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桃栗

Author:桃栗
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マリアが臨月になったタイミングと宿屋の謎
教会が教えないイエス・キリスト誕生物語について立て続けに3回書いてきましたが、
今日は4回目に参りたいと思います。
教会で教えられるキリスト誕生物語は、
ルカ1~2章の話を元に、マタイ2章の”博士たち(=占い師?)”の話を付け足し、
メルヘンチックに脚色したものです。
が、聖書に記されていることをよくよく読んでみると、
教会で教わる話とは違う部分が多いということはこれまで書いたとおりです。
今回は、マリアが臨月になったタイミングと、
ベツレヘムの”宿屋”の謎について書きたいと思います。
なお、初めてこのページに飛んでこられた方は、
過去の3回分も読んでいただければと思います。


一般に教会で信じられているキリスト誕生物語では、
まず、皇帝アウグストにより住民登録の命令が出て、
ヨセフとマリアはナザレからベツレヘムへ登録のために里帰りすることになります。
そして、ベツレヘムに到着したその日の夜に宿屋に泊まろうとするが、
宿屋が満室だったためにやむなく”馬小屋”に泊まり、
そこでイエスを出産したことになっています。
リュック=オリヴィエ・メルソン 「ベツレヘム到着」
リュック=オリヴィエ・メルソン作 「ベツレヘム到着」

しかし、聖書をよく読んでみると、
二人は実はイエス出産よりもずっと前にベツレヘムに到着していたらしいのです。
聖書をご覧ください。

ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムへ上って行った。
身ごもっていたいいなずけのマリアと一緒に登録するためである。(ルカ2:4-5、一部略)


ここまでは教会で教えられている通りですね。
問題はその次です。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、
マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ2:6-7)


ここで問題の箇所が「ベツレヘムにいるうちに」の部分です。
この表現では、彼らがすでにベツレヘムに到着し、ある程度の期間いたことになります。
上記引用は新共同訳からのものですが、他の訳ではルカ2章6節はこうなっています。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、(口語訳)
ところが、彼らがそこにいる間にマリヤは月が満ちて、(新改訳)


なんと、口語訳では、はっきりと「ベツレヘムに滞在」と書かれています。
ナザレとベツレヘムの距離は、ネット上の情報ではそのサイトによって数値が異なりますが、
おおよそ100数十キロ、標高差は数百メートルという険しい道のりだということです。
以前から私がキリスト誕生物語に疑問を抱いていたのは、
臨月の妻を連れて長距離を旅するのは無理があるのではないかということでした。
しかし、まだあまり妊娠が進んでいないうちにベツレヘムに到着していたなら、
それはそれでつじつまが合います。
では、二人は一体ベツレヘムのどこに滞在していたのでしょうか?
ベツレヘムは少なくともヨセフの故郷であったはずですから、
実家または親類宅に泊まるというのが一般的な解釈のはずです。
わざわざお金を払って宿屋に長期滞在するというのも考えにくいです。
それに、最初から宿屋に泊まっていたならば、
「満室だったために”馬小屋”で出産」というハプニングも起こらなかったはずです。

教会で教わる話では、二人がベツレヘムに到着したその夜に宿を探したが、
満室だったために”馬小屋”に泊まり、そこでイエスを出産ということになっています。
が、聖書の記述に従うならば、
二人がベツレヘムに滞在している間にマリアの妊娠が進み、
陣痛が始まってから慌てて宿を探したが、満室で泊まれなかったということでしょうか?
出産のためにわざわざ宿を探すというのもつじつまが合わないと思いませんか?

上の方でルカ2章6節の口語訳、新改訳を引用しましたが、
その次の同7節は口語訳、新改訳ではそれぞれこう記されています。

(マリヤは)初子(ういご)を産み、布にくるんで飼い葉おけの中に寝かせた。
客間には彼らのいる余地がなかったからである。(口語訳) 

(マリヤは)男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。
宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(新改訳)


驚いたことに、口語訳では「客間には彼らのいる余地がなかった」とあり、
「宿屋」「泊まる」という言葉さえ書かれていないのです。
新改訳でも「いる場所がなかった」とあり、「泊まれなかった」とは書かれていません。
口語訳聖書は、かつて国内のプロテスタント教会でもっとも普及していた聖書のはずです。
現在も根強く残っているのではないでしょうか。
ごく先日、とある用事で某プロテスタント教会に行く機会がありましたが、
本棚には礼拝用の口語訳聖書がズラリと並んでいました。
また、私の教会学校時代には何度か新改訳の新約聖書をもらったことがあります。
これだけ広く口語訳と新改訳が普及しているのに、
クリスチャンはこの矛盾に気付かなかったのでしょうか?

そして新共同訳では「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と記されているわけですが、
ベツレヘムに滞在しているうちにマリアの妊娠が進み、
いざ出産という段階で宿屋を探したことになるわけですから、
こちらもおかしな話だと思いませんか?
もちろん、新共同訳にも口語訳にも新改訳にも「馬小屋」は出てきません。

こうして考えてみると、クリスチャンは聖書を読んでいないのではないかと思えます。
私は、聖書を読めば読むほど、そして違う訳を比較すればするほど、
矛盾ばかりが目に付いてしまう今日この頃です。

余談ですが、エホバの証人の新世界訳聖書ではこう訳されています。

彼らがそこにいる間に、彼女の出産の日が来た。
そして彼女は男の子、初子を産み、これを布の帯でくるんで、飼い葉おけの中に横たえた。
泊まり部屋に彼らの場所はなかったからである。(ルカ2:6-7)


こちらの訳でも、ベツレヘムに到着してしばらく経ってから出産の日を迎えたとあります。
「泊まり部屋」という訳が気になりますが、
やはり「場所はなかった」とあり、「泊まれなかった」とは書かれていません。

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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

クリスマスの疑問 | 23:39:19 | トラックバック(0) | コメント(7)
コメント
桃栗さんの分析を読んで、キリスト教はヤバイなーと思います。

学校に例えてみると
聖書は、教科書。
牧師は、先生。

先生が、教科書を理解していない→ダメ教師
牧師が、聖書を理解してない  →ダメ牧師

世界的、歴史的に見ると
教科書に偽りがあるケース→国の政策、思想操作の為

キリスト教は、
聖書がつじつまが合ってなくても、正しいと教える→洗脳のため

洗脳です!
えーん。こわいよー。
2010-12-14 火 23:00:55 | URL | 猫 [編集]
アドヴェントの一連のご投稿
桃栗さま、いつもお邪魔して申し訳ありません。

一連のクリスマス前のこの期間に旬なネタ、感心して読ませていただいてます。


しかし最近回を追うごとにむしろ、聖書にたいして良心的に真面目に悩まれているのを感じて心痛い気がします。


聖書は、旧約はナザレのイエスなど想定してないユダヤ人のための歴史遺産で、新約は人間たちが書いたただのトラクト、目的は教会に来て解釈を聞き献金するように勧誘する「告知程度」のレベルの文書だと気楽に突き放してしまわれるほうがよいかと思います。

なんか「聖書」と「罪」に拭えないトラウマがおありみたいですね。

クリスマスは聖書とか罪など忘れてサンタクロースメインで楽しみましょう。
2010-12-15 水 01:26:02 | URL | 未信者 [編集]
Re: アドヴェントの一連のご投稿
> 桃栗さま、いつもお邪魔して申し訳ありません。
> 一連のクリスマス前のこの期間に旬なネタ、感心して読ませていただいてます。
> しかし最近回を追うごとにむしろ、聖書にたいして良心的に真面目に悩まれているのを感じて心痛い気がします。

振り返ってみると、聖書を再入手した頃から
聖書の内容を取り上げることが多くなりましたね。
最近になって新改訳、口語訳を入手して、
よりいっそう聖書の矛盾が目に付くようになりました。
さらに、ネット上で英語の聖書も見るようになり、
ますます矛盾を感じずにはいられなくなりました。
結局、クリスチャンは都合の良い訳を都合良く解釈して信仰しているのでしょう。


> 聖書は、旧約はナザレのイエスなど想定してないユダヤ人のための歴史遺産で、新約は人間たちが書いたただのトラクト、目的は教会に来て解釈を聞き献金するように勧誘する「告知程度」のレベルの文書だと気楽に突き放してしまわれるほうがよいかと思います。
>
> なんか「聖書」と「罪」に拭えないトラウマがおありみたいですね。

そうですね。
教会が教える「罪」の概念に縛られて生きていましたから。


> クリスマスは聖書とか罪など忘れてサンタクロースメインで楽しみましょう。

クリスマスの時期はカラオケでクリスマスソングでも歌ってストレス解消します。
2011-01-02 日 23:57:49 | URL | 桃栗 [編集]
Re: タイトルなし
> 桃栗さんの分析を読んで、キリスト教はヤバイなーと思います。
>
> 学校に例えてみると
> 聖書は、教科書。
> 牧師は、先生。
>
> 先生が、教科書を理解していない→ダメ教師
> 牧師が、聖書を理解してない  →ダメ牧師
>
> 世界的、歴史的に見ると
> 教科書に偽りがあるケース→国の政策、思想操作の為
>
> キリスト教は、
> 聖書がつじつまが合ってなくても、正しいと教える→洗脳のため

牧師自体がすでに洗脳されていますし、
クリスチャンも牧師の言葉が正しいと思って聞きますから、
悪循環の繰り返しですね。
ともかく、牧師は聖書をよく読んでいるはずなのに、
なぜ聖書と違う話に脚色するのか本当に不思議です。
2011-01-03 月 00:01:19 | URL | 桃栗 [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-12-18 火 23:43:45 | | [編集]
随分昔の記事のようなので、今さらなのですが私の考えを簡潔に残しておきたいと思います。私は客間で出産は無理だから、子供を生める場所を探した結果仕方なく馬小屋になったのではないかと思います。以上です。
2014-09-24 水 10:30:15 | URL | 名前を入れてください [編集]
Re: タイトルなし
> 随分昔の記事のようなので、今さらなのですが私の考えを簡潔に残しておきたいと思います。私は客間で出産は無理だから、子供を生める場所を探した結果仕方なく馬小屋になったのではないかと思います。以上です。

あなたのコメントは微妙に記事の主旨から外れていますね。
そもそも、マリアはイエス出産の何か月も前にベツレヘムに到着していました。
それなのに出産する場所が見つからなかったとはおかしくないですか?
それに、記事に書いた通り、聖書には馬小屋は登場しません。
過去の3回分の記事も含めてちゃんと読んでいますか?
客間よりも馬小屋で出産する方がよっぽど無理ですよ。
2014-09-28 日 09:19:01 | URL | 桃栗 [編集]
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