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桃栗

Author:桃栗
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コメント
大震災と神
教会歴約20年の者です。
最近、聖書とキリスト教に疑問をいだいております。
教会ではこの度の大震災の被災者のために神にお祈りしましょうと言っています。
しかし、神はこの大震災を神は止めることができなかったのでしょうか?
それとも、まさか「神の怒り」として神自身が起こしたのでしょうか?
いずれにしてもこのような神を信じる気にはなれません。
2011-04-03 日 13:11:49 | URL | Y.N [編集]
Re: 大震災と神
> 教会歴約20年の者です。
> 最近、聖書とキリスト教に疑問をいだいております。
> 教会ではこの度の大震災の被災者のために神にお祈りしましょうと言っています。
> しかし、神はこの大震災を神は止めることができなかったのでしょうか?
> それとも、まさか「神の怒り」として神自身が起こしたのでしょうか?
> いずれにしてもこのような神を信じる気にはなれません。

疑問をお持ちでしたらおやめになった方がよろしいですよ。
教会が説くキリスト教と言うのは実にご都合主義です。
良いことがあると「信仰のおかげ」として美化され、
悪いことがあると「罪のせい」にされて罪悪感を植え付けられますから、
そんなものを真剣に信じていると教会に振り回されてしまいます。

現実をあるがままに受け入れる生活に戻ってはいかがでしょうか。
災害と信仰にはまったく何の因果関係もありませんから。
2011-04-16 土 21:08:29 | URL | 桃栗 [編集]
Re:大震災と神
コメントありがとうございます。
もう少し言わせてください。
教会では『聖書は誤りのない神の言葉』と教えられ、信仰はそのことがすべての土台となっています。
ところが、いろいろな本を読んでみると、「聖書」は伝承物語であって、しかも書き写す際に無意識的なまちがいや、あるいは意識的な書き換えが行われていると知りました。
また、キリスト教の根本的な教義である、「身代わりの死」ですが、私はこれがどうしてもわからず、無理矢理自分を納得させておりました。
ですが、普通に考えて、他人が死ぬことでその人の罪が消えるという考え自体がおかしいですよね。
2011-04-18 月 05:57:35 | URL | Y.N [編集]
Re: Re:大震災と神
> コメントありがとうございます。
> もう少し言わせてください。
> 教会では『聖書は誤りのない神の言葉』と教えられ、信仰はそのことがすべての土台となっています。

私もそう信じ込まされていました。
聖書やキリスト教に疑問を持つことは許されないと思っていました。


> ところが、いろいろな本を読んでみると、「聖書」は伝承物語であって、しかも書き写す際に無意識的なまちがいや、あるいは意識的な書き換えが行われていると知りました。

私が以前書いた英語の聖書でのインマヌエルの預言が好例ですね。
イザヤ書7:14では「母親」がインマヌエルと呼ぶことになっているのに、
マタイ1:23では「人々」がインマヌエルと呼ぶことになっていますからね。
なぜか主語が書き換えられているのです。
さらに、日本語の聖書ではさりげなく主語をぼやかして訳されています。


> また、キリスト教の根本的な教義である、「身代わりの死」ですが、私はこれがどうしてもわからず、無理矢理自分を納得させておりました。

まったく同感です。
キリストが私たちの身代わりとなって十字架に掛かったことはありがたいことだとして、
幼い頃から絶え間なく何度も教わり、
自分でもそれが「限りないキリストの愛」だと信じ込もうとしていました。
しかし、過去を振り返ってみると、
自分でも全然理解できていなかったことに気付きました。
別に私からキリストに身代わりになって欲しいと頼んだわけでもないのに、
なぜ有り難がらなければならないのでしょうか。


> ですが、普通に考えて、他人が死ぬことでその人の罪が消えるという考え自体がおかしいですよね。

はい、おかしいです。
キリスト教は、「あなたは生まれながらにして罪を背負っている」と洗脳し、
その上で「でも、キリストを信じれば罪から救われます」と説くという、
霊感商法にも似た恩着せがましい宗教です。
2011-05-06 金 21:47:35 | URL | 桃栗 [編集]
逆隠れキリシタン
桃栗様
お忙しい中コメントありがとうございます。
私、最近キリスト教はおかしいということに気がつき、教会から離れたいと思っているのですが、20年間教会にいると、いろいろなしがらみがあって「もうやめました」と言い出せずにおります。何とかその機会を狙ってはおりますが、現在教会内「逆隠れキリシタン」状態です。
自分の思いを誰にも言うことができず、もんもんとしておりましたが、貴ブログで時々発言させていただきますので、よろしくお願いします。

2011-05-08 日 04:30:20 | URL | Y.N [編集]
Re: 逆隠れキリシタン
> 桃栗様
> お忙しい中コメントありがとうございます。
> 私、最近キリスト教はおかしいということに気がつき、教会から離れたいと思っているのですが、20年間教会にいると、いろいろなしがらみがあって「もうやめました」と言い出せずにおります。何とかその機会を狙ってはおりますが、現在教会内「逆隠れキリシタン」状態です。

非常に難しい状況ですね。
ここで急に教会から去ってしまったり、
あるいは正直に信仰できなくなったことを話したりしても、
お節介なクリスチャンたちはあなたを教会に引き戻そうとするでしょう。
さりげなく教会に通う頻度を減らすしかないかもしれませんね。
2011-05-11 水 22:16:36 | URL | 桃栗 [編集]
偏見は駄目。
ゲストブックに書き込めないのですが、YUDAYA, ISRAMなど禁止ワードに設定していますか?
2011-05-14 土 16:24:09 | URL | セオロ爺さん [編集]
キリスト教を理解するには、ユダヤ教、イスラム教、そして、この3つの宗教の元であるアブラハムの宗教、ヘブライ宗教を理解しないと理解は深まりません。そして、当時の国や民族の歴史背景をも勉強することが必要です。もともとは全て、古代ユダヤ人の宗教です。(現アシュケナジム系白人ユダヤ人と古代ユダヤ人は別系統で、Noah、Abraham、Jesus、Mose、Muhanmad全員が古代ユダヤ人です。)そして、ユダヤ教が一番最初に出来、イスラムはユダヤや旧約聖書の流れを汲み、独自のコーランも大事にする宗教で、キリスト教(新約聖書を重視するもの)は一番新しい宗教です。

そして、このユダヤ、キリスト教、イスラム教での神は同一の存在であるとされています。それがヤハウェにあたる存在です。これは様々な呼び方をされています。イスラームではアッラー、古代ヘブライ語ではYahやYahVeh, ラスタではJahです。

ウィキペディアにてJehovah、ヤハゥエを検索してみてください。同じ神を指していることがわかるでしょう。
2011-05-14 土 16:35:06 | URL | セオロ爺さん [編集]
順序が逆?
>そして、ユダヤ教が一番最初に出来、イスラムはユダヤや旧約聖書の流れを汲み、独自のコーランも大事にする宗教で、キリスト教(新約聖書を重視するもの)は一番新しい宗教です。

あれれ、イスラム教とキリスト教の順序が逆では?
ウィキペディアのイスラム教の解説にはこう書いてあります。

キリスト教との関係

キリスト教もまたイスラームの成立に強い影響を与えた。ムハンマドはナザレのイエスを使徒であり預言者であるとしており、クルアーンにも新約聖書に由来するイエスの物語が記されている。また、ムハンマドに啓示を与えた天使ジブリールは、キリスト教においてマリアに受胎告知を行った大天使ガブリエルと同一と考えられている。ただしキリスト教主流派と違い、クルアーンではイエスは単なる人間であり、神の子ではないと明言されている。

キリスト教徒もまた、「啓典の民」としてクルアーンに記されている。
2011-05-15 日 00:43:10 | URL | AC [編集]
天国も死後の世界もない ホーキング博士
インターネットのニュースで見かけた記事の抜粋を紹介します。

「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言
ロイター 5月17日(火)11時20分配信

「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言

 [ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。

 ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

 博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。

 また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。

 1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。
2011-05-18 水 06:08:17 | URL | Y.N [編集]
Re: 天国も死後の世界もない ホーキング博士
> インターネットのニュースで見かけた記事の抜粋を紹介します。
>
> 「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言
> ロイター 5月17日(火)11時20分配信
>
> 「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言
>
>  [ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
>
>  ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

私もその記事を読みました。
死後の世界と言うものは、所詮は生きている人間が創造したものに過ぎません。
「闇を恐れる人のおとぎ話」の部分、なるほどと思いました。
つまり、人間は死が怖いから、
天国という仮想の世界を想像して現実逃避しているわけです。

キリスト教で言う天国も良く分かりません。
もしもそんな世界があるのなら、旧約聖書に記されているはずなのに、
なぜか新約聖書になっていきなり登場します。
しかも、イエス本人は天国がどのような場所かは言っていません。

私は、天国に関する具体的な描写は
「ヨハネの黙示録」にあると教わったことがあります。
聖書の最後の最後にあるヨハネの黙示録21章9節以降をお読みください。
それによると、天国は金銀宝石で出来ているのだとか。
クリスチャンは本気でそんなことを信じているのでしょうか?
2011-05-18 水 22:02:26 | URL | 桃栗 [編集]
ノンクリですが、キリスト教のファンです
私は、クリスチャンでは、ありませんが、キリスト教を勉強しなければ、いけないとおもっています。そうでなければ、西洋の思想はわからないからです。
  といいながら、キリスト教の事は何もわかっていません。
  たまに、キリスト教のサイトに質問しても、荒らし扱いされ削除されてしまいます。
  ここで、いくつか質問させて頂いて宜しいでしょうか?
  答えて頂かなくても、削除されても結構です。慣れておりますので。

  質問は、たくさんありますが、削除されるのを覚悟で書き込みますので、一つだけにさせて頂きます。

  魔女狩りについてですが、まず、そのことについてきくと、聖書には、その記述はないといわれます。

 でも、あります。
  出エジプト記22-18
  「女呪術師をいかしておいてはならない。」
  実際に、その記述において、魔女狩りは行われております。

  さあ、そろそろ、削除したくなったでしょう。

  答えは、「それは、人間が聖書を利用したからだ。」
 と言われると思いますが、私は、それから先が聞きたいのです。

  この聖句のどこをどう読み間違ったのか?
  本当は、どう読むべきなのか?
  今後、悪用されることはないのか?
 
  ごめんなさい。
  答えが返ってくるとは、思っていません。

  失礼しました。
2011-05-19 木 01:42:28 | URL | メルメル [編集]
Re: ノンクリですが、キリスト教のファンです
メルメル様

こんにちは。
削除したりはしませんよ。ご安心ください。
私も、教会のHPの掲示板にキリストの誕生日に関する質問をしたら、
牧師さんが回答してくれたもののその後まもなく削除されてしまいました。
他にも、複数のクリスチャンのブログにキリスト教の矛盾を突く書き込みをしたら、
やはり削除されたり無視されたりしました。
クリスチャンは「敵を愛せよ」とは言いますが、所詮その程度のものです。
今日は忙しいので、後日改めて回答を差し上げたいと思います。
2011-05-19 木 22:51:01 | URL | 桃栗 [編集]
キリストの誕生日
 ありがとうございます。
 お返事を頂けるのであれば、多少の時間はかまいません。
 私も、明日から、一週間位、留守にします。途中、ネットカフェで見るかもしれません。

 キリストの誕生日ですか?
 あれも、誕生日をわざわざ、ミトラ教の祝日にしたのか、理由が不明確だと思います。ミトラ教を滅ぼす目的以外には、考えられません。教会に聞いても、理由は教えてくれないし。「クリスマスは、ミトラ教を滅ぼした記念日で、イエスの誕生日とは、何の関係もないですよね。」と聞くと、シカトされます。
 あと、「GOD」を「神」と翻訳したのも、キリスト教聖職者「ヘボン」の陰謀でしょうか?考えれば、考える程、分からないのです。中国の聖書で「GOD」を「神」と翻訳したのが、理由だとされますが。しかし、日本では、既に、キリスト教の神には、「でうす」という呼び名があったわけです。要は。「でうす から、神」へと、呼び名を変えた理由がわからないのです。
 いうなれば、ヨーロッパから、得体のしれない生き物を持ってきて、「日本の鳥は、鳥ではない。これが、唯一の鳥だ。」と言っているような物です。
 早い話、「キリスト教で、「神」を名乗るのは、止めるべきだ。他の用語を使うべきだ。」と思うのですが。
  これも、牧師に聞いても、答えてくれません。
2011-05-20 金 23:46:45 | URL | メルメル [編集]
魔女狩りの「神学的根拠」
>メルメルさま

魔女狩りの「神学的根拠」は、ヘレン・エラーブ著『キリスト教暗黒の裏面史』(徳間文庫)に詳しく出ています。私は教会やその他のキリスト教団体で「魔女狩りは、聖書をよく理解していない狂信者たちの所業である」と教わりましたが、この本には多数の有名な宗教家たちが支持していたということが書かれています。あと、「異端者」の処刑に火炙りの刑が好まれた理由も書いてあります。
この本はあくまでも「西欧のキリスト教」の暗部について論じたもので、東方正教会の暗部は書いてありません。それと、ヒトラーとローマ法皇ピウス12世が仲良しだった、ということも。(ヒトラーを始めとしてナチの指導者層にはカトリックがたくさんいたことは有名です。ユダヤ人虐殺も「バルバロッサ作戦」こと反共十字軍も、カトリックの教えを実行に移しただけのことです。)
なお、クリスチャンのコミュニティーでこのようなことを話題にすると、「一部の例外で全体を描写するのはやめろ」というようなことを言われるのが関の山です。(通常はシカトされる。)場合によっては、「他のクリスチャンに悪い影響を与える」とかで、そのコミュニティーから排除されます。私の場合は、教会に来ている子供たちに話しかけるのを禁止されました。
「教会はいつも正しいことをしてきた」とのたまうクリスチャンをよく見かけますが、このような人には中学生に逆戻りして世界史のお勉強をきちんとしてもらいたいものです。
2011-05-22 日 12:54:04 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: キリストの誕生日
>  キリストの誕生日ですか?
>  あれも、誕生日をわざわざ、ミトラ教の祝日にしたのか、理由が不明確だと思います。ミトラ教を滅ぼす目的以外には、考えられません。教会に聞いても、理由は教えてくれないし。「クリスマスは、ミトラ教を滅ぼした記念日で、イエスの誕生日とは、何の関係もないですよね。」と聞くと、シカトされます。

私のキリストの誕生日に関する質問が削除された話はこちらにあります。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-83.html
やはり一神教であるはずのキリスト教が他の宗教の影響を受けているのは
知られなくない事実なのでしょう。


>  あと、「GOD」を「神」と翻訳したのも、キリスト教聖職者「ヘボン」の陰謀でしょうか?考えれば、考える程、分からないのです。中国の聖書で「GOD」を「神」と翻訳したのが、理由だとされますが。しかし、日本では、既に、キリスト教の神には、「でうす」という呼び名があったわけです。要は。「でうす から、神」へと、呼び名を変えた理由がわからないのです。
>  いうなれば、ヨーロッパから、得体のしれない生き物を持ってきて、「日本の鳥は、鳥ではない。これが、唯一の鳥だ。」と言っているような物です。
>  早い話、「キリスト教で、「神」を名乗るのは、止めるべきだ。他の用語を使うべきだ。」と思うのですが。
>   これも、牧師に聞いても、答えてくれません。

正直に書きましょう。
私は、神やデウスなどの訳語に関することは不勉強なので、
なんとコメントしたら良いか分かりません。
ただ、牧師さんが答えられないのは、
それはそういうことについて勉強したことがないからではないでしょうか?
この世を造ったのは「神」であると当たり前のように教わり、
ただそれを無意識に当たり前に信じているがために、
なぜそれが「神」と呼ばれるのかについて考えたことがないのでしょう。
そして、牧師さんが答えてくれないのは、
「分からない」と答えることが牧師として恥ずかしいからかもしれません。

ところで、ご存知だと思いますが、
旧約聖書の神にはYHWH(エホバ、ヤーウェ、ヤハウェ等)の名があり、
実際、文語訳聖書にはエホバと記されていました。
どうせならそれを復活させればいいのにと思いますが、
いわゆる正統派クリスチャンたちは嫌がるでしょうね(笑)。
2011-05-24 火 22:01:25 | URL | 桃栗 [編集]
本を買いました
ありがとうございます。
さっそく、本を注文して、今日届きました。
でも、いまいち、理解できないところがあります。
もう少し、熟読してみます。

「神」の訳語の理由は、牧師も知らないかもしれないのですね。少なくとも、神道が、先に「神」という言葉を使い始めたわけだから、あとから使い始めたキリスト教が、「唯一の神」というのは、どう考えてもおかしいですよね。

四文字聖語(YHVHまたはYHWH)は、調べると結構面白いです。なかなか、それに付き合ってくれるクリスチャンがいなくて。クリスチャンは、聖書に興味がないのかなあ?なんて思ってしまいます。
2011-06-08 水 03:15:51 | URL | メルメル [編集]
Re: 本を買いました
> ありがとうございます。
> さっそく、本を注文して、今日届きました。
> でも、いまいち、理解できないところがあります。
> もう少し、熟読してみます。

巨大虎猫さんの紹介された本ですか?
私はまだ買っていませんね・・・・・・。
それよりも先日買った「ナザレのイエスは神の子か?」を読破しなければ・・・。
実は私は読書は苦手です。
なお、先日私が紹介した「誰も教えてくれない聖書の読み方」は非常に読みやすく、
聖書を知っているアンチキリスト教な人ならどこから読んでも楽しめます


> 「神」の訳語の理由は、牧師も知らないかもしれないのですね。少なくとも、神道が、先に「神」という言葉を使い始めたわけだから、あとから使い始めたキリスト教が、「唯一の神」というのは、どう考えてもおかしいですよね。

多分、牧師さんはそういうことについて深く考えたことがないでしょうから、
そういうことを質問してもはっきり答えないでしょうね。


> 四文字聖語(YHVHまたはYHWH)は、調べると結構面白いです。なかなか、それに付き合ってくれるクリスチャンがいなくて。クリスチャンは、聖書に興味がないのかなあ?なんて思ってしまいます。

おそらくほとんどのクリスチャンが
聖書にはYHVHまたはYHWHという神の名が記されていたことは
知らないんじゃないでしょうか。
私も教会でそんなことを教わった記憶はありません。

それに、キリスト教の世界では神の教えに疑問を持つことはタブーですので、
クリスチャンはあまり聖書のことを詮索することには付き合いたくないもかもしれません。
2011-06-12 日 21:44:11 | URL | 桃栗 [編集]
私と同じくクリスチャンホームで育って心に問題を持ってしまった方のブログを見つけました。

http://blog.livedoor.jp/ltd_exp/

2008年の9月で終わっているようですが、私はとても読み進められません。わが身につまされて辛くてたまらないからです。

この方は福音派の教会で私が通っていた教会よりカルト色が強い様ですが、まあキリスト教であるかぎり大なり小なりおんなじです。

私の両親は色々問題もあるが基本的にいい人たちだった、虐待にあったわけではないと思いたい気持ちでしたが、子供をキリスト教にかかわらせたという事自体が虐待になってしまったのだと今更ながらに思い知らされます。
2011-06-18 土 07:08:10 | URL | victim [編集]
>私の両親は色々問題もあるが基本的にいい人たちだった、虐待にあったわけではないと思いたい気持ちでしたが、子供をキリスト教にかかわらせたという事自体が虐待になってしまったのだと今更ながらに思い知らされます。

2世でもあまり信仰を強制されずにあっさり辞めることができたり、2世自身が信仰を持ち、家庭で平穏に信仰生活を送っていたというような場合は宗教はそんなに問題にならないように思います。しかし、宗教のために家庭であれこれといざこざがあった場合は親子関係に深刻なヒビが入ると思います。そのような2世の場合、一番憎い人ベスト5に親がランクインしてくるのではないかと思います。10代の時親ともめても、2世が大人になり時が流れると時間が解決してくれるような気がしていました。しかし、2世が大人になると親のした仕打ちの本当の動機みたいなものが見えてきて、前よりさらに許せなくなってくると思います。何と言うか、好意的に解釈しようとしても今までのをトータルで合わせて考えると、親の心の中が見えてきてしまい、そのために親に対して気持ちが冷めてくるように感じます。もし親でなければ、他人とは距離を置いて付き合えたり一時の関係であったりするので、その時は憎くても時が解決してくれるように思います。しかし、親となると死ぬまで付き合わないといけません。親と絶縁した2世は親に対してはもう憎いだけだと思いますが、絶縁までいかない2世の場合、親のことは愛してないわけでもないけどそれ以上に憎いとか、愛しているけれども憎いなどの複雑な気持ちを持つように思います。これは親子関係だけでなく夫婦関係にも言えると思います。非信者と信者の夫婦の場合も宗教が原因でもめると、お互いに一番憎い人ベスト5に配偶者がランクインしてくると思います。本当に宗教の根本的な問題は家庭破壊にあると思います。宗教が原因で家庭がもめた人は深刻なダメージを受けたと言えると思います。
2011-06-21 火 22:57:40 | URL | XXX [編集]
Re: タイトルなし
> 私と同じくクリスチャンホームで育って心に問題を持ってしまった方のブログを見つけました。
>
> http://blog.livedoor.jp/ltd_exp/
>
> 2008年の9月で終わっているようですが、私はとても読み進められません。わが身につまされて辛くてたまらないからです。
>
> この方は福音派の教会で私が通っていた教会よりカルト色が強い様ですが、まあキリスト教であるかぎり大なり小なりおんなじです。

私はその方のブログにコメントしたことがあります。
残念ながらしばらく更新が滞っていますね。
多くのキリスト教批判系ブログやサイトの更新が止まっていますが、
私は気が済むまでブログを続けたいと思います。
2011-06-23 木 20:57:54 | URL | 桃栗 [編集]
クリスチャンって何?
桃栗さま
はじめまして。
このサイトに出会って嬉しく思います。

以前プロテスタントのクリスチャンと
結婚前提で交際していました。
(父親娘共にクリスチャン歴8年ほど(当時)という家庭)

線香1本あげれないところから始まり・・・
いろいろありました。

僕自身も教会へ行き牧師と話をし
結婚についてとか聞かされました。


いろいろ話し合って最終的には、教会に行かない、
日本の冠婚葬祭をちゃんとするってことになってたのに、
入籍直前で、クリスチャンとして生きると
言って去っていきました。

完全に洗脳されてしまうと
どうやってもムダなのですね。

人が書いた絵空事に夢中になって、
視野を狭めて何がおもしろいのだろうか?
未だに理解出来ない。

彼女には、今でも足を洗って
現実の世界で生きてほしいと思っています。

まだまだ色々書きたいのですが、この辺で。


PS.
仕事柄海外の方と話ができる環境にあるのですが、
「冠婚葬祭どうしているのか?」と聞くと、全員が
「日本で仕事してる以上、日本の慣習に倣って神儀事に参加します。」と言われます。

どういう事なのでしょうか?(笑)

2011-06-24 金 11:15:59 | URL | カエル [編集]
Re: クリスチャンって何?
カエル様

貴重な体験談をどうもありがとうございます。


> 以前プロテスタントのクリスチャンと
> 結婚前提で交際していました。
> (父親娘共にクリスチャン歴8年ほど(当時)という家庭)
>
> 僕自身も教会へ行き牧師と話をし
> 結婚についてとか聞かされました。
>
> いろいろ話し合って最終的には、教会に行かない、
> 日本の冠婚葬祭をちゃんとするってことになってたのに、
> 入籍直前で、クリスチャンとして生きると
> 言って去っていきました。
>
> 完全に洗脳されてしまうと
> どうやってもムダなのですね。

私の見た限りでは、夫婦のどちらかがクリスチャンという場合、
奥様がクリスチャンということが圧倒的に多かったです。
それが原因で離婚調停にまで発展した人がいます。
やはり、宗教をやっている人とそうでない人が結婚するのは
やめた方が良いですね。

また、仮に彼女がカエルさんが未信者であることに同意だったとしても、
やはり結婚はお勧めできません。
毎週日曜日、旦那を家に残して妻は教会に行くわけです。
そして、毎日の食事の時も「食前の祈り」を唱えられたらどう思います?
また、貴方の知らないところで
「ああ主よ、私の主人の心を変えてください」と祈られていると思ったら
あまり良い気分ではないですよね。


> 人が書いた絵空事に夢中になって、
> 視野を狭めて何がおもしろいのだろうか?
> 未だに理解出来ない。

私も、おとぎ話のような聖書を信じるのは、
竹取物語を実話だと信じるようなものだと思います。


> PS.
> 仕事柄海外の方と話ができる環境にあるのですが、
> 「冠婚葬祭どうしているのか?」と聞くと、全員が
> 「日本で仕事してる以上、日本の慣習に倣って神儀事に参加します。」と言われます。
>
> どういう事なのでしょうか?(笑)

ダブル・スタンダードじゃないですか?
また、西洋人はクリスチャンが多いとは言っても、
簡単に他国の宗教に合わせてしまうのは、
結局はその程度の信仰ってことではないでしょうか?(笑)
2011-06-26 日 22:01:35 | URL | 桃栗 [編集]
異教徒さんへ
耳寄りなキリスト教BBSが消えてしまいましたね。掲示板の続きを書きたいのですが、もしよければしたらば掲示板の宗教掲示板に移動するのはどうでしょうか?どこでもさんはここを見ているでしょうか?他に良さそうな掲示板ありますか?
桃栗さん、ブログと全然関係ない書き込みですみません。
2011-07-01 金 14:33:30 | URL | XXX [編集]
>死後の世界と言うものは、所詮は生きている人間が創造したものに過ぎません。
「闇を恐れる人のおとぎ話」の部分、なるほどと思いました。
つまり、人間は死が怖いから、
天国という仮想の世界を想像して現実逃避しているわけです。

その通りですね。神はおらず、どうせ死ねば終わり(無)なんだから、
長生きに固執しようが、デカダンスに生きようが、(法律を破らない限り)個人の自由と欲望に委ねればいいじゃないですか。
 我らヒトはしょせん猿の亜種(獣)。過去にエデンなく、現在に
安住の地なく、未来に千年王国もない。汝の欲するがままに生きて死んでいくのがいいと思います。
2011-07-01 金 21:08:52 | URL | 名前を入れてください [編集]
教会学校
 私は20年間教会に行っており、あたりまえのように思っていたことが、ふとおかしいと気がつき出すとおかしいことばかりです。
 私が行っている教会は教会学校を礼拝の中でするのですが、今日の先生は、「アダムさんのあばらの骨から女の人ができました」と子ども達に教えていました。こんな間違ったことを、何でも信じる純真なこどもたちに教えることって許されることなのでしょうか???
2011-07-03 日 13:37:10 | URL | 逆隠れ切支丹 [編集]
キリスト教ファンダメンタリストのテロ
アメリカではキリスト教ファンダメンタリストが中絶クリニックを爆破したり、中絶医を射殺したり、といったテロを行っていると聞いておりますが、ノルウェーでは銃乱射をしたのですね。ファンダメンタリストの恐怖は学生時代に経験していますが、こんな人たちとは「対話」は絶対に成立しません。「話せばわかる。」なんて幻想です。
2011-07-24 日 11:47:23 | URL | 巨大虎猫 [編集]
はじめまして
はじめまして。生まれてこの方25年間、教会に通い続けているクリスチャンです。
読んでいて、なんだか悲しくなってきたので、一言書かせて下さい。

そもそも、
「キリスト教は宗教だ」
「クリスチャンを『やっていた』」
「クリスチャンを『やめた』」
という言葉を使っている時点で、桃栗さんは、本当の意味でキリストと出会っていなかったのだなと感じました。

聖書でイエス様が最も大事な掟として言われたのは、「あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」の二つですね。
神を愛す。それがどういうことか、桃栗さんはお考えになったことがありますか。
まず、神様は生きておられる方だということです。
生きているから、関係をもつことができる。
こちらが祈れば答えてくれる。
聖書を読めば語ってくれる。
そのような、関係をもつことができる存在なんです。

だから、本当のクリスチャンであれば、
「クリスチャンをやっている」という表現は使いません。
宗教ではなく、神様との生きた関係だからです。

それをもし知らないまま、教会を離れられたのなら、本当にそれは残念なことだと思います。
その神様との関係に気づくこと、イエス・キリストと出会うことが難しい。人の頭では理解できない、神様の領域なので、イエス様は聖書で、
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
と言われたんだと思います。
どんなにお金があっても、知識があっても、教養があっても、あらゆる学問を究めても、それでも真実に達することができない。
なぜって、神様がいるとしたらそれだけ大きな存在でしょ?
人間に理解できるほど小さくない。
だから、信仰って、理屈でどういう言えることではないと思うんですよ。
もし理屈でどうこう言えるなら、完全に肯定か否定かすることができるはずです。でもできない。
だから信じる、信仰でしかない。
信じられないなら、信じられない。
論理的に否定すること自体、できないと思うんです。だって、論理的に信じてるわけじゃないんだから。

ちょっと話がそれました。元に戻します。

私自身、神の声を耳で聞いたことはありませんし、神の姿を目で見たこともありません。
しかし、神が祈りに答えて下さること、不完全で欠点だらけの私を、日々造り変えて下さること、どんなに落ち込んで力の無いときも力づけて下さることは分かります。
それはきっと、神様の憐みによって、経験しなければ分からないことだと思います。
だから、非常に残念で、悲しいなぁと思うんです。

トマスに表れて下さったように、もし桃栗さんが本気で求めるならば、神様は必ず、その人格を表して下さいます。
そうして、神様と対峙してから、批判できるなら批判してほしい。
厳しいことを言うようですが、あなたはクリスチャンではなかったのだと、私は思うんです。いかがでしょうか。

長くなりました。失礼します。
2011-07-29 金 16:36:15 | URL | まこと [編集]
この手のコメントが一番腹立つわ。(ノ `Д´)ノ
宗教にかぶれているだけの人間のくせに、
しょせんは上から目線なんだよね。

>神が祈りに・・(略) 分かります。

ってそう思い込んでるだけですよ。
他の宗教信じている人もそれぞれの神を感じていますよ。

オカルトと何も変わらない。
キリスト教だから、歴史があるから、信者が多いから
大きな宗教だからって何だっていうの?

自分にはわかっている。でも貴方にはわからない。
だから可哀想。
この視点が大嫌い。自分が洗脳されているってわからないんだね。

ノルウエーでテロやったアンネシュ・ブレイビク容疑者だって
貴方と同じ事感じてたんだろうね。神の存在を確信していた。
だからテロやったんじゃないの?

まあ貴方はテロやらないだけマシですね。
一生その上から目線でいればいいよ。brainwashed!
2011-07-30 土 07:34:52 | URL | victim [編集]
びっくり
上から目線のつもりは無いのですが・・・
そう感じられたらすみません。
「残念」「かわいそう」「気の毒」
そういう言葉って、上から~に勘違いされやすい言葉ですよね。
気をつけます。ごめんなさい。

>キリスト教だから、歴史があるから、信者が多いから
>大きな宗教だからって何だっていうの?
私そんなこと言いました?^^;
私は私で色々見てきた上で信じたんですよ。
本当に、心から、本気で追求して、「信じられない」なら分かります。
でも、「よくわからないから信じられない」というのはどうなんでしょうか?
それだけならまだしも、よくわからないものを喧嘩腰で批判までするのは。

私自身が信じたのは、牧師先生とか、親とか、知り合いとか、誰かの言葉に強制されてではないです。
もちろん、幼いころは桃栗さんのように、純粋に受け入れていた(それはある意味洗脳のように)と思います。
もしそれで信じていたら洗脳、マインドコントロールですよね。
でもそうではなくて、自分で理性的に考えた上で信じているんです。
そういう人もたくさんいるんですよ。
それをむしろ認めないで、すべてを「洗脳」と片付けてしまう方が、よっぽど偏った見方、上から目線だと思いますが、いかがですか?

>ノルウエーでテロやったアンネシュ・ブレイビク容疑者だって
>貴方と同じ事感じてたんだろうね。神の存在を確信していた。
>だからテロやったんじゃないの?
宗教を信じているからいけないとか、神を信じているからテロに走るんだという考え方自体が、危険です。
人間である以上、皆自分が中心になってしまう性質がある。
宗教や神を自分の都合のよいように「利用」して、自分の目的を果たそうとする。
本当は愛の教えがそこにあってもです。神が愛であってもです。
人の中心にあるものが自己中心だから。
現にあなた自身も、その自分の考え方を疑わない「信念」で、人を攻撃しているじゃないですか。
それはわかりますよね?わからなかったらそれこそ危険。

私はここで、何も「キリスト教を批判する人を批判」したいわけではないです。
私は信じている。でも信じられない人がいる。
信じられないこともわかる。それを批判する気はありません。
でも、おかしいなと思った疑問を投げかけたかったんです。
それをあなたの個人的な価値観で、食ってかかられても困ります。

私が言いたかったのは一つだけ。
「クリスチャンというのは『する』ものではなく、神様との個人的な関係にあること」なのだということ。
だから、桃栗さんはクリスチャンではなかったのではないかな、ということ。桃栗さんへの質問ですね。
桃栗さん、どうでしょうか?
そして、教会にいたにも関わらず、もしその「神様との個人的な関係」ということを知れなかったのなら、桃栗さんに少し同情してしまう、ということです。

落ち着いて、読んで欲しいです。あなたに話したわけではないですし。常識的に考えて、喧嘩をうってきたと受け取っています。
私も同じ理性をもった人間ですからね^^;
2011-07-30 土 11:56:20 | URL | まこと [編集]
私は喧嘩を売ったりしていません。どの宗教でも信じるのは勝手ですから。
言い方がきつかったなら申し訳ありませんでした。

でも以下の一点だけははっきり言っておきます。

>もしその「神様との個人的な関係」ということを知れなかったのなら、桃栗さんに少し同情してしまう、

と書かれましたが、「個人的な関係」というのは信者の思い込みですからね。

後、桃栗さんにだけコメントしたいのなら、「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れて下さい。
このサイトでは今までupされたコメントに対して不特定のコメントがついてきましたが、「桃栗さんに言ってるんだから貴方に意見は聞いていない。」と言ってきた人は始めてですね。
2011-07-30 土 19:28:50 | URL | victim [編集]
思い込み、ですか。
ご返信ありがとうございます。
やはり言葉がきついなぁと感じてしまいます。
どうして「思い込み」と決めつけるんですかね?
見えないから?論理的に証明できないから?
そんなことを言ってしまっては、この世の中は成り立ちませんよ。
世の中は、見えないけど、証明できないけど、信じてしまっていることだらけですから。知ってます?

意見をしていただくのは構いません。むしろ嬉しいことだと思っています。
ですが、先のコメントは明らかに感情をあらわにしたコメントだったと思うのですが。
たとえば「まあ貴方はテロやらないだけマシですね。 一生その上から目線でいればいいよ。brainwashed!」
これが「意見」ですか?
「一生上から目線でいればいい」と言いつつ「brainwashed」
ん??どういう意見ですか?
一つだけ受け取れたのは、やはり「思い込みでしょ?」ということ。
それだけのコメントであれば、ここまで私も追及しなかったのですが・・・。
それだけであれば、「意見」だというのも分かりますよ。でも、ね。

まぁ、私の言い方も悪かったと反省しつつ、過ぎたことは水に流しましょう・・・

victimさんは、キリスト教もしくは宗教一般に対して、何か大きな感情を抱いているんですね。
そこまでの信念は、信仰と同じように強いものですね。
ご自身のその信念を信じていらっしゃるように思えます。
それも一つの宗教のようなものではないのかなと、私は思います。
それもまた、宗教と同じ危険性を持ち得るとも。
違いますか?
私の意見です。
2011-07-30 土 21:43:23 | URL | まこと [編集]
何回もコメントするのもどうかと思うので、これで最後にします。

このサイトにはすでに書いてありますが、
私はクリスチャンホームに育っています。

私がキリスト教を「単なるオカルト」として否定するのは、
私の両親がキリスト教以外の「見えないもの」を
こ馬鹿にする様に否定してきましたから、その反動でしょうね。
まあ親を含めて出会ってきた信者に対する嫌悪感からかもしれません。

テロに関しては、宗教を利己的に解釈するから起きるのではなくて、
キリスト教にしてもイスラム教にしてもオウムにしても、
その教えの中に排他的なものがあるからではないでしょうか。

テロをしなくても、排他的な教えを持つ宗教は
異文化、異宗教と戦争を含め問題を起こして来ました。
その事をこのサイトで皆さんはさんざん言ってきたのですが。
読み返してみてはどうでしょうか。
2011-07-31 日 07:35:39 | URL | victim [編集]
キリスト教を信じたいです
キリスト教を信じクリスチャンになりたいです!
理由は、どーせなら本当に存在する神様に祈りたいからです!
私は宗教が好きで多くの宗教を調べたりしてきました。(その宗教の神は存在するかどうか)
結果的に最後まで残ったのがアブラハムの宗教でした!ワクワクしました!
とりあえず日本にはキリスト教があるのでクリスチャンになりたかったのですが、、
どうやらキリスト教も他の宗教みたいに嘘や矛盾があるみたいなので信用できません。
でも、イエスキリストの教えは素晴らしい!ブラボー
だからクリスチャンになりたい!
しかしアンチキリスト教のサイトを見る度に聖書はファンタジーだと思い知らされます。
どうなんですか!?聖書や教会が糞なだけで神様は実在しますか?
イエスキリストは本当に神の子ですか?むしろヤハウェは本当にいるんでしょか??
いるならば 聖書や教会が糞でもクリスチャンになりたいです!!
本当に存在する神様はなんの宗教でしょうか?

2011-08-03 水 01:16:48 | URL | 中ヤコブ [編集]
キリスト教似非科学サイト
原理主義と思われるキリスト教会による似非科学のサイトを見付けました。
ttp://www.mb.ccnw.ne.jp/baptist.k.g.c.y/sinnbunn1.htm
ここに出ていることは、ほとんどすべて余所のキリスト教団体で聞いたことのある話です。
今となっては、私にとっては嘲笑の対象にしかなりませんが、こんなことを子供の時に大人から言い聞かせられたら、学校の勉強が嫌になってしまうでしょう。私も「世俗の学問に興味を持つことは大きな罪だ。」と言われていたので、大いに悩みました。(キリスト教にとって、世俗の学問で都合の良い物は何一つありません。教会に来ている青少年が向学心を持ったら困るのです。)
別のページには、子供の姿も見えます。
ttp://www.mc.ccnw.ne.jp/baptist.k.g.c.c/gixyouji.htm
私は、この子たちの将来が心配です。社会不適応者になってしまうのではないでしょうか?
2011-08-09 火 21:02:27 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re:思い込み、ですか。
宗教なんて国家権力によるマインドコントロールのための陰謀。民を無欲な奴隷にして支配者だけが罪や堕落を楽しむためのくだらない偽善。厳格な、欲望抑制主義宗教に支配されるくらいなら自らの金銭欲・物欲・性欲・名誉欲・権勢欲を肯定し、法律の許す範囲内で7つの大罪を追求
した方が人間的でまだまし。むしろ社会の発展につながる。聖書を読むくらいなら、マルキ・ド・サドを読むべし。
2011-08-10 水 17:00:03 | URL | 名前を入れてください [編集]
社会不適応者や性的倒錯者を育てるキリスト教狂育
>沢野忠庵さま

そのボランティア団体と思われる団体のHPを見付けました。
ttp://www.ark-jp.info/index.html
確かに、学校にも行かずにこんな所と関わっていたら、治癒不可能な社会不適応者が出来上がってしまいそうですね。

アメリカのファンダメンタリスト出身で今は棄教している性的倒錯者を私は多数知っています。その中で最も強烈な例が、1日に1万キロカロリー以上食べるゲイです。彼は、自分の陰部を自分の肛門にねじ込むのが大好き(それができるようにするために手術までした!)で、これを“dig myself”とか“screw myself”と言っていました。お金がたまるとタイに行って美少年に掘ってもらうのだそうです。
他にも、厳格なカトリックの家庭に育ったゲイもいます。他の所でも書きましたが、彼の出た神学校はゲイとペドフィリアの巣窟(通常は両方を兼ねている)で、神学生たちは毎晩掘りっこしていたそうです。そして、神父になったら、教会に来ている子供たちを男女の区別なく手当たり次第に犯しまくるのです。
アメリカ人にはゲイやペドが多いようですが、これは子供の時にキリスト教に抑圧されて育った人が多いからなのかもしれません。
2011-08-12 金 01:09:41 | URL | 巨大虎猫 [編集]
カトリック教会の偽善
こんな記事を見付けました。
ttp://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/10/post-1671.php

信者には同性愛を禁止している一方で、聖職者にはゲイがたくさんいるのですね。カトリックに入信すると、こんな偽善者たちの言ってることを「神の言葉」だと思わないといけないのです。そんなこと、私にはできませんね。
2011-08-15 月 04:58:21 | URL | 巨大虎猫 [編集]
偽善
今、そのページを読んで驚きました。
昔、カトリック信者の作家のエッセイで、ふとそれを匂わせる文を読み「なきにしもあらず」だと感じていましたが、仏教徒の中でも有るようです。
人間、それも宗教者といえども、肉体を持っている限りは煩悩・原罪からは免れられぬものなのか。
それなら、いっそのこと俗人として生きた方が正直なのでは?
キリスト教に限らず、多くのカルト教団の罪を思うと、人間の弱さを感じます。
日本人はバチカンの中には疎いので、「信じたくない」という思いで目をつぶっているのでしょうか。
2011-08-15 月 16:20:11 | URL | 虚 [編集]
みな同じ
初めまして。
プロテスタント教会で聖書を学ぶ者です。

エホバの証人の「終わりの時」と自分が学ぶ「終わりの時」が違うようなのでインターネットで何か分かればと思い検索していたら貴サイトに出合いました。
数箇所ですが記事やコメントを読ませてもらいました。
私はクリスチャンですがコメントをお許しください。

我が家にもエホバの証人の方が伝道で来られることがあります。
玄関先で「他教会で学ぶ者です」と伝えると即了解し笑顔を置いていってくださる方や何とかその偽りの教えからエホバの方へ向かせようと必死に来られる方もいます。人間ですからいろいろな対応があります。

戦争=宗教戦争がほとんどです。
聖書の中に「イエス・キリストの御名を通して祈る者はみな兄弟姉妹」と記されています。
目に見えるもの、耳にするもので右往左往する私たち人間に対し聖書は自分を知るための羅針盤のようなものかもしれません。

私は大学でたくさんの心理学を学びましたがどれも満足できるものではありませんでした。
最後に手にした聖書だけが満足感を与えてくれました。

すべてに時があります。
私も宗教(神様)=洗脳されるという頭しかなくある意味馬鹿に遠ざけていました。

野の草ひとつでもその元を人間の手によって造ることは不可能なようです。すべて人間に潤いを与えるためのものだそうです。

人間ひとり一人、クリスチャンとか関係なくです神さまはとっては宝物です。

私は聖書のソロモンが書いた「伝道者の書」が好きです。

長々と済みませんでした。

2011-08-15 月 20:05:44 | URL | 信じる者 [編集]
補足
同性愛についての補足
モーゼの十戒でなく、ソドミーにありましたね。
長らく聖書を読んでないので忘れてました。
ああいう犯罪的な行為でなく、単純に「愛しあうこと」がなぜいけないのか、
以前から疑問に思っていたので質問しました。
みなさんのご意見聞いてみたいです。

私は以前はクリスチャンでしたが、今はいろいろ疑問に思い
教会に行っていません。
教会に行くのをやめると、今まで抑えていた疑問がふつふつと
湧いてきます。
なお私自身は異性愛者ですが、同性愛に対する差別とかよくないと思っています。
キリスト教の異性愛偏重主義は、同性愛への差別につながるのではないでしょうか?
2011-08-17 水 15:11:02 | URL | ゆま [編集]
善と悪
私も、昔はクリスチャンでしたが、キリスト教に疑問を感じてやめてしまいました。
キリスト教でいう「善と悪」という教えに縛られて精神的に参っていました。 でもよくよく考えてみたら、「善と悪」から遠くに離れて生きていたほうが、より自由に人間らしく生きられると感じました。

キリスト教でつらい経験をされた方、キリスト教を信じる、信じないは
個人個人の自由ですが、私だったら2度と信じない・・・、信じないほうがいいと感じました。

疑問を持たれた方、ぜひニーチェの本を読んでみてください。
目からうろこが取れるくらい、腑に落ちます。
2011-08-18 木 16:03:35 | URL | すすき [編集]
Re: 同性愛について
聖書における同性愛に関する否定的な記述は、以下のサイトに集約されています。
ttp://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-homosexuality-sin.html

旧約聖書にも多数出ているように思います。「鶏姦」という語で形容されていたりするので、見落としてしまいそうですが。(以前他の所で書いた、アメリカ帰りの性的倒錯女は、彼氏を牧場に連れて行き、鶏とセックスするのを強要しました。旧約聖書の「鶏姦」とは、男色のことであり、人間が鶏とセックスすることではありませんが、どうやら「鶏姦」の字面から着想を得たようです。)

他に、こんなブログ記事も見付けました。
ttp://jack4afric.exblog.jp/4969073

なお、中世ヨーロッパの錬金術絵では、両性具有者(バイセクシャル)こそが「完成された人間」である、とされていたそうです。レオナルド・ダ・ビンチもその流れに属するようで、名画「モナリザ」は女装した彼の自画像ではないか?とも言われています。
2011-08-21 日 20:11:05 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 教会学校
>  私は20年間教会に行っており、あたりまえのように思っていたことが、ふとおかしいと気がつき出すとおかしいことばかりです。
>  私が行っている教会は教会学校を礼拝の中でするのですが、今日の先生は、「アダムさんのあばらの骨から女の人ができました」と子ども達に教えていました。こんな間違ったことを、何でも信じる純真なこどもたちに教えることって許されることなのでしょうか???

私が日曜学校に通っていたころも、
神がアダムのあばら骨を取ってエバを造ったことは、
本当のことだと教わりました。
クリスチャンがそれが歴史的事実だと信じているなら、
学校の教科書にそう書くように国に働きかけてもいいはずなのに、
どういうわけかそういうことはしません。
不思議です。

そういえば、よくよく考えてみれば、
その1本の(?)あばら骨からどういう過程を経て完全な女性を造ったのか、
聖書にはまったく記述はありませんね。
2011-08-21 日 21:37:32 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 同性愛について
巨大虎猫さま
参照箇所を教えていただきありがとうございました。
それにしても、同性しか愛せない体質に生まれついた人もいるでしょうに。
そういう「本人ではどうしようもないこと」まで罪に値するんですね。
神様がそういうふうに創造したものが、なぜ人間側の責任?
創造主の責任では?
本当に変ですね。



すみません。最初に書いた「同性愛について」の書き込みを誤って削除してしまいました。
要は「同性愛はなぜ聖書的に罪なのか?」という疑問でした。

カトリック神父の子ども(少年少女どちらも)に対する性虐待などが問題になっていますが、そういったことはもちろん許されません。
そうではなく、普通に大人の同性同士が愛しあうのがなぜ罪なのか、神は愛なのだから、
異性も同性も差別されるべきではないと思う。
キリスト教の異性愛偏重主義が同性愛差別につながるのではないか。
私自身は異性愛者ですが、そういった疑問を持ったもので書き込みました。
間違って書き込みを消してしまったので、わかりづらくなってしまいすみません。
2011-08-22 月 22:38:39 | URL | ゆま [編集]
Re: はじめまして
> はじめまして。生まれてこの方25年間、教会に通い続けているクリスチャンです。
> 読んでいて、なんだか悲しくなってきたので、一言書かせて下さい。

こちらこそ初めまして。
すでにvictimさんがレスをされていますが、
私もクリスチャンの「上から目線」に疑問を感じます。
キリスト教は「隣人愛」を謳う宗教なのに、
どういうわけかそれを「信じている人たち」は、
「信じていない人たち」に対して見下すようなところがあります。


> 聖書でイエス様が最も大事な掟として言われたのは、「あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」の二つですね。

> その神様との関係に気づくこと、イエス・キリストと出会うことが難しい。人の頭では理解できない、神様の領域なので、イエス様は聖書で、
> 「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
> と言われたんだと思います。
> どんなにお金があっても、知識があっても、教養があっても、あらゆる学問を究めても、それでも真実に達することができない。

私がクリスチャンが嫌いな理由は、
このように聖書の教えを誇らしげにとうとうと説くのに、
実際には正反対のことばかりしているからです。

クリスチャンは天国に行きたいと思っているわけですよね。
では、本当に聖書の教えの通りに全財産を貧しい者に捧げていますか?
また、「貧しい者は幸いである」とも言いますが、
では、クリスチャンは不景気になって家計が苦しくなると幸せを感じているのですか?
違うでしょう?
神に向かって景気の回復を祈るわけでしょう?
本当に天国に行きたければ、貧しいほど喜ぶべきなのに、
貧しくなるとなぜか神に助けを求めるのです。
結局、「困った時の神頼み」なのです。

にもかかわらず、自分たちが素晴らしいことをしているかのように振舞い、
神を信じない人に対して見下す態度を取るのが私には不愉快なのです。

貴方は、天国に入るために全財産を貧しい者に捧げていますか?
していないでしょう?
それなのに、キリストのその教えを誇らしげに説く態度が不愉快です。
クリスチャンたちはキリストの教えをちっとも実行していないのに、
「私たちには天国への道が約束されている」などと誇らしげに言うのですから
本当に不思議なものです。


> なぜって、神様がいるとしたらそれだけ大きな存在でしょ?
> 人間に理解できるほど小さくない。
> だから、信仰って、理屈でどういう言えることではないと思うんですよ。
> もし理屈でどうこう言えるなら、完全に肯定か否定かすることができるはずです。でもできない。
> だから信じる、信仰でしかない。
> 信じられないなら、信じられない。
> 論理的に否定すること自体、できないと思うんです。だって、論理的に信じてるわけじゃないんだから。
>
> ちょっと話がそれました。元に戻します。
>
> 私自身、神の声を耳で聞いたことはありませんし、神の姿を目で見たこともありません。
> しかし、神が祈りに答えて下さること、不完全で欠点だらけの私を、日々造り変えて下さること、どんなに落ち込んで力の無いときも力づけて下さることは分かります。
> それはきっと、神様の憐みによって、経験しなければ分からないことだと思います。
> だから、非常に残念で、悲しいなぁと思うんです。

私は身元の特定をされたくないので、
自分の過去についてはほんの一部しか書いていません。
本当は、私がどんな目に遭ってきたか洗いざらい吐き出したいくらいです。
一例を挙げると、先日、私の知人が自殺した話を書きましたが、
あれもブログには書けないもっともっと複雑な事情があるのです。
本当に真実を吐き出して貴方にぶつけたいくらいです。
したがって、貴方からの慰めを読んだところで、
「人の気も知らないで!」と、余計に不愉快になるだけです。


> トマスに表れて下さったように、もし桃栗さんが本気で求めるならば、神様は必ず、その人格を表して下さいます。

もうこれは典型的なクリスチャンの常套句でしかりません。

「本当に信仰すれば”必ず”神は答えてくださいます」

このように、クリスチャンは心から信仰すれば「必ず」報われると説きますが、
私が「信仰したのに報われないじゃないか」と言ったところで、
「それは貴方の信仰が足りないから」と言われるのがオチです。
まことさんのこのコメントがまさにそれです。
だから、クリスチャンが言う「必ず」という言葉は当てになりません。
信仰すれば「必ず」云々と誇らしげに説くのに、
信仰が報われなかった者に対しては
「信仰が足りない」「正しく理解していない」「本気で求めていない」などと
結局は「上から目線」になってしまうのです。

では、私の知人のクリスチャン2世が自殺したのも、
あれも貴方に言わせれば
「自殺したのはその人が本気で神を求めていないから」
ということなのでしょうね。なるほど、よくわかりました。


> 厳しいことを言うようですが、あなたはクリスチャンではなかったのだと、私は思うんです。いかがでしょうか。

ええ、少なくとも私は自分から望んでクリスチャンになったわけではありません。
クリスチャンにさせられたのです。
「自分はクリスチャンだ」と思い込まされていたのです。
クリスチャン・ホームに生まれたことが自分の人生最大の不幸だと思っています。
ともかく、キリスト教から離れれば離れるほど、
私はキリスト教のアラばかりが見えてしまうので、
もう二度とキリスト教へは戻りません。
その気持ちは、知人の自殺とその教会での葬儀を見てさらに確固たるものになりました。

しかも、その知人以外に、その教会ではもう一人の自殺者が出ています。
これも、貴方に言わせれば
「2人も自殺者が出たのは、その教会が本気で神を求めていないから」
ということなのでしょうね。
2011-08-22 月 22:47:50 | URL | 桃栗 [編集]
本当に、ありがとうございます。
桃栗さん、ご返信本当にありがとうございます。
お仕事でお忙しい中で、またクリスチャンという、桃栗さんにとってはおそらく顔も見たくないであろう者に対して、ていねいにコメントを頂いたこと、本当に感謝しています。

私はクリスチャンですが、それ以前に一人の人として、クリスチャンによって傷つけられた人たちと、どこか申し訳ないような気もちを持ちながらも、ゆっくりお話ができることを本当にうれしく思っています。
そして、こうしてお話しをすることが、私自身がクリスチャンである自分を見つめ、クリスチャンがしてきた、またはしている間違いや、気付かずにいる部分に気づくために必要なことと思っています。
桃栗さんに対しては、古傷に触られるように辛いことかもしれません。
その点は申し訳なく思っていますが、私はひとりのクリスチャンとして、どこまでも誠実に、お話をさせて頂きたいと思っております。


>私もクリスチャンの「上から目線」に疑問を感じます。
>キリスト教は「隣人愛」を謳う宗教なのに、
>どういうわけかそれを「信じている人たち」は、
>「信じていない人たち」に対して見下すようなところがあります。
そういうクリスチャンもいると思います。
ですが、そうでないクリスチャンもいます。
そして、クリスチャンでなくてもそのような人はいるでしょう。
とにかく、私の発言もそのように聞こえてしまったのなら、申し訳ありませんでした。
そのことはvictimさんにも謝罪しました。
しかし私はクリスチャンですが、そのようにはなりたくないと思いながら、言葉に気をつけながら話しているつもりです。


>私がクリスチャンが嫌いな理由は、
>このように聖書の教えを誇らしげにとうとうと説くのに、
>実際には正反対のことばかりしているからです。
誇らしげに説いているように聞こえますか?
どのような部分からそう感じましたか?
私自身は、自分の知恵や知識でそのことを知ったわけではありません。
ただ恵みによって、聖書から教えて頂いたのだと思っています。


>クリスチャンは天国に行きたいと思っているわけですよね。
>では、本当に聖書の教えの通りに全財産を貧しい者に捧げていますか?
>また、「貧しい者は幸いである」とも言いますが、
>では、クリスチャンは不景気になって家計が苦しくなると幸せを感じているのですか?
その箇所で言われている「貧しい」という言葉は、「心の貧しさ」を表しており、そう訳されることもあると言います。
心がいつも何かに満たされていて、神様が必要ない人ではなく、いつも心に飢え渇きがある「心の貧しい人」を神様は喜ばれるという意味です。


>違うでしょう?
>神に向かって景気の回復を祈るわけでしょう?
>本当に天国に行きたければ、貧しいほど喜ぶべきなのに、
>貧しくなるとなぜか神に助けを求めるのです。
>結局、「困った時の神頼み」なのです。
そうではないと思います。
クリスチャンは、困ったときだけでなく「いつでも神頼み」の生き方をする人だと思います。


>貴方は、天国に入るために全財産を貧しい者に捧げていますか?
していないでしょう?
>それなのに、キリストのその教えを誇らしげに説く態度が不愉快です。
>クリスチャンたちはキリストの教えをちっとも実行していないのに、
>「私たちには天国への道が約束されている」などと誇らしげに言うのですから本当に不思議なものです。
確かに、全財産を貧しい人に施してはいません。
私には職場が与えられています。
職場で関わる人たちに、日々精一杯仕えていこうとしているつもりです。
また、家族がいます。
家族にも精一杯愛を示していこうとしているつもりです。
一人ひとりに、神様から任されている「自分の十字架」があると思います。
天国にはいるためにそれをしているのではありません。
後で書きますが、キリストの愛を知ったから、そうせずにはいられないんです。
あなたが言うように、全ての人がクリスチャンになって、全ての人が持ち物を売り払って施したら世界は成り立ちませんね。
神様が言われているのは、そういう外面的なことではなく、内面的な心の状態のことだと思います。
先ほども書きましたが、「心の貧しさ」。
その「心の貧しさ」があるならば、貧しい人を見るときに、傷ついた人を見るときに、手を差し伸べてあげようという心は自然とわいてくるでしょう。
物を売って施すという、形が重要なのではないと思います。
そういう教えをしている派もありますが、私はそうは思いません。
聖書に出てくるクリスチャンにも色々な人がいます。
金持ちもいれば、貧しい人もいます。
ですが、どの人も心貧しく、神様を求めた人々です。
物を沢山持っていることが悪いことなのではありません。
その証拠に、「金持ちは罪人だ」とは聖書に書いてありません。
その代わりに、「金持ちが天の御国に入ることは難しい」と書かれてあります。
やはり神様は、内面のことを言われているのだと思います。
「人はうわべを見るが、主は心を見る」と書いてある通りです。
内面は同じで、形は多様なのです。


>私は身元の特定をされたくないので、
>自分の過去についてはほんの一部しか書いていません。
>本当は、私がどんな目に遭ってきたか洗いざらい吐き出したいくらいです。
>一例を挙げると、先日、私の知人が自殺した話を書きましたが、
>あれもブログには書けないもっともっと複雑な事情があるのです。
>本当に真実を吐き出して貴方にぶつけたいくらいです。
>したがって、貴方からの慰めを読んだところで、
>「人の気も知らないで!」と、余計に不愉快になるだけです。
本当に、傷に触るようで申し訳なく思っています。
ですが、私の正直な気持ちです。


>もうこれは典型的なクリスチャンの常套句でしかりません。
>このように、クリスチャンは心から信仰すれば「必ず」報われると説きますが、私が「信仰したのに報われないじゃないか」と言ったところで、
>「それは貴方の信仰が足りないから」と言われるのがオチです。
>まことさんのこのコメントがまさにそれです。
>だから、クリスチャンが言う「必ず」という言葉は当てになりません。
>信仰すれば「必ず」云々と誇らしげに説くのに、
>信仰が報われなかった者に対しては
>「信仰が足りない」「正しく理解していない」「本気で求めていない」などと結局は「上から目線」になってしまうのです。
>では、私の知人のクリスチャン2世が自殺したのも、
>あれも貴方に言わせれば
>「自殺したのはその人が本気で神を求めていないから」
>ということなのでしょうね。なるほど、よくわかりました。
ここまで読んできて感じることは、桃栗さんは私を見ておられないのだなということです。
私ではなく、桃栗さんが出会ったクリスチャンに、私を重ねて見ておられるのだと。
私の言葉を聞いて下さい。
「クリスチャンという嫌な奴らの一人の言葉」ではなく。

以下にまた一言言わせて頂きますが、落ちついて聞いて頂けたら嬉しいです。

桃栗さんは、「クリスチャンは…」「クリスチャンは・・・」と言われていますが、クリスチャンは全て同じなのでしょうか。
そのように言い切ってしまって良いのでしょうか。
「同じ教えを信じているのだから、みんな同じだろう」・・・そうでしょうか。
桃栗さんも、桃栗さんがおっしゃるクリスチャンと同じように、私には見えます。
桃栗さんがおっしゃるクリスチャンは、「クリスチャンではない人を一律に、一緒くたに批判し、理解しようとせず、厳しい言葉をかける人たち」ですね。
ですが桃栗さんも、そんなクリスチャンと同じように、「クリスチャンを一律に、一緒くたに批判し、理解しようとせず、厳しい言葉をかけて」きますね。
桃栗さんは、皮肉なことに、桃栗さんが否定し忌み嫌うクリスチャンと同じように、クリスチャンであればだれでも同じように見てしまう、そんな色眼鏡をかけてしまっているのではないかと思います。
いかがでしょうか。

私がいつ、あなたに「信仰が足りない」「正しく理解していない」と言いましたか?
「自殺したのはその人が本気で神を求めていないから」と言いましたか?
私が言いたいのはそういうことではないんです。
もう一度、よく読んで下さいね。
悲しいです。


>ええ、少なくとも私は自分から望んでクリスチャンになったわけではありません。
>クリスチャンにさせられたのです。
>「自分はクリスチャンだ」と思い込まされていたのです。
>クリスチャン・ホームに生まれたことが自分の人生最大の不幸だと思っています。
>ともかく、キリスト教から離れれば離れるほど、
>私はキリスト教のアラばかりが見えてしまうので、
>もう二度とキリスト教へは戻りません。
>その気持ちは、知人の自殺とその教会での葬儀を見てさらに確固たるものになりました。
私は個人的に、俗にクリスチャンと言われる人には2種類いると思っています。
「キリスト教信者」と本当の「クリスチャン」です。

「キリスト教信者」というのは、知恵や知識を使って聖書を理解し、信じた人たちのことです。
もちろん、知識や知恵を使って聖書を理解しようとすることは大事なことです。
ですが、彼らは信じていると言っても、「クリスチャン」とは違うと私は思っています。
信じていると言っても、結局は、聖書の教えや教会のきまりを、頭で理解している、「自分自身」がよりどころなのです。
自分自身がよりどころなので、傷ついたり、理解できなかったりすると、その信仰は折れてしまいます。
自分自身や、周りの人に信頼をおいているからです。

それに対して、私が思う本当の「クリスチャン」は、キリストに対面し、キリストの愛に触れ、それに感動し生き方が変わった人たちです。
彼らにとっては、キリストの愛こそが全てで、それが心のよりどころとなっています。
ですから、だれに何を言われようと、どんなことがあろうと、その信仰は揺るぎません。
聖書に「キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを離すことはできません」と書いてある通りです。
ですから、「クリスチャン」には、努力してなることも、誰かから強制的にならされるということもありません。
キリストと対面すること、キリストの愛を心から知ることが、クリスチャンとなることだからです。

私も幼い頃にキリストの愛を知りました。
知識としてではなく、体験的にです。
頭でではなく、心でです。
ですから、キリスト教を否定するどんな言葉を聞いても、私の信仰は揺らぎません。
私に対するキリストの愛は消えないからです。
その愛を桃栗さんにも知ってほしい。
そう思っています。
でも私には、こうして話すこと以外に何もできません。
桃栗さんが知る以外に方法がないからです。

そのような意味で、私は桃栗さんに、クリスチャンではなかったのですね、と申し上げたのです。


>しかも、その知人以外に、その教会ではもう一人の自殺者が出ています。
>これも、貴方に言わせれば
>「2人も自殺者が出たのは、その教会が本気で神を求めていないから」
>ということなのでしょうね。
そのように心を痛める出来事があったということを聞くと、本当に、何と申し上げたらいいか分かりません。
私自身も、ただ心を痛めるばかりです。
ですが、私は「2人も自殺者が出たのは、その教会が本気で神を求めていないから」と、そのような心無い言葉を言いたいとは思いません。
それなのに、クリスチャンであるというだけで、そのような心無い言葉を、私自身の言葉とされることは、非常に不本意です。
怒りすら覚えます。

ですが、愛を以てご指摘します。
先ほども述べましたが、それは、あなたの中にある、あなた自身が否定したい、あなたが出会ったクリスチャンの性質そのものではないでしょうか。
「決めつけ、理解せず、否定し、厳しい言葉をかける」
私に対して。
そのような言葉を、思いを綴り続ける中で、空しくなったりはしませんか。
同じように傷を負った方たちと、同じように否定的な言葉で同調しあって、スカッとするようで、どこか苦しくなることはありませんか。
あなた自身が、忌むべき過去のクリスチャンと出会ったことを通して、同じように排他的な心を持ってしまったという皮肉な現実に気づいて下さい。
あなた自身がそうなる必要はないと思います。
あなたの出会ったクリスチャンがどういう人だったにせよ、あなた自身は自由になったらいいのではないでしょうか。
そんなに嫌ならば。


最近、興味深い本を見つけました。
桃栗さんやその他の方々が経験されたであろう(と推測するしかないのですが)、クリスチャンや教会との辛い経験について、分析されている本です。

 「信仰」という名の虐待:マルクスズィヴィー

下のリンクに抜粋が載っています。
私も読み、様々なことを考え、心を痛めました。
しかし同時に、これがキリスト教の本質ではない、キリストの愛の教えは、このように用いられて良いものではないと、強く思わされました。
是非お読み頂き、ご感想をお聞かせ頂ければ嬉しいです。

お忙しい中、本当にありがとうございました。
これからも、足を運びます。宜しくお付き合いください。
私自身も仕事の合間の時間で来ています。
どうか、一人の人間として、色眼鏡をかけず、誠実にお付き合い頂ければと思います。
2011-08-23 火 22:48:00 | URL | まこと [編集]
信仰の道は茨の道
桃栗様、こんにちは。
クリスチャンは天国に行くことだけに必死なのはわかりますが、
でも、客観的に見てみると何でそんなことまでしてまでも、
天国を夢見るのか、それが私は不思議でなりません。

教会は牧師中心の社会であり、宗教ビジネスであるんです。
それを、信じるだけならまだいい、牧師の都合で信者たちを道具にしてしまっているのが私はどうも抵抗感がある。

ある教会では、牧師の嫌がらせやセクハラ疑惑もある。
または、虐待やイジメもある、そういった教会に希望が持てるのでしょうか?
神様を都合のいい道具にしてしまっていることと、聖書を用いて自分の悪い行いを正当化すること。
こういった偽善は許されないと思います。
聖いものこそ、裏表は腹黒いということです。

クリスチャンは苦渋な人生を強いられても自分自身を見失っているからマインドコントロールの呪いにあるから、気づかないだろうけど、
こんな生き方は本当に茨の道を通るようなものです。
つらい思いをしてまでも私は天国へ行きたいとは思いません。
牧師に翻弄されてまでも信仰は持ちたくないのです。

この世に生きている限り、ちゃんと現実と向き合って生きたいものです。
あの世のことなど、あの世に行かないとわからないのですから、
キリスト教があの世が大切と説いているなら、
この世に生きている私たちは、何を支えに生きていけばいいのか わからなくなります。
2011-08-26 金 11:27:44 | URL | すすき [編集]
こんにちは。
すすきさん

初めまして。
自分は管理人でもなにも無いのですが、上で書かせていただいた記事中の、

 「信仰」という名の虐待:マルクスズィヴィー

が、まさにすすきさんが経験されたキリスト教、教会の問題点だと思います。
同じクリスチャンとして、そうなってしまう可能性があることを自分にも認めつつ、本当に申し訳なく思います。
是非読んでみて下さい。
様々な思いや、心の傷から自由になれますように。

クリスチャンが求めるべき天の御国は、決して死後だけのものではありませんよ。
本当にイエス様の愛に出会ったとき、周りの状況がどうであれ、そこに天国が始まるんです。
神様の愛を心に受け取った生き方そのものが、天国です。
「天の御国はあなたがたのただ中にある」と書いてある通りです。
2011-08-26 金 19:31:49 | URL | まこと [編集]
”アップル信者”と宗教信者の脳の共通反応
昨日のウォール・ストリート・ジャーナル日本版のWebサイトの記事に、
この桃栗さんのブログにまだ出ていないと思われるネタを見つけました。

指導者失い途方に暮れる「アップル教」の信者たち
ttp://jp.wsj.com/IT/node_295401

そこに書かれたとおり、MacやiPhoneなどのアップル社の製品には熱狂的な
愛好者が多数おり、比喩的に宗教にたとえられていることは、これまでも
よく知られています。

ご紹介したいのは、それが比喩に止まらないことを示す、次の部分です。

>  英国放送協会(BBC)が今年初めに報じたところによると、磁気共鳴
> 画像装置(MRI)で熱狂的なアップルファンの脳を撮影したところ、
> 彼らにアップル製品を見せたときの脳は宗教信者が信仰像を見たときと
> 同じ反応を示したという。

これにはさらに詳しいCNN.co.jpの2011.05.20の記事があります。

アップルがかき立てる「宗教的反応」、BBCが科学実証
ttp://www.cnn.co.jp/fringe/30002809.html

YouTubeに映像があり、脳の検査の話は6分44秒ころから始まります。英語の
ナレーションがわからなくても、記事に書かれたことが具体的に見られます。
ttp://www.youtube.com/watch?v=60GY9EnfRZA&feature=player_embedded

これはアップル製品の熱狂的愛好者について、宗教的という比喩に止まら
ず、脳の宗教的反応が科学的に実証されたということで、すでにインターネ
ットで多数取り上げられています。逆に、宗教そのものを論じる上でも注目
に値すると思います。

この科学的実証結果は、こう言い換えられます。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  宗教信者が宗教的画像を見たときの脳は、
  熱狂的アップル愛好者がアップル製品を見たときと
  同じ反応をする。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2011-08-28 日 02:00:25 | URL | AC [編集]
それは神が決めること
最近、「本当のクリスチャン」「本当の神の愛を知ってるor知っていない」
などの書き込みを数カ所で見かけ、気になっています。
「本当」かどうかはその人と神との関係であって 、まわりが
「あなたは本当のクリスチャンでないのでは」
とか
「本当のイエス様の愛を知らないのでは」
など言えることではないと思いますよ。
それはあくまで本人と神様が判断することではないでしょうか。
聖書によれば、最後に羊と山羊を分けるのはイエス自身なのではないでしょうか。

「黒人奴隷」の記事に書いたことと重複しますが、人間の立場で「羊と山羊を選別することはできない」と思い(書き込みのニュアンスからそういう印象を受けたので)、
こちらにも書きました。
2011-08-28 日 10:06:50 | URL | ゆま [編集]
天国?
>クリスチャンが求めるべき天の御国は、決して死後だけのものではありませんよ。
本当にイエス様の愛に出会ったとき、周りの状況がどうであれ、そこに天国が始まるんです。
神様の愛を心に受け取った生き方そのものが、天国です。
「天の御国はあなたがたのただ中にある」と書いてある通りです。

意味がよく分かりません。
生き方そのものが天国って、信仰すれば天国なんですか?
そもそも天国って何?
2011-08-28 日 21:07:11 | URL | かむい [編集]
言葉足らずで申し訳ない・・私も勉強中です
ちょっと言葉を省略しすぎたかもしれません。
「天国が始まる」と書いた方が良かったでしょうか・・
それでも分かりにくいですね^^;

そもそも、人間が悩み苦しみ、様々なこと(自分の好きなことにもいやなことにも)縛られて、不自由に生きている理由は、神様から離れているからです。
神様との交わりを回復した時、見える世界が変わってきます。
そこに、生きている間であっても、天国を味わうことができるということです。
クリスチャンは決して、生きている間に全く望みがなく、死んでからにしか無い望みのために生きているわけではない、と言いたかったのです。
キリストも、地上に生きている間、「御国が来ますように。御心が天で行われるように、地でも行われますように」と祈るように教えています。
決して死んでからのことを言ってはいません。
天国については、どのようなものかということが聖書に多々書いてあるので、読んでみて頂くのが一番良いと思います。
2011-08-28 日 22:28:13 | URL | まこと [編集]
神の否定ではなく、教会そのものの否定
まことさん、ありがとうございます。
私は神を否定してはいません。もちろん今でさえ神の存在を信じております。

私が否定しているのはキリスト教そのもの、教会そのものを否定しているのです。
人々の信仰の篤さを利用する人間が多い、ビジネスだととらえるにしても人の尊厳を重んじようとはしない、牧師や指導者が多いんです。

ですから、私は支援施設で働いている人の心と、 キリスト教でビジネスをする聖職者たちの心とは、まったくの別物だと思っています。
支援施設で働いている、病院で働いている人は、人の尊厳を最も重んじるんですよ。人の弱さを知っているから、無理強いを押し付けない!!
人が身体の不調を訴えてきたら、親身になって聞いてくれる。
そういった人の尊厳や人の弱さを大切にするってことが聖職者たちにはわからないんです。 

キリスト教はみんなの宗教というイメージがありますが、凡人である私たちにたいして宗教の押し付けはどうかとおもいます。
福音を述べ伝えなさいという義務があるみたいですけど、キリスト教を信じた人、全部が全部、指導者に訓練させようとか、説教者に仕立て上げようという、牧師の思惑どうり人々が動くわけじゃないでしょう。
やってられない人は、本当にやってられないんですから。

自分中心にして教会の信者たちが回っていると思っているんでしょうけど
、世の中そんなに甘ったるくないし、ヤワじゃないわ

ただでさえ日本にクリスチャン人口が少ないのに、やりたい放題とは驚くばかりです。
2011-09-02 金 11:35:42 | URL | すすき [編集]
まことさんの罪の意識→神の愛という体験
まことさんは、桃栗さんのブログのいくつかの記事のコメントで何度も、
自分の信仰する神の愛を説き、反発されても引き下がらず、コメントを
続けています。ここのゲストブック2011年版2011-08-23のコメントから
3ヶ所だけ引用します。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-120.html#comment1828

> ・・・[一部略]私はひとりのクリスチャンとして、どこまでも誠実に、お話を
> させて頂きたいと思っております。

> 私も幼い頃にキリストの愛を知りました。
> 知識としてではなく、体験的にです。
> 頭でではなく、心でです。
> ですから、キリスト教を否定するどんな言葉を聞いても、私の信仰は揺らぎません。
> 私に対するキリストの愛は消えないからです。
> その愛を桃栗さんにも知ってほしい。
> そう思っています。
> でも私には、こうして話すこと以外に何もできません。
> 桃栗さんが知る以外に方法がないからです。

> ここまで読んできて感じることは、桃栗さんは私を見ておられないのだなということです。
> 私ではなく、桃栗さんが出会ったクリスチャンに、私を重ねて見ておられるのだと。
> 私の言葉を聞いて下さい。
> 「クリスチャンという嫌な奴らの一人の言葉」ではなく。

ここまで言いながら、まことさんは自分の信仰を確立した体験を具体的に話して
いません。しかし、ご自身のブログで公開しているので、ここで紹介します。

それは5部に分かれ、中核を成す4と5は、"ワーシップしよう!"というブログ
ttp://praiseandworship.blog.fc2.com/
の2011-08-24と2011-08-25の記事です。同時に、
"とある真実の基督馬鹿"という、別のブログでも公開されました。

http://blog.goo.ne.jp/praise-worship/e/d91f6a8542fd7b19ad0d498c0949950a
http://blog.goo.ne.jp/praise-worship/e/e7e7310860c9bf242f18810fd232cbd5

簡潔に要約します。まことさんはクリスチャンホームに生まれ、父親に勧め
られて洗礼(バプテスマ)を受け、中高生キャンプによって、信仰を育てら
れていました。

高校生のとき、一人の女性を本当に好きになりましたが、失恋し、自分と相手、
人間の愛に絶望し、悩みました。しかし、しかし聖書には、「あなたは高価で
尊い。あなたは私を愛している」という、幼い頃から何度も聞いてきた神の
言葉があり、自分の中に無い愛がそこにあるような気がしました。

以下、第5部の終わりまでのクライマックス的な文言を、そのまま引用します。

|そんな思いを抱えながら、飛び込んだHi-b.a.という団体の高校生クリスチャンキャンプ。
|そこで、私はキリストの愛と再び出会いました。
|こんな無価値な自分。
|人を愛すること、大切にすることができず、傷つけることしかできない自分。
|いっそいなくなってしまった方が良いのではと思うくらい、心の内の汚い自分。
|そんな自分のために、鞭打たれ、血を流し、両の手と足を太い釘で打ち抜かれ、血を流し、
|愛する天の父から、最愛のひとり子であるにもかかわらず、無視され、むしろ否定され、
|「おまえはなんということをしたのだ!おまえの罪の故に、おまえを裁く」という死の刑罰を、
|血と涙を流しながら受け止められた。

|その罪は、私が負うはずだった罪・・・!
|その十字架は、私がかかるはずだった十字架・・・!
|その死の刑罰は、私が受けるはずだった刑罰・・・!

|それらを私のために一身に背負って、なおも、その傷ついた両手を広げて、私を包んで下さる。
|私はただ、そのキリストの前に、感謝することしかできないのでした。
|そして、この時知った愛は、それ以来揺らぐことはありませんでした。

私がこれを引用したのは、もちろん賛同する趣旨ではありません。
この人が桃栗さんのブログのコメントに書かない、上の信仰体験、特に
罪の意識について、桃栗さんと他の皆様の参考に供するためです。

皆様がお気づきであろうことを1点、手短に申します。

桃栗さんは2010年8月と9月の下記の記事でもその他でも、罪の
意識を吹き込み、神の救いを信じるように仕向ける、キリスト教の
からくりを、苦しかった経験に照らし、一貫して批判しています。

キリスト教は「罪の意識」を植え付ける宗教
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-95.html

キリスト教は「罪の意識」を植え付ける宗教 その2
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-96.html

まことさんの信仰体験も、罪の意識で自分を責め、神の救済を信じて
歓喜するという思考パターンであることは、上の引用から明らかです。

まことさんは、失恋がきっかけで罪の意識を持ったと、桃栗さんに
はっきり伝えずに、キリストの愛ばかり強調し、桃栗さんに理解して
もらおうとしています。

(追記:編集でURLリンク一部修正)
2011-09-04 日 17:18:04 | URL | AC [編集]
Re: 善と悪
> 私も、昔はクリスチャンでしたが、キリスト教に疑問を感じてやめてしまいました。
> キリスト教でいう「善と悪」という教えに縛られて精神的に参っていました。 でもよくよく考えてみたら、「善と悪」から遠くに離れて生きていたほうが、より自由に人間らしく生きられると感じました。

体験談をどうもありがとうございます。
私も、常に「罪の意識」を感じる信仰生活でした。
また、キリスト教の神に対してだけではなく、
道徳的、法的にもいつも罪の意識というか、
何か後ろめたい気持ちがどこかにありました。
自分という人間に自信が持てませんでした。
信仰を捨てた今、自分に特別大きな自信が付いたというほどでもないですが、
少なくともクリスチャン時代よりはずっと自由に物を考えるようになりました。


> キリスト教でつらい経験をされた方、キリスト教を信じる、信じないは
> 個人個人の自由ですが、私だったら2度と信じない・・・、信じないほうがいいと感じました。

私もいちおうは宗教は個人の自由だとは思っています。
個人的にその人がその宗教を信じて幸せを感じているなら、
それはそれでいいか、と思います。
が、キリスト教の場合、一神教であるがゆえに、
信仰している人は「これが絶対正しい!」と思い込むところがあり、
それを信じない人のことを愚か者のように見るのが嫌いですね。
私もこんな宗教は二度と信じません。


> 疑問を持たれた方、ぜひニーチェの本を読んでみてください。
> 目からうろこが取れるくらい、腑に落ちます。

いつかは読んでみたいと思っていますが、
実現するのはいつの日か。。。。
2011-09-04 日 20:19:18 | URL | 桃栗 [編集]
タコさんのコメント濫発と勘違い
昨夕、"最近のコメント"欄がこんな酷いことになっていました。

 桃栗:未成年に飲酒をさせる教会 (09/08)
 タコ:久々に牧師さんと話をしました (09/08)
 タコ:もしもアブラハムが現代にいたら? (09/08)
 タコ:血がつながっていないイエスの家系図? (09/08)
 タコ:学校の生物の授業に戸惑う (09/08)
 タコ:学校の生物の授業に戸惑う (09/08)
 タコ:マザー・テレサとその裏世界 (09/08)

これは氷山の一角で、タコさんは1人で、議論が止まった昔の記事を
次々と掘り返し、変なコメントを連発しています。巨大虎猫さんがたまり
かねて、"久々に牧師さんと話をしました"(2009-09-06)のコメント欄
で、この人を牽制しました。

タコさん1人によるコメント濫発は、度を越していると思います。
しかも、記事とコメントをよく読まず、勘違い批判をしています。
勘違いの2つの例をここにまとめて書きます。

● タコさんの勘違い批判 例1
学校の生物の授業に戸惑う 2007-05-06
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-9.html

ここで桃栗さんは、ある訪問者からの批判に対し、
>貴方様のコメントは進化論の否定に終始するだけで、
>残念ながら私の疑問への答えとはなっていません。
>「タイトル通り」とありますが、
>このタイトルのどこに進化論を肯定する意味が含まれていますか?
>誤解をされているようですが、
>私は進化論が正しいとは一度も発言していません。
>私が疑問に思うのは、
>世間では進化論が正しいことになっているのに、
>なぜクリスチャンがそれに反論しないのかと言うことです。
>もし、本当に創造論が正しいなら、
>学校教育で聖書を教えるように主張したっていいのに、
>アメリカの一部の団体の話を除いてそういう話は聞きませんね。
>もし本当に100%創造論が正しいと思っているなら、
>堂々と文部科学省に主張してもいいと思うのですが、
>少なくとも国内ではただの一度もそういう話を聞きません。
(2007-12-23 日 10:18:16)
と答え、その後も同趣旨を、無理解な訪問者に重ねて強調しました。

その数年後の今になって、タコさんはまったく同様に、桃栗さんの疑問を
誤解して答えず、進化論の否定に終始する発言をし、進化論否定の
URLリンクをいくつも貼りました。しかも、
>ちなみに、ダーウィンは最期には、自分の唱えた進化論は
>間違っていたと語ってから死にました。
という、有名なガセネタ(注)まで付けて。
(2011-09-08 木 17:21:37)(2011-09-08 木 17:27:19)

(注)"使ってはいけない「ダーウィンは死の床で撤回した」を使う牧師"
http://transact.seesaa.net/article/114142536.html

● タコさんの勘違い批判 例2
汝の隣人を愛せなかったイエス様 2 2008-12-21
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-44.html

ここで、桃栗さんが、聖書の教えに例外があるというレオさんに対し、
>つまり、聖書の言葉に従わなくても、
>例外は認められるとおっしゃるのですね。
>ということは、「汝殺すなかれ」という言葉にも例外が認められ、
>時には人を殺しても良いということでしょうか?
[以下略]
(2009-01-20 火 21:34:23)
と批判しました。

するとレオさんは、「正当防衛」や「緊急避難」を持ち出し、法律でも例外
は認められると主張しました。
(2009-01-22 木 21:52:01)(2009-04-04 土 11:48:34)

桃栗さんは、これをはぐらかしと見抜いて批判しました。
>私は聖書の話をしているのに、
>いつのまにか法律の話まで持ち出して
>ご自分の主張をなさっているだけです。
(2009-05-05 火 22:05:48)

だから、桃栗さんが法律の話をしているように見える部分も、相手のごま
かしを突いているのであって、相手は感情的な言葉を繰り返すだけにな
りました。
(イエスの律法主義者批判と比較すると、桃栗さんは不本意?)

その数年後の今、タコさんは、羊や牛を移動させたこと自体が法律問題
にされたと勘違いして、

>縄の鞭で地面を叩いて羊や牛を移動させた事が、何で緊急避難や
>刑法や法律の話しになるのでしょうか?
>牛の尻ぐらいは叩いたかもしれませんが、ハエを追い払うのに当
>の牛さんが自分の尻尾でしょっちゅう叩いてますが…
>麦の穂などの代用品があれば、それで叩いて追い払ったでしょう。
>少なくとも商品ですから傷など与えたら、儀式の生け贄用には
>なりません。よって酷く叩けば弁償しなければなりません。

>聖書がシンプル過ぎる事からくる読み間違いですね(^_^;)。
(2011-08-26 金 14:15:20)

と、自分の読み間違いによる的外れなコメントをしました。
2011-09-09 金 07:33:16 | URL | AC [編集]
信仰とは、神を信じる代わりに自分自身を見失う
自分の心に鞭打ってまでも、キリスト教を信じることはとてもとてもツライこと、
私が見た信仰というのは、神を信じることと引き換えに、
自分自身を捨てること、自我そのものを失うこと、自分自身を見失うことなんです。退廃そのものです。人の力がみなぎって生きようとする人間本来の本能がダメになって、覇気の無い人間になってしまうんです。
心が病んでいるので目が虚ろな人間になってしまう。

自分の人生にウソをついてまで生きたいとは思いません。
宗教の教えに縛られる生き方は、人の考える力を損なわせ、
人の生き方すべてを聖書に書かれてある言葉に縛り付ける、
聖職者や牧師が聖書を悪用してしまえば なおさらでしょう。

2011-09-10 土 11:47:28 | URL | すすき [編集]
キリスト信仰を辞めるのにも理由(わけ)がある
宗教を信じるか、信じないかは、個人の問題であると、私は言いましたけど、信じている人はキリスト教を信じて幸せを感じているから、心が満たされているからであって、信じてない人にとやかく言うことは無いと思います。

信じていない人、キリスト教の信仰を捨ててしまった人はツライ過去があったから、キリスト教を信じたゆえに本当に惨めな人生を刺し通されてこられて身を削る思いで心を痛めてしまったから、だからこそ信じようとする気力すらないのです。 本当に辛いクリスチャン人生だったからこそ、教会の敷居を2度と踏まない・・・と、キリスト教そのものに見切りをつけたのです。
それが、どうしてクリスチャンの方にはわからないのでしょうか?
キリスト教を辞めてしまうのにも理由(わけ)があるのを知ってほしいと思います。
2011-09-10 土 12:10:35 | URL | すすき [編集]
巨大虎猫様

先日は記事のコーナーでコメントの感想を頂きまして有難うございました。 「巨大虎猫」という素敵なネーミングと勉強になるコメントに魅力を感じております。

>歴史書を読むのを止めるように言われました。
>事実上の破門

驚きました。
疑問を持ち真実を知りたいという気持ちの否定なんですね。
支配をしたい人やグループにとって、「疑問を持つ人や考える人は、思い通りに動いてくれないのでやりにくくてしょうがない」という存在なのでしょうね。私は感情的なので、そんなとこ破門になって良かった!と感じてしまいます。

>現実の世界で生きていくのに長い「治療」が必要・・・

こちらのブログを読ませて頂いていて感じるのは、真摯な姿勢で真面目に正面から信仰に取り組まれた方に傷つかれている方が多いように感じます。
そして、真面目なⅡ世さんの方で傷の深い方は世の中にかなりの数いらっしゃるのではないかと思います。
子供は無力なので痛々しさを感じます。
最近、私たち大人に何が出来るのかを考えさせられる日々です。
2011-09-15 木 13:53:45 | URL | ワイン [編集]
「学問は救いには無関係だからやめなさい!」
>ワインさん

数多くのクリスチャンにとって、「真理」とは聖書や教会の中にのみ求めることができるものなのです。学問は真理ではないのです。そして、「歴史の真相」が何であったか?と考えている暇があったら、もっと聖書を読んだらどうだ!というのです。ましてや、聖書の成立過程やイエスの実在を詮索したり、教会を批判したりするような学問などやめてしまえ!という訳です。
他の所でも何度か書きましたが、ある福音派牧師の主導の下、私が「大学をやめるまで」徹底的な嫌がらせをする旨の宣言をしたクリスチャンのグループもありましたし、信徒たちの面前では善人面していた牧師夫人(単立教会の人で、このグループの黒幕の一人)が誰もいないところで金切声を上げて汚い言葉で私の読書好きと音楽好きを咎めた、ということもありました。
「神の愛」を説く一方で、考えと立場の異なる人々を迫害し、時には残忍な手段で命まで奪ってきたのがキリスト教です。あのような人々を見てもいまさら驚きはしません。

ところで、キリスト教の暗黒の歴史について公然と議論ができるクリスチャンのコミュニティーはあるのでしょうか?私は、ほぼ皆無ではないかと思います。
2011-09-24 土 23:14:10 | URL | 巨大虎猫 [編集]
「学問は救いには無関係だからやめなさい!」
>ワインさん

数多くのクリスチャンにとって、「真理」とは聖書や教会の中にのみ求めることができるものなのです。学問は真理ではないのです。そして、「歴史の真相」が何であったか?と考えている暇があったら、もっと聖書を読んだらどうだ!というのです。ましてや、聖書の成立過程やイエスの実在を詮索したり、教会を批判したりするような学問などやめてしまえ!という訳です。
他の所でも何度か書きましたが、ある福音派牧師の主導の下、私が「大学をやめるまで」徹底的な嫌がらせをする旨の宣言をしたクリスチャンのグループもありましたし、信徒たちの面前では善人面していた牧師夫人(単立教会の人で、このグループの黒幕の一人)が誰もいないところで金切声を上げて汚い言葉で私の読書好きと音楽好きを咎めた、ということもありました。
「神の愛」を説く一方で、考えと立場の異なる人々を迫害し、時には残忍な手段で命まで奪ってきたのがキリスト教です。あのような人々を見てもいまさら驚きはしません。

ところで、キリスト教の暗黒の歴史について公然と議論ができるクリスチャンのコミュニティーはあるのでしょうか?私は、ほぼ皆無ではないかと思います。
2011-09-24 土 23:17:23 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 本当に、ありがとうございます。
> >私もクリスチャンの「上から目線」に疑問を感じます。
> >キリスト教は「隣人愛」を謳う宗教なのに、
> >どういうわけかそれを「信じている人たち」は、
> >「信じていない人たち」に対して見下すようなところがあります。
> そういうクリスチャンもいると思います。
> ですが、そうでないクリスチャンもいます。
> そして、クリスチャンでなくてもそのような人はいるでしょう。
> とにかく、私の発言もそのように聞こえてしまったのなら、申し訳ありませんでした。
> そのことはvictimさんにも謝罪しました。
> しかし私はクリスチャンですが、そのようにはなりたくないと思いながら、言葉に気をつけながら話しているつもりです。


クリスチャンには自覚がないのでしょうが、
キリスト教は一神教であるがゆえに、
自分たちが信じているものが唯一この世で正しいと錯覚しています。
それだけに、信じていない者に対して、
残念だ、嘆かわしい、神を信じないことはおかしいなど、
無意識のうちに上から目線になってしまうものです。
まするで特権階級意識でもあるのかと思います。


> >私がクリスチャンが嫌いな理由は、
> >このように聖書の教えを誇らしげにとうとうと説くのに、
> >実際には正反対のことばかりしているからです。
> 誇らしげに説いているように聞こえますか?
> どのような部分からそう感じましたか?
> 私自身は、自分の知恵や知識でそのことを知ったわけではありません。
> ただ恵みによって、聖書から教えて頂いたのだと思っています。


では、「誇らしげ」ではないとおっしゃるなら、
「自信なさげ」とでもおっしゃるのでしょうか。


> ただ恵みによって、聖書から教えて頂いたのだと思っています。

この部分が「誇らしげ」なのです。
あたかも聖書を理解できない者を見下しているようにしか感じません。


> >クリスチャンは天国に行きたいと思っているわけですよね。
> >では、本当に聖書の教えの通りに全財産を貧しい者に捧げていますか?
> >また、「貧しい者は幸いである」とも言いますが、
> >では、クリスチャンは不景気になって家計が苦しくなると幸せを感じているのですか?
> その箇所で言われている「貧しい」という言葉は、「心の貧しさ」を表しており、そう訳されることもあると言います。
> 心がいつも何かに満たされていて、神様が必要ない人ではなく、いつも心に飢え渇きがある「心の貧しい人」を神様は喜ばれるという意味です。


みなさん、ご覧になりました?
これぞクリスチャンの典型的「こじつけ」の見事な実例です。
クリスチャンは、「聖書にこう書いてある」と文字通り信じる一方、
いざ聖書の矛盾点を指摘すると、
「その言葉はそういう意味ではない」云々と、
文字通り解釈しようとしません。
私が前々から何度もくどいほど言ってきたように、
クリスチャン聖書の解釈は、
その場その場の都合で文字通り解釈したり、
文字と違うように解釈したりして一貫性がないのです。
その実例を見せてくださってありがとうございます。


> >違うでしょう?
> >神に向かって景気の回復を祈るわけでしょう?
> >本当に天国に行きたければ、貧しいほど喜ぶべきなのに、
> >貧しくなるとなぜか神に助けを求めるのです。
> >結局、「困った時の神頼み」なのです。
> そうではないと思います。
> クリスチャンは、困ったときだけでなく「いつでも神頼み」の生き方をする人だと思います。

>
> >貴方は、天国に入るために全財産を貧しい者に捧げていますか?
> していないでしょう?
> >それなのに、キリストのその教えを誇らしげに説く態度が不愉快です。
> >クリスチャンたちはキリストの教えをちっとも実行していないのに、
> >「私たちには天国への道が約束されている」などと誇らしげに言うのですから本当に不思議なものです。
> 確かに、全財産を貧しい人に施してはいません。
> 私には職場が与えられています。
> 職場で関わる人たちに、日々精一杯仕えていこうとしているつもりです。
> また、家族がいます。
> 家族にも精一杯愛を示していこうとしているつもりです。
> 一人ひとりに、神様から任されている「自分の十字架」があると思います。
> 天国にはいるためにそれをしているのではありません。
> 後で書きますが、キリストの愛を知ったから、そうせずにはいられないんです。
> あなたが言うように、全ての人がクリスチャンになって、全ての人が持ち物を売り払って施したら世界は成り立ちませんね。
> 神様が言われているのは、そういう外面的なことではなく、内面的な心の状態のことだと思います。
> 先ほども書きましたが、「心の貧しさ」。
> その「心の貧しさ」があるならば、貧しい人を見るときに、傷ついた人を見るときに、手を差し伸べてあげようという心は自然とわいてくるでしょう。
> 物を売って施すという、形が重要なのではないと思います。

ですから、それを「こじつけ」と言うのです。
クリスチャンに聖書の矛盾を指摘すると
「それはそういう意味ではない」などと言い逃れをする習性があります。
直接牧師さんに聞いた時もまったく同じでした。
「聖書は文字通り解釈するものではない。
聖書というものは聖書に沿った解釈をするものだ」
と言われました。
では、聖書に沿った解釈ってなんですか?
その場その場で都合よく解釈するのが「聖書に沿った解釈」でしょうか。


> 私がいつ、あなたに「信仰が足りない」「正しく理解していない」と言いましたか?
> 「自殺したのはその人が本気で神を求めていないから」と言いましたか?
> 私が言いたいのはそういうことではないんです。
> もう一度、よく読んで下さいね。
> 悲しいです。


遠回しに言っているではありませんか。
貴方の言い分を逆に言い換えればそうなります。


> それに対して、私が思う本当の「クリスチャン」は、キリストに対面し、キリストの愛に触れ、それに感動し生き方が変わった人たちです。

私が思う本当のクリスチャンは、普通の人より頭が変わった人たちです。

> >しかも、その知人以外に、その教会ではもう一人の自殺者が出ています。
> >これも、貴方に言わせれば
> >「2人も自殺者が出たのは、その教会が本気で神を求めていないから」
> >ということなのでしょうね。
> そのように心を痛める出来事があったということを聞くと、本当に、何と申し上げたらいいか分かりません。
> 私自身も、ただ心を痛めるばかりです。
> ですが、私は「2人も自殺者が出たのは、その教会が本気で神を求めていないから」と、そのような心無い言葉を言いたいとは思いません。

ですから、貴方の言い分を逆に言い換えるとそうなります。
気付いてください。


> それなのに、クリスチャンであるというだけで、そのような心無い言葉を、私自身の言葉とされることは、非常に不本意です。
> 怒りすら覚えます。

ええ、どうぞ好きなだけ怒って下さい。
汝の隣人を愛せない偽善者さん。
このように言うと、クリスチャンはまた
「イエスの言った”愛せよ”とはそういう意味ではない」など
言い訳ばかりするのがお約束です。


> あなた自身が、忌むべき過去のクリスチャンと出会ったことを通して、同じように排他的な心を持ってしまったという皮肉な現実に気づいて下さい。

民主党の小沢さんが言ったように、
キリスト教は排他的な宗教だという現実に気付いてください。


> これからも、足を運びます。宜しくお付き合いください。

[色:0000FF]お断りします。
2011-09-27 火 22:15:23 | URL | 桃栗 [編集]
>キリスト教は排他的な宗教だという現実に気付いてください。

私もそうおもいます。 排除的という言葉に当てはまるかわかりませんが、
キリスト教って人間を釣ると言いぬかしておきながら、
やっていることは信者たちを牧師たちの自分の都合に合うか合わないか、
使えるか使えないかを試しているという感じがします。

キャッチアンドリリースというよりは、自分の欲望に叶う信者を自分の教会に留まらせて、反対意見や疑問を持っている人たちをことごとく排除しているというように感じられます。

宗教職を仕事としている人たちは物事の考えかたや品性にいたるまで
レベルが低いと感じるのは私だけでしょうか?
聖職者である前に人間としての素質を・・・、
キリスト教という宗教である前に、人々の魂を・・・、健全な心を・・・、
活かす宗教哲学であるかどうかを疑うべきだと私は思います。

クリスチャンは同じ信仰の屋根の下にあるのもかかわらず他のキリスト教派を上から目線で見る、他宗教や他教派を見下そうとするクリスチャンの心が信じられないです。

自分が行っている教会や、自分が信じている教派が絶対だと思いこんでいるところから、こういう感情は生まれてくるんだろうなと思います。
2011-09-28 水 14:28:50 | URL | すすき [編集]
こんなもののために生まれたんじゃない
私はキリスト教は無欲の象徴だと感じています。昔から命あるものや人間の生にことごとく対立しているのがキリスト教なのです。
人間の生をいかがわしいものにし、信じるものの心に無の感情が入ることが、私はとても恐ろしいのです。
命あるものや生に対立しているというのは、キリスト教が生物進化論や科学を真っ向から否定しているからです。科学というのは、考える力や文明も含めてです。人々の社会の進歩や技術が発展しようとするすべてを科学といいます。キリスト教はこういった人間の発展するすべてに対立しているのです。教えの中に人々の欲を抑制する教えが入っているものもキリスト教の特徴。

「神は、知恵あるものを辱めるために、この世の愚かなものを選び、強いものを辱めるために、この世の弱いものを選ばれた」(Ⅰコリント1章27節)
「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」(マタイ19章23~24節)」

キリスト教の教えは上流階層、エリート階級の教えではありません。下層民族の教えであって、人々を無の奴隷にするのがキリスト教の本質なのです。
民を無の奴隷にして支配者だけが贅沢三昧、7つの欲を楽しんでいるのです。
キリスト教は人々に不幸そのものを作り上げてきました。人の弱みに付け込んで生きながらえているのです。
また、教えに悪魔というキーワードがあるので、クリスチャンの心を握るのに使われていると思います。

キリスト教を信じなくなったものには、本当に見下す態度があるのが嫌いです。
悪魔に取り付かれたと思っているんでしょうね~。
敵対心をむき出しにして見下すので、愛のないしたたかなクリスチャンだな~、と感じます。


鬼束ちひろさんの「月光」にある歌いだしのフレーズ

I am GOD CHILD (私は神の子供)
この腐敗した世界に落とされた
How do I live on such a field? (こんな場所でどうやって生きろと言うの?)
こんなもののために生まれたんじゃない

このフレーズをみると共感してしまいます。
私たちは腐敗した人のために生まれたんじゃない!!
7つの欲望を貪り、人々を無欲の奴隷にする支配者、独裁者のために生まれたんじゃない!!
ただ、純粋に神を信じたいだけ・・・、神様の存在がピュアな存在なら、神の御心が純粋無垢な御心なら、私はずーと信じていた、
だけど今のキリスト教の教えを見ると、とても受け入れられない・・・、
人間の思惑というか、人の手が加えられているとしか思えなくなったから、
それを神の言葉と受け入れることは、私にはできない。

信仰というのは、ある意味、自分自身の心を騙すところがあると思います。
信じるだけなら、いいのですが、信じすぎて思い込みすぎると、自分の感情や思考が麻痺してしまう。これは一つのトラップ(罠)だと思わざるを得ない・・・、

マインドコントロールもそう、人の口車に乗せられ、思い込まされる、罠にはまるんです。
2011-09-30 金 11:53:10 | URL | すすき [編集]
天国を夢見る生き方、非現実的な生き方は、
この世の人生を捨ててしまっているようなものだと
私は感じます。

この世にいながら意識だけは、あの世、異次元空間である天界に
心が行ってしまう。人生でこんなに空しいものはありません。
いったい何のために、この世に生を受けてきたのか
生まれた意味さえもあいまいになってしまうような生き方はダメだと思います。
2011-09-30 金 13:23:09 | URL | すすき [編集]
はじめまして。最近宗教を勉強し始めたものです
カトリック・プロテスタントなんかより証人の方がよほど聖書に忠実でまともだなぁ
なんて疑問に感じ、調べていてこちらへ辿り着きました
元信者の方の考えを知ることができて大変勉強になりました。ありがとうございます
ではでは
2011-10-10 月 22:36:30 | URL | あめかわ [編集]
Re: タイトルなし
> はじめまして。最近宗教を勉強し始めたものです
> カトリック・プロテスタントなんかより証人の方がよほど聖書に忠実でまともだなぁ
> なんて疑問に感じ、調べていてこちらへ辿り着きました
> 元信者の方の考えを知ることができて大変勉強になりました。ありがとうございます
> ではでは

こんにちは。
私がエホバの証人をキリスト教の比較対象として興味深く思う理由のひとつは、
彼らが(あくまでも)部分的に聖書に極端に忠実なところです。
例えば、モーセの十戒では偶像崇拝を完全否定していますので、
エホバの証人の王国会館の造りは、意外にも簡素です。
彼らは豪華な飾り付けを有り難がるようなことはしないようです。
一方、キリスト教会はどこもとんがり屋根のてっぺんに十字架を飾っていますよね。
少しでも神に近付こうという心理の表れでしょうけど、
人間が高い塔を作ったがために神の戒めを受けたことをお忘れのようです。
(創世記11章のバベルの塔の話)
カトリックの大聖堂などは豪華絢爛たる造りのところが多いですよね。
どういうわけか聖書では出番が極端に少ないはずのマリアの像を飾っていますよね。
私はエホバの証人よりも、カトリックの方がよっぽど聖書から離れていると思います。
だからといってエホバの証人が正しいというつもりは毛頭ありませんが、
要するに、キリスト教では聖書という「カルト本」を神聖視する以上、
あのような宗派が生まれてしまうのは当然の結果と言えます。
2011-10-22 土 12:38:44 | URL | 桃栗 [編集]
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2011-10-29 土 20:03:10 | | [編集]
はじめまして
桃栗さん、はじめまして。
ここしばらくおもしろく記事を拝読しています。
自分のことなのですが、私はバプテストの教会で受洗しました。
その後、牧師の考え方と教会のあり方に疑問と失望をおぼえ、離れました。
イエスさんには興味があるので、聖書や関連本は読んでいます。
でも、旧約は読まず、新約もマルコが中心です。
パウロはいっさい読みません。
イエスさんは人間だと思うので、三位一体はアホみたいです。だからアリウス派に近いのかなと思います。
イエスさんの肉体的な復活もなかったと思います。
でも、イエスさんは救世主(キリスト)であろうとした、とは思います。
人類を救う救世主とは思いませんが、あの時代のある人々を救おうとしたのだと思います。その生き様や言動はソクラテスが人々を無知から救おうとしたのと同じように、イエスさんも人々を傲慢や偽善から救おうとしたからです。
イエスさんを庶民的なセム系のおじさんと見れば、言動はおもしろおかしく思えて、好きなタイプです。言っていることはほとんど実践できませんが、私にとっては考え方や行動のひとつの指針でもあります。
さて、このような私ですが、自分は自分をキリスチャン(キリスト教徒)だと思っています。一般のクリスチャンとは揉めそうですが。。。まあ、呼称にはこだわっていないので、イエス愛好者、イエスファンでもいいのです。
桃栗さんは私のようなキリスチャンをどう思いますか?
よろしければコメントをよろしくお願いします。





2011-11-08 火 22:35:45 | URL | ボタンがひとつ [編集]
私だけじゃなかったんだ!
はじめまして。
私もクリスチャンホームに育ち、20年以上苦しんできた一人です。

今まで疑問や怒りを感じるのは信仰が弱い自分が悪いのだと言い聞かせて生きてきたので、
桃栗さんをはじめ、同じように苦しんできた方々のコメントを読んでとても救われたような気がします。

「本気で求めれば分かる」「心から信じれば救われる」

このような言葉は本当に私もクリスチャンが使う常套句だと思います。
(信者を言いくるめようと思って使っている人が全てではないでしょうが)
仮に真実だったとしても、何を持って本気かなんて定義もないし、他人がとやかく言うことではない。
そんな事を平気で言う人達より傷ついてきた人の方がよっぽど本気で祈り求めてきたと思います。

散々悩み傷ついてきた人がそんなことを言われて素直に
「よし、もっと祈り求めていこう!」なんて思えないでしょう。
「じゃあ本気で求めていない自分が悪いのか」と劣等感を抱いて当然です。

そしてとっても厄介なのはこのようなことを言う人達に『悪気が無い』人が多いということです。
カルトっぽい教会はこの常套句を悪意で使っていそうなのでそれも最悪ですが…。

神と出会い、新しく人生が与えられたような体験をした人達はとても前向きで輝いています。
だから、苦しい体験をした人に対して「本気で求めないあなたが悪い」という意味よりも、
「自分の様に神の愛を体験してほしい」と思って言っているのでしょう。
でもそれは“望んでも子供が産めない人”に“子供を産み育てることの幸せ”を
嬉しそうに語るようなもので、聞かされる方は不愉快です。
いわゆる本物のクリスチャンと言う方々の人生を軽んじている訳ではありませんが、
その神の愛を知ったピュアな方々の発言はどうも世間知らずで幼稚な残酷さを感じます。
そしてこんな事態を放っておいているようにしか見えない神にも腹が立ちます。

長くなりましたが、また意見や疑問があったらコメントさせてください。
それでは。


2011-11-10 木 14:15:24 | URL | skye [編集]
Re: はじめまして
> 桃栗さん、はじめまして。
> ここしばらくおもしろく記事を拝読しています。
> 自分のことなのですが、私はバプテストの教会で受洗しました。
> その後、牧師の考え方と教会のあり方に疑問と失望をおぼえ、離れました。

はじめまして。
教会に疑問と失望を覚えられたということですが、
客観的にキリスト教を見ることができるのは良いことだと思います。
私から見ればある意味でうらやましいです。
物心付く以前からキリスト教の中で生活してきた私は、
自分の信じている宗教を「客観的に」見ることができなかったのです。
それこそ、神を疑ったり疑問を持つことさえ「罪」だと信じていましたので、
キリスト教や教会を疑うなどとは考えも付きませんでした。
そのようなわけで、キリスト教から離れるまでずいぶん時間がかかりました。


> イエスさんには興味があるので、聖書や関連本は読んでいます。
> でも、旧約は読まず、新約もマルコが中心です。
> パウロはいっさい読みません。

読まない方がいいです。
パウロの書簡は自己陶酔の世界に過ぎません。
人類はアダム以来みな罪人だ、善い行いをしても救われない、
キリストを信じた者しか救われないなど、
同じ内容を何度も何度も繰り返し書いているだけです。


> イエスさんは人間だと思うので、三位一体はアホみたいです。だからアリウス派に近いのかなと思います。

私も三位一体の教義は非常に強引な教義だと思います。
私はクリスチャン時代、三位一体がさっぱり理解できませんでした。
逆に、信仰を捨ててネットの情報を見ていてやっと理解できました。


> イエスさんの肉体的な復活もなかったと思います。
> でも、イエスさんは救世主(キリスト)であろうとした、とは思います。
> 人類を救う救世主とは思いませんが、あの時代のある人々を救おうとしたのだと思います。その生き様や言動はソクラテスが人々を無知から救おうとしたのと同じように、イエスさんも人々を傲慢や偽善から救おうとしたからです。

確かに、イエスは正義感が強かった一青年とも解釈できますね。
終始、律法を振りかざす人たちを批判していましたからね。
どうして神様にされたのでしょうね。
クリスチャンは「聖書にこう書いてあるから」と言いますが、
起源もはっきりしない書物をどうして正しいと信じられるのか不思議です。


> イエスさんを庶民的なセム系のおじさんと見れば、言動はおもしろおかしく思えて、好きなタイプです。言っていることはほとんど実践できませんが、私にとっては考え方や行動のひとつの指針でもあります。
> さて、このような私ですが、自分は自分をキリスチャン(キリスト教徒)だと思っています。一般のクリスチャンとは揉めそうですが。。。まあ、呼称にはこだわっていないので、イエス愛好者、イエスファンでもいいのです。
> 桃栗さんは私のようなキリスチャンをどう思いますか?

例えば、小説の主人公のファンになるのと同じ感覚でイエスのファンになり、
聖書の言葉を「諺」や「格言」と同じように生活の指針とするのなら、
それはそれでいいと思います。
私が反感を覚えるのは、
聖書の言葉を真実だと信じ、それを他人に対して振りかざして見下したり、
あるいは非信者に対して「あなたが救われないのは残念だ」と憐れんだりすることです。
その「押し付けがましさ」、「恩着せがましさ」が鼻に付くのです。

なお、私はイエスは好きでも嫌いでもありません。
嫌いなのは、イエスを「神」に祭り上げてしまった人たちです。
イエスはユダヤ教に染まった変わり者だったのではないかと個人的には思っています。
どこの宗教でもそうですが、
その宗教を信じきっている人には「変わり者」が多いと思いませんか?
イエスもそういう類の人間だったのではないでしょうか?
あくまでも「個人的見解」です。
2011-11-12 土 22:22:02 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 私だけじゃなかったんだ!
> はじめまして。
> 私もクリスチャンホームに育ち、20年以上苦しんできた一人です。

こちらこそはじめまして。
私の方も、skyeさんのような書き込みを見ると、
「私だけじゃなかったんだ!」と切に思います。
私の知る範囲では、キリスト教にハマった人は一世が圧倒的に多いです。
逆に、クリスチャンホームに育った人は、
幼い頃からキリスト教を強要されてきたせいか、
逆に教会から離れる人が多いようです。


> 今まで疑問や怒りを感じるのは信仰が弱い自分が悪いのだと言い聞かせて生きてきたので、
> 桃栗さんをはじめ、同じように苦しんできた方々のコメントを読んでとても救われたような気がします。
>
> 「本気で求めれば分かる」「心から信じれば救われる」
>
> このような言葉は本当に私もクリスチャンが使う常套句だと思います。
> (信者を言いくるめようと思って使っている人が全てではないでしょうが)

まったくその通り。
クリスチャンが不信仰な人に対して使う常套句ですね。
私のブログに寄せられたクリスチャンのコメントを見れば明らかです。

と、思っていたら、ちょうどskyeさんのコメントの次にこんな書き込みがありました。
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-137.html#comment2053
実にタイムリーに良い実例が手に入りました。


> 仮に真実だったとしても、何を持って本気かなんて定義もないし、他人がとやかく言うことではない。
> そんな事を平気で言う人達より傷ついてきた人の方がよっぽど本気で祈り求めてきたと思います。
> 散々悩み傷ついてきた人がそんなことを言われて素直に
> 「よし、もっと祈り求めていこう!」なんて思えないでしょう。
> 「じゃあ本気で求めていない自分が悪いのか」と劣等感を抱いて当然です。

まるで私が書いたコメントかと思うほど同感です。
私も、自分の不信仰を責めていました。
自分は罪深くてダメな人間だとばかり思っていました。
だから、教会の外の世界(学校など)で人にほめられても、
「自分はダメな人間なのになぜほめるの?」と、
素直に喜ぶことができませんでした。
いつも自分を過小評価していたと思います。


> 神と出会い、新しく人生が与えられたような体験をした人達はとても前向きで輝いています。
> だから、苦しい体験をした人に対して「本気で求めないあなたが悪い」という意味よりも、
> 「自分の様に神の愛を体験してほしい」と思って言っているのでしょう。
> でもそれは“望んでも子供が産めない人”に“子供を産み育てることの幸せ”を
> 嬉しそうに語るようなもので、聞かされる方は不愉快です。

大変分かりやすいたとえですね。
簡単に言ってしまうと、そういう類のクリスチャンは「恩着せがましい」のです。
自分がそれを信仰して幸せになれたなら、それはそれで結構だと思いますが、
その価値観を人に押し付け、
「信じないほうがおかしい」かのように言われるのは不愉快ですね。


> いわゆる本物のクリスチャンと言う方々の人生を軽んじている訳ではありませんが、
> その神の愛を知ったピュアな方々の発言はどうも世間知らずで幼稚な残酷さを感じます。

その通り。
クリスチャンはキリスト教の価値観が一般社会で通用すると思っているのでしょうか。
キリストの教えをまともに守っていては企業社会なんかでは生きていけません。
クリスチャンに主婦が多い理由はそこにあるのかもしれません。


> そしてこんな事態を放っておいているようにしか見えない神にも腹が立ちます。

よく、「神は私たちのそばにいる」と教えられますが、
神はそばにいながら何をしているのでしょう。
それをクリスチャンに問いかけても答えようとしません。
クリスチャンはやれ神の愛だの神の恵みだの救いだのと得意げに語りますが、
都合の悪い質問にはダンマリを決め込むのがお約束です。


> 長くなりましたが、また意見や疑問があったらコメントさせてください。
> それでは。

これからもよろしくお願いします。
2011-11-13 日 19:23:29 | URL | 桃栗 [編集]
初めまして
私は、片親がクリスチャンの家庭に育ちました。
片親だけなので、ずっと家庭内で宗教戦争が起きていたような状態でした。
中学一年生で半ば強制的に洗礼を受け、将来は牧師になると決めていました。
でも、高校二年生の時に、通っていた教会の牧師が除籍されました。
理由は、不倫を何年間も隠していた、とのことでした。
私は、牧師に対して裏切られた気持ちになり、教会に行かなくなりました。
教会に行かなくなると、聖書やキリスト教徒によるマインドコントロールが薄らいできて、本当にキリスト教だけが正しく、救われる方法はキリスト教にしかないのだろうか、という疑問がわいてきました。
他にも、聖書は本当に神の言葉なのかという疑問や、敵を愛せと言いつつ戦争ばかりしているという歴史的な事実に対する不信などがものすごい勢いでおしよせました。
教会に通っている頃には、絶対に読まなかったようなキリスト教を批判する立場で書いてある本を何冊か読み、他の宗教の知識も取り入れたいと思い仏教やイスラム教の本を読み、宗教によるマインドコントロールについての本を読んだりして、やっとキリスト教を辞めようと決心しました。
その旨を教会に手紙で送ったのですが、いまだに返事はなく、ちゃんと教会から除籍されているのかどうかわかりません。
教会を辞めた当初は、クリスチャンを辞めた人間として、これからどのように生きていけばいいのか、同じような境遇の人がいないのか、ということを必死に探しました。
私の周りにはそういう人はいないのですが、こうやって桃栗さんのブログを発見できて、すごくよかったと思います。
でも、キリスト教教育は、私にとってはとても大きなことで肌に染みついているので、キリスト教徒を辞めた今でも、自分の中に罪の意識があり、自分は本当に存在していいのかわかりません。
また、キリスト教社会と、日本の一般的な社会との常識のギャップがとても大きいように思い、なかなか日本社会に溶け込むことができない自分もいます。
桃栗さんは、そのへんはどのように対処している(していた)のでしょうか。
もしよかったら、アドバイスをくださるとありがたいです。
もし、ブログに載せたくないことがあれば、個人的にメールを送って下さると、ありがたいです。
厚かましくて申し訳ありません。
2011-11-14 月 05:26:32 | URL | moonlight [編集]
Re: 初めまして
moonlightさん、初めまして。

> 私は、片親がクリスチャンの家庭に育ちました。
> 片親だけなので、ずっと家庭内で宗教戦争が起きていたような状態でした。

片親ということは、もしかしてお母様の方でしょうか?
私の知る限り、夫婦のどちらかがクリスチャンという場合、
奥様だけがクリスチャンということがほとんどです。
それが原因で旦那が離婚騒動を起こしたケースを知っています。
また、それが原因かどうか分かりませんが本当に離婚した人も知っています。


> 中学一年生で半ば強制的に洗礼を受け、将来は牧師になると決めていました。
> でも、高校二年生の時に、通っていた教会の牧師が除籍されました。
> 理由は、不倫を何年間も隠していた、とのことでした。
> 私は、牧師に対して裏切られた気持ちになり、教会に行かなくなりました。

こういった聖職者の不祥事についてクリスチャンに指摘したところで、
「人間はみな罪びとだから罪を犯してしまうもの。だから、悔い改めることが大事」
と、マニュアルどおり正当化されるのがキリスト教です。


> 教会に行かなくなると、聖書やキリスト教徒によるマインドコントロールが薄らいできて、本当にキリスト教だけが正しく、救われる方法はキリスト教にしかないのだろうか、という疑問がわいてきました。

私もあなたと同じようなような時期を経て棄教したわけですが、
教会を離れてから完全に棄教するまでずいぶん月日が経ちました。


> 他にも、聖書は本当に神の言葉なのかという疑問や、敵を愛せと言いつつ戦争ばかりしているという歴史的な事実に対する不信などがものすごい勢いでおしよせました。

まさにこれです。
信仰していた時は、キリスト教を疑うことは罪だと信じていたので、
疑問を持ちそうになってもそれは心の奥にギュッとしまいこんでいました。
それが、棄教してからすごい勢いで押し寄せてきたのです。


> 教会を辞めた当初は、クリスチャンを辞めた人間として、これからどのように生きていけばいいのか、同じような境遇の人がいないのか、ということを必死に探しました。
> 私の周りにはそういう人はいないのですが、こうやって桃栗さんのブログを発見できて、すごくよかったと思います。

私も同じことを考えました。
幼い頃からキリスト教こそがこの世の絶対的な基準だと信じていたのに、
それがもろくも崩れ去ってしまったため、
まるで自分の過去の人生をすべて否定されたような気分になりました。
これからは何を信じていけばいいのかと自暴自棄になったことがありました。
今では結論が出ています。
私がこの世で最も信じられるのは自分自身です。


> でも、キリスト教教育は、私にとってはとても大きなことで肌に染みついているので、キリスト教徒を辞めた今でも、自分の中に罪の意識があり、自分は本当に存在していいのかわかりません。
> また、キリスト教社会と、日本の一般的な社会との常識のギャップがとても大きいように思い、なかなか日本社会に溶け込むことができない自分もいます。
> 桃栗さんは、そのへんはどのように対処している(していた)のでしょうか。
> もしよかったら、アドバイスをくださるとありがたいです。

私は、キリスト教という生ぬるい?世界で育ってきたせいか、
一般社会での人付き合いがとても苦手です。
学校生活でも友人が少なく、中学に上がった頃から少なくなり、高校時代が最悪でした。
毎週日曜日には必ず教会に行っていたため友人と遊べなかったことも原因の一つです。
そうやって「人間関係を形成する能力」が育たないままに社会人になってしまったため、
毎日が戸惑いの連続であり、ストレスがたまります。
同世代の人にくらべ、どうも自分が幼いように思えてなりません。
それでも過去に散々痛い思いをしてきて自分なりに「生きる術」を身に着けていますので、
見かけ上はそつなくやり取りをしています。
ただ、平静を装うのにエネルギーを使いますね。
人に対してどうしても警戒心を持ってしまい、距離を置いてお付き合いするので、
名前を呼びかけるときでさえも身構えることがあります。

仕事中につらい時は何をしているかというと、
ブログの案を練ったりコメントへのレスを考えたりしています。
いつもレスが遅い理由の一つはここにあります。
「私がクリスチャン・ホームに生まれたばっかりに!」というやり場のない怒りが、
このブログを書く原動力でもあるのです。
「文章セラピー」とでも言うのでしょうか、
自分の気持ちを文章にすることにより、心にたまっていた何かが抜けていくのです。
実生活では自分の意見を主張できずに悔しい思いをすることがありますが、
その分、ブログでは思う存分書きたいと思います。


> もし、ブログに載せたくないことがあれば、個人的にメールを送って下さると、ありがたいです。
> 厚かましくて申し訳ありません。

まだまだお話いたいことがありますので、
時間があるときにメールを差し上げたいと思います。
2011-11-15 火 20:36:44 | URL | 桃栗 [編集]
マインドコントロールから抜け出したい
お返事ありがとうございます。
共感していただけてうれしいです。
苦しんだ子供時代に桃栗さんが友人だったらどんなに救われたか!
と思ってしまうくらいです。

>まるで私が書いたコメントかと思うほど同感です。
>私も、自分の不信仰を責めていました。
>自分は罪深くてダメな人間だとばかり思っていました。
>だから、教会の外の世界(学校など)で人にほめられても、
>「自分はダメな人間なのになぜほめるの?」と、
>素直に喜ぶことができませんでした。
>いつも自分を過小評価していたと思います。

私も自分が書いたコメントかと思うほど同感です!
いつも不信仰な自分を見て神も失望しているのではという不安が抜けません。

だからこそ桃栗さんのおっしゃる「恩着せがましい」クリスチャンには疲れます。
我が家は母親とその友人がこの「恩着せがましい」タイプで
日本の文化行事は厳禁、桃栗さんと同じように日曜は教会へ強制連行でした。
そして母は「異言」というもの(ご存知ですか?)を信じていて
私にも「神を信じていれば異言が出てくるはずだ」と強制的に言わせようとしました。
反抗したり黙っていると叩かれる事もありました。
18歳で洗礼も受けましたが、自らの意思とはほど遠いものでした。

私にとって神は四六時中ストーカーの様に自分を見張り、
何か罪を犯すたびに私を罰しようとしている存在に感じます。
ありのままで愛されているという感覚は全くありません。
「信仰が強く、ありのままで愛されること」
に何の疑問も持たずに済んでいる自信のある人達にとって、
私の様な人間は被害者意識の強い甘ったれに映るんでしょうが、
「本当に救いが必要な人は」私や桃栗さんの様に弱く悩んできた人達ではないのでしょうか?
そういう弱い人間には隣人愛ではなく裁きを下すのがキリスト教の愛なのでしょうか。

「キリスト教に見切りをつけて自由になりたい、神の存在を忘れたい」と思う反面、
「今まで苦しんできたことに何か意味を見出したい」
と思ってキリスト教にどこかしがみ付いている自分もいて
いまだに自分がどうしたいのか、どうするべきなのか分からないでいます。

あと、こういう問題って、日本だけでなくキリスト教が文化に根付いている
欧米でもある事なんでしょうか。
桃栗さんだけでなく、もしご存知の方(事情、文献、サイトなど)がいたら教えて頂きたいです。
2011-11-28 月 18:28:08 | URL | skye [編集]
クリスマスソングがヘビロテの街にて
宗教とはおおむね善の仮面を被った悪。
人類(特に西洋)も馬鹿では無い。のでキリスト教はジリ貧。

しかし、これからもこの手の宗教ははびこるだろう。
ゆすりたかりは人の常。

人の常なる事なれば、ゴキブリを見ても騒がない様な心で、
宗教に汚染されていく純真な若者をスルーするのが大人の所作というもの。

棄教者であるにもかかわらず、
電車でお腹が痛くなったりすると、お祈りしてしまう。
きっつい資格試験で落ち着ける様にお祈りしてしまう。
11月の寒いバス停で、辛すぎる仕事で疲れ果てた私は神様に話しかけてしまう。
それは例えるなら、頭のおかしい母親があんたにはお金持ちの叔父さんがいるのよ。だから困った時は助けてくれる。と言い聞かされてきた。
でも大人になって、そんな叔父さんはいない。全ては母の妄想だったと気づく。
それでも辛い時、存在しない叔父さんを思う。そんな感じかな。寒いですよ。寒いね。
この寒さが棄教者の寒さなんですよ。

信者さん達(脳内お花畑) だからって「キリスト教に戻って来いよ!」
何て言わないでね。
イワシの頭の方がまだ信憑性あるんで。
2011-12-01 木 18:44:33 | URL | victim [編集]
沢野沢庵様。
参考になるお話ありがとうございました。
様々な人たちが狭い世界から脱出していることがわかってよかったです。
本も探してみます。

> 未だに意図的に気を付けていないと、親が平気でキリスト教を吹き込んできます。
>キリスト教から完璧に決別するのはいつになるのかと思っています。

沢野沢庵さんのご両親は、今もキリスト教徒なんですね。やはり長らくマインドコントロールされていると、脱け出すなんて想像もできないんでしょうね。
私の母も、もう教会には行ってないのですが、いまだに神だの聖書だのと、かかわろうとしています。

> ドーキンス氏の著作の原本には(つまり英語版)、親から押し付けられた宗教から脱出
>する人を支援する機関のリストが全米・全英規模で掲載視されているらしいのですが、
>日本語に翻訳するときに不要だと削除したそうです。
> オウムや創価学会だけでなくて、日本にもきちんとした団体の脱洗脳組織みたいなの
>が必要だと思うのです。

ドーキンス氏の原本を見てみようと思います。
私も、日本に脱洗脳組織があるのか調べていたのですが、どうやらないようですね。
オウム真理教事件の時は、苫米地英人先生が脱洗脳をしていたみたいですが、今はどうなんでしょうね?
やはり、アメリカやイギリスに行った方がいいのかもしれませんね。お金と語学力がほしいです。
2011-12-05 月 23:30:55 | URL | moonlight [編集]
桃栗様。
お返事ありがとうございました。

>片親ということは、もしかしてお母様の方でしょうか?
>私の知る限り、夫婦のどちらかがクリスチャンという場合、
>奥様だけがクリスチャンということがほとんどです。
>それが原因で旦那が離婚騒動を起こしたケースを知っています。
>また、それが原因かどうか分かりませんが本当に離婚した人も知っています。

そうです。母の方です。
ちなみに、曾祖母が一代目クリスチャンなので、母が三代目で、私が四代目になります。
私の父はかなり温厚な人なので、幸い、離婚問題にまでは発展しませんでした。
それでもかなり、家庭環境はぎくしゃくしていました。
今は、母が教会に行くのを辞めたので、宗教によるぎくしゃくはおさまりました。
他の事で離婚しそうですけどね……。笑

>こういった聖職者の不祥事についてクリスチャンに指摘したところで、
>「人間はみな罪びとだから罪を犯してしまうもの。だから、悔い改めることが大事」
>と、マニュアルどおり正当化されるのがキリスト教です。

そうですね。
私が行っていた教会の多くの人たちは、あまり聖職者の不祥事という事実を知らないようです。
知っている人も、「牧師ではなく、そそのかした女が悪い」と言っていたと、私が教会を休止したと同じ時期に教会を変えた人が言っていました。
さらに悪いことに、牧師の釈明文には、自分の罪を悔い改めることよりも、「悪魔にそそのかされてやった」ということが書かれていたようです。
こういうときだけ都合がいいんですよね。

>私もあなたと同じような時期を経て棄教したわけですが、
>教会を離れてから完全に棄教するまでずいぶん月日が経ちました。

私も、教会を休止した後は、他の教会に行こうか、ずいぶん迷いました。
でも、キリスト教のマインドコントロールが解けていったとき、もう神の存在を信じ聖書を信じ、その通りに生活するなんて無理だと思いました。
5年ぐらいかけて、やっと棄教することができました。
しかし、まだ普通の社会に溶け込むことができません。
大学を卒業して、来年で一年になりますが、動き出せません。

>まさにこれです。
>信仰していた時は、キリスト教を疑うことは罪だと信じていたので、
>疑問を持ちそうになってもそれは心の奥にギュッとしまいこんでいました。
>それが、棄教してからすごい勢いで押し寄せてきたのです。

私は、疑問をもつことすらありませんでした。
キリスト教が全て「正しい」と思っていましたから、疑う事を知りませんでした。
完全に、思考回路が停止していました。

>私も同じことを考えました。
>幼い頃からキリスト教こそがこの世の絶対的な基準だと信じていたのに、
>それがもろくも崩れ去ってしまったため、
>まるで自分の過去の人生をすべて否定されたような気分になりました。
>これからは何を信じていけばいいのかと自暴自棄になったことがありました。
>今では結論が出ています。
>私がこの世で最も信じられるのは自分自身です。

私も、「自分の今までの人生は一体何だったんだろう」という気持ちに襲われました。まったくの空虚です。
同世代の普通に生きている人たちは、幼少~大学という期間で自分の基盤を確立してきたんだと思いますが、私は社会に出る寸前で全て失われたので、もう人生がおわったという感じです。
「この世で最も信じられるのは自分自身」ですか。
私はまだそこまで確信が持てません。
しかし、自分の周りの人たちの言う事だけを信じて、自分を全く信じていなかったから、キリスト教に人生を捧げるということができていたのかもしれません。

>私は、キリスト教という生ぬるい?世界で育ってきたせいか、
>一般社会での人付き合いがとても苦手です。
>学校生活でも友人が少なく、中学に上がった頃から少なくなり、高校時代が最悪でした。
>毎週日曜日には必ず教会に行っていたため友人と遊べなかったことも原因の一つです。
>そうやって「人間関係を形成する能力」が育たないままに社会人になってしまったため、
>毎日が戸惑いの連続であり、ストレスがたまります。
>同世代の人にくらべ、どうも自分が幼いように思えてなりません。
>それでも過去に散々痛い思いをしてきて自分なりに「生きる術」を身に着けていますので、
>見かけ上はそつなくやり取りをしています。
>ただ、平静を装うのにエネルギーを使いますね。
>人に対してどうしても警戒心を持ってしまい、距離を置いてお付き合いするので、
>名前を呼びかけるときでさえも身構えることがあります。

なるほど。
私は、中学生の時に日曜日は教会に行くからということで、部活動に入る事を諦めました。
今は、体育会系のノリが非常に苦手です。
そして、人とうまく距離をとることが難しいです。
自分の全てを受け入れてほしいという気持ちと、どうせ私のことなんてわからないだろう、という気持ちが共存しています。
ただの甘えだと言われるかもしれませんが、家庭でも教会でも共依存関係の中で育ってしまったからかもしれません。
私も生きる術を身につけられたらいいのかもしれません。

>仕事中につらい時は何をしているかというと、
>ブログの案を練ったりコメントへのレスを考えたりしています。
>いつもレスが遅い理由の一つはここにあります。
>「私がクリスチャン・ホームに生まれたばっかりに!」というやり場のない怒りが、
>このブログを書く原動力でもあるのです。
>「文章セラピー」とでも言うのでしょうか、
>自分の気持ちを文章にすることにより、心にたまっていた何かが抜けていくのです。
>実生活では自分の意見を主張できずに悔しい思いをすることがありますが、
>その分、ブログでは思う存分書きたいと思います。

書くことは、私も好きです。
嫌な事や心の中を整理するときは、紙に書いて消化しています。
桃栗さんのブログには、聖書やクリスチャンについての批判を書かれていますが、私は、そこまでする怒りと気力がありません。
怒りより空しさが勝っています。

私はキリスト教から脱出した人たちがその後、どのように生活を送っているのか、ということに興味があるのですが、桃栗さんは、キリスト教から脱出した人と実際に会って話すことはありますか?
桃栗さんのご両親は、今もキリスト教を信じていますか?信じていたとしたら、ご両親とは、どのような関係を築いていますか?
よろしかったら教えてください。

>まだまだお話いたいことがありますので、
>時間があるときにメールを差し上げたいと思います。

ありがとうございます。
いつでもお待ちしています。
2011-12-05 月 23:34:33 | URL | moonlight [編集]
Re: マインドコントロールから抜け出したい
> 私も自分が書いたコメントかと思うほど同感です!
> いつも不信仰な自分を見て神も失望しているのではという不安が抜けません。

またのご訪問ありがとうございます。
私も、今では信仰は完全になくなっているのに、
どうも企業社会の中では自分という人間に自信が持てません。
いつも周囲に対してオドオドしてしまいます。


> だからこそ桃栗さんのおっしゃる「恩着せがましい」クリスチャンには疲れます。
> 我が家は母親とその友人がこの「恩着せがましい」タイプで
> 日本の文化行事は厳禁、桃栗さんと同じように日曜は教会へ強制連行でした。
> そして母は「異言」というもの(ご存知ですか?)を信じていて
> 私にも「神を信じていれば異言が出てくるはずだ」と強制的に言わせようとしました。
> 反抗したり黙っていると叩かれる事もありました。

このような現実を日本のクリスチャンによく知ってもらいたいものです。
貴方がクリスチャンにこのような悩みを打ち明けたところで、
「どんな時にも神やイエス様は貴方を愛しておられます」
と、ワンパターンな慰めの言葉しか返ってこないものです。

私は、クリスチャンの知人が自殺で亡くなった後、
葬儀を行った教会の牧師さんに、
私が知人失ってどんなにショックだったかをメールで書き連ねました。
また、一時期このブログに何度もコメントを下さった某クリスチャンにも、
同じことをメールで書きました。
ところが、2人に共通していた言葉はこれです。

「どんな時にもイエス様は貴方を愛しておられます」

愛しているから何がどうだというのでしょうか。
クリスチャンは「神の愛」「キリストの愛」をみだりに持ち出して
なんでもかんでも美化しているだけです。


> 私にとって神は四六時中ストーカーの様に自分を見張り、
> 何か罪を犯すたびに私を罰しようとしている存在に感じます。
> ありのままで愛されているという感覚は全くありません。

私も同感です。
私にとって神様とは、四六時中、
心の中まですべて監視しているものだと思っていました。
とても「神の愛」など感じられませんでした。
それでも、いつも神に感謝していなければならないという信仰生活に、
ジレンマを感じるようになりました。


> 「信仰が強く、ありのままで愛されること」
> に何の疑問も持たずに済んでいる自信のある人達にとって、
> 私の様な人間は被害者意識の強い甘ったれに映るんでしょうが、
> 「本当に救いが必要な人は」私や桃栗さんの様に弱く悩んできた人達ではないのでしょうか?
> そういう弱い人間には隣人愛ではなく裁きを下すのがキリスト教の愛なのでしょうか。

もしも今、イエスが現れてそういう人たちを見たら、
果たして彼らを賞賛したでしょうか?
答えはイエス(Yes)ではなくノーでしょう。

私は、この世で最も信じられるのは自分だと信じ、
いろいろとつらいことがあっても乗り越えてきましたが、
知人は乗り越えられずに自殺しました。
また、skyeさんのように悩みを持ち続ける人も少なくないはずです。
クリスチャンの方々にはそういう現実を「直視」してほしいです。

私は、キリスト教がまったくダメな宗教とまでは言いません。
ただし「全人類にとって素晴らしい教え」だという考え方は完全否定させていただきます。
人それぞれ嗜好が違うように、
キリスト教もある特定の人たちには素晴らしいものであっても、
また別の人たちにはまったく興味も意味もがないのです。

それなのに、人類はみなキリスト教を信じるのが当然だと思い込み、
信じない方がおかしいと勘違いする人の何と多いことでしょう。


> 「キリスト教に見切りをつけて自由になりたい、神の存在を忘れたい」と思う反面、
> 「今まで苦しんできたことに何か意味を見出したい」
> と思ってキリスト教にどこかしがみ付いている自分もいて
> いまだに自分がどうしたいのか、どうするべきなのか分からないでいます。

私も信仰を捨てた頃は自暴自棄になったことがあります。
どうしたら過去を忘れられるのか悩んだものです。
今はとりあえずこのブログを書くことによってストレスを発散させています。
クリスチャンに何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。


> あと、こういう問題って、日本だけでなくキリスト教が文化に根付いている
> 欧米でもある事なんでしょうか。
> 桃栗さんだけでなく、もしご存知の方(事情、文献、サイトなど)がいたら教えて頂きたいです。

国内では知らないのですが、
アメリカにはEx-Christian Net(元クリスチャン・ネット)というサイトがあります。
http://new.exchristian.net/
私は英会話を習っていたのですが、さすがに全部は理解できません。
それでも、アメリカでも多くの人がキリスト教に疑問を持っていることが垣間見れます。
日本にもこのようなサイトがあればいいのにと思い、
始めたのがこのブログです。

夢は、棄教をテーマにキリスト教をさり気なく風刺した小説を書くことです。
それも、クリスチャンにも広く読んでもらえるような内容の小説です。
あからさまにキリスト教批判を前面に出すと読んでもらえませんから、
クリスチャンでも知らず知らずのうちに読み進んでしまって、
読み終えたときにはその内容があまりにも図星であるために
ぐうの一言も出なくなるような、
そんな風刺をピリリと効かせたような小説を書くのが夢です。
このブログを始めたのはその前段階のつもりもあったのですが、
文を書くって難しいですね。(笑)
2011-12-14 水 22:37:13 | URL | 桃栗 [編集]
ルサンチマンの宗教との決別
>>桃栗さま89
>>skyeさま

私も幼少の頃から「聖書に・・・と書いてあるから」と現実を一切無視したキリスト教の狂育を受けて育ったので、人生を滅茶苦茶にされたと思っています。まだ信仰心が残っていた頃は、どんなに不条理なことでも、「神がそのように命じているのだから仕方ない」と耐えておりましたが、趣味(とは言っても、ヨーロッパの名門大学の学籍を取得する等、かなり本式)の歴史学や考古学の研究を進めるに従って、聖書中の出来事を裏付ける歴史の記録は何一つない(それどころか、聖書の記述に反する物が近年多数発見されている。)ということを知り、愕然としました。「今まで完全に騙されていたのだ!」と気付き、しばらくは何も出来ない状態になりました。「今までの自分の人生は何だったのだろうか・・・?」と悩みました。歴史学の研究は聖書理解を深めるためでもあったので、皮肉です。
さて、クリスチャンには異常者や倒錯者が多いので、教会に通い続けることにより、このような人々から悪い影響を受ける可能性があります。だから私は、キリスト教圏出身の穏健なクリスチャンは別にして、リアルの世界ではクリスチャンとはなるべく深入りしないようにしています。学生時代に狂信的クリスチャンたちから私の専攻していた学問分野や私の読書傾向(キリスト教に批判的な立場の歴史書や哲学書を多数読破)等に何度も何度も非難され、時には福音派の牧師立ち会いの下に宗教裁判(欠席裁判)までされましたが、このような狂った人々とはもう一切関わりたくないのです。
これからの人生は、あのような狂った「ルサンチマンの宗教」とは一切無縁で健全な価値観に根差した人生を歩もうと思っています。
2011-12-16 金 08:26:34 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 桃栗様。
> >片親ということは、もしかしてお母様の方でしょうか?
> >私の知る限り、夫婦のどちらかがクリスチャンという場合、
> >奥様だけがクリスチャンということがほとんどです。
> >それが原因で旦那が離婚騒動を起こしたケースを知っています。
> >また、それが原因かどうか分かりませんが本当に離婚した人も知っています。
>
> そうです。母の方です。
> ちなみに、曾祖母が一代目クリスチャンなので、母が三代目で、私が四代目になります。

またのご訪問ありがとうございます。
見事に、と言っては失礼ですが、お母様、お婆様、曾お婆様と、
女性ばかりがクリスチャンだったのですね。


> >こういった聖職者の不祥事についてクリスチャンに指摘したところで、
> >「人間はみな罪びとだから罪を犯してしまうもの。だから、悔い改めることが大事」
> >と、マニュアルどおり正当化されるのがキリスト教です。
>
> そうですね。
> 私が行っていた教会の多くの人たちは、あまり聖職者の不祥事という事実を知らないようです。
> 知っている人も、「牧師ではなく、そそのかした女が悪い」と言っていたと、私が教会を休止したと同じ時期に教会を変えた人が言っていました。
> さらに悪いことに、牧師の釈明文には、自分の罪を悔い改めることよりも、「悪魔にそそのかされてやった」ということが書かれていたようです。
> こういうときだけ都合がいいんですよね。

私は、クリスチャンは神の名を持ち出して何でもかんでも正当化するものだと、
何度もこのブログで言ってきましたが、
悪魔を使って正当化する方法もあったのですね(笑)。


> >まさにこれです。
> >信仰していた時は、キリスト教を疑うことは罪だと信じていたので、
> >疑問を持ちそうになってもそれは心の奥にギュッとしまいこんでいました。
> >それが、棄教してからすごい勢いで押し寄せてきたのです。
>
> 私は、疑問をもつことすらありませんでした。
> キリスト教が全て「正しい」と思っていましたから、疑う事を知りませんでした。
> 完全に、思考回路が停止していました。

その心理状態は非常によく理解できます。
私も、キリスト教は宗教ではなく「事実」だと思っていましたから、
キリスト教を疑うなどという考えが起こりませんでした。
まさに思考停止です。


> 私も、「自分の今までの人生は一体何だったんだろう」という気持ちに襲われました。まったくの空虚です。
> 同世代の普通に生きている人たちは、幼少~大学という期間で自分の基盤を確立してきたんだと思いますが、私は社会に出る寸前で全て失われたので、もう人生がおわったという感じです。

まったくの同感です。
普通の人が成長過程で自然に身に付けていくはずのものを、
私は身に付けられなかったような気がします。
なお、「人生がおわった」の言葉にドキッとさせられましたが、
早まるのだけは絶対におやめください。
私の知人のクリスチャン2世の自殺と周囲の反応を見ましたが、
自殺して自分のつらさを世間にアピールしても、
世間は何も変わってくれないことが良く分かりました。
特に、キリスト教では、「神の愛によって天に召された」
と美化されておしまいです。


> 私は、中学生の時に日曜日は教会に行くからということで、部活動に入る事を諦めました。
> 今は、体育会系のノリが非常に苦手です。

まったく同感。
私も宴会やパーティーなど、集団の場にいるのが大変苦痛です。
どうしてあんなバカ騒ぎができるのか不思議でなりません。
向こうから見れば、どうして私が暗いのか不思議なのでしょうけど。


> そして、人とうまく距離をとることが難しいです。
> 自分の全てを受け入れてほしいという気持ちと、どうせ私のことなんてわからないだろう、という気持ちが共存しています。

そのお気持ちは痛いほど良く分かります。
私も集団の中にいるとどうしても疎外感を覚えます。
心の中では人に何かを求めているはずなのに、
どうしても人を拒絶してしまう自分がいます。
私も人と上手く距離を保つのが苦手です。
仲良くなりすぎたがために失敗したことも何度もあります。


> 私はキリスト教から脱出した人たちがその後、どのように生活を送っているのか、ということに興味があるのですが、桃栗さんは、キリスト教から脱出した人と実際に会って話すことはありますか?

実生活ではほとんどありませんが、
親がクリスチャンだったとか、
自分が小さい頃に教会学校に通っていたという人と話をしたことがあり、
その方たちはいずれもキリスト教に否定的でした。
また、クリスチャン・ホームに育ったという英語圏の人と2人ほど話をしたことがありますが、
共通して出てきた言葉が「キリスト教は偽善的」でした。
ただ、いずれの方たちもキリスト教を心底信じきっていたというわけではないようです。

棄教のショックが大きいのは、やはりmoonlightさんのように、
心底信じきっていた人でしょう。
「期待が大きければ失望も大きい」と言いますよね。
それだけに、信仰が深いほど、
それが無意味だったと知ったときのショックも大きいと思います。

わたしも、心の中まですべて神に四六時中監視されていると思って
いつ罰を受けるかのかとビクビクしながら信仰していたのに、
その生活がまったく無駄だったと知ったときのショックはかなりのものでした。


> 桃栗さんのご両親は、今もキリスト教を信じていますか?信じていたとしたら、ご両親とは、どのような関係を築いていますか?
> よろしかったら教えてください。

これについてはメールでお話したいと思います。
先日、私からメールをお出ししたのですが、届いていますでしょうか?
届いていないようでしたらまたお知らせください。
2011-12-18 日 14:38:26 | URL | 桃栗 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-12-24 土 20:36:02 | | [編集]
Re: ルサンチマンの宗教との決別
> >>桃栗さま89
> >>skyeさま
>
> 私も幼少の頃から「聖書に・・・と書いてあるから」と現実を一切無視したキリスト教の狂育を受けて育ったので、人生を滅茶苦茶にされたと思っています。

私も同感です。
キリスト教に人生を台無しにされたと思っています。


> まだ信仰心が残っていた頃は、どんなに不条理なことでも、「神がそのように命じているのだから仕方ない」と耐えておりましたが、

私もです。
教会から離れてからもかなり長い間、
この世の出来事はすべて神の御心だと思って頭の中で処理してきました。
しかし、社会に出てこの複雑な世の中を見ているうちに、
だんだん処理しきれなくなってしまったのです。


> さて、クリスチャンには異常者や倒錯者が多いので、

その通りですね。
例えば、こんなブログを書いている人がいます。
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/4859513.html
ご本人はクリスチャンではないとおっしゃいましたが、
聖書中毒者なのは間違いありません。


>桃栗さんは「自分の先祖は猿だ!」と主張している

ただの一度もそんなことを言ったことはまったくありません。
本当に言ったなら一字一句変えないでブログから引用すべきです。


>さて、完全にタコに論破された桃栗さんは、都合の悪いタコのコメントは全て削除して、

私はこの方のコメントを無視したことはありますが、
コメントそのものを削除したことは一度もなく、
すべて承認して公開しています。

この人に限らず、クリスチャンには勝手に都合よく脳内変換する人がいます。


>私は、キリスト教圏出身の穏健なクリスチャンは別にして、リアルの世界ではクリスチャンとはなるべく深入りしないようにしています。

私の場合、リアルの世界でクリスチャンの友人が一人います。
いえ、本当は向こうから「一方的に」友人だと思われているのですが。
本人はまったく自覚がないようですが、かなりの変わり者です。
私は友人が少ないのでこんな人とでも付き合っていますが、
人前でもニコニコして大きな声で話すので一緒にいて恥ずかしいです。
一度、私が元クリスチャンであることをほのめかしたことがありますが、
今のところ教会には誘われてはいません。
誘われてもさりげなく断ります。


> これからの人生は、あのような狂った「ルサンチマンの宗教」とは一切無縁で健全な価値観に根差した人生を歩もうと思っています。

やはり「郷に入れば郷に従え」なんですよね。
この日本でクリスチャンとして生きていくのはハンディが大きすぎます。
大人が自分の意思でその道を選ぶのならともかく、
純真な子供に重荷を背負わせるようなことはやめてもらいたいです。
2011-12-25 日 13:12:43 | URL | 桃栗 [編集]
不条理
>教会から離れてからもかなり長い間、
この世の出来事はすべて神の御心だと思って頭の中で処理してきました。
しかし、社会に出てこの複雑な世の中を見ているうちに、
だんだん処理しきれなくなってしまったのです。

処理しきれなくなってしまった今は、この世の出来事、
とくにあなたにとって不条理な出来事を
どのように受け止めておいでですか?

例えば、幼少時から「キリスト教」を押しつけられた体験など。
ご自身の中で、どのように説明し、どのように対処されていますか?
興味があります。
2011-12-29 木 05:54:51 | URL | ハマルティア [編集]
上から目線
>自分にはわかっている。でも貴方にはわからない。
だから可哀想。
この視点が大嫌い。自分が洗脳されているってわからないんだね。

「自分が洗脳されているってわからないんだね。」
 ↑ コレも十分「上から目線」なんじゃね?(笑)
2011-12-29 木 08:52:04 | URL | ハマルティア [編集]
同じ穴の狢
>今はとりあえずこのブログを書くことによってストレスを発散させています。
クリスチャンに何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。

ははあ。なるほど。
そういうわけで書かれている内容が支離滅裂なのですね。

理屈っぽく「キリスト教」を批判しているようで、
言ってることは同じ穴の狢。

こんな不毛なブログを続けるより、
専門家のカウンセリングでもお受けになった方がよいのでは?
2011-12-29 木 09:12:04 | URL | ハマルティア [編集]
>やはり「郷に入れば郷に従え」なんですよね。
この日本でクリスチャンとして生きていくのはハンディが大きすぎます。
大人が自分の意思でその道を選ぶのならともかく、
純真な子供に重荷を背負わせるようなことはやめてもらいたいです。

「郷に入れば郷に従え」=「多数派の方が楽ですよ」
人生を歩む上で、そんなに味わい深い諺でもないですよね、これ。

あなたはどこの国に生まれても、人種的少数者だったり、性的少数者
だったり、経済的弱者だったりした日には、自分の境遇を
親のせいだと親を責め、生涯、親と世間を恨み倒すタイプの人間
なんじゃないですか?

だれも親と境遇を自分で選んで生れてきた人間はいません。
あなたは特別なケースじゃないですよ。
あなたの親が「赤ん坊の意思を確認するまでミルクを与えない親」
じゃなくて本当によかった。
グチグチ言ってないで、親に感謝して、自分の足で歩け。
2011-12-29 木 09:42:43 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 不条理
> 処理しきれなくなってしまった今は、この世の出来事、
> とくにあなたにとって不条理な出来事を
> どのように受け止めておいでですか?

神を疑い始めたのはオウムのサリン事件と阪神淡路大震災の頃でした。
こんな大きな事件や災害が起こっているのに、
私たちを守ってくださるはずの神様はその時何をしていたのだろう?
これが信仰が揺らぎ始めたきっかけの一つです。


> 例えば、幼少時から「キリスト教」を押しつけられた体験など。
> ご自身の中で、どのように説明し、どのように対処されていますか?
> 興味があります。

個人的なことについては公開の場ではなるべく書かないことにしています。
ただ、断片的なことは過去にどこかに書いたかもしれませんし、
これからも書くことがあるかも知れません。
2012-01-04 水 19:09:15 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 上から目線
> >自分にはわかっている。でも貴方にはわからない。
> だから可哀想。
> この視点が大嫌い。自分が洗脳されているってわからないんだね。
>
> 「自分が洗脳されているってわからないんだね。」
>  ↑ コレも十分「上から目線」なんじゃね?(笑)

では、貴方のコメントは下から目線ですか?
2012-01-04 水 19:12:45 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 同じ穴の狢
> >今はとりあえずこのブログを書くことによってストレスを発散させています。
> クリスチャンに何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。
>
> ははあ。なるほど。
> そういうわけで書かれている内容が支離滅裂なのですね。

> 理屈っぽく「キリスト教」を批判しているようで、
> 言ってることは同じ穴の狢。
>
> こんな不毛なブログを続けるより、
> 専門家のカウンセリングでもお受けになった方がよいのでは?

クリスチャン、非クリスチャンを問わず
誰に何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。
2012-01-04 水 19:15:55 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> >やはり「郷に入れば郷に従え」なんですよね。
> この日本でクリスチャンとして生きていくのはハンディが大きすぎます。
> 大人が自分の意思でその道を選ぶのならともかく、
> 純真な子供に重荷を背負わせるようなことはやめてもらいたいです。
>
> 「郷に入れば郷に従え」=「多数派の方が楽ですよ」
> 人生を歩む上で、そんなに味わい深い諺でもないですよね、これ。
>
> あなたはどこの国に生まれても、人種的少数者だったり、性的少数者
> だったり、経済的弱者だったりした日には、自分の境遇を
> 親のせいだと親を責め、生涯、親と世間を恨み倒すタイプの人間
> なんじゃないですか?

それは論点のすり替えです。
多民族国家や移民国家と混同しないでください。
この日本で、例えば学校生活において、
自分一人だけがクリスチャンだという状況が、
ハンディーが大きいと言っているのです。


> だれも親と境遇を自分で選んで生れてきた人間はいません。
> あなたは特別なケースじゃないですよ。
> あなたの親が「赤ん坊の意思を確認するまでミルクを与えない親」
> じゃなくて本当によかった。
> グチグチ言ってないで、親に感謝して、自分の足で歩け。

たまにこのブログに短時間に連続してコメントを投稿する方が現れますが、
そういう方々には「ある種の傾向」があるように思えます。
2012-01-04 水 19:20:31 | URL | 桃栗 [編集]
卑劣な妨害の一手段
最近立て続けに嫌味な投稿を連続して行った人物の手法は、ちょうど私が過去に狂信的クリスチャンたちから受けた歴史研究の妨害とよく似ています。キリスト教の残虐行為を視点の中心に据えた研究をするのは、私が低劣な人格の持ち主だから、私がそのような低劣な記事に引き付けられる(同じ穴の狢)のだそうです。(私の場合は脅迫も伴っていましたが。)教会とは、自分の無知を省みずにこのようなことを「神の名の下に」平然とのたまう輩の巣窟なのです。こんな人々が天国に行くのはどう考えてもおかしい、こんな人たちに「神の愛」がとてもあるとは思えない、・・・これこそが私がキリスト教に疑いを持つようになった主要な理由(他にもたくさんありますが)です。
何の根拠もなしに上から示されたことに疑問を一切抱かず、ただひたすら組織に盲従し、定期的に多額の献金を持ってくる人が「熱心なクリスチャン」とみなされるのです。これでは霊感商法と同じですね。
2012-01-04 水 23:33:55 | URL | 巨大虎猫 [編集]
Re: 上から目線
>>>自分にはわかっている。でも貴方にはわからない。
>>>だから可哀想。
>>>この視点が大嫌い。自分が洗脳されているってわからないんだね。

>>「自分が洗脳されているってわからないんだね。」
>> ↑ コレも十分「上から目線」なんじゃね?(笑)

>では、貴方のコメントは下から目線ですか?

下から目線である必要はありません。
対等な目線であることが大切です。

「この視点が大嫌い」なのは一向に構わないのです。
しかし、「洗脳されている」と断ずるからには、
説得力のある事実なり、考察なりを示す必要があります。
2012-01-05 木 21:56:20 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 同じ穴の狢
>>>今はとりあえずこのブログを書くことによってストレスを発散させています。
>>>クリスチャンに何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。

>>ははあ。なるほど。
>>そういうわけで書かれている内容が支離滅裂なのですね。

>>理屈っぽく「キリスト教」を批判しているようで、
>>言ってることは同じ穴の狢。

>>こんな不毛なブログを続けるより、
>>専門家のカウンセリングでもお受けになった方がよいのでは?

>クリスチャン、非クリスチャンを問わず
>誰に何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。

どうぞ、ご自由に。
しかし、ウェブ上に公開されているのですから、
内容の妥当性や品位についてコメントするのも自由です。

辛い体験をなさったのはお気の毒ですが、
このブログの内容は、ただの「仕返し」です。
被害を訴える手段としては、褒められたものではありません。
2012-01-05 木 22:16:23 | URL | ハマルティア [編集]
「郷に入れば郷に従え」
>>>やはり「郷に入れば郷に従え」なんですよね。
>>>この日本でクリスチャンとして生きていくのはハンディが大きすぎます。
>>>大人が自分の意思でその道を選ぶのならともかく、
>>>純真な子供に重荷を背負わせるようなことはやめてもらいたいです。

>>「郷に入れば郷に従え」=「多数派の方が楽ですよ」
>>人生を歩む上で、そんなに味わい深い諺でもないですよね、これ。

>>あなたはどこの国に生まれても、人種的少数者だったり、性的少数者だったり、経済的弱者だったりした日には、自分の境遇を
>>親のせいだと親を責め、生涯、親と世間を恨み倒すタイプの人間
>>なんじゃないですか?

>それは論点のすり替えです。
>多民族国家や移民国家と混同しないでください。
>この日本で、例えば学校生活において、
>自分一人だけがクリスチャンだという状況が、
>ハンディーが大きいと言っているのです。

「自分一人だけがクリスチャンだという状況が、
ハンディー」なのは事実でしょう。
「多数派の方が楽」なのですから、少数派は辛いのです。

言っているのは、少数派のハンディを引き受けつつ
自分の人生を切り開くという選択肢もあるのでは、
ということ。

論点はぶれていません。

ところで、日本が「多民族国家や移民国家」でないと言うなら、
簡単にでもいいので、その論拠を述べてください。
私は、日本社会には少なからず多民族、移民者が共存していると
認識しているのですが。

それから、人種以外の点に触れられていませんが、
どうなのでしょう?

ご自分が少数者として苦しまれたのなら、
他の少数者の苦しみに目を向けるのも、人生の選択肢です。
2012-01-05 木 22:56:37 | URL | ハマルティア [編集]
ある種の傾向
>たまにこのブログに短時間に連続してコメントを投稿する方が現れますが、
>そういう方々には「ある種の傾向」があるように思えます。

ブログにコメントするということを、ほとんどしたことがないもので。
連続してコメントするのがそれほど非常識だったのなら、謝ります。

「ある種の傾向」??
何の傾向も示さない人間というのは・・・
いるんでしょうか?(笑)
2012-01-05 木 23:08:09 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 卑劣な妨害の一手段
> 最近立て続けに嫌味な投稿を連続して行った人物の手法は、ちょうど私が過去に狂信的クリスチャンたちから受けた歴史研究の妨害とよく似ています。キリスト教の残虐行為を視点の中心に据えた研究をするのは、私が低劣な人格の持ち主だから、私がそのような低劣な記事に引き付けられる(同じ穴の狢)のだそうです。(私の場合は脅迫も伴っていましたが。)教会とは、自分の無知を省みずにこのようなことを「神の名の下に」平然とのたまう輩の巣窟なのです。こんな人々が天国に行くのはどう考えてもおかしい、こんな人たちに「神の愛」がとてもあるとは思えない、・・・これこそが私がキリスト教に疑いを持つようになった主要な理由(他にもたくさんありますが)です。
> 何の根拠もなしに上から示されたことに疑問を一切抱かず、ただひたすら組織に盲従し、定期的に多額の献金を持ってくる人が「熱心なクリスチャン」とみなされるのです。これでは霊感商法と同じですね。

結局、信仰が強い(と本人が思っている)人に限って、
信仰のない人を見下したりするのです。
ハマルティアさんがクリスチャンなのかどうなのか知りませんが、
こういう性格の人がクリスチャンになると、
まさにイエスが批判した律法学者やパリサイ人みたいになるのでしょうね。
2012-01-09 月 22:11:35 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 卑劣な妨害の一手段
巨大虎猫さん。

> 最近立て続けに嫌味な投稿を連続して行った人物の手法は、ちょうど
> 私が過去に狂信的クリスチャンたちから受けた歴史研究の妨害とよく
> 似ています。

それは、具体的にどういった妨害だったのでしょうか。
「狂信的クリスチャン」から被害を受けられたのだから、その被害を訴えることは、多くの人にとっても有益です。
「最近立て続けに嫌味な投稿を連続して行った人物の手法」と「狂信的クリスチャン」の手法が、具体的にどの点で「よく似て」いるのか明示してください。
コメントとして書くからには、ご自分だけが納得していればいいのではないでしょう。
タイトルで「卑劣」と断じているのですから、読者が分かるように説明してください。

> キリスト教の残虐行為を視点の中心に据えた研究をするのは、私が
> 低劣な人格の持ち主だから、私がそのような低劣な記事に引き付けら> れる(同じ穴の狢)のだそうです。

巨大虎猫さんが何について研究しようとも、その研究の結果何を主張しようとも、誰かに「低劣な人格」と言われる筋合いはありません。研究内容と研究者の人格の卑賤は関係がない。しかし、研究内容自体は批判にさらされて当然ですし、内容の妥当性や品位について評価されるのは仕方のないことです。

> 教会とは、自分の無知を省みずにこのようなことを「神の名の下に」平
> 然とのたまう輩の巣窟なのです。

この文章の主語になっている「教会」とは、何を指しているのですか?
さらっと書き流していますが、もし巨大虎猫さんが「研究」をされる方なら、言葉の定義は重要なはずです。そうでなければ、あなたが何の話をされているのか、論旨が明確になりません。
数学の時間に習いましたよね?
「解答より、解答に至る経過が大事」
おっと、余計な嫌味でした。すみません。

> こんな人々が天国に行くのはどう考えてもおかしい、こんな人たちに
> 「神の愛」がとてもあるとは思えない、・・・これこそが私がキリスト教に
> 疑いを持つようになった主要な理由(他にもたくさんありますが)です。

カルト信者ばかりでなく、自己の正義を一方的に主張する人々に出会うと、私も同様に反感を覚えます。キリスト教信者に限らず、宗教者の独善的な態度に虫酸が走ることもしばしばです。

> 何の根拠もなしに上から示されたことに疑問を一切抱かず、ただひた
> すら組織に盲従し、定期的に多額の献金を持ってくる人が「熱心なク
> リスチャン」とみなされるのです。これでは霊感商法と同じですね。

全くその通りですね。
ただし、巨大虎猫さんがどのようなカルト宗教とかかわりをもっておられたのか知らないので、一般的に同意、という意味です。
2012-01-10 火 06:06:52 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 卑劣な妨害の一手段
桃栗さん。

> ハマルティアさんがクリスチャンなのかどうなのか知りませんが、
> こういう性格の人がクリスチャンになると、
> まさにイエスが批判した律法学者やパリサイ人みたいになるのでしょ> うね。

名指しでコメント内容について批判されるのなら、
まず、公開されていないコメントを承認されるのが筋なのでは?
そうすれば、桃栗さんの言う「こういう性格」がどういう性格なのか、
他の読者にもわかるように示されます。

桃栗さん自身も最近、コメントされた方に対して
「どこをお読みになってそう感じましたか?
その部分を引用してください。」
と切り返しておられます。

私としては、桃栗さんの書かれた内容を理解したくて、懸命に目を通した上で意見しているだけなのですが。

多様な意見や情報を、自分に都合が悪いという理由だけでコントロールしようとすれば、桃栗さんが主宰するこのブログスペースがカルト化してしまいますよ。
2012-01-10 火 06:12:44 | URL | ハマルティア [編集]
Re: Re: 上から目線
> >では、貴方のコメントは下から目線ですか?
>
> 下から目線である必要はありません。
> 対等な目線であることが大切です。

「グチグチ言ってないで、親に感謝して、自分の足で歩け。」

初めてこのブログに来たその日に、
はじめましての挨拶もしないでこんな発言をすることが「対等な目線」でしょうか?
2012-01-11 水 22:11:34 | URL | 桃栗 [編集]
Re:
>>> では、貴方のコメントは下から目線ですか?

>> 下から目線である必要はありません。
>> 対等な目線であることが大切です。

> 「グチグチ言ってないで、親に感謝して、自分の足で歩け。」
> 初めてこのブログに来たその日に、
> はじめましての挨拶もしないでこんな発言をすることが「対等な目線」
> でしょうか?

このブログに来たのは偶然のことでしたが、興味のある内容でもなく、
そのまま通り過ぎればよいことでした。しかし、桃栗さんの文章に軽く
目を通すうち、部外者ながら不快な気持ちになり、とくに、反対意見を
コメントされている方々への桃栗さんの対応コメントに腹立ちを抑える
ことができませんでした。日頃、他人のブログにコメントなどしないの
ですが、この日、腹立ち紛れにコメントしたのは事実です。
非常に反省しています。

コメントの書き方に礼を失した点、コメントの表現が桃栗さんに対しては不適切であった点、この場を借りて謝ります。
申し訳ありません。

さて、偶然であったにしろ、このブログに対して私が感じた不快感、
苛立ちについて内省しました。
本来なら関わる必要のないところですが、このブログに腹が立ったため
に、なぜ腹が立ったのか興味がわいたという次第です。

多くの方が桃栗さんのブログを読んで反対意見をコメントされています。
しかし、反対意見に対する桃栗さんのコメントは、一方的、かつ無礼で、
対話が成り立っていると思われるものは、ごくわずかです。
読解力が不足しているのか、そもそも読むつもりがないのか、
相手コメントの論旨を大きく外れて、
代わりに根拠のない讒言が書き並べられていることもしばしばです。

コメントを残す人々の動機は様々でしょうが、多くの人々は対話を期待し
てコメントするのです。その期待を裏切っているという点で、このブログ
の品位がまず問われるのではないでしょうか。
言っておきますが、私は、お会いしたことすらない桃栗さんの人間性や
人格について何か述べようとしているのではありません。
ウェブ上に公開されている、このブログについて言っているのです。

公衆便所の壁に根拠のない讒言が書きなぐられていたら、
不快であっても無視するか、管理者に消すよう訴えるでしょう。
ブログスペースも、情報発信、情報交換のツールとして最初から意図
されているだけで、公共性、匿名性という点では公衆便所の壁と紙一重
です。ですから最終的に、根拠ある情報、論旨の通った内容、
丁寧な意見交換などがブログの品位を決定するわけです。
コメント欄が設定されていれば、読者が対話や意見交換を期待するのは
当然のことです。ブログは公衆便所の壁ではないのですから。

礼を尽くしてほしいのなら、
まずブログ主宰者であるあなたが礼を尽くすべきです。

そして、桃栗さんが反論できない(反論といっても桃栗さんの反論は
衆目に耐えるものではありませんが)ご自分に都合の悪い反対意見の
コメントを、承認しない、公開しないでコメント欄の意見の流れを操作
するのは、それこそ、桃栗さんが憎んでやまない「ご都合主義」である
としか言いようがありません。この点については、桃栗さんが承認制
云々を事前にことわっているとしても、大した言い訳にはならないで
しょう。

コメント欄を設定するからには、丁寧に意見交換して、ご自身の主張
するところを、より説得力のあるものに磨きあげてはどうですか?
2012-01-12 木 06:10:02 | URL | ハマルティア [編集]
夢を実現してください
> 「文章セラピー」とでも言うのでしょうか、
> 自分の気持ちを文章にすることにより、心にたまっていた何かが抜け> ていくのです。
> 実生活では自分の意見を主張できずに悔しい思いをすることがありま> すが、その分、ブログでは思う存分書きたいと思います。

> 今はとりあえずこのブログを書くことによってストレスを発散させてい> ます。
> クリスチャンに何を言われようと気が済むまでブログを書き続けます。

「文章セラピー」が目的でしたら、ブログは適切なツールではありません。セラピーは桃栗さん自身のために行われるもので、公開に適さないからです。
セラピーは自助グループ内で、あるいは専門家とともに、そこまででないにしても、同じ被害者との間で行えばいいことです。個人的な日記では「文章セラピー」にならないのですか?

ブログ情報として発信すれば、当然、読者からの批判にさらされるわけですから、その覚悟が必要です。セラピーどころか、むしろストレスになる可能性もあります。

ネット上では匿名というだけで、あなたの言う「実生活」も「ブログ」も同じ「世界の内側」にあるのです。実生活でNGでブログでOKというのは、大きな誤解からくる間違った感覚です。あなたの不用意な発言が、たとえ意図されていなくても、他人の名誉を傷つけるという事態も生じ得るわけです。このような社会問題、心理問題にかかわるブログを健全に管理するのは、決して容易ではないと思いますが、いかがでしょうか。

もし、桃栗さんがこのブログへの書き込みで「ストレスを発散」できているとお感じになっているとすれば、あなた自身はお気づきではないかもしれませんが、讒言を「公開」してスカッとしているからです。それは「文章セラピー」なんて高尚な代物ではありません。仕返し、悪口、落書きのレベルを出ません。

桃栗さんが被害者ではなく、加害者にもなり得る。
そういったこと、ちゃんと想像できていますか?


> 私は、キリスト教がまったくダメな宗教とまでは言いません。
> ただし「全人類にとって素晴らしい教え」だという考え方は完全否定さ> せていただきます。
> 人それぞれ嗜好が違うように、
> キリスト教もある特定の人たちには素晴らしいものであっても、
> また別の人たちにはまったく興味も意味もがないのです。

これが言えれば十分ではないですか!?
まったく、その通り。


> 私も信仰を捨てた頃は自暴自棄になったことがあります。
> どうしたら過去を忘れられるのか悩んだものです。

桃栗さんは、まだ過去に囚われたままなので「キリスト教」に対して「興味も意味もない」自然な態度がとれない。そうではないですか?
いっそのこと、その現実を受け入れてみてはいかがですか?
どんなに頑張っても、過去は否定できません。
否定するのは身を裂くようなものです。
このブログのせいで、かえって苦しみを長引かせていませんか?

> 夢は、棄教をテーマにキリスト教をさり気なく風刺した小説を書くこと> です。
> それも、クリスチャンにも広く読んでもらえるような内容の小説です。
> あからさまにキリスト教批判を前面に出すと読んでもらえませんか
> ら、クリスチャンでも知らず知らずのうちに読み進んでしまって、
> 読み終えたときにはその内容があまりにも図星であるために
> ぐうの一言も出なくなるような、
> そんな風刺をピリリと効かせたような小説を書くのが夢です。
> このブログを始めたのはその前段階のつもりもあったのですが、
> 文を書くって難しいですね。(笑)

ぜひ、この夢を実現させてください。
できるだけ客観的で正確な知識を根拠に据え、論を立てる筋道さえしっかりしていれば、キリスト教批判を前面に出しても、多くの人に問題なく受け入れてもらえます。
まずはこのブログを卒業して、ご自身のスキルアップに精力を注ぐことをお勧めします。そのことが、桃栗さんの癒しにもつながるような気がしてなりません。

ぜひ、夢を実現してください。
2012-01-12 木 09:35:22 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 「郷に入れば郷に従え」
> 「自分一人だけがクリスチャンだという状況が、
> ハンディー」なのは事実でしょう。
> 「多数派の方が楽」なのですから、少数派は辛いのです。
> 言っているのは、少数派のハンディを引き受けつつ
> 自分の人生を切り開くという選択肢もあるのでは、
> ということ。

そのような理想論が言えるのは、そういう体験がないからでしょうね。

> ところで、日本が「多民族国家や移民国家」でないと言うなら、
> 簡単にでもいいので、その論拠を述べてください。

「日本が多民族国家や移民国家でない」とは言っていません。
では、あなたは日本はアメリカ大陸やオーストラリアなどとまったく同様に
多民族、移民国家だとおっしゃるのでしょうか?
違いますよね。次のように言葉を濁していますよね。


> 私は、日本社会には少なからず多民族、移民者が共存していると
> 認識しているのですが。

あなたは現代の都会の状況しか知らないのでしょうか。
長い日本の歴史から見れば、日本に移民がやってきたのはごく近年のことです。
現在でも、地方の田舎では外国人を見ることがまったくない地域なんてザラです。


> ご自分が少数者として苦しまれたのなら、
> 他の少数者の苦しみに目を向けるのも、人生の選択肢です。

そうおっしゃる貴方は私の苦しみに目を向けないのですか?
2012-01-14 土 22:40:03 | URL | 桃栗 [編集]
Re: ある種の傾向
> ブログにコメントするということを、ほとんどしたことがないもので。
> 連続してコメントするのがそれほど非常識だったのなら、謝ります。
>
> 「ある種の傾向」??
> 何の傾向も示さない人間というのは・・・
> いるんでしょうか?(笑)

「謝ります。」と書いた直後に「(笑)」ですか。
まじめに謝っているのでしょうか。
2012-01-14 土 22:44:01 | URL | 桃栗 [編集]
Re: Re: 卑劣な妨害の一手段
> 桃栗さん。
>
> > ハマルティアさんがクリスチャンなのかどうなのか知りませんが、
> > こういう性格の人がクリスチャンになると、
> > まさにイエスが批判した律法学者やパリサイ人みたいになるのでしょ> うね。
>
> 名指しでコメント内容について批判されるのなら、
> まず、公開されていないコメントを承認されるのが筋なのでは?

ちゃんとコメントが書かれた順に少しずつ承認しています。

> 私としては、桃栗さんの書かれた内容を理解したくて、懸命に目を通した上で意見しているだけなのですが。
> 多様な意見や情報を、自分に都合が悪いという理由だけでコントロールしようとすれば、桃栗さんが主宰するこのブログスペースがカルト化してしまいますよ。

ですから、ちゃんと順番にコメントは承認していますし、
その多くにレスも返しています。
過去のコメントをご覧いただけると分かるはずですが。
本当に「懸命に目を通した」のでしょうか?
2012-01-14 土 23:06:31 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 「郷に入れば郷に従え」
>> 「自分一人だけがクリスチャンだという状況が、
>> 「ハンディー」なのは事実でしょう。
>> 「多数派の方が楽」なのですから、少数派は辛いのです。
>> 言っているのは、少数派のハンディを引き受けつつ
>> 自分の人生を切り開くという選択肢もあるのでは、
>> ということ。

> そのような理想論が言えるのは、そういう体験がないからでしょうね。

甘えないでほしいですね。
私はカルト被害に直接関係こそありませんが、
あなたが思うほど呑気に生きてはいません。
多くの人に理解されにくい痛みを引きずって生きてきましたよ。
でも、理不尽な痛みを抱えながら、
これまで私なりに新しい生き方を見出してきたし、
困難の中で多くの人々と出会えました。
社会とのつながりも深めることができました。
そうでなければ、このブログでわざわざ桃栗さんと対峙しようなんて、
そんな気力は続かないでしょう。

「理想論」ということは、
少なくとも「理想」のレベルでは同意してくださるということですね。
2012-01-15 日 11:35:08 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 「郷に入れば郷に従え」
>> ところで、日本が「多民族国家や移民国家」でないと言うなら、
>> 簡単にでもいいので、その論拠を述べてください。

> 「日本が多民族国家や移民国家でない」とは言っていません。
> では、あなたは日本はアメリカ大陸やオーストラリアなどとまったく同> 様に
> 多民族、移民国家だとおっしゃるのでしょうか?
> 違いますよね。次のように言葉を濁していますよね。

>> 私は、日本社会には少なからず多民族、移民者が共存していると
>> 認識しているのですが。

桃栗さんが何のことわりもなく「多民族国家」「移民国家」という言葉を突然使われたので、その指し示す内容、文章として意図するところを説明していただきたかったわけです。
桃栗さんは日本について「多民族国家や移民国家と混同しないでください」とはっきり書かれていましたから。これでは「日本は『多民族国家』でも『移民国家』でもない」ことを前提していると受け止められて仕方がないですよね。
そして、今は「『日本が多民族国家や移民国家でない』とは言っていません。」と平然とおっしゃる。

「多民族国家」「移民国家」がアメリカ合衆国やオーストラリアのことを限定的に指しているのなら、最初から「日本と合衆国、オーストラリアなどを混同しないでください」と言えば、明確だったわけです。日本とアメリカの歴史背景が違うことくらい、中学生でも知っています。

しかし、そもそも論点は
「日本社会における『少数者』『弱者』」なのですよ。
だから、私は言葉を濁したのではなくて、「日本社会には少なからず多民族、移民者が共存している」と、慎重に言葉を選んだのです。

だいたいから、桃栗さん、私は人種や民族問題に限った話をしているのではないのです。タイトルは「郷に入れば郷に従え」。論点は「少数者」「弱者」なのですから。
宗教的少数者をはじめ、障碍者、経済的弱者、性的少数者なども視野に入れ、幅広い見地からコメントいただきたいものです。

> あなたは現代の都会の状況しか知らないのでしょうか。
> 長い日本の歴史から見れば、日本に移民がやってきたのはごく近年> のことです。
> 現在でも、地方の田舎では外国人を見ることがまったくない地域なん> てザラです。

これらの文章もね、桃栗さん、サラっと言っちゃってますが、サラっと言っちゃいけないデリケートな問題が山ほどかかわっている。単に歴史的な批評をするという視点から、専門の研究者が論文を何本も書いたとして、それでもなお結論は出ないでしょうね。

ところで、桃栗さん、「多民族国家や移民国家と混同しないでください」とおっしゃっていましたが、それは日本の「地方」に限定した話であって、「都会」の話ではなかったと、今になっておっしゃるのですか?
ひどい後出しジャンケンですね。
では、少なくとも「都会」については「日本社会には少なからず多民族、移民者が共存している」という私のコメントに同意してくださるわけですね。

さて、では「地方」や「田舎」についてはどうなのか?
外国人をめったに見かけないというだけで、「少数者」や「弱者」が存在しない社会など想定できない。つまり、日本、アメリカの区別なく、大都市、地方の区別もなく、どんな社会にも「少数者」や「弱者」はいます。
桃栗さんもその中の一人だったに過ぎない。そうですね?
2012-01-15 日 11:45:58 | URL | ハマルティア [編集]
Re: 「郷に入れば郷に従え」
>> ご自分が少数者として苦しまれたのなら、
>> 他の少数者の苦しみに目を向けるのも、人生の選択肢です。

> そうおっしゃる貴方は私の苦しみに目を向けないのですか?

桃栗さんの苦しみに関心のない大多数の人々は、
このブログをスルーしているはずです。
まして、時間と労力を割いて桃栗さんと対話しようなどとはしません。
桃栗さんの意には染まないでしょうが、
傷口を舐め合うだけが「目を向ける」ことではないと考えています。
私自身に理不尽な痛みの体験がなければ、私も桃栗さんの苦しみにあえてかかわろうとはしなかったかもしれません。
2012-01-15 日 11:50:14 | URL | ハマルティア [編集]
Re: ある種の傾向
>> ブログにコメントするということを、ほとんどしたことがないもので。
>> 連続してコメントするのがそれほど非常識だったのなら、謝ります。
>>
>> 「ある種の傾向」??
>> 何の傾向も示さない人間というのは・・・
>> いるんでしょうか?(笑)

> 「謝ります。」と書いた直後に「(笑)」ですか。
> まじめに謝っているのでしょうか。

「たまにこのブログに短時間に連続してコメントを投稿する方が
現れますが、そういう方々には『ある種の傾向』があるように思えます。」
これが直前の桃栗さんのコメントでした。
意味深な言い方で、思わせぶりを装ったコメントだったので、
ちょっと可笑しかったのです。
桃栗さん、負けず嫌いなんだなぁ、と思いました。
気に障ったのなら、失礼。
2012-01-15 日 11:59:21 | URL | ハマルティア [編集]
Re: Re: 卑劣な妨害の一手段
>>> ハマルティアさんがクリスチャンなのかどうなのか知りませんが、
>>> こういう性格の人がクリスチャンになると、
>>> まさにイエスが批判した律法学者やパリサイ人みたいになるので
>>> しょうね。

>> 名指しでコメント内容について批判されるのなら、
>> まず、公開されていないコメントを承認されるのが筋なのでは?

> ちゃんとコメントが書かれた順に少しずつ承認しています。

冒頭の桃栗さんのコメントは、別な方のコメントに対するレスだったわけですが、その中で私のHNに言及しておきながら、その内容にかかわる私のコメントは、その時点でまだ承認されていませんでした。
公開に支障がないと判断されたコメントは、桃栗さんがレスをつけるつけないにかかわらず、順次承認していればこのような問題は生じません。
少なくとも、承認前のコメントを桃栗さんが読んで、その内容に基づいて発言する場合には、コメント本文の承認を先に行うべきです。

> 過去のコメントをご覧いただけると分かるはずですが。
> 本当に「懸命に目を通した」のでしょうか?

コメント処理に時間がかかっていることからお察しするに、桃栗さんもお忙しい毎日を送っておられることでしょう。(コメント承認するだけなら、大した時間は要らないのですがね。いちいち反論をひねり出すのに苦労されているようで。)
忙しいという点では、私も事情は同じです。
レスいただいた桃栗さんのコメントは熟読していますし、過去の記事やコメントにも暇を見つけて目を通していますが、まだ網羅できていません。ご理解いただきたいと思います。
2012-01-16 月 18:04:53 | URL | ハマルティア [編集]
Re: Re:
> 日頃、他人のブログにコメントなどしないの
> ですが、この日、腹立ち紛れにコメントしたのは事実です。
> 非常に反省しています。
>
> コメントの書き方に礼を失した点、コメントの表現が桃栗さんに対しては不適切であった点、この場を借りて謝ります。
> 申し訳ありません。

「反省しています」「申し訳ありません」
これで何度目ですか?
上っ面だけの謝罪なら、謝罪しない方がマシです。


> 多くの方が桃栗さんのブログを読んで反対意見をコメントされています。
> しかし、反対意見に対する桃栗さんのコメントは、一方的、かつ無礼で、
> 対話が成り立っていると思われるものは、ごくわずかです。

貴方はキリスト教のことなど何も分かっていないのですね。
私は「クリスチャン」と「非クリスチャン」の両方の立場を体験しています。
したがって、クリスチャンがどんな反論をしてくるのか、
またこちらがどんな反論をすれば急所を突けるのか、おおよそわきまえています。
クリスチャンが返答できなかったのは、
それは急所を突かれたからでしょう。


> そして、桃栗さんが反論できない(反論といっても桃栗さんの反論は
> 衆目に耐えるものではありませんが)ご自分に都合の悪い反対意見の
> コメントを、承認しない、公開しないでコメント欄の意見の流れを操作
> するのは、それこそ、桃栗さんが憎んでやまない「ご都合主義」である
> としか言いようがありません。この点については、桃栗さんが承認制
> 云々を事前にことわっているとしても、大した言い訳にはならないで
> しょう。

私は原則としてコメントはすべて書かれた順番に少しずつ承認しています。
その多くにもレスを付けています。
今までに承認しなかったのは、
まったく意味不明の書き込みがあったときと、
投稿者本人の申し出があったときのみです。
なお、最初から非公開を希望したコメントは公開されません。


>ご自分に都合の悪い反対意見のコメントを、承認しない、公開しないでコメント欄の意見の流れを操作するのは、

では、いつ私がそんなことをしたか実例を挙げて述べていただけますか?
他人に対しては根拠、根拠と口すっぱく指図なさるのなら、
貴方も根拠を挙げてください。
2012-01-17 火 17:47:50 | URL | 桃栗 [編集]
Re: 夢を実現してください
> > 夢は、棄教をテーマにキリスト教をさり気なく風刺した小説を書くこと> です。

> ぜひ、この夢を実現させてください。
> できるだけ客観的で正確な知識を根拠に据え、論を立てる筋道さえしっかりしていれば、キリスト教批判を前面に出しても、多くの人に問題なく受け入れてもらえます。
> まずはこのブログを卒業して、ご自身のスキルアップに精力を注ぐことをお勧めします。そのことが、桃栗さんの癒しにもつながるような気がしてなりません。
>
> ぜひ、夢を実現してください。

貴方の性格なら、私が苦心して書いた小説に対して
あれこれ批判をなさるのでしょうけど。
2012-01-17 火 17:51:29 | URL | 桃栗 [編集]
クリスチャンじゃありませんが、神道の人間です。
僧侶が肉食妻帯し、大金持ちになる仏教だってそうとう変だと思いますけど。
そういう批判はされないんですね。
キリスト教にだって、マザーテレサやコルベ神父やプロテスタントの医療宣教師のような立派な人たちもたくさんいると思いますけどね。

どうせなら、キリスト教だけではなく、宗教全般を批判してください。無宗教、という名の日本宗教や、詐欺的金儲けスピリチュアルも。

そうじゃなければ、偏りのあるただのグチにしか見えません。
あなたは自分の願いが通じなかったから、キリスト教を逆恨みしているのではありませんか?

2012-01-17 火 20:42:57 | URL | ? [編集]
Re: Re: 「郷に入れば郷に従え」
> 桃栗さんが何のことわりもなく「多民族国家」「移民国家」という言葉を突然使われたので、

「何のことわりもなく」とはどういうことでしょうか?
発言するのにいちいち断りが必要なのですか?
では、貴方も次からそうしてください。
2012-01-18 水 20:23:13 | URL | 桃栗 [編集]
Re: Re: ある種の傾向
> 気に障ったのなら、失礼。

ハイ、貴方の謝罪の言葉はこれで何回目?
2012-01-18 水 20:24:45 | URL | 桃栗 [編集]
Re: Re: Re: 卑劣な妨害の一手段
> >> 名指しでコメント内容について批判されるのなら、
> >> まず、公開されていないコメントを承認されるのが筋なのでは?
>
> > ちゃんとコメントが書かれた順に少しずつ承認しています。
>
> 冒頭の桃栗さんのコメントは、別な方のコメントに対するレスだったわけですが、その中で私のHNに言及しておきながら、その内容にかかわる私のコメントは、その時点でまだ承認されていませんでした。
> 公開に支障がないと判断されたコメントは、桃栗さんがレスをつけるつけないにかかわらず、順次承認していればこのような問題は生じません。
> 少なくとも、承認前のコメントを桃栗さんが読んで、その内容に基づいて発言する場合には、コメント本文の承認を先に行うべきです。

「べきです」とは何様でしょう?
貴方にこのブログの方針について指図される筋合いはありません。
今まで承認が遅いことにクレームを付けてきたのは
「タコ」と称する人と貴方だけです。
両者に共通するのは、短時間に連続してコメントを書いてきたということです。
要するにせっかちなのです。


> 忙しいという点では、私も事情は同じです。

その割には私がレスした直後に怒涛のごとく長文のレスをされますね。

> レスいただいた桃栗さんのコメントは熟読していますし、過去の記事やコメントにも暇を見つけて目を通していますが、まだ網羅できていません。ご理解いただきたいと思います。

貴方が私を理解しようとしないのに、
なぜ私が貴方を理解しなければならないのですか?
貴方は自分のことを棚に上げて他人にあれこれ要求するばかりでですね。
以後、書き込みはお断りします。
2012-01-18 水 20:32:01 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> クリスチャンじゃありませんが、神道の人間です。
> 僧侶が肉食妻帯し、大金持ちになる仏教だってそうとう変だと思いますけど。
> そういう批判はされないんですね。

その宗教を批判するには、その宗教を知らなければなりません。
私は、キリスト教のプロテスタントの家庭で育ってきたので、
他の宗教のことは知りませんし、
他の宗教を批判することには関心がありません。


> キリスト教にだって、マザーテレサやコルベ神父やプロテスタントの医療宣教師のような立派な人たちもたくさんいると思いますけどね。

ほかの方のブログにマザーテレサについて書かれていますので
こちらをご覧ください。
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-119.html


また、コルベ神父の美談も聞いたことがありますが、
神父がたった一人の人間の身代わりになった話をされても説得力がないのです。
そもそも、そのコルベ神父の行動が世界平和にどう貢献しましたか?

貴方は広島に原爆を投下した飛行機に神父が乗っていたのをご存知ですか?
どうしてこの神父さんは原爆投下に反対しなかったのでしょうか?
結果として、おびただしいほど多くの命が犠牲になりました。
したがって、コルベ神父がたった一人の人間の身代わりになった話をされても、
原爆の死者ことを考えると文字通り「焼け石に水」なのです。


> どうせなら、キリスト教だけではなく、宗教全般を批判してください。無宗教、という名の日本宗教や、詐欺的金儲けスピリチュアルも。

先ほども書いたとおり、私は他の宗教まで批判することには関心がなく、
またその知識もないし労力的にも余裕がありません。
私が胡散臭いと思っている宗教はほかにもいくつかありますが、
そういったものは他の多くの方が批判しているので
あえて私が批判する必要がないと思うからです。

もし貴方が他の宗教に疑問をお持ちでしたら、
ご自分でブログを立ち上げてみてはいかがでしょうか?
2012-01-22 日 18:06:32 | URL | 桃栗 [編集]
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2017-12-14 木 21:53:19 | | [編集]
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