FC2ブログ
 
■プロフィール

桃栗

Author:桃栗
このブログでのコメントは承認制です。原則として、書き込まれた順に承認・公開していきますが、承認までお時間をいただきます。★コメントへの返事は割愛させていただく場合がありますが★、寄せられたコメントはすべて目を通しています。初めての方はカテゴリーの中の自己紹介をお読みください。記事に直接関係のないご意見・ご感想・批判・賛同などはゲストブックへお願いします。多忙時は一時的にコメントの書き込みを制限する旨をお知らせすることがありますのでご了承ください。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■カテゴリー
■FC2カウンター

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
教会が教えないイエス・キリスト誕生物語の結末
私は、このブログで何度かこういう発言をしたことがあります。

・クリスチャンは聖書をろくに読まず、
 教会で牧師さんの話を聞いただけで聖書を知ったつもりになっているだけ。
・教会では、聖書の中の都合の良い話しか取り上げない。

今日紹介するイエス・キリスト誕生物語こそ、その典型と言えるでしょう。
まず、聖書にはどこにも誕生日が12月25日とは書かれていません。
それなのに、12月25日がキリストの誕生日だと勘違いしている人の何と多いこと。
また、インマヌエルの予言が当たっていないのも以前書きましたね。
が、まだまだ誕生物語には突っ込みどころがあります。


キリスト誕生物語は、マタイ1~2章、ルカ1~2章に記されていますが、
「教会が教えるキリスト誕生物語」のあらずじはだいたいこんな感じです。

大工ヨセフとその許婚のマリアに、それぞれ天使が子供の誕生を予告します。
マリアは夫ヨセフと肉体関係を持つことなく妊娠。
やがて皇帝アウグストの命令で大規模な住民登録が行われることになり、
ヨセフと臨月のマリアはその登録のためにベツレヘムへ里帰り。
ところが宿屋が満室だったためにやむなく馬小屋に泊まることに。
そこでマリアはイエスを出産。
周辺で野宿をしていた羊飼いたちがお祝いに訪れ、
東の国の博士たちが星に導かれてイエスの居場所を探し当て、
黄金、乳香、没薬(もつやく)を贈り物として捧げ、めでたしめでたし。

教会でのキリスト誕生物語は、博士たちがお祝いに駆けつけたところでThe Endとなります。
ところが、この誕生物語、世にもおぞましい結末を迎えることをご存知ですか?
事の発端はその「東の方からやって来た博士たち」です。
この博士たち、「星に導かれて来た」などとメルヘンチックに語られますが、
実は、時のヘロデ王に派遣されてやってきたのです。

まず、不思議な星を見つけた博士たちは、
東の方からエルサレムのヘロデ王のもとへやってきます。
ヘロデ王に謁見した博士たちは、その星が救い主の誕生を示すものだと告げます。
そこでヘロデ王は言います。
「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」
そして博士たちは星に導かれてめでたくイエスの居場所を突き止めます。

が、ここからがその事件の始まりです。
博士たちはヘロデ王にイエスの居場所を報告することになっていました。
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」という夢のお告げがあったため、
彼らは別の道を通って自分たちの国へ帰ってしまいます。
博士たちに裏切られたと知ったヘロデ王は大激怒。
なんと、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の子供を
皆殺しにしたのです。

では、そのころイエスはどうしていたかというと、
天使がヨセフの夢に現れ、
「ヘロデがイエスを殺そうとしているから、エジプトに逃げなさい」と告げ、
ヨセフはその夜のうちにマリアとイエスを連れてエジプトに行き、
のうのうと難を逃れているのです。

クリスマス礼拝でメルヘンチックに語られるキリスト誕生物語は、
このように大変おぞましい結末を迎えることとなるのです。
ちゃんとマタイによる福音書の2章に事の顛末が記されています。
ところが、クリスマス礼拝ではこの話は取り上げません。
なぜなら、教会にとって都合が悪いからです。

しかも、マタイさんによれば、この幼児大量虐殺事件は預言されていたとのこと。
「ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。」
(マタイ2:18、元ネタ・エレミヤ書31:15)


教会では、インマヌエルの預言は誇らしげに取り上げるのに、
(マタイ1:23、元ネタ・イザヤ書7:14参照)
この虐殺事件の預言については完全無視を決めています。
もし本当に預言されていたなら、なぜ事件を未然に防げなかったのでしょうか。
キリスト教の預言は「後付け設定」ばかりですね。

それにしても、神のお告げもなんといい加減なのでしょう。
博士たちには「ヘロデのもとに帰るな」と告げ、
わざわざ虐殺事件の火種を作っておきながら、
ヨセフ一家にはエジプトに逃げるように告げるのですから。
改めて聖書を読んでみると、キリスト誕生物語は支離滅裂としか思えませんね。
以前、「聖書はホラーの世界?」という記事を書きましたが、
このキリスト誕生物語こそまさにホラー、サスペンス、バイオレンスの世界です。
スポンサーサイト

テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

クリスマスの疑問 | 21:24:22 | トラックバック(0) | コメント(22)
コメント
アドベントに旬な話w
キリスト生誕の物語は、旧約聖書のメシア預言箇所を、いちいち「コピペして」並べてイエス・キリストにこじつけるために作った性格の話ですw


『旧約聖書のメシア預言』(当時は新約聖書がないからクリスチャンの聖書は他に「生誕話のないww」原マルコ福音書ぐらい?)を『ウィキペディア』、『新約聖書のキリスト生誕物語』を『課題のレポート』だと考えると、そのあたりの事情とチープな内容のわけがよーくわかると思いますwww
(学生の皆さん、新約聖書がそうでもwwズルはいけませんww)
2010-11-29 月 03:03:28 | URL | 未信者 [編集]
聖書って、神が書かせたものなんですよね。

てか、作家の方が、もっとまともなストーリーを考えれると思うんです。
聖書は、大昔の三流の作家が書いたんでしょうか?!

>この虐殺事件の預言については無視を決めています。
>もし本当に預言されていたなら、なぜ事件を未然に防げなかったのでしょうか。
これって、私も桃栗さんと同じです。

こういう質問を牧師にしても、
「ああ言えば、こう言う」で、答えをはぐらかせすんでしょうね。

なぜなら、神もいないし、聖書もつじつまがあってないから。
これが一番納得できる答えだと思います。


2010-11-30 火 23:21:07 | URL | 猫 [編集]
鋭いです
猫さん

>聖書は、大昔の三流の作家が書いたんでしょうか?!


ウケましたww


新約聖書についていえばある意味、今でいう「ものみの塔」の配布物(トラクトでいいのかな?)といっしょのレベルだと思いますww

(つまり新約聖書じたいがそういう性格のトラクトw)
2010-12-01 水 03:16:28 | URL | 未信者 [編集]
私は一世の親がなぜ聖書を読んでいて神の言葉だと信じてしまったのか、非常に残念です。ただ洗脳とは恐ろしいもので、私も聖書が人間の言葉だと納得するには半年位の時間が掛かりました。

ところで一世の親を見ていると、信仰していてとても幸せそうです。毎日喜んで聖句を調べ、神に祈っているようです。宗教組織の中で友達もできて、充実した時間を送っているようです。私は二世として宗教組織にいた頃は一世のことは信仰の厳しい迫害に耐えて非常に努力している人たちだというように考えていました。それは組織の出版物が信仰に熱心な人をそのように解釈していて、組織全体がそのような見解を示していたからです。

しかし、組織から離れて信仰を捨てて冷静になって考えてみると、一世は宗教が自分たちに合っていて信仰が必要な人だということが分かってきました。もちろん、二世でも信仰が必要な人はいます。そのような人たちは信仰のために懸命に努力しているのではなく、毎日自分がしたいことをして周囲に何と反対されてもそれを強く自己主張し、そうすることで自己実現を果たしているように見えます。信者は一見、信仰のために人生がボロボロになっているようになっているように見えますが、実は信仰することでとても幸せな状態になっているようです。信仰のために何かしらけっこうな犠牲を払っていると思いますが、ちゃんと対価は得ているわけです。そのようなことが分かってくると、私の中で信者に対する見方が大きく変わりました。

ただ二世は中学生で信仰していたりして、大人と違い宗教の美味しいところをうまく吸ってられないように思います。せめて十代後半にならないと、どうすれば自分に有利な立ち位置につけるか考えられないように思うのです。そうしたことで二世は幼すぎて不利だと思います。他にも親の一世から宗教のエリートコースを期待されたりすれば、それはそれで二世にとって重圧になると思います。あらゆる面で二世は一世より不利だと思います。

その点一世は中学生で信仰するというのはまずなく、十代後半の高校生くらいになってから信仰することができ、半分くらい大人になってから信仰できるので有利だと思います。そして周囲に宗教を強制されることなく自分のペースで自己実現のために存分に宗教を頼ることができ、幸せだと思います。もちろん、二世でも大人になっても宗教を信仰している人は宗教が自分に合っていて幸せなのだろうと思います。

私は洗脳の解けない親を見ていると複雑な気分になりますが、当人が信仰することで幸せになっているならそのままでもいいのではないかと思ってきました。どっちみち洗脳は解くのは非常に難しいようです。
2010-12-01 水 10:47:12 | URL | XXX [編集]
キリスト教脳?
XXXさん、お話参考になります。


私もいろいろな教会を経験してきて、(これは以前に桃栗さまもおっしゃってましたが)だいたいプロテスタント教会はどこもマタイ11:28を看板に出して、2世クリスチャンよりも1世を対象に重点を置いてる感じはします。

で、2世の知り合いのことを思うと、特にプロテスタントでは教会学校を中学の部活動優先で行かなくなって、信仰告白の頃を境に教会からも離れてしまったケースが多い感じがします。
(カトリックは、もっとゆるい2世が多いんですが…)

そうしてしばらく経ってから「信仰が合いそう」だと感じた2世はまた教会に戻ってきたりします。


キリスト教を考えたとき神、罪、信仰が存在するんじゃなくて、人間の「脳に」キリスト教の働きをする部分があるんじゃないかと思ったりします。

それがONになれば受洗や奉仕に、OFFになれば不信仰や棄教にというように。その繰り返しの場合が多いかも?ですが…。
2010-12-02 木 00:37:34 | URL | 未信者 [編集]
未信者さん

>キリスト教を考えたとき神、罪、信仰が存在するんじゃなくて、人間の「脳に」キリスト教の働きをする部分があるんじゃないかと思ったりします。

>それがONになれば受洗や奉仕に、OFFになれば不信仰や棄教にというように。その繰り返しの場合が多いかも?ですが…。

キリスト教に関してはだいたいそんな感じで考えられると思います。信仰を持つ持たないは個性の違いと見ることができそうです。

しかし、これがエホバの証人や統一教会などのカルト宗教になってくると、その信仰を持つのはその人の個性のためと言うのは少し違うように思います。カルト宗教にハマる人たちをもし知能テストのような能力を測るテストを受けさせたとしたら、恐らく何かの能力の値が低く出るのではないかと思います。たとえばだまされやすさを表す値とか暗示にかかりやすい値がテストすると高く出て、妄想と現実の区別がつく値などは低く出ると思うのです。マルチ商法などにひっかかってしまう人がだまされやすい人であるように、カルト宗教にハマる人もその人の個性の問題というより何かの能力が低く、そのために宗教にハマってしまうように思います。
2010-12-02 木 11:31:15 | URL | XXX [編集]
棄教の理由は人それぞれでは?
あの地方で「住民登録」が行われるようになったのは、実はもっと後の時代のことだそうです。ヘロデ王の幼児大虐殺も、歴史的な記録がありません。福音書の時代考証は滅茶苦茶です。
まだ信仰心が残っていたとき、私は古代ローマや古代ヘレニズムの歴史について専門書を乱読し、聖書の舞台となっている時代及び地域について勉強しました。(専門としているのは、現代史ですが、古代史についても、それなりの情報を得ることができました。)聖書の記述が不合理に見えるのは、現代の尺度で当時を考えるからで、当時の人の尺度で考えれば、きっと合理的に見えるようになるはずだ。・・・そう考えていたのです。(歴史学の研究では、「史料は、現代人の尺度ではなく、当時の人の尺度で考察するべき」というのが鉄則です。)しかし、勉強をすればするほど、聖書の矛盾ばかりが見えてきてしまったのです。

また、福音書は後世の加筆が到る所にあるそうです。(語彙や文法が、元の著者とは思えない部分があるのです。)信者たちの妄想が膨らむにつれて、その妄想が加筆されて行ったのでしょう。

こういったことが見えてきたとき、私は完全に棄教しました。決して脳の思考回路がOFFになったからではないと思います。(それまでは、神秘主義に走ったりして無理して信じようとしていました。)
2010-12-02 木 20:43:48 | URL | 巨大虎猫 [編集]
見方が広がります。
XXXさん

>カルト宗教にハマる人もその人の個性の問題というより何かの能力が低く、そのために宗教にハマってしまうように思います。

カルトについて私が思うのは、最近普通にプロテスタントの伝統的教団の教会がカルト化する傾向がみられるということです。


以前はカルト問題といえば、例の3大異端に特化された感じがあったのですが最近は(やっとかも?)キリスト教内部でもそれが語られるようになり、伝統的教会でも無縁の話ではなくなりました。

そのことを考えれば、キリスト教に惹かれる→洗礼までこぎつける人たちの何割かは、XXXさんの言うとおり個性などよりも、カルトに引っかかる能力的な低さがキリスト教を信仰する原因になってると思えます。


巨大虎猫さん

浅学な私のような者のお相手、またよろしくお願いします。

>棄教しました。決して脳の思考回路がOFFになったからではないと思います。


ただ、キリスト教に特徴的な「神に罪をあがなうために人が犠牲(生け贄)になる」指向性は人間の脳には生来、部分としてあると思いますよ、私の仮説wwですけど。

キリスト教が世界的になったのも、人間の脳にそういう働きの部分がヒト科として備わっていたからで(おそらくはタブーとされるような原始的なヒトの脳の指向?)それがキリスト教でON、OFFになるように進化(退行進化?)したんだと思われます。

そのため「信仰は知識によって得られない、恵みとして与えられるものだ」とキリスト教では突然、反知性を出して奥義とするとこがあります。(神のみことばの思弁的宗教なのにもかかわらずww)

キリスト教脳の仮説をしてみましたwww
2010-12-03 金 01:00:44 | URL | 未信者 [編集]
生贄(その他代価)を奉げて罪を許してもらったり何かを恵んでもらう、
という発想はよくあるものだと思います。
全て神側からの自作自演なのが異様なだけで。

敵側だったユダヤ人や異邦人が、奉げる気なんてさらさら無しに
殺したところで、「購いの生贄」という意味を持ち得るんでしょうか?
それに関与もしてない他の国々の人類の罪も購われるのか?
という多分すでに言われてきてるであろう疑問を私も持ってます。

イエスの部分を人間にしておくことで、人間側から奉げた、
という形式を持たせることができる、と考えられているのか。
2010-12-03 金 09:42:15 | URL | ごおや [編集]
あがないの補完‐復活という後付け
ごおやさま はじめまして

>関与もしてない他の国々の人類の罪も購われるのか?
という多分すでに言われてきてるであろう疑問を私も持ってます。

>イエスの部分を人間にしておくことで、人間側から奉げた、
という形式を持たせることができる、と考えられているのか。


この点はまさに、原始的な「人を生け贄にする」脳の指向を覚醒するさいの問題です。良い意味「原始的でない」脳の人wwには、それがスムーズに覚醒できないというのがありますw(理性的に考えれば、関与もしてない他の国々の人類の、また今生きてる人の罪まで購われるのか?とすぐ疑問になります)

そういう補完としてキリスト教は「復活」の教理を当時の他宗教からパクってきて、「全人類の救いのため」と、こじつけることにしたようなのです。
ただ、この「復活」に関しては「人の生贄」と違って脳のずっと高いレベルの働き(理解)によらなければならないので、教会は早い時代から逆に人の感覚に訴えようと、わざと四旬節の断食を置いてから盛大に祝ったみたいですね。(キリスト教にクリスマスがなかった時代から)

今でも古形を伝える正教会系はカトリック(と引き継いだプロテスタント)の「原罪」を説かずに、「復活」の方を重く見るといいます。(面白いですねww)

(土地柄、ギリシャの高度な脳に対する戦いがwwあったのは、既にパウロの手紙の愚痴wにも見えますww)
2010-12-04 土 00:50:00 | URL | 未信者 [編集]
原罪はアウグスティヌスの創作
原罪説が西側の教会に導入されたのは、アウグスティヌスによるものだそうです。恋人を捨てたり、売春宿に出入りしたり、と若い時に性的に乱れた生活をしていたアウグスティヌスは、自身の過去を悔いる意味もあって、新約聖書のどこにも書いてない原罪説を言い出したのです。自説を押し通すために、友人を介してローマ皇帝に賄賂まで贈っています。国教化後のキリスト教の歴史をよく調べて行くと、主要な決定はほとんどすべて力関係によって決定されていることがわかります。クリスチャンや教会は「聖霊の導き」なる虚構を持ち出して、それらの決定を正当化しますが、それらの決定の際に「異端」とされた人々がどうなったかまでは考えようとしません。国外追放となったり、捉えられて処刑されたり、・・・といった悲惨な運命が待っていたのです。

それから、正教会の新約聖書には「ヨハネの黙示録」が含まれていません。新約聖書の正典の選考中に東西に分かれたためだそうです。
2010-12-04 土 15:33:49 | URL | 巨大虎猫 [編集]
少し訂正
巨大虎猫さん

>正教会の新約聖書には「ヨハネの黙示録」が含まれていません。

いえ、含まれています。ただ聖典化されたのが遅かったそうで正教会のミサ(奉神礼という)では使われないとのこと。

(ちなみに私たちにまったくなじみのない非カルケドン派教会ではおっしゃるように含んでない教派もあるようです)


>若い時に性的に乱れた生活をしていたアウグスティヌスは、自身の過去を悔いる意味もあって、新約聖書のどこにも書いてない原罪説を言い出したのです。


それもありますし、あとマニ教の影響も考えられてます。
クリスチャンの母に影響されるまでは当時ローマの知識人に信仰されたマニ教の熱心な信者でw伝道もしたらしいので。

(マニ教は二元論で肉体を汚れとして、徹底して憎むグノーシスを持ってました)
2010-12-05 日 10:05:02 | URL | 未信者 [編集]
Re:少し訂正
>> 未信者さま

アウグスティヌスとマニ教の関係は知っています。
アウグスティヌスによれば、「原罪は精液によって次の世代に伝えられる。」のだそうです。原罪を主張するクリスチャンの医学者や生物学者には、ぜひ原罪を伝えるDNAを特定してもらいたいものです。
また、「肉体を傷めつけることが、魂の救いにつながる。」というマゾ的な教義は、「長期間入浴しないことが敬虔さの証」という病的な実践論を生み出しました。そして、古代ローマの入浴文化が衰退し、ペストなどの疫病が流行する下地ともなりました。「教会の無謬性」を主張するクリスチャンには、この実践論をぜひとも実践してもらいたいものです。

正教会の聖書ですが、私の持っていた、いわゆる「ニコライ訳聖書」(聖詠経)には「ヨハネの黙示録」が収録されていませんでした。ロシア正教徒に聞いても「黙示録は使わないよ。」との返答。(そのロシア人たちは、黙示録の内容はおぼろげには知っていましたが。)
「黙示録は正典ではあるが、使う機会は限られている。」というのが現状なのでしょうか。
2010-12-05 日 15:33:09 | URL | 巨大虎猫 [編集]
衝撃ですそれw
巨大虎猫さん それはスゴイ!

>「原罪は精液によって次の世代に伝えられる。」
アウグスティヌスはめちゃめちゃなこと言いましたね!
でもその当時は至上の学問だった「神学」の真理として絶対的に受け入れられたんでしょうね。


>「長期間入浴しないことが敬虔さの証」という病的な実践論を生み出しました。


「入浴=体がリラックス=罪」という発想だったんでしょうねwww

ヘタしたら中世ヨーロッパでは、幼児洗礼で水に浸かって(入浴?)以来、クリスチャンは入浴経験ww一度もなし、とかだったかもですね!


あと聖詠経は詩編のことでして、ハリストス正教会版の新約には黙示録が収録されてあります。
2010-12-05 日 22:54:28 | URL | 未信者 [編集]
正教会に関するトラウマ、他
>>未信者さま

科学には「改訂」はありますが、神学では「改訂」を期待するのは難しいみたいです。

あと、古代エジプトで猫を神聖視していたことの反動だかで、猫を「悪魔の使い」として虐殺したのも、ネズミの大繁殖を招くことになり、ペストが流行する下地作りにもなったそうです。確かに、猫は飼い主の心を読むことがあり、ちょっと不気味なところもありますがね。

ところで、「聖詠経」は詩編でしたっけ?ハリストス正教会の書物はいろいろ持っていましたが、ロシアが現在も実践している「異教徒撲滅の闘い」の実態にショックを受けて、全部捨ててしまいました。(たとえば、チェチェン戦争の従軍記章が、「聖ゲオルギーの竜退治」をモチーフにしたものです。ここで私に直接関係していることと言えば、私の友人の父親がロシア当局に暗殺されてしまったことです。本当にひどい殺され方でした。)それと時をほぼ同じくして、数十枚あったチャイコフスキーやラフマニノフなどの宗教音楽のCDも全部捨ててしまったので、もったいないことをしてしまいました。あの時の私にとっては、もう手元には何も残しておきたくないほどのショックだったのです。ラフマニノフの「晩祷」のメロディーが脳裏に過ぎっただけで悪寒がするほどのトラウマでした。(でも、なぜか「少女趣味」のイコン数点は捨てませんでした。若い女性が描いた素朴な絵画は、宗教とは別次元の「癒し」のようなものを感じたのかもしれません。)
ロシア正教の前総主教・アレクシイ2世はKGBのエージェントだったそうじゃないですか。下手なことを懺悔すると、その贖いはイエス様がなさるのではなく、自分自身でシベリアの強制収容所ですることになったのですね。
2010-12-05 日 23:57:47 | URL | 巨大虎猫 [編集]
読んでみてください
「ナザレのイエスは神の子か」
読んでみてください。
2010-12-06 月 11:14:37 | URL | ゆうぐれ [編集]
Re: 読んでみてください
> 「ナザレのイエスは神の子か」
> 読んでみてください。

167ページのことですか? 読みましたが、さらに疑問が募るばかりです。
要するに、当時のベツレヘムの人口はたかだか5~600人だから、
赤ちゃんの数はわずかしかいない。
だからこの事件は大したことがないということですね。
では、クリスマス礼拝でどうぞそのように説教なさってください。
2010-12-06 月 23:21:49 | URL | 桃栗 [編集]
> ゆうぐれさん
実は、この本は私も読んだことがあります。
当時の世相・風俗を知る手掛かりが書かれていたり、口語伝承に関する考察が書かれていたりと、興味を引く部分もありました。ただ、作者が護教主義者の言い分しか細かく書き起こしていないなど、護教の観点から見ても不十分さのあるテキストだったという印象を持っています。
(護教の立場で書いて説得力を持たせるのなら、彼らの言い分を当人の前で論破するシーンが必要なのに、それが無かったし……)
2010-12-06 月 23:37:40 | URL | 黒い雪だるま [編集]
ゆうぐれさん

はじめまして


『ナザレのイエスは神の子か』

検索したら、
タイトルと著者の経歴が知的好奇心を刺激する本なんでww図書館から借りてみますが、

出版が「いのちのことば社」なのでw


オチは全然期待してませんww(つうか「違いました」だったら出せないww)

2010-12-07 火 00:35:35 | URL | 未信者 [編集]
Re: 読んでみてください
>>ゆうぐれ様

子供の頃の私なら感激した内容の本ですが、今の私には「プロパガンダ」以外の何物でもありません。「取材源」に偏りがあるからです。たとえば、イエス(イーサー)を「預言者」とみなしているイスラム教のウラマー(知識人)と聖書の成立史について長々と議論を戦わせていないでしょう。ウラマーたちに言わせると、キリスト教は長い年月をかけてイエスを「神の子」に仕立て上げたのです。彼らは、その「証拠」を並びたてることができます。また、オックスフォード大学やケンブリッジ大学、ロンドン大学などで「キリスト非実在説」を教えている歴史学者たちのところに著者は取材に行きましたか?
どうせガチガチのクリスチャンは、このような人たちの言ってることに聞く耳は持っていないでしょうから、クリスチャン向けにこのような人たちのことを活字にするだけ無駄なのでしょうがね。
2010-12-07 火 20:30:58 | URL | 巨大虎猫 [編集]
ヘロデ王の思惑は?
>>桃栗さま

>それにしても、神のお告げもなんといい加減なのでしょう。
>博士たちには「ヘロデのもとに帰るな」と告げ、
>わざわざ虐殺事件の火種を作っておきながら、
>ヨセフ一家にはエジプトに逃げるように告げるのですから。

これについては、
「ヘロデ王は、『生まれた救い主が、自分の王権を脅かすのではないか』と
 不安を抱いたのであり、『わたしも行って拝もう』と言ったのは嘘で、
 実際は救い主がわかったらすぐ殺害するつもりだった。
 しかし、博士たちの裏切りによって誰が救世主かわからなくなったので、
 ベツレヘムの幼児を全て殺すことにした。」
という解釈もあるようです。

ですが、それなら神も、救い主を殺そうとしたヘロデ王の方に天罰でも下せばいいのに、
実際にはヨセフ一家だけエジプトに逃がし、その後の幼児虐殺には知らん顔なのは
どうしたことでしょう。
結局神にとっては、大勢の幼児の命より、「預言の言葉が成就する」ことの方が
よほど大切だったのでしょうかね。
2011-11-28 月 05:34:36 | URL | ササキエル。 [編集]
Re: ヘロデ王の思惑は?
> >>桃栗さま
>
> >それにしても、神のお告げもなんといい加減なのでしょう。
> >博士たちには「ヘロデのもとに帰るな」と告げ、
> >わざわざ虐殺事件の火種を作っておきながら、
> >ヨセフ一家にはエジプトに逃げるように告げるのですから。
>
> これについては、
> 「ヘロデ王は、『生まれた救い主が、自分の王権を脅かすのではないか』と
>  不安を抱いたのであり、『わたしも行って拝もう』と言ったのは嘘で、
>  実際は救い主がわかったらすぐ殺害するつもりだった。
>  しかし、博士たちの裏切りによって誰が救世主かわからなくなったので、
>  ベツレヘムの幼児を全て殺すことにした。」
> という解釈もあるようです。

結局は、幼児虐殺事件を正当化するための言い訳ですね(笑)。

> ですが、それなら神も、救い主を殺そうとしたヘロデ王の方に天罰でも下せばいいのに、
> 実際にはヨセフ一家だけエジプトに逃がし、その後の幼児虐殺には知らん顔なのは
> どうしたことでしょう。
> 結局神にとっては、大勢の幼児の命より、「預言の言葉が成就する」ことの方が
> よほど大切だったのでしょうかね。

「神にとって」というよりは、「著者のマタイにとって」といったところでしょう。
とにかくマタイさんは旧約聖書の記述を都合よく改変してまで引用し、
「こうして預言は成就された」と書くのがお好きな方ですから。
2011-12-11 日 21:49:43 | URL | 桃栗 [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。