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桃栗

Author:桃栗
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「震災は天罰」と、のたまうクリスチャンたち その4
今回は、キリスト教と神道のルーツが同じであると説いている
ちょっと異色のブログからの引用です。


地震を見てなお神を冒涜する人々

黙示録16章には、神のさばきによる災いが起こる時、それでもなお悔い改めることなくますます神を冒涜する人々の姿が出てくる。一部を引用する。

黙示録16:17 第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した」と言った。18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。21 また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。

今回の大震災を受けて、「ヤフー知恵袋」宗教カテゴリでは、「神はなぜこのような災いを下したのか」といった切実な疑問が多数書き込まれている。しかし、それらに対する回答の大半は「神などいない。地震は単なる自然現象だ」といったものだ。こうして黙示録の人々のように、大きな災いを見てなお、人々は神を冒涜している。あくまで宗教カテなのだから宗教的な側面から回答をすべきだと思うのだが、宗教心を失った唯物主義こそが、神罰を招いたのかも知れない。


↑ここまで

今回の記事に関しては、あまりにも現実離れしているために、
あえてコメントも批判もする気になれません。
また、以前紹介した2人のクリスチャンに比べて、
この記事を読んでもあまり憤りを感じません。
むしろ、ああ、変わった人がいるな~と興味深く読みました。

よくよく考えれば、私がクリスチャンの何に憤りを感じるかというと、
それはクリスチャンが正統派ぶるところなのです。
以前紹介した2人のクリスチャンがそうでした。
読んでいて本当にムズムズするほど腹が立ちました。

今回この方のブログをざっと読んでみましたが、
元々はプロテスタント信徒であったが、
現在はいわゆる正統派ではなく「異端」だと本人が認めている記述があります。
私はなぜかこういう人にはあまり腹立たしさを感じません。
自分でも不思議に思います。
まあ、目の前で同じことを言われたら腹が立つでしょうけど、
文章を読む限りは腹立たしさがあまりありません。
私が嫌いなのは、あくまでも正統派ぶるクリスチャンなのです。

カトリックのマリア崇拝を否定し、エホバの証人などを異端と決めつけ、
「三位一体の神を信じるプロテスタントが正統派です」と口では言いますが、
そのプロテスタントからどれほどのカルトが「輩出」されたことでしょう。
プロテスタントがキリスト教の中で正統派と言いつつ、
自分達とは考えが違う人、教派、団体については、
「あれはカルトだから私たちのキリスト教とは関係ない」と都合の良い言い逃れ。
プロテスタントが多くのカルトを生み出している現実を認めていただきたいものです。

今日の記事はなんだか本題からそれてまとまりのないものになってしまいましたね。
とりあえず、こんな変わった人もいますよということで紹介しました。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

キリスト教の事件簿 | 22:03:10 | トラックバック(0) | コメント(58)
コメント
変わった人
こんにちは。初めての投稿、うまくいくでしょうか・・

キリスト教だの、神道だの、既存の宗教にしかアイデアを見出せない人というのは、やはり既存のいずれかの宗教の範囲内でしか物事を考える力がありません。「異端」などと奇をてらっているようですが、せいぜい信仰の多寡で神の対応が変化する、程度のことしか考え付かない、典型的な思考停止宗教信者だと思いますよ。
2011-05-30 月 06:32:55 | URL | クッキングホイル [編集]
>カトリックのマリア崇拝を否定し、エホバの証人などを異端と決めつけ、

まさに家の親がそうですね。プロテスタント馬鹿w。でもバルト神学?からの受け売りで万人救済説を唱え始めてしまいました。愛なる神が人を地獄に落とす訳が無いとのことです。うんざりですよ。レイプしといて君は悪くないって口説くチンピラみたいですねw。

レイプかぁ~。何気に私良いとこ突きましたね。(レイプだけにって下ネタ) 要するにこの思想は暴力なんですよね。だから何度も言ってるでしょう。脅しなんですよ。愛と言う名の脅し。

最低だよ。屑。どうして人類はこんな狂った暴力にひっかきまわされてるのかなあ。まあおいしい所も多いので権力と結びつくのでしょうが。

人類を長い目で見たらそのうちこの手の宗教から卒業出来ると希望を持っています。その為にもこういうサイトはとても重要だと思うのです。
2011-05-31 火 20:38:08 | URL | victim [編集]
はじめまして、ざっと拝見させていただいて気がついたことは、聖書やキリストの教えに疑問や矛盾を感じる場合、それは聖書を誤って解釈したり、理解している場合にのみ起こるのではないかと愚行する次第なのです。

聖書の神エホバの「御業は完全」(申命記)なのですから、これっておかしいなって思う場合には、人間に因がある、つまりクリスチャン同士で殺し合ったり、地震は神からの天罰だと言ったりすること、などですけども(^。^)

わたし(イエス)が来たのは地上に平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来たのだ。敵対させるために来たのだ。マタイ10:34-35/わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。ルカ12:49

これは多分、十字軍の言い訳にされた聖句だと思います。キリストが争いを望んでいるのだと。
しかし、イエスは戦いを集結させるためにこられたのです。
「神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる」イザヤ書

管理者さんは聖書を引用したりして、大変詳しいようですが、イエスの時代にも一見正しいように思える聖書解釈をして、イエスを誘惑しようとした人たちがいました

「それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った。「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。
『神はあなたのために御使(みつかい)たちにお命 じになると、 あなたの足が石に打ちつけられないように、 彼らはあなたを手でささえるであろう』 と書いてありますから」。福音書
これは詩篇91篇ですが、「一見」正しいと思えるのではないでしょうか?
しかしイエスは
「あなたの神エホバを試みてはならない。』と書いてあります。」
と言われて、正しい理解を示しました。

パリサイ人たちも同様でした。
「その時,パリサイ人たちは出かけて行き,彼をその語ることばの点でわなにかけようと相談した」
「師よ,わたしどもは,あなたが真実な方で,神の道を真実をもってお教えになることを知っております」
「カエサルに人頭税を払うことはよろしいでしょうか,よろしくないでしょうか」
二問一答を用意しておきながら、設問自体に悪意があるものでした。

神の律法に関する質問というより、「人間」の作った法律に関する問題でした。
管理者様の取り上げてる問題も、聖書そのものというより、同じく「人間」に関しての疑問なのではないでしょうか?

この手の疑問に人間が答えることはできません。
「自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」
エレミヤ書

この難解な問題提議にもイエスはお答えになりました

しかしイエスは,彼らの邪悪さを知って,こう言われた。「なぜあなた方はわたしを試すのですか,偽善者たちよ。
19 人頭税の硬貨をわたしに見せなさい」。彼らはデナリを[イエス]のところに持って来た。
20 そこで彼らにこう言われた。「これはだれの像と銘刻ですか」。
21 彼らは,「カエサルのです」と言った。そこで[イエス]は言われた,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。

22 すると,彼らは[これを]聞いて驚嘆し,彼を残して去って行った。

管理者様は聖書に関する正しい知識を得たいというより、キリスト教会内での偽善を取り上げて、問題にするということが趣旨なようですが、「人間の教え」と「神の教え」を混同しています。

一世紀のパリサイ人達と同じ論法をとっています。解き明かしは「神」によるのです。




2011-06-02 木 22:09:31 | URL | ワウ(・◇・) [編集]
ワウ(・◇・)さんのコメントについて

>はじめまして、ざっと拝見させていただいて気がついたことは、聖書や
>キリストの教えに疑問や矛盾を感じる場合、それは聖書を誤って解釈
>したり、理解している場合にのみ起こるのではないかと愚行する次第
>なのです。

愚行ではなく、「愚考」です。

桃栗さんは、「震災は天罰」と、のたまうクリスチャンたち その1と2で、
創世記8:21だけでなく、9章においても、神は人間と動物を滅ぼすこと
は二度とないと繰り返し言っていることと、今度の震災との矛盾を指摘し
ています。

これが「聖書を誤って解釈」しているというのですか。ならば、その1と2
の記事のコメントに、「聖書の正しい解釈」をなぜ書かないのですか。

桃栗さんの具体的な指摘から逃げて、長々と聖書を引用してごまかして
いるとしか見えません。

>管理者様は聖書に関する正しい知識を得たいというより、キリスト教会
>内での偽善を取り上げて、問題にするということが趣旨なようですが、
>「人間の教え」と「」を混同しています。
>
>一世紀のパリサイ人達と同じ論法をとっています。解き明かしは「神」
>によるのです。

桃栗さんの具体的な指摘に答えられず、神の教えとか、解き明かしは
「神」によるとか何回言っても、空虚な言葉にすぎません
2011-06-03 金 02:02:33 | URL | AC [編集]
ワウ(・◇・)さんみたいに信じちゃってる人は「そちらから」しか見えないんでしょうね。
私は両親が日基の教会員、プロテスタントの正統派です。その教会はこの地方都市でも有名な教会です。私も信心していたときはそちら側からしか物を見る事が出来ませんでした。

「人間の教え」と「神の教え」とありますが、聖書は人間が書いたものです。
私も教会では、人間が書いたものだが神の息吹が著者に吹き込まれて書かれたものであるから聖書は神の言葉。と教わりましたが。
そんな事はどんな宗教でもその宗教の聖典について言っている事です。

たとえば私が今日から「あほんだら教」とでもいう宗教を始めて聖典を作り、もっともらしい事を書いて「これは私を通して神が言われた事」と言えばいいだけのことです。

しかし聖書は歴史があり全人類に読まれていて内容も素晴らしく神の力なしにありえない。なんて思うかもしれませんが、私はそうは思いません。ユダヤ人という特殊な民族がいて色々な歴史的タイミングがありキリスト教がこれだけ巨大な宗教になったと思います。
クリスチャンは「それこそが神の采配なのでは」と思うのでしょうが。

一番の問題はやはりこの宗教の偏狭さ、排他性です。
現行人類がアフリカで誕生したのが10万年前、現在に至るまでキリスト教とかかわりのない民族文化の方が圧倒的にのべ人数が多いでしょうね。
たかだか2千年前に神がその子供を差し出し?和解?っておかしくないですか。なんかのSFですかね。
少し考えるとおかしいと気づく話だと思います。
2011-06-03 金 03:41:28 | URL | victim [編集]
すみません。前文の訂正です。
「キリスト教とかかわりのない民族文化の方が圧倒的にのべ人数が多いでしょうね。」
と書きましたが、農耕が始まって人類の人口が増えだしたのは1万年位前からですので、人数で言ったらキリスト教とかかわりのあった人類の割合は何割かになると思います。

たしかに文明が発達するタイミングで発生した宗教なので人類に対する影響は大きいかもしれませんが、
逆に文明が発達するタイミングだったから発生したのではとも考えられると思います。一神教は文明社会から発生します。

古代エジプトのアトン信仰(世界最古の唯一神教とされる)
ミトラ教、(古代ローマで繁栄した、太陽神ミトラス)を主神とする密儀宗教)の影響も大きく受けています。

確かに大きな宗教ですが、頑迷な宗教でもあります。私はこの宗教の排他性から人類が卒業しないと先へ進めないと考えています。
2011-06-03 金 04:14:18 | URL | victim [編集]
ACさんへ

「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。」
「わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」
(創世記8:21)

大洪水に関して、神は確かに約束なさいました。この時は確かに神が災厄を下されました。ですが、ここでもまた、区別が必要になってきます。

1「この度したように」つまり、「神から」の災厄としての、40日40夜続いて地を埋め尽くすような大洪水は人類を滅ぼす際に用いられない、という「手段」に関しての意味合いがあった。 

2この度の震災の様に、洪水でなくなった方は、一部の人が言うように、「ソドムとゴモラ」の様に神が災厄を直接くだされたのか?それとも、何らかの自然災害の犠牲となってしまったのか?

簡単に言うと「天災」か「人災」かということでしょうか?
これに関してもイエスが答えています。

「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです」
1に関して、イエスが創世記を知らなかったはずはありませんから、論証されるでしょう。

2に関しては
「シロアムの塔が倒れて死んだあの18 人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」
と当時からあった、「人災」であろう建築事故について述べていらっしゃいます。
今回の津波は、ちょうどこちらにあたるのではないでしょうか?

victimさんへ
>>一番の問題はやはりこの宗教の偏狭さ、排他性です。

おっしゃるとおりでしょう、「もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない」とあるのですから、国ないしは宗派でこうであるのなら、うまくいくはずがありません。

>>
古代エジプトのアトン信仰(世界最古の唯一神教とされる)
ミトラ教、(古代ローマで繁栄した、太陽神ミトラス)を主神とする密儀宗教)の影響も大きく受けています。

『全世界は邪悪なものの配下にある」ヨハネ第一5:19
「世界宗教」であるキリスト教も、もはや聖書信仰から逸脱しています。
日本では影響力が無い分、ましということでしょう。

2011-06-03 金 09:42:54 | URL | ワウ(・◇・) [編集]
聖書の言葉を引き合いに出されても、一般の信者でない人は

①そもそもイエスキリストなんかいたのか?
②いたとしても新約聖書に書かれている事を本当に言ったのか?

ってそんな訳ないだろう。特に②

というしごく真っ当な認識を持っていますからね。

「もはや聖書信仰から逸脱しています。」
とありますが、違いますよ。アトン信仰はユダヤ教の一部分の元になっていますしミトラ教はキリスト教の一部分の元になっています。聖書はその影響を受けているのです。

「聖書が絶対」というお寒い確信を持っている人は手の施しようがないので、死ぬまでそう思って幸せに生きて欲しいです。〇価〇〇に口出しすると仕事上もまずいのでスルーしていますし、まだそれに比べりゃ日本ではカワイイ方ですしね。ダンブラウン原作の映画も上映出来ますし。

ただしアメリカ人で団体になってシオニズムとか信奉して全世界を戦争と不幸に巻き込むのだけは辞めて欲しいです。
2011-06-03 金 12:02:47 | URL | victim [編集]
ヤマトタケル(やまとたける、伝 72年–113年[1])は、記紀に登場する皇子である。

ヤマトタケルのみことはキリストより100年後の人物ですが、架空の人物ですよね。

「実際には4世紀から7世紀ごろの数人の大和(ヤマト)の英雄を統合した架空の人物とされる。」

キリストの歴史的な史実は一切ありませんが、2千年前、日本に比べて古代ローマはもう少し霧が晴れていると思っていますか?

この歴史と言う霧を感じ取れないと悲しい事になりますよ。
私はこの霧にはっきり気がつきました。そして信仰から目が覚めました。

信仰から目を覚ます事は現代人類にとって本当に大切な事なのです。ユダヤ教→キリスト教→イスラム教が生まれ、恐ろしい争いが続いている世界において。
2011-06-03 金 12:41:15 | URL | victim [編集]
>>
①そもそもイエスキリストなんかいたのか?

キリストは処刑された後に復活したと書いてあります。その後昇天して、直属の12使徒達やパウロがユダヤ近隣諸国に触れ回った事になっています。

考古学者なんかは「復活」については受け入れていないものの、当時のユダヤ教内でイエスのような指導者が、当時の権力者層に敵対した、ということについては概ね同意しているようです。もし嘘なら、使徒達は一体何がしたいのか、ということになります。

旧約時代にもエホバの名において偽りを予言する人はいましたが、大抵信じてもらえませんでした。
信者でなくても、当時100人程度しかいなかった宗教団体が世界史を揺るがしたということについて、何らかの力があったと、関心するのではないでしょうか?

2についても同じように、モーセがユダヤ教つくったみたく、パウロがキリスト教を作ったと思ってる聖書史観ですね。

キリスト教も啓示宗教なので、唯一神であるYHWH(エホバ ヤハウェ ヤハベ)からの神託であることに変わりありません。
律法契約が破棄されただけです、

この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。 22:19また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる

イエスの生前共にいたと思われるヨハネがこう言ってるんですから、聖書十全、全的無誤説がとられるんです。

キリスト教が異教由来であることに同意しますが、

>>
聖書はその影響を受けているのです

という部分はどちらかというと逆なんじゃないかと思います



2011-06-03 金 13:04:15 | URL | ワウ(・◇・) [編集]
>>「聖書が絶対」***************幸せに生きて欲しいです。

幸せって素晴らしいです。これからもお幸せにね。
  
2011-06-06 月 21:44:44 | URL | victim [編集]
ワウ(・◇・)さんは、私が引用した桃栗さんの疑問、すなわち、

> 桃栗さんは、「震災は天罰」と、のたまうクリスチャンたち その1と2で、
> 創世記8:21だけでなく、9章においても、神は人間と動物を滅ぼすこと
> は二度とないと繰り返し言っていることと、今度の震災との矛盾を指摘し
ています。

に対し、今回の震災は神が災厄を下されたものではないとして、ルカ13:4から引用し、

> 「シロアムの塔が倒れて死んだあの18 人は、エルサレムに住んでいた
> ほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」
> と当時からあった、「人災」であろう建築事故について述べていらっしゃいます。
> 今回の津波は、ちょうどこちらにあたるのではないでしょうか?

と書いておられます。
そんな比較が成り立つのか疑問ですが、もし、今回の震災は
神様が起こしたものではないとすると、別の重大な疑問にぶつかります。

桃栗さんは、2011-05-19の「震災は天罰」と、のたまうクリスチャンたち その3
の記事で、
今回の震災の20日ほど前のニュージーランドのクライストチャーチの地震、
昨年の1月のハイチの大規模な地震、
2001年のニューヨークの911事件
を北白川スー氏(桃栗さんがその記事で取り上げたクリスチャンのエッセイスト)は
知らないのかと批判し、

> さて、ここで北白川スー氏に質問。
> これらの事件や災害が起こったとき、
> 彼らを守ってくれるはずの神様は何をしていたのでしょうか?
> ただ何もせずに見ていただけですか?
> いくらそばに神がいるといっても、いざという時に何もしてくれないのは、
> 神がいないのと同じです。
>
> そして、日本人が神に祈らないことを批判していらっしゃいますが、
> では、神に何をどう祈れとおっしゃるのでしょう。
> また、日本人が神に祈った結果、何がどうなるのでしょう。
> それについては説明していませんね。

という疑問を提起しています。聖書からいくら引用しても答は出ないでしょう。

(一部字句修正)
2011-06-08 水 08:06:05 | URL | AC [編集]
別の角度から
初めまして。えと、ざっと拝読した限りのことを述べさせていただきますね。
1.政治的な意味でのキリスト教と教義的なキリスト教は別物である。
つまり、キリストの言行録である新約聖書、それとユダヤ教の聖典である旧約聖書は時期的に見て別物ですよね。

まず、旧約聖書ですが、これはユダヤ教の預言者たちの言行録であり、これはある程度の信憑性はあると思います。例えば、ノアの方舟なら「大洪水」(あるいは津波かも……)が起きて、大災害が起きた、という程度の信憑性ですけど。

新約聖書ですがこれも、弟子の一人がそんなことを言った(イエスが実際に言ったかは別もの)というレベルの話。いくらでもウソは書けますから他の史実で裏をとらなければいけません。

注意しなければいけないのは本来、この二つのテキストは余り関係がなく、イエス・キリストが旧約聖書を引用しているにすぎないということです。旧約聖書の権威を借りて、キリスト教を正当化したと僕は考えています。

最後。政治としてのキリスト教ですが、文字どおり教義とは無関係に後の人が勝手に何らかの目的で捏造したキリスト教の教義です。
例えばお金儲け(経済)、反乱を押さえることができ、自分の政治的立場で徳をするから(政治的な側面)などがあげられます。
具体的には、コンスタンティヌスがキリスト教を保護したことが挙げられます。なぜ保護したかといえば政治的に有利だからですよね。
織田信長も西洋の武器を手に入れたり、仏教を押さえるために政治的にキリスト教を利用したのは言うまでもありません。

2.キリスト教だけの問題か
 さて、桃栗さんはキリスト教を弾劾(?)しているようですが、果たしてキリスト教だけの問題ですかね。もともとの意味の意味とはかなりかけ離れて伝わってる哲学者、思想家はたくさんいます。
 マルクスの資本論では社会主義については一言もふれられていませんし、マルクスの研究者だったレーニンがマルクスは政治的なことについての記述は一切していないと書いています。
 またハイデガーもナチスに利用されてますし、何もキリスト教に限った話ではありませんよね。
 ここで提案なのですが、教義がいかに歪曲されていったかを調べて行ってみては?

3.教義としての宗教はある一定の効果を持っている
 僕は宗教はある一定の効果をもっていると考えています。それは全能のものを出すことで基本的な道徳(殺してはいけない、嘘をついてはいけない、盗ってはいけない、浮気をしてはいけないなど……)の根拠付けを行なう働きがあったのではないかと思っています。
 よくお天道さまが見てるから悪いことはしちゃいけないよ、と子供にいうのと同じですね。
 確かに教義そのものには科学的根拠はありません。しかし道徳を守らなくていい理由にはなりませんよね。今回の地震でいえば小難しい理屈を抜かして「節電」や「科学の傲慢さ」をつきつけるのに宗教は一定の効果があるのでは?

補足:ニーチェについて
 僕はもともとは哲学、それも現代思想を一番よく読んでいてその文脈でニーチェを参照することがあるのですが、実は桃栗さんの言われている問題のヒントとなるのがニーチェ『道徳の系譜』や『アンチクリスト』です。
 こちらは直接関係がないありません。考える上でのヒントとなれば幸いと思ってご紹介のみで。

2011-06-08 水 22:13:04 | URL | 有沢翔治 [編集]
>2.キリスト教だけの問題か
 さて、桃栗さんはキリスト教を弾劾(?)しているようですが、果たしてキリスト教だけの問題ですかね。もともとの意味の意味とはかなりかけ離れて伝わってる哲学者、思想家はたくさんいます。

とありますが、このサイトはキリスト教にむかついている気持ちをぶっちゃける為のものですがら、哲学者、思想家に物言いたいのなら別のところでやって下さい。およびでない。

母親のお腹にいるときからこの偏執的な宗教の会館(教会)に毎週連れて行かれ洗脳され、そのあげく世の中となじめなくなり、寂しい人生を生きている私の苦しみなんて貴方には判らないでしょうから。
2011-06-09 木 20:07:41 | URL | victim [編集]
桃栗さんの元記事は東日本大震災に関することで、それと離れたコメントに私
が反応するのは気が引けますが、悪い面を見ずに宗教を美化する主張の典型
なので、言わせていただきます。

> 3.教義としての宗教はある一定の効果を持っている
>  僕は宗教はある一定の効果をもっていると考えています。それは全能の
> ものを出すことで基本的な道徳(殺してはいけない、嘘をついてはいけない、
> 盗ってはいけない、浮気をしてはいけないなど……)の根拠付けを行なう
> 働きがあったのではないかと思っています。
>  よくお天道さまが見てるから悪いことはしちゃいけないよ、と子供にいう
> のと同じですね。

リチャード・ドーキンス(著)『神は妄想である―宗教との決別』に、イスラエル
の心理学者が行った、子供たちに対する宗教の影響に関する驚嘆すべき研究結果
が紹介されています。

一群のイスラエルの子供たちに、旧約聖書のヨシュア記にある、ヨシュアの命を
受けた民がエリコの町に攻め込み「男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバ
に至るまで町に有るものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くし」財宝を奪って
神に捧げたことについての記述を読ませた後に、ヨシュアとイスラエルの民は
正しい振る舞いをしたと思うか、思わないかと問い、全面的な是認、部分的な
是認、全面的な不同意のどれかから答を選ばせた。その子供たちの多数の答は
全面的是認であり、大量虐殺を正当化する理由は宗教的なものであった。

別の対照群の子供たちに、「ヨシュア」を「リン将軍」に、イスラエルを
3000年前の中国の王国に置き換えた同じ物語を読ませて、同じ質問をした。
すると多数の答は全面的否定であった。

このように、宗教は、大量虐殺を全面否定する子供たちにそれを全面的に肯定
させることができるのです。

ここで話を桃栗さんの記事のテーマである大震災に戻します。

私は、上の方で、神と聖書を肯定するコメントをした人に、大震災に関する
桃栗さんの最近の記事から疑問を引用して示しました。「全能のものを出す」
ことを肯定する人にもやはり疑問が当てはまります。

今度の大震災は「全能のもの」が起こしたのですか。
大震災が起きたとき、「全能のもの」は何をしていたのですか。

> 今回の地震でいえば小難しい理屈を抜かして「節電」や「科学の傲慢さ」
> をつきつけるのに宗教は一定の効果があるのでは?

こういう言い方は、桃栗さんが槍玉にあげているクリスチャンの「震災は天罰」
論と同工異曲です。
2011-06-10 金 04:25:17 | URL | AC [編集]
面白い見解ですが
あなたは僕のコメントを読んでいない。正確には読めていません。
1.のタイトルでそうでないことが解るはずです。
ドーキンスのくだんの箇所は「政治としての宗教」ですよね。僕はこれに対しては批判的です。
一方、僕が賛成しているのは「教義としての宗教」です。ですがお答えします。

>今度の大震災は「全能のもの」が起こしたのですか。
はい

>大震災が起きたとき、「全能のもの」は何をしていたのですか。
何もしていませんでした。
全能のものが何もできなかったからこそ、原発がメルトダウンしたり、絶対安全なはずの堤防が決壊したのです。

前の答えと矛盾してると思われるかもしれませんが、その論理矛盾という考えからもこの問題は出発しているのです。
2011-06-10 金 18:56:13 | URL | 有沢翔治 [編集]
有沢翔治さんのコメントについて

> あなたは僕のコメントを読んでいない。正確には読めていません。
> 1.のタイトルでそうでないことが解るはずです。
> ドーキンスのくだんの箇所は「政治としての宗教」ですよね。僕はこれに対しては批判的です。
> 一方、僕が賛成しているのは「教義としての宗教」です。ですがお答えします。

あなたは観念的にそういう区別ができても、現実に、そういう区別ができない大勢の人
たちが、昔から現代まで、宗教に動かされて血なまぐさい事件を起こしています。

最近の例では、エジプトの首都カイロで、イスラム教徒と、キリスト教の一派である
コプト教徒が衝突を繰り返し、5月7日の衝突ではコプト教の教会が放火され、死傷者が
多数でました。こういう人たちにとっては、ただただ自分たちが信じる宗教が絶対です。

"3.教義としての宗教はある一定の効果を持っている"に書かれていることは、
粗雑で理解できません。

> よくお天道さまが見てるから悪いことはしちゃいけないよ、と子供にいうのと同じですね。

今の日本で、どこの誰が、「よく」お天道さまが見てるから・・・と子供にいうんですか。
田舎のおじいちゃん、おばあちゃん?

そういわれた子供は納得しますか。「何、それ?」と聞き返されたら説明できますか。

> 確かに教義そのものには科学的根拠はありません。しかし道徳を守らなくていい理由
> にはなりませんよね。

こういうことを言っても、宗教を擁護する理由にはなりませんね。

大震災は「全能のもの」が起こしたのですかとの問には「はい」で、大震災のとき
「全能のもの」は何をしていたかとの問には、何もしていなかった、何もできなか
ったとのお答えです。もう訳がわかりません。

最後に、"有沢翔治のlivedoorブログ"のリチャード・ドーキンス『神は妄想である』
の書評から引用します。

>  またアメリカ人からも「困っているとすぐに助けてくれる人が現れる」などと言われ
> ています*6。というように僕らは「神様が八百万もいることも驚いたけど、日本人は
> 宗教観がとても柔軟なんだ」*7というように信仰心と道徳とは全く関係がないのです。
>  僕は人に親切にする時に「神様が見ているから」とかそういうことを意識していません。
> 神のための道徳ではなく、まさにカントの言う道徳のための道徳なのだと思っています*8。

ttp://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/cat_10023890.html

この桃栗さんのブログで"有沢翔治"と名乗って反対の趣旨を書いている人は、偽物でしょう。

(一部字句修正)
2011-06-11 土 11:12:02 | URL | AC [編集]
ブログのコメント欄
キリスト教徒はキリスト教の立場を擁護するでしょうし、キリスト教や宗教に反対の立場に立つものはキリスト教などを批判するでしょう。だからそれはそれでいいのではないかと思います。ブログのコメント欄では特に反対するひつよはないでしょう。議論をしたいのであればそういう掲示板やチャットサイトでおやりになるべきです。

記事や他の人の書き込みに対して反対意見を述べるのは、何とかしてその発言者の誤りを露呈して恥をかかせてやりたい、という動機からのことであるかのように見えます。

しかし、すでに言いましたように、ブログのコメント欄でやることでは無いでしょう。時や場所によって自制するべきことがあるとい思います。
2011-06-11 土 15:49:07 | URL | クッキングホイル [編集]
Re: 別の角度から
> 初めまして。えと、ざっと拝読した限りのことを述べさせていただきますね。
> 1.政治的な意味でのキリスト教と教義的なキリスト教は別物である。

> 2.キリスト教だけの問題か
>  さて、桃栗さんはキリスト教を弾劾(?)しているようですが、果たしてキリスト教だけの問題ですかね。もともとの意味の意味とはかなりかけ離れて伝わってる哲学者、思想家はたくさんいます。
>  マルクスの資本論では社会主義については一言もふれられていませんし、マルクスの研究者だったレーニンがマルクスは政治的なことについての記述は一切していないと書いています。
>  またハイデガーもナチスに利用されてますし、何もキリスト教に限った話ではありませんよね。
>  ここで提案なのですが、教義がいかに歪曲されていったかを調べて行ってみては?

こんにちは。
寄せられたコメントはすべて目は通していますが、
このブログは、かつて私がクリスチャンとして
見て聞いて体験してきたキリスト教を基準にして書いています。
そのようなわけで、あまり専門的に書く意向はありません。
あくまでも一般的なクリスチャンにキリスト教の矛盾点に気付いて欲しい
という意向で書いています。
一般に教会で教えられていることや信じられていることを主に扱っています。

多分、哲学や思想家の話を持ち出しても、
ほとんどのクリスチャンは理解できないと思います。
クリスチャンはそこまで深く考えませんから。
>

3.教義としての宗教はある一定の効果を持っている
>  僕は宗教はある一定の効果をもっていると考えています。それは全能のものを出すことで基本的な道徳(殺してはいけない、嘘をついてはいけない、盗ってはいけない、浮気をしてはいけないなど……)の根拠付けを行なう働きがあったのではないかと思っています。
>  よくお天道さまが見てるから悪いことはしちゃいけないよ、と子供にいうのと同じですね。
>  確かに教義そのものには科学的根拠はありません。しかし道徳を守らなくていい理由にはなりませんよね。今回の地震でいえば小難しい理屈を抜かして「節電」や「科学の傲慢さ」をつきつけるのに宗教は一定の効果があるのでは?

私は、宗教そのものは強くは否定しません。
私が強く否定したいのは、
「この宗教だけが真実である」という価値観を押し付けることです。
特に、一神教であるキリスト教にその傾向が非常に強いのです。
私がキリスト教を批判している理由はそれです。
キリスト教があくまで宗教の一つに過ぎないことを認めてもらいたいのです。
日本には、長年培われてきた宗教観や道徳観があり、
それによって日本の秩序は保たれてきたわけです。
キリスト教がなくてもちゃんと日本人は今日まで生きて来れましたし、
大震災が起こっても冷静な国民であることが世界的にも証明されました。
にもかかわらず、一部のクリスチャンはキリスト教的価値観を押し付け、
「震災が起こったのは日本人がキリスト教を信じていないからだ」
と主張することに強い憤りを感じるのです。
キリスト教を信じる国だって、大災害が起こったら暴動や略奪が起こるのに。
2011-06-12 日 22:14:28 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> >2.キリスト教だけの問題か
>  さて、桃栗さんはキリスト教を弾劾(?)しているようですが、果たしてキリスト教だけの問題ですかね。もともとの意味の意味とはかなりかけ離れて伝わってる哲学者、思想家はたくさんいます。
>
> とありますが、このサイトはキリスト教にむかついている気持ちをぶっちゃける為のものですがら、哲学者、思想家に物言いたいのなら別のところでやって下さい。およびでない。

> 母親のお腹にいるときからこの偏執的な宗教の会館(教会)に毎週連れて行かれ洗脳され、そのあげく世の中となじめなくなり、寂しい人生を生きている私の苦しみなんて貴方には判らないでしょうから。

私もまったく同感です。
社会生活がつらいです。
幼い頃から、キリスト教という一般社会とは違う世界で育ってきましたから、
今でも社会生活での人付き合いに本当に本当に悩まされています。
表面上は平静を装っていますが、
いつも人の顔色をうかがい、警戒しながら付き合うようなところがあり、
「普通」を装うことにエネルギーを使います。
このブログを書く原動力にもなっているのがその「ストレス」でもあります。
一時的にこのブログの更新が早くなることがありますが、
その時はストレスがたまっているということです。
2011-06-12 日 22:24:47 | URL | 桃栗 [編集]
私は、桃栗さんのブログで、平静を保てます。
ほんとに、ありがたいです。
2011-06-13 月 00:23:09 | URL | ねこ [編集]
"有沢翔治のlivedoorブログ"に陰湿な悪口
上の方で2度投稿した有沢翔治という人は、自分のブログで、異教徒という人の
コメントに反応して、桃栗さんの悪口を言っています。

Web魚拓
ttp://megalodon.jp/2011-0613-2319-53/blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/51156204.html

> 1. Posted by 異教徒 2011年06月09日 23:33
> >ここで提案なのですが、教義がいかに歪曲されていったかを調べて行って
> みては? from ここが変だよキリスト教
>
> 残念ながら、あそこではこの提案が承諾されることはないと思います。
> 桃栗さんは『キリスト教憎し』で固まって、テーマとかけ離れた話をすると
> 機嫌を損ねるんです。で、出来ればここで色々と話が出来れば嬉しいです。
(以下略)

> 2. Posted by 有沢翔治 2011年06月10日 00:52
> いや、まぁあの人が家庭の事情をキリスト教という敵を作ることで慰めて
> いることは感じてましたが(笑)
> まさに「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
> おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」
> という言葉を投げかけてやりたいですねー。
(以下略)

この人はわかっていない。桃栗さんは幼い子供のときから一方的にキリスト教
という怪物に取り込まれ、心を抑圧されてきたが、苦しみながら抜け出し、
まだ苦しんでいるということは、このブログにある自己紹介や多くの記事、
コメントから明らかです。

桃栗さんのブログにコメントした人の中で、この有沢翔治という人ほど陰湿な
例を私は知りません。しかしこの人のブログで、異教徒という人は盛んに
親近感を表明しています(魚拓参照)。
2011-06-14 火 00:47:51 | URL | AC [編集]
「汝、自身を知れ。」
>ACさま

私も彼に憤りを覚える者の一人です。
Facebookで「有沢翔冶」氏の学歴を見てみたところ、高校も大学も難易度があまり高いところではありませんでした。学歴だけでなく、自身のブログやツイッターなどで生かじりの哲学の知識を振り回してご満悦なところからも、あまり知的な人物であるようには思えません。彼には「汝、自身を知れ。」という言葉を捧げたいです。
あの名前が本名かペンネームかは知りませんが、もし本名であるならば、そう遠くない将来、必ずや社会的な制裁を受けるに至るものと思います。(就職活動中のようです。しっかりした組織なら必ず募集者の情報についてネット検索はするので、どのような結果が待っているか言うまでもないでしょう。)「世間知らずの若気の至り」とはいえ、報いは大きいことでしょう。
2011-06-14 火 21:30:57 | URL | 巨大虎猫 [編集]
ACさん

私は桃栗さんがキリスト教で苦しんでいることは分かっているつもりです(生まれた時からキリスト教でもなければ、キリスト教に入信したこともない。だから、100%は分からない)。でもここは反キリストvsキリストの場だと理解しているから、私は有沢さんとこで話すことにした。

桃栗さんはこのサイトの趣旨を「あくまでも一般的なクリスチャンにキリスト教の矛盾点に気付いて欲しいという意向で書いています」だと言っている。だから私は有沢さんとこで「桃栗さんは『キリスト教憎し』で固まっている」の発言は間違いで、桃栗さんを傷つけたかもしれない。そのことは素直に謝りたい。しかし、有沢さんとこでテーマと違ったことを話すことは正しい判断だと考えています。

そこでACさん、私たちは有沢さんとこで、「ここが変だよ」と桃栗さんの批判をしているのでしょうか?私は「震災と天罰」と違ったテーマで、違った次元でキリスト教や神について有沢さんと議論しています。ACさん、私たちが桃栗さんを嘲笑しているかのように書くのは止めてもらいたい。有沢さんが桃栗さんをチャカした(一回)ことは道徳的に間違っている。私が桃栗さんを「キリスト教憎し」で固まっていると偏見の目を持っていたのも間違っている。だからACさんが怒るのも理解できるが、ここで有沢さんを貶めることは完全な場違いです。言いたいことがあるなら有沢さんとこで言えばいい。

私はキリスト教を理解したい。だからキリスト教と反キリストの意見を聞きたいし、両方に質問もする。両方に怒りを向けることもあるし、賛同することもある。「震災と天罰」に関して言えば、桃栗さんが指摘するようにキリスト教の異教徒を利用した地震が起きた理由に腹を立てるし、ACさんのように神を全否定することにも違和感を抱いている。だから有沢さんとこでも話すし、桃栗さんの聖書の知識と聖書を利用した矛盾のつき方を学んでいる。

>異教徒という人は盛んに親近感を表明しています。
自分と違った角度でキリスト教を分析し、自分の知的好奇心を刺激する人に親近感を表明した。だから、何?言いたいことがあるなら、言ってよ。「BBS耳寄りなキリスト教」誰も使わない掲示板があるから、そこで話そう。

巨大虎猫さん
「汝、自身を知れ」とは、まるでキリスト教徒のような言い方で、「報いは大きい」とはキリスト教のような脅し方ですね。笑
ACさんと巨大虎猫さん、ここで個人を攻撃することが「天災と天罰」に繋がるとは思えませんので、続きを望むならBBSで話そう。

桃栗さん
場違いな発言と有沢さんとこでの私の発言を謝罪します。
2011-06-15 水 00:40:27 | URL | 異教徒 [編集]
私は、有沢~という人とも異教徒という人とも話す気はありません。
ですが、コメント欄がこんな流れになってきたことについて、
ブログ主の桃栗さんと、来訪者の方々にご説明申し上げます。

有沢~という人の"別の角度から"という始めの書き込みは、桃栗さん
の元記事のテーマである大震災とキリスト教を無視していました。
(2011-06-08 水 22:13:04)

私はそれを、宗教肯定論者が具体的な疑問に答えない例のパターン
と受け取り、
> ここで話を桃栗さんの記事のテーマである大震災に戻します。
といって、本題に戻そうとしました。(2011-06-10 金 04:25:17)

後のコメントの交換(2011-06-10 金 18:56:13)(2011-06-11 土
11:12:02)で、私は有沢~という人のブログのドーキンス
「神は妄想である」の書評を見ていましたが、宗教カテゴリーの
一覧形式で見たので、コメント欄は閉じられ、見ませんでした。

その後、桃栗さんが有沢~という人の"別の角度から"のコメントに
ていねいに答えました。(2011-06-12 日 22:14:28)

それから、私は有沢~という人のブログの問題のコメント欄を見て
衝撃を受けました。この人は桃栗さんのブログに「哲学」、「宗教」
などを論じるコメントをつけながら、裏では自分のブログで桃栗さん
を嘲笑しました。それも桃栗さんがこのブログを書いている根本的
な理由についてです。私はこれを、

 哲学や宗教以前に、人間としてすべきでない陰湿で卑劣な行い

と思い、こちらのブログで明るみに出したのです。
(2011-06-14 火 00:47:51)

異教徒という人は、桃栗さんに謝罪しながら、私を批判しています。
(2011-06-15 水 00:40:27)

それについても説明します。この人が別のブログ主のところで別の
話をするのは自由です。しかし、それだけじゃない。この人は、
有沢~という人のブログで話を始める理由を、

> 桃栗さんは『キリスト教憎し』で固まって、テーマとかけ離れた話を
> すると機嫌を損ねるんです。で、出来ればここで色々と話が出来れば
> 嬉しいです。
(1. Posted by 異教徒 2011年06月09日 23:33)

と書きました。この人は、そのブログ主の桃栗さんへの悪口を聞いても
平気で、その後も桃栗さんのブログを批判しました。

> で、「ここが変だよ」で、書き込んだけど、キリスト教徒と無神論者
> (キリスト教から離脱した無神論者と言う名の宗教を信仰してる)の
> 不毛な戦いにウンザリしてたんです。で、まったく違うアプローチを
> してきた知性を感じる有沢さんに、「おおおおおおお、この人面白い」、
> って。で、やっぱりブログ読んでも面白い。「ここが変だよ」でも
> 色々と話が出来ればもっと面白いと思うんだけど。残念です。
(5. Posted by 異教徒 2011年06月11日 00:39)

この人は桃栗さんのブログに書き込んでいましたが、不満を持ち、別の
ブログ主と親しくなるために、わざわざ桃栗さんのブログへの不満を
繰り返し書きました。裏切り行為だと思います。

Aと話していたBが、Cと仲良くなろうとして、Cに対し、
「Aさんは頑固で話ができない。Cさんは面白い、色々話ができれば
嬉しいです。」
というのと同じです。

この人が私に言った、「ここで有沢さんを貶めることは完全な場違いです。
言いたいことがあるなら有沢さんとこで言えばいい。」という非難は、
反対にこの2人に当てはまります。この2人は、桃栗さんのブログに
コメントしながら、そこで言わない悪口を陰で言っているんだから。その
一人は、怪物何々という言葉を投げかけてやりたいと書いたのだから。

「有沢ブログで桃栗さんを貶めることは完全な場違いです。言いたいことが
あるなら桃栗さんとこで言えばいい。」

桃栗さんへ。長々とこういう話になったことをおわびします。しかし、これ
は、人間の誠実さ、卑劣さについての問いを突き付けていると思います。
2011-06-15 水 08:25:34 | URL | AC [編集]
なら僕も言わせて下さい
 んーと、まず桃栗さんから。僕のコメントでこんな結果を招いてしまって申し訳なく思っております。
 そのことについては謝ります。茶化した意図はこちらとしては全くありませんでした。こちらについてはそれこそ桃栗さんを貶めるような結果になってしまうので非公開コメントで後ほど。
 しかし、僕が……ここに書き込まれているACさんなどにも当てはまることなのですが……
1.まず、キリスト自身が何を言おうとしたのかだけを(牧師さんとかの説法とは関係なく)、考えてみるといいと思うのです。
 僕のブログで引用したニーチェの台詞はキリスト教を批判しようとする人はまたキリスト教と同じ構造を持つ新しい「宗教」を作り出す、という意味で僕は解釈しています。
 例えば、無神論(ドーキンス教と変えても言い変えてもいいかもしれませんが)という新たな「宗教」を誕生させているにすぎません。

 怪物云々に関しては確か『善悪の彼岸』で引用している言葉なのですが、少し調べれば出てくるはずです。
 誠実さで言えば、ACさんはどうなんですかね。
1.偽者呼ばわりしておいて自分の判断ミスについてはそしらぬ顔ですよね。判断ミスについては誰でもあることなので仕方ありませんが、そのことについて何ごともなかったかのように僕の人格攻撃をするのは「知」そのものに対して誠実なんですかね。
2.また、かなり前で申し訳ないのですが「お天道様が見てるよ」がどういう場面で言われるかを考えないで(つまり道徳心を植えつけるために発せられる言説である)、揚げ足を取る(少なくとも僕にはそう映りました。だから僕は今まで沈黙し、僕のブログでのコメントでの返信に終始してた)ようなことは果たして「知」に対して誠実なのでしょうか。
3.これは沈黙していた僕が悪い面もありましたが、「はい」と答えておいて~は僕が何を言おうとしてるのか、考えようとしましたか。僕は論理主義が行きすぎた効率化を招いて、その結果として、フクシマ(福島ではなくフクシマ)のような事故を招いてしまったのではと考えています。村上春樹が講演していたようにね。
4.なぜ、僕のブログにACさんは書き込まなかったのかという点については賛成はしませんが、解りました。
5.自分では理解できない言説を排除し、単純な善悪二元論に持ち込むことこそが、「宗教紛争で殺し合う」 原因なのです。

 キリスト教批判するのも僕を批判するのも、ドーキンスに賛同する時も特徴的なことが一つあります。それは聖書の言葉、あるいは僕の言葉を適当に都合のいい場所だけ引用しているということです。
 そしてこれはハイデガーがナチスに利用され(あれは「存在と時間」の中の一節だけを引用したらしいです)、スターリンがマルクスを利用したものと同じなのです。もちろんこれはキリスト教が政治的に利用されている背景と同じものだと考えています。僕はキリスト教の教えがどう変わっていったかにも言えることだと思いますが、何分この辺は余り詳しくないのであいまいな言い方ですが。
 つまり僕が終始一貫して言ってることは「キリスト教」「旧約聖書」「新約聖書」「イエス・キリスト」これらのことがらを一回、切り離して考えてみたらどうですか、ということなんです。
 そして、相手の言おうとすることを確かめもしないで、批判するのはその人に対して、そして何より「知」そのものに対していかがなものかと。
 自分の考えを正しいと断言するのは「宗教」と変わらない、と僕は思います。そしてこれは僕の最初の問題提起にも関ってくるのですが、キリスト教だけの問題ではありません。桃栗さんは「数ある宗教の中の一つにすぎない」と述べてます。確かにそのとおりですね。
 しかし、資本主義という経済システムも数ある経済システムのうちの一つです。異性愛も数ある恋愛のうちの一つです。なぜキリスト教が世界の宗教として幅をきかせているかというと、それは世界的に見て大国の宗教だからです。
 もちろん資本主義も異性愛も大国の論理です。しかし僕たちは、知らず知らずのうちに大国の論理が正しいと信じているのです。理屈で割り切れないものは間違ってるというのも大国の論理ですよね。
 つまり大国の論理をかたや病的に攻撃していて、その反面、極めて無自覚な面もあります。もしかしたり同性愛なのに異性愛の振りをすることに疲れている人もいるかもしれませんし、今回の原発の騒動で言えば「原発がないと生計が立ち行かない人」に対しても「桃栗さん」を生み出しているのかもしれません。そして僕たちはそのことに対してもっと自覚的にならないといけない、と思うのです。
 そういうこともお考えでしたでしょうか。

翌朝追記:仕事(アルバイト)に向かう前なので、少しだけ。僕への人格攻撃は別に何とも思いませんが「知」への態度(僕が「知」そのものといっているもの)が傲慢だと極めて不愉快に思います。
 人間の思い上がりや欲望を防ぐ装置が宗教でした。自分より上位の存在がいると思うことで、謙虚になれる一種の知恵だと思うんです。だから僕たちはむしろ何も知らないし、何も解っていない。
 相手の意図も正確に汲み取れていない。だけど行動する……、という態度が(僕もそうですが)少しはあってもいいのでは?
2011-06-16 木 00:33:39 | URL | 有沢翔治 [編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-06-16 木 18:28:34 | | [編集]
>「有沢ブログで桃栗さんを貶めることは完全な場違いです。言いたいことがあるなら桃栗さんとこで言えばいい。」

私達の会話が本当に桃栗さんを貶めているの? これが本気で理解できない。誰もが長所があり短所がる。ここのブログにも長所と短所がある。ACよ、友達FとGが私の短所を話していたとしよう。ACがそれを聞いて私に伝えることが親友のすることか? わざわざ私に伝えて私とFとGの仲を気まずくすることが親友のすることなのか?FとGは私と友達でいたいと思っている。ただ、お前はFが嫌いなだけで、ACはFとGがこんなことを言ってたと私に伝えることがACの友情なのか? 本当にお前には呆れるよ。こんなことを桃栗さんとこで書かせるなよ。

幼稚な正義感が人を傷つけるって分からないのか?キリスト教と反面教師のキリスト教から、何をお前は学んだんだ? 世の中キリスト教のように善と悪、敵と味方、二元論だけじゃないんだよ。お前はキリスト教を憎むけど、キリスト教思考から一歩も踏み出せてないんだよ。

言いたいことがあるなら言えと言うことなので。ゴメンネ桃栗さん。

確かに私は不毛の戦いにウンザリしている。せっかくキリスト教徒が勇気を振り絞って敵地に乗り込んでくるのに、話がかみ合わない。これはキリスト教徒が聖書を引用しすぎているのも原因だけれど、誰もがキリスト教徒の言葉を聞こうとしない。桃栗さんの返しがつまらなかったらここにはこないし、私は桃栗さんの返しに問題があるとは思わない。ただ、誰もがキリスト教徒の話を聞かずに、複数対1でキリスト教徒叩きをするのはつまらないと思う。ワウさんは「聖書を誤って理解している」と指摘した。何をどう誤って理解しているかを聞くのが会話だと思う。このブログの面白いとこは矛盾を見つけて桃栗流の返しをするのが見どころだけど、これは桃栗さんの役目だろ?桃栗さんが桃栗流で返すのを分かっていながら、桃栗さんのように振る舞うACが桃栗さんよりも先に桃栗さんが言いそうなことを言う。だけど、所詮劣化コピー。本物とは違う。桃栗さんよりも前にワウさんにコメントするのもありだと思うけど、自分の言葉で(聖書引用もあり)自分の考えや怒りをぶつけるべきだろ。どこをどう誤って理解しているかを聞いて、話を広げて、桃栗さんを待つ。これが一番面白い結末だろ?ワウさんが桃栗さんと話すことが最低の礼儀だろ? ワウさんは劣化コピーのACと話にきたのか?劣化コピーなんて誰も欲しくないんだよ。 

一番うんざりしたのは劣化コピーのお前の出現だ。 
2011-06-16 木 18:52:33 | URL | 異教徒 [編集]
Re: なら僕も言わせて下さい
>有沢翔冶さま

>牧師さんとかの説法

「説法」ではなく「説教」です。「説法」とは、仏教などの世界で使われる言葉です。用語の誤用は、その人物がその世界について無知であることを露呈します。

>キリスト自身が何を言おうとしたのかだけを
>考えてみるといいと思うのです。

そんなことが出来るなんて本気でお考えで?これまでに多数の聖書文献学者たちが試みてきて、いまだに明確な結論は出ていない、ということをご存知ないのですか?
それに、福音書のイエスが実は架空のキャラクターで、当時のあの地方で語られていた様々な話を編集して物語化したのが福音書だとも言われています。例えば「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」という有名な言葉は、ユダヤ人が税金を払うように圧力がかかったときのサンヘドリンの議決に他ならない、という説もあるのです。(いわゆるトンデモ本の類ではなく、欧米の超有名校の先生方の論文等。)

>怪物云々に関しては確か『善悪の彼岸』で引用している言葉なのですが、少し調べれば出てくるはずです。

その言葉は、ちょっと本を読む習慣がある人なら、誰でも知ってますよ。
ちょうど幼い子供が新しく覚えたことを大人に向かって知ったかぶりしているようで滑稽です。

ところで、この場でFacebookのことを持ち出したのは場違いだったかもしれませんが、失礼ながらあの英文の自己紹介も十分笑わせてもらいました。悪いけど、あれでは英語が堪能な人は寄って来ませんよ。現代は情報過多の時代なのです。最初の数語を一瞥しただけで、後は読む気にもなりません。(ちょっと賢い中学1年生が見ても変に見えます。)
ご自身は知的な人間を気取っているようですが、あの英文では人から「痴的」な人物と思われても仕方ありません。

>自分では理解できない言説を排除

私には本当に理解に苦しむ世界の方のようです。理由は、上に書いたとおりです。
2011-06-18 土 00:22:43 | URL | 巨大虎猫 [編集]
読むということ
「説法」ではなく「説教」です。「説法」とは、仏教などの世界で使われる言葉です。用語の誤用は、その人物がその世界について無知であることを露呈します。

なるほど。教えて下さり(これは皮肉でも何でもなく)感謝します。キリスト教とか仏教の関連の文献はあまり読んでおらず、明るくありませんのでこういう指摘は探す時に参考になります。
英文や哲学、思想についても、僕は下手な方だという自覚はあります。
そもそもあなたの読み通り「知的ぶって優越感に浸」っているのだとしたら、wikipediaで調べたことや、解説書に書いてあること、あるいはインターネットの他のブログに書いてある文章を引用し、読んだことにしてしまうと思います。知的ぶって優越感に浸りたいだけなら少なくとも僕はそうします。

例えばドゥルーズの『差異と反復』の感想ノートにおいて僕はこう締めくくっています。
「不勉強な面もあるかもしれませんが指摘して頂けるとありがたいです。」
もしあなたの言うような態度で「優越感に浸りたいだけ」ならこのような言説は出てこないと思いませんか?
もし、逐一見てる暇なんかない(本来なら全ての記事に目を通すのが一番いいんでしょうけど)としたら、冒頭の
 基本的には哲学書、小説や映画の紹介・解説のブログにしていこうと思います。解説=フロイト、デリダ、ソシュール、フーコーなどを濫用し、もっともらしく見えるように書いた駄文ですが。
 しかもその哲学、心理学の知識すら独学なので間違っている箇所があったらご指摘ねがえれば幸いです。」
という文章を吟味すれば解ると思います。つまり、〈本当に〉優越感に浸っているだけの人なら、「もっともらしく書いた駄文」「ご指摘願えれば」などと書かないはずだとは思いませんか。
フェースブックでは学歴を偽ることもできたはずです。もし本当に優越感に浸りたいのであれば「愛知淑徳大学」なんて書かずに「東京大学」と書くはずじゃありませんか。

また語学力が低いとの指摘ですが。確かにそれはそうだと思います。しかし、僕のフェースブックの友人には外国人が三人いるという事実をお確かめになりましたか。
もし僕の語学力が低く英文でのコミュニケーションが成り立たないのだとしたら、彼らとはどのようにしてコミュニケーションを取っているとあなたはお考えでしょう?
日本語が堪堪堪上手い外国人だとお思いなら実際に彼らのアカウントに飛んで、どういう人か確かめてみればいい。
実際彼らはあいさつ程度の日本語しかできませんが、誤読を適宜修正しながらも意志の疎通はできてます。
つまり、あなたの推論は間違っている。ウソだと思うなら僕の外国の友人たちに全員聞いてみればいいし、本来ならそうするべきです。

確かに巨大虎猫さんは怪物云々がニーチェの出典だと「知っては」います。しかしそれ以上のについて、つまり宗教批判をするものはまた宗教を作り上げるという意味で用いていることは本当に解っていない、と思います。もちろん僕が勝手にそう推測してるのであり、本当にニーチェがそのような意味で使っていたかは解らないのですが。
もしニーチェの言うことを自分なりに理解しようとする意志があれば、このような善悪二元論には陥らないはずですので。

僕は「確か『善悪の彼岸』だったかと思いますが」と書きました。つまり『善悪の彼岸』でとは断言していない。もし自慢したいのであれば、断言する言い回しを使うはずじゃありませんか。
なぜ不確かな言い回しを使ったかと言うと、自信がないからです。
しかし、自身がないにしても、どのフレーズがどの文献に出てくるかなんて記憶してる人はいないと考えるのが普通です。
ということは孫引きをした、という事が推測されます。
「読む」ということはそういうことです。
僕もそうですが、思い込みにとらわれていると事実がねじ曲げられてしまうのです。
あなた方に対して「読めていない」と言ったのはそういうことです。

失礼ながらアクセス解析を行わせてもらいましたが、ドーキンスの感想→自己紹介を読んだ人はいても、5つの記事以上読んでいた人はいませんでした。
僕がここがヘンだよキリスト教に書くにあたって5つの記事を読みましたので、それが基準です。

この問題は僕のブログに対してだけの問題に限りません。それだったらいちいちこんな労力を使ってまで書き込みはしない。
僕たち(もちろんACさんや巨大虎猫さん)のテキストの捉え方に関ってくる問題です。
つまり、自己紹介とくだんの記事だけを読んで全て有沢翔治という人物が解った、と思うのは傲慢の極みです。
ブログの全ての記事を読んでも本当のところ解ったかどうか推測しかできないのですから。

>そんなことができると本当に思いますか?
やってみないと解りません、というのが答えです。今まで何百年の研究史がどうであれ、できるかもしれないし、できないかもしれない。
それこそ権威主義に基づいた誤謬の原因となってしまいます。
ちょうどガリレイの時代に教会の言っていることが正しいとして地動説を否定したりしたのと同じ理由ですね。
そして、それは「知」への態度としてあまりよろしくない。

ただ今までの「文献学」(僕はどんなものか解りませんが)としてのアプローチで何も見えてこないんならやり方を少し変えてみる必要があるかもしれません。
理解できないから、といって無闇に尊敬しても、また貶めてもいけない。自分の理解できるように自分を高めていかなきゃいけない、と僕は思っています。

震災関係のエントリーなので、震災絡みのことを書かせていただきます。
フクシマの事故で露呈したことに原子力発電を「崇拝」していたことがあります。
「仕組みはよく解らないけど、なんかすごく役立つものだ」、と。
フクシマの原発の教訓として、原発に対して、あるいは原子力そのものに対して、原子力がどのようなものか理解とは言わないまでも知らなければいけない。


>理解に苦しむ方
理解に苦しむ方を排除していった結果が差別、偏見を生み、宗派間の対立を生む原因の一つとなっている、と僕は思います。
だから僕自身、できているかどうか解りませんが
1.「理解できない方」を排除しないでその「本当に言いたかったこと」を考える(あるいは考えようとする)
2.「もしかしたらそれは間違っているかもしれない」と常に自分を疑う
姿勢が重要ですよね。

>異教徒さんへ
怒り、いら立ちは解りますが、「本当にお前には呆れるよ」とかは人格攻撃とも受け取れるのでどうかな、と思いました。僕が過敏反応してるだけかもしれませんが。
とりあえず熱くならずに深呼吸しましょ。
2011-06-18 土 10:06:57 | URL | 有沢翔治 [編集]
異教徒さんからの批判について
あのお二人が問題の発言について桃栗さんに謝ったので、私がその発言を指
摘した目的は達せられました。

お二人はそれだけでは収まらず、長文の書き込みで私を批判しています。
一々反応する気はしませんが、インターネットで発言を公開する意味など、
重要なことに絞って言います。

まず異教徒さんの批判(2011-06-16 木 18:52:33)について投稿します。

異教徒さんは、有沢さんと話していたことを私が桃栗さんに告げ口したかの
ような言い方で、感情的な言葉に終始して罵倒しています。

しかし、異教徒さんが有沢ブログで桃栗さんについて書いたこととは、イン
ターネットで公開されています。つまり、世界中の誰もがそれを見られるよ
うに書いたのです。

勤務先のお客の情報や悪口を社員がインターネットで公開して問題になった
事件が相次いでいます。

アディダスの店舗に勤める社員が、来店した契約スポーツ選手と
同伴女性への中傷をツイッターに投稿。
ttp://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110520/dms1105201148000-n1.htm

ウェスティンホテル東京のレストランに勤務する女子大生が、来店
した有名人カップルの様子をツイッターに投稿。
ttp://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110113/dms1101131144001-n1.htm

ホテルオークラ福岡のアルバイト従業員が、自分の飲酒運転事故や
客への悪態を自分のブログに書き込み。
ttp://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100730/dms1007301247002-n2.htm

異教徒さんが有沢さんのブログへの書き込みを桃栗さんに知られたくなかっ
たのなら、そもそも上の問題社員のように、インターネットという公の媒体
に書いたこと自体が間違っていたのです。

私が知らせなくても、桃栗さんが有沢ブログを訪問するか、他の人から知ら
されて、問題発言に気が付くのは、時間の問題でした。

異教徒さんによる批判からもう一点について言います。異教徒さんは、私が
桃栗さんの登場を待たずに、ワウ(・◇・)さんのコメントに対してコメント
を返したことを批判し、
> どこをどう誤って理解しているかを聞いて、話を広げて、桃栗さんを待つ。
> これが一番面白い結末だろ?ワウさんが桃栗さんと話すことが最低の礼儀
> だろ?ワウさんは劣化コピーのACと話にきたのか?
などと非難しました。

私はワウ(・◇・)さんへの最初のコメント(2011-06-03 金 02:02:33)に
こう書きました。

> 桃栗さんは、「震災は天罰」と、のたまうクリスチャンたち その1と2
> で、創世記8:21だけでなく、9章においても、神は人間と動物を滅ぼす
> ことは二度とないと繰り返し言っていることと、今度の震災との矛盾を指
> 摘しています。
>
> これが「聖書を誤って解釈」しているというのですか。ならば、その1と2
> の記事のコメントに、「聖書の正しい解釈」をなぜ書かないのですか。

このように、私はワウ(・◇・)さんに、桃栗さんの具体的な疑問に答えて
「聖書の正しい解釈」を書くように催促しました。

異教徒さんこそ、自分で言った非難が当てはまることをしました。有沢さん
の桃栗さんへの最初のコメント(2011-06-08 水 22:13:04)に対し、
異教徒さんは有沢さんのブログに行ってこう書きました。

> >ここで提案なのですが、教義がいかに歪曲されていったかを調べ
> て行ってみては? from ここが変だよキリスト教
>
> 残念ながら、あそこではこの提案が承諾されることはないと思います。
> 桃栗さんは『キリスト教憎し』で固まって、テーマとかけ離れた話を
> すると機嫌を損ねるんです。で、出来ればここで色々と話が出来れば
> 嬉しいです。
(1. Posted by 異教徒 2011年06月09日 23:33)

異教徒さんは、「桃栗さんを待つ」ことをせず、「有沢さんが桃栗さんと話
すことが最低の礼儀」とも考えないで、桃栗さんが機嫌を損ねて有沢さんの
提案を拒否するかのように言い立てて横から割り込み、有沢さんが有沢さん
のブログのコメント欄で異教徒さんと話すように誘いかけました。

異教徒さんは、有沢さんが桃栗さんのブログで、どういうことについてコメ
ントすればよいかについて、何も具体的に助言しませんでした。

2011-06-19 日 03:40:17 | URL | AC [編集]
有沢さんからの批判について
有沢さんの私への批判(2011-06-16 木 00:33:39)について、
とにかく無駄に長すぎるので、私は、宗教と道徳に関する有沢さんの矛盾
した発言と私の「偽物」発言について書きます。

私がした「偽物」発言(2011-06-11 土 11:12:02)の関係部分は次のとおり
です。

ここから―――――――――――――――
最後に、"有沢翔治のlivedoorブログ"のリチャード・ドーキンス『神は妄想である』
の書評から引用します。

>  またアメリカ人からも「困っているとすぐに助けてくれる人が現れる」などと言われ
> ています*6。というように僕らは「神様が八百万もいることも驚いたけど、日本人は
> 宗教観がとても柔軟なんだ」*7というように信仰心と道徳とは全く関係がないのです。
>  僕は人に親切にする時に「神様が見ているから」とかそういうことを意識していません。
> 神のための道徳ではなく、まさにカントの言う道徳のための道徳なのだと思っています*8。

ttp://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/cat_10023890.html

この桃栗さんのブログで"有沢翔治"と名乗って反対の趣旨を書いている人は、偽物でしょう。
ここまで―――――――――――――――

有沢さんは「考えてみるといいと思うのです」、「考えようとしましたか」、
「考えてみたらどうですか」、「お考えでしたでしょうか」というセリフを
連発しています。私はここで1回だけ使ってみます。

有沢さんは、私が有沢さんの発言の矛盾を指摘した後に「偽物でしょう」と
言ったことが、文字どおりの意味かどうか、「考えようとしましたか。」

有沢さんは最初のコメント(2011-06-08 水 22:13:04)に、上のような自分
のブログでの主張と正反対のことを、こう書きました。

> 僕は宗教はある一定の効果をもっていると考えています。それは全能の
> ものを出すことで基本的な道徳(殺してはいけない、嘘をついてはいけ
> ない、盗ってはいけない、浮気をしてはいけないなど……)の根拠付け
> を行なう働きがあったのではないかと思っています。
> よくお天道さまが見てるから悪いことはしちゃいけないよ、と子供にいう
> のと同じですね。
> 確かに教義そのものには科学的根拠はありません。しかし道徳を守らなく
> ていい理由にはなりませんよね。(以下略)

ハンドルネームが同じでも自分のブログでの主張と正反対のコメントをして
いることについて、私は皮肉を込めて「桃栗さんのブログで"有沢翔治"と名
乗って反対の趣旨を書いている人は、偽物でしょう。」と書きました。

有沢さんが、そういう皮肉は失礼だとおっしゃるなら、私は、有沢さんの
ブログのコーランの記事で、ムハンマドは統合失調症だったという裁判劇の
ような話でイスラム教を茶化し、次のように言い訳していることに比べれ
ば、私の皮肉など問題ないと申し上げます。

「お読み下さった皆様へ。ここまでお読み下さり、ありがとうございます。
本文は茶化して書いてますが、内容はマホメットが実は統合失調症ではない
のかという仮説に基づいてなぜ「異(い)」なるものを排除していったのか
という近代的な暴力装置の考察に重きをおいております。この当たりは多分
ミシェル・フーコーの影響や僕自身、「異」なる存在として、生きてきたこ
とを余儀なくされてきたからだと思います。」
「統合失調症の患者さんやイスラム教徒を誹謗するものではないことを了解
しておいて下さい。まぁ、われわれが生きている世界だってもしかしたら
妄想かもしれませんしねぇ。ただ僕という人間は真面目に語ればそのうち
気恥ずかしくなって(ですから今これを書いているときは気恥ずかしくて
仕方ないのですが、不愉快にさせる人を少しでも減らしているんだ、と心に
言い聞かせてます)そのうちに茶化したくなるんです。」

そういう自分の悪ふざけを正当化する人が、私には偉そうに下記の批判を
することは、ダブルスタンダードの典型と思います。

「僕への人格攻撃は別に何とも思いませんが「知」への態度(僕が「知」
そのものといっているもの)が傲慢だと極めて不愉快に思います。」
「人間の思い上がりや欲望を防ぐ装置が宗教でした。自分より上位の存在
がいると思うことで、謙虚になれる一種の知恵だと思うんです。」
2011-06-19 日 03:46:37 | URL | AC [編集]
社会的弱者いじめはやめませんか?
>桃栗さま
>ACさま
>victimさま

「有沢翔冶」氏のバックグラウンドについてネットで調べてみたところ、こんなのを見付けました。
ttp://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000761101110001

彼には失礼な表現ですが、正直言ってどうやら彼は、まともなことを語り合う相手ではないようです。
ACさまは、彼をあまり虐めない方が良いかと思います。


>有沢翔冶さま

こんなこと書くと、また「権威主義」だとか言い返されるでしょうが、私は上記の記事を見るまで、ただの無名私立校出身者が背伸びして偉そうなことを喚き散らしているものとばかり思っていました。偏差値が30以上も上の学校出ている私(元々理系ですが、人文系での研究実績もあります。)がそのような方と哲学を始めとする学問について論争をするのはアホらしいと思って、あえてニーチェ等の解釈についてコメントはしないことにいたしましたが、あの奇怪な解釈の根源には、「痴的」(どこの国・地方の方言か分からない“英語”の自己紹介文から私がそう感じた)というよりも、もっと他のことがあるということに気付きました。どうも失礼いたしました。どうかご自愛下さい。
2011-06-19 日 12:26:40 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 社会的弱者いじめはやめませんか?
私は、有沢さんが私を批判するコメントと、有沢さんのブログを見て、横柄
で矛盾したことを言うと思って反論しましたが、「社会的弱者いじめ」は
もともとしていませんでした。

しかし、巨大虎猫さんが示したニュースを見て事情がわかりましたので、
今後は有沢さんの発言を静観するように努めます。

ただし、有沢さんの巨大虎猫さんへの発言(2011-06-18 土 10:06:57)の中
に、有沢さんのブログのアクセス記事数の算定についての客観的に明らかな
間違いがあるので、ここに書いておきます。

有沢さんは、自分のブログのアクセス解析を行ったところ、ドーキンスの
感想→自己紹介を読んだ人はいても、5つの記事以上読んでいた人はいな
かったといい、私や巨大虎猫さんを指して、「自己紹介とくだんの記事だけ
を読んで全て有沢翔治という人物が解った、と思うのは傲慢の極み」と書き
ました。

しかし、有沢さんのブログの左フレームの学術書-宗教・神学関係 (20)を
クリックすると、1ページごとに10件の記事がコメント欄を閉じてまとめて
表示されて、読むことができます。私もそうしたことは、上の2011-06-15 水
08:25:34のコメントに書きました。このようなカテゴリー別の記事のまとめ
表示をカウントしないで、5つ以上の記事を読んだ人はいないと断定する
のは、客観的に明らかな間違いです。
2011-06-19 日 18:27:30 | URL | AC [編集]
突然ですが…
ここは桃栗さんが小さい時からの体験を通してキリスト教や聖書に対する矛盾点や疑問を誰にでも分かりやすく投げ掛けている場所ではないんですか?ご立派な知識に基づくご立派な意見も結構ですけど今一度桃栗さんの主旨を考えてみてください。
2011-06-20 月 05:12:33 | URL | オレンジ [編集]
聖書・バイブルは迫ってきます

聖書・バイブルは、すべての人間の持っている性質について、

人間の本性・生まれながらに負っている性質について大胆にかつ必要に語っています。

人の思いであれ、人が発する言葉であれ、

さまざまな行為や行動であれ、

どのようなことを考えるにしても、

人間の本性を無視しては正確に考えることはできないのです。

その人間の本性を前提として、

聖書・バイブルは人間について解き明かしていきます。

私たち人間は決して善なる存在ではないことを。


「 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、

ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、

神の恵みにより無償で義とされるのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章23〜24節・新共同訳聖書)


その証しが、

神のひとり子であるイエス・キリストが人として、

人としてこの世界に生まれ来たこと、

そして、罪人として十字架にかけられ死刑となったこと・・。

救い主・メシアとしてのキリスト・イエスが、

この世界に生まれたということは、

この世界が、この世界を創造された神の目から見て、

堕落していることをあらわしているのです。

創造主なる神と共にあるひたむきな心を失い、

品性がいやしくなり、欲に満ちた生活を送っている私たち人間・・。

その状態から逃げることも救われることもできないからこそ、

救世主としてのキリストが、

この世界に来られたのです。

そして、罪人として十字架にかけられ、

すべての人間のために死して、

すべての人間の罪を、

神にたいする背きの罪を贖って(あがなって)くださったのです。

その出来事こそ、

ひとりの人がすべての人のために死んだ・・・・という出来事なのです。

このイエス・キリストの十字架の出来事を信じるか信じないかによって、

その人の人生は、大きく左右されます。

まさしく天国か地獄か・・・・。

魂が新しくされるのか、それとも今のままでいるのか・・・・・。


「 神はそのひとり子を賜わったほどに、

この世を愛して下さった。

それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、

永遠の命を得るためである。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16節・口語訳聖書)
2011-06-22 水 10:43:52 | URL | オナン [編集]
キリスト教
聖書には自分の敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈りなさい。悪に悪をもって返してはいけない。悪には善でかえしなさい。とありますがすべてのクリスチャンがそんなことやっていません。何が地の塩世の光だ。赦し赦し合うのが天国人の姿などと言っていて醜い心を持った人ばかりだった。キリスト教はマルクスレーニン主義と同じだ。理想論ばかりだ。私は聖書の言葉に感銘を受けてクリスチャンになったのだがクリスチャンの現実を見て失望を通り過ぎて怒りを覚えた。キリスト教は言っていることとやっていることがまるで逆ではないか。
2011-06-22 水 12:17:32 | URL | popai [編集]
私も、宗教そのものは強くは否定しません。
偏った価値観を考え直して欲しいです。

キリスト教の全てが悪いとは言いません。
そこに固着せず視野を広げて現実を見て欲しい。

神に祈っても、何も変わりません(笑)


管理人さま
応援しています。

2011-06-22 水 14:41:07 | URL | 馬耳東風 [編集]
私はクリスチャンではありませんが全くの無神論者というわけでもありません。縁あって一般の方よりはキリスト教や聖書に触れる時期があり私なりに神の存在を信じてはいました。聖書の言葉も素晴らしいものだと思っていました。聖書の中にキリスト教と全く縁のない人でも知っている「汝の敵を愛せよ」という言葉があります。ここで私は考え込んでしまったのです。ここでいう敵とはもちろんスポーツの試合の相手などという友好的な存在ではないでしょう。自分を苦しめ悲しませ怒りの対象となるべき存在でしょう。そういう存在を…愛せますか? 仮に自分にとってかけがえのない人を何らかの形で奪い去った敵とも言うべき存在を愛せますか?人間にとってこれほど実行困難なことはないんじゃないですか。それで私は言いたいのです。私達人間にこんなにも困難な要求をしてくるのですから信者であろうと未信者であろうと全ての人間を救って下さいと。自分によくしてくれた者によくしたからといってなんの意味があろうと聖書にも書かれているではありませんかと。
2011-06-23 木 01:34:49 | URL | オレンジ [編集]
『敵を愛せ』はサマリヤ人のたとえにも続く『隣人を自分のように愛せ』という教えと密接に関係しています。

ただ私は教会へ通いながら明確な理由で洗礼を避けてる立場として、この教えから護教論を披露する気はさらさらないですwww

ナザレのイエスがこれらの教えを説いた(とされるww)時代はファリサイ派(≒パウロ派ww)が敵をあちこちにわざわざ作って大変だった(この性格は転向して使徒になったはずのパウロもしっかり受け継いでて、宣教しながらキリスト教会をそういう性格のものにしてしまいますww)時代。
そんなファリサイ派に(つまりパウロ的な態度にww)ナザレのイエス(運動?)は最大のアイロニーとしてww「敵を愛せ」と「隣人(=ウザイ奴)を愛せ」を返したわけです。
福音書の元の1つになったとされる「イエスの言行録(Q資料)」は残ってませんが、多分やはりイエスの名を冠したファリサイ派に対する中傷コメント集ww的な面もあったように思います。(人間のすることですから当時も今と変わらないわけですwwww)
パウロが敵を作りながら各地に教会を作ってそういう性格にしたのは、ナザレのイエスが嫌ったファリサイ派の精神を、彼は使徒としてwwww世界に確立してしまったことになりますww
2011-06-23 木 02:58:25 | URL | 未信者 [編集]
未信者様へ
「敵を愛せ」にはそういう流れにおいての意味があるのですね。解りやすいご説明ありがとうございました。
2011-06-23 木 12:53:53 | URL | オレンジ [編集]
Re: 面白い見解ですが
> >今度の大震災は「全能のもの」が起こしたのですか。
> はい
>
> >大震災が起きたとき、「全能のもの」は何をしていたのですか。
> 何もしていませんでした。
> 全能のものが何もできなかったからこそ、原発がメルトダウンしたり、絶対安全なはずの堤防が決壊したのです。


これがクリスチャンからの発言だったら面白かったんですけどね。
2011-06-23 木 20:54:56 | URL | 桃栗 [編集]
今さらですが…
熱帯夜で寝苦しく2010年9月11日の「キリスト教は罪の意識を植え付ける宗教 その2」のコメント欄を何気に見ていて驚きました。自分の多角的に物事を見ていないことにも輪をかけて驚きました。最もクリスチャンになる予定などもともとありませんがなんだかんだ言いながらキリスト教をかなりきれいごとで捉えていました。私のまわりにはキリスト教に関係する人が皆無なのでこのブログは本当に有難いです。震災に関係のないコメントで申し訳ありません。桃栗さん、他の皆様、私などには想像もつかない体験、大変だったことでしょう。どうかこれからも頑張って下さい。
2011-06-25 土 02:57:18 | URL | オレンジ [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-06-26 日 01:48:26 | | [編集]
「聖書物語」を読んだり、曾野綾子氏、遠藤周作氏の著書を読んだ位で「キリスト教を解った」などと不遜な事を言う気はありません。
しかし、それだけ真剣に考えてはいたつもりです。

「ソドムとゴモラ」「ヨブ記」を読んだ時、全能なる神が人間をどうにも出来ず、信仰心を信じられないのは・・・?と疑問を抱き始めました。

仏教徒・キリスト教徒・イスラム教徒・・・その他諸々の宗教徒。同じような確率で清廉なる人、罪深い人、いるとは思います。

知人達が「あそこの教会は上流の人が多い」と言うのを聞いた時、ゾーッとして「近づくのは辞めよう。物理的な支援だけにしよう」と思いました。
それは、たまたまその人達の思い込みでそう言ったのかもしれません。
しかし、少なくとも人間を「上流」と「下流」に分けるなど。

生き物は皆罪深いものです。
たしかに「上等な人間」と「そうでない人間」は居ますね。
2011-06-26 日 14:00:32 | URL | 真 [編集]
疑問が疑問を呼んで止められなくなりそうです。最初の人間であるアダムとエバが禁断の実を食べたことで人類は生まれながらに罪ある者になったわけですがそもそも何でそんな大事なものを近くに置いたんですかね。全能なる神に2人が食べることを予測できなかったんでしょうか。仮に2人が神の言い付けを守って2人の間にできたであろう子供も守ってそれがずっと続いたとしたら人間はいつまでたっても知恵なしだったわけでしょう?いったい神は何がしたかったんですかね。だいたいこの事件、単に神様の監督不行き届きってことですよね。人間でさえ子供のしたことには親が、部下のしたことには上司が責任を取ることが多いのに愛ある神様とかいう割には追放したあげくに全人類に生まれながらの罪を背負わせるなんてキレかたが半端じゃないと思いません?まぁ、こういう流れにしないと新訳聖書はできなかったんでしょうけど…
2011-06-26 日 16:48:43 | URL | オレンジ [編集]
Re: キリスト教
> 聖書には自分の敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈りなさい。悪に悪をもって返してはいけない。悪には善でかえしなさい。とありますがすべてのクリスチャンがそんなことやっていません。何が地の塩世の光だ。赦し赦し合うのが天国人の姿などと言っていて醜い心を持った人ばかりだった。キリスト教はマルクスレーニン主義と同じだ。理想論ばかりだ。私は聖書の言葉に感銘を受けてクリスチャンになったのだがクリスチャンの現実を見て失望を通り過ぎて怒りを覚えた。キリスト教は言っていることとやっていることがまるで逆ではないか。

popai様

私も同感です。
やはり、信仰が深かった人ほど、失望も大きいようですね。
信仰が深かった人ほど、失望も大きいようですね。
キリスト教の教えは「理想論」に過ぎません。
一般的人にも「隣人を愛せよ」「敵を愛せよ」の言葉は有名ですね。
しかし、実情は貴方のおっしゃるとおりです。
そして、懺悔すれば罪が赦されるのですから本当に都合が良い宗教です。
懺悔すれば罪が赦されるなら、
一体何のために聖書の教えがあるのか分かりません。
そして、クリスチャンたちはヘンな優越感を持ち、
神を信じない人を見下したりしますね。
民主党の小沢さんが言ったように、本当に独善的で排他的な宗教です。
2011-06-26 日 21:35:10 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 私も、宗教そのものは強くは否定しません。
> 偏った価値観を考え直して欲しいです。

私は「キリスト教のみがこの世の基準」という宗教の中で生まれ育ちましたから、
教会の中の世界が正しくて外の世界が間違っているように見えていました。
大人になってから自分の意思で信じるのはまあいいでしょうが、
キリスト教は一神教であるがゆえに、
自分が信じているものだけが絶対だという思い込みに陥りやすいですね。
特に、私は子供にキリスト教を教えるべきではないと思います。
子供は「フィルター」なしに何でもかんでも信じ込んでしまいますから。


> キリスト教の全てが悪いとは言いません。
> そこに固着せず視野を広げて現実を見て欲しい。
>
> 神に祈っても、何も変わりません(笑)

私は、神に祈っても何も変わらないのは、
それは祈りが足りないせいだと教えられてきましたから、
私は、ああ、なんて自分はダメなクリスチャンなのだろうと責めていました。
私の信仰生活は、自分を責めることに終始していたように思えます。
あんな呪縛から解けて本当に良かったです。
2011-06-26 日 21:42:11 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 今さらですが…
> 熱帯夜で寝苦しく2010年9月11日の「キリスト教は罪の意識を植え付ける宗教 その2」のコメント欄を何気に見ていて驚きました。自分の多角的に物事を見ていないことにも輪をかけて驚きました。最もクリスチャンになる予定などもともとありませんがなんだかんだ言いながらキリスト教をかなりきれいごとで捉えていました。私のまわりにはキリスト教に関係する人が皆無なのでこのブログは本当に有難いです。震災に関係のないコメントで申し訳ありません。桃栗さん、他の皆様、私などには想像もつかない体験、大変だったことでしょう。どうかこれからも頑張って下さい。

コメントありがとうございます。
クリスチャンとは違う角度から見たキリスト教について
これからもどんどん書いていきたいと思います。
2011-07-17 日 22:07:25 | URL | 桃 [編集]
Re: タイトルなし
> 疑問が疑問を呼んで止められなくなりそうです。最初の人間であるアダムとエバが禁断の実を食べたことで人類は生まれながらに罪ある者になったわけですがそもそも何でそんな大事なものを近くに置いたんですかね。全能なる神に2人が食べることを予測できなかったんでしょうか。仮に2人が神の言い付けを守って2人の間にできたであろう子供も守ってそれがずっと続いたとしたら人間はいつまでたっても知恵なしだったわけでしょう?いったい神は何がしたかったんですかね。

まったく同感です。
神は「全知全能」ですから、その後何が起こるかはすべて知っているはずです。
したがって、二人が果実を食べることになるのも当然ご存知のはずです。
にもかかわらず、二人が果実を食べるのを黙って見ておいて、
後で罰を与えるのは意地悪ですよね。
旧約聖書、特に創世記における神は恐ろしいほどサディスティックです。
2011-07-17 日 22:33:50 | URL | 桃栗 [編集]
 はじめまして。突然ですが来週、洗礼式を迎えます。はっきり言えない性格から成り行きで受ける事になりました。しかし神を信じていません。ご都合主義でキレイ事ばかりでくそ食らえです。信じていないので背徳心も湧きません。相容れない物を拝して「最後に残るのは愛」という勝手さ。
災害にしても戦争にしても、神がいるなら洗礼を受けた物に艱難辛苦を与えるでしょうか?どんな物でも信じると見解が狭くなりますね。

余談ですが私の妻はプロテスタントですが自殺未遂2回、自傷癖ありです。口では神を信じるとか言ってても所詮こんなもんですね。
2011-09-11 日 15:43:24 | URL | ミナ [編集]
>ミナさん
はじめまして。
洗礼は終わりましたか?
はっきり『NO』と言わないと・・・
しっかりした考えをお持ちなのに、
「成り行き」でって言うのが残念です。

奥さんの道しるべになって、
引っ張って行ってあげてください。
2011-09-20 火 13:31:03 | URL | カエル [編集]
Re: タイトルなし
>  はじめまして。突然ですが来週、洗礼式を迎えます。はっきり言えない性格から成り行きで受ける事になりました。しかし神を信じていません。ご都合主義でキレイ事ばかりでくそ食らえです。信じていないので背徳心も湧きません。相容れない物を拝して「最後に残るのは愛」という勝手さ。
> 災害にしても戦争にしても、神がいるなら洗礼を受けた物に艱難辛苦を与えるでしょうか?どんな物でも信じると見解が狭くなりますね。

こんにちは。体験談を書いてくださってありがとうございます。
私が知っている範囲では、
夫婦のどちらかがクリスチャンという場合、
奥様だけがクリスチャンというケースがほとんどです。


> 余談ですが私の妻はプロテスタントですが自殺未遂2回、自傷癖ありです。口では神を信じるとか言ってても所詮こんなもんですね。

そんなものでしょう。
私が知っているクリスチャン夫婦は離婚騒動を起こしたことがあり、
牧師さんが奥様に「離婚は罪ですよ」と言ったら、
奥様は「離婚したぐらいで神は私を見放したりはしない。そんな冷たい神じゃない」
と言っていましたから。
結局、クリスチャンはいつも神の名の下に自分を正当化するのです。
2011-09-30 金 22:08:55 | URL | 桃栗 [編集]
 返信が遅くなり誠に申し訳ありません。洗礼式は無事に終わりました。それと同時に私の中で「神の不在証明」とでも言いべき確信が成り立ちました。不信心者の洗礼を見過ごすとは全知全能が聞いて呆れます。
話は変わりますが聖書に「無秩序よりは悪の制度に従う方が良い」という箇所がありました。が、悪政に苦しむ国の方々に面と向かって言えるのでしょうか?必死の思いで亡命してきた方に言えるのでしょうか?
 疑問が湧く事自体が欠陥ならば、この宗教は欠陥だらけです。
2011-10-09 日 15:59:33 | URL | ミナ [編集]
Re: タイトルなし
>  返信が遅くなり誠に申し訳ありません。洗礼式は無事に終わりました。

こんにちは。
そうですか、「無事に」終わりましたか(笑)。


>それと同時に私の中で「神の不在証明」とでも言いべき確信が成り立ちました。不信心者の洗礼を見過ごすとは全知全能が聞いて呆れます。

一般常識から見れば、そう考えるのが普通ですよね。
私が中学生で洗礼を受けたときも、
別に私は受けたいという意思があったわけでもなく、
ただ親に言われるがままに受けた(受けさせられた)だけであって、
私自身は、こんな状態で受けていいのだろうかと疑問を持ちました。
「全知全能」の神はなぜそんな私を見過ごすのでしょう。


> 話は変わりますが聖書に「無秩序よりは悪の制度に従う方が良い」という箇所がありました。が、悪政に苦しむ国の方々に面と向かって言えるのでしょうか?必死の思いで亡命してきた方に言えるのでしょうか?
>  疑問が湧く事自体が欠陥ならば、この宗教は欠陥だらけです。

恥ずかしながら、私は聖書のことは不勉強ですので、
引用箇所を明示していただけると助かります。
いずれにせよ、聖書には、
今の常識に当てはめればかなり支離滅裂なことが書かれていますね。

なお、先日私がお話した離婚騒動を起こしたクリスチャンの話ですが、
その奥様は、「自殺したって神は私を天国に入れてくださる」とも言っていました。
そうやってクリスチャンは「神の愛」のもとに
なんでもかんでも正当化してしまうのでしょうね。
だったら早く自殺すればいいのに、
その奥様はまだ生きているそうです。
2011-10-21 金 22:36:13 | URL | 桃栗 [編集]
私が目撃した偽装入信
>桃栗さま
>ミナさま

過去に私は信仰心なしに洗礼を受けた人物を多数知っています。
キリスト教系の学校で良い成績を取るため、キリスト教系の大学等に推薦入学するため、キリスト教系の会社に就職するため、クリスチャンと結婚するため、教会で結婚式を挙げるため、・・・理由は様々です。中でも最も悪質な部類に属するのが、まったく信仰心がないにもかかわらず「キリスト教系の中学or高校で良い成績を取る→(同志社や関学等の)神学部に推薦入学する→牧師になる」というコースを歩む人たちです。まだ教会に行っていた時、私はビジネスでやっているとしか思えない牧師を多数見ましたが、上が上なら下も下なのではないでしょうか。
2011-10-22 土 13:47:32 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 私が目撃した偽装入信
> >桃栗さま
> >ミナさま
>
> 過去に私は信仰心なしに洗礼を受けた人物を多数知っています。
> キリスト教系の学校で良い成績を取るため、キリスト教系の大学等に推薦入学するため、キリスト教系の会社に就職するため、クリスチャンと結婚するため、教会で結婚式を挙げるため、・・・理由は様々です。中でも最も悪質な部類に属するのが、まったく信仰心がないにもかかわらず「キリスト教系の中学or高校で良い成績を取る→(同志社や関学等の)神学部に推薦入学する→牧師になる」というコースを歩む人たちです。まだ教会に行っていた時、私はビジネスでやっているとしか思えない牧師を多数見ましたが、上が上なら下も下なのではないでしょうか。


巨大虎猫さんのコメントは実体験に基いているだけに非常に興味深いです。
演技が上手い人ならいくらでも信仰告白して牧師を騙せますよね。
日本のクリスチャン人口は1パーセント未満といわれていますが、
本当に信仰している人はそれ以下かもしれません。
2011-10-25 火 23:51:13 | URL | 桃栗 [編集]
伝道活動について
 題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて学ぶ時代だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた日
本において、
 また、最近のキリスト教研究において、
 それらの研究成果などの情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。その為もあり、
その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況
となっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴という状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
            (つづく、後はブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
2013-05-19 日 01:58:15 | URL | ねこにゃんちゃん [編集]
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