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桃栗

Author:桃栗
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あるクリスチャンの自殺死 その1
先日予告したクリスチャンの自殺の話についてあらましを書きたいと思います。
が、なるべく私の身元を特定するようなことは書きたくないので、
おおまかに書きます。


その方を「Aさん」としておきましょう。
Aさんと私は、幼いころに同じ教会の教会学校に通っていました。
私と同様、Aさんもクリスチャン・ホームの生まれです。
その後、それぞれ家の都合で転居してしまい、
かなりの間まったく音信がありませんでした。
ただ、当時の共通の知人Bさんとはずっと付き合いがあり、
Aさんの消息についてはBさんからはそれとなくは聞いていましたが、
私はあまり関心がありませんでした。

が、あるとき思いがけずAさんから年賀状が届いたのです。
後で知ったのですが、
当時の別の共通の知人のCさんが私の住所を教えたとのことでした。
Aさんが私のことを覚えていることを知ってうれしくなり、
5、6回ぐらい年賀状のやり取りをしたり、
さらにはメールのやり取りもしたりして旧交を温めていました。
この時点では、Aさんがどんな生活をしていたとか、
まだ教会に通っていたのかどうかは知りませんでした。

ところがある日、Bさんから電話があり、神妙な声でこう言うのです。
「Aさん、傷つきやすい性格で、最近ひどく落ち込んで引きこもっているみたい。
金銭的にも大変らしい。
Aさんを助けてあげてくれない?
助けるといってもお金とかじゃなく、精神的な支えになってあげてほしい」

Bさんから助けてあげてほしいとは言われたものの、
もうかなりの間Aさんには会っていなかったため、
こちらから連絡をするのも照れくさいような気もするし、
それに、Aさんは私の住所も電話番号もメアドも知っているのだから、
何か悩みがあったらAさんの方から連絡が来るだろう、
そのように私は楽観的に考えていました。

これが大きな大きな間違いでした。
Aさんの訃報をBさんから知らされたのはそれから何ヶ月と経たない頃です。
はっきり覚えてはいませんが、1~2ヶ月も経っていなかったかもしれません。
訃報を聞いた瞬間、私は体中から血の気が引くような思いをしました。
「しまった!」
Aさんの異変は知らされていたのに、私は何もしてあげられなかったのです。
人生史上、こんなに大きな後悔の念に苦しめられたことはありませんでした。

Aさんの告別式は教会で執り行われるとの知らせを受け、
Aさんがずっと教会に通っていたことをこの時点で初めて知りました。
すると、キリスト教への疑問がふつふつと沸き起こったのでした。
牧師さんも周囲のクリスチャンも、一体何をしていたのでしょう。
貧しい者に手を差し伸べるのがキリストの教えではありませんか?
キリストの教えは素晴らしいと教会で教えているではありませんか。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう」 (マタイ11:28)


どこの教会もキリストのこの言葉を看板に掲げ、
キリスト教が救いや癒しの宗教であることを強調しているではありませんか。
それなのに、なぜAさんは追い詰められなければならなかったのでしょう。

ともかく、私は胸を強く締め付けられる思いでその教会へと向かったのでした。
長い長い1日の始まりです。

(続く)
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

キリスト教の事件簿 | 22:37:58 | トラックバック(0)

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