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桃栗

Author:桃栗
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関西フランクリン・グラハム・フェスティバル 献金の時間
10月24日(日)の関西フランクリン・グラハム・フェスティバルは、
16時から19時30分までの3時間半にわたって行われました。
が、その時間の大半(4分の3以上?)はコンサートの時間で、
その時間がかなり長く感じられ、
フランクリン氏本人の出番は大会の最後の方だけでした。
コンサートにはクリスチャンのアーティスト達が出演し、
元信者の私としてはいろいろと突っ込みどころがあったので、
いくつかブログに書いてみたいと思っていたのですが、
なかなかじっくりパソコンに向かう時間が無く、
大会から日にちが経っているため、割愛することにしました。
今回はコンサートの合間にあった献金の時間について書きます。


コンサートが中盤を過ぎた頃、
キリスト教の集会ではお約束の献金のお時間がありました。
笠川徹三という牧師さん(日本同盟基督教団 茨木聖書教会)が壇上に上がり、
献金について短い説教をしました。
この時、笠川牧師は聖書のこの言葉を引用しました。

「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録20:35)(注)

確かに、イエス・キリストの重要な教えの一つに「与えること」があります。
例えば、「天国に行くためには、全財産を貧しい人に与えなさい」
とイエスが発言しているのはクリスチャンなら良くご存知のことです。
さらに、イエスは「金持ちが天国に入るのは難しい」とも言っていますね。
(以上マタイ19:16-30、マルコ10:17-31、ルカ18:18-30を参照)
また、ほかにも「地上に富を積んではならない」という教えもあります。
(マタイ6:19-21、ルカ12:33-34参照)
このように、イエスは「与えること」をひたすら教えています。
端的に言えば、キリスト教は金銭欲を否定しているわけです。
しかし、その一方で阪神タイガースのマット・マートン選手(後日記述予定)のように、
年俸をガッポリ稼いでいる人をゲストに迎えるのも矛盾していると思いますが。

さて、グラハム大会の献金の話に戻りましょう。
笠川牧師により、「受けるよりは与える方が幸いである」という説教(=洗脳)の後、
「主催者側」にとってお待ちかねの献金(=集金)の時間に突入します。
会場の客席内に散らばった大勢のスタッフにより、
A3サイズ(?かそれ以上)の大きな茶封筒が客席の各列に配布され、
来場者は任意の金額の献金を袋に入れてリレー式に袋を隣の人に渡します。

来場者の中には豪華ゲスト目当てに来た未信者の方も多かったことでしょう。
しかし、すでに来場者たちは「与える方が幸いである」と洗脳され、
会場内は「献金モード」に入っていましたし、
隣近所のクリスチャンたちが献金袋にお金を入れているのに、
自分だけお金を入れないというのも気まずいはずです。
周囲の雰囲気に押されてうっかりお金を入れてしまった人もいるでしょう。
私ですか? もちろんあっさりとシカトさせていただきました(笑)。
キリスト教のために1円たりともお金は出したくありませんので。

会場となった大阪城ホールは1万6千人も収容できる巨大なホールです。
この大会のために莫大な費用がかかったことでしょう。
入場は無料でしたので、
おそらくここで集まった献金がその運営資金に充てられるのでしょう。

教会側は、「献金は強制ではありません」などと言いますが、
このように献金をせざるを得ない雰囲気を暗に作り出すところが、
なんとも巧妙なやり方だなあと感じました。
私が今もクリスチャンのままだったら献金に抵抗は感じなかったはずです。
が、現在は信仰を捨てて宗教観が180度変わりました。
この献金の一連の過程を観察していると、
まるで霊感商法か催眠商法でも見ているようでした。
改めて自分の宗教観が変わってしまったことに驚きを感じました。

さて、次回はマット・マートン選手について書きたいと思います。

(注)余談ですが、使徒言行録とは口語訳聖書の使徒行伝のことです。
現在のところ、当ブログでは主に新共同訳聖書から引用していますが、
書物の名前、固有名詞の表記などが従来とはかなり異なり、
口語訳と新改訳に慣れてきた私は、今ひとつ新共同訳に馴染めません。
今後、どの訳を引用するかは考慮の余地がありそうです。
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テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

普通の?日記 | 23:44:20 | トラックバック(0) | コメント(3)
コメント
3円献金
桃栗さま

私は神社のお賽銭の相場10円では惜しい気がするので(笑)

聖日礼拝の献金では3円を、父と子と聖霊の三位一体にかけて献金するようにしてますよ。

これだと誰への感謝の献金なのか毎回しっかり意識できて、信徒がイエスさまのみ言葉で洗脳されて、数千円を無意識で出すより神さまはお喜びになられる(笑)と信じてます。


(未信者の分際でもったいない(笑))
2010-11-08 月 00:51:37 | URL | 未信者 [編集]
>献金の一連の過程を観察していると、
>まるで霊感商法か催眠商法でも見ているようでした。

私も信仰していた頃は宗教組織に寄付することを何の疑問を持たずにしていました。しかし、組織の実態に気付き見方が180度変わりました。母は今も信仰していて寄付をしていますが、確かにちょっとした催眠状態にあるように見えます。キリスト教は統一教会のように壺を売りつけたりしないので献金についてはまだクリーンなイメージがありますが、実際は桃栗さんの言われるように霊感商法や催眠商法のような感じであると思います。信仰しているとこうした献金についても盲目になってしまうように感じます。それにしても統一教会は全財産を巻き上げるほど金を吸い取る宗教なので、そうしたカルト団体に比べればキリスト教を信仰しているほうがまだましだろうと思います。
2010-11-09 火 22:55:16 | URL | XXX [編集]
遊ぶ金欲しさに
キリスト教会における献金って、重要な問題ですよね。

たとえば、海外での活動をしたがる牧師っていますよね。
なんで海外なのかと。
日本国内のクリスチャン人口は全く増えていないのに。
目の前から、信仰を捨てていく信者がいると言うのに。

牧師が海外で遊ぶ金欲しさに、
「献金して」と言っているようにしか聞こえないんですよね。

留学費用をまかなうために、
信者から献金と言う名で金をむしりとる。

世間一般の感覚で言うなら、家族の留学費用なんて、家族が払うものです。
払えないなら、退学すればいいんです。
生活が苦しいから進学できないとか、
学費が払えないから退学する人なんて、普通にいる世の中。

しかし、キリスト教会では、
学費が足りないから、神に祈りましょうってなるんですよね。
それってつまり、「誰かまとめて大きな金額を献金をしてください」
って意味なんですよね。

牧師家族の一人が大きな会社に勤めていても、決して払わない。
神の為の留学なんだから、教会の信者がすすんで喜んで献金すべきとの考えがある。

世の中の常識と、キリスト教会におけるお金の常識は、
本当に違いすぎると想う。

神のために、喜んで献金すべきだという、
あの洗脳は本当に危険だと感じます。

キリスト教会には、清貧なんて言葉は、ありませんね。
2010-11-12 金 00:19:14 | URL | クララ [編集]
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