> 「結果として中南米がキリスト教化されたのだから、何が悪い。」

結局はこの独善性が全てでしょう。
何人殺しても強制改宗すれば神に喜ばれる。彼らが誇らしく語る「神」って何だろうと思ってしまいます。(ほとんど悪魔?)

18世紀の英国は黒人奴隷で莫大な富を築いていたから反対運動も起こせなかったんじゃないかと思います。景気が停滞しますからね。
2011-09-03 土 14:15:30 | URL | 言霊 [編集]
まことさん
あなたは神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的だと言う。

あなたの返答を読んでいると、本当に詭弁に聞こえるのは私だけでしょうか?「どんな善人でも」と言ったのに、「善人なんてのは自己中心的か、存在しない」とあなたは言う。「罪を背負って苦しむ」には「自分でどうにか出来る」と勝手な解釈を付け加える。③の質問には、人と社会は無関係だと言う。④と⑤と⑥については、もう帰す言葉はありません。

「キリスト教徒だから」あなたが詭弁を繰り返したとは思えなくなってきました。あなた自身のつまらないプライドの為に、無理やりに自分の発言を肯定しているんじゃないですか?

私は「どんな善人でも」に、日本人や異教徒を含めることが許せないんです。そもそも、あんたの言う「神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的」説はキリスト教の正式で共通する認識なんですか? 聖書に書いてありますか?書いてあるのなら教えて下さい。「偽善者」はあったと思うのですが、偽善者を「神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的」に飛躍させたのは、まことさんの勝手な解釈じゃないんですか? 聖書に書いてあったとしても、私は「神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的」を肯定する気は一切ないですけど。なぜなら、多神教の方が一神教よりも自己中心的だとは絶対に思えないです。しかし、聖書に記述があるのなら教えてください。それについて考えたいからです。
2011-09-03 土 14:26:04 | URL | 異教徒 [編集]
教会批判は神への反逆

神の名の下に残虐行為への献身を強要する。魔女狩りも同じ構図ですよね。誰にも止められない・・・・・キリスト教徒の中にも奴隷制度や魔女狩りに反対する人はいたと思うんです。でも、声を上げれないって怖いですよね。

新約聖書を好き勝手につなぎ合わせて、人間の意志を神の意図に置き換えてきたキリスト教徒を見ると、人が悪いのではなく、中途半端な新約聖書(聖書にも良いことは書いてあるし、キリスト教徒の中にも尊敬する人はいるけど)に問題があると思うのですが、日本人キリスト教徒がなぜそれに気づけないのかが私には分からない。

>クリスチャンの蛮行は決して「過去の出来事」ではありません
私は一神教が世界を破滅させると本気で信じています。審判の時に、涙を流して神に感謝する一神教徒が山ほどいるのかと考えると、なんていうか、怒りを通り越して笑うしかない・・・・ 私の被害妄想なんでしょうか・・・・
2011-09-03 土 15:32:04 | URL | 異教徒 [編集]
>一方で、唯一の神を、自分たちだけの神だとして、排他主義に走るとき、それもまた自己中心的。
でも、本当に唯一の神に出会い、自分はその神を自分の道具として扱ってはいけないことを理解し、自分の判断や価値観、能力や限界よりも、神に信頼をおくならば、それは自己中心から自由になることです。
神中心ですね。

実際のクリスチャンの中にこの「神中心」の信仰を持っている人がいるとは思えないんですけどね。
というか上記の「神中心」の考え方には元から無理がありますね。
なぜならこの「神中心」の思考は自分の判断や価値観で選んだ宗教のものだからです。そしてこの宗教は他の神を認めていません。

信者は、結局「他宗教を弾圧せよ。」とは行かないまでも、
「間違っている事にいつかは気づく日が来るから、暖かく見守ってあげよう。」という不遜な考えしか持てないわけです。
2011-09-03 土 22:56:24 | URL | victim [編集]
異教徒さん
>私の答えは全て後者のほうが自己中心的だと考えています。しかし、あなたの言い分では前者が自己中心的になる。ですので、その理由を私にもわかるように説明してください。

とおっしゃられたので、「自己中心」という言葉を中心に答えました。
それに、「あなたの言い分では前者が自己中心的になる。ですので・・・」と、私が言いもしないことまで私の考えにされ、一方的に質問を並べられたので、訂正をしながらお答えしたまでですが(^^;)
私の伝え方が誤解を招いたのであればお詫びします。
ですが、あなたが読み違えていた部分もあったのではないでしょうか。
その点はいかがですか。その食い違いに触れもしない、誠実さに欠ける返答に、正直驚いています。


私の言葉ではなく、「私の意見をあなたが解釈して書いた言葉」にそってお話しするならば、
>神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的だ
これはそう思います。
突き詰めれば、結局はそれは自分のためだからです。

>善人は自己中心的か、存在しない
ちょっと語弊があります。
善人「も」自己中心的。
そして、神から離れた善人は、結局は自己中心的なもので、本当の善人(聖書では義人という言葉で出てきますが)ではない、といいたいのです。

>「人と社会は無関係だ」と言う。
・・・って待って下さい、そんなこと言ってません(^^;)
ぶっとびっましたね。
私は、あなたが質問してきた「自己中心的」という言葉を考えるとき、自己中心的社会という言葉は日本語としておかしい、と、そう思ったのですが・・・。
ひとまとめとして考えるには、色々な要因が重なり合って、考えるのが難しい、というか、この場合無理ではないかということです。
○○の人々はこうだ、と、はっきりと言い切ってしまえば、それは無理解による偏見をもつ危険性があります。
皆さんがキリスト教を否定することに関しても、同じことが言えると思うことがあります。

キリスト教を否定すること
聖書を否定すること
教会を否定すること
キリスト教の発祥の地である西欧を否定すること
キリスト教に影響を受けた欧米を否定すること
それらはすべて、違うことだと思います。
もっと言えば、同じキリスト教でも、カトリックを否定することと、プロテスタントを否定すること、
福音派を否定することと、聖霊派を否定すること、
クリスチャンのAさんを否定することとクリスチャンのBさんを否定することも違うはずです。
それを一緒くたにしておられる方がいる。
だから、キリスト教の話をしているのに、「西欧についてどう思うか」などという質問が出る。
西欧とキリスト教は別でしょう。
影響を色濃く受けているにしても、他の要因もあるにも関わらず、それは無視して、責任をキリスト教に押しつけて考える。
そういう考え方で、本質が見えてくるとは思えませんが。

>私は「どんな善人でも」に、日本人や異教徒を含めることが許せないんです。そもそも、あんたの言う「神の愛に触れない人は、どんな善人でも自己中心的」説はキリスト教の正式で共通する認識なんですか? 聖書に書いてありますか?書いてあるのなら教えて下さい。

「あんた」というのは打ち間違いだと思いたいですね。。

聖書には、ローマの3章に、
「義人はいない。ひとりもいない」
「すべての人は、罪をおかしたので、神からの栄誉を受けることができず・・・」
と書いてあります。

>多神教の方が一神教よりも自己中心的だとは絶対に思えないです。しかし、聖書に記述があるのなら教えてください。それについて考えたいからです。

何度もいいますが、ひとりの人間について話をしなければ、自己中心的かどうかの議論はできないと思うんです。
罪=自己中心 それは、○○の人々の方が××の人々より自己中心的かどうか、などという議論をしたいのではなくて、
ひとりの人が自己中心的になっているとはどういう状態かを言いたいのです。
多神教の人だからこう、とか、一神教の人だからこう、とか、人ってそんな単純なものですか?
多神教でも色々な人がいる。でも私は、多神教は結局自分のために都合良く神を使っているだけだと思うので、自己中心的だと考えます。
多神教であっても自己中心的でない信仰の仕方があれば、逆に教えて下さい。
自分よりも上に置く存在が多数いるということですか。
その中でもっとも重要なものはどうやって決めるのですか。
やはりそれは、自分の都合と自分の判断で決めるのではないでしょうか。

一神教でも色々な人がいる。一神教であっても、その唯一の神を侮り、自分の都合の良いように使っているだけの自己中心的な人もいるでしょう。このサイトで指摘されているように、利益のために利用して信者を虐待したりする人もいます。
でもそうではなくて、本当に唯一の神にだけ信頼し、自分の限界を知り、自分で自分を守らなくてもいいことに気づき、自己中心から自由になったとき、
初めて真に人を愛せるのだと思います。
私はそういうクリスチャンになりたいと思っています。
そしてパウロが言うように、
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。」ピリピ3:12~14
それがクリスチャンの姿だと思います。
たとえ現実に、そこに到達していなくても、このイエス・キリストという道を歩んでいる人、歩み続けることが。
2011-09-04 日 01:37:05 | URL | まこと [編集]
>多神教でも色々な人がいる。でも私は、多神教は結局自分のために都合良く神を使っているだけだと思うので、自己中心的だと考えます。
多神教であっても自己中心的でない信仰の仕方があれば、逆に教えて下さい。
自分よりも上に置く存在が多数いるということですか。
その中でもっとも重要なものはどうやって決めるのですか。
やはりそれは、自分の都合と自分の判断で決めるのではないでしょうか。

この意見をされている方は他の宗教に対する理解が浅いなあと思いました。
神道でも仏教でも他の新興宗教でも「自分のために都合良く神を使っているだけ」なんて事はありません。
それぞれ真剣に神を敬い、従っています。宗教の信じる神が複数の場合は教義によって神の体系を理解していますし、自分で勝手に決めてなどいません。

キリスト教だって、キリスト教の神が唯一の神だって「自分の都合と自分の判断で決める」のではないでしょうか。
それのどこが他の宗教と違うのでしょうか。
身びいき的な考え方だと思います。

例えば、比叡山廷暦寺の千日回峰行を達成された阿闍梨に向かって同じ事を話してみたら、何と言われる事でしょうか?

たまたま自分が信じた宗教が「神中心でおのれを低くする(私も教会でさんざん教わりました。)」という教えを持っていたからといって、それが最高の考え方だと思い込み他の宗教を否定する愚かさに気づいて欲しいと思います。
2011-09-04 日 06:23:41 | URL | victim [編集]
まことさんへ
>多神教の人だからこう、とか、一神教の人だからこう、とか、人ってそんな単純なものですか?
>多神教でも色々な人がいる。でも私は、多神教は結局自分のために都合良く神を使っているだけだと思うので、自己中心的だと考えます。

まことさん御自身、多神教を「単純なもの」としていますよ(^^;

>多神教であっても自己中心的でない信仰の仕方があれば、逆に教えて下さい。

天皇が何故様々な祭祀を執り行っているか御存知でしょうか?
それは神への感謝、なだめ、我々国民の安寧の願いなどからです。
これが自己中心的でしょうか?
日本人は古来より、食事の前には「いただきます」と感謝し、
稲が実れば豊穣の神に感謝し、
魚がとれれば海の神に感謝し、
山の恩恵に与れば、山の神に感謝してきました。
これも自己中心的でしょうか?

争いの念にかられた時、人は自分をも見失います。
それからこの記事の趣旨から外れるやりとりは程々に(^^;
2011-09-04 日 07:08:46 | URL | 上紀元 [編集]
独善性の生ける標本
>まこと様

図らずもあなた御自身が「キリスト教の独善性」の生ける標本となってしまったようですね。
このような独善性は、何かの機会が与えられたときに、ここで話題となっている「奴隷貿易」のような惨劇を引き起こすものである、と私は考えております。

私は、歴史の研究(主として宗教に根差した戦争や紛争がテーマ)を始めてから、教会で教えられていることを素直に受け止められなくなってしまいました。あの独善的な主義主張が憎しみの種を撒いて戦争や紛争の火種となっていることに気付いたからです。(今でもキリスト教が数多くの紛争の原因となっています。しかも、その多くがキリスト教側に一方的に原因があるとしか思えません。)
2011-09-04 日 08:43:49 | URL | 巨大虎猫 [編集]
私も異教徒さんと同じくまことさんのコメントは詭弁にしか思えません。この場で一番自己中心なのはまことさんではありませんか?自分の犯した罪を自分で何とかしなければと苦しむ人さえも傲慢で自己中心だと言い切るあなたのコメントには相手を思いやる気持ちも優しさも感じられず上から目線での自己中心的な感情にしかうつりませんよ。
2011-09-04 日 12:08:47 | URL | オレンジ [編集]
まことさんへ。
>お返事が遅くなりました。申し訳ありません。
>新学期が始まったもので、一気に忙しくなってしまいました。

いえいえ、お返事は義務でもなんでもありませんから、
ご都合のよろしい時に、無理なさらず御返答ください。

>神が怒られたり、裁きを下されたりした理由は、本当にササキエル。さんがおっしゃるように「不完全だったから」でしょうか?
>そうではなく、神に対して不従順だったから、ではないでしょうか。

それでは、私の
「なぜ神は、人間を不完全に作っておいて、その不完全さを見せた人間はブチ殺すのか?
人間の不完全さは神の責任ではないのか?」
という疑問が、
「なぜ神は、人間に不従順になる可能性を与えておいて、実際に不従順になったらブチ殺すのか?
人間が神に対して不従順になるのは、神の責任ではないのか?」
に変わるだけなんですが。

だいたい「憐み深い方」なら、ちょっと不従順になったぐらいでブチ殺したりしないのでは?
殺す前に、もっとできることがあるのでは?

>神が人を殺される理由は、私にも分かりません。
>人間の考えでは、人は死んだら終わり。
>そして死んでしまっては救いも何もない。
>しかし、神様にとっては生も死もその手中にある。
>しようと思えば、誰だってよみがえらせることがおできになる。
>とすれば、神様が支配しておられる命に対して、とやかく言うことはできないと思います。

そう、神が人を殺す理由も、人間が死後どうなるのかも、結局、人間にはわからない。
キリスト教徒たちも、そのまま「わからないことはわからない」で留まっていたのなら、
私も何も言いません。

しかし、その「わからない」ことを恰も「わかる」かのように言い、
「異教徒は死んだら地獄の火で永遠に苦しめられ、その後のよみがえりや救いなどありはしないから、皆キリスト教に改宗させよ」
「我らの神を認めないのは、神自ら手を下すほどの大罪だから、改宗を拒んだ異教徒は皆殺しにせよ」
「異教徒は死ねば地獄行きだから、奴隷貿易でキリスト教世界へ連れ出すのが崇高な使命」
「すべてを殺せ。神は神のものを知りたまう。」
等々、キリスト教、および支配階級の白人たちにとって無制限に都合いい教義を構築してきたのが、
キリスト教徒たちではないのですか。

>神様が憐れみ深い方であることを示す聖書箇所も沢山あります。

そう、聖書なんて読み方一つで、残虐な神様から憐れみ深い神様まで、どんな都合いい
神観念でもひねり出すことができます。
あえて言いますが、そうした聖書から、自分たちに都合いい記述を切り貼りし、
自分たちが他者を支配するのに都合いい教義を構築してきたのが、
キリスト教ではないのですか?

>それでも神ご自身は信じるに値すると思うから、信じる。ただそれだけです。

ちょっと疑問なのですが、まことさんの信仰の仕方では、別にキリスト教の神である必然性が無いのでは?
と思うのですが。 
まことさんの信仰の仕方なら、キリスト教や教会から離れても十分やっていけると思うのですが、
どうしてキリスト教の神でないとダメなのでしょうか?

>私たちをつくられた神を中心にする以外に、私たちが自己中心から解放される手段がないからです。

>何をしても、どんなに心をこめてしているつもりでも、結局自分のためなんです。
>そして人を傷つけるんです。
>ササキエル。さんは、こんな風に考えたこと、感じたことはありませんか。

私も、自分の自己中心性に悩んだことはありましたが、
「人間はどうあがいたところで、自己中心性から逃れられはしない。他者も自分も、同じ自己中心性
 を持った人間なのだから、お互いの自己中心性を必要以上に責めず、最大限尊重する道を探っていけばいいじゃないか」
という考えに至り、自分を納得させることができました。
まあ、宗教的・思想的裏付けなど一切ない、自分の勝手な考えですが…。
逆にまことさんにお聞きしたいのですが、なぜ「自己中心性からの解放」にこだわるのですか?
自分や他人の自己中心性を認めつつ、それとうまく付き合っていく道を模索しようとする、私のような考えは害悪なのですか?

>それこそ分からないのではないですか。
>そのような苦しみの中で、神に出会った人もいたでしょう。
>苦しみの中でこそ、神に助けを求める人が多いようにも思います。
>そして神に出会い、信じた人もいれば、逆に拒んだ人もいたでしょう。
>それに関しては、黒人奴隷であっても、ふつうの生活をおくって死んだ人であっても同じだと思います。

そうですね。ただ、無数の黒人奴隷たちが悲惨の極致の中で苦悶し、悲嘆と苦痛の中で救いを求めて
死んでいったということは、人間の想像力で十分想像できると思います。
神以外にはわからないことに思いを馳せるのも結構ですが、人間が想像できる不幸や悲嘆、苦痛に
思いを馳せることも同じように大切ではないでしょうか。
そういった黒人奴隷の悲嘆に思いをよせることなく、「彼らにも神の恵みがあった」と神にしかわからないことを「わかる」かのように言って
美化するクリスチャン(まことさんがそうだと言っているのではありません。念のため。)に、桃栗さんは怒っておられるのではないでしょうか。

>それを見たイスラエルの民、またエジプトの民が、本当の神の存在を知るために、ファラオの心が頑なにされる必要があったのだと思います。

つまり、エジプトの民が信じていた神は偽物で、イスラエルの民が信じていた神こそが唯一の本物の神だった、ということでしょうか?
確かに聖書の中ではそのように描かれているでしょうが、まことさんもそうした考えの持ち主なのでしょうか?
2011-09-04 日 16:02:06 | URL | ササキエル。 [編集]
1.引用の長さ 2.まことさんの信仰体験
>上紀元さんへ

元記事と離れて申し訳ないですが、2011-09-02 金 11:38:24の

> この様な場では無駄に長い文面を避けるものでしょう。
> (以前、桃栗さんにも御指摘頂きました)

のコメントの、以前の桃栗さんの御指摘は、私を含む参加者全員
が留意すべきことと思い、探しましたが見つかりません。
可能なら、どこにあるか示していただけますか。


>皆様へ

まことさんは、ご自分が神の愛に触れた体験が具体的にどんな
ものであったか、桃栗さんのこの記事と他の記事のコメント欄
では、今まで説明していません。

しかし、ご自分のブログで、あることがきっかけで罪の意識を
持って自分を責め、悩んでいたとき、神の愛に触れて信仰を確立
したことを詳しく書いています。

それについて、私が皆様のご参考に供するため、2011年ゲストブック
に書きました。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-120.html#comment1915
2011-09-04 日 17:21:48 | URL | AC [編集]
ACさんへ
>>この様な場では無駄に長い文面を避けるものでしょう。
>>(以前、桃栗さんにも御指摘頂きました)

>のコメントの、以前の桃栗さんの御指摘は、私を含む参加者全員
>が留意すべきことと思い、探しましたが見つかりません。
>可能なら、どこにあるか示していただけますか。

これはタイトル、
「インマヌエルは一体どこへ行ったの?」の記事に於いて、
2010-01-20 水 07:44:39「イザヤ書8章についてNo.1」
2010-01-20 水 07:45:35「イザヤ書8章についてNo.2」
2010-01-20 水 07:47:04「イザヤ書8章についてNo.3」
と言う、私「上紀元521」の長い書き込みに対する桃栗さんの返信、
2010-01-31 日 23:32:39「Re: イザヤ書8章についてNo.3」
に記されています。
まぁ確かに長過ぎでした・・・

ttp://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-38.html
2011-09-04 日 23:06:38 | URL | 上紀元 [編集]
桃栗様・まこと様
桃栗様・まこと様

桃栗様

はじめまして。ニュートンさんの生い立ちと、この歌詞の由来をこのブログで知り驚いています。そして憤りを感じました。こういったキリスト教の問題点を取り上げて下さることは今現在苦しんでおられるクリスチャンの人々に考える機会を与えて下さるという意味で素晴らしいと思います。
新参者ですが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


まこと様

こちらのブログ他、色々まことさんのコメントを読ませて頂いています。
さて、このニュートンさんの問題にされている歌詞についてですが・・・
まことさんはニュートンさんが他の場で自分のしてきた事について悔い改めるお話をされているかも知れないとおっしゃっています。
しかし私は、たとえそうだったとしてもこの歌詞を読んで非常に不快感を感じました。  
なぜなら、この歌詞を聞いた被害者の子孫の皆さん(全ての人とは言いませんが)の心の傷に塩を塗りこむ様な詞だからです。 
自分のおじいちゃん、おばあちゃんが無残な殺され方をして、その加害者が書いたこの詞を目に、耳にした時の痛みはどれほどのものでしょう。
私の感性で恐縮ですが、それを思うととてもこの様な内容の詞は書けません。 
愛を知っていたなら、これ程に無神経な詞は書けない内容です。   
私もクリスチャンなのですが、この歌は頂けません。


2011-09-05 月 12:51:58 | URL | ワイン [編集]
ローマ人の手紙9章21節
重要なことを忘れていました。ローマ人への手紙9章21節です。キリスト教徒による奴隷貿易の輸送途上で命を落とした人、キリスト教への強制改宗の過程で虐殺された人が「苦しんだ上に地獄に行く」ということについて、当時はこの聖書の言葉で説明していたことが多々あったようです。今でも同様なことを言っているクリスチャンも多いようですが。

歴史の研究をしていると、我々の日常常識では考えられない価値体系にしばしば遭遇します。第三者には奇異に映っても、当事者たちはそれが「永遠の真理」であると信じきっていたりするのです。
2011-09-07 水 00:34:09 | URL | 巨大虎猫 [編集]
現実を見ようとしないクリスチャンは薬物中毒者と同じ
>ワイン様

はじめまして。
あなたのようにキリスト教史のダークサイドを直視しようとするクリスチャンは、あまり多くないと思います。私などは、まだ信仰心が残っていた頃、歴史上の事実とキリスト教団体で教えられていることのギャップに真剣に悩み、葛藤しました。どこの団体でも、私は歴史書を読むのを止めるように言われましたが、私は止めませんでした。結果として、あちこちのクリスチャンのコミュニティを追い出されたのです。(事実上の破門)現実を直視せず、キリスト教に陶酔しているクリスチャンは薬物中毒者と同じだと思います。現実の世界で生きて行くのに長い「治療」が必要になるものと思います。
2011-09-07 水 00:55:45 | URL | 巨大虎猫 [編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-09-07 水 10:34:03 | | [編集]
feedback
まず恐縮ながら自分紹介からはじめさせてもらいます。自分は韓国生まれ、幼いごろをそこで過ごしてから今はアメリカでアメリカ人になって公務員として暮らしています。I pray in Jesus nameを日本語でどうやってに表現するのか疑問に思ったことがきっかけでここまで足を運ぶことになりました。日本にいったことも、日本の文化もそんなにわからない外人の変な日本語を勘弁してください。

だけどいいたいことはあります。意見がまったく違うみんさんがただの嫌みではなく誠実に語り、議論する姿に心打たれました。これなら桃栗さんがブログを作った甲斐があるでしょう(キリスト教に感じる反感はともかく)。ところで、自分がChristianだからキリスト教を弁護したい気持ちはないです。なぜなら十字架戦争、ウイッチ ハント、スペイン異端審問などなどキリスト教の名前で行われた数えきれない残酷な行為をいうならきりがないからです。ジョン・ニュートンの場合みたいにChristianに感じられる嫌悪感は映画シークレット・サンシャインにもうまく表現されています。これはまさに日本より韓国でいるChristianのイメージが疲弊してるからでしょう。キリスト教と一緒に産まれたヨーロッパの歴史さえも、今は若者達が教会から離れています。これでも巨大虎猫さんのおっしゃるとおり薬物中毒者のようにChristianをやめられない理由とは? 

結論からいいますとキリスト教で知られる神様はどんな絶望的な状況でさえも、最後の最後でいつも切り札を持っています。例えばあまりの醜さで世の中のみんながChrisitianを皆殺しにしても、一番キリスト教を嫌っていた一人にキリスト教の神ヤハウェがその人に現れ、その人がドラマチックにChristianになる。また、その改宗された人が布教してキリスト教を迫害していたすべての国がキリスト教国家になる。こういうことはイスラエルの神にとってたやすいことだし、歴史的にすでに起っています。パウルがまさにその人でした。彼が言ったことをすこし引用します。

「11今の今まで、私たちは飢えと渇きに悩まされ、寒さをしのぐ着物さえあ
りませんでした。 自分の家もなく、どこへ行っても、冷たくあしらわれるばかりでした。
12また、生活のために、自ら汗水流して働きました。 私たちをのろう人たちを、かえ
って祝福し、危害を加えられても耐え忍び、 13ののしられても、おだやかに答えるの
が常でした。 それなのに、今この時に至るまで、私たちは、まるで足もとのちりや、ご
みのようです。」 ーー>これが彼の日常です。

「あなたが たが救われるためなら、私は永遠にのろわれてもかまいません。 むしろ、のろわれたい くらいです。 口先だけでこう言っているのでないことは、キリスト様も聖霊様も知って おられます。」 ーー>これが彼の覚悟です。

これは 薬物中毒者よりタチが悪い。。ちなみに、これを言ったパウルは一度キリスト教に関わる人を全部撲滅するために人生をかけた人でした。

ササキエル。さんへ、
もうすでに長くなりましたので一場所だけちょっとふれたいと思います。
>それでは、私の 「なぜ神は、人間を不完全に作っておいて、その不完全さを見せた人>間はブチ殺すのか? 人間の不完全さは神の責任ではないのか?」 という疑問が、
>「なぜ神は、人間に不従順になる可能性を与えておいて、実際に不従順になったらブチ>殺すのか?  人間が神に対して不従順になるのは、神の責任ではないのか?」
>に変わるだけなんですが。 だいたい「憐み深い方」なら、ちょっと不従順になったぐ>らいでブチ殺したりしないのでは?  殺す前に、もっとできることがあるのでは?

ササキエル。さんはいいことをおしゃいました。でも不完全さと不従順は神にとって正反対、一番極ともいいます。いい例としてはサムエル記?で出で来るサウルとダビデの話で見られます。ダビデのことは聖書でダビデ を、「神様のお心のままに」人生をやり遂げた人だといっています。そのダビデは不倫はもちろん自分の犯した犯罪を隠すために殺人まで起こしました。それに比べサウルは神の命令(皆殺しするはずの部族の動物をもったいないからって生き残した。)を聞かなかったことで神から完全に見放され、悲惨な結果に遭います。ここまで神が二人を差別(?)した理由はダビデは不完全さの中で神にすべてを託した、信頼した。サウルは神より人にどう思われるかを考えたり、神に従順する気がなかったからです。私たち人間は外見、結果、状況(もちろんすべて大事です)を見ますが、神をものの本質をみるので、観点の差が大きく変わります。

最後に神が人間をプチ殺すっておっしゃいましたが、神の観点からすれば人間はすでに死んでいます。(創世記3章を参考)前、話したように人間の体はいつでも蘇ることができるテント、服みたいなもんです。復活なしにキリスト教は語りません。(もしかしてこれはただの悪徳商術?) だから当然神の関心は人間のソウルにあります。この観点からすればこの世の中に起る現象だけをみたら人生のことを0.01%も理解できないことになります。

ここで重要なポイントは本当に死後の世界があるのかですが、論理的にいえばこのトピックは終わりません。議論したらしたで水平線になるだけでしょう(もうすでにこれを感じた方々もいるでしょう)。火に油を注ぐようなことばかり書いてしまいましたが、もっと嫌われても誤解するよりはマシかなと思いました。もっと嫌いになった人は聖書を読んで聖書の知識もほとんどないキリスト教徒をキャフンといわせるのもいいでしょう。弱点を暴き出すために聖書を読んでChristianになった人もいるようです。
2011-09-07 水 10:36:10 | URL | ジョセフ [編集]
もう一言
管理者さん、ごめんなさい。こういうことに慣れなくて二度もおしちゃいました。

上話した不完全さと不従順の差についてですが、聖書では「正しい人は七度倒れても、そ
のたびに起き上がる」といいます。つまり、正しい人は倒れないじゃなく、倒れても起き上がる。これも神の観点に過ぎませんが。
2011-09-07 水 10:56:30 | URL | ジョセフ [編集]
Re: 薬物中毒者と同じ
キリスト教の問題点は神との距離が近い点にあると思います。
至近距離に神を置いて語るので時に一部の人は「震災は主のご意思」などと神の代弁者の様に語るようです。“神がかり” となって怖いものナシの悪事、腐敗に染まった歴史はやはり麻薬中毒に近いものを感じます。

http://arcadissima.cool.ne.jp/KG/NT/NT.Inhalt.pdf
近代以降の研究では新約27書のうち約20書は「偽名書」である事が判明しています。つまり記者が思い思いにタイトルや本文をかたどった物が"神の言葉"として君臨しているのであり、それをなぞれば当然キリスト教に都合の良い自己中心の「神」「主」に引きずり込まれていくということです。

聖書読みにまともな人を見た事がありません。仏教は神を語らないのですっきりしてますね。
2011-09-07 水 23:51:23 | URL | ミスラ [編集]
奴隷制
奴隷制として連れ出された黒人は計5千万人を優に超えるらしいですね。
彼らの人生はどんなものであって死後はどうなっているのか・・・
人の命を労働力やお金としてしか見ない発想はどこから生じたのか・・・ それが神を信じた人間のしたことだとは理解に苦しみます。
2011-09-23 金 12:00:32 | URL | ゴーグル [編集]
はじめまして、たまたま通りがかった者です。
以前のコメントにありましたが、日本人は善人ばかり、という認識ですか?
だとすると、日本に犯罪者はゼロという事になりませんか?
特にキリスト教が槍玉にあがってますが、仏教であれ、日本神党であれ、犯罪はありませんか?
戦争で、日本は韓国等の人々に何をしてきたかご存知ありませんか?
酷い虐殺を行いましたが、韓国人は日本人を赦しました。
アメリカ兵の捕虜に対して何をしたかご存知ありませんか?
奴隷売買よりも酷い事をしてきているのです。
日本は他国からこうして赦されてきて今があるのですよ。
日本人は悔い改めたとお思いですか?
それと、皆さん、今まで生きてきた中で嘘をついたり人を傷つけた経験が全く無い方はいらっしゃいますか?
皆無ですよね。
皆さんは、悔い改めましたか?もし、悔い改めていないのでしたら、人に石を投げる事ができますか?
アメージンググレースの作者は自分の過去を悔い改めた、とおっしゃっているのだから、それ以上責める人がいるとすれば、その方が、誰かを傷つけた時に、赦してもらえないかもしれませんね。
自分で行った事は、必ずいつしか自分に返ってくるのですよ。
蒔いた種を刈り取る、とはそういう事です。
あなたが赦されるためにも、あなたも是非赦せる事ができますように。
完璧な人間などいないのですよ。
そして、人間はお互い赦し赦されながら愛のある関係を保っているのではありませんか。
人を赦せない人の周りには誰も寄り付かなくなりますよ。
皆さんのうえに、神の愛と赦しが与えられますように。
2011-09-24 土 05:55:56 | URL | クリスチャン28号 [編集]
キリスト教に「愛」という教義がなければ、いっそここまで嫌な宗教だと思わずに済んだと思います。
例えばこのブログに意見を寄せてくるクリスチャンのコメントを読んでも愛など何処にもありません。
愛、思いやりとは多種多様の人間に対する理解がなければ出来ませんので、一つの考えに固執しているキリスト教徒には元から無理だと思います。
教義に無理があるという事でしょう。
2011-09-25 日 08:29:45 | URL | victim [編集]
Re: タイトルなし
> 誰かを苦しめ悲しませ傷つけた時許される道はただひとつです。相手に「私はあなたを許す」という言葉をもらうことだけです。本当に相手に許してもらいたければ神に許されたと感謝する前にその相手に「許す」と言ってもらえるまで土下座するなり相手の心に添えるまで何らかの努力をしたらどうですか?

まったく同感です。
まさにその通りです。
自分が傷付けた本人に向かって謝らなくても、
「神に悔い改めれば赦される」という考え方は大嫌いです。
まずは傷付けた本人に謝るのが一般常識です。
2011-09-26 月 21:51:54 | URL | 桃栗 [編集]
Re: この記事について
> 後の黒人奴隷に対する作詞者の反省、気持ちや行動、
> それら一切が記されていないのであれば、
> 我々があれこれ詮索して言い合うことでは無いのでは?

記されていないということは、
結局は反省していないのです。
自分が救われたことしか眼中にないのです。
それに、クリスチャンだって、
救いの喜びを賛美するだけであって、
虐待された黒人の死後の行方なんて考えたことないでしょう?


> ちなみにキリストを知らずに無くなった人々が地獄へ堕ちるなどと言う記述は、
> 聖書には一言もありません。

しかし、聖書に書いていないにもかかわらず、
あたかもそれが書いてあるかのように教えるのが
教会の常套手段なのです。
昨年暮に私が書いた、キリスト誕生物語が好例です。
クッキングホイルさんがご自身のブログに書いていましたが、
クリスチャンは、聖書に書いてあることは信じず、
書いていないことを信じる不思議な人たちなのです。
2011-09-26 月 21:59:53 | URL | 桃栗 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-09-27 火 18:06:48 | | [編集]
Re: feedback
> まず恐縮ながら自分紹介からはじめさせてもらいます。自分は韓国生まれ、幼いごろをそこで過ごしてから今はアメリカでアメリカ人になって公務員として暮らしています。I pray in Jesus nameを日本語でどうやってに表現するのか疑問に思ったことがきっかけでここまで足を運ぶことになりました。日本にいったことも、日本の文化もそんなにわからない外人の変な日本語を勘弁してください。

そこまで日本語が堪能でしたら、
プロフィールに書いてあるこの日本語の意味は分かりますよね?

「記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。」
2011-09-30 金 21:52:28 | URL | 桃栗 [編集]
Re: Re: 薬物中毒者と同じ
> キリスト教の問題点は神との距離が近い点にあると思います。

他の問題点としては「神が私たちを愛しておられる」とされているところでしょうか。
だから、クリスチャンは何でもかんでも神の愛を盾にして
自分たちの過ちを正当化してしまうのではないかと思います。


> 聖書読みにまともな人を見た事がありません。

同感です。
聖書を信じる人には変わり者が多いですね。
2011-09-30 金 21:59:49 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
クリスチャン28号さん、コメントありがとうございます
と言いたいところですが、
結局あなたのコメントもクリスチャンによくある言い逃れに終始しているに過ぎません。
一見、丁寧なコメントに見えますが、
結局はこの記事の問いかけの答えにはなっていないのです。
私は、黒人たちの死後の行方について問いかけているのに、
あなたはブログの主旨には関係ない話を並べているだけです。


> 以前のコメントにありましたが、日本人は善人ばかり、という認識ですか?
> だとすると、日本に犯罪者はゼロという事になりませんか?

いつ私が「日本人は善人ばかり」と発言をしましたか?
もしもそう発言したなら、その箇所を一字一句変えないで引用してください。


> 特にキリスト教が槍玉にあがってますが、仏教であれ、日本神党であれ、犯罪はありませんか?

またまたクリスチャンお得意の言い逃れが始まりました。
クリスチャンはキリスト教の非を認めようとせず、
こうやって、他の宗教の話を持ち出して
「他の宗教だって同じことをやっているではないか」
とキリスト教への矛先をそらそうとするのです。


> 戦争で、日本は韓国等の人々に何をしてきたかご存知ありませんか?
> 酷い虐殺を行いましたが、韓国人は日本人を赦しました。

韓国では、日本の文化を規制する法律があり、
歌や映画などが今なお放送禁止になっているそうです。
これのどこが「日本人を赦している」のでしょうか。
一方、日本ではいわゆる韓流のアイドルやドラマが大々的に放送されていますね。
相手国に寛容なのは、むしろ日本の方ではありませんか?


> アメリカ兵の捕虜に対して何をしたかご存知ありませんか?
> 奴隷売買よりも酷い事をしてきているのです。

アメリカが日本に対して何をしたかご存知ありませんか?
広島や長崎に原爆を落としておびただしいほどの死者を出したのを知らないのですか?
ベトナムには枯葉剤を撒きましたよね。
911事件では報復攻撃しましたよね。
こういう類のことはすべて「神の名のもとに」正当化されてしまうのでしょうね。
日本がアメリカ兵の捕虜に対してそれよりもひどいことをしたのですか?


> アメージンググレースの作者は自分の過去を悔い改めた、とおっしゃっているのだから、それ以上責める人がいるとすれば、その方が、誰かを傷つけた時に、赦してもらえないかもしれませんね。

では、キリスト教というものは、
自分が命を奪った黒人奴隷本人達に対して謝罪しなくても、
神に悔い改めれば罪が赦されて天国に行けてめでたしめでたしですか?
それで過ちが赦されるとは素晴らしい宗教ですね。
キリスト教が世界中に広まった理由が分かるような気がします。
自己を正当化するには最適な宗教ですから。

自分が命を奪った黒人達は神を信じなかったから地獄行き、
そして自分は悔い改めて天国行きなのですから本当に素晴らしい宗教ですよね。


>それ以上責める人がいるとすれば、その方が、誰かを傷つけた時に、赦してもらえないかもしれませんね。

それで、私が神に赦されないからといって、
私の何が具体的にどう変わるのですか?


> 人を赦せない人の周りには誰も寄り付かなくなりますよ。

私はクリスチャンだったがために人が寄り付かなくなりました。
クリスチャン・ホームという特殊な家庭環境で育った私は、
世間一般の「人間の群れ」には馴染めなくなったのです。


> 皆さんのうえに、神の愛と赦しが与えられますように。

あなたがそう祈ったからといって何がどう変わるのでしょうか?
私たちに神の愛と赦しが与えられると何かいいことがあるのでしょうか?
お祈りとは本人の自己満足に過ぎません。
おまじないと同じです。
お祈りでこの世が変わるぐらいなら世の中苦労しません。
2011-10-03 月 22:35:30 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> キリスト教に「愛」という教義がなければ、いっそここまで嫌な宗教だと思わずに済んだと思います。
> 例えばこのブログに意見を寄せてくるクリスチャンのコメントを読んでも愛など何処にもありません。
> 愛、思いやりとは多種多様の人間に対する理解がなければ出来ませんので、一つの考えに固執しているキリスト教徒には元から無理だと思います。
> 教義に無理があるという事でしょう。

私も、キリスト教の教義で厄介なのは「神の愛」だと思います。
何でもかんでも「神の愛」を引き合いに出して自己を正当化できるわけですから、
本当に便利な宗教だと思います。
神がこの世に悪を創ったのも「愛」
大洪水で人類を滅ぼしたのも「愛」
イエスをこの世に送って十字架で死なせたのも「愛」、
そして、自分たちが人を傷付けても、
本人でなく神に謝罪(懺悔)して罪が赦されるのも「愛」ですから。
2011-10-05 水 21:53:08 | URL | 桃栗 [編集]
アメイジング グレイスの隠された真実に愕然!!
アメイジング グレイスって、
そんな真実があったとは
おどろきですね

なんか嫌な胸騒ぎをおぼえます。

前はとても美しいメロディーで
聞いていて、なんかいいなーと思っていたんですけど・・・、
まさか黒人奴隷の人身売買があったなんて

こんな美しい賛美歌の裏にこういった汚れた真実を聞くと
キリスト教の賛美歌が歌えないくらい、後味の悪いというか
気持ちが悪くなりますね・・・、

ホントにいただけないと感じました。
2011-10-06 木 11:41:57 | URL | すすき [編集]
失礼しました。
ご無沙汰しています。
久しぶりにコメントをさせて頂こうと思いました。
この記事に対するコメントはこれで最後とさせて頂こうと思います。

まず、度重なる長文でのコメント、そして記事の内容から反れたコメントを深くお詫び致します。
私自身、私のコメントに対してのお返事をただただ誠実に返そうと思うばかりに、長文になり、話題から反れてしまっていることを分かりつつも、続けていました。
それは、私の心に二つの思いがあったからです。

一つは、私自身の信仰吟味への期待です。
私自身、ご紹介いただいたブログでも書いていますが、典型的なクリスチャンホームの温室育ちです。
まだまだ世間知らずであると思っています。
そんな私の信仰の、どこは本物で、どこは表面的なのかを吟味し、信仰が幼く弱い頃には向き合うことのできなかった、キリスト教のダークサイドに向き合いたいという思いから、ここにコメントし続けていました。
とは言え、こう言葉にするほど冷静にはお話ができていなかったと思います。
その中で、沢山のキリスト教によって傷ついた方々の傷に触るような発言も多かったのだと思います。
本当に申し訳なく思います。私の幼さ、私の未熟さ、私の頑固さをおゆるし下さい。

もう一つは、キリスト教の様々な歴史や問題点によって、クリスチャンと同じ「人として」向き合えなくなってしまった方々への悲しみの思いです。
どんなに誠実に話そうとしても、先入観によってバッサリと切られてしまう。
どんなに心を開こうとしても、肝心なところでは閉じられてしまう。
ネットでの顔の見えないコミュニケーションの限界だと思っています。
しかし、こうして沢山の方々とお話しすることができ、私自身のことを知って頂けたこと、またそれに対する皆さんの感じ方を聞くことができたことは、本当に貴重な機会でした。
図らずも、ここに足を運び続けたことで、私のブログに足を運んで下さる方も増えていて、それも嬉しいことだと思っています。
そんなに簡単に分かって頂けるとは思いませんし、分かって頂きたいとも今は強く思いません。
ただ、私は私として、私が思うことを綴り続けることに、少しでも意味があるのかなと思いました。
それだけでも、皆さんに感謝したい気持ちでいっぱいです。

今後も時間のある時にお邪魔します。
もし、お時間がありましたら、私のブログにも足をお運びください。
更新も遅いですが、少しずつ、現在に至るまでの私の信仰、そしてこれからも感じることを綴っていこうと思います。
一人のクリスチャンである人間の思い、生き方を知って頂いて、もし何か思うことがあれば、遠慮なくコメント頂ければと思います。

お詫びと共に、心から感謝して。
2011-10-06 木 19:03:09 | URL | まこと [編集]
倒錯した歴史観のクリスチャンたち
>桃栗さま

私が内心予想していた通りに、非キリスト教徒の所業を持ち出して「それに比べたら、黒人奴隷貿易などたいしたことない。」と主張するクリスチャンが出現しました。
私が子供の頃、多数のキリスト教団体において、日本人が過去に行ってきた「罪」について何度も何度も聞かされました。そして、そのオチは、必ずと言っていいほど、「だから日本人は全員がクリスチャンになって、神に赦しを請わなければいけない。」でした。また、中国・朝鮮半島については、「日本はあれだけのことをしたのだから、何をされても黙っているべきだ。」と、かの元海上保安官や田母神さんあたりが聞いたら激怒しそうなことも「神の名において」頻繁に語られていました。
高校生になった頃から、「この人たちは、もしかしたら外国機関の回し者では?」と疑うようになりましたが、某公立図書館や古本屋で、戦後日本史の本を立ち読みしていたところ、「アメリカ人宣教師の相当数は、アメリカ情報機関の影響下にある。」という記述を何度も見付けました。世論操作して、日本人としての誇りを持たせないようにするのが狙いなのだそうです。(幸いなことに、日本人のほとんどはキリスト教を相手にしていませんが。)そして、数年前に、決定的な証言と記事に遭遇しました。「証言」については、出所を伏せておきますが、やはり宣教師と情報機関の関係について、です。「記事」とは、アメリカの公文書館を取材した人物の著作中に、私の知っている有名な宣教師(故人)が、「戦時中にアメリカ陸軍に情報将校として勤務し、対日諜報活動をしていた。」というものが出ていました。(この人は、戦前も日本で宣教活動をしていました。)

クリスチャンは、しばしば「他の宗教はもっとひどいことをした。」と喚きますが、よく歴史的事件を検証してみると、他宗教とは異なって、キリスト教の蛮行はほとんど例外なく宗教主導の下に行われています。「神の御名の下に」そして「神の愛」により行われ、有力な宗教家や神学者が熱烈に支持していたのです。宗教家や神学者が支持をしている訳ですから、蛮行に与することに消極的てあったり否定的態度をとったりすることは許されませんでした。そんなことをしようものなら、その人自身も破門の上に処刑されてしまうのですから。

自分たちのことを一切省みず、ひたすら他者のことばかりを非難するのがキリスト教なのではないかと思ってしまいます。
2011-10-08 土 14:26:25 | URL | 巨大虎猫 [編集]
三大宗教は組織を維持する為に、宗教心以上に金が必要になる。
私も、この歌が大嫌いです。殺された黒人奴隷が、自分の家族で、自分が一人だけ生き残ってしまったら…。広島?・長崎?に原爆を落とされ、真っ黒になって半分骨が露出した母親と、その脇で炭になっている兄弟の傍らに座っている少女の写真をドキュメンタリー番組で見た事があります…。津波で家族を失ってしまった東北の方々が口をそろえて言うのは、“あの時から、時間がとまってしまった…”です。家族を、一度に失うと言うのは、すさまじい心痛だと思います。もし…、あの写真の少女が私なら…。私の家族は、生粋の日本人です。皆、キリスト教徒ではありません。原爆を落としたアメリカ人は救われ、日本の26万9446人の原爆死亡者は地獄に落ちるのか?!心あるキリスト教徒に聞きたい!!どうか、答えてくれ!!!!
2011-10-16 日 06:52:32 | URL | 荻原 優子 [編集]
Re: アメイジング グレイスの隠された真実に愕然!!
> アメイジング グレイスって、
> そんな真実があったとは
> おどろきですね

こういった類の話はまだまだあります。
例えば、去年の暮れに紹介したキリスト誕生物語がその典型です。
イエスという「救世主」が生まれたがために、
ベツレヘムで関係ない子供達が大量虐殺されているのです。
事の顛末はちゃんとマタイによる福音書の2章に書かれています。
にもかかわらず、クリスチャンたちは自分たちの救世主の誕生を喜び、
虐殺された子供達のことなど眼中にないのです。
結局、クリスチャンたちは自分たちが救われることしか考えていないのです。


> なんか嫌な胸騒ぎをおぼえます。
>
> 前はとても美しいメロディーで
> 聞いていて、なんかいいなーと思っていたんですけど・・・、
> まさか黒人奴隷の人身売買があったなんて
>
> こんな美しい賛美歌の裏にこういった汚れた真実を聞くと
> キリスト教の賛美歌が歌えないくらい、後味の悪いというか
> 気持ちが悪くなりますね・・・、

キリスト教は「神の御名」のもとになんでもかんでも正当化する宗教なのです。
黒人奴隷たちの死後の行方については、
クリスチャンたちははっきりと答えようとしませんね。
おそらくローマ法王もはっきりと答えられないと思います。
あの震災についても「(なぜこんなことが起こったのか)答えは見つからない」
と「公式に」発言したぐらいですから(笑)。
2011-10-16 日 18:11:34 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 倒錯した歴史観のクリスチャンたち
> >桃栗さま
>
> 私が内心予想していた通りに、非キリスト教徒の所業を持ち出して「それに比べたら、黒人奴隷貿易などたいしたことない。」と主張するクリスチャンが出現しました。
> 私が子供の頃、多数のキリスト教団体において、日本人が過去に行ってきた「罪」について何度も何度も聞かされました。そして、そのオチは、必ずと言っていいほど、「だから日本人は全員がクリスチャンになって、神に赦しを請わなければいけない。」でした。また、中国・朝鮮半島については、「日本はあれだけのことをしたのだから、何をされても黙っているべきだ。」と、かの元海上保安官や田母神さんあたりが聞いたら激怒しそうなことも「神の名において」頻繁に語られていました。

いつもいつも貴重な体験談をありがとうございます。
私が信仰を捨ててキリスト教を客観的に見れば見るほど、
キリスト教は「神の名の下に罪を正当化する宗教」だと思わざるを得ません。


> クリスチャンは、しばしば「他の宗教はもっとひどいことをした。」と喚きますが、よく歴史的事件を検証してみると、他宗教とは異なって、キリスト教の蛮行はほとんど例外なく宗教主導の下に行われています。「神の御名の下に」そして「神の愛」により行われ、有力な宗教家や神学者が熱烈に支持していたのです。宗教家や神学者が支持をしている訳ですから、蛮行に与することに消極的てあったり否定的態度をとったりすることは許されませんでした。そんなことをしようものなら、その人自身も破門の上に処刑されてしまうのですから。

まさにその通りですね。
つい最近も、このブログに寄せられたクリスチャンのコメントに、
他の宗教のことを挙げてキリスト教から矛先をそらそうとするものがありました。


> 自分たちのことを一切省みず、ひたすら他者のことばかりを非難するのがキリスト教なのではないかと思ってしまいます。

同感です。
民主党の小沢さんが「キリスト教は排他的」と発言した時の、
ネット上のクリスチャンの反応はまったく滑稽でしかありませんでした。
「確かに過去には悪いこともしてきましたが・・」と非を認めているかのように見せて、
「しかし小沢さんはキリスト教のことを理解していない」と、
結局は小沢さんを非難してキリスト教の非を素直に認めない人ばかり。

キリスト教が偽善的で排他的なのは歴史が証明しているのに、
なぜクリスチャンは表社会に向かって非を認めないのでしょうね。
一方で、神に対してはこれでもかというほど非を認めて懺悔するのが不思議です。
いくら神に懺悔したところで、
神が「よし、お前の罪を赦してやろう」などと語りかけてくれるわけでもないのに、
赦された気分に浸っているクリスチャンの何と多いこと多いこと。

キリスト教の都合の良いことの一つに、
「現在の神が人間に語りかけてくれないこと」があると思います。
したがって、神が沈黙しているがゆえに、
クリスチャンは勝手に赦された気分に浸ることが出来るのです。
以前、誰かがコメントしていましたが、
旧約聖書みたいにいつも神が天から語りかけてきたら、
さぞかし暮らしにくい世の中だったに違いありません。(笑)
2011-10-18 火 23:02:37 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 三大宗教は組織を維持する為に、宗教心以上に金が必要になる。
> 私も、この歌が大嫌いです。殺された黒人奴隷が、自分の家族で、自分が一人だけ生き残ってしまったら…。広島?・長崎?に原爆を落とされ、真っ黒になって半分骨が露出した母親と、その脇で炭になっている兄弟の傍らに座っている少女の写真をドキュメンタリー番組で見た事があります…。

>原爆を落としたアメリカ人は救われ、日本の26万9446人の原爆死亡者は地獄に落ちるのか?!心あるキリスト教徒に聞きたい!!どうか、答えてくれ!!!!

私も答えて欲しいです。
広島に原爆を落とした飛行機の機長はカトリック信徒で、
さらにカトリック神父まで同乗していたという話がありますが、
神を信じることなく原爆で死んだ日本人は救われず、
原爆を投下したクリスチャンたちは悔い改めて救われるのでしょうか。

それ以前に、なぜ全知全能の神やキリストはそれを黙って見ていたのでしょうね。
クリスチャンは神とキリストの存在を強く信じていますが、
たとえ神とキリストが存在していたとしてもいざという時に何もしてくれないのは、
存在しないのと同じです。
2011-10-24 月 22:23:15 | URL | 桃栗 [編集]
聖書に書かれていることの意味
初めて書き込みをします。奴隷と称ばれた多くの人々が、皆そろって地獄へ落ちたと思われるのは、何故でしょうか?そしてジョン・ニュートンが救われたと思われるのは、何故でしょう。まずはそこから考えてみました。個人的にマヘリア・ジャクソンの唱う「アメージング・グレース」を好み、よく聴きます。因みに私はキリスト教信者ではありません。日本人ですから…本題に触れる前に【神】とは何か?を検証する必要がありました。さまざまな方向から見詰めると、【神】とは外には居ないということが解って来ました。したがって、キリスト教徒の定義する【神】の存在を私個人は、否定せざるをえません。では、【神】は居るか居ないか、といえば「我が内に【神】は在る」と私は答えを出しました。そう定義付けると 全てにおいてつじつまがあうと思いませんか?「信じる者は救われる」自分自身を信じる者は幸せなんです。人は誰でも大なり小なりの過ちを侵します。その事実に裁きを降すのは、【神】でも裁判官でもなく【己】だということ。そして過ちを認め、罪をつぐない、赦すことも全て【己】だと。あわよく法的に裁きを免れたとしても、過ちは消えることがありません。このテーブルに載った議題に立ち戻りましょう
ジョン・ニュートンは確かに救われたのでしようね。そこには、私達には計り知れない苦悩の日々、悔い改めの作業があったことでしょう。彼はきっと今まで当然のように行なっていたことが、過ちだったと気づかされたことそのものに、感謝し幸せを感じたと思いたいのです。誤解のないように記しておきますが、ジョン・ニュートンの残した詞は素晴らしいと思っていますし、さまざまな歌い手によって歌い継がれて今も尚、輝きを失わない、この事そのものが奇跡でしょうね。さて、奴隷として生涯を綴じた人々はどうでしょう。かたやジョン・ニュートンという一個人に対して「彼ら」はあまりにも大勢過ぎて、しかもこうして生きて来た、という個人的記録が無いかぎり同じテーブルに載せて比較することが難しいとは思いますが、あえて無理矢理答えを引き出すなら「彼ら」にとって「死」はこの世の地獄から脱け出すための唯一の道。今際の際に奇跡の光につつまれたと信じたいですね。何れにしても、想像の域でしか語ることができない議題なのでしょう。
2012-02-09 木 11:37:11 | URL | オロナイン [編集]
Re: 聖書に書かれていることの意味
> 初めて書き込みをします。奴隷と称ばれた多くの人々が、皆そろって地獄へ落ちたと思われるのは、何故でしょうか?そしてジョン・ニュートンが救われたと思われるのは、何故でしょう。

キリスト教の教義に従えば、
神とキリストを信じて罪を赦された者だけが救われ、
信じない者は救われないことになっています。
ブログをお読みいただければわかります。
2012-02-28 火 23:40:23 | URL | 桃栗 [編集]
オロナインをおのれの脳みそにすり込みなさい。
>さて、奴隷として生涯を綴じた人々はどうでしょう。かたやジョン・ニュートンという一個人に対して「彼ら」はあまりにも大勢過ぎて、しかもこうして生きて来た、という個人的記録が無いかぎり同じテーブルに載せて比較することが難しいとは思いますが、あえて無理矢理答えを引き出すなら「彼ら」にとって「死」はこの世の地獄から脱け出すための唯一の道。今際の際に奇跡の光につつまれたと信じたいですね。

貴方も貴方の父も母も兄も姉も弟も妹も恋人も妻も友人も、あの時代のアフリカに生まれ、奴隷として生きて一度死んでみればいいよ。人の人生を命を何だと思っているのか。大勢の人間ならばそんなザックリとした片付け方でいいと思っているとは。愚かしいにも程がある。
2012-02-29 水 18:28:49 | URL | victim [編集]
Re: オロナインをおのれの脳みそにすり込みなさい。
> >さて、奴隷として生涯を綴じた人々はどうでしょう。かたやジョン・ニュートンという一個人に対して「彼ら」はあまりにも大勢過ぎて、しかもこうして生きて来た、という個人的記録が無いかぎり同じテーブルに載せて比較することが難しいとは思いますが、あえて無理矢理答えを引き出すなら「彼ら」にとって「死」はこの世の地獄から脱け出すための唯一の道。今際の際に奇跡の光につつまれたと信じたいですね。
>
> 貴方も貴方の父も母も兄も姉も弟も妹も恋人も妻も友人も、あの時代のアフリカに生まれ、奴隷として生きて一度死んでみればいいよ。人の人生を命を何だと思っているのか。大勢の人間ならばそんなザックリとした片付け方でいいと思っているとは。愚かしいにも程がある。

その通りです。

>「彼ら」にとって「死」はこの世の地獄から脱け出すための唯一の道。今際の際に奇跡の光につつまれたと信じたいですね。

と本当に信じていらっしゃるなら、
ご自分も奴隷として死んで「奇跡の光」に包まれてみればいいのです。
2012-03-25 日 20:31:38 | URL | 桃栗 [編集]
キリスト教は悪魔崇拝であると見たほうがすっきり理解できます。
そう思えば腹も立ちません。
それなりの人が信仰してます。
2013-06-14 金 02:58:10 | URL | 傍 [編集]
Re: タイトルなし
> キリスト教は悪魔崇拝であると見たほうがすっきり理解できます。
> そう思えば腹も立ちません。
> それなりの人が信仰してます。

その通りです。
私も、もっと早くからそれに気付いていたら人生を無駄にしないで済んだのに、
本当に悔やまれてなりません。
2013-06-17 月 23:27:19 | URL | 桃栗 [編集]
考えさせられます。
この記事に連投されていた、まことさんなる人の見解を聞いていると、偏狭な宗教思想に凝り固まると、こうも都合良くこの世の事象を認識出来てしまうのかと、つくづく思います。

クリスチャンの方々はしきに「人間中心」の考え方生き方を否定され、ひたすら神に立ち返る信仰を説きますが、では、森羅万象全てが唯一神の御手の中にあるならば、非道に勤しむ人間もまた、神の御心の現れになるではありませんか。

「神は人間善悪を選びとる自由を与えた」も何も無いです。
これは神の御心、これは人間の自由意志の結果などと、区別認識出来る術はありますか?ある訳が無いです。

この世の事象の何がどう転ぼうと、結局全ては神の御心に帰結出来てしまいます。
全くもって、こんなご都合主義な思想がありますか?
2013-06-20 木 19:06:46 | URL | リュウライザー [編集]
Re: 考えさせられます。
> この記事に連投されていた、まことさんなる人の見解を聞いていると、偏狭な宗教思想に凝り固まると、こうも都合良くこの世の事象を認識出来てしまうのかと、つくづく思います。
>
> クリスチャンの方々はしきに「人間中心」の考え方生き方を否定され、ひたすら神に立ち返る信仰を説きますが、では、森羅万象全てが唯一神の御手の中にあるならば、非道に勤しむ人間もまた、神の御心の現れになるではありませんか。
>
> 「神は人間善悪を選びとる自由を与えた」も何も無いです。
> これは神の御心、これは人間の自由意志の結果などと、区別認識出来る術はありますか?ある訳が無いです。
>
> この世の事象の何がどう転ぼうと、結局全ては神の御心に帰結出来てしまいます。
> 全くもって、こんなご都合主義な思想がありますか?

キリスト教は、言葉遣いだけは大変気品と格調だけは高いですが、
結局はクリスチャン同士にしか通じないような「クリスチャン語」でしか物を言わないのです。
一般人には理解不能な言語です。
いわゆる「煙に巻く」というやつですね。
まことさんは、言葉使いはきれいですが、
現実を直視しようとしない偽善者です。
こういう人を見ると、私はこの宗教をやめて良かったと思います。
2013-06-25 火 22:03:40 | URL | 桃栗 [編集]
そうなる人ばかりではない。
先の書き込みに続きます。

まことさんが強調されていた「神、キリストを体感した喜び」といった事についてですが、人生上の様々な苦悩にもがいていた人があるきっかけにより新たな心的境地が開け、一躍歓喜に目覚めるという事は確かにあると思います。

キリスト教の信仰は、人間の原罪からキリストの復活による贖罪といったある種、巧みなストーリー仕立てで、人によってはその心理を平安と喜びに誘導させる作用があるとは言えるでしょう。

しかしそうした心的体験はキリスト教でなくても他の宗教思想でも、またたとえば、大自然に触れるといった別の様々な要因からでも起きる事はあります。

この宇宙の成り立ちが、キリスト教が説く通り唯一神の創造によるものという確証はどこにも無いけど、自分はこの教えで人生が救われ、開けたからこれを信奉するというならいいのです。

しかし、世の中そうなる人ばかりではありません。
桃栗さんの様に、このストーリー仕立ての教えが心の抑圧にしかならなかった人々だっています。

クリスチャンの方々は、この事を率直に認めるべきです。
心の教えとしては、伝統的キリスト教は極端に片寄ったものであると言わざるを得ません。
2013-06-30 日 21:59:26 | URL | リュウライザー [編集]
Re: そうなる人ばかりではない。
> 先の書き込みに続きます。
>
> まことさんが強調されていた「神、キリストを体感した喜び」といった事についてですが、人生上の様々な苦悩にもがいていた人があるきっかけにより新たな心的境地が開け、一躍歓喜に目覚めるという事は確かにあると思います。

私も、このことについては特に否定はしません。

> キリスト教の信仰は、人間の原罪からキリストの復活による贖罪といったある種、巧みなストーリー仕立てで、人によってはその心理を平安と喜びに誘導させる作用があるとは言えるでしょう。

私は以前何度か発言したことがありますが、
日本の土着の宗教が「自然発生的」なのに対し、
どうもキリスト教は「人工的なもの」に感じるのです。
まさに「巧みなストーリーを仕立て上げた」という感じです。


> しかしそうした心的体験はキリスト教でなくても他の宗教思想でも、またたとえば、大自然に触れるといった別の様々な要因からでも起きる事はあります。

その通り。
キリスト教以外の宗教、または宗教でなくとも、
何かをきっかけに喜びを感じるということは大いにあり得ます。


> この宇宙の成り立ちが、キリスト教が説く通り唯一神の創造によるものという確証はどこにも無いけど、自分はこの教えで人生が救われ、開けたからこれを信奉するというならいいのです。

そうです。
私はキリスト教を全面否定まではしていません。
あくまでも「数多くある宗教の中の一つに過ぎない」ということです。


> しかし、世の中そうなる人ばかりではありません。
> 桃栗さんの様に、このストーリー仕立ての教えが心の抑圧にしかならなかった人々だっています。

そうです。
ネット上でも、クリスチャンホームに生まれたがために、
苦悩を強いられた人は少なくありません。


> クリスチャンの方々は、この事を率直に認めるべきです。
> 心の教えとしては、伝統的キリスト教は極端に片寄ったものであると言わざるを得ません。

その通りです。
キリスト教は、それを信じている人には素晴らしいものなのでしょうが、
万人にとって万能ではないということを素直に認めてください。
「こんな素晴らしい教えを信じない方がおかしい」などと、
非信者に対して上から目線で見るのはやめてください。
2013-07-02 火 22:39:07 | URL | 桃栗 [編集]
真実
クリスチャンでも元クリスチャンでもない私が、コメントしていいのか悩みましたが、記事とコメントを見て、コメントしたいと思いました。

今日、「アメイジング・グレイスの曲調は好きだけど、歌詞は嫌い」という話を聞き、Wikipediaで成立と歌詞を見て違和感を覚え、「アメイジング・グレイス 黒人」のキーワード検索で、このブログにきました。
この曲は、結構好きだったのですが、真実を知って複雑な気持ちになりました。
結局、ジョン・ニュートンの悔恨は、黒人奴隷のためではなく自分のためなのか。自分だけ満足してめでたしめでたし感が強いです。

揚げ足とりになってしまいますが、まことさんの意見は言い回しが巧妙で、無学の私には理解が難しく、最後は、自分だけすっきりしたようでジョン・ニュートンに似ているものを感じました。

オレンジさんのコメントが、人として大切なことだと思います。

2013-10-20 日 00:27:31 | URL | 無宗教者 [編集]
Re: 真実
> クリスチャンでも元クリスチャンでもない私が、コメントしていいのか悩みましたが、記事とコメントを見て、コメントしたいと思いました。

こんにちは。
クリスチャンでもクリスチャンでなくともコメントをくださるのは結構です。
そして、無宗教者さんのように、
はっきりとクリスチャンでないことを明示した上でのコメントは、
こちらとしてもレスがしやすいです。


> 今日、「アメイジング・グレイスの曲調は好きだけど、歌詞は嫌い」という話を聞き、Wikipediaで成立と歌詞を見て違和感を覚え、「アメイジング・グレイス 黒人」のキーワード検索で、このブログにきました。
> この曲は、結構好きだったのですが、真実を知って複雑な気持ちになりました。

私もそうですよ。
歌詞の意味を知って幻滅を感じました。
この歌だけではありません。
有名なハレルヤ・コーラスなんかも、歌詞の意味を知ってビックリしました。
クリスチャンはそんな歌詞の意味も知らずにこの曲に酔いしれているのです。
要するに、メロディーやハーモニーが美しいから歌詞など関係ないのです。
讃美歌なんてそんなものです。


> 結局、ジョン・ニュートンの悔恨は、黒人奴隷のためではなく自分のためなのか。自分だけ満足してめでたしめでたし感が強いです。

結局、キリスト教は「独り善がり」の宗教なんですよ。
自分(たち)さえよければという考えなのです。
救われなかった黒人奴隷のことなどこれっぽっちも考えていませんから。


> 揚げ足とりになってしまいますが、まことさんの意見は言い回しが巧妙で、無学の私には理解が難しく、最後は、自分だけすっきりしたようでジョン・ニュートンに似ているものを感じました。
>
> オレンジさんのコメントが、人として大切なことだと思います。

全くその通りです。
まことさんのコメントは、言葉遣いだけは非常に丁寧ですが、
結局は自己弁護に終始するだけです。
そして、わざわざ難しい言い回しを使ったりして相手を「煙に巻き」、
それで相手を論破したつもりになっているのです。
こういった手法はクリスチャンの常套手段です。
とにかく、聖書の言葉を持ち出したり、美しい言い回しを並べたりして、
相手が理解できないような話を説き、
それで自分の方が頭が良いと思って自己満足に浸っているのです。
本当にお高く留まった宗教だと思います。
2013-10-27 日 23:20:20 | URL | 桃栗 [編集]
このブログを見て…
キリストの言葉 わたしにつまづかない者は幸いです を思い出しました

そして このコメントを書かれている人たちのほうが つまづかなかったということ のように感じます

小生はクリスチャンですが 改めてアメイジンググレイスに気をつけようと思いました

キリストは わたしの家を強盗の巣にした と嘆かれたと書かれています
何時だってそういうことが起こる と考えるのは当たり前なのかもしれません

悲しいです
2013-11-21 木 01:18:28 | URL | 青井涎掛ト黒以焔 [編集]
Re: タイトルなし
> このブログを見て…
> キリストの言葉 わたしにつまづかない者は幸いです を思い出しました

私は、キリストの言葉や教えそのものにつまづいたと言うより、
「キリスト教」や「教会の教え」につまづきました。
結局、「支配者」の都合の良いように作り変えられた教えに縛られていたのです。
2013-12-15 日 21:57:05 | URL | 桃栗 [編集]
完全無宗教です。

面白い内容のブログですね。
しかしキリスト教にもそれ以外にも言えることですが最初の人が正しくても後の人が正しくないのはよくありますね。
キリストは優しい人だったんだろうけど後のキリスト教徒が優しくない。
おそらく没後の戦争や殺戮をキリストは望んでなかっただろうけどその名のもとに行われるのは優しい人の優しさを利用した惨劇。いつだって優しさを利用する輩は横行するもんです。
それはともかくアメイジンググレイスですがこの曲の作者のニュートンはおめでたい頭だったようですがこの曲そのものは素晴らしいと思います。世界の名曲の一つでしょう。
作り手がクズとはいえ曲に罪はないと思うのでむやみに嫌うのはどうでしょうか?
嫌うのはニュートン個人だけで良いかなと思います。
2014-02-21 金 00:01:43 | URL | たけお [編集]
Re: タイトルなし
> 完全無宗教です。
>
> 面白い内容のブログですね。
> しかしキリスト教にもそれ以外にも言えることですが最初の人が正しくても後の人が正しくないのはよくありますね。
> キリストは優しい人だったんだろうけど後のキリスト教徒が優しくない。
> おそらく没後の戦争や殺戮をキリストは望んでなかっただろうけどその名のもとに行われるのは優しい人の優しさを利用した惨劇。いつだって優しさを利用する輩は横行するもんです。
> それはともかくアメイジンググレイスですがこの曲の作者のニュートンはおめでたい頭だったようですがこの曲そのものは素晴らしいと思います。世界の名曲の一つでしょう。
> 作り手がクズとはいえ曲に罪はないと思うのでむやみに嫌うのはどうでしょうか?
> 嫌うのはニュートン個人だけで良いかなと思います。

貴方がこの歌が名曲だとお思いなのは、メロディーが美しいからです。
神を信じる機会も与えられずに死んだ黒人奴隷は地獄行き、
奴隷船の船長は罪を赦されて天国行き、
こんな不公平なことがありますか?
やはり、キリスト教を体験されたことがない方には、
この歌がどれほど偽善的かということがお分かりでないようですね。
2014-03-09 日 22:58:15 | URL | 桃栗 [編集]
はじめまして、たまたま検索したところでこちらに来まして、記事を読みました。

私は歌を歌う人間なので、アメージンググレイスを歌うにあたって、いろいろ調べたことがあります。
アメージンググレイスの作曲家について、wikiで書かれていることは、わりと端折られています。

私も、wiki に書かれた情報だけ読んだとき、なんて偽善的と思ました。
しかし、それなのになぜ、多くの黒人のミュージシャンがこれを歌っているのだろう、とも思いました。奴隷貿易に加担しているような人間の作った歌を、歌いたいと思うのだろうかと疑問に思い、この作曲家について調べてみると、それは誤解だったとわかりました。

ジョンニュートンという人は、厳格なプロテスタント家庭で育ち、
毎週ミサへ行き、神様を信じてきましたが、幼いときに母親を亡くしてしまい
あんなに神様を信じて祈ってきた母親がどうして死んでしまうのかと、神様を信じられなくなりました。
それ以来信仰をいっさい辞め、いわゆるグレてしまったわけです。
そして奴隷貿易にも手を染めていきました。
その後、wikiにもあるように、奴隷を乗せた船で嵐に見舞われたとき、死にそうになってはじめて神様に祈りました。
そのとき彼は母親を亡くして以来、はじめて本当に神様に祈ったそうです。
そのときにはじめて、心の底では自分は神様を信じているのだ、と気づいたそうです。
そして無事に帰還し、母親の死後、信仰を捨て、奴隷売買をしているようなひどい人間である自分であっても神様は救ってくれるのだ、と想い、この曲を書いたそうです。
その後、奴隷貿易からは足を洗い(すぐにとはいかなかったようですが)牧師になりました。
実際、牧師になってからは奴隷制や黒人差別に対して反対しています。

私もはじめて、wikiでみたときは、結局奴隷貿易をやっているような人が作ってたんだとがっかりしたのですが、そうではなくて、そのようなことをしている自分なのにも関わらず、神様は救ってくれるのか!、また信じていないと思っていた神様に自然に祈っていた、本当はずっと信じていたのだと気づいた、という信仰告白の歌なんだと思います。

とまあ、ここまで書きましたが、私はクリスチャンではありません。
ご存知かはわかりませんが、仏教の浄土真宗には親鸞聖人という人がいます。
親鸞は、当時の仏教の教えでは女は地獄へいくとか言われていましたが、
そんなことはなくてどんな人でも(女やえたやヒニンのような身分であろうと、また罪人でも(当時は貧しい人の犯罪が多かった))祈ればちゃんと浄土へいけると説いた人です。(キリスト教だろうと仏教だろうと、昔は女の地位はかなり低かったし、差別もOK的な為政者が宗教を利用してきたという歴史があるので、宗教は変なところがおおいですが、個人としてはちゃんとした人たちは結構いたんじゃないかと思われます。)

私はアメージンググレイスについて、調べた後、
この曲はそういう歌なのだと感じました。

どんな人であっても、神様は救ってくださる、という歌です。
自分のような一度は信仰をすて、悪事に手を染めた人間でも。
そしてそこには、もちろん黒人であろうとなかろうとも、というのも含まれています。

私はどこかの宗教を信仰しているわけではありませんが、
歌い継がれている音楽には、それなりの理由があると思っています。
一見偽善的に見える音楽でも、歌い継がれるような音楽の芯には、もっと純粋な思いが隠されていると思います。
偽善的な、うすっぺらな歌は、歌い継がれていかないので。

一つの誤解から、せっかくの曲を嫌いになってほしくないので、コメントしました。

2014-08-04 月 17:31:51 | URL | R [編集]
Re: タイトルなし
> はじめまして、たまたま検索したところでこちらに来まして、記事を読みました。
>
> 私は歌を歌う人間なので、アメージンググレイスを歌うにあたって、いろいろ調べたことがあります。
> アメージンググレイスの作曲家について、wikiで書かれていることは、わりと端折られています。
>
> 私も、wiki に書かれた情報だけ読んだとき、なんて偽善的と思ました。
> しかし、それなのになぜ、多くの黒人のミュージシャンがこれを歌っているのだろう、とも思いました。奴隷貿易に加担しているような人間の作った歌を、歌いたいと思うのだろうかと疑問に思い、この作曲家について調べてみると、それは誤解だったとわかりました。

(中略)

> 私はアメージンググレイスについて、調べた後、
> この曲はそういう歌なのだと感じました。

結局、あなたがこの歌を称賛できるのは、
あなたがその事件の「当事者」でないからです。
アフリカで原始的でのどかな暮らしをしていた人たちが、
ある日突然、白人たちに拉致されて狭い船に閉じ込められ、
家畜同然に扱われたのですよ。
では、あなたがその奴隷の立場だったらこの歌を称賛できますか?

例えば、広島や長崎に原爆を落とした飛行機のパイロットが改心して神に懺悔し、
「こんな私でも神は赦して下さる、ハレルヤ!」という内容の歌を作り、
それが世界で大ヒットしたら日本国民はどう思うでしょうか?

> どんな人であっても、神様は救ってくださる、という歌です。
> 自分のような一度は信仰をすて、悪事に手を染めた人間でも。
> そしてそこには、もちろん黒人であろうとなかろうとも、というのも含まれています。

では、あなたも今すぐ奴隷になって命を落としてみますか?
それで自分が救われるなら文句は言わないですよね?

> 私はどこかの宗教を信仰しているわけではありませんが、
> 歌い継がれている音楽には、それなりの理由があると思っています。
> 一見偽善的に見える音楽でも、歌い継がれるような音楽の芯には、もっと純粋な思いが隠されていると思います。

歌い継がれている理由は、メロディや雰囲気が良いからですよ。
歌詞なんて関係ないのです。
例えば、ホイットニー・ニューストンのオールウェイズ・ラブ・ユーは
歌詞を見れば破局ソングだとすぐわかるのに、
なぜかウエディング・ソングの定番になっているという有様。
それも、本家のアメリカでさえ勘違いしている人がいるぐらいです。
そして、海援隊の「贈る言葉」は卒業ソングの定番ですが、
あれも本来は失恋ソングであって、卒業ソングではありません。
武田鉄矢自身がそう言っています。

そして、キリスト教でもっともよく歌われる讃美歌に「いつくしみ深き」という歌があります。
私のクリスチャン経験の中で歌われた回数は間違いなく最多です。
この歌は私の経験上、結婚式やお葬式にも必ず歌われます。
しかし、歌詞を見ると結婚式にもお葬式にも関係がないのです。
結局、これも歌詞の内容よりもメロディやハーモニーが良いから歌われているだけです。

ハレルヤ・コーラスはキリスト教音楽の中でも名曲中の名曲と言うことになっていますが、
あれは「ハルマゲドン」の歌ですよ。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-177.html

このように、メロディや雰囲気が良いがために、
歌詞の内容とは違うイメージで歌われている例はたくさんあるのです。
結局、歌なんて歌詞の内容は案外関係ないのですよ。

> 偽善的な、うすっぺらな歌は、歌い継がれていかないので。

メロディが良ければ歌い継がれるものです。

> 一つの誤解から、せっかくの曲を嫌いになってほしくないので、コメントしました。

誤解ではありません。
2014-08-09 土 00:11:55 | URL | 桃栗 [編集]
ポーランドのコルベ神父の話を知れば,簡単に「クリスチャンというやつは」みたいな議論はできないよ。
2015-02-13 金 16:04:10 | URL | 名前を入れてください [編集]
Re: タイトルなし
> ポーランドのコルベ神父の話を知れば,簡単に「クリスチャンというやつは」みたいな議論はできないよ。

以前も、負け惜しみにコルベ神父の話を持ち出して反論した人がいました。
しかし、私に言わせれば「だから何?」です。
コルベ神父が助けた人の命はたったの1人です。
それだけで「クリスチャンは素晴らしい人たち」とおっしゃりたいなら、
それはあまりにも虫が良すぎます。
ジョン・ニュートン牧師は一体どれほどの黒人奴隷の命を奪ったでしょうか。
また、広島に原爆を投下した飛行機には神父が乗っていたとのことです。
クリスチャンが救った命とクリスチャンが奪った命、
どちらが多いかよく天秤にかけてお考えください。
貴方の主張は反論にさえなっていません。
むしろ、皮肉なことにクリスチャンの偽善性がよく表れたコメントです。
私のブログの記事には何にも答えていませんから。
反論なさりたいなら私からの問いに答えてからにしてください。
神を信じていなかった黒人たちは死んでからどこに行ったのでしょうか。
反論お待ちしています。
2015-02-16 月 22:25:28 | URL | 桃栗 [編集]
コルベ神父の話を書き込んだものです。

1)質問への回答
 「神を信じていなかった黒人たちは死んでからどこに行ったのか?」
 私の知る範囲で,かつ極めて直截的な回答をすると,クリスチャンになる前の人(ご指摘のような黒人,或いは洗礼を受ける前に死んだ幼児なども含む)の行く死後の世界について,地獄と天国の中間のようなところ(英語ではlimbo)があると聞いたことがある。

2)「コルベが救ったのはたった一人。ジョン・ニュートンは多数の黒人を殺した」というご指摘について
数の計算はご指摘どおり。
「多くの無辜の民(黒人)を殺しておいて,自分一人だけ救われようとは虫の良い話だ」という義憤は共有できる。
その上で申すが,そもそもこの議論は殺した人間の数を問題にしているのか? コルベ神父は自分の命をもって一人の命を救ったのだが,仮に彼が1万人を救うために自分の命を差し出していたなら,あなたも「コルベは立派なクリスチャンである」と納得されたのか? ここではそういう議論をしているのではないはずだ。「数の議論」をしていると,例えば毛沢東はどうなんだ,何千万人も殺しておいて,本人は建国の父として未だに崇められている,けしからん,という変な議論と同列になる。 コルベ神父の話は象徴として挙げたのだ。あなたが,ジョン・ニュートンを悪しき象徴として挙げている反証として。これは数の議論ではないし,感傷に訴えるという話でもない。それを見ようとしないと,議論はすれ違うだけで終わる。

3)私の立場は(2)で書いたとおり,「自分は罪を犯していながら,それに無自覚であったばかりか,事後,それを都合よく悔い改め,己一人救われんとするジョン・ニュートンに代表される人権無視のクリスチャンへの怒り」を共有する。また,それ故にAmazing Graceは嫌な歌だ,という感想も共有している。
2015-03-06 金 18:39:47 | URL | 名前を入れてください [編集]
Re: タイトルなし
> コルベ神父の話を書き込んだものです。

少なくともハンドルネームを名乗って頂けますか?

> 1)質問への回答
>  「神を信じていなかった黒人たちは死んでからどこに行ったのか?」
>  私の知る範囲で,かつ極めて直截的な回答をすると,クリスチャンになる前の人(ご指摘のような黒人,或いは洗礼を受ける前に死んだ幼児なども含む)の行く死後の世界について,地獄と天国の中間のようなところ(英語ではlimbo)があると聞いたことがある。

それはイエス・キリストがそう言ったのでしょうか?
また、仮にキリスト教にそういう教義があったとしても、
記事にも書いた通り、
それは「クリスチャン側」から見た都合の良い解釈でしかありません。
死んでいった黒人奴隷たちにとってはlimboなど知る由もありません。


> 2)「コルベが救ったのはたった一人。ジョン・ニュートンは多数の黒人を殺した」というご指摘について
> 数の計算はご指摘どおり。

その通り。
それ以下は言い訳ですね。

> 「多くの無辜の民(黒人)を殺しておいて,自分一人だけ救われようとは虫の良い話だ」という義憤は共有できる。
> その上で申すが,そもそもこの議論は殺した人間の数を問題にしているのか?

自分が負けを認められないからといって
論点のすり替えはおやめください。

>
> 3)私の立場は(2)で書いたとおり,「自分は罪を犯していながら,それに無自覚であったばかりか,事後,それを都合よく悔い改め,己一人救われんとするジョン・ニュートンに代表される人権無視のクリスチャンへの怒り」を共有する。また,それ故にAmazing Graceは嫌な歌だ,という感想も共有している。

最初から素直にそうおっしゃってください。
2015-03-08 日 16:04:13 | URL | 桃栗 [編集]
議論のすり替えとの指摘について
私の回答に対し,「議論のすり替えをしている」との指摘を頂いています。

1)コルベ神父の事績をあげたところ,「コルベ神父が助けた人の命はたったの1人です。 (中略)ジョン・ニュートン牧師は一体どれほどの黒人奴隷の命を奪ったでしょうか。 」と,いう反論をいただいた。
2)私はそれに対し,「救ったり殺したりした人間の数の話に議論を持って行くと,議論が変な方向に行くよ。」と主張し,毛沢東の例をあげたところ,冒頭のご指摘となった次第です。

さて,コルベ神父の例を持ちだした際の私の論点を再度,明らかにしておきたいのですが,結論から言うと,私は議論のすり替えをしていません。

私が提起した問題を繰り返しておきます。(2015年2月15日付)
 「コルベ神父は自分の命をもって一人の命を救ったのだが,仮に彼が1万人を救うために自分の命を差し出していたなら,あなたも『コルベは立派なクリスチャンである』と納得されたのか?」
という問です。

これに対するあなたの答えが,冒頭の「コルベが救ったのはたった一人ではないか」という議論です。

あなたには私の問いの意味が理解されなかったのかもしれません。
もう少し補足します。
○ コルベはホロコーストの現場にいて,「餓死の刑」がどんなものか,どのような苦しみを伴うものであるかをよく知った上で,ある受刑対象者の身代わりとなって死んでいった。そのために刑を逃れた人が,その後運よくアウシュビッツを生き延びて,後世にこの話を伝えたので,我々は,コルベの事績を知ることができる。誰に知られることもなく,歴史に埋もれた話になる可能性も高かった。
○ 「コルベに象徴される美しい魂」を持ったクリスチャンが実在したということを,あなたはどう考えるのか? あなたがジョン・ニュートンを悪しき象徴として扱っていることの反証として私の提示した一つの象徴をどう考えるのか?

言うまでもないが,あなたが主張するようにコルベが救ったのは『たった一人』である。その一人の命を救う代償として自分のたった一つの命を失ったので,それ以上救済の活動を行うことはできなかったのは明白である。
2015-03-18 水 09:53:33 | URL | 山陽 [編集]
Re: 議論のすり替えとの指摘について
> 私の回答に対し,「議論のすり替えをしている」との指摘を頂いています。

> 私が提起した問題を繰り返しておきます。(2015年2月15日付)
>  「コルベ神父は自分の命をもって一人の命を救ったのだが,仮に彼が1万人を救うために自分の命を差し出していたなら,あなたも『コルベは立派なクリスチャンである』と納得されたのか?」
> という問です。
>
> これに対するあなたの答えが,冒頭の「コルベが救ったのはたった一人ではないか」という議論です。

貴方は本当に論点のすり替えや捏造がお好きなのですね。
私のコメントを良く読み返してください。
私がいつその問いに答えましたか?
2015-03-18 水 22:23:42 | URL | 桃栗 [編集]
 最近この歌の歌詞の意味と由来を知って唖然としました。メロディが好きだっただけにショックも大きいです。以前酒鬼薔薇とかいう殺人鬼が殺人自慢の本を出版しましたがそれとやっていることなにも変わらりませんよ。

 それともこれがグローバルスタンダード(笑)ってやつですか?そう言えば広島に原爆を落としたB29にも神父が乗っていたそうですね。約14万人を焼き殺した彼等もきっと天国に行ったのでしょう。なんせ主は慈悲深いですから。
2017-04-23 日 22:55:37 | URL | 無神論者 [編集]
Re: タイトルなし
>  最近この歌の歌詞の意味と由来を知って唖然としました。メロディが好きだっただけにショックも大きいです。以前酒鬼薔薇とかいう殺人鬼が殺人自慢の本を出版しましたがそれとやっていることなにも変わらりませんよ。
>
>  それともこれがグローバルスタンダード(笑)ってやつですか?そう言えば広島に原爆を落としたB29にも神父が乗っていたそうですね。約14万人を焼き殺した彼等もきっと天国に行ったのでしょう。なんせ主は慈悲深いですから。

キリスト教の教義によればそうなりますね。
罪を犯しても心から懺悔をすれば罪は赦されて天国行き、
一方でどんな善人でも神を信じていなければ地獄行き。
これが「神の愛」だそうです。

2017-05-07 日 22:30:48 | URL | 桃栗 [編集]
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